2014年7月30日水曜日

中国の序列9位まで行った周永康が失脚したようで

中国 周永康氏が「重大な規律違反」

薄煕来事件から、「本丸は周永康じゃね?」と言われてきましたが、遂に到達。


軟禁?の周永康氏、汚職1兆円超か 「死刑相当」と香港誌

汚職の額が一兆円を超える、とか。

ガセをリークして、追い詰めているだけかもしれないけど、まぁ歴史的にみると、「ない」とも言えない話でして。

劉瑾 wiki
劉瑾の財産は処刑後に没収されたが、『二十二史劄記』によれば、没収財産は金250万両、銀5,000万両、その他無数の珍宝があり、当時の明朝歳入の10年分に相当するものであった。

ちょうど一ヶ月前には、こんなニュースも。
中国軍ナンバー2党籍剥奪 習指導部 軍掌握へ賭け


習近平氏が中国のトップに就いたのが、2012年11月。今で二年弱。

「汚職追放!」を錦の御旗にしているけど、結局は権力闘争でして。

「二年経って、力をつけた!」と見るべきなのか、「二年経っても、まだ政権が安定しない」と見るべきなのか。

さてさて。


しかし、昔なら内々で処理してしまうところを、こうして白日の下にさらけ出す必要があるのが、習近平氏の権力基盤が弱い証拠なのかな?

就任当時から、江沢民氏の後ろ盾があるわけでもないし、共産党青年団という基盤があるわけでもなく、権力基盤は脆弱とも言われてました。

むしろ、濃い色がない(権力を持たないから)から選ばれた、なんて分析する人もいたくらい。

自民党政治でも、党内に有力な支持者(派閥)がいない首相ほど、国民に訴えるような大胆な政策を実行していたりして、まぁ、それと同じなのかな~。


しかし、こうも激しい権力闘争をした結果として、「汚職のない共産党に生まれ変わりました!」なんてことがあるわけもなく。

庶民的とされていた、前の温家宝氏まで、

中国の温家宝首相一族が巨額蓄財、総額27億ドル以上=報道

という、有り様でして。
(これも、どこまで本当か分かりませんが、その後の、
NYタイムズ紙に中国から「ハッカー攻撃」 蓄財報道影響か
という報復があったことからすると、まぁ、数字はともかく、多かれ少なかれなんでしょうな)


10年後の世代交代の際に、今回粛清された派閥から、相当な巻き返しがあるのではないかと思ってしまいます。

牛李の党争 wiki
新法・旧法の争い


前の胡錦濤氏は、大人しかったなぁ~と遠い目をしてしまうくらい、習近平氏がトップに就いて以降、近隣諸国との軋轢が絶えませんな。

経済大国となり自信をつけた、という面は否定出来ないのですが、逆に言うと、強く出なくては内に示しがつかない証拠にも思えたり。


習近平氏、10年持つのか。
持ったとして、中国、どうなっているんだろうな・・・・・。

漫画「シドニアの騎士」一巻から三巻まで読了


メタルギアソリッドの小島監督が、「シドニアの騎士」絶賛、なんて記事を読んで、「そうか」と、ちょっと読んでみました。

なるほど、小島監督が好きそうな、骨太な作品。


変に読者に媚びてなくて、作者の「SFですけど、なにか?」というスタンスが、がっつり伝わってきます。


・萌えがない
女の子も可愛らしいけど、無駄にオッパイが大きかったり(大きい子も出てくるけど)、パンツがしょっちゅう見えたり、妙に薄着だったり、身体のラインがあらわになるような制服を着ていたり、・・・・・なんてことはない。

・メカフェチがない
二足歩行ロボットに乗って戦うんだけど、これが、直ぐに壊れる。突然、目が光って、隠された能力が解放されたりして「なにー!」となることもなく、バッテリーがないのに唐突に暴走したりなんてこともない。地味に戦い、地味にやられていく。

・共感タイプの主人ではない
「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」とか、「親父にもぶたれたことないのに」とか、そんな青少年の叫びがあるわけでもなく、淡々とした主人公。(と言っても、冷血漢ではないので適当に悩むのだが)

・世界の問題を抱え込まない
虐殺器官なんかは、911後のアメリカへの危機感が背景にあるSFだけど、そういう大上段な主張はない。(作者が意図しないでも、時代の雰囲気が作品に影響することはありますので、話が進むと、また変わってくるのかもしれませんが)

・バンバン人が死ぬ
容赦ななく、あっさりと人が死ぬ。

・説明が少ない
おそらくは、作者の中では、ガッツリと設定があるのだろうけど、作品では、なかなか開示してくれない。
ここらへんが、不親切と思うこともあるけど、「どういう秘密が隠されているんだろう?」という物語の世界に引っ張り込む作用も生んでいます。


こんな感じで、よく編集者が許したな、と感心。
(新人の作家、「こういう風に、かっこよくやりたい!」と訴えたら、「寝言は寝て言え」と編集者に返されるに違いない。)


