2018年5月19日土曜日

千眼美子さん復帰&大川ジュニア様主演「さらば青春、されど青春。」



「お祭り映画」と評される作品があります。

公開される前から、多くのファンから「あーでもない」「こーでもない」と議論百出、ちょっとした情報やら撮影風景のリーク、根拠不十分ながら妙に説得力のある噂話が浮上しては歓声やら悲鳴があがり、その作品を象徴する、または単に著名な映画館の前には、数週間前からテントを張って並び始めるファン、ついに映画公開となれば、SNS上では、やはり多くの人々が論評やら感想をアップ、時に感心され、時に「ネタバレ勘弁」と怒られ、・・・・・・まぁとにかく、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々」でして、過剰なパトスとカオスによって消化されてしまう「お祭り映画」。

世界三大お祭り映画と言えば、只今、興行成績をゴリゴリと更新している「アベンジャーズ」や、去年の末公開され、毀誉褒貶あった「スター・ウォーズ」、そして「幸福の科学」製作映画。

去年の「君のまなざし」に続いて、今年も「さらば青春、されど青春。」が公開されました。
信者の方が、今回も、タダ券を配って下さり、し・あ・わ・せ。

「よーし、早速見に行くぞー」と勇んだものの、近所の映画館は、午後八時前上映スタート。
仕事が終わって、ダラダラとゲームをしていて、「はっ!?」と気がついたら、すでに上映が始まっている。
「どういうことだ!? 私に幸福の科学の映画を見せまいとする、悪魔の仕業か!!」
と驚くこともなく、
「どうしようかな~、どうせ最初は、いろんな映画の予告編が流れているのだから、今から走ったら、間に合うんじゃない?(そもそも、どうせ、真面目に、全部見なくたって、いい映画だし)
と考えたものの、まぁ、それも失礼だな(誰に? 映画に?)と思い返して、その日は、ゲームを進めて、翌日にトライ。今度は、ちゃんとアラームを設定したので間に合いました。

公開三日目、四日目くらいかな? 15名弱の観客がいて、田舎の映画館の夜では、大入りです。この中に、信者の方は何人いるんですかね~。
とにかく、目を合わさないようにして、「よーし、がんばろう」と自らを奮い立たせて、着席。

いろんな映画の予告編が終わって、本編開始。
ニューヨークの街角、主人公を演じる大川ジュニア様の独白からスタート。

そして、場面は、昭和五十年代の日本へ。
実家を離れて東京に向かう主人公のシーン。家族構成は父母兄。
「うん? これは、もしや」というモヤモヤした予感は、東京大学をモデルにしている学校に通い始めたことが判明した瞬間、確信に硬化。
「海外赴任、四人家族、東京大学・・・・・・、この作品は、エルカンターレ(大川隆法総裁)様の半生を描いているのか!」
普通の ぬる~い 恋愛映画を覚悟していたのに、俄然、興味津々。(なんと言っても、このブログの主は、信者でもないの、総裁の経歴を知っているくらいですから)

で、まぁ、大学での勉強、学友との交流、淡い初恋なんてものが描かれるわけなのですが、とにかく、主人公を褒めまくる褒めまくる。

小論文を提出すれば教授が褒め、難しい本を読んでいると友人が褒め、釣り銭をごまかさないと喫茶店のマスターが褒め、・・・・・しまいにゃ、主人公を振った女性ですら、「偉人のような勤勉さ」と褒める始末。
観客としては、改めて、エルカンターレ様の素晴らしさに感服仕切り。
(友人たちが初恋の女性に、「あいつにラブレターの返事を書いてくれ」と懇願している姿を主人公が回想するシーンで、「えっ、大川ジュニアは見てたの?」と思ったのは、僕だけ?)

就職してからも、変人扱いではあるが、上司からは将来の社長と期待され、同僚・先輩からは、あまりの辣腕を妬まれ、アメリカに行けばパツキン美女に惚れられ・・・・・・、相変わらずの無双。

一応、「世間知らず」という欠点が、時にコミカルに語られ、かなわぬ恋愛やら、司法試験の失敗、ものすごい優秀な東大生なはずなのに学究を志すわけでもなく、また官途に就くわけでもなく、それほど大きくない商社に勤めることになったりするといった、下手をすると「負」「マイナス」「評価を下げる」ようなエピソードもあるのだが、・・・・・・結局は、全て、運命なわけですよ。
主人公にしか出来ない使命を全うする為の、大いなる意思によって仕組まれた挫折であり、寄り道であり、壁。

そして、自らに課された使命・義務に気がついた主人公は、「安定した生活こそ、すべて」と耳打ちする悪魔の声に打ち勝って、会社を辞めて宗教家となり生きていくことを決意するのであった。(仏陀の生まれ変わりにしては、えらく小市民な悩みがクライマックスだなぁ・・・・などと思うのは悪魔の仕業です。回春 改悛すべし!)


