2017年3月29日水曜日

「カルトムービーだな」と久々に思わせてくれる「ネオン・デーモン」


映画館で見た予告編で、ナタリー・ポートマンの「ブラック・スワン」みたいな作品かな? と勝手な予測でもって見てきた「ネオン・デーモン」。

・・・・・結果、全然違いました。

だって、この予告編からすると、「一人の少女が、ショービジネス界での成功の代償として、徐々に精神の平衡感覚を失っていく」という物語を想定してしまうじゃん。


で、どんな物語かと言いますと・・・・・・。
一言で表現するのが難しいと言うか、とっ散らかっていると言うか(さんざん意味深なことを、登場人物たちに発言させておいて、結局、意味はあったの? うーむ)。

正直、ラストシーンで、「あぁ、これ、ホラーをしたかったのか」と思ってしまったよ。


確かに、最後から逆算すると、「ホラー映画」になるのは分かるが、正直、分かり易い「恐い要素」が散りばめられているような映画ではなくて、始終、「不気味な」「しっくりこない」シーンの連続。

その積み重ねが、衝撃的なラストの裏付けになる・・・・・・・とは言えんなぁ。


以下、ネタバレ。

主人公に惚れ込んだメイクは、結局、彼女から排除されてしまう。(主人公は、メイクの女性を排除しておきながら、彼女の元から逃げないのは、なんで? 他に行く場所がないから?)
「美」を妬んだ「モデル」と共謀し、その腹いせに、主人公の少女を食べてしまうんだが・・・・・・、うーん、なんで? 黒魔術に魅せられているとか、そんな伏線あった?

「思いも寄らない急転直下のセンセーショナルなラストシーンをつくってやろう」という力みが見え見えで、もう、逆に白けてしまった。


場面場面の色使いは巧みで、登場人物たちから消し去られた「人間臭さ」とか、こういう映画が好きな人は好きなんだろうけど、自分には、ちょっと無理でした。


良いところとしては、・・・・・・エル・ファニングが、可愛かったです。

by カエレバ

2017年3月25日土曜日

映画「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」


あらすじ


数年の諜報活動の末、ナイロビにて過激派テロリストを発見。
ドローンによる爆撃を望む指揮官と、法律問題に悩む政治家や官僚。

紆余曲折を経て、どうにか爆撃の許可を得るが、攻撃対象の直ぐ傍には、いたいけない少女が。

凶悪な自爆テロが間近に迫る中、「少女を犠牲にするか?、それともテロリストを見逃すか?」という倫理的な問題が、ドローン攻撃に携わる多くの人間を揺さぶるのであった・・・・・。

あらあら


去年、世間の話題をさらった「シン・ゴジラ」。

非常事態においても、決断を下せない姿が、「日本的だなー」と感じ、「こんな、まどろっこしいお話だと、海外ではうけないだろうなぁ」と予測しておりましたが、残念ながら、的中してしまったようです。

石原さとみ“ガッズィーラ”も大爆死!「シン・ゴジラ」が欧州で売り上げ91万円

「内向きなモチーフも、突き詰めれば、普遍性が生まれる」ということもあるのですが・・・・・・、まぁ、よほどの日本オタクでなければ理解し難い内容。
特に、あの「決断を下せない組織」というのは、欧米人には理解できないということか。

なんて思っていましたが、・・・・・、「アイ・イン・ザ・スカイ」を見ると、「あらあら、けっこうどこも一緒じゃん」と思ってしまった。

まぁ、そんなものですよね・・・・・・。

今一歩


さて、「シン・ゴジラ」は面白く見れたのですが、・・・・「アイ・イン・ザ・スカイ」は、正直、今一歩。

今作では、「爆撃によって一人の罪のない少女が死ぬ可能性」と、「絶好の攻撃機会を失うことでテロリストにより多くの人命が損なわれるかもしれない可能性」のせめぎ合いが、物語の肝。

「少女の死が露見することで倫理的な責めを負わされる政治家の逃げ腰」、「数年の諜報活動の苦労が、ようやく実ろうとしている現場の焦り」、「人命を犠牲にしてまで遂行する作戦があってはならないという素朴な理想主義」、「実際に引き金を引くことになる兵士の苦悩」、「上司の意向を忖度して、作戦に合致する数字を提示する分析官」等々の、逡巡、逃避、決断が、物語に華を添えるわけなんですが・・・・・・、非アメリカ人からすると、「そもそもドローンによる攻撃って、主権侵害じゃないの?」とか、「建前では暗殺禁止ってなっているけど、これって暗殺と何が違うの?」なんて疑問が浮かんでしまうんだが、登場人物たちは、そのことにはまったく触れない。