ストーリーの骨格は、エヴァとマクロスの合体、という感じ。

謎の生命体に攻撃される人類というのは、エヴァの使徒っぽいし(また、そいつらが人類とコンタクトを取りたがっている、という感じも)、人間が暮らす巨大な宇宙船というのはマクロスっぽい。
SFとかアニメに詳しい人からすると、まぁ、もっと、いろいろな影響を見つけることは出来るんだろうけど。

でも、既存の名作の影響下にありつつも、「パクった?」とは思わせるようなことはなく、「シドニアの騎士」ならではの、独特の世界観を、過剰に説明することなく、うまーく構築しております。


アニメの出来もよろしいようなので、この物語が動いてるシーンも見たくなります。


シドニアの騎士(1)
by カエレバ

2014年7月28日月曜日

久保ミツロウ「アゲイン!!」の感想



最近、完結した久保ミツロウさんの「アゲイン!!」。
(東京ではドラマをやっているようですが、こっちは田舎なので・・・・・。「アオイホノオ」も、なんだよね・・・)

週刊連載で途中まで追っていたんですが、「マガジン」を買わなくなってので、つい先日、単行本にて最後まで読了。


「週刊連載って、難しいね」と、改めて思う。(月刊誌なら簡単というわけではないですが)


週一で物語を一つつくって、その一話だけでもストーリーに山谷がないといけない。

で、単行本で読むと、その一冊でも起伏が必要。

さらに、単行本が何冊か集まって、中くらいの「○○編」が出来上がり、そこにも波瀾万丈が求められ。

最終的には、物語全体にも大きな起承転結がないと、評価されない・・・・・。


で、こんなふうに器用に物語がつくれて、当たり前。

さらに画力が求められるわけでして。


さいとう・たかを氏が、「絵も書けて、ストーリーもつくれるなんて、天才にしか出来ない。だから、自分は早い内から、プロデューサー業に専念した」てなことを、おっしゃっているけど、まぁその通りだね。(「ゴルゴ13」を筆頭に、数多のヒット作をつくるさいとう・たかを氏も、やはり余人ではまった及ばない凄腕だけど)


久保ミツロウさんの作品は、「3.3.7ビョーシ!!」も、「トッキュー!!」も、面白かったけどね。(「トッキュー!!」は原作つきだけど。今気がついたけど、全部、感嘆符が二つ、ついているのね)

でも、ちょっと中だるみがあったな、というのが正直な感想。


だから、「モテキ」あたりは、
「えぇ、四巻で終わるの? どうして?」
という物足りない感じがしたけど、物語としては、すっきり描き切った感があります。(他に、外伝、というか、スピンオフが、あるけどね)


で、最新作の「アゲイン!!」だけど、「演劇編、要るか?」と思ってしまった。(アマゾンのレビューを見ると、多くの人も同意見のようでして)

無理に付け足したような印象が、どうしても拭えないなー。


まぁ、絵も綺麗で(久保ミツロウ氏の中には童貞男子が住み着いているらしく、妙なエロさがあるよね)、ギャグも冴えて、キャラも生き生きしているから、スピンオフとして見れば、十分に面白いんだけね。

でも、やっぱり、全体として見渡すと、蛇足というか、引き伸ばしというか。


結局、この「アゲイン!!」って、作者の意図は違うかもしれないけど、「超ネガティブ主人公の今村金一郎(応援団なんか嫌い)」と、「スーパー前向きヒロインの宇佐美良子(応援団大好き)」の、ラブコメなんだよね。

この二人のやり取りが面白いのであって、演劇編は、ヒロインであるところの宇佐美の影が薄くて。(演劇編のヒロインである花高も、いい味が出てるけど)


じゃ、ラブコメ漫画王道の、延々と「くっつくのかな? くっつかないのかな?」と引っ張るのも手なんだけど、この物語は、今村と宇佐美の成長も描いているわけで、そうすると、ある程度物語が進んでしまうと、二人の関係性に答えを出さなくてはいけなくなってしまうわけでして。

で、途中から、読んでいる方としては、「今村、前の話で、十分ポジティブになったじゃん。なんで、まだ悩むの?」と疑問に思ってしまうし、「宇佐美も、もう、あれだけ今村に手伝ってもらったのだから、いい加減、今村が好きだってことで、いいんじゃないの?」と訝ってしまう。


で、まぁ、ネタバレ。

最終的には、次期団長の椅子を賭けて、仲間同士の応援対決になるんだけど・・・・・・・、唐突に主人公の今村が死んでしまう。(ここらへんの強引さは、打ち切られたことが原因なのかな?)

で、皮肉にも、今村の死を契機にして、みなが、いい感じの人生を歩んでいることを、幽霊になった今村は見聞きしてしまう。

でも、そんな中で、ヒロインである宇佐美は、「今村はどこかでアゲインしている」と勝手に信じこんで探している、ということを知ってしまう。


女にそこまでされてしまい、で、どうする、今村!

