2017年4月30日日曜日

ベタベタ感がたまらない映画「ナイスガイズ!」


「ナイスガイズ!」見てきましたが、冒頭から昭和臭い音楽が流れて、終始、キャラ設定もストーリー展開も、「うわー、ベタベタや」という感じ。

「眠気に襲われて事故る」「ちょっと行き詰まったら、ヒントをくれる人が、あっちから登場」「たまたま転がり落ちたら、そこに死体」等々、「ご都合主義!」と怒りたくなるようなエピソードのオンパレード。

でも、まったく嫌に感じないどころか、心地よい。

これを1980年代に見ていたら「ガハハハ」で、1990年代なら「もう、いいよ。このパターン」、2000年代ではもはや声も出ないで失笑だったかもしれませんが、いわゆる「一周回った」というヤツで、ノスタルジックで楽しい。

ぶっちゃけ、「ラ・ラ・ランド」と同じですな。

夢のような映画「ラ・ラ・ランド」

で、どちらも主演はライアン・ゴズリング。
監督やら脚本家の意図をちゃんと物語に落とし込んでいるのは、器用ねー。


基本としてはバディ・ムービーなんだけど、メインの二人は、キャラが確立している。
「これって、「特攻野郎Aチーム」みたいに、昔のドラマのリメイクなのかな?」と思うくらいに、「出来上がっている」。

「ナイスガイズ!」が連続ドラマだったら、ちゃんと録画予約しているのに、リアルタイムで視聴してしまうだろうなぁ・・・・・。


で、まぁ、野郎二人に華を添えるのが、ライアン・ゴズリング演じる私立探偵の娘。
アンガーリー・ライスという名だそうです。

かなり印象的な好演でしたから、これからは、仕事がバンバン来るんじゃないでしょか?

過去にも、印象的な美少女として登場、飛躍に至った女優さんは多いです。

「タクシードライバー」 ジョディ・フォスター
「レオン」 ナタリー・ポートマン
「ハリー・ポッター」シリーズ エマ・ワトソン
「キック・アス」 クロエ・グレース・モレッツ

こうして並べてみると、かつてはマリオがクッパにさらわれたピーチ姫を救い出すように、「美少女 = 男の庇護の対象」だったんですが、徐々に変化しているのが分かりますな。

「キック・アス」なんかは、主人公よりも凶悪だったくらいだし。

今作では、大人たちを手助けするだけではなくて、善悪の価値基準の要(かなめ)でもある。

ライアン・ゴズリングが演じる私立探偵は小狡いし、ラッセル・クロウが演じる示談屋は、生命への倫理観が欠如している。

そういう、ちょっと狂っている二人を、正道に戻す役目は、まだまだ幼い彼女に任されており、まぁ、なんつーか、男は、もうダメね・・・・。


後、面白かったのは、ラストの黒幕設定ね。

ネタバレになるけど、自動車業界だったんですよ。
映画の時代設定は1980年手前だけど、まぁ、もちろん、現在のアメリカ自動車メーカーへの当てこすりなわけで。
2008年の金融危機で救済されたことは、いまだに許してもらってないのね~
そして、政府に手助けしてもらった割には、環境車には弱いままというのが、さらに腹立たしいところなんだろうなぁ。


by カエレバ

2017年4月28日金曜日

韓国映画「アシュラ」


久しぶりに韓国映画を見ましたが、なかなか面白かったです。

映画館等で見た予告編から、「北野監督のアウトレイジみたいな、映画か?」と思っていましたが、そりゃまぁ、分類するとすれば、同じ箱に収まるけど、こっちこっちで、なかなか独特なテイスト。

二つの組織で板挟みというのは、香港映画の「インファナル・アフェア」みたいだけど、やっぱり違う。


ざっくりとしたストーリーは、住宅地の開発で一儲けを企む「市長」と、彼の犯罪を暴こうとする「検察」、その両サイドから「相手の弱みを握れ」と翻弄される主人公の刑事という構図。

どいつもこいつも、基本「クズ」なのだが、・・・・・・・まぁ、やっぱり、パク・ソンベ市長の個性的かつ圧倒的な悪役。
映画のみならず、小説・漫画・ゲーム等々、どこを見回しても、なかなかお目にかかれない、オリジナリティ溢れる悪役です。

多分に「過剰」ではあるものの、・・・・・・役者の力なのか、脚本の妙なのか、監督のさじ加減なのか、なんでかリアリティのある存在感。


映画全体にしても、「過剰」ではあるのだが、妙に説得力がある。

上役のパワハラや、ちょくちょく挟み込まれる暴力、完全に上意下達の組織なんかも、自然に見える。

ここらへんは、未だに徴兵制のあるお国柄が出ているのかな~


主人公もクズなんだけれども、映画「デットプール」と同じで、「愛する人の為に」という大義名分があるから、どうにも憎めない。
でも、ラブシーンを多用してセンチメンタルに陥るようなことはなく、妻への愛も、どこか乾いている。

