2016年3月31日木曜日

深作欣二監督「宇宙からのメッセージ」



「さよならジュピター」で、「うーん」な気分になり、さて、もう一つ「宇宙からのメッセージ」。

(「さよならジュピター」の感想。■スターウォーズも新作が出たので「さよならジュピター」を見る)

youtubeの予告編だけでも、お腹いっぱい。

だって、千葉真一(サニー千葉)さんが「万死に値する」だよ。

しかも、「宇宙暴走族」という、このネーミング。

本編は、そこから推して知るべしの連続。


一応ストーリーとしては、ガバナス帝国(ガバナンスが凶悪というイメージをかき立てたかったのだろう)に支配されたジルーシア人(「自由」をもじった?)。
反抗の為に、8個の「聖なるリアベの実」が選んだ戦士を探すという流れ。


下敷きは「里見八犬伝」なのね。

で、冒頭、8個の「リアベの実」が、己の意思でもって、大宇宙に散っていく。

だけれども、そのうち4つは宇宙暴走族と、その知人。

2つは、地球連邦の元将軍と、その召使いロボット。

1つは、ガバナス帝国の正統な王子。

最後の1つは、冒頭から登場していたジルーシア人。(大宇宙を探し回って、結局、直ぐ近くにいたという青い鳥)


・・・・・うーむ。

「リアベの実」、4つで、良くない? と思わないでも。
しかも、もらった8人(ロボット含む)全員が、活躍するわけでもないし。

千葉真一さん演じるガバナス帝国の正統な王子も、とってつけた感が、半端無かったものなぁ・・・・・。


そして、ラスト。
もともと、ガバナス帝国に支配されてしまった惑星ジルーシアの解放が目的だったのに、「リベアの実」に選ばれた戦士が、動力炉を攻撃してしまい、惑星は木っ端微塵。

故郷がなくなったので、みんなで新天地を探しましょう!

冷静に考えると、最初から、亡命なり移住を選択していた方が。
いや、逃げてもガバナス帝国が追ってくるか・・・・・。


まぁ、ストーリーもアレなんだが、「見てくれ」もアレでして。

だって、船外活動するシーンがあるんだけど、普通の人間が、平服のまま宇宙に出てしまうんだよ。

うーむ。
ただ、そこまでいい加減だと、「これはこれで面白いかも」と思えるから不思議なものでして。

ガバナス帝国皇帝の母親を、天本英世さんが演じているのだが(物語上、あんまり必要がない役なのだが・・・・・)、彼女(?)が座っている椅子なんか、ドクロのデザインだし。


とにかく、まぁ、そんな感じです。


宇宙からのメッセージ [DVD]
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2016年3月29日火曜日

「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」を見て



似たような内容


「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」を見てきました。

DCコミックスの二大スターである、スーパーマンとバットマンがガチンコ勝負という映画。

で、偶然なのか合わせたのか、マーベル・コミックでも、「シビル・ウォー」が公開でして、こちらもキャプテン・アメリカとアイアンマンという味方キャラ同士が対峙するという内容。

「正義」対「正義」が売りです。


アメリカ大統領選の年ということで、こうなったんですかね~


2つの正義なのだが


で、「バットマン vs スーパーマン」。

本来ならば、「悪を憎み、正義を成す」ことでは同じ立場であるはずの主人公キャラ同士。
でありながら、対決せざる得ないまでの過程を、どう自然に見せるかが、重要になってくるのですが・・・・・。

うーん、うまくいっているとは言えないか?


