2015年6月28日日曜日

「パンチライン」が終わったね・・・・



「四月は君の嘘」を録画していた流れで、録れていたと思われる「パンチライン」。

キャッチコピーは「パンツを見たら人類滅亡!?」。

もう、それに食い付くような年でもなく。
なんとなく、HDDに眠ったままになっていましたが、暇なときに、第一話を見てました。

ある層に媚びたキャラの造形と設定だね~(←別に、それが悪いわけではない)
ロリ体型の天才、引きこもり綾波タイプ、ほのぼの天然お姉さんキャラ、いかにも「良い子」なメインヒロイン(で、さらにアイドルをやっているという設定だが、これ意味あるの? 流行りだから、のっけとけ? 今後のスピンオフやらCD販売の為?)。

しょこたん❤でんぱ組の歌うオープニング曲「PUNCH LINE!」からして、



もう、なにがなんだかな歌詞だよ。

で、ストーリーにしても、「説明が多いな~。展開も突拍子もないし」と思いながらも、ダラダラとHDDに空きをつくる為にダラダラと見ておりました。


でも、見続けているうちに、面白くなってきました。(以下ネタバレ)

ほぼ古来館というアパート限定で物語は展開してまして、演劇の舞台を見ているような感じ。

一旦は世界を救うことに失敗するけど、一回目の情報を元にして、二回目に挑むという展開も面白かったです。
(この一回目の失敗を元にして、今後の展開を予想しつつ、限定されたアパートという世界で活動するという枠組みが、あるエロゲーを思い起こさせましたが、皆様のハートには、何が残りましたか?)


まぁ、強引ではあったけどね。

主人公が古来館に住む理由ってのが、姉が海外留学って。そんな偶然で、いいんかい。(なにかの伏線かと思ったら、別に、なにもなし。それとも今後ゲーム発売されるということだから、そっちで明かされるのか?)

グリーゼの嘘に気がつくのは、たまたまやっていたテレビだったな~。

幽霊になっていた時は、都合よくクリスマスが飛んじゃうし。

チラ之助って、結局、なんだったの?

主人公にしても、ヒロインにしても、子供の頃に濃密な時間を共有しているのに、成長して出会ったら、まったく気が付かないなんて。(FF8か!)


自分が理解できていない箇所もあるだろうけど、それでも、やっぱりツッコミどころも多いだろうなぁ。

が、まぁ、そういうのを気にしない(または笑い飛ばす)で見るのが正解だと思います。
ある程度、強引に乗り切ってしまうところが、アニメのいいところ、ということで。


最終的には、各々の能力を活かして世界を救いつつ、自らのトラウマから解放されるというラストのバトルも、有りがちだけど、綺麗につながっていました。

独特の色使いも綺麗で、音楽は小室哲哉氏、多少お約束ながらも、謎解き、友情&勝利のバトル、恋愛、ギャグと、もりだくさん。

ただ、「お色気」なぁ・・・・。

まぁ、あった方がいいのは分かるけど、ここまでマニアに媚びたようなお色気になってしまうと、せっかく面白く出来ていても、一般人やら女性層を逃してしまっているような気がするのは、僕だけなのかな~?


「パンチライン」オリジナルサウンドトラック
by カエレバ

2015年6月25日木曜日

デミアン・チャゼル監督「セッション」 -ハートマン軍曹以来の、鬼軍曹-



「セッション」見てきました。
面白かったです。

見終わってから、
「そう言えば、菊地成孔さんと町山智浩さんで、バトルになってたな。よく知らんけど」
と、ちょっと検索をかけると、ご丁寧にまとめられている。

【詳細まとめ】映画「セッション」論争『菊地成孔vs町山智浩』 #tama954 #denpa954
多いな・・・・、おい。

全部読むのは大変だ、ということで、とりあえず、■<ビュロ菊だより>No.60『「セッション!」~<パンチドランク・ラヴ(レス)>に打ちのめされる、「危険ドラッグ」を貪る人々~』を読む。(これ自体が長文ですが)

なるほど。
まぁ、よくある話でして、「プロから見たら、こんなにも間違っている」というヤツ。

それが、「スウィングガールズ」のように、ほのぼの映画なら、「まぁ、いろいろ言いたいことはあるけど、一々文句を言うのも大人気ないし、スウィングガールズを見てたら、ジャズの演奏してみたくなった♪ なんて子も出てくるだろうから、こんなもんじゃない~」と軽く受け流せるのでしょう。

が、この作品、ハートマン軍曹級の理不尽な大学教授が、有無を言わせず、受け持ちの学生を痛めつけるというお話。
これを見て、「ジャズをやりたくなった」なんて子は出ないだろうなぁ。(まぁ、音楽オンチで素養がない僕にしてみると、「ジャズって、かっこいい音楽だな」とは思ったけど)


世間では知られてない素材(ジャズ)を利用することで、メチャクチャな設定をつくり、そういうものが許されている世界なのだという宣伝になってしまっていることが、その道に生きるプロとしては許せないんだろうな・・・・・。


まぁ確かに、「やり過ぎだな」とは門外漢の僕でも思いましたね。
だって、ここまで威圧的な絶対君主だと、各々メンバーの実力が発揮できるとは思えんしね。
そういうスパルタで伸びる学生もいるのだろうけど、・・・・まぁ、ここまでヒドイと、ほとんどつぶれちゃうだろうな。

