2018年11月15日木曜日

「クレイジー・リッチ!」


登場人物が、ほぼ黒人で占められているけどアメリカ(世界)で大ヒットした「ブラック・パンサー」。

で、登場人物が、ほぼ黄色人種で占められているけど、やはり大ヒットした「クレイジー・リッチ!」。

原題は「Crazy Rich Asians」。

邦題からは「アジア人」が省かれているのは、まぁ、日本向けには妥当とは思いますが、それにしても、時代を象徴しているタイトルですなぁ。

これが、「ヨーロッパ人」や、「アメリカ人」だと、当たり前。
「アフリカ人」だと、「いやいや、無理があり過ぎる」。
「中東人」だと、「遺体を酸で処理で消滅」という感じの「クレイジー」になるもんなぁ・・・・・。

アジア・・・・というか中国(中華系)の勢いという時代性を如実にあらわしているのですが、ただ物語自体は、成金趣味を笑ったりはしているけど、「個」よりも「血族」を重視する「アジア的」な価値観を、一概に「悪習」とするわけでもなく、アメリカ的な女性の生き方を過剰に称揚するわけでもなく、まぁバランスが取れているというか、中華圏でのヒットを狙っているというか。

オーソドックスな「嫁姑バトル」と、「アジア(中華)」対「アメリカ(欧米)」や「金持ち」対「庶民」といった「異文化の衝突」を軸にして話は進んでいきます。

で、最終的な「オチ」にしても、一旦は恋人のことを考えて、アメリカ女性が身を引くことを選んだものの、むしろ、その滅私奉公に、自らの人生と重ね合わせるものを感じて(←おそらく)姑も折れるという形で、中華とアメリカの融合という、「誰も傷つかない」ような気がするハッピーエンド。

重箱の隅をつつくと、そりゃ、「あれはどうなった?」「これはどうなる?」と思わないでもないですが、まぁ、これくらいの方が、見やすいよね。

それにしても、「嫁姑バトル」がメインとは言え、男性にしろ女性にしろ、どちらの家庭も父親が完全不在なところが、これもアジア的なのだろうか?
それとも現代的?


by カエレバ

2018年10月29日月曜日

日米同時公開「宇宙の法ー黎明編ー」


例によって、信者の方が券をくれたので見てきましよ、幸福の科学謹製映画「宇宙の法ー黎明編ー」。

サブタイトルが「黎明編」、ポスターに「Part I」とか書いてあるので、「これからシリーズ化するのね」と思っていたら、「UFO学園の秘密」の続編であることが、映画開始五分で判明。

ちゃんと前作も鑑賞したはずなのに、ストーリーを全然思い出せない。
「レプタリアンの仕業か!?」
なんてことを考えながら、観賞。

今作はバトルが豊富ということもあって、意外に退屈しなかった それなりに楽しめました。

まぁ、そりゃ、バトルものには有り勝ちなことだけど、

「敵を倒す」
 ↓
「もっと強い敵が登場」
 ↓
「味方が覚醒して圧倒」
 ↓
「敵も覚醒」
 ↓
「強い味方が登場」
 ↓
「敵を倒す」
 ↓
以下、エンドレス。

そんな、お約束展開。

敵にしろ、味方にしろ、「戦力の逐次投入」という愚策を延々と見せられるわけで、
「最初のうちに敵が本領を発揮していれば、あっさり味方を抑え込めた(殺せた)はずなのに」
とか、
「早々に神様(味方サイド)が表に出てくれば、誰も被害に遭わなかっただろうに」
と思ってしまうのもお約束。


それにしても、やっぱり旧・清水富美加さん/現・千眼美子さんは、やっぱ上手ね~
それなりに面倒な立ち位置の役柄で、プロの声優さんたちに混じっているにもかかわらず、遜色はなく。

一時は、「大川ジュニア様と結婚か?」という噂もありましたが、奥様に続いて、御子息までもが教団を逃亡(追放?)という謎展開(映画よりも、現実の方が予測不可能な波乱万丈)。

旧・清水富美加さん/現・千眼美子さんも、結局、幸福の科学専属女優として終わってしまうのかな~?

それはそれで、当人は幸せなら、他人がごちゃごちゃ言うことではないとは思いつつも、うーむ。

2018年10月22日月曜日

韓国版というかNetflix版というか実写版「人狼」の感想


人狼が実写化されるのはなんとなく耳にしていたけど、昨日、Netflix立ち上げたら、「人狼」が一番最初に表示されて、もうNetflix限定コンテンツなのね、しかも韓国なんだ、どれどれ見てみましょう、と、そのまま拝見。

リメイクが成功することは稀なんで、そんなに期待しないで見たのですが、・・・・・やっぱり、「こんなもんね」というのが正直な感想。

絵のクオリティーは、「テレビ映画以上、ハリウッド大作映画以下」という感じで、なかなか見応えアリ。

特機隊の装甲なんかは、もう少し重量感が欲しかったものの完璧。
ハードボイル調の役者たちの演技も十分。
アクションも決して安っぽくない。

だけれども、アニメ版にもあった冒頭における暴動シーン。
過激派の「セクト」が、隊列を組む機動隊に向かって野面で銃を発泡するのを見て、「なんじゃこりゃ!? 地下組織が、そんな公道で堂々と警察と戦闘するって、どういうこと?」と戸惑ったが、その後の展開からすると、「この映画は、こういう映画です! アニメとは違いますよ」という宣言と見るのが正しいのだろう。

これを、「あり!」とするなら、楽しんで見れるのだろうけど、・・・・・その割には、妙に原作を意識して、グレーなシリアスから逸脱できてないあたりが、中途半端と言えば中途半端だったなぁ。

実写版は、特機隊と公安の暗闘をクローズアップして、アニメ版以上に、組織間の駆け引きを物語の主軸に持ってきている。
しかし、国家に従属する2つの組織が、どうして縄張り争いしているのか、アニメ版も、そんなに説明があったわけじゃないけど、そこを持ち上げるなら、やっぱり、もうちょっと理由が必要だったのでは? と思わないでも。

また権力闘争の結果として、登場人物たちは騙し騙され、二転三転するわけだが、これもなんか、分かりづらかった。まぁ、これは僕の酒量と理解力の問題でもあるのだが。

とは言うものの、そんなに期待していなかったこともあって、テキトウには楽しめました。(実写版「攻殻機動隊」ほどの、「ガックリ」感はなかったです)



おまけの感想


実写版「人狼」は、近未来の韓国が舞台。
中国の台頭に対抗すべく、日本が軍事力を高め、国際環境が不安定化。
それに対応すべく、北朝鮮と韓国は、五年後の統一を約束。

で、強国の誕生を恐れた諸外国が、韓国に圧力をかけて、不景気が到来し、国内の治安が悪化。その対策として、特機隊が生まれた・・・・・ということなのだが、「統一と分断」に対する韓国人の願望やら思い入れが垣間見えますなぁ。
中村トオルさんが出ていた「ロスト・メモリーズ」を思い出しました。

by カエレバ

2018年8月12日日曜日

上田慎一郎監督「カメラを止めるな」

ネタバレ、ほぼなし。


邦画界で話題沸騰の「カメラを止めるな」。
いや、もう「映画」という枠を越えて、ちょっとした社会現象と言ってもいいのでは?

そんなこともあってか、田舎の映画館でも上映が始まりまして、運良く休みも取れたので、初日に行ってきました。


平日13時開始の回でしたが、席は三分の一くらい埋まってました。
年齢層は六十代前後がメイン。
普段、そんなに映画館に足を運んでいるとは思えないタイプも多かったです。

もう社会現象なんですなぁ、と改めて実感。

「予算300万、撮影日数8日間」で、「無名監督」に「無名の役者陣」、これで「おもしろい」というのだから、いったいどんな映画なのか、一般人でも気になってしまうのは、当然でして、また、映画外のエピソード自体が映画に取り込まれてしまっているとういのは、名作や傑作には往々にあることで、「こりゃ、どんなにすごいんだろう」と期待して見始めたのですが・・・・・。

で、まぁ、「人の感想は絶対に聞くな!」「予告編は見ない方がいい!」「なんならポスターも回避せよ!」とまで言われておりますので、ネタバレなしで、ダラダラと感想を書くと、当初は、すごく戸惑いました。

「なんだ、これ?」

いや、実際につくろうとしたら、すげぇー大変なのは分かるけど、役者はぎこちないし、ストーリーは意味不明だし、やっぱり低予算がミエミエの絵だし。

てな感じで、当初は苦痛すらともなう鑑賞なんだけれども、ストーリーの進展にともなって、
  • 役者はぎこちない → それすら演技だった
  • ストーリーは意味不明 → すごい考え抜かれたお話し
ということが分かり、「うーん」と、うならされました。

「低予算がミエミエの絵」というのは、どうしたって逃れられないんだけど、でも、下手な絵の漫画でも、読み進めていくうちに、「これはこれで味だなぁ~」と思えてきて、最終的には、「このストーリーには、この絵なんだよ!」と納得することがあるように、この映画・物語には、やっぱり、この「チープ感」が合っている! ・・・・・と力説したいけど、やっぱり、製作者側としては、「もっと予算が欲しかったよ、そしたら、アレもコレも出来たのに」と思うだろうなぁ。

ただ、極端に解釈すれば、劇中の監督の置かれた立場・心情が、「チープ感」とシンクロしていると、言えないこともないが。

そもそもだ。
「ロッキー」が、実際のシルベスター・スタローンの境遇とシンクロしているように、この映画って、やっぱり上田慎一郎監督の怨念が生み出した作品であることは間違いないわけで、そして、映画のラストが全てのクリエーターに送る「祈り」であり、監督自身の願望の反映でもあり、しかも、インディーズ映画にあるまじき「大ヒット」によって、その「願い」は現実化しているわけで、そして、今この映画を、一観客として見るという行為自体が、その世界観の寄与に参画していることにもなるわけで、社会現象。


・・・・・・・意外に言及されていない気がするけど、この作品を見て、三谷幸喜監督の「ラヂオの時間」を思い出さなかった?
上田監督自身が、三谷幸喜監督をリスペクトしていることは公言しているので、ある意味、下敷きにしていたとしてもおかしくはないし、下敷きにしていたとしても、「カメラを止めるな」のオリジナル性が毀損するものではないけど。

特に、前述したことですが、多くの人は、冒頭からしばらくは戸惑うのでは?