スーパーマンというのは、超絶な能力者。
人間ができないことを、いとも簡単にやってしまう。
その力をもって、悪を懲らしめ、人々の危機を救う。

が、その力が神にも等しいだけに、危険視もされてしまう。
所詮は、スーパーマンの独善でもって、人類の側にいるに過ぎない。

もし、彼が心変わりしてしまったら、今度は、人類が危険にさらされることになってしまう・・・・・。


で、バットマン。
ものすごいメカでもって武装し、体も鍛えているものの、所詮は、人間。

目からビームは出ないし、空は飛べないし、殴られたら痛い。
どう頑張っても、人間の範疇。

そんな彼は、スーパーマンのように派手な人助けはしない。
あくまでも、密かに、悪を懲らしめているだけ。

スーパーマンの正義が、彼の能力と同じように超絶独善であることに比して、バットマンは、「自警団」に過ぎないことを分かっている。
どこかで、自らの不法性を認識している(ような気がするけど、それはクリストファー・ノーランのバットマンを経由している見方?)。


この違いって、まぁ、極論だとは思いつつ、「ネオコン的な正義を象徴しているのがスーパーマン」で、「ネオコン後を象徴しているのがバットマン」なのかな?

唯一の超大国であったアメリカ。
アフガン戦争はある程度国際的なコンセンサスのもとで実行されて、タリバンを首都から追い出すことには成功する。
が、その後のイラク戦争では、多くの国々の反対を押し切って行われる。だけれども、スーパーパワーでサダム・フセインの排除はできた。

が、2つの戦争の結果、混沌と混乱だけが残ったわけでして。

映画の中でも、スーパーマンの超絶な力をもってしても、目の前の人間を救えなかったことで、彼は挫折してしまう。


それに比べてバットマン。

一般人よりは、すごい力を持っている。
でも、あくまでも人間の枠内。

有限であり、その正義の限界を知っている。

だから、あくまでも、その能力の及ぶ内での正義の行使となってしまう。
その限界を知りつつ、嘆きもするが、しかし、止めるわけではない。

まぁ、オバマ政権下での対外政策って、こんな感じでしょうか?


さて、そんな2つの正義なんだが、・・・・・・なんだかんだ言っても、所詮は、法の埒外なんだよね。
どんぐりの背比べでして、二人とも、独善であることには変わりない。

スーパーマンほど派手ではないにしても、やっぱりバットマンも、それなりに暴れ回っているわけでして。

だから、見ている日本人としては、「うーん、仲が悪いのは仕方ないにしても、命(タマ)の取り合いをするほどのことか?」と疑問に思ってしまったなぁ。
(ここらへんは、「バットマン」「スーパーマン」の、必要最低限の知識が、私には不足しているからかもしれませんが)


で、ネタバレ


スーパーマンからすると、バットマンなんかは、所詮、象から見た蟻みたいなもの。
ムカついてはいたけど、本気で相手にするつもりはない。


が、バットマンからすると、そのまま放置はできない危険人物。
なので、スーパーマンよりももっと大きな悪の存在・レックス・ルーサーに気が付きつつも、彼の排除を優先するのだが、当然、見ている方からすると、「?」だったりする。

しかし、母親を拉致されるという罠にはまったスーパーマンは、不本意ながらもバットマンと戦うことに。

その真相を告白すれば、バットマンと和解はできなくても、休戦くらいはできそうなものだが、なぜか、その余裕はなく、二人は一気にガチンコ勝負へ。
まぁ、ここらへんは物語のお約束だから仕方ないか。

で、どうにかこうにかバットマンの勝利が見えたところで、実は、スーパーマンの育ての母が捉えられていることを知って、「すまなかった」と、あっさり同盟を結ぶ。

うーむ。
物語のお約束・・・・・。


それから、スーパーマンはレックス・ルーサーへ。
バットマンは、スーパーマンの養母を救助に。

しかし、レックス・ルーサーからは、「バットマンを無視して、母親を救助しようとしても、先に殺しちゃうよ」と言われている。
だから、「バットマンらしく、天井から密かに侵入して救出か?」と思ったら、轟音とともに飛行機で登場。

バンバン悪役と肉弾戦を繰り広げて、結果、無事に救い出すのであった・・・・・・。

画面が豪華じゃないと、つまらんからね。
お約束ということで。

ラスト


意外だったのが、ラストでスーパーマンが死ぬことでしょうか?