ただ、J・K・シモンズさんの演技が圧倒的でね。
時に、ちょっとだけ甘い言葉をかけてやることもあり、「圧倒的な鞭」と「ほんのちょっぴりの飴」のさじ加減が絶妙。
だから、映画はやり過ぎではあるのだろうけど、「現実世界のスパルタ指導者って、こういう感じだよな・・・・」と思えるほどに、説得力のある演技でした。(人を支配するのは、無意味に怒ることが効率的って誰か言っていたな)

でも、まぁ、やなヤツなんだけどね。


そして、そのシゴキを受ける主人公も、やなヤツなんだよ。

友達いないし、せっかく出来た美人な彼女もジャズの邪魔だと言って切り捨てるし、そして切り捨てておきながら、ジャズに挫折したら仲直りしようとするし。

そして、ネタバレになるけど、最大のヤナやつな行為は、ラストだよね。


大学をクビになった教授から、仲直りを提案される主人公。
まんまと、その口車に乗って、彼が指揮するバンドに参加する。

が、これは教授の罠で、スカウトの前で恥をかかせることで、彼をジャズ界から抹殺しようとする。
その企みは成功し、楽譜を渡されていない主人公は、演奏に参加することができずに、おめおめと壇上から退席。

すると、袖で待っていたのは、父親。
またしても、教授に傷めつけられた息子を、優しく抱擁する。

が、結局、主人公は、父親を残して、舞台に戻っていくんだよね。
そして、教授の指示を無視して、勝手に演奏を始める。

・・・・・・・この「教授の罠 → 一度は退席 → でも復帰して演奏」、このどんでん返しが、綺麗でね。
うまくできてるよね~。


でも、冷静になって考えると、「一応物書きをやっているけど、そっちはパッとしない教師の父親」を捨てて、また教授に戻っていくという流れって、父の人生の否定を暗示しているんだよね。

シゴキの最中に、教授は、容赦なく「一流になれない人間」として主人公の父親を罵倒しているけど、結局、主人公も、その意見を認める形になっている。

うーん、ひどい。


このジャズ(らしきもの)を巡って、ダメ人間(才能はあるのだろうが)どもが争うというところが、・・・・・菊地成孔さん的には、いっそう許し難い冒涜行為と思えたんだろうなぁ。


でも、物語って、リアルだと思わせる必要があるのであって、リアルである必要はないんだよね。
プロからすると、「ねぇーよ」なんだろうけど、門外漢としては、十分楽しめる映画でした。


WHIPLASH
by カエレバ

2015年6月21日日曜日

是枝裕和監督「海街diary」の感想



映画「海街ダイアリー」を見てきました。

原作は吉田秋生さん、監督は是枝裕和さん。

どの作品を見ても、ハズレがないお二人なので、つまらない作品が出来上がるわけはない。

とは思いつつも、映画と同時に発表された出演陣を見て、ちょっと違和感があったのは、正直なところ。

綾瀬はるかさんが、長女なんだ・・・・・。綾瀬さんのイメージって、ぽやぽやという感じ(おっぱいバレー)で、しっかりものの長女という印象はないけど。

長澤まさみさんの次女は、まぁ、いいか。

三女は夏帆さん。イメージとは違うな。

そして四女の広瀬すずさん。中学生の役をやらせるのは、ちょっと無理がないか?


が、実際に見てみたら、杞憂でした。

時にヒステリックだけれども、家の大黒柱として生真面目な長女を、綾瀬はるかさんが、しっかり演じてました。

夏帆さんにしても、外見は似てないにしても、原作通り、コメディーリリーフ的な立ち位置を確保。

四女も、「大人過ぎない? もしかして、原作の中学生という設定から、高校生に変えるの?」と思っていましたが、ちゃんと中学生でした。

さすが是枝監督。
綾瀬はるかさん、長澤まさみさんの共演という話題作りで終わってはいませんでした。


二時間の映画で、美人さんたちが、ず~っと出ずっぱり。
長澤まさみさんは冒頭からサービスシーン。
物語の展開も早くて、絵も綺麗で、見ていて退屈を感じることはなく。

「海街ダイアリー」を映像化するなら、是枝監督が最適だろうなぁとは思っていましたが、まさしく、期待通り。

「厳しい現実と、鎌倉の優しい人たち」が描かれている漫画ですが、その雰囲気が、映画においてもしっかりと出ていました。


が、僕は原作を読んでいるので、ある程度、「こういうことなんだな、今」というのが分かるのですが、未見の人は、どうなんだろうなぁと思わないでも。


徐々にネタバレなのですが、綾瀬はるかさんを筆頭に三姉妹がいて、父親は外に女をつくって家を出て行ってしまった。で、お母さんも、同じく外に男ができて、今は北海道。三姉妹は、おばあちゃんに育てられたという設定。

で、四女は、お父さんが新しい奥様とつくった子。
でも、新しいお母さんは病死。
お父さんは再婚するものの、また病死。

四女は血のつながらない母親のもとに残されることに。

両親に捨てられた三姉妹からすると、両親と死別した四女のの境遇には、十分すぎるくらいに同情できる。

だから、腹違いの妹を放ってはおけず、引き取ることに。

しかし、漫画で読んでいるときも、ちょっと無理がある家庭環境な気がするなーと思っていたけど、・・・・・二時間しかない映画だと、さらに、「妙に複雑だなー。リアリティがあるとも、言い難いし」という違和感を持つ人もいるんじゃないかな?


で、ストーリーは基本、原作通り。

なんだけど、次女が男と別れるシーンは、アレだと、「えっ、なにが起きたの?」と、原作未読の観客は思ったんじゃないかな?