そういう中で、もう1人、ちょくちょく出てくる女性キャラがいるんだけど、「なんで、こんな男臭い映画で、半端に女性キャラを出す必要がある? リアリティ?」などと思っていたら、ラストで、登場人物のクズっぷりを強調させる為の役目が用意されていて、「ちゃんと考え抜かれている」と感心。


カーチェイスに至るシーンで、主人公が自らの銃に固執する理由が、ちょっと不鮮明だった気がするけど、・・・・・・まぁ、正直、重箱の隅。(二つの組織に挟まれて、最後に頼るものは「銃」になってしまった、・・・・・そして、ラストシーンでの銃撃につながると解釈できるか?)

まぁ、とにかく、ハリウッドでも、香港でも、日本でもお目にかかることのできない、パワーのある映画でした。

*「アシュラ」で検索すると、当然、ジョージ秋山先生の「アシュラ」が出てくるよね・・・・・・。まぁ、これはこれで名作ですからね。
by カエレバ

2017年4月18日火曜日

20年振りの続編という奇手「T2 トレインスポッティング」



前作「トレインスポッティング」も、もう20年前なのね・・・・・・。

そうだよね、公開されたの20代前半だったなぁ。

ヤク中の青春映画という、なかなか斬新な切り口で、原作の小説も読んだはずだけど、・・・・・・漠然としか覚えていない。
続編を見る前に、前作をアマゾンビデオで鑑賞してみましたが・・・・・・、「ヒドイ映画だよ」(褒め言葉)。

主要な登場人物5人のうち、4人がヤク中。
残りの1人は、暴力バカ。

94分の上映時間で、ヤク中の仲間がエイズで死ぬし、ラリって見守るのを忘れていた赤ん坊を殺してしまうし、まったく笑えない状況。

「サッチャー政権による福祉の削減が、こういう絶望的な若者を生んでしまった」という時代背景があるようですが、そういう説教臭いメッセージは、皆無。

「薬物中毒者は治療対象の患者であって、犯罪者ではない」とか、「貧困は個人ではなく社会で解決すべき問題」などというリベラル派の主張をあざ笑うかのような、登場人物たちのクズさ。
「自業自得だろ」と突き放して見れてしまい、同情とかの感情がわいてこない。

最終的には、主人公が仲間を裏切って金を持ち出すわけで、最悪なのに妙に爽快感のあるラストでした。
(アマゾンビデオに公開されているのは、なんだかエピソードが削除されてしまっているような・・・・・。小便を入れたビール瓶を仲間に飲ませて、「小便臭いビールだな」と言わせるシーンや、スパッドと一緒に主人公のレントンが就職の面接を受けるシーンがあったような気がするのだが、何かの映画と混同している? それとも、小説の文章を勝手に脳内で映像化してしまった?)


で、続編。
「T2 トレインスポッティング」。(「T2」と言えば、「ターミネーター2」とかぶるが・・・・)

この手の作品で、リメイクではなく、同じキャストで続編というのは、・・・・・珍しいなぁ。

登場人物たちは、実時間と同じように加齢。

かつては二十前後だった青年たちも、四十前後。
四十才は、「不惑」とも言われますが、・・・・・・みんながみんな、どうしようもないクズ人生を歩んでいる。

「前作だって、クズ人生だったろ?」なんだけれども、躍動する体を持て余す青年期と、体力の限界を知る中年期では、まったく違う。

明らかな対比として、前作では主人公レントンの逃走シーンで幕開けとなっていたが、今作ではルームランナーですっ転ぶことから始まる。

以降も、登場人物たちは、家族に見捨てられて自殺を企図したり、奥様のご接待でも大事な息子様が無反応であったり、若い恋人に捨てられるのではないかと必死になったり。

自分が、彼らと同年齢ということもあって、悲哀が半端ない。

いくらクスリでラリっていても、若者には時間があり、時間があるということは可能性もある。
どんなに悲惨な境遇であっても、どこかに希望が待っているかもしれないと、(嘘でも)想像することができる。
だから、彼らの行動が愚かであれば愚かであるほど、コミカルにもなる(こともある)。

しかし、四十を過ぎても、定職にも就けずにいるというのは、・・・・・もうダメポ。
二十で許されることが、四十では許されんよ。

レントンのかつての恋人・ダイアン。
「1」での設定では、まだ中学生。14才。(設定ね)