普通(メジャー)であれば、「説明的なセリフ」や「説明的なシーン」を置いて、観客を救済するだろうけど、そこは、やっぱりインディーズ映画として「賭け」たわけで。(単純に予算の問題で、付け加えることが出来なかったのかもしれないが)

物語のカタルシスってのは、「ストレスの積立」と「解放」によって生み出されるのだが、今作の「冒頭の戸惑い」は、かなり大きな「ストレスの積立」になっている。

下手をすれば、観客にそっぽを向かれかねない「危険」はあるのだが、脚本の妙もあって、結果としては、この「賭け」に勝ったわけで、それだけに、すっかりハリウッド大作映画に甘やかされている多くの観客(自分も含めて)には「新鮮」だったということなんだろうなぁ。


昨今、どうしたって、ドル紙幣がフィルムの一コマ一コマに埋め込まれているような娯楽作ばかりになってしまいましたが(それはそれで楽しんだけど)、アイデアと情熱があれば、このようなエンターテイメントがつくれるというのは素晴らしいですなぁ~・・・・・・・なんだけれども、ここまで話題になってしまうと、上田監督、次回作は大変だろう。

当然、次はメジャーな舞台が用意されるに違いなく、俳優も女優も、有名所をチョイスできる・・・・・または、あてがわれるだろうし、インディーズらしい「賭け」も、そうそう何個もネタがあるわけもなく、さらには、あったとしても「危険」なわけで。
しかし、観客が期待するのは、「カメラを止めるな」の奇跡であって、しかし、毎度毎度、奇跡は起こるわけじゃないからね・・・・・・。

まぁ、そんな心配するのは、野暮ですけど。

by カエレバ

2018年8月3日金曜日

なぜ、今、杉田水脈議員は、このような袋叩きに合うのか?


可燃物 つくり続けて 幾星霜


さて、「新潮45」に掲載されたLGBTへの記事で、炎上した杉田水脈議員。

正直、これまでの彼女の「ご活躍」を知っている人間からすると、「えっ、いまさら!?」と戸惑いが隠せません。

杉田水脈議員の、これまでの、ある意味「華々しい戦歴」については、以下が、よくまとまっていました。
LGBT“生産性”発言で大炎上 自民党・杉田水脈の“脈々”と続く問題発言まとめ
(文春webの大山くまお氏のまとめは、簡潔ではあるけど、要点を逃していないので、いつも助かります)

↑こんな感じ。
世間では、今回の文章を暴走(暴言)と捉えられているようですが、古谷経衡氏も書いている通り、これまでの言動を知っている人間からすれば、杉田水脈議員的「通常運転」なんですよね。
杉田水脈議員はなぜLGBTを蔑視するのか?

にも、かかわらず、野党は当然として、自民党内からも批判が出ているわけで、「なんで、デモにまで発展しているんだ?」と、個人的には、違和感があったりします。


反安倍陣営のフラストレーション


一つには反安倍首相のフラストレーションが転化したのかな? とは思います。
森友学園問題での財務省の公文書改ざんをはじめ、政府に数々の問題・疑惑が発覚する異例ずくめの国会だったが、終わってみれば「安倍1強」の状況が崩れることはなかった。
(なぜ「安倍1強」を崩せなかった?「野党内抗争」立憲&国民の“こじらせ国会”)
野党・反安倍陣営としては、「働き方改革法から「裁量労働制の対象拡大」について撤回させた」くらいで、めぼしい成果もなく国会終了となり、その時期に飛び込んできた、「アレ」な内容の文章ということで、「あっちはダメだったけど、こっちはいったれやー」ということで燃え広がったのかなぁ~。

そもそも、杉田水脈議員は、安倍さんの後押しもあって、次世代の党(今の名前は、なんだっけ?)から自民党に鞍替えできたわけで。
ある意味、安倍首相の代わり、スケープゴートとして批判されている面は、否定できないのかな?

そもそも、野党に限らず、自民党内ですら、「国会が終了しているから、野党から直接には揚げ足とられないし」「そもそも自民党だってLGBTには寛容になりましょうという建前だし」「所詮、杉田議員は自民党一年生だし」ということで、なんか、楽しそうに・・・・・・とは言わないけど、安心して批判しているのは、同じく安倍首相への批判はできないけど、こいつなら大丈夫じゃーん、という、現内閣の政変運営へのフラストレーションが転化しているようにも見えますが、さて。


女として落ち度があった


後思うのは、先日のBBCで放映された「日本の恥」の影響。
安倍首相に近い記者と伊藤詩織さんの事件を扱った番組で、日本社会における性犯罪の現状を告発する内容でした。

天下の「BBC」が制作するのだから、どのようなテイストになるのか想像できそうなものですが、さすが杉田水脈議員、堂々と「女として落ち度があった」と、被害者を貶める発言をされていました。

「海外で評価されて、それが逆輸入されることで、国内でようやく認知される」というのは瑞穂の国のお約束でして。

かつて、杉田水脈議員のお仲間絵師「はすみとしこ」氏が、戦災から逃れる難民を愚弄する絵を作成、「海外で物議」→「日本国内でも認知」となりましたが、それをなぞるように杉田水脈議員自身も、BBCをちょっとかすってからの、ヤフーニュースのトップに連日に掲載されるという知名度を得るに到りました。

めでたくもあり めでたくもなし。


弱き者よ、汝の名は女なり


確かに、「これまでの積み重ね」「現政権へのフラストレーション」「海外デビュー」等々が重ねって、ここに来てコップの水が限界に達し、一気に「精算」となっているのは分かりつつも、過去、他にも、多くの「アレ」な発言をされた議員・大臣はいましたが、彼らは、その場限りのちょっとした批判で終わっていたのに、杉田水脈議員に限っては、ここまで炎上してしまったのは、残念ながら、「彼女が女性である」という日本社会の心底に流れる価値観によって、「女として落ち度があった」という判断が下されて、このような焼け野原になっているのではないかと考えたくなるのですが、当の杉田水脈議員自身が、「美しい国・日本は、男尊女尊の国!」としているので、まぁ、そんなことはないですね。すいません。


禍福は糾える縄の如し


杉田水脈議員のwikiを見ますと、前々回の選挙は、こんな感じ。
2014年の日本維新の会分党に伴い、次世代の党結党に参加、国対副委員長と女性局長に就任。同年12月14日の第47回衆議院議員総選挙に兵庫6区から次世代の党公認で出馬し、前回の選挙でも戦い敗れた自民党の現職大串正樹、民主党と共産党の新人候補と争い、3位の共産党新人候補に次ぐ最下位で落選した。
(杉田水脈 wiki)
特定の層には、だいぶ前から有名人ではありましたが、地元では、なかなか地盤を固めるまでには至ってないようです。

さて、組織力があてに出来ない状況、「当たり障りのない」主張では、単に埋没していくだけ。
政治に限らず、日本社会は、まだまだ男性中心の社会でして、杉田水脈議員が選んだのは、そこと対峙することではなく、むしろ、受容・称賛するという方法、・・・・・しかも、オブラートに包むなんて生易しいものではなく、極端に先鋭化。

それが、彼女の根っからの思想信条に根ざしているものなのか、それとも、ある程度「戦略的な方策」だったのかは、まぁ、分かりません。

某評論家は、杉田水脈議員の思想については、「典型的なネトウヨ」と評していますが、それだけに現代日本(の特定層)に受け入れやすかったのも事実。
男性社会の罪悪感を慰める、女性陣からの「問題なし」発言は、男女問わず、眉をひそめる人々も多かった反面、「ほら、この女性は、こんなことを言っている!」とカウンターを望む人々には熱烈に受け入れられました。

そして、その人気は、自民党総裁である安倍首相まで届いて、2017年には自民党から出馬、晴れて国会議員として返り咲くことに。

今回クローズアップされている、一連の「アレ」な言動というのは、一般的には「批判の対象」となっていますが、杉田水脈議員にとっては、努力の結晶であり、政治家としての土台であり、自民党所属の国会議員へ導いた功績なわけで、・・・・・・これを、自ら否定するのは、並大抵のことではないでしょう。