「どうせ、生き返るんだろ?」
「ギリギリセーフだろ?」

と高をくくっていたのですが、葬式までやってしまったよ。

まぁ、次回作で復活かもしれないですが・・・・・。


いささか強引ながらも、スーパーマンがネオコン的な正義の象徴であったとすると、その「死」というのは、スーパーパワーによる絶対的な正義の終わりをあらわしている。

で、バットマンの、「今後は仲間を集めて、迫り来る悪と戦おう!」という決意は、有志連合というか、同盟国との連携強化で、中国を封じ込めていこうとする現在のアメリカの外交政策が反映されているようにも見えますが、・・・・・さて、こじつけ臭い。


前作「マン・オブ・スティール」では、「スーパーマン」にイエス・キリストのイメージが投射されているという指摘がありました。
今作でも、劇中において、スーパーマンを神と同一視するコメントが度々なされている。

すると、人々の誤解からのスーパーマンの死というのは、磔にされて死んだキリストと重なるわけでして。

であれば、まぁ、やはり次回作では「復活」なのかね?


「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」オリジナル・サウンドトラック
by カエレバ

2016年3月22日火曜日

「現代小説クロニクル(1990~1994)」



「現代小説クロニクル」の、1990から1994を読了。

幻想的というか、前衛的というか、・・・・・・ぶっちゃけ、訳分からん作品が多かったなぁ。

しかも、それらの作者はいずれも女性。


1991年まで続いたバブル景気。
当時の日本を象徴するものとして、ジュリアナ東京で扇子を持って踊る女性がいました。



お立ち台という目立つ場所にて、短いスカートに体の線が見える服を着て、男性を見下すように自由奔放に踊る姿は、一見すると新しい女性像ではありました。
その実、男性の劣情を刺激する姿に過ぎなかった訳で、所詮は、巨大な男性社会の手のひらの上で踊っていたに過ぎません。

バブル絶頂期において「清貧の思想」なる本がベストセラーになったことが逆説的に証明しているように、蔓延した欲望に忠実な拝金主義。
日本はアメリカをも凌駕するのではないかという「Japan as Number One」という自惚れが満ち満ちており、その社会に馴染めない人間たちをカルトに走らせ、オウム真理教というバケモノが醸成された時代でもあります。

そういう、男たちがつくる歪んだ社会と対峙する為に、または、その歪みを文章として描写する方法として、女性から率先して、既存の男性的な文とは乖離した前衛的文体の模索がされたのは当然の帰結なのかもしれません、とかなんとか分かった風なことを書きましたが、嘘です。
適当にもっともらしい文章をでっち上げてやりました。


これだけ物語が広汎にあふれている現代において、「文学で物語を語る必要性」なるものを考えると、多和田葉子さんや笙野頼子さんのような作品になってしまうのは、分かるんですけどね。

けど、どうも、この筋があるような、ないようなという作品は、苦手だな・・・・・。


安部公房の作品は、二・三冊読んで、それなりに面白かったんですが。

現代小説クロニクル 1990~1994 (講談社文芸文庫)
by カエレバ

2016年3月19日土曜日

「進撃の巨人 エンド・オブ・ザ・ワールド」の感想



先行配信


見たい見たいと思っていた実写版「進撃の巨人」後編の、「エンド・オブ・ザ・ワールド」。
(前編の感想。■実写版「進撃の巨人 前編」は、やっぱりアレだった )

