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力作だね~
カンヌ国際映画祭グランプリ(パルムドールではない)、アカデミー賞外国語映画賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞という、「映画賞総嘗め」状態の「サウルの息子」。
どんなものかと、見てきました。
で、感想を一言であらわすと圧倒的な力作。
「そりゃ、あげざる得ないわな」というところ。
ただ、ストーリーは訳分からん。
というか、「どうにでも解釈してくれ」というタイプ。
劇中において説明は少なく、結末も意味深。
絵にしても、焦点が固定されていてね。
ほとんどが主人公の周辺、それも顔のアップばかり。
後は、ボケボケで、なにが起こっているのか、正確には分からない。
でも、完全に情報がシャットアウトされているわけではなくて、死体の一部が映り込んだり、主人公視点の映像に切り替わったりして、なんとなくは分かるようになっている。
こういう手法って、普通なら、「金がない」からの逆転の発想から生まれそうなのだが、この映画がすごいのは、セットにしろ小道具にしろ、かなり丁寧につくりこんでいる。
エキストラにしても、多数の人間を集めている。
そういう努力と資金の投下をしてしまうと、チマチマとした絵ではなく、バーンと、「ほーれ、こんなに苦労しましたよ。褒めて褒めて」と全景や、こだわった細部を撮りたくなりそうなものだが・・・・・・・。
ハリウッドのSF大作とは違った、もったいない精神皆無の、贅沢なつくりです。
映画内では効果音や劇伴はなく、主人公に聞こえている生活音や雑音だけ。
だから、限定された絵と、その音から、状況や立場を、否が応でも想像しなくてはいけなくなってしまう。
説明的な見易い絵や扇情的な劇伴がなくても、想像力が喚起されることにより、よりいっそう過酷な状況が観客に迫ってくるという仕掛け。
下手をすると、独り善がりな作品になってしまうのだが、程々のさじ加減が絶妙。
監督のネメシュ・ラースローさんは、これが長編デビューだそうで、おそろしいね・・・・・・。
ネタバレ?
で、ストーリー。
二~三年にいっぺん話題作が出てくるホロコーストものです。直近ですと、「あの日のように抱きしめて」ですかね。
(■
井村一blog_ 映画「あの日のように抱きしめて」の感想 )
主人公のサウルはユダヤ人なのだが、絶滅収容所にて、ゾンダーコマンドとしてナチスの手先として働いている。
(ゾンダーコマンドというのは、こんな感じ。■
絶滅収容所 - Wikipedia )
最早、感情を無くして、同胞をガス室送りを手助けてしている主人公であったが、ある日、一人の少年を埋葬しようと志す。
その一方で、一方で、ナチスによるゾンダーコマンド処刑の日が近づいていた・・・・・。
で、この少年というのが、「自分の息子である」と、主人公は思っている。
が、主人公と過去を共有していると思しき人物からは、「お前に子供なんかいないだろ?」と指摘される。
主人公は、妻ではない女性が産んだと強弁するのだが、どうにもこうにも怪しい。
そもそも、その少年が、どこから送られてきたのか、主人公は、すごく気にしている。主人公自身も、「絶対に自分の子だ」という確信があるわけではない。
推測するに、若い頃の過ちなり、離婚なりで、どこかで血のつながった子が生まれていた可能性があることを、主人公自身は知っている。
そんな中で、年格好から、自分の子と"思える"ような少年に出会ってしまう。
自分でも強引だとは分かりつつ、その息子だと思い込むことにしてしまった・・・・・、てなところですかね?
また、その少年は、ガス室に送られていながら、生き延びてしまっている。
直ぐにナチスによって安楽死させられるのですが、他人とは違った特殊な子であることも、主人公の興味を引いた一因なのかな?
自分の子であると信じてしまった主人公は、ラビ(ユダヤ教の聖職者)を見つけだして、本式の葬儀&埋葬をしようとする。
しかし、自由などあるはずもない絶滅収容所において、ラビを見つけるという行為は、自らだけではなく、仲間たちを危険に晒す。
事実、主人公の軽はずみな行為で、人命は失われてしまう。
しかも、ゾンダーコマンドの処刑が実施されるという情報を手に入れた囚人たちは、一か八かの蜂起を企てている最中。
そんな中でも、主人公は、「自分の子」の葬儀にこだわっている。
それは、地獄のような、・・・・・と言うか、「地獄においても人間性を保とうとした、または取り戻そうとした」ということなの?
うーん。
正直、あまりに浮世離れした主人公の言動には、途中、何度もイライラさせられたけどね。
ラビを探し出すことに夢中になって、蜂起に使う爆弾を失くしてしまうというヘマまでやらかしてしまうし。
自分だけではなく、仲間の命の危機なのに、「自分の子供」の葬式にこだわるというのは、なんだか。
まぁ、「狂っている」と言ってしまえば、そうなんだと思う。
(そもそも、絶滅収容所というものが、人類の狂気であり、それに対峙するには同じように狂うしかないのだろうが)
ラストの微笑み
で、触れざる得ないのは、ラスト。
ゾンダーコマンドたちの蜂起に乗じて、収容所からの脱出に成功する主人公。
しかし、その途中で、少年の遺体を失ってしまう。
意気消沈する主人公だったが、仲間に引っ張られるようにして、どうにか廃屋までたどり着く。
そこで休憩をしていると、現地の少年に発見されてしまう。
逃亡中の彼らからすると、子供であっても、姿を見られてしまうのは絶望的な危機。
が、主人公は、その子を見て、今まで表情を失っていたにもかかわらず、微笑むのであった。
つまりは、感情&人間性&希望を取り戻した、ということなのでしょう。
・・・・・・うーむ。
もちろん、単なる「こども好き」なのかもしれない。
日本人にはない死生観だけど、ユダヤ教では、「復活」という概念があります。
最後の審判で、善人は全て救済されて、悪人は地獄に落ちる、というヤツ(輪廻ではない)。
なので、死後も肉体を毀損すべきではないという考えが根強く、基本、土葬。
が、絶滅収容所においては、ユダヤ人たちはガス室で殺され、遺体は焼かれてしまい、その灰は川に捨てられてしまっている。(その過程は、切れ切れながらも、映画において描写されている)
そういう中で、ガス室においても生き残った特別な少年を見つけてしまう。
その子を神から与えられたルールに基いて埋葬するというのは、単に「悼む」という行為を超えているのかな?
結局、葬式も埋葬も失敗してしまうものの、しかし、死体を失った彼の前には、生きている少年があらわれる。
もちろん別人なのだが、彼にとっては、同じ少年であり、それは「復活」を意味していた、・・・・・・と仮定してみる。
これまでの主人公はゾンダーコマンドとして、同胞を殺している。
その贖罪という意味もあるのだろうが、復活の成功は、ユダヤ人の絶命を企図したナチスへの最大の反抗でもある。
その結果としての、ラストのほほ笑み・・・・・・・なのか?
もし神の恩寵による奇跡が事実であるのならば、他の罪なく殺されていったユダヤ人にも「復活」の可能性がある、ということだしね。
もっと言えば、血がつながっているようで、つながっていない子というのは、処女懐胎を想起させるわけで、そして特別な子、死からの復活という流れからすると、この物語はキリストの復活を模したものとも考えられないだろうか?
・・・・・・いや、さすがに、これはムリですな。
ユダヤ教なのに、キリスト教の話をベースにするわけないよね。