「悪い奴らを殺して、なにが悪いんじゃー!」てなもんでして、そりゃ、越境のテロ行為に悩む現代欧米社会においては、そんな理想論を振りかざしたところで無意味なのでしょうが、登場人物たちは、少女を巻き込む可能性のある爆撃に賛否ありつつも、どこかに「テロリスト排除は、その国にとっても歓迎される善行である」という意識が共有されており、上から目線の姿勢が見え見え。

無辜の少女一人の命に、今さら右往左往されても、なんだか嘘臭いんだよね。


さようなら、オバマ「あなたは史上最悪の爆弾魔でした」


映画のウソなのは分かるが


追加で気になることとして、ドローンからの映像が、あまりに鮮明で。
敵から目視できない遥か遠方の空中で待機しているはずなのに、攻撃対象の顔が識別できる解像度って。

また、スパイメカにしても、おいおいという高性能。

そりゃ、物語を成立させる為の、必要悪の「ウソ」だとは分かるのだが、ちょっと、鼻白んでしまう。
(超絶テクノロジーの割には、それを操るコンソールは、懐かしのXperia PLAYというのが、微笑ましかったけど)

女性のお立場


「シン・ゴジラ」と同じく群像劇なんだけど、「アイ・イン・ザ・スカイ」では、女性キャラはぶれないんだよね。

現場の指揮官は、とにかくイケイケドンドン。少女の命なんか知ったことか、「今しかない!」と、始終、上を突っついている。

で、意見集約をしているロンドンで、一貫して爆撃の非倫理性を指摘しているのも女性。

それに比べて、男たちは、とにかく決断が出来ない。
いつも、たらい回し。

首相ですら、微妙な発言で、言質を与えないようにするわけで、まぁ、なんだかんだで、どこも同じよねと再認識。


で、まぁ、よくよく考えると、爆撃の被害を受けるのも女性(少女)。
そもそも、倫理的な問題を抱えてながらも爆撃を決断することになった端緒は、女性テロリストの存在が判明したから。

こうして並べると、「女性」というキーワードが本作には散りばめられているような気がするが、・・・・・・うーん、まぁ、たまたまかな?

by カエレバ

2017年3月18日土曜日

映画「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」


例によって「ホロコーストもの」なんですが、まぁ、毎度毎度、アウシュビッツを舞台にするわけにもいかないので、今作の時代設定は戦後。
戦争のどさくさに紛れて、南米に亡命していたアイヒマンを逮捕した男(逮捕に貢献という表現が、正確なのかな?)、検事総長フリッツ・バウアーについての物語です。

一応、サスペンスタッチですが、そもそも結末は分かっている(アイヒマンの逮捕)ので、「逃げられてしまうのか? それとも、捕まることができるのか?」と手に汗握るような展開もあると言えば、「ある」のだけれども、そんな派手な山谷はないです。

物語の主軸は、アイヒマン逮捕よりも、当時のドイツ内にあった親ナチス的な雰囲気との戦い。

フリッツ・バウアーとは何者だったのか
アイヒマンの供述は、ナチスの過去を持ちながら戦後西ドイツで指導的立場についている人々にとっても不利になる可能性があったため、連邦刑事庁も情報機関も、アイヒマンを裁きの場に引き出すことには関心がなかった。秘かに捜査を進めることを余儀なくされたバウアーは、身内からの激しい抵抗に直面する。当時司法に関わっていたほとんどの法律家は、ナチス政権に仕えていた過去を持っており、自らの名声に傷がつくことを恐れていたのだ。

「ドイツは、過去の歴史を直視して、徹底的に反省している」と言われて、「それに比べて、日本は・・・・・」という論調は、よく見受けられますが、まぁ、そんな単純ではなかった&ないのねー、という感じ。


面白かったのは、主人公&味方となる部下が、「ゲイ」という設定。

「史劇だから、これも事実なんだろうなぁ」と思っていましたが、先に上げたリンク先では、
実在したのではない同性愛の検事、カール・アンゲルマンを目にかけ、好意を寄せるバウアーの様子を通じて、作品はバウアーも同性愛者であったことを示唆している。
と書いており、どうやらオリジナルな設定(解釈)らしい。
リンク先の著者は、
作品は、こうした内的葛藤から情緒的な緊張感を引き出しているが、同時に歴史的な信憑性を犠牲にしてしまっている。
と手厳しい。

しかし、好意的に見れば、「同性愛」という現代でも迫害の対象になり得る身近な存在を作品内に置くことで、「ユダヤ人迫害」という枠に収まらない主張を映画に込めようとしていたのかな? と思わないでも。

まぁ、それが成功していたかどうかは、また別の話でしょうが。

とりあえず、勉強になりました。

映画チラシ アイヒマンを追え! ブルクハルト・クラウスナー
by カエレバ

2017年3月1日水曜日

夢のような映画「ラ・ラ・ランド」



これでいいのだ!