レントンは、彼女の年齢を知らずにセックスをしてしまい、「逮捕される」とビビっていたが、女の方は、まったく意に介していなかった。

二十年後の「2」では、彼女は弁護士になっている。(もちろん、レントンとは切れている)
しょーもないことをして逮捕されてしまった友人を助けるべく、その友人の彼女と一緒にダイアンを訪ねるレントン。ダイアンは弁護を引き受けてくれるのだが、連れて行った女のことを勘違いして、「恋人が若すぎる」とたしなめる。(女性は、未成年ではないけどね)

かつて、「年の差なんて」と笑っていた女の方が、「もういい加減、年を考えろ」とあきれているわけで、二十で許されることが、四十では許されんよ・・・・・。

とにかく、こんな感じ。
前作にあった奇妙な清々しさがなく、痛々しい。(まぁ、僕が登場人物たちと年齢が近いので、人によっては、「アハハハ、相変わらずバッカでー」と見れるとは思いますが)

「1」だって、「絆」とか「友情」とかはなく、せいぜい「腐れ縁」だったけど、「2」は、全体として復讐劇・仲間割れ・裏切りの物語だからなぁ・・・・。
しかも、妙に感傷的で、「1」の映像が回想シーンとして多用されるだけではなく、小学生くらいの子供時代も差し込まれて、タフな(自認)男たちの話なのに、なんだか年寄りのジメジメ。

で、ラスト。
全員が「結局、元の木阿弥」。

脱獄中のベグビーは監獄に逆戻り、シック・ボーイは若い恋人に逃げられ流行らないパブで年寄りの相手をするしかなく、主人公のレントンは、・・・・・・父親との和解と言えば聞こえがいいが、単なる出戻り。
(唯一の良心とも言えるスパッドが、どうにか奥さんや子供と和解できそうな気配があり、それは、まぁ、いい意味での「元の木阿弥」なんだろうけど)


「1」では、「退屈な人生が待っている」かもという自嘲的な独白と共に、もしかしたら・・・・・という、ほのかな希望がないわけでもなかった。
少なくとも新天地への飛翔を想起させる終わりでした。

でも、「2」のラストシーンは、列車の壁紙の貼られた子供部屋。

「トレインスポッティング」=「鉄道オタク(鉄オタ、鉄ちゃん)」=「退屈な人生」に、閉じ込められて終わり(あくまでも作品内の登場人物たちの認識であり、鉄オタはつまらない人生を歩んでいるという主張を是認するわけじゃないよ)。

「クズの人間には、所詮、クズの人生」という、至極まっとうな、言うなれば「説教臭い」終わり。
変なファンタジーを見せられるよりは、当然な帰結ではあるのだが、ヤク漬けの「1」よりも、なんとも、悲惨な現実でした。


映画としては、スパッドの「隠れたサインの才能」とか、ちょっと強引なところもあったけど、全体としては、掛け値なしに面白かった。
それだけにツライねぇ・・・・いろいろと。


by カエレバ

2017年4月15日土曜日

ナタリー・ポートマンさんの顔芸が堪能できる「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」


かつてのアミダラ女王が、今度は、アメリカのファーストレディを演じている「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」。

パドメ・アミダラは女王と言っても辺境を治めているだけの存在でした。
今作では、地球上に数多存在する国の一つとは言え、アメリカのファーストレディと言えば、世界一の権力者の伴侶(当時はソ連も元気だったので、厳密には「世界一」ではないかもしれませんが)。

格としては上なんだか、下なんだか・・・・・、などと、どうでもいいことを考えながら見てきました。


ストーリーは、あるような、ないような感じ。

ケネディ暗殺後、とりあえずの平穏な生活を取り戻したジャクリーン・ケネディが、記者の独占インタビューを受けるシーンから始まって、いろいろな過去を回想していくというのが全体の流れ。

細切れなエピソードが断続的に差し込まれるので、正直なところ、分かり易いストーリーではなかったです。

95分という、比較的短い物語の中に、タイトルの通り、ジャクリーン・ケネディによる「アメリカ大統領のファーストレディとしての政治」が描かれている一方で、「夫を亡くした妻の悲しみ」「二人の子供の母親」などが、出たり入ったりな感じで、最後に見終わると、「結局、なんだったんだ?」と思わないでも。

また、ジャクリーン・ケネディを支えていたものが、単純に「夫婦愛」や「幼い子供を抱えた母としての義務感」、「クリントン夫妻のような同志愛」、「個人的な虚栄心」、「神への信仰」等々、一つに還元されない描き方は、人間のリアルさを表現しているのではあるが、・・・・・・・一方で、物語を複雑にしてしまっている要因でして、まぁ痛し痒し。

成功すれば重厚な作品になるのでしょうが、・・・・・・個人的には、もう一歩な感じでした。


作品全体としては、決して安っぽいとは言えない出来だったけどね。

巧みなエフェクトで当時のニュース映像と見紛うシーン、過去を再現しつつも現代でも通用する洗練された衣装、そして、なによりもナタリー・ポートマンの、しつこいくらいのアップの連続、でも、観客に飽きさせない巧みな顔芸の数々。


ちゃんとつくっているだけに、「もうちょっと観客に擦り寄ってもいいんじゃないかな?」とは思いますが、いずれにしろ、男性の自分には理解するのは難しい題材なのかな?