・・・・・・どこからともなく聞こえてきた宇佐美の応援の声を聞いて、幽霊になった今村は、元の世界に戻るという、少々漫画的な無理矢理さ。


が、戻った直後の今村のぶっ壊れ具合は、久保ミツロウ氏の本領発揮で、感動というよりはゲラゲラになっておりまして、いくら再会したのが嬉しいとは言え、衆人環視の中で、ヒロインの宇佐美を押し倒すのは、そりゃいけんでしょ、でも、あの石頭の宇佐美も満更じゃなさそうと笑わせてもらったのも束の間、直ぐに、他の女とキスするし。


でも、また、いつもの日常に戻っていくんだけど、「不満ばっかり言っても始まらないし。どんなにダメ人間、ダメな状況でも、今の自分を、どうにかこうにか誤魔化してでも肯定して、コツコツやっていくしかないよね」というオチ。

それが、「努力したら、夢はかなう」と言った、無責任な自己啓発ではないあたりが、まぁ、久保ミツロウさんらしいですな。


アゲイン!! コミック 全12巻完結セット (KCデラックス)
by カエレバ

2014年7月26日土曜日

『惡の華』 第二巻 の感想。


一巻に続いて、二巻を見終わりました。
(■『惡の華』 第一巻 の感想。)


ストーリーとしては、仲村が給食費泥棒と濡衣を着せられ、それに反論した主人公の春日がクラスで浮くけど、ヒロインの佐伯には好評価を得る。
そんで、春日と佐伯はデートという流れになるけど、仲村がちょっとした悪巧みを計画する、で二巻は終わり(第四話まで)。


漫画版は全部読み終えているので、「そうか、こんな感じだったか」と、反芻しているような感じで見ております。


春日と佐伯がうまくいきそうになって、仲村が悪戯を仕掛けるのは、嫉妬のように見えるけど、仲村本人は否定。

どうなのかな? マンガを読んでいたときは、仲村が否定したので、「違うのか・・・・?」と思ったけど、こうして全て終わってから見渡してみると、やっぱり嫉妬だったような気もする。


クラスのアイドル的な存在である佐伯は、顔よし、頭よし、性格よしで、「秩序」の象徴。

それに対して、仲村は、頭は良いのか悪いのか分からないけど、テストを白紙で提出するような人間。教師、同級生問わず、臆することなく罵詈雑言を吐くような性格でして、難あり。顔は、マンガでは、それなりに可愛らしく描かれていたけど、アニメでは、微妙な感じ。世間に馴染めない、反秩序、つまりは「混沌」の象徴。


で、仲村にとっては、ようやく手に入れた同志、手下、奴隷であるはずの変態(混沌)の春日が、佐伯に近づいていく。

それに対して、介入するのは、「嫉妬」なのか?

それとも、春日をより「変態」に陥れる(つまりは、より深い連帯を手に入れる)ための好機なのか?


どっちなのかな?
どっちもか?


後半(中学生編)で、春日と佐伯とセックスしたことに対しては、ショックを受けていたことからすると(ただし、これは佐伯からの情報)、やはり「嫉妬」面が強いかな? と思ってしまうけど。


なんで、「嫉妬」かどうかにこだわるのかと言いますと、結局、これが中学生編のラストで春日を突き飛ばした謎と、高校生編のあの意味深な仲村の表情につながっていくからなんですが、やっぱり、こうして見直してみても、なんとも結論が出ないな・・・・・。


『惡の華』Blu-ray 第二巻
by カエレバ

2014年7月25日金曜日

『惡の華』 第一巻 の感想。


漫画の方は、最近、大団円で終わった「惡の華」。

「この終わりか・・・・・」という意見もあったようですが、個人的には「まぁ、一つの形かな~」と受け入れました。
(正直、もっとぶっ飛んだラストになると予想&期待していましたが)


で、今さらながら、アニメの第一巻を見てみました。

ぶっ飛んでるね。


そもそも方法論(ロトスコープ)が、いっちゃってるもんな。 放送時に、「なんじゃこりゃ!?」と話題になったことを覚えていますが、こうして見ると、やっぱり「なんじゃいこりゃー」だね。

これがロトスコープ。

なんで、普通のアニメでもなく、普通の実写でもなく、こんな特殊な方法に走ったんでしょう?