ここらへん、もうちょっとスッパリ切り落としても問題はなかったような気がするけど、まぁーねー、原作通りじゃないと、怒る人もいるからな~。

その割には、会社の上司と次女の関係には、あんまり踏み込まなかったね。
けっこう、いっぱいいっぱいエピソードを詰め込んだから、こっちは敢えて省いたか・・・・。


そういうところを突っ込んだらキリがないんですけどね。


映画の中で、何度も登場する「梅酒」。
この家の「継承」を象徴する存在。(だから、四女が、自分の心の内を打ち明ける際には、この「梅酒」が重要な役割を負ってます)

昔もつくっていたし、今もつくっている。おばあさんがつくり、三姉妹でつくり、今は四姉妹でつくっている。

長女は、自分たちを捨てた実母が嫌いだけど、そのわだかまりを捨てて(押し殺して)、おばあさんのつくってくれた梅酒を渡す。

いろいろ思うところはあり、納得はしていないのだろうけど、自分も大人になって(不倫もして)、許せないにしても、自らの母親であることは認めるシーン。

普通ならば祖母から母へ、母から娘に継承されるべきところを、祖母から一足飛びに孫に、そこから繰り上がって母にいくところが、この物語らしいです。


また何気なく食べた「しらす丼」から、四女が父のルーツを感じたり。

他にも、父が釣り好きだったことを知った、同じく釣りをする三女が嬉しそうな表情をしたり、まぁ、そこかしこに、この「継承」というものを匂わせています。


この映画は、冒頭が葬式で、最後も葬式で締められます。

「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」でして、四姉妹の親しくしていたおばちゃんが死に、大事にしていた彼女の食堂は勘当されていた(ロクデナシの)弟に取られてしまう。

でも、その食堂の名物料理は、他の人間に継承されていく。

そんな事実を知り、「四女は、父が私達に残してくれた宝物だったんだ」ということに気がついて、・・・・というよりは、そう考えることで、父を許すことが出来て、ハッピーエンド。


原作には、もっと多くのエピソードがあります。
そんな中で、「家族や親しい人の死と、今を一緒に生きている人間」という軸で、エピソードを取捨選択し、まとめたんでしょうね。

綺麗に出来上がった! とは思いつつ、くどいですが、原作未読の観客は、大丈夫だったのかな? と、ちょっとだけ心配。


海街diary コミック 1-6巻セット (フラワーコミックス)
by カエレバ

2015年6月16日火曜日

作・岡田壱花、画・富田安紀子「日之丸街宣女子 vol.1」の感想


「在特会」側のマンガが出ているのね。
そうか、そうね。

まぁ、いつかは来る道。


正直、買うのは迷いがありました。

買ってしまうと、「貢献」になってしまうからね・・・・。
が、借りようにも、周りに、そんな知り合いもいるはずもなく。


で、電子書籍で買おうと思いましたが、それは、ない。

仕方なくネットで注文。

優秀なもので、次の日には、到着。
早速、読みました。


・・・・・・・正直、読み通すのは、けっこう辛かった。


よく言えば「宣伝漫画」の優等生。

悪く言うと、「プロパガンダ漫画」のテンプレート。


作者の主張を述べる人間は善人面であり、善人。
作者の主張に反する人間は悪人面であり、悪人。


この通り、橋下徹さんと罵り合いをした桜井在特会元会長も、すっかり好人物に描かれています。(作中では、彼をモデルにした人物は、ちょっと天然だけど、頼りがいのあるリーダーとして描かれています)

まぁ、基本としては、「ゴーマニズム宣言」と同じ。(最近は読んでいないので、今は違うかもしれないけど)


ストーリーとしては、「普通の日本人」である女子中学生が、ひょんなことから(在特会をモデルにしている)ある団体のデモに参加。

そこで知る、実際のデモと、マスコミ報道や大人たちの言動との乖離。

そこから、徐々に、いろいろなことに疑問を抱き、(作者の思っている)真実に近づいていく。


で、徹底的に悪く描かれているのが、「レイシストをしばき隊」・・・・・をモデルにしている団体。(在特会を正義に描いている漫画にもかかわらず、韓国人や在日を悪人に描くのではなく、反在特会が悪役になっているというのは、なんだか不思議ですが)


正直、「レイシストをしばき隊」という名前を聞いたとき、「これ、大丈夫かいな?」と思ったけど、以降の、在特会と隊との泥仕合(と僕は思っています)を見るに、「あぁ・・・・・・、やっぱり」というのが正直なところ。


在特会が、バブル崩壊以後の日本経済の凋落、そして、国際社会における相対的な位置の低下、代わって韓国や中国の躍進を背景に、現在のしょーもない日本は、彼らに原因があるのだという思考の跳躍によって生み出された、と個人的に考えています。
(もちろん、インターネットの普及による容易な情報の共有化、そして情報が開かれているという幻想を抱いた結果としての、自ら望んだ情報しかアクセスしない&信じないというタコツボ化もあるのでしょうが)

が、在特会が、「在日」や「被差別」などに対する疑問点を指摘することで、まるで日本社会全体の問題は彼らに凝縮されているというロジックを持ち得たのと同じで、「レイシストをしばき隊」にしても、在特会は弱者を恫喝する団体であるから、それを排除する為には、あらゆる手段は許されているというロジックを持っていると疑わざる得ないわけでして、それは、僕としては、両者とも、
「うーん・・・・・・」
という、言葉しか出てこない。