女性から見たら、もっと共感できるところもあるのかもしれませんが、なんと言っても、「世界一の権力者の伴侶」なんて、そうそうなれる立場じゃないからな・・・・・。共感は無理か?

日本ですと、現在のファーストレディは、・・・・・・・まぁとても映画を見ている余裕はなさそうですね・・・・・。


どうでもいい感想としては、インタビューを受けている(物語上は現在)シーンで、ジャクリーン・ケネディの背後に「こけし」があるんだよね。

あの「こけし」ですよ。

お笑いコンビの「たんぽぽ」の川村エミコさんが集めている、あの「こけし」です。

「なぜ、そこに?」と、どうしても視線が、そっちに行ってしまいました・・・・・・・。史実を忠実に反映した結果なのかもしれないが、なんだか不思議な空間になっていたなぁ。

by カエレバ

2017年4月14日金曜日

今更ながら振り返る「べっぴんさん」

ド定番なんだが


子供服メーカーのファミリアの創業者をモデルに、戦前・戦中・戦後の激動の時代を背景にして、女性の半生が描かれたNHK朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」。

設定だけ見ると、「あぁ、いつものね」というド定番が漂っていましたが、始まってみると、戦前・戦中が、あっという間に終わってしまう。

幼少期が一週間で終わってしまうのは、いつものことですが、少女期(学校時代)も、瞬殺レベル。

実の姉と男の取り合いという、「おいしいエピソード」も、そんなに深掘りされるわけでもなく。

「うーむ、なぜに?」という疑問だらけの展開でしたが、

1.朝の連続テレビ小説の定番の流れを断ち切りたかった。(前作「とと姉ちゃん」と時代にしろ、女性の起業家という設定にしろ、もろかぶりだから、独自性を求めたんだろうなぁ)
2.戦前戦中の苦労話よりも、戦後の成長を物語のメインにしたかった。(時代の要請として、「復興」話にしたかった)

というところかな? と、自分を納得させました。

まぁ、前半は、戦前との暮らしの落差や、戦地から旦那が戻ってくるかどうか、また、そんなお家に転がり込む心優しい間男(未満)、病弱だったり、苦しい生活を強いられる友人等々、それなりに見所はありました。

が、子供服事業が軌道に乗ったあたりから、物語は迷走。

最初は厳しかった父の実兄も、なんだか優しくなって、「オレは社長の器じゃない」と旦那が会社から逃げ出しておきながら、奥さんの会社でトップに就任とか、・・・・・・「?」という、おかしな点が見受けられるようになって、徐々にご都合主義が見え隠れ。

前半のリアルさから、明確に決別が見られたのは、市村正親さんが、クリスマスソングを堂々と歌ったあたりかな?
ファンサービスだったんだろうけど、・・・・・・謎演出だったなぁ。


で、中盤のメインエピソードになるのが、「娘との確執」

「仕事と家庭、どっちが大事なの?」は、これまた、ド定番なネタではありますが、まぁ、現代社会における働く女性の悩みだから、やっぱり入れておかないとね。

でも、そこに、「娘の初恋」が入ってきて、さらに恋した男は音楽で食っていくことを目指す「夢追い人」で、しかも友人の恋人でもある「三角関係」。

「べっぴん」(特別なお品)をつくるという物語だったはずなのに、どんどん逸れていくわけでして・・・・・・。

つまりは、水増し感がハンパない。
「うーむ」なわけです。

ここで時間稼ぎをするくらいなら、少女時代を重厚に描けば良かったのでは?
そこで出会った友人たちと、戦後になって一緒に事業を起こすわけですから、いくらでも伏線を入れることができたはずなのに・・・・・・。

以降も、子供たちが成人して会社への入社や結婚で揉めるのも、これまた「謎展開」。

自分が心血注いだ事業を、愛する子供が継ぎたいと熱心に訴えてくることを、邪険に払いのけるって、なんじゃそりゃ?

