2018年3月11日日曜日

「バーフバリ 伝説誕生」&「バーフバリ 王の凱旋」
 ここまで、やっていいのねと唖然とさせられるテンションの高さ



超娯楽大作と噂のインド映画「バーフバリ」が、田舎でもようやく公開されたので、見てきました。

なるほど、世評通り、ぶっ飛んでいたなぁ・・・・・。(夜の回に行ったのだけれども、けっこう人が入っていて、驚いた)


とにかく、まぁ、あらゆるアクション、演出、演技、キャラ設定が過剰&過剰。

普通、ここまで味付けを濃くしてしまうと、とてもではないが食べられない料理が出来上がってしまうのだが、「バーフバリ」に関しては、「突き抜けろ、この想い!」と、ちゃんと作品として成立してしまっているから、あら不思議。

貴種流離譚というオーソドックスな物語を下敷きにすることで、神話的な装いを身にまとうことに成功しており、だから、「バーフバリ 伝説誕生」冒頭の滝登りのシーンにおいて、その滝の巨大さと克服していく過程、そもそも、木製のマスクに恋をするという発端、全てが、「い、い、今時?」「あり得ない!」のだが、「なにを恥じることがあろうか!!」と堂々と描き切るという先制パンチ、観客は、「あぁ、これは神々の映画なのだ」と降参、以降、冬山にいたはずなのに、恋が成就すると、突然、二人の環境は南国風な楽園に変わり、「移動したのかな?」などという凡人の解釈は浅はか、スイートタイムが終了すると、ちゃんと冬山シーンにつながるわけで、「うむ、やりたいようにやってくれ」と身を投げ出す他ないことを再認識、「こまけーことは、いいんだよ!」と暴れまわるバーフバリ的世界観を許容してしまえば、後はもう王の恩寵に浴する喜びしか残らない。

で、古典的な仕組みを利用しつつも、決して、頑迷固陋な古臭さはないのは、女性キャラがピーチ姫的な救い出されるだけの存在ではなく、政治のトップであったり、剣を持って戦ったりと、(そこらへんは)ちゃんと今風。

そして、バーフバリにしても、「王」ではなるが、彼が「王」であるべき理由というのは、単純に「血」に還元されるものではなく、「武勇に優れ」かつ「賢く」、そして、仁愛によって、民衆から支持されているということが大きな要因となっているわけで、復讐劇・奪われた王位の奪還という、やはり古めかしい物語でありながら、あくまでも、民により推戴を望まれているという形式を踏んでおり、言うなれば民主主義的、これが作品全体の風通しの良さとなっている。


・・・・・・・・つっこもうと思えば、いくらでも「つっこみ可」な、ノーガード万歳の両手ブラリ戦法ですが、それだけに攻撃力は半端ない、パンチの効いた映画になっていますので、ハリウッドや邦画の文法に食傷気味の方には、うってつけと思われます。

by カエレバ
by カエレバ

2018年3月10日土曜日

キャスリン・ビグロー「デトロイト」
 -なんでアカデミー賞に無視された?-



「ハート・ロッカー」「ゼロ・ダーク・サーティ」のキャスリン・ビグロー監督の最新作「デトロイト」。

「本年度アカデミー賞最有力」という文言が、デカデカとポスターに書かれておりましたが、・・・・・蓋を開けてみたら、一部門もノミネートされておらず。

赤っ恥です。
しかし、作品を拝見させてもらいましたが、・・・・・・うーむ、なんでダメだったんですかね?
作品賞にノミネートされている「ゲット・アウト」なんかは、まぁ、十分に楽しませてもらったけど、「ちょっとだけ新しい切り口のホラー」に過ぎなかったような・・・・・。

「ゲット・アウト」

いや、まぁね、この「ちょっとだけ新しい切り口」の提案が、どれだけ大変なのかは分かりますけど、だったら、「デトロイト」の異常な緊迫感でもって描かれた尋問を通り越した拷問シーンも、なかなかにお目にかかれないレベルに達していたのだが・・・・。


以下、ネタバレあり。

最終的な「強要された自白には証拠能力がない」という裁判官の判断は、もちろん、「拷問シーン」との対比であり、また皮肉でもあるわけで、そして、この事件を経て、ショービジネスの世界に憧れていた黒人青年が、教会の聖歌隊員として生きることを選択するという流れも(撤退と見るか、転進と見るかは、人それぞれでしょうが)鮮やか、どうしても、「白人警官による黒人の虐待」となると説教臭さやプロパガンダ臭を嗅ぎつけてしまいがちだけど、そういう枠には収まらない作品でした。

■映画「デトロイト」がアカデミー賞から無視された理由

上記では、「ドラマ性の薄さ」や「前半と後半のちぐはぐさ」を挙げているけど、言われると「まぁそうかな?」程度の欠点にしか思えないし、正直、「アカデミー賞にノミネートされなかった」という事実から、いささか意地悪な視点でもってあら捜しをせざる得なかったという感は拭えないね・・・・・。

by カエレバ

2018年3月9日金曜日

「否定と肯定」



勉強になるけど、映画としても、ちゃんとしている


「アメリカンヒストリーX」を最初に見た時は、「黒人だろうと、白人だろうと、いいヤツはいいヤツで、悪いヤツは悪いヤツって、まぁそりゃそうだろうけど、えらく単純なところに落着したなぁ」なんて思っていましたが、それから数年後、日本でも、ネットから「行動する保守」という運動(?)が生まれて、初見とは違った状況下で改めて見直すと、「ヘイトの構図というのものが普遍的なんだなぁ・・・・・」と感心するやら、ゲンナリするやら。

で、映画「否定と肯定」を見てきました。

まぁ、ぶっちゃけ、毎年、何本か出て来る、「ホロコーストもの」「ナチスもの」の、ちょっと毛色の変わったバージョン。

実際にあった、ホロコースト否定論者との法廷における対決がメイン。

冒頭、ホロコースト否定論者であるアーヴィングが、観衆の笑いを受けながら自説を述べ、その直後に、専門家であるデボラが大学内で真摯な講義をしているシーンにつながるという、分かり易い対比で開始。

現在でも、「非専門家(政治家・評論家)が極端、かつ扇情的な発言を内輪で披露してゲラゲラ受けているけど、その内容が外にもれてしまうと、ドン引き~」というのは、まぁ、けっこうあるパターンでして、他にも、「自分は差別主義者ではない」と力説するものの、発表されている言説はそのものという陰謀論アルアルが、うまーく映画内で紹介されていました。

そして、産経新聞風に言うと「歴史戦」の裁判がメインのモチーフになっているけど、それだけ扱ってしまうと物語としては、至極単純、プロパガンダ臭がプンプンの上から目線の勧善懲悪に陥ってしまうのだけれども、そうならないように、歴史修正主義者のアーヴィングとの対決だけではなく、裁判を支える弁護士との不和なんかも描かれている点が、「上手」でした。


おまけ。


グーグル検索をしたら、サジェストで、「否定と肯定 映画 ネタバレ」って出るけど、この映画って、実際の事件をもとにしているのだから、「ネタバレもなにも・・・・」と思うのは、僕だけ?


by カエレバ