製作者がやってみたかったんでしょうね、と言ってしまうと、身も蓋もないですが・・・・。

漫画版の初期を思い出すと、けっこうコミカルなんだよね。

ネタバレになるけど、そもそもの発端である、クラスの憧れの女の子の体操着を盗んじゃうという始まり自体が、思春期男子特有の、アルアル的な失敗。

当人には世界の存亡を賭けた大事件だけど、端(男子目線)から見ると、けっこう微笑ましいエピソードだったりする。(女性からすると、「ふざけんな」でしょうけど)

そんな間違いを犯してしまった少年を脅迫する少女も、どこかしらユーモラスな面があったりするんですが、(中学生編の)後半になるにつれて、引き返せないような緊迫感に溢れてくるわけでして、アニメ版としては、こちらに照準を合わせた結果として、実写とアニメの中間点という作品になったのかな?

「じゃ、実写で、いいじゃん」 とも言えるんだけど、今のところは、肯定も否定もできない感じ。

その判断は、これ以降も見てからかな。


『惡の華』Blu-ray 第一巻
by カエレバ

2014年7月23日水曜日

伊藤計劃「虐殺器官」読了


伊藤計劃氏の「虐殺器官」読了。

メタルギア好きなので、「MGS PW」に「このPEACE WALKERを伊藤計劃氏に捧ぐ」なんてメッセージで気になっていたのですが、ようやく作品を一つ読むことができました。


感想としては、メタルギアというか、小島監督への愛があふれる作品でした。

wiki見ると、かなりのファンだったようなので、当然と言えば当然ですが。
伊藤計劃


ちょっと読み返しただけでも、DARPA、ナノマシン、ミーム、PMF、スネークイーター、HALO降下等々、いくらでもメタルギアで使われていた用語が、バンバン出てくるよ。


でも逆に、MGS4の月光のイメージなんか、人工筋肉が実用化されている「虐殺器官」の世界観から発想を得たんじゃないかと考えてしまった。

けど、「虐殺器官」は2007年6月、「メタルギアソリッド4」が2008年6月の発売なので、ゲームの製作期間の長さを考えると、さすがに、ないか?

ありがちな表現を使うと、時代の先端を行くクリエーターが、図らずしもシンクロしてしまった、といったところか?(伊藤計劃氏は、発売当時は無名だったけど)


小島監督の、それもMGS3の影響は、甚大ですな。

いろいろと読み取ることの出来るゲームだけど、MGS3の中では、「国家からの任務と個人」が、一つの柱になっています。

言い換えると、「国家と個人の関係性、その中で自由意思って何?」ということ。


以下、ネタバレなんですが、題名の「虐殺器官」とは、言葉のこと。

ある種の言葉を用いることで、その言語を用いる集団に虐殺を起こすことが可能、という設定になっております。


そう書くと、「SFだね」の一言で片付けられるのですが、ある場面においては、人は、言葉によって人を殺すことになるのも事実。


これは、事故にあった母親への延命治療の停止をしてしまった主人公の独白です。


言葉によって虐殺引き起こすという設定自体は荒唐無稽かもしれないけど、我々の世界において、銃弾やナイフといった凶器は最後に現れるのであって、その前段階には往々にして言葉がある。

「虐殺器官」の主人公は911後のアメリカにおいて新設された暗殺部隊の隊員だけど、彼は所詮、最後の凶器。

彼が殺す対象というのは、国家が決めたものであり、命令(言葉)によって、定められている。
言うなれば、彼に自由意志といったものはない。

それに対比して、虐殺を引き起こす男、ジョン・ポールは、自らの意思でもって行動している(人を殺して歩いている)。

この二人の緊張関係は、最終的には、主人公がジョン・ポールを包含することで終わります。(MGSでのスネイクとザ・ボスを想起させる関係です)


で、そのラストが、「劇場版パトレイバー2」で描かれていたように、戦場を遠くにおいやってしまった先進国への痛烈な批判となっているわけでして、ここらへんのメッセージも、やはり小島監督の影響が濃いですねー。


気になった点としては、暗殺部隊の隊員にしては、主人公がナイーブでね。解説を読むと意図的なんだろうけど。
一人称も僕だし。
(村上春樹氏っぽくも感じられました)

全体的に日本人的なウエットな感じがして、主人公が、どうにもアメリカ人には思えない。

その価値観にしても、ジョン・ポールを取り込んでしまう思考回路にしても、どうしても日本人的なんだよね。

まぁ日本人が書いたんだから当たり前なんだけど。


他にもあげつらえば、ジョン・ポールが自らの秘密についてべらべらとしゃべり出すところなんか、まだまだ荒削りだなーと思ってしまったけど、そうそうたる人間が帯に賛辞を送っているように、テンポよく進んで、物語は十分に面白かったです。

しかし、これだけの作品をデビュー作で書けたのに夭折してしまった、というのは、なんとも・・・・・。

もっとも長編にもかかわらず、10日間で仕上げてしまったという事実からすると、それだけの集中力が発揮できたのは、やっぱり自分の残りの日数を覚悟していたのかな、なんて思ってしまいます。