結局、映画館に行く機会がなくて、見逃してしまいました。

で、レンタルで見ようと思っていたら、ぼちぼち始まるそうで。

が、3/23から。
で、今日は3/16。

「うーん、せっかくの休みだが、今日は無理か・・・・」と思っていたけど、ps4のアマゾンのアプリで検索したら、ちゃんと出てくる。
しかも見れてしまう。

先行配信のようで。

ツタヤのリアル店舗とか、これから大変だろうなぁと思ってしまうよ。


内容なんだが


一言であらわすと、カタルシスがなかったなぁ・・・・・。


ぶっちゃけ、ハリウッド映画のレベルからすると、CGや特撮は、どうしたってアマい。
それは仕方ない。

市場規模が違うんだから、ないものねだりしても、詮ない話。


ストーリーは、・・・・・・・・とりあえず、原作が未完の状態ではあるものの、映画自体で、ちゃんと完結したのは、エライね。

逃げなかった。


が、それ以外となると・・・・・・・。

なんとなくISISっぽい、敵。

全体主義国家の代弁者となっている上官。

微妙に現代的な要素が散見されるのあが、いまいち現実とリンクしないあたりが、うーむ、もったいない。

いや、まぁね。リンクし過ぎて、「うわぁ、説教臭い」となってしまう娯楽作もあるんだけれども。
それにしても、微妙・・・・・。


そして、シキシマ。

ネタバレシーンにおいて、純白の衣装に、シャンパンとグラスって。(主人公とシキシマ、途中で、わざわざ衣装チェンジしているし)

「この世界の真相」とか、「本当の敵は!」とか、「意外な殺害動機」とか、「隠された歴史」とか、物語では隠された真実というネタバレはつきもの。

小説だと、名探偵の解説や犯人の独白でも許せてしまうものだが、映画になると、よほど上手く処理しないと間抜けというか、興醒めというか・・・・・・。


それよりも、なによりも、・・・・・・ミカサがね・・・・・。

最後の最後で、主人公に戻ってくるあたりが、・・・・・・・うーん。

まぁ分かってはいたことだけど、後編の冒頭、主人公が殺されそうになっているシーンでも動こうとしなかったのにね~

なんか、単に頭の悪い女に堕してしまっていたような。


少年漫画の主人公らしい主人公ということで、新規の性格設定がされた本作だけど、良い方向に転がっていったとは言えなかったか?

結局、キャラへの共感やら、興味がわかなかった結果としての、カタルシスがなくなってしまったんだろうなぁ・・・・・。


そんな中で良かった点としては、石原さとみさんのコメディエンヌの才が発掘されたことか?


会社の都合で前後編に


キャラの改変の他に、前後編に分割されてしまったことも、批判の的でした。
確かに、なるほど、こりゃ、無理に分ける必要はなかったねー。
(ハリウッドの足元にも及ばないにしても、邦画では十分な巨額の制作費。その回収する保証として、前後編になってしまう大人の事情は分かるのだが)


前編は、いろいろ言われつつも、多くの巨人が登場して無慈悲に人間を殺していくシーンに関しては、「がんばった」という評価もありました。
が、後編になると、予算の関係もあってか、それら派手なシーンは、グッと縮小。

もし、ちゃんと一本の作品にまとまっていたなら、派手な立ち回りをラストに持ってくることも可能だったような気もします。

そうすると、「賛否両論」程度の評価は得られたかもしれんなぁ。


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2016年3月8日火曜日

「サウルの息子」の感想



力作だね~


カンヌ国際映画祭グランプリ(パルムドールではない)、アカデミー賞外国語映画賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞という、「映画賞総嘗め」状態の「サウルの息子」。

どんなものかと、見てきました。

で、感想を一言であらわすと圧倒的な力作。
「そりゃ、あげざる得ないわな」というところ。


ただ、ストーリーは訳分からん。

というか、「どうにでも解釈してくれ」というタイプ。

劇中において説明は少なく、結末も意味深。


絵にしても、焦点が固定されていてね。

ほとんどが主人公の周辺、それも顔のアップばかり。
後は、ボケボケで、なにが起こっているのか、正確には分からない。

でも、完全に情報がシャットアウトされているわけではなくて、死体の一部が映り込んだり、主人公視点の映像に切り替わったりして、なんとなくは分かるようになっている。

こういう手法って、普通なら、「金がない」からの逆転の発想から生まれそうなのだが、この映画がすごいのは、セットにしろ小道具にしろ、かなり丁寧につくりこんでいる。
エキストラにしても、多数の人間を集めている。