親友と言って差し支えない友人の子供、しかも東大出のイケメンと自分の愛娘が結婚するのに、なにや悩むことがあるんだか。(一人っ子同士で、どちらの家に入るか揉めるのは、まぁ分かるが)


そんな感じ。

せっかく四人の女性がメインで、

・ニュートラルな主人公
・病弱(マザコン気味の旦那)
・勝ち気(独身)
・意気地なし(旦那が高齢)

と、初期においてはある程度、役割があったのに、中盤以降は、みんな仲良し小好しで、互いに理解して衝突はなし。

主人公の提案はいつも「いいねー」と簡単に受け入れられて、ちょっとした悩みがあれば、雁首揃えて一緒に考えてあげる・・・・・・、あんまりハードな物語にしたくなかったという製作者側の意図は理解しつつも、だからと言って、これではヌルい。ヌルすぎ。
すっかり物語が風邪を引いてしまっているわけでして・・・・・。

配役の苦しさ


主人公を演じた芳根京子さんの演技は、悪くなかったんですけどね~
でも、撮影当時は、まだ十代。

物語においての「十代」は、ほとんど重視されなかったわけで、なら、もうちょっと上の女優さんを配置するべきだったのでは? という疑問が、中盤以降の中年から老年という加齢が進む度に、思わざる得ないわけで。

しかも、ご友人たちも、主人公に合わせてた年齢層の女優さんとなっているので、いくら老けメークをしたところで、やっぱり「うーん」となるのは仕方ないこと。(主人公の友人である土村芳さんは26才で、その息子役の古川雄輝さんは29才という、なんだ、この倒錯は・・・・・)

天下のNHKとは言え、いろいろと芸能事務所の意向を無視はできないのかねぇー、などと邪推したくなる配役だった・・・・・。

衣装は見事でした


良かった点は、衣装。

主人公と、その友人たちが着ている服は、時代を感じさせるテイストだけれども、現代人が見ても「かわいらしい」デザインになっていました。

日本の映画にしてもドラマにしても、戦後から現代の服装となると「とりあえず、雰囲気出てれば、いいでしょ?」といった感じで、イマイチなことが多いですが、今回は、素直に感心する出来栄えでした。

それだけに、戦後服飾史は無理でも、子供服の変遷から、時代の変化を感じさせるような演出があっても良かった気がするのだが・・・・・。


by カエレバ

2017年4月13日木曜日

神山健治監督「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜」



「ひるね姫」、見てきました。

なんか、変わった作品でした。

ストーリーを簡単に説明するのは、難しいタイプ。

幼い頃に母を亡くした少女が、いろいろな事件があって、「知らないワタシの物語」である、真相を知るというのがメインです。

ここまで省略してしまうと、「ありがちなお話」。
主人公にしても、お胸の強調や「萌え」要素はないですが、ミニのスカートを履いているのに、なぜかパンツは絶対に見えない制服姿の高校生という、定番アニメ少女ですし。


で、この主人公は、昨今のアニメらしく、2つの世界を行き来します。(「君の名は。」と同じですな。ついでに言えば、丁寧に田舎を描こうとしているのも、流行りなんでしょうか?)

現実ではない、もう一つの世界では、神山健治監督らしい個性が発揮。

魔法が存在する西洋風ファンタジーだけど、巨大な二足歩行ロボットもいるけど、テクノロジーのレベルは、1900年代前半くらいかな? とうい独特な世界観。
いろんな物をごった煮するのは、最近の映画の特徴ですからねー。


で、ネタバレ。

徐々に、この異世界が、母と祖父の確執から生まれたことが明かされる。
主人公の祖父は、日本を代表する自動車会社の創始者で、娘は、かつては、その会社を継承することを志していた。

しかし、「自動車の自動運転」への考え方の相違から、二人は袂を分かつ。


「自動車の自動運転」。
世界を大きく変えるであろう技術革新であることは間違いないわけで、物語に大きく関わっているのだから、もっと深掘りしても良かった気がするけどなぁ。

単に「こんな未来が待っているよね!」という近未来を観客に提示するアイテムであり、父親にとっては得体の知れない新技術&娘にとっては未来へのパスポートという世代間ギャップを顕著にする設定で終わっているのが、・・・・・うーむ。

攻殻の神山監督なら、もっと意味深なメッセージを込めることも出来た気もするんだけどねぇ。

まぁ、あんまり小難しくしたくなかったという配慮なのか?

そもそも、冒頭の「西洋風魔法ファンタジー」シーンなんか、子供向けを目指した感はあるよなぁ。

・・・・・・・なんだけれども、ラストの巨大ロボットの戦闘シーンは、ある程度の年齢のオタク向けで、・・・・・このごった煮は、うまくいったのかな? どうなんだ?