アニメになるようだけど、うんちく満載で、虐殺器官の説明が複雑にならざる得ないのに、大丈夫か? と勝手に心配してしまいます・・・・・。


虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
by カエレバ

2014年7月22日火曜日

「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」見てきました


コーエン兄弟の新作「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」を見てきました。


「真夜中のカーボーイ」みたいな作品でした。



見たことのない方に言いますと、田舎から出てきた時代遅れのカーボーイルックの男娼と、そいつに女を紹介しようとする男性の物語。

・・・・・しかし、こう書いてみると、最悪なストーリーだな。(だから面白んだけど)
(ただ、「真夜中のカーボーイ」はバディ・ムービーでもありますが、「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」は、バディを喪失した物語です)


で、「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」は、売れない歌手の物語。
まぁ、男娼に比べたら、まだマシですが、性格は負けず劣らず最悪。

以下、ネタバレ。


主人公のルーウィン・デイヴィスは、誰にでも喧嘩を吹っかける。

自分に歌う場所を提供してくれている酒場の主人や、彼の才能を惜しんで寝床を貸してくれるパトロン(のような男)、実の姉等々、とにかく噛み付く。

何故に、そんなに喧嘩っ早いのかと言うと、最初は、「売れない自分に苛立っているんだろうな・・・・」という感じでした。

が、徐々に、彼の歌っているフォークソングが時代遅れになりつつあることや、そしてなによりも、相棒がいなくなってしまったことが判明します。


その相棒は、どうやら自殺したようですが、原因などが言及されることはありません。

そこらへんの説明不足が、この映画は絶妙でして、主人公の他にも、多くの登場人物が、彼の死を惜しんでいるんだけど、サラッとしか触れない。

主人公にしても、相棒の自殺はショックを与えているのだろうけど、そのことについて心情を吐露することはないし、泣いたり、怒ったり感情を表にすることはない。


でも、「あんた、下手くそじゃないけど、売れるとは思えんな。今三人組のグループを考えているんだけど、その一人にならないか? まぁセンターは任せられないけど、清潔感のある格好で、後ろでちょっとやってみないか?」(アイドルのバッグバンドを勧められる感じ?)と、まぁ、家も金もない彼に手を差し伸べる男が登場するんだけど、主人公は、突っ張って、断ってしまう。

そんなとき、自分の理想を追い求めているようにも見えるけど、自殺した相棒に義理立てしているようにも見えるし、また自殺した相棒に義理立てしている自分に酔っているようにも見える。


ここらへんが、なんとも言えない味になっています。


もっとも、身近にいたら、最悪であることには、変わりはないんですが。
(でも、落ちるところまで落ちても偏屈なままでいる、痩せ我慢のダンディズムが、男性としては、同情心をくすぐるものがあります)


で、最後に最後になって、その相棒へのわだかまりも解消して、主人公は次の段階に進めるのか? という感じで終わります。

売れそうな感じもするし、歌手への夢は諦めるようにも見えるし、やっぱり、また「売れねーなー」という苛立ちを抱えたまま奮闘する毎日が繰り返されるように捉えることもできる、そんなラスト。

「製作者側が、答えを出すのを、逃げたな」と感じることもあるようなラストだけど、この映画では、うまーく味わい深く終わっております。


で、キャリー・マリガンがヒロイン(?)として出ているんだけど、この女性は、お股の緩いフォーク仲間で、彼氏はいるけど主人公とやちゃっている。
で、妊娠してしまって、心地良いくらいに主人公を口汚く罵るんだけど、それでいて、たまに優しい言葉を掛けてくれるという感じ。

ディカプリオ版の「華麗なるギャツビー」では、綺麗でお馬鹿なお嬢さんだな、くらいにしか感じなかったけど、この作品では、奥行きのある女性像を演じていて、大変可愛らしかったです。

2014年7月21日月曜日

「黒子のバスケ」脅迫事件の犯人からの長文が掲載されているけれども

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人(もう自分で認めているので、犯人でいいのだろうけど)からの長文が掲載されているのですが、原稿用紙で44枚。

長い・・・・・・。

「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述1
「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述2
「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述3
「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述4
「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述5
「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述6


さらに、おまけ付き。

「黒子のバスケ」脅迫犯からのネット向け声明文


ざっと流し読みしたんですが、何度も何度も出てくるのが、親への恨み節。

親が適切な愛情を注いでくれなかった、さらに虐待していたので、こんな人生になってしまった、という彼のお話が、繰り返し述べられます。


まぁ、これが、本当のことかどうか分かりません。

ユナボマーに関しての、ちょっとしたドキュメンタリーにおいて、彼が子供時代に虐待を受けたと主張していることが紹介されて、その後、母親と兄弟が登場して、
「そんなことは、なかったです」
と言っておりました。

一応、そのドキュメンタリーでは、ユナボマーの主張は、妄想とされていました。(■セオドア・カジンスキー(ユナボマー))