そういう努力と資金の投下をしてしまうと、チマチマとした絵ではなく、バーンと、「ほーれ、こんなに苦労しましたよ。褒めて褒めて」と全景や、こだわった細部を撮りたくなりそうなものだが・・・・・・・。

ハリウッドのSF大作とは違った、もったいない精神皆無の、贅沢なつくりです。


映画内では効果音や劇伴はなく、主人公に聞こえている生活音や雑音だけ。

だから、限定された絵と、その音から、状況や立場を、否が応でも想像しなくてはいけなくなってしまう。

説明的な見易い絵や扇情的な劇伴がなくても、想像力が喚起されることにより、よりいっそう過酷な状況が観客に迫ってくるという仕掛け。


下手をすると、独り善がりな作品になってしまうのだが、程々のさじ加減が絶妙。

監督のネメシュ・ラースローさんは、これが長編デビューだそうで、おそろしいね・・・・・・。

ネタバレ?


で、ストーリー。

二~三年にいっぺん話題作が出てくるホロコーストものです。直近ですと、「あの日のように抱きしめて」ですかね。
(■井村一blog_ 映画「あの日のように抱きしめて」の感想)

主人公のサウルはユダヤ人なのだが、絶滅収容所にて、ゾンダーコマンドとしてナチスの手先として働いている。
(ゾンダーコマンドというのは、こんな感じ。■絶滅収容所 - Wikipedia)

最早、感情を無くして、同胞をガス室送りを手助けてしている主人公であったが、ある日、一人の少年を埋葬しようと志す。

その一方で、一方で、ナチスによるゾンダーコマンド処刑の日が近づいていた・・・・・。


で、この少年というのが、「自分の息子である」と、主人公は思っている。

が、主人公と過去を共有していると思しき人物からは、「お前に子供なんかいないだろ?」と指摘される。
主人公は、妻ではない女性が産んだと強弁するのだが、どうにもこうにも怪しい。

そもそも、その少年が、どこから送られてきたのか、主人公は、すごく気にしている。主人公自身も、「絶対に自分の子だ」という確信があるわけではない。

推測するに、若い頃の過ちなり、離婚なりで、どこかで血のつながった子が生まれていた可能性があることを、主人公自身は知っている。

そんな中で、年格好から、自分の子と"思える"ような少年に出会ってしまう。
自分でも強引だとは分かりつつ、その息子だと思い込むことにしてしまった・・・・・、てなところですかね?


また、その少年は、ガス室に送られていながら、生き延びてしまっている。
直ぐにナチスによって安楽死させられるのですが、他人とは違った特殊な子であることも、主人公の興味を引いた一因なのかな?

自分の子であると信じてしまった主人公は、ラビ(ユダヤ教の聖職者)を見つけだして、本式の葬儀&埋葬をしようとする。
しかし、自由などあるはずもない絶滅収容所において、ラビを見つけるという行為は、自らだけではなく、仲間たちを危険に晒す。

事実、主人公の軽はずみな行為で、人命は失われてしまう。


しかも、ゾンダーコマンドの処刑が実施されるという情報を手に入れた囚人たちは、一か八かの蜂起を企てている最中。
そんな中でも、主人公は、「自分の子」の葬儀にこだわっている。

それは、地獄のような、・・・・・と言うか、「地獄においても人間性を保とうとした、または取り戻そうとした」ということなの?