しかしながら、「(自分はまったく悪くないけど)世間をお騒がせしました」ということで離党というのも、・・・・・・・他に拾ってくれる有力な党があるとは思えないし、次の選挙、個人で勝ち残るのは、・・・・・・うーむ、なかなかねぇ。


で、結局は


二階幹事長からは「問題なし」のお墨付きをいったんはもらったものの、批判が鳴り止まん! ということで、

杉田水脈議員に自民党が指導 「配慮欠く」と異例の見解

と、まぁ、党の正式見解が出されて、さらなるダメ出しの、

首相「人権、多様性の尊重は当然」 杉田氏寄稿で苦言

引き立ててくれた恩人からもハシゴを外されてしまい、

杉田水脈氏がコメント「指導頂いた。真摯に受け止める」

さすがに、首相の顔に泥を塗るわけにはいかず、でも、「謝ってたまるか!」という底意の見えるコメントを発しました。(8/3昼の段階)

自民党としては、これで幕引きを図りたいし、野党・反安倍陣営としては「そうはさせまい」でしょうが、・・・・・まぁ、昨今の政治状況を見るに、党&個人としては「形式は踏みました」ということで、ボチボチ終わりなんだろうなぁ。


出るか、醜聞


昨日、杉田水脈議員のツイッターが久しぶりに更新されて、「まさか、ツイッターで反論か? そんなことをしたら、加計学園の加計理事長、日大の内田前監督、女子レスリングの栄前強化本部長(ボクシング連盟の山根会長も、この人々に入りそうです)の二の舞だぞ。どこぞの大学の理事長を見習って、ダンマリが一番なのに」と、嵐の予感に心かき乱されながらツイッターの内容を読んだら、・・・・・・いわゆる「文春砲」が炸裂したのね。

もしかしたら、杉田水脈議員の思想信条ではなく、醜聞によって、議員活動の継続は不可能になるのか? というのは勇み足。

記事の内容は不倫疑惑と育児軽視でしたが、不倫については写真があるわけでも、旦那のコメントがあるわけでもなく、あくまでも「噂」レベル。
育児にしても、国会議員というお忙しいお立場である以上、ある程度、人任せになってしまうのは当然。
もちろん、過去の彼女の言動との不一致に怒りを覚える人もいるでしょうが、もとより、日本の家族はコミンテルンによって危機にさらされているなんて陰謀論を唱えているくらいですから、個人的には「いまさらねぇ・・・・・・・」です。

かつて、田母神閣下が、都知事選でプチ旋風を巻き起こしたものの、選挙資金やらご家庭の問題でフェードアウトしていきましたが、この程度の内容では、議員辞職にまではならないでしょうね。(今後、追撃があれば、分かりませんけど・・・・・・)

(個人的には、文春砲よりも、
市民と取っ組み合い寸前 問題発言の杉田水脈議員、市職員時代から騒動
↑上記の、神戸新聞NEXTの方が、容赦ないと思いました)


若さ 若さってなんだ


杉田水脈議員としては、いまさら血肉となっている思想を捨て去ることもできないでしょうし、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、しばらく大人しくしてからの、また、例のアレなお仲間たちとインターネット放送に登場、「お勤め、ご苦労様でした」てな感じで乾杯、はすみとしこ氏から記念のイラストをもらってご満悦、という動画が公開されるという未来が容易に想像できますが、防衛省に限らず稲田朋美議員の大臣再起用はなかなか難しいのと同じで、ここまで「箔」がついてしまうと、「政治家」としては、この件が、一つの区切りなのかなぁ。

しかし、
「若さ、若さってなんだ? 振り向かないことさ」
「若さ 若さってなんだ? あきらめないことさ」
ということなので、頑張ってください。

トランプさんが世界一の権力者に上り詰める時代です、なにがどうなるか、分かりませんからね!

2018年7月8日日曜日

無味無臭「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」



昨年公開された、ナンバリングタイトル「最後のジェダイ」は、ストーリーに勢いはあるけれども、つっこみどころ満載で、非常に毀誉褒貶が激しかったです。

まぁ、それでも「大ヒット」ということで、ディズニーとしては御の字。

そして、今年は、スター・ウォーズシリーズ屈指の人気キャラ(正直、主人公のルーク・スカイウォーカーよりも人気があるのでは?)ハン・ソロを主役にしたスピンオフ、そのまんまのタイトル「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」が公開。

なんですが・・・・・・・、興行成績は世界的にパッとせず。

『ハン・ソロ』、『ローグ・ワン』比28%減のスタート 『スター・ウォーズ』の未来を覆う暗雲の深刻度
『フォースの覚醒』から2年半で正統サーガ&スピンオフを含めて計4本という「作りすぎ問題」。
今作の「失速」については、「つくり過ぎ」「早過ぎ」は、ちょくちょく指摘されているところですが、・・・・・・それなら、マーベルもだよなぁ。

「ブラックパンサー」の大ヒットの勢いに乗って、さらに上回る波を起こした「アベンジャーズ インフィニティーウォー」がある以上、それも、どうなんだろう?

まぁ、マーベル・シネマティック・ユニバースなら、作品毎に「色」が違うけど、「スター・ウォーズ」は、どうしても同じような「枠」にはめ込んでしまう必要があるわけで、そういう意味で、「飽きられた」というのは否めないのかなぁ・・・・・でも、
これまで『スター・ウォーズ』シリーズの中心的存在だった「ジェダイやフォースといった概念、まったく関係なくなっちゃった問題」。
逆に言えば、「独自色」を出せる可能性のある作品だったと思うんですよ。

が、出来上がった作品は、無味無臭・・・・・・。

すごく罵倒するような目の当てられないヒドい箇所はないけど、手放しで褒め称えるような目を見張るシーンもなくて、うーむ。


「フォースの覚醒」で、ハリソン・フォードが演じるハン・ソロが登場した瞬間に、「まさしく年老いたハン・ソロだ!」という感動があったけど、今作は、まぁ、演者が変わったこともあって、どうにもこうにも最後まで違和感が拭えなかった。

役者の演技力不足・・・・・というよりは、ストーリー自体に、THE「ハン・ソロ」を演出するような仕掛けが不足していたような。

ハン・ソロと言えば、「ペテン師でいい加減ながらも、悪人ではない」という人間味が持ち味で、そういうキャラを活かすなら、ご都合主義バリバリの、ゆるーいくらいのコメディギリギリの冒険活劇こそふさわしいように思えるのですが、今作は、けっこう真面目につくっていたなぁ。

真面目なら真面目で、それはいいと思うんですよ。
なら、物語中で、「成長」なり、「変貌」「堕落」があるべき。
たとえば、「若かりし頃のハン・ソロは、実は青臭い理想主義だった」とか、逆に、「昔は、もっと荒んだ生活をおくっていた」からの、「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」につながるストリー展開があってしかるべきなのだが、うーん、今作のハン・ソロは、とりたてて「味」がなくて、なんとなーく反抗的な態度をするから「ほれ、ハン・ソロでしょ?」程度で、どうも薄味。
そして、一貫性があると言えば聞こえが良いのだが、終始、そんな感じ・・・・・。(一応、騙され続けていたハン・ソロが最終的には騙し返すというどんでん返しがありますが)

以下、ネタバレ。

ネタバレ】『ハン・ソロ』ロン・ハワード監督はどこを変えた? 大幅な再撮影、内容変更の詳細が一部判明

ほとんど作り直すレベルで再撮影をしたようだけど、「これが!?」というのが、正直な感想。
この場面は「映画史に残るほど」の長期間、約1年間にわたって断続的に撮影が行われたそうだ。
「トバイアス・ベケット一味の列車強盗」シーンは、↑ということなのだが、・・・・・・まぁそりゃ、邦画に限らず、ハリウッド以外では、そうそうお目にかかれない完璧に再現された異世界における見応えのあるアクションシーンであることは否定しないが、さて、「これは!」という驚きに満ち満ちた独創性があるか? と問われると、「別にぃー」でして、むしろ、一年もかけて撮影されていたことに、「なんで、そこまで!?」と逆に驚いてしまう・・・・・・。

また、
撮影から編集に至るまで、本作では制作途中で大幅な作り直しが行われているわけだが、なかでもピエトロ氏が強調するのはハン・ソロとキーラが3年ぶりの再会を果たすシーンだ。トバイアス・ベケットに連れられて乗り込んだ、ドライデン・ヴォスの船上でハンはキーラと遭遇するのである。
こちらは、特に入れ込んで再構成したことがうかがえますが、・・・・・そもそも、このシーン自体が「なんだかなぁ」で、悲劇的な別離を強いられた二人のに、「こんなあっさり再会かよ」と興ざめしたのは僕だけ?