今回の被告人が主張する「虐待」も、どこまで本当か分かりません。

誰もが無菌室で育ってわけではなく、どこかで心理的な傷を負って生きていくものです。

それが第三者からみて、「確かにヒドい」ものなのか、「そんなの気にしても仕方ないだろう」レベルなのかは彼の言葉だけでは分かりませんが、しかしながら、自分の人生の躓きの原因が親にあると認識しているのは確かなようです。


この長文でも言及されている、宅間守にしろ加藤智大にしろ、やはり、親との関係は、あまりよろしくなかったようで。

2つの事件とも、一般人の価値基準からすると、本人には見返りのない無差別殺人という面が、世間に衝撃を与えたように、今回の事件も終わってみると、その犯行動機は、「えっ、なんで?」という感じ。

一応は、文章内では、いろいろと本人は述べているものの、しまいには、
自分は「黒子のバスケ」の作者氏の経歴を詳しくは知りませんでしたが、これ(引用者注:「黒子のバスケ」の作者の経歴)を見て、
「自分は標的を間違えなかった。」
と思いました。
と言っている始末でして、結局、偶然目についたという程度の犯行動機。


そう考えると、この一連の事件は、彼から親への復讐であり、方方に投函された脅迫状は、言うなれば無記名の果たし状だったのかなー。

そして、まぁこうやって、長々と文章をしたためているのも、やはり復讐の続きなのかな?

今の自分がどう見られているか、評価されているか、分析されているか、そのことについて、強烈な興味があるようだけど、結局、それも、親への愛情を求めていることの裏返しにも感じられるし。

2014年7月19日土曜日

THE NEXT GENERATION パトレイバー/第2章


もう「世界の押井」と言っても良い立場なのに、今さらながら、ちょっと古くさいのでは? と見ている側が不安になってしまうくらい、ベタな「ドタバタ」をやっているパトレイバーの実写版。
第二章、見終わりました。

第一章に引き続き、相変わらずの、力のぬけた、ゆる~い感じ。


この、ゆる~い感じ、最近、他でも味わったな? と考えてみると、「スペース☆ダンディ」が頭に浮かぶ。
(こちらは、最近、第二クールが始まりました)

当初は、渡辺信一郎監督の「カウボーイビバップ」みたいな作品を期待していたので、同じ人でも「ここまで、ベタベタなギャグに走るのか・・・・・」と、あまり崩れたストーリーに面食らっておりました。

が、「カウボーイビバップ」のような展開を期待するのを止めたら、その、徹底的なくだらなさが心地よくなってきて、今は不満などなく作品を受け入れています。


「パトレイバー」の実写版も同じで、エピソード2の、「カイジ」「うる星やつら」「ガンダム」「トップをねらえ!」等などの、しょーもないパロディの連続に、楽しく苦笑いさせてもらいました。


押井監督の最近の作品は、「オタク市場」を目指さないことを指向していたように思えますが(世界の押井として、プライドもあるでしょうし)、思い切って先祖返りしたなーというのが、この第二章までの感想。

年をとって、多少、肩の力が抜けたのかな?

とりあえず、オッサンには、大変楽しい作品となっています。


このまま突っ走って欲しいですが、最後は「劇場版パトレイバー2」のような、ひりつく作品まで行ってくれたら、それはそれで幸せだなー。
(個人的には「スカイ・クロラ」は、「うーむ」でしたので、そこまでは行かないで欲しいけど・・・・・)


第一章の感想。
THE NEXT GENERATION パトレイバー/第1章

2014年7月16日水曜日

映画「ハリー・ポッターと賢者の石」を、いまさら鑑賞


今さらながら「ハリー・ポッター」の小説をボチボチ読んでおりまして、現在、「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」まで読み終わり。
(感想:■「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」読了)

映画も見てみるか、ということで、「ハリー・ポッターと賢者の石」鑑賞。

2001年か。
もう10年以上前の作品なのね。

でも、もともとファンタジーなので、古臭いということはなく。
HD画質で見ても、「金と手間をかけたなー」という建物や小道具類には、今でも感心するしかない。

可愛らしい子供が、必死に演技している様は、微笑ましいです(そして、主演のダニエル・ラドクリフが後にアルコール依存症になるという未来を知っているので、遠い目になってしまう)。


ストーリーは、小説を忠実になぞっております。

が、原作では、ポンポンと起こる事件のおかげで退屈しないで読み進めることができましたが、こうして映像になってしまうと、起伏がなくて、忙しない感じ。
まぁ、ストーリーを知っているということもあるでしょうが。

子供でも楽しめる映画、という配慮もあるのか?

その割には、二時間半という、長丁場。

そこまでやっても、原作のすべてを網羅したとは言えず、とくにキャラクターの行動が、映画だけ見ている人からすると「なんで?」って思うこともあるのかな?


