2016年4月29日金曜日

映画「アイアムアヒーロー」の感想


とりあえず、面白かった


漫画の実写化というのは、当然のことながら、「現代日本が舞台」で、「普通の人」が登場人物なら容易。

「特撮」とか「CG」とか、必要ないしね。


さて、「アイアムアヒーロー」。

原作の時代設定としては、現代日本。

そこににゾンビ(作品では、ZQN)が、大量に発生してしまうという設定。


ぐーむ。


そもそも、ゾンビって、アメリカが本場。

それを日本でやるとなると、漫画の実写化とはまた違った困難が予想されるわけでして。


なんつぅーか、ハリウッドで時代劇つくるようなものでしょ?

「ラスト・サムライ」だって、日本人からして見ると、「まぁ、目をつぶっておこう」という側面は否定できないわけでして、「SAYURI」とか、「47ronin」とか、アレだったぞ!?

漫画なら、作者個人のイマジネーションを奔放に駆使することで、壮大だったり、込み入ったり、特殊な世界を描くことも可能。

が、邦画、しかも、実写の映像化となると、予算も限られるし、さて、どうなんだ? と思ってましたが、結果としては杞憂でした。


人気・実力を兼ね備えた大泉洋さんは、ビジュアルからして、主人公の鈴木英雄にピッタリ。

ヌケヌケと女子高生の比呂美役を演じる有村架純さんは、けっこう似合ってました。

「真田丸」での演技が大不評の長澤まさみさんですが、サバサバした藪の感じが、よく出ている。(*「真田丸」は、そういう脚本だから、長澤まさみさんには罪はないのだが・・・・・)

・・・・・まぁ原作の絵からすると、二人は美人過ぎだが、普通顔の女芸人あたりを起用するのも、「なんだかなー」なんで、これは仕方なし。


ストーリーはテンポよく、メリハリが効いてました。


ネタバレ


詰め込み過ぎで失敗してしまう漫画原作の映画が多い中で、この作品は、「しょーもない主人公の英雄が、一人の男として、女性を守る為に立ち上がるまで」に絞っています。

原作では、ZQNが発生した理由について、なんか哲学的な含意があるような、ないような展開ですが、そこはバッサリカット。

また、英雄・比呂美・藪の、三角関係は描かれず、映画内では擬似親子に近いかな?


シンプルにしたのは成功の秘訣だと思うが・・・・・・、比呂美が完全なZQN化しなかったことについては、まったく説明がないんだよね。

パンデミックによってZQNが大量発生するのは、まぁ、ゾンビもののお約束として受け入れるにしても、物語の肝である比呂美の半ZQN状態は、原作未読の人には、「?」だろうなぁ。

原作既読からすると、別段違和感がない展開なのだが。


で、映画の中で、象徴的に使われていたのが、ロレックスの時計。

言うまでもないことだけど、高価な腕時計。成功者のアイテム。
実際に、英雄と同期の成功した漫画家が腕につけている。

どうにか漫画家のアシスタントで食いつないでいる英雄からすれば、憧れの対象。

しかし、ZQNがあふれる新しい世界が到来。そこでは、高い時計なんて意味はない。

でも、英雄は、ロレックスに固執する。つまりは、古い世界から脱却できてないことが暗に示されている。

最終的には、腕に巻き付けていたロレックスを外して、大量のZQNと対峙するわけでして、まぁ、つまりは新しい人間に生まれ変わった、ということ。


で、この「大量のZQN」。

「どうやって退治するの? 半ZQNの比呂美を使って戦うの? それだと、物語の流れが、ちょっと濁るよね?」と思っていたら、銃によって全部倒してしまうという、豪腕。

「うーむ」とは思わないでもないが、まっ、いいか。


「銃」という、容易に「男根」「男性社会」「男らしさ」「暴力」を連想させるようなものを駆使して、女性を守るという構図自体は、よく言うと「黄金パターン」、悪く言うと「古臭い」。

守る対象の藪は、自らも刃物を持ってZQNと戦うので、決して、か弱い女性として描かれているわけではないのだけれども、しかし、気になる人は気になるかもね。

男性、特に、私のような、英雄に共感ができるような人からすれば、痛快な物語に仕上げってはいるのだが。


アイアムアヒーロー(20) (ビッグコミックス)
by カエレバ


2016年4月9日土曜日

映画「キャロル」



綺麗


時代設定としては、第二次世界大戦から、まだ数年が経過した程度かな?

アメリカの黄金期なり、青春として描かれることの多い時期。

ノスタルジーの対象として、「幸せな時代」として、よく出てくるイメージがありますが。


良くも悪くも、過去というのは現代よりも「単純」だったりします。

価値観は素朴で、常識は不変。
それに従っていれば、不幸になることはない。

だからこそ、懐古したくなるわけでして。


が、一方で、価値観が素朴ということは、裏を返すと、「多様性がない」ということ。

マジョリティには便利な時代だったかもしれませんが、マイノリティーには厳しい。

そんな時代の女性同性愛者を描いたのが、「キャロル」になります。


とにかく、予告編を見て分かるように、主役の二人が綺麗でね。

ケイト・ブランシェットさんが演じる裕福な中年女性「キャロル」は、優雅で美しい。
ルーニー・マーラさんが演じる、デパートの販売員「テレーズ」は、まだまだ若く可愛らしい。

そして、ハリウッドの女優さんなので、二人とも、スタイル完璧。

現実世界において、こんなカップルを目撃したら、目がつぶれてしまいそうだよ・・・・・。


ストーリー


展開自体は、あまり急がず、説明はホドホド、ゆっくりと進んでいきます。

一見、裕福で、なに不自由なく生きているはずのキャロルだけれども、親しくなって、徐々に彼女の苦悩を知ることになるテレーズ。

そして、テレーズから彼女への思いは友情や敬愛の範疇には収まらなくなる。
それは、キャロルも同じで・・・・・。


物語は、そんなに凝ったものではない。

ゆっくりと、丁寧に二人の関係性が描かれるので、・・・・・ちょっと退屈に感じることもあるのは事実ですが、まぁ、とにかく前述の通り、二人が超絶美人。
その上、美しく再現された1950年前後のアメリカ。

ボォーっと見ているだけでも十分なのですが、二人の微妙な仕草が巧みでね。
ちょっとした動きに、その時その時の心情があらわれている。

特に、目。
キャロルのキツネ目と、テレーズの大きな瞳という、二つの好対照な目。

「目は口程に物を言う」通りにです。


そして、積み重なった二人の交流があるからこそ、最後のシーンにおいて、観客の心を動かすわけでして。


「本年度アカデミー賞最有力!!」
とポスターに書いてあったのも、むべなるかな。

でも・・・・・


『キャロル』の作品賞・監督賞ノミネート漏れ

真相はヤブの中なのだが、ノミネートすらされなかったのね・・・・・。
アカデミー賞の投票権を持つ人間の76%が男性で占められていることが『キャロル』落選の理由だと指摘している。男性のアカデミー会員には男性を求めない女性の心情が理解できなかった
映画の中のキャロルにしろ、テレーズにしろ、異性のパートナーがいるんだよね。
でも、しっくりはいっていない。

特にテレーズの旦那は、仕事人間で、稼ぎもあり、自信家。
自分に従ってくれないだけでなく、男の自分をないがしろにして、女にうつつをぬかす妻を、「当時の」常識人である彼が許せるわけもなく。

まぁなんつーか、映画の設定としては過去なのですが・・・・・・・皮肉ですな。


Ost: Carol
by カエレバ