ネットの普及による、情報の共有が容易になった結果として、韓国社会における日本へのアレな反応を、目にする機会が多くなったのは事実。

で、あっち(韓国)がクソを投げてくるのだから、こっち(日本)もクソを投げてやろう! という応酬の結果としての、この行き詰まり。

排外主義団体と、(一部の)カウンター運動にしても、まぁ、そんな感じよね。


さて、本作品を読んでいて思い出したことがありまして、それは、2013年に、コリアタウン(鶴橋)にて過激な発言をして、物議を醸した女子中学のこと。

もしかしたら、この漫画は、そこから着想を得ているのかな? と思いました。

中学生がある特定の民族に対して「虐殺」なんて言葉を使ったことも驚きですが、同じ子が「きゃりーぱみゅぱみゅを踊ってみた」という動画をyoutubeにアップしたことにも、ある意味、衝撃でした。


ただし、「踊ってみた」なら、大人になって、

同僚「きゃりーぱみゅぱみゅ、踊ってたよね? 見たよ~」
本人「やめて下さいよ、もう。中学生のころのことですよ。消してしまいたいんですけど、パスワードも忘れちゃって、消せないんですよ」

などと微笑ましい場面が生まれるでしょうが、ヘイトスピーチとあっては、

同僚「鶴橋で、虐殺するぞって叫んでたよね?」
本人「やめて下さいよ、もう。中学生のころのことですよ。消してしまいたいんですけど、パスワードも忘れちゃって、消せないんですよ」

では、済まないだろうな・・・・。

名前も顔も、ばれているから、将来アレよね。

お父さんが、その世界では有名な活動家ということなので(在特会ではないようです)、もう、その名跡を引き継ぐか、親子の縁を断つ覚悟で、過去を否定する転向表明をするしかないでしょうから、まぁ、いずれにしろ大変ね。(ということなので、動画は、まだyoutubeに残っているようですが、リンクは敢えて貼らないでおきます)


で、本作「日之丸街宣女子」ですが(以下、ネタバレ)、現実において活動している(していた?)女子中学生との違いは、親は一般的な職業に就いているということ。

両親は、ゴリゴリな政治的主張を持っている人間ではない。

そんな「普通の」主人公ですが、幼馴染の活動家に巻き込まれることで、街宣活動、及び、彼らの思想に興味を持っていく。


で、まぁ、そんなことをしているのが学校にバレてしまい、さらに、カウンター活動を行っている暴力集団(つまりは、レイシストをシバキ隊のことね)にも身元が割れてしまう。

主人公の通っている学校は、その暴力集団にマークされ、しかも、校長室に呼び出される主人公。

窮地に陥るわけですが、在特会(をモデルにした)団体や、そこに所属する人間の主張の正しさが認められて、最終的には、教師、両親、級友から理解されて、ハッピーエンド♪


うーーーーーーーーん。


在特会の過激なシュプレヒコールは、あくまでも恣意的な編集をされた結果に過ぎない。前後の文脈をちゃんと捉えて欲しい。そうすれば、過激なシュプレヒコールの理由が分かるはずである、としている。(これは、マンガにおいて、そう描かれているけど、現実でも同じ論法を使ってますね)


世の中、まぁ、いろんな主張がございます。

でも、それを主張する為に、「死ね」「ブチ殺せ」「抹殺」(←こういった過激な言葉を使うのは、マンガにおいて、カウンター団体であると描かれていますが・・・・・)、「くせぇぞ 朝鮮人ッ」(←これは、実際にマンガの中で使われていた)なんて言葉を使うのは穏当ではないわけでして。

現実社会においても、彼らの正義を主張する為の抗議活動において、何人か逮捕者を出している。
民事裁判で負けて、けっこうな額の賠償金を払うように命令もされてもいる。

そんな世間一般(この場合の世間には、「政府」「司法」「警察・公安」も含まれます)では認められない活動をしている団体へ、身を投じようとしている中学生に対して、現実社会であれば、教師、親、級友らが、理解を示すわけもなく。

むしろ、ネットでさらされるリスクを考えたら(どうやら、公安にもマークされるようだし)、「やめたほうが、いいよ」とアドバイスする方が、親切でしょうねー。

が、まぁ、この漫画においては、それら社会一般では認められないような行動をしてきた(している?)ことについては語っていない。

また、「くせぇぞ 朝鮮人ッ」というマンガ内での発言にしても、前後の文脈からすれば、大したことではないとされてしまう・・・・・。

だから、まぁ、ハッピーエンドが用意されているわけですね。


物語として考えるならば、そんな簡単に周囲が理解を示してくれるのではなく、級友からのいじめとか、両親との衝突、教師からの有無を言わせない圧力とかを、もっと丁寧に描く方が盛り上がるのだろうけど・・・・・・。


「プロパガンダ漫画」と書いたけど、この本を読んで、「オレ(私)が間違っていた。彼らの行為は正しい!」と転向する人は、・・・・・・そんなに、いないんじゃないかな?(期待とは裏腹に。「ゴーマニズム宣言」は、その点、影響力があったな)

この漫画において、周囲の人間たちが、けっこうあっさりと理解をしてくれているのは、結局、作者や(想定されている)読者の願望が投影されているからなんだろうなぁ。

つまりは、外に向かっているというよりは、あくまでも、内向きな漫画。
自己充足というか、自己憐憫というか。


アマゾンのレビューは350を超えており、さらに、ほとんどが「5つ星」。

現在、もっとも売れている漫画と言っても過言ではない「ワンピース」を見ても、レビューが100を超えている単行本は、そうそうないわけでして。

この物語が、ある種の人たちには、慰めを与え、鼓舞してくれる証左なんだろうけど、レビューを見ても、やっぱり内向きと感じてしまう。

「私達は正しい、誤解されている」という被害者意識だけで、なんで世間一般から非難されているかということに対しては、マスコミが悪い、政治家が悪い、教育が悪い、外国が悪い、という論でもって、すっかり完結してしまっている(内向きに閉じてしまっている)。


この漫画には、主人公の女の子をオルグする幼馴染がいるんだけど、彼は、「陰謀論大好き」っていう設定なんだよね。

これはリアリティを追求した結果なのか、それとも、モデルが存在しており、その反映なのか?