その後、キーラは、どうやら敵ボスの愛人に収まっている気配が濃厚なのに、それに対してハン・ソロが、別段苦悩するわけでもなく。

「そういう湿っぽいのは、いいから」という製作者側の配慮なのかもしれないが、ならば、ストーリー全体をコメディ寄りにする必要があったような気がするなぁ。


ルーク・スカイウォーカーが主人公らしく正義を体現するキャラだったとすると、ハン・ソロは、帝国軍に屈しない「自由」を象徴していたように思いますし、だから、先の大戦の英雄なのに、「スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒」では相変わらずのしがない運び屋家業だったんでしょう。

どうやら、この「自由」を、「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」では描きたかったような気配が、時折、見え隠れするのですが、・・・・・・途中で、監督が降板してしまったせいなのか、なんだか、ぼんやりしていた。

新ドロイド「L3-37」は女性型。
これまでの作品に登場したドロイドと比べると、自己主張が強く、ご主人であるランドの命令以外に、自分の意志(?)によって動くキャラ。
自立しているからこそ、彼女は、ご主人様に忠誠心ではなく、恋愛感情を抱いている。
だから、奴隷化されている仲間のドロイドを解放する為に戦うわけで、「自由」を主題にした本作らしいキャラではあるのだが、残念ながら、途中で戦死。

しかし、その頭脳は、ミレニアム・ファルコン号に移植される。
まぁ、これはこれで、ご主人様ランドの傍に永遠にいられることになるのだから、それはそれでめでたいののかもしれないが(「意識が永遠に生き続けたら拷問よ」という気もするが)、そのミレニアム・ファルコン号の持ち主は、最終的には、ランドからハン・ソロに移るわけで、「L3-37」の恋心(自由)の扱いがヒドイよ・・・・・。


世評では概ね好意的だった「ローグ・ワン」は、個人的には、「そんなに・・・・」なんだけれども、ただ、主要な登場人物たちが、一つの目標を達成する為に非業の最期に収束されていく一本の流れがキレイに出来ていたことは否定しないです。

それに比べて、今作は、なにがしたいのか、よく分からなかったなぁ。

とりあえず、ヒロイン役のエミリア・クラークさんのポニーテールが、かわいかったです。


ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー オリジナル・サウンドトラック/CD/AVCW-63279
by カエレバ

2018年6月30日土曜日

なぜ安倍晋三氏は、こんなにも愛されるのか?

2018年4月、5月、6月と安倍内閣の不支持率が支持を上回っていましたが、7月を前にして、どうやら持ち直しているようです。

NHK世論調査 内閣支持率 _ NHK選挙WEB


内政


現在、国会の会期延長で、もっぱら注目されるのは、「高プロ」や「カジノ法案」。
どちらも自民党が推しているものの、国民には不人気な政策。

しかもゲリマンダー降臨! と、ばかりに、自党の都合優先の選挙制度改革まで飛び出してきて、本来なら、いっそう支持率が下がりそうな要因が散見されるのが現状。

「6増」野党対案で攻防 自民案に公明慎重


外交


長期政権のおかげで、近年では、もっとも継続性をもって取り掛かれた外交。
トランプ大統領の就任前から駆けつけ、いち早く友好関係を築くことに成功。
四方八方に敵だらけのトランプ大統領にとっては、貴重(?)、数少ない(?)親トランプな首脳です。
「なんと情けない!」「ケツ舐めだ!」という意見もありますが、EU諸国などとは違い、中国・北朝鮮・ロシアといった政治体制を異にする国々に囲まれ、他には、お互いに好感は持っているけど国未満な台湾、どうしても歴史的なしがらみが残っている韓国という環境下にあるわけで、まぁ、どんな大統領が出てこようと、アメリカと強固な関係を維持するのは最優先の現実的な方策とならざる得ないわけでして。

なんだけれども、いじらしい奉仕を、まったく意に介していないトランプ大統領。

「出し抜いて笑っている」トランプ節で安倍総理を…
トランプ氏「日本に移民送れば晋三は退陣」 G7で暴言

北朝鮮非核化の請求書は「日本と韓国に回せ」と広言。
メロリンQ氏から、「どうすんの、これ?」と問われて、トランプ氏の顔をつぶすわけにはいかないけど、「仕方ないでしょ」と唯々諾々と追認するわけにもいかず、「どこがどう負担するかを協議する段階ではない。互いの国といろんな指摘をし合うことは非生産的だ」と、とりあえず、当たり障りのないコメントでお茶を濁すしか手はないわけでして。
つらいですな~。

非核化、費用分担議論は非生産的=安倍首相

そんだけ気を使っているのに、やっぱりトランプ関税の対象から逃れることができない。
まぁ、異形の大統領だから、どうしようもないのは理解できますが・・・・・。

米朝の歴史的な政治ショーとなったトランプ・金正恩の会談が、韓国の文在寅大統領による根回しの成果であることは否定できないわけで、奇妙な玉突きで、これまで険悪だった中朝関係も改善、中国の習近平氏としては、まんまと米韓軍事演習中断という果実を手に入れているわけで、そんな中、「日本は?」。

一時期、会談の中止がトランプ大統領から発表されて、日本政府は、いち早く「会談中止を支持する!」と、大喜びで? で意見表明したら、単なるトランプ流のブラフに過ぎず、数日後には、あっさりと「会談するよー」となってしまい、日本政府の面目丸つぶれなんだが、それすら話題にならず。

それでも、「日本蚊帳の外」論は、間違っている! という論陣を貼っている方もいらっしゃいますが、

北朝鮮、「ありもしない拉致問題」と日本を非難

てな感じ。
蚊帳の外なのか内なのか、どちらにいるのかは分かりませんが、「実益」は得たとは言い難いのではないでしょうか?
(とりあえず、米朝の戦争が遠のいたは立派な実益ですが、日本政府の努力の結果と言い張るのは、なかなか難しいのでは・・・・・・)

また、サミットに関しても、

「G7で安倍首相が大活躍!」ということなので、海外主要メディアのG7報道で総理の名前を探してみた。「ABE」の名は?

まぁーねー、トランプ大統領の暴走を前に、どうしたってかすんじゃうよね。

いろいろな見方があるのは承知しておりますが、ここ最近の外交に関しては、誰もが納得できるような「得点をあげた!」と声高に主張するのは、ちょっと無理かな?

まぁ、甘めに見ても、「失点はない」てな感じでしょうね。


なんだかんだ言っても経済


さて、内政にしても外交にしても、とりたてて眼を見張るような成果が直近では見られないのですが、一方で、相変わらず、モリカケ問題では、ちょろちょろと新情報が出てきて、失血が止まらない。
でも、支持率は増加傾向。

この流れ、面白いもんだなぁと見てはおりますが、さて、どうしてなんでしょうね?


17年度の国の税収、58兆円台後半 26年ぶり高水準

地方に住んでいる身としては、あまり実感ができないのですが、消費税を上げたわけでもなく税収が増えているのは、やっぱり景気が良いんですねー。
  • 民主党政権の後半から景気は回復傾向だった
  • 失業率の低下は、団塊の世代が退職したから
  • 富裕層だけが得した
  • トリクルダウンが、起こんねーよ
  • 可処分所得は減っている
  • 貧富の差が拡大
  • 子供の貧困が広がった
  • 円安誘導で大企業は潤ったが、日用品は高騰した
  • 財政規律、どうなってる?
まぁ、いろいろと文句はあるのでしょうが、「アベノミクス」という言葉につられて、中国「リコノミクス」、韓国「クネノミクス」、アメリカ「トランプノミクス」なんて言われたように、やっぱりある程度、成果があった証左なんですかね。

今後の影響も含めて、客観的に数字が検証されるのは、10年20年どころか、下手すれば50年後100年後かもしれないわけで、とりあえず政治に必要なのは、現在の「実感」。

正直、高度経済成長やらバブル期を知っているオッサン連中からすれば、「コレ・・・・!?」という失望感はあるのでしょうが、それでも小泉政権以降では、唯一、「政権が主導して景気回復に至った」というイメージづくりに成功したのでは?

海外に目を向ければ、トランプ氏にしても、あれだけシッチャカメッチャカでも、やっぱり好景気だから「まぁいいか」と40パーセン前後の支持率を維持できているわけで、しかも、本人は自分の手柄にしているけど、所詮、オバマ前大統領の八年間の成果の上に成り立っているに過ぎないのに比べて、やはりアベノミクス以前と以後とでは、明確な線引ができるわけで、そういう意味でも、「経済」は、安倍政権にとっては、大きな貯金ということなのでしょう。


野党がだらしない


民主党政権の失敗以降、どうしても、大きな絵が描けないでいるのが野党(民主党の残党)の現状。

「共産党は?」って、いまさら共産革命を実現されてもねぇ・・・・・。

「維新の会は?」って、地方政党としては十分に成功・差別化できたのかもしれないけど、国政では、どうにもこうにも特色が出ないね・・・・・(個人的には、いろいろな意味において、足立康史議員が、十年後二十年後、どうなっていくのか楽しみですが)。

と、まぁ、なかなか厳しいのではあるが、しかし、麻生政権の自民党が下野したのは民主党への風が吹いた結果ではあったけど、民主党が下野したのは、政権運営に対しての失望からで、決して自民党待望論が醸成されていたわけではなかったし(「棚ぼた」というのは、当時の自民党も自覚していましたよね)、ましてや、野党時代の自民党は谷垣さんが中心、政権復帰に際しても、総裁選において地方票は石破茂氏の方が多く、当時のイメージでは、自民党員及び党員外でも「えっ、安倍さん、また出るの?」だった気がします。

安倍氏には、一部にコアな支持層がいるのは当時も今も変わりはありませんが、自民党支持者ですら、決して深く支持していたわけではなかったのが民主党から自民党へ政権交代した当時の状況では?