ここらへんは原作モノの宿命ですからね。

改変してしまうと、ファンに怒られるし、改変しないと、どうしても映像表現に合致しないところが出てきてしまう。

続編が考慮されていないなら、もっと、バッサバッサと切り落とすところもあったんだろうけど、「後々のことを考えて、ここらへんも入れておかないと」という事情もあって、こんな冗長な感じもする作品になってしまったんだろうな・・・・・。

原作に入れ込んでいる人からすると、これでいいんだろうけどね。

by カエレバ

2014年7月14日月曜日

二階堂ふみ「私の男」を見てきました


二階堂ふみさんが主演した「私の男」が、モスクワで(よく分からない)賞を取ったって?
しかも、父親とのインモラルな関係を描いた衝撃作?
こりゃ、見に行かないと!

ということで、見てきました。


この手の作品ですと、父親と娘が禁忌を犯す理由付けが、しっかり描けているかどうかが出来上がりの成否を握っているわけでして、これが弱いと、単なるポルノになってしまう。(まぁ別にポルノなら、ポルノで、割り切るのも良いと思いますが)

海外で受賞したくらいだから、「二階堂ふみという若手の女優が、美人な上に演技が出来て、エロイことも平気なタイプだから、とりあえず芸術っぽく撮って、貧相な世間の人間の劣情を煽り、あぶく銭稼いでやれー」てな感じではないだろうとなぁと思いながらも、・・・・・・濡れ場を期待しておりました。


以下、徐々にネタバレ。

僕の個人的な物語の咀嚼力が弱いのか、父娘が、そういう関係になってしまう理由が、いまいち、つかめない。

物語は津波のシーンから始まって、そこで娘である「花」だけが生き残る。
そして遠縁にあたる「淳悟」という男が引き取る。

娘にしてみると、男は自分の保護者。飯の種。ある程度しっかりとしていれば、自然と親愛の情がわいてくる。
さらに、育ててくれた家の母親には、どうやら愛されていなかったようで、しかも、自分の命を救ってくれたのは、父親(育ての親)。
父親に対しては、過剰な愛情を求めてしまうという展開。

「淳悟」にとって、実は「花」は、血の繋がった娘。
だから、まぁ、津波があって、彼女を引き取りに行くというのも、分からんでもない。


でも、ここから、肉体関係に行ってしまうのが、どうにもこうにも、理解できないまま物語は進む。

まぁ男の身勝手な論理からすれば、そりゃ、二階堂ふみみたいな美少女から言い寄られたら、コロッといってしまうだろう、とも思いますが、でも実の父親だからね。
そんなエロゲー的な理屈では、どうも納得するのも難しい。

特に父親役が浅野忠信さん。風貌からしても単なるエロ親父以上のものが、この男にはあるんじゃないか? と求めてしまうけど、どうにもこうにも、「家族が欲しい」とか言っておきながら、娘を性欲処理の対象にしていることに、矛盾しか感じないし、その矛盾に苦悩しているようにも見えない。


で、二階堂ふみさんが演じる、娘の「花」にしても、震災のトラウマから過剰な愛情や依存を生んでしまった、とも言えるけど、父親との肉体関係を渋々ではなく、喜んで受け入れているようにしか見えない。

エロゲーでもあるまいし、そんな便利な、若くて綺麗でスタイル抜群の娘がいるかいな!? と思ってしまう。


で、二人の関係がバレそうになって、殺人まで犯してしまう。
幸いにして、犯行が第三者にバレることはなかったが、居辛くなって故郷を捨てて東京に出てしまう。

ここから、また、よく分からない展開で、男の方は、働くのを辞めて、ゴミ屋敷のような家で腐っていく。
でも、女の方は、ちゃんと仕事を見つけて、同僚と飲みに行くようになる。住んでいる家は一緒だけど、彼女の部屋だけ、ちゃんと清潔で片付いている。こっちは真っ当な人生に。

なんで、殺人まで犯して守った関係なのに、そんな齟齬が生まれてくるのか、その理由も、(僕的には)判然としない。


で、最終的には、花は逃げ出して他の男と結婚することに。
でも、最後の最後のシーンで、また父親を誘惑するようなシーンで終わる。


正直、えぇ? なんで? さっぱり、意味が分からんよ。

父親は単純に若い女が好きで、娘はニンフォマニア(色情狂)ということなの?
(うーん、エディプス・コンプレックスでも用いれば、もっともらしい解釈ができそうな気がするけど)


全体的に、説明不足な気がしました。
「続きはwebで」というCMがあるけど、「詳細は原作で」ということなのか?

いや、単に僕の物語への理解能力が欠けている?
そもそも、そういうことを云々する映画ではなくて、もっと理屈ではなく感性でみるタイプなのか?