うーん。

正直、あまりに浮世離れした主人公の言動には、途中、何度もイライラさせられたけどね。
ラビを探し出すことに夢中になって、蜂起に使う爆弾を失くしてしまうというヘマまでやらかしてしまうし。

自分だけではなく、仲間の命の危機なのに、「自分の子供」の葬式にこだわるというのは、なんだか。

まぁ、「狂っている」と言ってしまえば、そうなんだと思う。
(そもそも、絶滅収容所というものが、人類の狂気であり、それに対峙するには同じように狂うしかないのだろうが)

ラストの微笑み


で、触れざる得ないのは、ラスト。

ゾンダーコマンドたちの蜂起に乗じて、収容所からの脱出に成功する主人公。

しかし、その途中で、少年の遺体を失ってしまう。
意気消沈する主人公だったが、仲間に引っ張られるようにして、どうにか廃屋までたどり着く。
そこで休憩をしていると、現地の少年に発見されてしまう。

逃亡中の彼らからすると、子供であっても、姿を見られてしまうのは絶望的な危機。
が、主人公は、その子を見て、今まで表情を失っていたにもかかわらず、微笑むのであった。

つまりは、感情&人間性&希望を取り戻した、ということなのでしょう。

・・・・・・うーむ。

もちろん、単なる「こども好き」なのかもしれない。


日本人にはない死生観だけど、ユダヤ教では、「復活」という概念があります。
最後の審判で、善人は全て救済されて、悪人は地獄に落ちる、というヤツ(輪廻ではない)。

なので、死後も肉体を毀損すべきではないという考えが根強く、基本、土葬。
が、絶滅収容所においては、ユダヤ人たちはガス室で殺され、遺体は焼かれてしまい、その灰は川に捨てられてしまっている。(その過程は、切れ切れながらも、映画において描写されている)


そういう中で、ガス室においても生き残った特別な少年を見つけてしまう。

その子を神から与えられたルールに基いて埋葬するというのは、単に「悼む」という行為を超えているのかな?

結局、葬式も埋葬も失敗してしまうものの、しかし、死体を失った彼の前には、生きている少年があらわれる。
もちろん別人なのだが、彼にとっては、同じ少年であり、それは「復活」を意味していた、・・・・・・と仮定してみる。

これまでの主人公はゾンダーコマンドとして、同胞を殺している。
その贖罪という意味もあるのだろうが、復活の成功は、ユダヤ人の絶命を企図したナチスへの最大の反抗でもある。
その結果としての、ラストのほほ笑み・・・・・・・なのか?

もし神の恩寵による奇跡が事実であるのならば、他の罪なく殺されていったユダヤ人にも「復活」の可能性がある、ということだしね。


もっと言えば、血がつながっているようで、つながっていない子というのは、処女懐胎を想起させるわけで、そして特別な子、死からの復活という流れからすると、この物語はキリストの復活を模したものとも考えられないだろうか?

・・・・・・いや、さすがに、これはムリですな。

ユダヤ教なのに、キリスト教の話をベースにするわけないよね。


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2016年3月6日日曜日

「マネー・ショート 華麗なる大逆転」を見てきたが、難しかった



邦題の違和感


しかし、「華麗なる大逆転」という副題は、どうだろう・・・・・。

「金融危機の真実」くらいにしておけば、とは思うが、まぁ、それだと一般人の注目を集め難いという判断なんだろうなぁ。

先に言っておくと、とても、「華麗なる大逆転」という言葉から連想されるような、胸のすくようなラストは待っていません。

あらすじ、と感想


2008年のアメリカ発の金融危機において、前もって経済崩壊を予測し、むしろ利益を上げた男たちの、その「仕込み」と「過程」、そして「結果」を描いています。

儲けのからくりは、言うまでもなく空売り。

私の頭がかたいせいなのか、「空売り」って、何度聞いても、よく分からんシステムだよね・・・・・。


世の中が儲かっている時、つまりは、好景気において、投資家も儲かるという因果は理解しやすい。

今後、成長が見込める分野・会社にお金を注ぎ込み、投資先が成功し、その先見の明・リスクへのご褒美として、利益として返ってくる・・・・・というのは、素人でも理解できる。