ごった煮と言えば、父娘の物語だと思ったら、父と母や、母と祖父に焦点が移ったりで。
「家族の物語」ということなのだろうけど、途中、幼馴染の大学生がサポートに入ってきて、良いんだか悪いんだか。


そもそも、「知らないワタシの物語」=「家族史」の解明に主眼が置かれているせいで、「主人公の成長は、ほぼなし」というのが、なんか物足りないような、神山監督の作風のような。(「東のエデン」も謎解きがメインで、登場人物の成長は、あんまなかったような気がするなぁ)

この物語「ひるね姫」の主人公って、特別、「不幸」を感じていない。
現状に満足している。

登場人物の現況を説明する冒頭のシーンでは、高三にしては、えらーく仲の良い父娘関係が描かれています。

亡き母の代わりに朝ごはんをつくり、父親との旅行を希望し、オヤジの友達たちとも仲良し・・・・・・、まぁ父子家庭だから「不幸」という描き方もどうかと思うので、「父娘二人で楽しくやっています」というのも、ある程度「正論」なのだが。

以降も、娘から父親への信頼は、絶対に揺らぐことがない。

この安定した関係というのは、現実であれば理想の親子像ではあるが、物語を平板にしてしまっている弊害でもあるわけで。

そんな、ハードにもソフトにも成りきれなかったけど、中道でもない不思議な作品でした。


by カエレバ

2017年4月8日土曜日

スカーレット・ヨハンソン主演「ゴースト・イン・ザ・シェル」


日本SFアニメの金字塔、と言うか、SFアニメの金字塔である「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」。

もう二十数年前の公開になるんですね・・・・。

押井守監督作では、一番の傑作ではないかと個人的には思っています。


で、それが遂に、ハリウッドで実写化。

キービジュアル初公開の際には、「主人公、白人かよ」と、日米で炎上。

原作愛からの怒りを理解しつつも、ブロックバスター映画に耐えられるアジア人女優って・・・・・、正直、思いつかないよね。(男性なら、渡辺謙さん他、韓国、香港で探せないこともないような気がするけど・・・・・・)

「まぁ、しゃーねーじゃん。それよりも、いい映画になると、いいね」と期待しておりました。

公開が迫るに連れて、徐々に新しい映像・画像が公開され、「いいじゃん」と「大丈夫か?」の心中のメトロノームが、何度も両極端へ豪快にスイング。

そして迎えた4月7日。地元の映画館でも、取り扱ってくれて、ありがとう。

仕事を終えて、夜の回へ。

席は、けっこう埋まっている。と言っても、20から30名くらいかな? 田舎の映画館なので、十分、大入り。ほぼ、40前後のオッサン連中。僕も含めて、似たような人間ばかり。

「こんなに期待している人がいるんだ~」と思って、見ましたが・・・・・・・。


( ´゚Д゚)・;’.ゲフッ


「これは厳しいぞ」というのが、正直な感想。

先ずは、「攻殻」未体験の方には、いきなりの「ダイブ」とか、まったく説明無しで、理解できるの?

攻殻は、漫画、押井守版、神山健治版、黄瀬和哉版と見ている僕でも、「唐突過ぎる」と困惑してしまったのに。
(それに、芸者ロボにゴーストはないのでは? ゴーストがないのに、ダイブできるの?)

そして、その後、この「ダイブ」は、使われることなし・・・・・・。


その他にも、「元ネタに忠実であろう」、または、「ファンサービスしてやろう」という製作者側の配慮で、過去作の映像・設定が数多活用されているのだけれども、一見さんには、どれもこれも説明不足。

たとえば、「ダイブ」の他には、ラスト間際のヘリへの攻撃。サイトーという攻殻世界の登場人物を知っているなら、まぁ、どうにか「あぁ、なるほど」だけど、知らん人間からすると、あまりにご都合主義。(知っている人間からしても、強引さは否めないのだが・・・・・・)

少佐の逃走からの、海でのダイビングで、バトーとの再開の流れは、「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」からの流用なのだが、・・・・・・未見の方には、「はっ?」だろうし。(よく知っている人間からしても、「えぇー?」だけど)


オマージュ or リスペクトなんだろうけど


と、まぁ、元ネタに頼り切りな作品でして。
単体の作品として見た場合は、あまりに厳しい。

「でも、従来のファンなら、喜んでくれるんじゃない?」という声もあるでしょうが、・・・・・・うーん。


第一作(押井守監督「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」)と比較して、もっとも重要な違いは、僕としては、少佐の人種ではなく、組織内の立ち位置。

第一作における主人公・草薙素子は、外見こそ女性であるが、後に「メスゴリラ」などと称される人工の体に、性差は存在しない。
屈強な男性バトーと同じか、場合によっては凌駕するほどの力を発揮する。

しかし、肉体と魂の分離は、彼女に巨大な力を授けたが、一方で身体性の喪失はアイデンティティへの危機を生じさせる。

「自分というものは、いったいどこまでが自分なのか?」「外と内の境界とは?」「今見ているものを幻ではないと、誰が証明してくれるのか?」(初期の押井監督作品の、繰り返されたテーマですな)