と、まぁ、そんな感じ。
映画のポスターとか見ると、「恋愛映画なのかな?」と思ってしまいますが、「清水富美加」改め「千眼美子」さんが登場するのは、後半から(最後の45分くらいから?)。

女優としては、連続テレビ小説「まれ」くらいしか知らないのですが(「龍の歯医者」の声優は、それなりに上手だと思ったなぁ)、ちょっとふっくらしたものの、「それはそれで」という感じで、まだまだ可愛らしさは健在、演技にしても声にしても、なりなりに場数を踏んできたこともあって、アイドル女優として、自らの素材を巧みにスクリーンに映し出す力量は大したものだなぁと感心。

・・・・・・・・しかし、この映画がエルカンターレ・大川隆法総裁の半生をなぞっているのだとすると、千眼美子さんの役は、大川きょう子さんがモデルなのか? などと、余計なことを考えてしまったのは、僕だけ?

しかも、主演とは言え、大川ジュニア様は、ご尊父の逆鱗に触れてしまった為に、今は、絶賛教団追放との噂。
ヒロインも、追放されてしまった大川きょう子さんがモデルだとすると、この映画は、宗教家として第一歩を歩むまでを描いているのだが、その一方で、家族と言えども、所詮は他人、人間の全ての行いは虚しいという「諸行無常」の世界観で支えらていることを考えると、大変に非常に正しく深慮遠謀な作品ですね。


とりあえず、最初にタイトルを聞いた時には、柴田翔「されどわれらが日々」が思い浮かびました。
40超えのおっさんからしても、「古いな」と思った作品ですが、青春小説としては、未だに色あせない魅力があります。
おすすめです。

2018年5月14日月曜日

陳凱歌監督「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」
-宣伝のRADWIMPS推しは、それしかウリがないからだと思ったよ-



東北の片田舎に住んでおります。
そんな辺鄙な場所なので、公開される映画は、話題作や大作といったモノ。
なので、だいたい、どの映画を見ても、最低限のレベルはクリアーされておりまして、鑑賞後は「まぁこんなものだなー」「好きな人は、好きなんだろうなぁ」などと上から目線の感想を抱くことが多いです。

ではあるのですが、たまーに、そのフィルターをくぐり抜けてしまう映画もありまして、「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」も、予告編の段階で、「なんだか、あぶなそうだぞ」という予感がビンビンでしたが、「まぁ、でも、それなりには」と自分を説得し、「最悪、映画で再現された長安の風景が楽しめれば、OKでしょ」とハードルをぐんぐん下げてみたものの・・・・・・・・結果としては、普段、摂取しているドラマや映画、アニメ等々が、「普通だな」と思っても、どれだけの配慮と苦労がされているのか痛感せざる得ない内容でした。

概要


今作「空海」ですが、ジャンルとしては、ファンタジー(伝奇・怪奇)歴史ミステリーでしょうか?
ファンタジーと歴史は、どうにかなる。
歴史ミステリーも、適当に散見されるジャンル。

しかし、なんでもアリなファンタジー(伝奇・怪奇)と、ロジックの積み重ねであるミステリーの食い合わせが、どうしたって無理があるわけで。

おおまかなストーリーですが、主人公・空海と、そのパートナー・白楽天が、楊貴妃の死の真相に迫るという流れ。

とにかく説明不足


歴史的な事実としては、楊貴妃というのは、唐の玄宗皇帝の愛人。

玄宗皇帝は、「開元の治」という古代中国の絶頂期を築き上げた一方で、晩年は政治に倦んでしまい、「安史の乱」を引き起こした。

戦乱が長安に迫り、都落ちする皇帝に、配下の兵士たちは、楊貴妃(と、その一族)こそが、混乱の原因だと主張して、彼女の死を望んで蜂起する。
絶望的な状況、いかんともしがたく、最愛の妃を、皇帝は殺すことになるのであった。

「項羽と虞美人」と並ぶ、超有名な悲劇ではあり、この映画の「要」ではあるのだが、その説明が、まったく不足している。

中国史について、最低限の知識を持っている僕ですら、「おいおい」と戸惑うレベルなのに、一般的な観客は「?」だろうなぁ。

歴史的な流れについて説明不足なくらいだから、まして登場人物の心理・心情描写も薄い。
この映画では、異国の地で客死した阿倍仲麻呂が、「実は、楊貴妃に惚れていた」という設定なのだが、そもそも、玄宗皇帝と楊貴妃の関係も、楊貴妃の性格もボヤーンとしているので、そこに大胆な三角関係を導入しても、観ている方が、「ふーん」と、まったく興味がわかない。

そして、この阿倍仲麻呂の横恋慕も、中盤の「かるーいアクセント」で、最終的には「美しき王妃の謎」には、ほとんど関係ない。
「日中合作だから、日本人の著名キャラも出しておかないとね」程度の、まぁ、彩りを整える為のパセリ・・・・・。