が、世の中が儲かっていない、つまりは不景気において儲ける「空売り」って、・・・・・・、何度聞いても違和感があります。

「これから、不景気になるぞ!」「会社が傾くぞ!」「国家の経済は破綻するぞ!」なんて予見でもって、儲けるって、・・・・・なんだかね。


で、「マネー・ショート」。

世の中の主流に反して、逆張りをした映画内の主人公たちは、最終的には、副題の通り「大逆転」。

空売りが大成功して、巨額の利益を手に入れるわけなのですが・・・・・・・、まぁ、ぶっちゃけ、人の不幸で利益を得たわけです。

実際はどうかは別にして、映画内の登場人物たちは、その現実に苦悩することになる。


さらには、物語の進行によって、金融機関の欺瞞体質が、これでもかと暴かれる。

だけれども、最終的には、「大き過ぎて、つぶせない」とばかりに、その体質が温存されてしまったことも明かされる。


とても、「華麗なる」とは、程遠いわけですな。

やっぱり難解


で、まぁ、金融危機を扱っている映画だけに、真面目にやったら暗く、ジメッとしたものになるのは必定。

だから、逆に、映画自体はコミカル。

が、それが、成功しているかどうかは、・・・・微妙かな。なんといっても、現実の「金融危機」が、でかすぎるからね。


そして、劇中では、著名人が登場して、ユニークな比喩を駆使して、金融危機の問題を解説してくれるんだが・・・・・、それでも、やっぱり分からんよ。

まぁ、「こんだけ、あやしい商売をしていました」という雰囲気は十分に伝わってくるけどね。

おまけ


上海の不動産が大変なことになってます!  WEDGE Infinity(ウェッジ)
もっと心配しているのは、遼寧省の瀋陽市で出された大学生は自己資金0でも住宅ローンを借りて住宅を買えるという政策。いずれ学生が住宅ローンを払えなくなり、中国版サブプライムになり、最終的に銀行にそのしわ寄せが行くのではないかと心配している。
こんなのとか、
現在の不動産関連政策は、不動産市場の活性化のために、最近10年ないし、少なくとも2008年以来最も緩和された状況と分析している。こうしてみると国を挙げて不動産市場を下支えしようとする政府の意図が見て取れる。
(中略)
もしそうだとすると、昨年の株式市場のように、もともとは市場の活性化を意図した中での、経済実態を反映しない株価の暴騰が、最終的には株価の暴落で治ったと同じことになるのではないかと心配している。
こんなのを読んじゃうと、政府と銀行の違いはあれども、映画でやっていた通りだものなぁ・・・・・・。

中国経済、どうにかソフトランディングできるのかね?


世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち (文春文庫)
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2016年3月5日土曜日

田亀源五郎「弟の夫」1巻2巻の感想

無駄巨乳


「物語」というか、「作品」には、製作者や想定される受容者の願望が詰まっているものです。

で、男性がつくる「作品」、特にサブカルというか、オタク界隈の産出ですと、無駄に巨乳が多い。

格闘ゲームなんかで、男性キャラは筋骨隆々なのに、女性キャラは「やわらかそうなボディ」で、「えらく胸を強調したコスチューム」だったりするのは、よく見かける光景でして。

むくつけき男と対等に戦える女性となれば、ビジュアル的には、「もう、ビキニの必要があるんだか、ないんだが」くらいになっている女性ボディビルダー級の容姿が対等だと思うのですが・・・・・・・。
(参考 ■女性ボディビルダー画像と動画のまとめ - NAVER まとめ)、