もちろん、作者としては、「我々の主張する在日の問題だけは、陰謀論ではない!」と言いたいのだろうけど、僕個人としては、「なんだ、この自虐?」と思ってしまったよ。

冒頭で、彼ったら、
すでに
日本のマスゴミは
中韓に支配されていて
奴らにとって都合のいい
情報しか
報道されない!!
なんて叫んでいるしね・・・・・・。


日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)
by カエレバ

2015年6月15日月曜日

山本直樹×浅野いにお「対談 マンガって、めんどくさい」


どうやら、電子書籍にて限定的に売っている山本直樹さんと浅野いにおさんの対談。

amazon(キンドル)でも売ってないようです。

どっかの雑誌に掲載されたものを、こうして売っているのかな?

「紙にするほど厚いわけではないけど、無料で配信するのも、なんだかなー」というものには、電書で配信は、ちょうど良いのかねー。

浅野いにお「うみべの女の子」
浅野いにお「ソラニン」

浅野いにおさんは、今年になって初めて読んだのですが、すっかりファンになってしまいました。


で、山本直樹さんは、・・・・・・・・森山塔さんの作品は、けっこう読んだな。(良い子は読んではいけないタイプのマンガです)

山本直樹さん名義では、初期の「はっぱ64」「極めてかもしだ」は読んでいるか。

この二作は、1980年代的なけっこうベタな作品。



それから、スピリッツに連載していた「僕らはみんな生きている」。

原作者がいるんだけど、すっかり山本直樹さんの色が出ていて、面白かった。

個人的には、映画よりも面白かったと思うけど。

ただ絶版なようで、残念です。(それこそ、電書で出して欲しいけど、権利関係が複雑なのかな?)


そして「ありがとう」。
暴力とエロと家族愛という、カオスな作品でしたが、これも面白かったです。


そんな二人の対談ということで、読んでみました。

対談形式なので読み易いし、そんなに分量はないので、直ぐに読み終わります。


「今、ラジオがアツい!」とか、「PCでの作画のお話」、「尻派か、胸派か」「音楽について」、・・・・・型にはまらず自由に語り合っております。(逆に言うと、一本筋が通っているわけではなく、散漫)


一番おもしろかったのは、両者のデビューの経緯かな?

二人とも、余人では書けないような物語を構築するタイプ。
両者ともに、アシスタント経験がなく(正確には少ない)、デビューしている。

まぁ、ある意味、天才だよね。

で、浅野いにおさんは17才でデビューだから、スゲーな。
でも、当初はギャグ漫画から出発だと言うから、その後、どう転ぶのか、分からんもんだ。


山本直樹さんは、エロ漫画出身。

エロ漫画からメジャー漫画誌で活躍する作家さんも多いですが、多かれ少なかれ、「絵」(「萌え」とか、「裸」)が売りだったりします。

しかし、山本直樹さんの場合は、「絵」だけではなく、殺伐とした、過激で、インモラルな世界観をも、ちゃんと「エロ漫画」から引き継いでおります。


「すげぇ~深いことを語り合っている」というわけではないですが、サクッと読める対談でした。

2015年6月6日土曜日

浅野いにお「うみべの女の子」


「ソラニン」も面白かったし、そう言えば、文化系トークラジオライフの鈴木さんも褒めていたような気がするなぁー。
という程度で、手にした浅野いにおさんの「うみべの女の子」。
(「ソラニン」の感想 ■浅野いにお「ソラニン」)


「ソラニン」と同じで、開始数ページで、すっかり引き込まれてしまう。

でも、この物語を解体するのは、ひどく難しい。

数回読み返したけど、未だ、「自分なりに理解した」と思えない。

相変わらず綺麗&濃密な絵で、ひっかかりなく、スラスラと読むことができるんだけど、終わってみると、「これは、どうすればいいんだろう?」と悩む。


主人公は二人。

中学生の女の子、小梅。
同じく中学生の男の子、磯辺。

この二人が惹かれ合い、肉体を求め合い、傷つけ合う物語。


で、ネタバレですが。(今回は、特に営業妨害並みに詳述しております)

あまり頭は良くないし、運動ができるわけでもなく、とりたてて取り柄もない小梅。
だが、まぁ、顔は、それなりに悪くない。(すごい美人というわけではない、でも、まぁ美人という設定だと思う)

彼女は、イケメンの先輩である三崎に告白するが、いきなりフェラチオを強いられる。

そのショックで、磯辺とセックスをすることに・・・・・・。


まぁ強引と言えば、強引な始まりだけどね。(現実にあるのか、そんなこと。フェラチを強制されるというのは、あるかもしれないけど。その後に腹いせのように、セックスをするなんて)

ただ、小梅自身は、自分に対して、自信がないタイプなのかな?
または、自己というものを確立していない。

だから、流されるままに、フェラチオをしたけど、自分の肉体を求められたのならまだしも、単に都合の良い性処理の道具にしか見られなかったのが、彼女なりにショックだったということらしい。