ハードな現場で、暴力を厭わない戦いをしつつ、彼女の悩みは深く暗く沈殿していくのだが、外からは完全無欠だと思われている為に、彼女はより孤独に追い詰められていく。


で、今作、スカーレット・ヨハンソン主演「ゴースト・イン・ザ・シェル」。

ビートたけしさん演じる「アラマキ」が、最初の方から、主人公のミラを気遣っているんだよ。

その姿勢は終始変わることなく、・・・・・・・最終的には、ミラを改造人間にしてしまった黒幕を殺すのも、アラマキ。

つまりは、「圧倒的な父性のアラマキ」で、「その庇護下の娘のミラ」という構図が徹頭徹尾維持されてしまっている。


うーむ。


強力なサイボーグでありながら、「女」であり続けるせいなのか、ミラは、しょっちゅう危機に陥るんだよね。
(特にひどかったのは、バトーと海で出会った後に、拘束されてしまうシーン。なんか、自力での脱出方法を考えているのかと思ったら、お情けで助けてもらうって・・・・・)

そして、かつの恋人クゼとの再会からの、ちょっとしたラブシーンにつながるわけで、つまりは、「女」。


第一作においては、主人公の草薙素子は身体という軛から解き放たれて、ネット世界へ己のゴースト(魂)を解き放つという衝撃的なラストでした。(当然のことながら、そこにはもう、性別なるものは存在しない。・・・・・でありながら、現実世界に生きるバトーは、彼女のことを忘れられないから、「イノセンス(無垢)」なんだろうなぁ)

が、今作のラストは、産みの親と娘として再会というシーンが象徴しているように、むしろ、肉体(の記憶)を取り戻してしまうわけで、まぁ、真逆ですな。

もちろん、押井監督のラストでは大衆受けは望めないわけで、100億を超える金が投じられた映画としては、「普通」な終わりにするのが妥当なんでしょう。そこは文句を言っても詮無いこと。

Ghost in the Shell : ハリウッド版「攻殻機動隊」の「ゴースト・イン・ザ・シェル」の失敗について、製作・配給のパラマウント映画が公式にコメントをした ! !

が、結局、大爆死というのでは、なんとも切ない。


映像美は、そりゃ、「ハリウッド」レベルなんだけど、「個性がある?」と聞かれると、なんか、「ブレードランナー」の強化版。

スカーレット・ヨハンソンさんは、恐ろしくキレイ。
上のリンクにある画像なんか見ると、あんな間抜けなスーツを着せられていても、「うわぁー」とため息がでる美しさ。
ではあるが、・・・・・・・アニメと同じ動きをさせると、けっこうアレなところも多くてね。

うーん・・・・・・・。


by カエレバ

2017年4月7日金曜日

映画「パッセンジャー」



正直、全く見る気はなかった「パッセンジャー」ですが、なんとなく見てきました。

あまり期待値が高くなかったこともあり、素直に楽しめました。

起承転結がはっきりとしていて、ジェニファー・ローレンスの見応えのある身体(事ある毎にに体の線が露わになるのは、お約束)、ハリウッド映画なら当たり前だけど、それなりに迫力のあるCGなど、飽きのない二時間。

「ゼロ・グラビティ」のように、最後の最後まで登場人物は二人に限定した方が、物語としてはスッキリしたでしょうが、その代わりに無理のない展開ではあったと思います。


まぁ、どうしても、主人公の男性が孤独に耐えられずに取った行為が、「それは殺人と同じでしょ?」というモヤモヤが残るわけですが、一応、最後の最後には、身を挺して彼女(と多くの同乗者)を救うということで、「行って来い」、「貸し借りなしよ」になるのかな?

しかも、彼女の決断で、主人公は危うく死にかける訳だし。

重厚なSFや、哲学的な命題などを期待すると肩透かしを喰らいますが、最終的には「男の裏切りが発覚」からの「和解」というハッピーエンドで、ほろ苦いラストの「ラ・ラ・ランド」よりも、デートムービーとしては(または前戯映画としては)、うってつけな作品だと思います。(もしかしたら、「そうだ、アレ」と過去の失敗を、彼女さんが思い出す契機になってしまうかもしれませんが)

まぁ、僕は、一人で見たんですけれども。

by カエレバ

2017年4月2日日曜日

漫画原作の難しさを思い知らせられる実写映画「3月のライオン 前編」



空いてたね


本当は、「ひるね姫」を見たかったのですが、近くの映画館ではやっておらず。
バスで小一時間かかるシネコンでも、夜のみ上映。

原作の漫画も単行本はそろえているし、最近、目出度く中途半端な所で終わったアニメ版も見てまして、興味がなかったわけでもないので、二番手の「3月のライオン 前編」を見ることに。