第二次安倍内閣について、特に、ここ一年くらいは、「他に人がいない」という支持理由が挙げられることが多いですが、これは半分、嘘ですよね。

「野党がしょーもない」というのはさておき、与党内には、石破茂氏、小泉進次郎氏、岸田文雄氏、野田聖子氏、河野太郎氏と、まぁ適当に人材はいるわけで。
実際に首相になって、どこまで成果を出せるのは分かりませんが、それは安倍首相が返り咲いた時も同じ。むしろ、「また!?」とか、「あぁ一年で終わるな・・・・・」とすら感じた人も多かったはず。
さらには、海の物とも山の物ともつかぬ民主党に期待をした当時よりは、上述のポスト安倍人材なら、ギャンブル性は大分下がるかと。(年齢を云々するのは年寄り臭いですが、小泉進次郎氏は、まだ若い過ぎると思います)

「モリカケ、納得した?」と聞かれると、国民の大多数は、「いや納得していない」と答えるけど、支持率としては、40パーセント前後は確保できてしまう。

重箱の隅をつつけば、現在の生活に、そりゃ文句がないわけではない。
「モリカケはダメだけど」と思いつつも、また不支持の理由として、「人柄が信用できない」などと言われてしまうように、決して、小泉首相や小渕首相のようにキャラクターが愛されているとは言い難いが、第二次安倍内閣における五年の政権運営、及び、好調な(?)経済に、けっこうな割合の国民は、満足している or 評価しているということなんでしょうねー。


やっぱりお友達


まぁ、「なんだかんだで第二次安倍内閣の治世は評価されている」ではあるけれども、いつまで経っても解決しない「モリカケ問題」。
なので、新情報が出ると、「支持率急落!」にはなるのだが、どうにかこうにか 言い訳 説明していると、そのうちに支持率はジリジリと戻る・・・・・・、なんだけれども、官僚・検察内部に不満が渦巻いているので、内部情報がやっぱりリークされて、の繰り返し。

さて、「いつまでモリカケやっているんだ!」は、いつまで続くやら。

森友に「収賄的関与ない」=安倍首相、説明を修正-ごみ撤去費、1.5億円増
安倍晋三首相は28日の衆院予算委員会集中審議で、学校法人「森友学園」の問題への自身や妻の昭恵氏の関与の有無について「お金のやりとりがあって、頼まれて行政に働き掛けをした、という意味での関わり合いはしていない」と述べた。収賄に問われるような関わりはないとの趣旨で、従来の説明を修正した。
親・安倍首相な立場な方からは、「一連のスキャンダルは、刑事事件ではないのだから、問題ない」論は、ちょくちょく耳にするのですが(例「セクハラ罪はない」)、いろいろご準備が必要になったのか、安倍首相からも「金品の授受がないからOK」論が出てきたのが今年の五月。

反・安倍首相な立場な方からは、「ゴールポスト、勝手に動かしたよ」「最終防衛ラインを自分で変更した」などと揶揄されました。

どんな証言・書類が出てきても、おそらく、このラインを割ることは決してない自信(?)からの発言だと思いまし、もしかしたら、だから大多数の国民から許されているのかなぁ、などと思ったりもします。

普通、「政治家が行政の中立性を犯した」てな案件は、見返りが「金」です。

でも、「モリカケ」に限らず、山口敬之氏による疑惑にしても、少なくとも、安倍首相には、まったく、「金」の臭いがしてこない。

それどころか、森友学園の籠池前理事長にいたっては、「100万円、寄付をしてもらった」とまで言っているわけで(真実は分かりませんが)。

加計理事長との「ゴルフ」やら「会食」でもって、「贈収賄だ!」とするのは、素人から見ても無理筋でして、「モリ」にしても「カケ」にしても、権力側の「動機」が「金」に集約されてしまわない以上、不思議と「清廉」性が維持できてしまっているわけで、だからこそ、「コアな支持層」は、どんなスキャンダルが起きても、意気軒昂に、「問題ないのだ!」と、あの手この手の 屁理屈 論理でもって擁護の論陣を張るのかなぁ~などと思ったりします。

では、「金」ではないとすると、なにが、権力側の「動機」なんだろうとかというと、それこそ、右側の人々が好みがちな「内向きの関係性」が大きく影響しているわけで、とりあえず、森友学園問題。

「安倍昭恵夫人の行政への介入があったのではないだろうか?」という疑惑。
それまで、ゴタゴタがなかったわけではありませんが、あくまでも政策を巡る混乱であり、「安倍首相の統治能力への疑義」には発展しなかったのですが、この疑惑以降は、「統治能力」を超えて、「統治の正当性」すら疑われる事態に至っています。

で、森友学園。
一部の好事家からは、「幼稚園児に軍歌を歌わせているぞ!? いいんか、それ!?」と有名でした。

そんな、ゴリゴリに右な学園の名誉校長が首相夫人が就任なわけで、それ自体が、「アレ」なんですが、ここで面白いのは、かつては、左派陣営からは、安倍昭恵夫人は「家庭内野党」などと評価されているんですよね。
しかも、本人、そのような立ち位置に、満更でもなかったご様子。

安倍首相夫人が「アベ政治を許さない」ロゴと仰天コラボ! 「合成写真かと思った」「器、大きすぎ」とネット騒然

こんなふうに左派陣営に鼻薬を効かせる一方で、ゴリゴリに右な学園の名誉職に就いていたという、奇っ怪な股裂き。
これが深慮遠謀の末の行動だとすると、そら恐ろしいのだけれども・・・・・よくネットで使われる「右でも左でもない」は、片方の立場を代弁する際の枕詞ですが、夫人に関しては、まさしく、その枕詞通り、まるでSNSでネコやイヌの写真にポンポンと「いいね」を押してしまうような軽さでもって、一連の行為に至ってしまっているとしか思えず、それを「軽快」とするか、「軽薄」とするか。

加計学園疑惑にしても、そこには重たげな金銭授受は見受けられず、「腹心の友」という言葉だけが、この疑惑の発端にして結論になってしまうわけで、素朴な関係性だけが原動力になり100億という金が動いている、やはり「軽さ」。

権力を持っている側に、「実益」が還流されることがない。
「動機づけ」が、「承認欲求」や「極めて狭い友情」しか出てこないわけで、「金品」や「名誉」ではなく、人間と人間の関係性によって、一連の騒動や疑惑が引き起こされているところが、なんつーか「現代的」ではあるのですが、さて、いつつまで続くんですかねー、とりあえず、まぁみんな、がんばって生きましょう。

2018年5月19日土曜日

千眼美子さん復帰&大川ジュニア様主演「さらば青春、されど青春。」



「お祭り映画」と評される作品があります。

公開される前から、多くのファンから「あーでもない」「こーでもない」と議論百出、ちょっとした情報やら撮影風景のリーク、根拠不十分ながら妙に説得力のある噂話が浮上しては歓声やら悲鳴があがり、その作品を象徴する、または単に著名な映画館の前には、数週間前からテントを張って並び始めるファン、ついに映画公開となれば、SNS上では、やはり多くの人々が論評やら感想をアップ、時に感心され、時に「ネタバレ勘弁」と怒られ、・・・・・・まぁとにかく、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々」でして、過剰なパトスとカオスによって消化されてしまう「お祭り映画」。

世界三大お祭り映画と言えば、只今、興行成績をゴリゴリと更新している「アベンジャーズ」や、去年の末公開され、毀誉褒貶あった「スター・ウォーズ」、そして「幸福の科学」製作映画。

去年の「君のまなざし」に続いて、今年も「さらば青春、されど青春。」が公開されました。
信者の方が、今回も、タダ券を配って下さり、し・あ・わ・せ。

「よーし、早速見に行くぞー」と勇んだものの、近所の映画館は、午後八時前上映スタート。
仕事が終わって、ダラダラとゲームをしていて、「はっ!?」と気がついたら、すでに上映が始まっている。
「どういうことだ!? 私に幸福の科学の映画を見せまいとする、悪魔の仕業か!!」
と驚くこともなく、
「どうしようかな~、どうせ最初は、いろんな映画の予告編が流れているのだから、今から走ったら、間に合うんじゃない?(そもそも、どうせ、真面目に、全部見なくたって、いい映画だし)
と考えたものの、まぁ、それも失礼だな(誰に? 映画に?)と思い返して、その日は、ゲームを進めて、翌日にトライ。今度は、ちゃんとアラームを設定したので間に合いました。

公開三日目、四日目くらいかな? 15名弱の観客がいて、田舎の映画館の夜では、大入りです。この中に、信者の方は何人いるんですかね~。
とにかく、目を合わさないようにして、「よーし、がんばろう」と自らを奮い立たせて、着席。

いろんな映画の予告編が終わって、本編開始。
ニューヨークの街角、主人公を演じる大川ジュニア様の独白からスタート。

そして、場面は、昭和五十年代の日本へ。
実家を離れて東京に向かう主人公のシーン。家族構成は父母兄。
「うん? これは、もしや」というモヤモヤした予感は、東京大学をモデルにしている学校に通い始めたことが判明した瞬間、確信に硬化。
「海外赴任、四人家族、東京大学・・・・・・、この作品は、エルカンターレ(大川隆法総裁)様の半生を描いているのか!」
普通の ぬる~い 恋愛映画を覚悟していたのに、俄然、興味津々。(なんと言っても、このブログの主は、信者でもないの、総裁の経歴を知っているくらいですから)

で、まぁ、大学での勉強、学友との交流、淡い初恋なんてものが描かれるわけなのですが、とにかく、主人公を褒めまくる褒めまくる。

小論文を提出すれば教授が褒め、難しい本を読んでいると友人が褒め、釣り銭をごまかさないと喫茶店のマスターが褒め、・・・・・しまいにゃ、主人公を振った女性ですら、「偉人のような勤勉さ」と褒める始末。
観客としては、改めて、エルカンターレ様の素晴らしさに感服仕切り。
(友人たちが初恋の女性に、「あいつにラブレターの返事を書いてくれ」と懇願している姿を主人公が回想するシーンで、「えっ、大川ジュニアは見てたの?」と思ったのは、僕だけ?)