で、自分は求められていると思いたいばかりに、かつて、告白してくれた磯辺に命令するようにして、セックスをする。(両者ともに、初体験)

磯辺というのは転校生で、地元に根付いていない。友達も少ない。
誰かに言いふらす可能性は少なく、小梅にとっては、好都合な存在。

そうして、体の関係はあるけど、精神的な交わりを拒否するという、便利な関係を維持していく。
が、まぁ、何度も体を重ねれば、情も移るというもので、徐々に、恋人同士のような雰囲気も生まれる。


ただ、磯辺には、兄貴が自殺してしまったというトラウマがあるんだけれども、小梅には、決して明かそうとしない。

体は開放しておきながら、心の最後の一線を越えられないという状況は、二人の関係を徐々に引き離していくことになる。


「漂着神」とか「まれびと」とか、異界から来るモノをありがたがる、という考えがあります。

漂着神
まれびと

まったく詳しくないので、解説はできないのですが・・・・・。

小梅にとって、磯辺は、異界(都会)から来た人。(磯辺という名前が象徴するように、異界から届いた漂着物なわけだ)
前述のように、地元に根づいていないから、便利なんだよね。


で、不幸なのは、磯辺にとっては、小梅は別に特別な存在ではない。

彼にとっての「まれびと」的な存在は、浜辺で拾ったSDカード内の画像ファイルに写っていた女の子。
彼は、彼女を「うみべの女の子」と名付ける。

美人でグラマーで、幸せそう。

・・・・・磯辺ったら厨二病患っているわりには、存外、スノッブなものが好きだな? と思ったのは、僕だけ?

まぁ、いくら悲劇のヒーローだと自惚れる年頃であっても、一皮はいでしまうと、そんなもんなんでしょうけど。

強いて言えば、成熟した女性(と言っても、「うみべの女の子」は、所詮、高校生なんだけど)への憧れなんだろうなぁ。(自分が未成熟なことの裏返し)


で、「うみべの女の子」が、磯辺にとって「陽」の特別な存在だとすると、その対局「陰」に位置するのは、自殺した兄貴。

海で死んだということもあって、度々、海に浸かっているシーンが挿入される。
そのことからも、彼が「うみべの女の子」の影であることが示唆されている。


受験に対する違和感から、小梅は、世界から隔絶、または外界を拒否して生きるような磯辺に、ゆっくりと魅了されていく。(あくまでも「違和感」というところがミソでして。彼女の場合、苛立ちにはならないんだよね)

で、磯辺の大事にしている「うみべの女の子」の写真を、嫉妬で、パソコン上から消去してしまう。

もちろん、怒る磯辺。
俺のパソコン
他になんか
いじったりした?

書きかけの
ブログなんかも
見ちゃったりした?
で、まぁ「うみべの女の子」と、死んだ兄貴は、陰と陽で、彼にとってセットなんだよね。

死んだ兄が残していったブログを、磯辺は継続して管理をしており、そこにも小梅が介入したのではないかと訝るわけだ。

そうやって、磯辺は自分を理解しようとしない小梅に怒りを抱き(そもそも、彼が開示しようとしないのだから、仕方ないのだが)、二人は離れていく。


さて、鹿島。
今流行(?)の言葉でいうところのマイルドヤンキー・・・・・というよりは、ヤンキーか?

磯辺の同級生で、小梅の幼馴染。
そして、彼女を想っているのだが、まったく相手にしてもらえない。

小梅は気づいてもいない?
いずれにしろ、土着の象徴である鹿島(茨城が舞台のようだけど、鹿島という名前からして、茨城だよな~)を、小梅が好きになるわけもなく。

そして、鹿島にとっては磯辺は、部外者。
小梅にとっては珍重すべき存在ではあるけれども、同質性を尊ぶ(ヤンキーは地元が大好き! 地元が一番♪)鹿島のような人間とっては、目障り。
しかも、恋のライバルとあっては、許せるはずもなく、磯辺に暴力を振るう。

が、暴行現場は、途中で取り押さえられる。

教師たちは、どういう事情があったのか問い質そうとするのだが、磯辺は、むしろ鹿島を庇う。
というよりは、憐憫と嘲笑でもって、彼の暴力に報いる。
野球と仲間を
失ったら何も
残らない君が
そんな事する
訳ないよねぇ?
兄を殺したのも、この異質なものを排除しようとする田舎的圧力だと悟った磯辺は、この事件を経て、復讐を決意する。


で、磯辺に邪険にされた小梅は、再びフェラを強要してきた先輩と会うことに。

まぁ、ここらへんが、
掘り下げても
全く面白味のない
どこにでもいる
つまんない女だよ?
と、磯辺に評される所以でして。

そして、やっぱり性処理の道具として扱われて、また傷ついて帰ってくるという、頭の悪さ。
さらに頭の悪いのは、結局、一旦は離れた磯辺に戻ってしまう。

まぁ惚れてしまった弱みなんでしょうか・・・・。

磯辺の親は仕事で家にいない。小梅の親も親戚の家に行っている。ということで、普通のセックスだけはなく、フェラチオ、69、アナルセックス、前立腺マッサージ、ついにはスカトロまで堪能する二人。

「なんだよ、中学の先輩に、性処理の道具にされたことを苦にしている割には、いやにノリノリじゃねーか」と思うんだけど、多くの行為は、磯辺の希望であり、小梅から望んだことじゃないんだよね。