ミュージカルは好きではないのですが、苦手というわけでもなく、まぁ、積極的に見るまでもない、と思ってしまう程度。

なんだけれども、アカデミー賞最多ノミネートということで、観てきました。

感想を一言で述べるなら、「夢のような映画」。

オープニングでは、大人数による歌とダンス。
度肝を抜かされて、「これが、ずっと続くの? それはそれで贅沢だが、疲れそうだな・・・・」と感じましたが、まぁ、ハリウッド映画のお約束で、オープニングでハッタリをきかせただけで、以降は、そんなそんな派手ではなく。

後は、主演の二人が、くっつきそうでくっつかないという、ラブコメの王道をやって、付き合ってラブラブ、でも現実は厳しくて一度は仲違いするけど、やっぱり二人は互いを必要としていて・・・・・・ぶっちゃけ、ストーリーは、ベタベタ。

「えぇー、今時、こんなにベタで、いいの?」と困惑するレベル。

まぁ、「古き良き映画のオマージュですよ!」というアピールが、そこかしこに仕込んであって、だから、「こんなベタなのも、オマージュです。分かってやってますよ」ということらしいです。

だってさ、「二人が手をつなぎそうで邪魔が入る」とか、「恋する高揚感をあらわす為に、宇宙をバッグにして二人で踊る」とか、「いったんは諦めかけた夢だけど、実は正当に評価してくれる人がいた」とか、・・・・・・・・オイオイ。

なんだけれども、エマ・ストーンが、「くそっかわいい」わけで、そして相手役の「ライアン・ゴズリング」も文句ないしのイケメンで、この二人が、巧みに踊り&巧みに歌うわけで、だからストーリーは「えぇー、いいのそれで!?」であっても、ちゃんと物語が成立してしまう、恐ろしさ。


そんなわけで、劇中にて何度も印象的に使われる「ミアとセバスチャンのテーマ」(ずばりな名前ね・・・・)ですが、



今聞き直しても、ちょっと胸をよぎるものがあります・・・・・・。(サントラ、買っちゃったよ)


で、まぁ、作品としては素晴らしかったけど、・・・・・でも、ちょっと「軽い」のは事実。
アカデミー賞で、今一歩伸びなかったのは、そこらへんが原因なのかな~などと思ったりします。


車が象徴するもの


個人的に疑問であったことは、二人の車ね。

エマ・ストーンがプリウスで、ライアン・ゴズリングはヴィンテージカーなんだよね。

売れない女優&売れないジャズピアニストという設定なのに、えらく金の必要な車に乗っているな? と思ったのは、僕だけ?

二人の性格をあらわす為の「物語の嘘」なんだろうけど、それだけに、この二つが意味するものは、なんだろう?

・プリウス = 現代的なミア(エマ・ストーン)
・ヴィンテージカー = 古風な生き方のセバスチャン(ライアン・ゴズリング)

には、なっていないような気がするなぁ・・・・。

まぁ、セバスチャンが、生活の為に妥協するのは、恋人のミアの生活を支えてあげるという面があるわけで、そこらへんが「古めかしい」と言えば、古めかしい。

セバスチャンは、今時流行らない「古めかしい」正統なジャズの信奉者。
それを象徴しているのが、彼の車なんだろうね。

で、ありながら、飯の種として今風な音楽になびいていしまったことを、彼の信念を知るだけに怒る彼女のミア。


以下、ネタバレ。

まぁ、なんだかんだで、二人は自分の夢をかなえることが出来るんだけれども、別れてしまう。

それから数年後。
ミアは仕事も成功し、結婚して、子供も出来る。公私共に充実している。

そんな、ある日、旦那とふらりと立ち寄ったお店。
そこには、かつて自分が考案した店名とロゴ。

そして、ステージの中央には、かつての恋人。
理想の店を手に入れて、金銭的にも余裕はある模様。
でも、まぁ、結婚はしていないし、店名&ロゴからも、まだまだ別れた彼女に未練たっぷりなご様子。

まっ、よく言われることですが、「男の方が女々しい」ってヤツです。

「古いものを捨てられない男」でして、車の趣味と通底しているということなのかな?

ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック
by カエレバ