2016年7月24日日曜日

「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」感想


どうして? と自問


前作の「インデペンデンス・デイ」は、けっこうなヒットだったが、個人的には「別に・・・・・」というのが、正直な感想。

で、続編の「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」。
20年の時を経て続編なのだが・・・・・・、出来が良いという噂は聞かない。

むしろ、聞こえてくるのは、「イマイチ」という評価ばかり。

前作も「うーん」で、今作も「うーん、らしい」なら、スルーすればいいのだろうが、なんだか、自分でも良く分からないのだが、見に行った。

で、結果としては「うーん」。

世評通りね・・・・・




前作は、全編にわたって「アメリカ万歳」でして、そんなお馬鹿な展開が、どうにも馴染めなかったのだが、絵的には見応えがあったのは事実。

今作は、冒頭から出し惜しみなしの派手な画面ではあるが、・・・・・(贅沢な話だが)それだけに、なんか「待ちに待った」という感じがないんだよね。
スープ、前菜、メインディッシュ、全てが「脂っこい」。
結果、全体として平坦。

ストーリーも、相変わらずのお馬鹿。

人類の存亡を賭けた決死の作戦が、検証もなしに、あっさりと決行。
そして案の定、ガッツリやられる。
でも、ご都合主義で生き残ってしまう主人公たち。

うーむ。


で、前作同様の群像劇なんだが、一人一人のキャラが薄くなって、あんまり良い効果を生んでいるとは言えないね・・・・・。

そんな登場人物の中には、中国語を話すお姉さんがいるんですよ。

ハリウッド映画のアジア人って、欧米の美的センスなのか、なんだか微妙だったりすることも多いのだが、こちらさんは、日本人から見ても、まごうことなき超美人。(■アンジェラベイビー google画像検索)

だけれども、物語中では、取ってつけた感が、ハンパない。

ダイバーシティ(多様性)の尊重という面もあるのだろうが、映画会社の本音としては、中国市場を見据えての配役でしょうなぁ。

前作が「アメリカ万歳」だったのに、今作は中国へ配慮しなくてはいけないというところが、なんだか二十年の月日を感じます。

そして不可思議なコラボ




「宇宙兄弟」と「オデッセイ」のコラボは、そんなに評判が良かったのかな?

それで、「ガンダムUC」とのコラボなんだろうけども。

なんだか不可思議な組み合わせだなぁ。



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2016年7月20日水曜日

三谷幸喜監督「清須会議」



契機


久方振りに大河ドラマを、毎週見ております。

さすが、手練の三谷幸喜さんの脚本でして、「次は、こうなるんだろ?」と分かっていても、面白いです。


で、「そう言えば、同じ戦国時代で、三谷幸喜監督の映画もあったなぁ」と思い出した「清須会議」。

早速(遅きに失した?)、見てみました。

役者さん


興味深かったのは、「真田丸」と「清須会議」で、役者がかぶっているところ。

でも、ほとんどの役柄が正反対なんですよね。


- 清須会議 真田丸
大泉洋 羽柴秀吉
(抜け目ない野心家)
真田信之
(田舎の好青年、実直)
小日向文世 丹羽長秀
(優柔不断)
豊臣秀吉
(抜け目なく、傲慢な最高権力者)
寺島進黒田官兵衛
(腹黒)
出浦昌相
(武闘派)
鈴木京香お市の方
(ある意味、黒幕)
北政所
(豊臣政権の良心)

寺島進さんくらいでしょうか? ほとんど同じなのは。

ここらへんの、「こっちでは、こういう役をするんだなぁ~」というのが、まぁドラマ・映画を見る醍醐味でして、見応えはありました。


が、期待が高すぎたので、素直に楽しめなかったというのが、正直なところ。

ストーリー全体としては、・・・・・・詰め込みすぎなのかな? と思わないでも。

また、戦国という過酷な世界において、三谷作品らしいコメディ要素というのが、時に「ねぇーよ」とツッコみたくなる。


「真田丸」にもないわけではないのですが、例えば伊達政宗の登場シーンなんかは、コミカルに描きつつも、パファーマンス好きな性格を見事に表現していたけど。

おまけ


どうでもよいおまけの感想としては、そうそうたるメンバーの中で、剛力彩芽さんだけ、あきらかにキャリアが薄いんだよね。

映画公開は2013年。

この時期は、オスカープロモーションの次の顔として、剛力彩芽さんを推しまくっていたんだなぁと、なんだか寂しい気分にならんでも。(別に剛力彩芽さんは好きでも嫌いでもないです。ネットで言われるような「ブス」だとは思わないけど)

そんな感じでした。


by カエレバ

2016年7月12日火曜日

自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合「あたらしい憲法草案のはなし」


乗るしかない このビッグウェーブに


参議院選が終わり、改憲勢力が衆参どちらも三分の二獲得。

安倍首相、改憲論議「自民案ベースに」=公明と温度差、実現見通せず【16参院選】
「わが党の案をベースにしながら3分の2を(どう)構築していくか。これがまさに政治の技術だ」
安倍首相は自民党草案を大分気に入っているようですが・・・・・・・。

しかし、非自民の民進やら共産が反対なのは当然ですが、友党である公明、与党でも野党でもない「ゆ党」とも揶揄されることのある自民へは是々非々の立場をとる維新ですら、「あれはねー」と苦笑いされているようなイメージがあります。(日本のこころさんは、物足りない?)