こちらも近くでは公開しておらず、バスに揺られての遠征。

「平日なので、ゆっくり見れるだろう」と思っていたら、バスに次々と私服の中高生が乗り込んでくる。その時になって、「あぁ春休みか」と気がつく。
すると、「混んでるかもなぁー」と覚悟を決め、案の定、シネコンの発券機の前は、少年少女が並んでいる。

「なんかめんどうくせぇー」と思ったけど、「3月のライオン」のスクリーンは、・・・・・全然、人がいない。ガラガラ。

「あれ?」と思い、「もしかして、これは!?」と不安に思ったら、・・・・・見終わった感想としては、そりゃ、人が少ないのも、「むべなるかな」。

「アイドル映画」ではないにしも、メインのターゲットは、少年少女のはずなのだが、どうにも、映画としての作品の完成度は、イマイチでした。
(アニメは、エピソードの並びが「?」と思ったこともあるけど、「三十分アニメで、ここまで原作のテイストを活かすのか!」と感心するほどの出来でした。それだけに、ちと残念)

ファンムービーとしては上出来


最近、オンデマンドで見た実写版「ちはやふる 前編後編」の出来が非常に良かったので、「3月のライオン」も期待していたんだけどね。

正直、二時間映画としては、褒められる作品ではなかったなぁ。


是枝監督ですら、「海街diary」は、純粋に二時間映画として見ると、やっぱりちょっと物足りものがあった。

それ以上に、「3月のライオン」は厳しかったです。

冒頭から、登場人物たちの立ち位置を紹介するような、ぎこちないストーリー。
中盤以降も、原作のエピソードを消化することがメインの展開。
ラストの対局シーンの連続も、どこに焦点が当たっているのか不明。

将棋の物語なので、そこから言葉を拝借すると、盤面に駒がぶち撒けられたような映画になってました。

ラストに向かってカタルシスを高めていくような「棋譜」になっていなかったなぁ・・・・・。


原作付き物語の宿命から逃れられなかった、ということでしょうか?

原作の漫画「3月のライオン」は、主人公の桐山零を中心にした、群像劇。
前後半にしても、四時間の中に、すべてを詰め込むのは、当然、難しい。

いっそ登場人物を削ってしまうなり、桐山視点オンリーにしてしまえば、すっきりとした物語を提示できるのでしょうが・・・・・、しかし、原作モノにおいて、「オリジナル」は鬼門。

オリジナル展開、オリジナル設定、オリジナル人物・・・・・・、なんと多くの作品が、「オリジナル」によって、ファンから総スカンを喰らって爆死したことか。(たまーに、成功する作品もありますが・・・・・)

その危険を冒すくらいなから、ある程度、詰め込め過ぎでも、原作重視という安牌を選びたくなってしまうのは、まーねー、理解できるんですが。

それにしても、島田八段の突然の登場とか、長期連載の漫画においては気にならない流れでも、二時間の映画では「唐突」感が否めなかった。

いっそ、島田研究会周辺は削ってしまっても良かったのではないかと思いつつ、原作において、孤高の天才・桐山零に、「大人とはこうだ!」という背中を見せつける大事なキャラ。(「ファーストガンダム」における、ランバ・ラルですな)

ただ将棋を指すだけではなく、そこから社会とつながっていこうとする島田八段の生き様が、後の桐山少年の暴走寸前(“寸前”ではなく、“暴走”でいいのか?)の、川本家救済に向かわせるのだから、どうしても外せない。

そこらへんを、まるっと排除してしまうと、代わりのオリジナル展開を用意する必要が出てくるから、・・・・・・・まぁ、それは避けたいよね。

結果、二時間映画としては、微妙になってしまったわけで。


場面場面の完成度は高かったです。
「3月のライオン」を実写化したら、「こうなるよね」という見事な絵でした。

登場人物にしても、染谷将太さんの二階堂は「やり過ぎ」感はありましたが(「聖」の松山ケンイチさんに対抗したか?)、全体としては、文句のない配役。

そういう、製作者の「愛」やら、「気づかい」が十分に感じられるだけに、ストーリーは残念。

もしかしたら、この散らかったエピソードが、「後編」において回収されるのかもしれませんが・・・・・・、どうかなぁ。

おまけの感想


ちょっと気になったのは、桐山の養父(幸田柾近)を、竹野内豊さんが演じていたこと。
これだけ違和感があった。

原作は、もっと優しいお父さんだったのに、えらく「強そう」な人を選んだなぁ。温水洋一さんとは言わないまでも、遠藤憲一さんくらいの、ちょっと「とぼけた」感もあるような人の方が合っているような?

まぁ、でも、主人公の桐山や、有村架純さん演じる幸田香子を「追い詰める」面を、二時間ポッチで強調するには、これくらい「父性」が前面に出ている人が必要だったんだろうなぁ。

ここらへんは、まぁ、オリジナルと言えば、オリジナルだったなぁ。

by カエレバ