結局、「美しき王妃の謎」とやらに関わってくるのは、阿倍仲麻呂と同じく中盤から登場する幻術を得意とする兄弟(厳密には兄弟ではないようだが)でして、・・・・・物凄い重要なキャラなはずなのに、唐突過ぎ。
ミステリー・謎解きに重要なのは、張り巡らされた伏線のはずなのに、いきなり「我々が歴史の裏で動いてました」と、言われてもなぁ。(一応、町で出会った奇術師(?)が伏線ではあるのだけれどもね・・・・・)

強引などんでん返し


ネタバレになるのだが(まぁネタバレだから、どうこうというレベルの映画ではないが)、「美しき王妃の謎」は、
  • 仮死状態にしたのであって、実は殺されてません
  • 仮死状態にすると偽って、実は殺されてました
というライン上で、揺れ動くのだが・・・・・・、結局は、「楊貴妃を仮死状態にして、蜂起した兵士たちを欺くことに成功した」という流れ(のようだ)。

なんだけれども、石棺に葬られたことによって、蘇生しても脱出することが出来ず。
玄宗皇帝らから逃げ出した、幻術を得意とする兄弟が救出に赴いたものの、時すでに遅し。

「えぇ!? 死んで欲しかったなら、最初から普通に殺せよ。なんで、一旦仮死状態にする必要があった? 酷すぎる」なわけで、しかも遺体は腐敗していないという摩訶不思議。(結局、仮死状態にしたの? してないの?)

ここらへんの、「ファンタジーだから」という、いい加減さに、困惑するやら腹が立つやら。

空海と白楽天


で、まぁ、主人公の空海と、そのパートナーの白楽天。
彼らの、謎解きに挑む動機も、イマイチ理解し難い。

当初は、「特殊な能力を持つ異国人・空海に、不可解な超常現象に見舞われた中国人からのお願い」という形だったのだが、その依頼者が亡くなってからも、なぜか、事件に執着する空海。
依頼者に対して、思い入れ・親交があったという描写が皆無だから、やっぱり「?」なんだよね。(そもそも論を持ち出せば、空海のキャラも、イマイチはっきりしないし、魅力がない)

一応、パートナーの白楽天は、楊貴妃の悲劇を扱った「長恨歌」製作の為に、謎解きに挑んでいるという体裁なのだが、そもそも、史実の説明が薄いと指摘した点と同じで、この大事な「長恨歌」についても、劇中で、ほとんど触れられていない。(李白の詩については、一応、触れているのに・・・・・・)
そんなこんなで、やっぱり、壁を感じてしまい、どうにも映画に入り込めない。
観客は置いてきぼり。

さらに致命的なのは、この空海・白楽天コンビ。
いわゆる「バディ」。
パターンとしては、ホームズとワトソンになるのだろうけど、・・・・・うーむ。

いろいろな描き方もあろうに(日中文化の違いとか、バトル担当と知能担当に分かれるとか、Xファイルのように超常現象を信じる派 V.S. 否定派とか)、ただただ平板に、「空海の謎解きに、納得する白楽天」という構図が繰り返され、これもこれで映画に引き込まれない要因になっているわけで。

長安の描写


「最悪、映画で再現された長安の風景が楽しめれば、OKでしょ」という期待も、・・・・・安史の乱によって、ある程度荒廃しているはずなのに、まったく、そんな気配のない長安。

まぁ、予算もあるから仕方ないにしても、「開元の治」によって殷賑を極める「長安」と、一応は落ち着いたが戦乱によって凋落に向かっている「長安」を比較させるだけでも、観客には時代背景・設定を理解する一助になるはずなのになぁ。

そもそも、姿格好は古代っぽいが、町並みは唐代というよりは、明清らくいに見えるのは、僕だけ?


というわけで、「さらば、わが愛/覇王別姫」をお勧めします。



2018年5月6日日曜日

「レディ・プレイヤー1」の感想



「レディ・プレイヤー1」、見てきました。

映像に関しては、さすがのハリウッド大作、脱帽。
また日本サブカルへの敬意がこもった小道具・設定の数々を探しているだけでも楽しい映画でした。

が、「貧しく孤独な少年」V.S.「いけ好かない金持ち中年男性」という、良く言えば、「安定感のある」、悪く言えば「陳腐な」構図が判明した時点で、エンディングまでの道筋が早々に予見できてしまい、さらには、主人公がリアル世界で窮地に陥るとネットの知人が救助するという展開の使い回しには苦笑い。

謎解きをしていく過程で、仮想現実世界「オアシス」を創り上げたジェームズ・ハリデーと、主人公の心情がかぶるという流れも、もう少し工夫が欲しかったし、そもそも、ストーリーを引っ張っていく、この「謎解き」自体に魅力がないというのが如何とも。

物語としては新味に乏しかったものの、一部の巨大企業によって自由なネット世界が牛耳られようとしているのではないか? という危機感や、バーチャルリアリティへの期待、ネット上では安易に本名を晒してはいけませんという小中学生向けの戒めやら、時代設定は近未来であっても2010年代後半のインターネットの空気感が如実に反映されているのは、なかなか興味深く、映像美と相まって、料金分は十分に堪能させてもらいました。