(未だに物議を醸すような)冒頭に津波があるように、センセーショナルなシーンが続いて、時折登場人物が意味深な言葉を吐いて、二階堂ふみさんの、ちょっと不安定な子だと思わせる演技があって、「この映画には、なにか、ありそう! もっと考えなくては!」とは思わせるんだけど、とどのつまり、貧相な独身男性には、二階堂ふみさんは綺麗で可愛くてエロいな、というイメージしか頭に残りませんでした。

安っぽい映画ではないんだけどね・・・・・・・。

by カエレバ

2014年7月12日土曜日

「ニューズウィーク日本版 2014年 7/15号」読了


とぼとぼと読んでいた、ニューズウィークの今週号、読了。

「特集:中国と韓国 蜜月は本物か」となっていますが、そんなに記事の量はなかったです。
(ニューズウィークは、特集が意外に少ないことが多いです)

量はともかく、内容は? となるのですが、「中韓、仲良しに見えるけど、所詮、政治体制が違うから、同床異夢だよね」という、まぁ素人でも知っているようなお話しでした。


経済的な結びつきが強いけど、だからと言って米韓の関係を精算するわけにもいかないですからね。

韓国:「反日協調」悔やむ 中国と集団的自衛権憂慮表明で

ここらへんの記事を読むと、韓国も、大変ですなーと思ってしまいます。


それとは関係なく、ちょっとだけ面白かったのは、「深田政彦」記者の記事。


この記者は、ちょっと前に「 「反ヘイト」という名のヘイト」という記事で、有田芳生議員に責められてました。

有田芳生参院議員がニューズウィーク誌を痛烈批判 茂木健一郎氏と共に差別問題を提起

時に政治的なつばぜり合いが、第三者からすると、非常に不毛に思えてしまうのは、「クソを投げられたから、クソを投げ返せ」という応酬。
(もっとも、「右の頬を叩かれたら、左の頬を出しなさい」とは出来ないのも分かるのですが。)

在特会に対向する組織として、「レイシストをしばき隊」という名前が上がったとき、そのネーミングは、どうなんだ? と思いました。(今は、名前は変わってますが)

そういった、「非常識な組織には非常識な手段で対抗だ!」といった流れに、「なんだかな・・・・」と思っていましたが、その危うさを浮き彫りにしてくれた点では、「 「反ヘイト」という名のヘイト」は面白い記事でした。


で、案の定、一部のネットユーザーは、「ほーら、サヨクたちはダメダメだ」と大喜びで、「在特会は正しいこと“も”している」という感じになっているあたりが、あぁ不毛。


やはりと言うか、アマゾンのレビューも、アツいことになっております。


で、今週号は、「「連勝」安倍政権が守りに転じるとき」という、どちらかと言うと、安倍さんへの応援的な内容。
(アメリカのニューズウィークは中道左派的なのかな? でも、日本独自の記事に関しては、昨今の風潮からか、ちょっと右の傾向が強いように思えます)

こりゃまた、一部の人を喜ばせて、一部の人のかんに障るような記事で、ぶれませんねーという感じでした。


by カエレバ

2014年7月11日金曜日

「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」読了


今更ながらハリー・ポッターを読んでいるんですが、三巻目「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」を読了。


ワンパターンと言えば、ワンパターン。

新登場する魔法のアイテムが程よく事件を起こしてくれて、偶々ハリー・ポッターが大人の会話を立ち聞きしてしまい、重大な秘密に気がついてしまうけど絶対に誰にも相談せず、結果として窮地に陥るけど最後はハリー・ポッターの秘めたる力が解放されて大団円。

毎度のラストは、なんかご都合主義だよなー、と思わないでもないです。

強さの原因について、遺伝で済ませてしまうのは、幽遊白書の大隔世遺伝とかドラゴンボールの悟空は実はサイヤ人とか、・・・・・・まぁ世の東西を問わないんですなー。

また、最後の最後に犯人が登場して、ベラベラと今まで起こった事件について語りだすところなんかは、金田一少年を思い出してしまいます。
でも、こういう形式の方が、結局は、読み易いんでしょうね。


読み易いと言えば、嫌なヤツは、とことん嫌なヤツ。
スリザリンに所属している、または関わっているヤツは全員嫌なヤツ。

・・・・・全員が嫌なヤツって、やり過ぎだろ? とも思いますが、これくらいの方が素直に頭に入ってくるんだろうなぁ。


ちょろちょろとツッコンだけど、でも、つまらないわけではない。

全体としては、

「ダーズリー家で騒動」→「ホグワーツで事件発生」→「最後に犯人と対峙」

基本としては、この流れなんだけど、分かり易く個性的なキャラクターのおかげで、楽しく読めてしまう。

諸々の設定にしても、過剰にマニアックにならないところが、お子さんにも優しく、大人でも安心といったところ。


これを真似たら、世界的なベストセラーがつくれるはず! と思っている出版社の人はいるだろうけど、しかし、この絶妙なバランスは、そう簡単に真似られるものじゃないだろうねー。

だいたいにして、毎度ホグワーツがメインで、ここまで長編を書ききってしまうのが、恐れ入ってしまいます・・・・・。


by カエレバ