とりあえず、面白かった
漫画の実写化というのは、当然のことながら、「現代日本が舞台」で、「普通の人」が登場人物なら容易。
「特撮」とか「CG」とか、必要ないしね。
さて、「アイアムアヒーロー」。
原作の時代設定としては、現代日本。
そこににゾンビ(作品では、ZQN)が、大量に発生してしまうという設定。
ぐーむ。
そもそも、ゾンビって、アメリカが本場。
それを日本でやるとなると、漫画の実写化とはまた違った困難が予想されるわけでして。
なんつぅーか、ハリウッドで時代劇つくるようなものでしょ?
「ラスト・サムライ」だって、日本人からして見ると、「まぁ、目をつぶっておこう」という側面は否定できないわけでして、「SAYURI」とか、「47ronin」とか、アレだったぞ!?
漫画なら、作者個人のイマジネーションを奔放に駆使することで、壮大だったり、込み入ったり、特殊な世界を描くことも可能。
が、邦画、しかも、実写の映像化となると、予算も限られるし、さて、どうなんだ? と思ってましたが、結果としては杞憂でした。
人気・実力を兼ね備えた大泉洋さんは、ビジュアルからして、主人公の鈴木英雄にピッタリ。
ヌケヌケと女子高生の比呂美役を演じる有村架純さんは、けっこう似合ってました。
「真田丸」での演技が大不評の長澤まさみさんですが、サバサバした藪の感じが、よく出ている。(*「真田丸」は、そういう脚本だから、長澤まさみさんには罪はないのだが・・・・・)
・・・・・まぁ原作の絵からすると、二人は美人過ぎだが、普通顔の女芸人あたりを起用するのも、「なんだかなー」なんで、これは仕方なし。
ストーリーはテンポよく、メリハリが効いてました。
ネタバレ
詰め込み過ぎで失敗してしまう漫画原作の映画が多い中で、この作品は、「しょーもない主人公の英雄が、一人の男として、女性を守る為に立ち上がるまで」に絞っています。
原作では、ZQNが発生した理由について、なんか哲学的な含意があるような、ないような展開ですが、そこはバッサリカット。
また、英雄・比呂美・藪の、三角関係は描かれず、映画内では擬似親子に近いかな?
シンプルにしたのは成功の秘訣だと思うが・・・・・・、比呂美が完全なZQN化しなかったことについては、まったく説明がないんだよね。
パンデミックによってZQNが大量発生するのは、まぁ、ゾンビもののお約束として受け入れるにしても、物語の肝である比呂美の半ZQN状態は、原作未読の人には、「?」だろうなぁ。
原作既読からすると、別段違和感がない展開なのだが。
で、映画の中で、象徴的に使われていたのが、ロレックスの時計。
言うまでもないことだけど、高価な腕時計。成功者のアイテム。
実際に、英雄と同期の成功した漫画家が腕につけている。
どうにか漫画家のアシスタントで食いつないでいる英雄からすれば、憧れの対象。
しかし、ZQNがあふれる新しい世界が到来。そこでは、高い時計なんて意味はない。
でも、英雄は、ロレックスに固執する。つまりは、古い世界から脱却できてないことが暗に示されている。
最終的には、腕に巻き付けていたロレックスを外して、大量のZQNと対峙するわけでして、まぁ、つまりは新しい人間に生まれ変わった、ということ。
で、この「大量のZQN」。
「どうやって退治するの? 半ZQNの比呂美を使って戦うの? それだと、物語の流れが、ちょっと濁るよね?」と思っていたら、銃によって全部倒してしまうという、豪腕。
「うーむ」とは思わないでもないが、まっ、いいか。
「銃」という、容易に「男根」「男性社会」「男らしさ」「暴力」を連想させるようなものを駆使して、女性を守るという構図自体は、よく言うと「黄金パターン」、悪く言うと「古臭い」。
守る対象の藪は、自らも刃物を持ってZQNと戦うので、決して、か弱い女性として描かれているわけではないのだけれども、しかし、気になる人は気になるかもね。
男性、特に、私のような、英雄に共感ができるような人からすれば、痛快な物語に仕上げってはいるのだが。
アイアムアヒーロー(20) (ビッグコミックス) | ||||
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