就職してからも、変人扱いではあるが、上司からは将来の社長と期待され、同僚・先輩からは、あまりの辣腕を妬まれ、アメリカに行けばパツキン美女に惚れられ・・・・・・、相変わらずの無双。

一応、「世間知らず」という欠点が、時にコミカルに語られ、かなわぬ恋愛やら、司法試験の失敗、ものすごい優秀な東大生なはずなのに学究を志すわけでもなく、また官途に就くわけでもなく、それほど大きくない商社に勤めることになったりするといった、下手をすると「負」「マイナス」「評価を下げる」ようなエピソードもあるのだが、・・・・・・結局は、全て、運命なわけですよ。
主人公にしか出来ない使命を全うする為の、大いなる意思によって仕組まれた挫折であり、寄り道であり、壁。

そして、自らに課された使命・義務に気がついた主人公は、「安定した生活こそ、すべて」と耳打ちする悪魔の声に打ち勝って、会社を辞めて宗教家となり生きていくことを決意するのであった。(仏陀の生まれ変わりにしては、えらく小市民な悩みがクライマックスだなぁ・・・・などと思うのは悪魔の仕業です。回春 改悛すべし!)


と、まぁ、そんな感じ。
映画のポスターとか見ると、「恋愛映画なのかな?」と思ってしまいますが、「清水富美加」改め「千眼美子」さんが登場するのは、後半から(最後の45分くらいから?)。

女優としては、連続テレビ小説「まれ」くらいしか知らないのですが(「龍の歯医者」の声優は、それなりに上手だと思ったなぁ)、ちょっとふっくらしたものの、「それはそれで」という感じで、まだまだ可愛らしさは健在、演技にしても声にしても、なりなりに場数を踏んできたこともあって、アイドル女優として、自らの素材を巧みにスクリーンに映し出す力量は大したものだなぁと感心。

・・・・・・・・しかし、この映画がエルカンターレ・大川隆法総裁の半生をなぞっているのだとすると、千眼美子さんの役は、大川きょう子さんがモデルなのか? などと、余計なことを考えてしまったのは、僕だけ?

しかも、主演とは言え、大川ジュニア様は、ご尊父の逆鱗に触れてしまった為に、今は、絶賛教団追放との噂。
ヒロインも、追放されてしまった大川きょう子さんがモデルだとすると、この映画は、宗教家として第一歩を歩むまでを描いているのだが、その一方で、家族と言えども、所詮は他人、人間の全ての行いは虚しいという「諸行無常」の世界観で支えらていることを考えると、大変に非常に正しく深慮遠謀な作品ですね。


とりあえず、最初にタイトルを聞いた時には、柴田翔「されどわれらが日々」が思い浮かびました。
40超えのおっさんからしても、「古いな」と思った作品ですが、青春小説としては、未だに色あせない魅力があります。
おすすめです。

2018年5月14日月曜日

陳凱歌監督「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」
-宣伝のRADWIMPS推しは、それしかウリがないからだと思ったよ-



東北の片田舎に住んでおります。
そんな辺鄙な場所なので、公開される映画は、話題作や大作といったモノ。
なので、だいたい、どの映画を見ても、最低限のレベルはクリアーされておりまして、鑑賞後は「まぁこんなものだなー」「好きな人は、好きなんだろうなぁ」などと上から目線の感想を抱くことが多いです。

ではあるのですが、たまーに、そのフィルターをくぐり抜けてしまう映画もありまして、「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」も、予告編の段階で、「なんだか、あぶなそうだぞ」という予感がビンビンでしたが、「まぁ、でも、それなりには」と自分を説得し、「最悪、映画で再現された長安の風景が楽しめれば、OKでしょ」とハードルをぐんぐん下げてみたものの・・・・・・・・結果としては、普段、摂取しているドラマや映画、アニメ等々が、「普通だな」と思っても、どれだけの配慮と苦労がされているのか痛感せざる得ない内容でした。

概要


今作「空海」ですが、ジャンルとしては、ファンタジー(伝奇・怪奇)歴史ミステリーでしょうか?
ファンタジーと歴史は、どうにかなる。
歴史ミステリーも、適当に散見されるジャンル。

しかし、なんでもアリなファンタジー(伝奇・怪奇)と、ロジックの積み重ねであるミステリーの食い合わせが、どうしたって無理があるわけで。

おおまかなストーリーですが、主人公・空海と、そのパートナー・白楽天が、楊貴妃の死の真相に迫るという流れ。

とにかく説明不足


歴史的な事実としては、楊貴妃というのは、唐の玄宗皇帝の愛人。

玄宗皇帝は、「開元の治」という古代中国の絶頂期を築き上げた一方で、晩年は政治に倦んでしまい、「安史の乱」を引き起こした。

戦乱が長安に迫り、都落ちする皇帝に、配下の兵士たちは、楊貴妃(と、その一族)こそが、混乱の原因だと主張して、彼女の死を望んで蜂起する。
絶望的な状況、いかんともしがたく、最愛の妃を、皇帝は殺すことになるのであった。

「項羽と虞美人」と並ぶ、超有名な悲劇ではあり、この映画の「要」ではあるのだが、その説明が、まったく不足している。

中国史について、最低限の知識を持っている僕ですら、「おいおい」と戸惑うレベルなのに、一般的な観客は「?」だろうなぁ。

歴史的な流れについて説明不足なくらいだから、まして登場人物の心理・心情描写も薄い。
この映画では、異国の地で客死した阿倍仲麻呂が、「実は、楊貴妃に惚れていた」という設定なのだが、そもそも、玄宗皇帝と楊貴妃の関係も、楊貴妃の性格もボヤーンとしているので、そこに大胆な三角関係を導入しても、観ている方が、「ふーん」と、まったく興味がわかない。

そして、この阿倍仲麻呂の横恋慕も、中盤の「かるーいアクセント」で、最終的には「美しき王妃の謎」には、ほとんど関係ない。
「日中合作だから、日本人の著名キャラも出しておかないとね」程度の、まぁ、彩りを整える為のパセリ・・・・・。

結局、「美しき王妃の謎」とやらに関わってくるのは、阿倍仲麻呂と同じく中盤から登場する幻術を得意とする兄弟(厳密には兄弟ではないようだが)でして、・・・・・物凄い重要なキャラなはずなのに、唐突過ぎ。
ミステリー・謎解きに重要なのは、張り巡らされた伏線のはずなのに、いきなり「我々が歴史の裏で動いてました」と、言われてもなぁ。(一応、町で出会った奇術師(?)が伏線ではあるのだけれどもね・・・・・)

強引などんでん返し


ネタバレになるのだが(まぁネタバレだから、どうこうというレベルの映画ではないが)、「美しき王妃の謎」は、
  • 仮死状態にしたのであって、実は殺されてません
  • 仮死状態にすると偽って、実は殺されてました
というライン上で、揺れ動くのだが・・・・・・、結局は、「楊貴妃を仮死状態にして、蜂起した兵士たちを欺くことに成功した」という流れ(のようだ)。

なんだけれども、石棺に葬られたことによって、蘇生しても脱出することが出来ず。
玄宗皇帝らから逃げ出した、幻術を得意とする兄弟が救出に赴いたものの、時すでに遅し。

「えぇ!? 死んで欲しかったなら、最初から普通に殺せよ。なんで、一旦仮死状態にする必要があった? 酷すぎる」なわけで、しかも遺体は腐敗していないという摩訶不思議。(結局、仮死状態にしたの? してないの?)

ここらへんの、「ファンタジーだから」という、いい加減さに、困惑するやら腹が立つやら。

空海と白楽天


で、まぁ、主人公の空海と、そのパートナーの白楽天。
彼らの、謎解きに挑む動機も、イマイチ理解し難い。

当初は、「特殊な能力を持つ異国人・空海に、不可解な超常現象に見舞われた中国人からのお願い」という形だったのだが、その依頼者が亡くなってからも、なぜか、事件に執着する空海。
依頼者に対して、思い入れ・親交があったという描写が皆無だから、やっぱり「?」なんだよね。(そもそも論を持ち出せば、空海のキャラも、イマイチはっきりしないし、魅力がない)

一応、パートナーの白楽天は、楊貴妃の悲劇を扱った「長恨歌」製作の為に、謎解きに挑んでいるという体裁なのだが、そもそも、史実の説明が薄いと指摘した点と同じで、この大事な「長恨歌」についても、劇中で、ほとんど触れられていない。(李白の詩については、一応、触れているのに・・・・・・)
そんなこんなで、やっぱり、壁を感じてしまい、どうにも映画に入り込めない。
観客は置いてきぼり。

さらに致命的なのは、この空海・白楽天コンビ。
いわゆる「バディ」。
パターンとしては、ホームズとワトソンになるのだろうけど、・・・・・うーむ。

いろいろな描き方もあろうに(日中文化の違いとか、バトル担当と知能担当に分かれるとか、Xファイルのように超常現象を信じる派 V.S. 否定派とか)、ただただ平板に、「空海の謎解きに、納得する白楽天」という構図が繰り返され、これもこれで映画に引き込まれない要因になっているわけで。

長安の描写


「最悪、映画で再現された長安の風景が楽しめれば、OKでしょ」という期待も、・・・・・安史の乱によって、ある程度荒廃しているはずなのに、まったく、そんな気配のない長安。

まぁ、予算もあるから仕方ないにしても、「開元の治」によって殷賑を極める「長安」と、一応は落ち着いたが戦乱によって凋落に向かっている「長安」を比較させるだけでも、観客には時代背景・設定を理解する一助になるはずなのになぁ。

そもそも、姿格好は古代っぽいが、町並みは唐代というよりは、明清らくいに見えるのは、僕だけ?