去年の集団的自衛権の容認には、憲法学者からは総スカンを喰らいましたが、一方で、「日米同盟強化」「中国の軍事的伸長に対応」という観点では評価する有識者もいました。

が、「自民党の改憲草案」に関しては、・・・・・・誰も賛成している人がいないような。

そもそも、自民党の議員さんですら、「まぁ、あれは草案ですから」「あくまでも、叩き台です」と言って、なんか歯切れが悪んだよね。

「あれこそ、目指すべき頂きだ!」と正々堂々と主張しているのは、安倍首相(稲田朋美さんとかも?)くらい?

勝手なイメージだけど、産経新聞は賛成しているのかな?


一回、読んでみたいものだが、素人に解説なしで理解できるはずもなく。

「どうすっかな?」と思っていたところ、「自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合」による、「あたらしい憲法草案のはなし」という本が出たので、買ってみました。

パロディ


正直、賛成と反対の両論併記された本が読みたかったのですが、・・・・・まぁ、前述の通り、褒めている人(本)はないんだよね。

で、「あたらしい憲法草案のはなし」は、戦後直後に憲法理解を深める為に使われたあたらしい憲法のはなしのパロディ。

自民党の憲法草案について、自民党の立場に立って解説を加えているのですが・・・・・、当然、悪意(?)バリバリ。

たとえば、こんな感じ。
 憲法で国家権力をしばる。憲法は国民から権力にむけられた命令である。このような考えかたを「立憲主義」といいます。立憲主義は、すべての国の憲法に共通した原則です。

 しかし、あたらしい憲法草案では、この原則が逆転いたしました。

<すべて国民は、この憲法を尊重しなければならない>(百二条)

 世界じゅうの憲法で、こんな条文をもつ憲法はほかにありません。ですので、憲法学者をはじめ、おおくの人が「それはまちがっている」といいました。

 ですが、みなさん、それは日本ではなく、他の国がまちがっているのです。

 国の最高法規である憲法を、国民がまもらなくてよいなど、おかしいではありませんか。民のくせにリーダーに命令するなど、おこがましいではありませんか。

「奴等は、こう考えているに違いない」という推測で書かれてはいるんだけれども、・・・・・・自民党サイドからすれば「邪推だ!」でしょうし、反自民からすれば「的確である」なんでしょうなぁ。


結局


しかし、自民党の議員さんですから、自党の改憲草案を、誇らしげに「目指すべき方向」ではなく、遠慮がちに「たたき台」と言わざる得ないのは、どうにもこうにも、「フリーハンドで権力を行使したい」という欲望が、薄っすらと見えてしまう内容となっていることを自認しているからなんだと思います。

でありながら、安倍首相が、分かっていて喜々として自党の改憲草案を提示しているとしたら、なんだかなー。

また、分かっていなくて提示しているとしたら、これもまた、なんだかなー。


まぁ、どうなるんですかね。

安保法案も、当初は、従来の憲法解釈から逸脱することは出来ないのだから、結局、「集団的自衛権容認」という冠が欲しいだけで、実質は変化がない or 微妙な変化に留まるのではないかとも言われていました。

が、結果的には、大分踏み込んだ内容となったわけで、・・・・・・・・さて。


by カエレバ

2016年7月7日木曜日

近くの映画館で「シェーン」をやっていたので見てみました


古いっちゃ、古い


「名作・古典と呼ばれるものは、いつか見ないとなぁー」と思いつつ、いくつかの作品は、いまだに未見。

「さよならジュピター」とか、「宇宙からのメッセージ」を見るくらいなら、本当は、そういう作品から触れるべきなのでしょうが・・・・・。

さて、近くの映画館で、デジタルリマスターの「シェーン」が上映されているので、「この機会に」ということで見てきました。

観客は、平日ですが、15人くらいかな?
田舎の映画館にしては、けっこういましたね。

ほとんどが、仕事はリタイアした感じの六十才オーバー。

そんな中に、一人だけ二十代、それも前半かな? 若い男性もおりました。
渋い趣味だね・・・・・。


で、古い映画なので、アスペクト比が、昔のブラウン管テレビくらい。
音楽の使い方も、ちょっと時代がかっている。

そして、主人公のシェーンなのだが、「イケメン」で、「ミステリアス」だが、「タフ」かつ「ジェントルマン」。それでいて、「ユーモアも解す」「働き者」という欠点のなさ。

今の作品では、ちょっとお目にかかれないようなキャラクター設定。


でも、そういう完璧な人間であるからこそ、父親とは友情で結ばれ、子供には慕われ、奥さんには密かに想われてしまうのだが、家族を壊すことは決してしないわけでして、そこらへんが、「古臭い」というか、「古き良きアメリカ」であったりするもの、作品全体を「さわやか」にしているわけだ。

「カムバック」ではなくて、「グッバイ」


「名作」とか「古典」というものになると、見ていなくても、なんとなく粗筋やラストシーンを知っているものですが、「シェーン」も、「シェーン カムバック」という子供の悲痛な叫びが、あまりにも有名。

そのセリフで終わるのだと思っていましたが、「カムバック」の後に、「シェーン グッバイ」があるのね。(ネットで調べたら、「シェーン カムバック」で終わっているバージョンもあるようですが)

どっちが良いのか? また、どちらが製作者の意図を正確に反映しているのかは分かりません。

主人公のシェーンは、最後の決闘を経て、「銃で物事を解決するような時代ではない」と子供に諭して去っていく。

古き時代の終わりであり、郷愁としての「カムバック」も、惜別としての「グッバイ」でも、どっちでも間違ってはいないわけでして。


なんだけれども、「シェーン」の公開は1953年。もう半世紀以上前。
その時代につくられた映画ですら、「もう銃ではない」というラストなのに、相変わらずの銃社会のアメリカというのも、なんですなー。


シェーン [Blu-ray]
by カエレバ