だから、彼女は、
してもしても
何か足りない
気がするのは
なんで
だと思う?
と言う。

絵を見れば分かるけど、彼女は、磯辺からキスして欲しかった。
「愛している」という言葉は無理でも、せめて行為で示して欲しかった。が、それに対して、磯辺の言葉は、
興味ないね
「なに言ってんの?」や「意味分かんない」、無言ではなく、「興味ないね」。

彼女が何を求めているのか分かりつつ、彼は、そんなものを要らないと言い切っている。


「アナと雪の女王」にて、アナが悪い王子様にキスをされそうで、されないで終わるシーンがあります。
これは、もともと、キスをする予定だったのを、「本当に悪いヤツなら、キスをしない方が、悪役らしい」という女性スタッフの意見を尊重して、そうなったそうです。

悪いやっちゃな、磯辺。

または、幼いよね。
ある意味、純粋。

自分は女の体を求めているだけで心は望んでいない、という陳腐なプライド。

彼女が望んでいるものを自分は提供できないと知っているからこその、拒絶。

嘘でも「愛している」とは言えないし、素振りすら見せることができない。

そう考えると、磯辺なりに小梅のことを大事に思っているということになるけど・・・・さて。


そして、さんざん性を貪りつくした翌朝、小梅は家に帰る。
彼女が消えた部屋の中で、
・・・どうせ
ひきとめたって
お前は
どうせ
いつか家に
帰るんだろ

・・・無駄に
期待させる
なよ

・・・鬱陶しい
と、磯辺はつぶやく。


最終的に彼らが理解し合えない決定的な原因は、小梅は友達にも恵まれているし、家庭にも、大きな問題はない。
それに比べて、磯辺には友人はいないし、家庭環境はよろしくない。(兄貴は自殺しているし)

そして、その環境の劣悪さを、小梅に嘆くことができない磯辺の中学生らしい潔癖さ。
その絶望が、自らに歩み寄ってこようとする小梅に対して、
・・・お前は
何も
知らなくて
いいんだよ
となる。

愛なのかね~
どうなんだろう~


でも、まぁ、その後、三崎への襲撃を決意する。

小梅を傷つけた男であり、見た目からしてヤンキー。
地元・・・・・小さな小さな世界で覇を唱える井の中の蛙、サル山のボス。

でも、それは、兄を殺した世界ともつながっている。
テメーの理屈を
押しつけてくる
バカが多過ぎる

バカの一番
悲しい所は
そのバカさを
説明しても理解
できない所だ

誰のこと
言っているか
わかるか?

お前だお前だ
お前だこの
勃起野郎

俺は
俺の理屈で
お前の内蔵を
ひきずり出して
屈辱的な死に様を
世界中に晒して
やる
かつて、鹿島に暴力を振るわれた際の宣言を、磯辺は、ここで実行し、一応、成功する。(三崎らが持っていた大麻が、警察にばれるという形で)


完全とは言えないながらも、一応は兄貴の復讐を果たす。

その後の磯辺に待っているのは、報酬なのか、兄貴の呪いからの解放なのか、「陽」として存在している、「うみべの女の子」との出会い。


で、「もともと、海辺で拾ったSDカードの写真の女に惚れるなんて、えらくスノッブだな~」とは思っていたけど、結局、素の磯辺って(磯辺に限らず厨二病を患っている多くの男子諸君)、そんなもんなんだろうね~

小梅が混乱するくらいに、磯辺は、普通の前向きな好青年に変身してしまう。

「自殺するって、なに? おれ、真面目に勉強して、「うみべの女の子」と同じ高校に行って、がんばって、彼氏にしてもらえるように努力するよ♪」
てなことを言い出す始末。


まぁ、小梅にしてみると、東京から恐山まで歩いて行って、イタコによんでもらった太宰治に、「生まれてきてラッキー」と言われてしまうような心情でしょうか?(この喩えは、強引だと我ながら思う)

しかも、最後にキスをしてと小梅は願うが、それまで、はねつけられてしまう。


でも、これは、小梅の暗にキスを求められて、「興味ないね」と発言していた磯辺とは、また違う。

幸せな家庭の子である小梅を自らの世界に引きずりこむことに躊躇いがあった昔とは違い、今度は、勝手な期待を押し付ける彼女の存在が重荷になっている。

しかも、小梅が求めているのは、過去の自分であり、今の自分ではない。

で、磯辺は小梅を振り切り、新しい自分の人生を生きられるかと思ったが、結局、兄貴の呪いからは逃げられず、警察に連行されていく。
自分の腹黒さに
無自覚で平然と
生きてられる奴が
世の中多過ぎるから

俺等は
生きているだけで
息が苦しいって
ことを

お前は
一瞬でも想像
したことある?
これは、「うみべの女の子」の写真を捨てられた際に、磯辺が小梅に言った言葉。

まぁ、これは、小梅を批判したようで、兄貴を殺した「奴」(同調圧力、空気、ヤンキー)を指しているわけで(だから、「俺」ではなく、「俺等」となっている)。

だから、
磯辺は
好きな人は
いないの?
と小梅から聞かれて、
優しい人
と磯辺が答えることにもつながる。

でも、結局、小梅を排除する&傷つけることで関係を解消しようとした結果、磯辺自身が「奴」になってしまう。
で、兄貴は成仏できずに、戻ってくるわけだ。


兄貴が自殺と知っているのは、遺書を見つけて、処理をした弟の磯辺だけ。
磯辺は、
両親を無駄に悲しませたくなかったんです
と言っているけど、どうなんだろうねー。

兄貴は、敢えて、弟の誕生日に死んでいる。
磯辺自身も、
もしかしたら兄は僕に無言のSOSを送っていたのかもしれないし、それに気付かない僕に苛立ちを感じていたのかもしれません。
と書いている。