というわけで、「さらば、わが愛/覇王別姫」をお勧めします。



2018年5月6日日曜日

「レディ・プレイヤー1」の感想



「レディ・プレイヤー1」、見てきました。

映像に関しては、さすがのハリウッド大作、脱帽。
また日本サブカルへの敬意がこもった小道具・設定の数々を探しているだけでも楽しい映画でした。

が、「貧しく孤独な少年」V.S.「いけ好かない金持ち中年男性」という、良く言えば、「安定感のある」、悪く言えば「陳腐な」構図が判明した時点で、エンディングまでの道筋が早々に予見できてしまい、さらには、主人公がリアル世界で窮地に陥るとネットの知人が救助するという展開の使い回しには苦笑い。

謎解きをしていく過程で、仮想現実世界「オアシス」を創り上げたジェームズ・ハリデーと、主人公の心情がかぶるという流れも、もう少し工夫が欲しかったし、そもそも、ストーリーを引っ張っていく、この「謎解き」自体に魅力がないというのが如何とも。

物語としては新味に乏しかったものの、一部の巨大企業によって自由なネット世界が牛耳られようとしているのではないか? という危機感や、バーチャルリアリティへの期待、ネット上では安易に本名を晒してはいけませんという小中学生向けの戒めやら、時代設定は近未来であっても2010年代後半のインターネットの空気感が如実に反映されているのは、なかなか興味深く、映像美と相まって、料金分は十分に堪能させてもらいました。

2018年4月26日木曜日

「リメンバー・ミー」
-万人にオススメできる良作-



「カーズ」の最新作もイマイチだったし、予告編からすると、どうせハリウッドがつくりそうな「家族愛万歳!」な映画でしょ? 最近のピクサーはディズニーリゾートやらグッズ展開、ゲーム化への配慮が見え隠れして、なんか、あんまり気乗りしないなぁ・・・・・、というネガティブな気分で挑んだ「リメンバー・ミー」でしたが、ダメですね、決めつけは。めちゃくちゃ楽しんでしまいました。

奇手を放り投げてきた「カーズ/クロスロード」

CG映画の本領発揮とばかりに、美しいだけではない独創的な「死者の国」の描写、個性的ではあるけど憎めない登場人物、要所要所に差し込まれるアクションと歌唱シーンのメリハリ、定番ながらも主人公ミゲルとヘクターの凸凹コンビから信頼が生まれる過程、大どんでん返しからの大団円に駆け込んでいく流れは周到に用意された伏線のおかげで全く違和感を覚えず、むしろ、数多のシーンが収束されていく様は気持ちが良いくらいで、「これだよ、これ、子供映画だけど子供騙しではないのがピクサーだよ」と大満足。

強いて気になった点を挙げるとすれば、「夢を追うこと」と「家族を大事にすること」は、決して対立するものではないはずなのに、時に、絶対に交わることがないように描かれているのは、ちょっと無理があるかな? と感じることもありましたが、大作映画となれば芸術家気取りで作品の質を上げることだけに専念するわけにもいかず、その他諸々、会社のことも配慮せざる得ない現状から生まれた対立軸なのかな? などと考えてしまうのは邪まな大人のゲスの勘ぐり・・・・・・。

久しぶりに、老若男女問わず、誰にでもオススメできるピクサーらしい映画でした。
個人的には、ピクサー映画の中では、初代「カーズ」に続いて、ナンバー2に置きたい出来でした。

by カエレバ

2018年3月11日日曜日

「バーフバリ 伝説誕生」&「バーフバリ 王の凱旋」
 ここまで、やっていいのねと唖然とさせられるテンションの高さ



超娯楽大作と噂のインド映画「バーフバリ」が、田舎でもようやく公開されたので、見てきました。

なるほど、世評通り、ぶっ飛んでいたなぁ・・・・・。(夜の回に行ったのだけれども、けっこう人が入っていて、驚いた)


とにかく、まぁ、あらゆるアクション、演出、演技、キャラ設定が過剰&過剰。

普通、ここまで味付けを濃くしてしまうと、とてもではないが食べられない料理が出来上がってしまうのだが、「バーフバリ」に関しては、「突き抜けろ、この想い!」と、ちゃんと作品として成立してしまっているから、あら不思議。

貴種流離譚というオーソドックスな物語を下敷きにすることで、神話的な装いを身にまとうことに成功しており、だから、「バーフバリ 伝説誕生」冒頭の滝登りのシーンにおいて、その滝の巨大さと克服していく過程、そもそも、木製のマスクに恋をするという発端、全てが、「い、い、今時?」「あり得ない!」のだが、「なにを恥じることがあろうか!!」と堂々と描き切るという先制パンチ、観客は、「あぁ、これは神々の映画なのだ」と降参、以降、冬山にいたはずなのに、恋が成就すると、突然、二人の環境は南国風な楽園に変わり、「移動したのかな?」などという凡人の解釈は浅はか、スイートタイムが終了すると、ちゃんと冬山シーンにつながるわけで、「うむ、やりたいようにやってくれ」と身を投げ出す他ないことを再認識、「こまけーことは、いいんだよ!」と暴れまわるバーフバリ的世界観を許容してしまえば、後はもう王の恩寵に浴する喜びしか残らない。

で、古典的な仕組みを利用しつつも、決して、頑迷固陋な古臭さはないのは、女性キャラがピーチ姫的な救い出されるだけの存在ではなく、政治のトップであったり、剣を持って戦ったりと、(そこらへんは)ちゃんと今風。

そして、バーフバリにしても、「王」ではなるが、彼が「王」であるべき理由というのは、単純に「血」に還元されるものではなく、「武勇に優れ」かつ「賢く」、そして、仁愛によって、民衆から支持されているということが大きな要因となっているわけで、復讐劇・奪われた王位の奪還という、やはり古めかしい物語でありながら、あくまでも、民により推戴を望まれているという形式を踏んでおり、言うなれば民主主義的、これが作品全体の風通しの良さとなっている。


・・・・・・・・つっこもうと思えば、いくらでも「つっこみ可」な、ノーガード万歳の両手ブラリ戦法ですが、それだけに攻撃力は半端ない、パンチの効いた映画になっていますので、ハリウッドや邦画の文法に食傷気味の方には、うってつけと思われます。

by カエレバ
by カエレバ

2018年3月10日土曜日

キャスリン・ビグロー「デトロイト」
 -なんでアカデミー賞に無視された?-



「ハート・ロッカー」「ゼロ・ダーク・サーティ」のキャスリン・ビグロー監督の最新作「デトロイト」。

「本年度アカデミー賞最有力」という文言が、デカデカとポスターに書かれておりましたが、・・・・・蓋を開けてみたら、一部門もノミネートされておらず。

赤っ恥です。
しかし、作品を拝見させてもらいましたが、・・・・・・うーむ、なんでダメだったんですかね?
作品賞にノミネートされている「ゲット・アウト」なんかは、まぁ、十分に楽しませてもらったけど、「ちょっとだけ新しい切り口のホラー」に過ぎなかったような・・・・・。

「ゲット・アウト」

いや、まぁね、この「ちょっとだけ新しい切り口」の提案が、どれだけ大変なのかは分かりますけど、だったら、「デトロイト」の異常な緊迫感でもって描かれた尋問を通り越した拷問シーンも、なかなかにお目にかかれないレベルに達していたのだが・・・・。


以下、ネタバレあり。

最終的な「強要された自白には証拠能力がない」という裁判官の判断は、もちろん、「拷問シーン」との対比であり、また皮肉でもあるわけで、そして、この事件を経て、ショービジネスの世界に憧れていた黒人青年が、教会の聖歌隊員として生きることを選択するという流れも(撤退と見るか、転進と見るかは、人それぞれでしょうが)鮮やか、どうしても、「白人警官による黒人の虐待」となると説教臭さやプロパガンダ臭を嗅ぎつけてしまいがちだけど、そういう枠には収まらない作品でした。