まぁーねー、ゲームのメインターゲットは男性。
まして、格闘ゲームとなれば、なおさら。

とすれば、男性キャラは「より男らしく」、女性キャラは「より女らしく」が求められてしまうのは、仕方ないのでしょうが。

(が、あまりに欲望に素直過ぎると、こうなってしまうが・・・・・・。■【UPDATE】『DEAD OR ALIVE Xtreme 3』欧米では発売されず、女性の性的描写が原因か。100万ドルで販売権を買い取ろうとするファンも)

ざっくりとした梗概


で、田亀源五郎先生による「弟の夫」。

残念ながら(?)、今まで、田亀源五郎作品に触れる機会はなく。

西原理恵子先生の漫画内で、触れられていて、「かなりハードなゲイ漫画を描いている方なのね」という知識があるくらい。

なので、ちゃんと読んだのは、こちらが始めて。


ざっくりとした粗筋ですが、双子の兄が主人公。

弟はカナダに渡航し、そこで、カナダ人の男性と結婚。
しかし、不慮の事故で亡くなる。

弟の旦那は、失った相方の思い出を探しに、日本にやって来る。

主人公は、小学生の娘と二人暮らし。
訪日した「弟の夫」に戸惑いながらも、徐々に人を愛することに同性も異性も関係ないのだということを知っていく・・・・・・。


という感じ。

小学生の一人娘は、子供だけに純真無垢、偏見とういものがなく、同性愛や同性結婚について、別段、奇異に思わない。
その一方で、すっかり頭がかたくなってしまっている大人の主人公は違和感を拭えない・・・・・という対比なんかは、まぁ、テンプレ的な分かり易さ。

現代日本における同性愛について概説であり、啓蒙的な筋立てではありますが、登場人物たちの心情も描かれておりまして、説教臭さは、適当に抑えられております。

男性視点からの男性の性的魅力


さて、個人的には、キャラの容姿が、すごく気になりました。

冒頭で書いたように、作品には、発信者と受容者の願望が含まれるもの。

左の表紙の絵から分かるように、主たる登場人物である「双子の兄」と「弟の夫」の、ガタイがよろしいこと。
さらに、主人公なんか、自らの肉体を誇示するが如くの、ピッチピッチの服を着ているし。

では、この筋肉には、なにか理由があるのか? というと、別に。

ガテン系の仕事をしているわけではない。

体を鍛えているのが好きか? というと、一応、スポーツジムに通っているシーンがあるけど、頻繁ではない。

つまりは、特にストーリーに絡まないんですよ。

少年漫画やアニメにおいて、女性キャラが無駄に巨乳であるように、この漫画においては、無駄に筋肉があるよなぁ~。


藤子・F・不二雄先生の「ドラえもん」からして、しずかちゃんのお風呂シーンという読者サービスがあったように、少年漫画ではヒロインの着替えやお風呂、シャワーのシーンはお約束。

で、この漫画においては、ガチムチ男性の脱衣や入浴が丁寧に描かれている。
女性の入浴がワンカットなのに・・・・・・。


少女漫画における男性の描き方って、男性視点からすると、「こいつ、チ○コついているのか!?」と思うこともあります。

が、まぁ、それが、女性が男性に抱く理想像なわけでして。


もちろん、女性からすると、少年漫画における「女性像」というのは、無駄巨乳であることが往々にしてあり、「あぁ、ハイハイ・・・・」なんでしょうが・・・・。
(ゲームですが、女性視点からすると、こういう感想になるよね。■批評家「なぜみんな女性キャラのお尻を包み隠さず描くの?性的に描写されればそれだけキャラに共感しづらくなるのに」 _ ユルクヤル、外国人から見た世界)


で、本作「弟の夫」。

ここかしこに作者の「好み」があらわれているわけでして。

「異性愛者の男性が描く男性」や「女性作家が描く男性」とも違った男性となっている点が、なんとも新鮮でした。

弟の夫 : 1 (アクションコミックス)
by カエレバ
弟の夫 : 2 (アクションコミックス)
by カエレバ