磯辺こそが、本当は、兄貴の自殺の原因だったのかな?
うーむ。
それは、ちょっと考え過ぎか・・・・・。

でも、まぁ、最終的には、兄貴の呪いを振り解くことのできなかったラストを見るに、この磯辺の自覚というのは、示唆的ですなー。


で、警察に連行されてからの磯辺の、その後については、語られていない。

まぁ、少年鑑別所なり少年院に入らないにしても、転校はしなくてはいけないだろうなぁ。


磯辺に捨てられる形になった小梅だが。
悲しいよ
何が
悲しいって

きっと佐藤は
高校行ったら
今日のことなんか
しれっと忘れて

それなりの男を
普通に好きになって
まるで初めてみたいな
セックスをするんだ
と磯辺に言われた通りに、エピローグ的な最終話にて、高校に受かり(水戸の高校だ!)、友達もちゃんといて、早速、新しい彼氏のいる小梅が描かれている。

が、妙にマニアックなマンガや音楽を好んでいる描写もあって、彼女が、磯辺をひきずっているのか、どうのかは、よく分からない。

彼氏の容姿も、まぁ、多少は磯辺的。(ザ・サブカル男子、という感じ)


作者としては、「よく分からないで正解よ。後は読者の思いたいように思って下さい」なんだろうけど、さて、このメッセージを、どう受け取るべきなのか。

磯辺には許さなかった、であり、許してくれなかった唇を、新しい彼氏には与えているけど、キスの後に、どうも、釈然としないような顔をしている。


うーむ。


まぁ、そりゃ、一般論の話をすれば、誰だって、前の恋人を引きずって生きているものです。(あれほど愛し合ったのに、人は、直前の彼氏彼女について、あぁも、悪しざまに言うのは何故だろう!?)

だから、小梅が、磯辺のことを引きずっているのも、当然と言えば、当然。


だけども、「一般論」の範疇で引きずっていうのか、「病的」に引きずっているのか(自殺した兄貴を引きずっている磯辺のように)。
その二つには、雲泥の差があるわけでして。

どっちなんだろうなー。


そして、この物語の最終回を語る上で、触れなくてはいけないのは、小梅も、SDカードを、海辺で無くしてしまうんだよね。

もちろん、それは、磯辺が拾ったSDカードの中にいた「うみべの女の子」を想起せざる得ないわけで。

単純に考えれば、磯辺が望んでいた「うみべの女の子」は、結局、小梅だったんだよ・・・・・てことになるだろうけど。


で、冒頭とラストで語られる、この小梅の言葉。
この街には
真夏になっても
あまり賑わうことのない
小さな浜辺があって

自分はその浜辺を
何かを探しながら
歩くのが好きだった

しけた花火とか

昆布とか

風に飛ばされた
誰かの帽子とか

たいてい期待したものは
見つからないし

もしかたら初めから
何も期待なんて
してなかったのかも
しれないけど
小梅にとって、磯辺は、浜辺に流れ着いたものだった。

が、結局、磯辺には排除されて終わる。
憧れていた先輩である三崎は、
歳上のくせに
ガキっぽいし
なんかチャラくて
うざいし
てな、程度の男であった。

で、高校で新しい男を手に入れても、そんなに満足しているようには見えない。

最後の最後で、浜辺で出会った鹿島は、小梅に、こう言う。
お前はお前の
未来を信用しろ

もしそれで上手く
いかなかったなら
俺がお前の面倒
見てやるよ
それに対して、
・・・鹿島は
きっとこれから
モテると思う
と、小梅ははぐらかす。

鹿島は親友(?)の彼氏だから、当然ではあるけど。

でも、「面倒なんか要らねーよ」という自立を表明しているようにも思える。

だから、
・・・・・・あ
見つけた
と言っている。

おそらくは、見つけたものはSDカードではない。

SDカードの入っていたカメラは、今の彼氏からのプレゼントなんだよね(オヤジからもらったカメラって、どうなったの?)。

でも、もうそれは、彼氏にとっては大事かもしれないけど、小梅にとっては、どうでもいいようです。

それは、
もっともっと
お大きなっ・・・・・・!!
という言葉からの、
うみ!!
に連なっていく。

で、「うみ!!」は、海をバックに波間に立ちながら言っている。

なんとなーく、浜辺で何かを探している少女から、一人の人間(大人)としての道を歩き始めたのかな? と思わせるような絵です。

つまりは、もう磯辺の影は振り切っているのかな?


・・・・・・という感じで、まとめてみました。

が、思いつくままに、ダラダラと書いてみましたが(我ながら、ひどい乱文だと思う)、自分自身で「これだ!」と腑に落ちているわけではないです。

作中で引用されている「はっぴいえんど」の「風をあつめて」、小梅の親友と鹿島の関係、
俺はお前に
なりたかったん
だって・・・・・・
という磯辺の言葉とか、まだまだ言及しようと思えば、いくらでも言及できます。


そんな、1ページ1ページ、注釈を入れたくなるようなマンガでした。


おまけの感想。

石原先生の「青少年健全育成条例」を挑発するようなエロエロな内容。

こんなに面白いマンガだけど、映像化はムリだろうな・・・・・。

うみべの女の子 1 (F×COMICS)
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