■映画「デトロイト」がアカデミー賞から無視された理由

上記では、「ドラマ性の薄さ」や「前半と後半のちぐはぐさ」を挙げているけど、言われると「まぁそうかな?」程度の欠点にしか思えないし、正直、「アカデミー賞にノミネートされなかった」という事実から、いささか意地悪な視点でもってあら捜しをせざる得なかったという感は拭えないね・・・・・。

by カエレバ

2018年3月9日金曜日

「否定と肯定」



勉強になるけど、映画としても、ちゃんとしている


「アメリカンヒストリーX」を最初に見た時は、「黒人だろうと、白人だろうと、いいヤツはいいヤツで、悪いヤツは悪いヤツって、まぁそりゃそうだろうけど、えらく単純なところに落着したなぁ」なんて思っていましたが、それから数年後、日本でも、ネットから「行動する保守」という運動(?)が生まれて、初見とは違った状況下で改めて見直すと、「ヘイトの構図というのものが普遍的なんだなぁ・・・・・」と感心するやら、ゲンナリするやら。

で、映画「否定と肯定」を見てきました。

まぁ、ぶっちゃけ、毎年、何本か出て来る、「ホロコーストもの」「ナチスもの」の、ちょっと毛色の変わったバージョン。

実際にあった、ホロコースト否定論者との法廷における対決がメイン。

冒頭、ホロコースト否定論者であるアーヴィングが、観衆の笑いを受けながら自説を述べ、その直後に、専門家であるデボラが大学内で真摯な講義をしているシーンにつながるという、分かり易い対比で開始。

現在でも、「非専門家(政治家・評論家)が極端、かつ扇情的な発言を内輪で披露してゲラゲラ受けているけど、その内容が外にもれてしまうと、ドン引き~」というのは、まぁ、けっこうあるパターンでして、他にも、「自分は差別主義者ではない」と力説するものの、発表されている言説はそのものという陰謀論アルアルが、うまーく映画内で紹介されていました。

そして、産経新聞風に言うと「歴史戦」の裁判がメインのモチーフになっているけど、それだけ扱ってしまうと物語としては、至極単純、プロパガンダ臭がプンプンの上から目線の勧善懲悪に陥ってしまうのだけれども、そうならないように、歴史修正主義者のアーヴィングとの対決だけではなく、裁判を支える弁護士との不和なんかも描かれている点が、「上手」でした。


おまけ。


グーグル検索をしたら、サジェストで、「否定と肯定 映画 ネタバレ」って出るけど、この映画って、実際の事件をもとにしているのだから、「ネタバレもなにも・・・・」と思うのは、僕だけ?


by カエレバ

2018年2月16日金曜日

松岡茉優さんの魅力が大爆発な「勝手にふるえてろ」



松嶋菜々子さんの「やまとなでしこ」や、仲間由紀恵さんの「トリック」など、美人の百面相(変顔ではない)を見せられると、どうしようもなく魅入られてしまうものですが、綿矢りささん原作、大九明子さん監督の「勝手にふるえてろ」の主役・松岡茉優さんには、久方ぶりに、「このまま、ずっと見ていたいな~」と思わせる美貌と演技力でした。

映画の概略ですが、田舎から都会に出てきた松岡茉優さん演じる主人公のヨシカは、もともとコミュ障気味のサブカル系女子。
「アーバンライフを満喫」なんて人生とは縁遠く、「タモリ倶楽部」をリアルタイムで見ることを楽しみにしているような日常。
気心の知れた親しい同僚はいるものの、そんな彼女にも彼氏が出来てしまって・・・・・。

以下、ネタバレあり。

SNSにも仲間を見つけられない主人公が、それでも世界に紐帯をつくろうとする行為が、日々、通勤や買物で出会う人を、勝手に話し相手に想定して繰り広げる脳内会話。

うーむ、エキセントリック・コミュニケーション。

そんな彼女ですから、当然、これまでの人生で恋人など皆無。
仕方がないので、学生時代にあった、うすーい異性へのトキメキを、十年経っても反芻しているという、牛もビックリな栄養補給。
と言うか、それ、もう栄養成分なくなっているよ・・・・・。

これで、まぁ、言い方は悪いが、「しおらしい」「いじらしい」というのであれば可愛げもあるが(男性目線)、コミュ障系の人間にありがちな内弁慶外地蔵という、二面性。
面白くないことがあれば、裏では「ファッーク!」と叫んでいるわけで、現実にいたら、超面倒な女性。

なんだけれども、松岡茉優さんが演じると、超キュートでして、・・・・・・まぁ、ここらへんの「現実」と「フィクション」の狭間に、苦笑いしたくなるのは、僕だけ?

ぶっちゃけ、松岡茉優さんくらい美貌があったら、性格に多少難ありでも、なんぼでも男が寄ってくるだろうし、そういう学生生活を歩んでいたら、ここまで性格がひねくれる(こじらせる)ことはないだろうし。

まぁ、それは置いておいて。

一念発起して、脳内彼氏を現実に召喚(再会)してみたら、あれ、頑張ったかいがあったよ、意外に良い雰囲気。共通の話題も見つけて、話も盛り上がる。こりゃ、一発逆転、スクールカーストを鯉の滝登りじゃーい! と思ったら、リアル彼氏(彼氏ではないが)は、主人公のヨシカのことなんて、全然覚えちゃいない。
いや、「全然覚えてはいない」わけではないのだが、ヨシカの望むレベルではなかったわけで・・・・・・まぁ観客からすれば、「いや、そりゃ、そうじゃん。そこまで求めるのは、おかしくね?」って、思ったんじゃないかな? 少なくとも、僕としては、この展開は、「ちょっと無理筋?」とは感じたけど、でも、ヨシカを気に入っている男性(霧島)のことを名前ではなく「二」なんて呼んでいるのと、同じこと。
リアル彼氏(彼氏ではないが)がヨシカを「なんとなくいた同級生」程度の認識であるように、ヨシカにとって霧島は「なんとなく私に好意を持っている男」程度の認識。

脳内彼氏に見切りをつけて、「一応、自分のことを好きと言ってくるから、まぁいいか」という、安っぽい承認欲求から「ニ」と付き合ってみるが、結局、彼女にとって記号でしかない「男」であり、「求めながらも、与えることはない」という身勝手な自分自身に復讐され、うまくいかずに破綻。

最終的には、「割れ鍋に綴じ蓋」という、永遠の真理に落着して、オメデトサンなんだが、「ニ」の霧島、前半のうざーい感じからすると、さて、うまくいくんだか、いかないんだか・・・・・・・。


とにもかくにも、松岡茉優さんの素晴らしかったです。
この演技見せられたら、他の監督さんも「使ってみたい!」と思うんじゃないかな・・・・・とwiki見たら、今年、是枝監督の作品に出るのね。

どんな役で、どんな演技をしてくれるのか、非常に期待が持てます。


勝手にふるえてろ (文春文庫)
by カエレバ

2018年2月12日月曜日

吉田大八「羊の木」



「羊の木」、見てきました。

観客の代理人として、なにも知らない主人公が出会う、いかにも訳ありなオーラをまとった六人の人間たち。
徐々に明かされる彼らの秘密と、そして加わる新たなる疑問。

時折、センセーショナルな場面がありつつも、基本的には意味深ではあるが穏やかな、はっきり言ってしまうと地味なシーンが続きますが、「これは撒き餌だな。こうやってエサをばらまいておいて、後半では一気に巨大な魚が釣り上がるんだ!」と思っていると、中盤の祭りにて、ようやく奇妙な人間たちが一堂に会する。

「これで、物語が動く!」と、心情的には前のめりになりましたが、結局、そこまで大きな事件は起きず。

また、同じような薄味展開。でも、きっと最後にはと期待していると、・・・・・・さすが、松田龍平さん、デビュー作の「御法度」では人間離れした美貌でしたが、直近の「散歩する侵略者」では、ついに人間を離れてしまいました。
今作では地球人に戻ってますが、しかし一般人とは思えない不気味なオーラを発し、背中だけしか映っていないのに、観客に得も言われぬ恐怖を味あわせてくれる。

他の演者にしても、適材適所、演技にも文句はない・・・・のだけれども、結局、六人の奇妙な人間たちの接触は、ほとんどなし。各々が個々で生きている。

田中泯さんの、ずばり彼のこれまでの生き様が分かる象徴的な登場シーンは、後に活かされることはなく。
また、優香さんにしても、「どうして、そういう関係になるの?」という伏線がなく、最終的には、彼女の言葉を、そのまま信じるしかないという、もやもや。
(田中泯さんと水澤紳吾さんのキャラは、一本にしようと思えば、出来たよなぁ・・・・。市川実日子さんにしても、物語の解釈の鍵となる「羊の木」の導き手ではあるのだが、それ以上でも、それ以下でもないか?)

そして、最大の不自然さは、主人公と松田龍平さんとの友情。
六人の人間を描かなくてはいけないこともあって、松田龍平さんからの一方的な友情も、最後の最後、主人公が松田龍平さんを説得する理由も(なぜ、逃げない!?)、いまいち説明不足で、ピンとこない。

群像劇は、登場人物たちの「交差する糸」に面白味を見出すか、人間や世界の多面性を表現することになると思うのだが、僕個人としては、どちらも物足りなかったなぁ・・・・。

つまらなかったわけではないのだが、吉田大八監督と言えば、どうしても、「桐島、部活やめるってよ」レベルを願ってしまうわけで、そうなると、今作、せっかくの前半の積み立てが、どうも活かしきれていたようには思えなかった。

by カエレバ