2015年1月31日土曜日

「美味しんぼ -福島の真実編-」を読んで、「正しく恐れる」という難しさを思う


連載当時、いろいろと反響のあった「美味しんぼ -福島の真実編-」ですが、単行本になったので、読んでみました。

ぶっちゃけ、漫画としては、「面白い?」と聞かれたとすると、なかなか答え難いものがある作品になってました。

まぁ、作者にしもて、今作に関しては「娯楽じゃねーんだよ」という自負があるから、そこらへんは、気にしてないかな?

一方で、山岡と海原の(完全なる)和解が達成されたわけでして、あえて福島を舞台に、そのような大きな展開をもってきたことからも分かるように、作者の並々なら入れ込みようがうかがえます。


物語は、震災から半年後、福島に取材に行くシーンから始まります。

で、以降は、
「現地に行く」
「現地の人に会って、農作物や郷土料理を食べる」
「どうして、こんな事態になっているんだと怒る」

「東電と政府の悪口」

というパターンが続きます。


さて、ラストの「福島を捨てろ」と言わんばかりのまとめ方で、作品及び作者が炎上してしまいました。
そこだけ報道をされたので、未読の方は、全体的に過激なことを主張していると思われているかもしれませんが、そんなことはないです。

ラスト以外では、現地で必死に生きる人の声を伝えようとする姿勢。


度々出てくる放射能やらセシウムなどの数値について、正直なところ、僕は客観的な判断を下すほどの知識は持ち合わせてはいないです。

なので、作品内での指摘が、適正なのか、過剰・誇張なのかは分かりませんが、しかしながら、ある地域に住む人々が、数値について、一々気にしなければいけないような状況下に置かれていること事実なわけでして、あらためて考えさせられます。


最終的な(作者&作品の)結論は、海原雄山の言葉、
低線量の放射線は安全性が保証できない。国と東電は福島の人たちを安全な場所に移す義務がある。
私は一人の人間として、福島の人たちに、国と東電の補償のもとで危ない所から逃げる勇気を持ってほしいと言いたいのだ。
が、全てを語っております。
これが、まぁ炎上したわけでして・・・・・・・。

リスクがゼロであることを証明することはできない以上、安全な場所に移るべきだ、ということなんだけど、うーむ。

いくらなんでも過激なのでは?
あんた(作者の雁屋哲さん)は金もあって、仕事も続けられるからオーストラリアに移住したけど、普通の人は、そうはいかんのよ・・・・・とは思ってしまう。

が、「絶対に大丈夫と保証できるの?」と詰め寄られたら、被曝量について正確な知識などない僕には、返す言葉ないわけでして。

「なんとなく皆が大丈夫と言っているから、移住までは必要ないんじゃないの?」と思っているに過ぎない。


「リスクをゼロにする、ということ自体がナンセンス」と反論もできるけど、そもそも、あの事故がなければ、余計なリスクを背負い込む必要はなかったわけでして。

答えのある話じゃないからね、難しいです・・・・・・(と、逃げておこう)。


2015年1月29日木曜日

「トラック野郎 御意見無用」を見た



デイリーポータルZの以下の記事を読んでいて、

「アール・デコトラ」を作ってみた - デイリーポータルZ:@nifty

そういや、「トラック野郎」シリーズは、一つも見たことないことに気がつきまして。

菅原文太さんの追悼という意味でも見てみるか・・・・・と、手にした「トラック野郎 御意見無用」。
記念すべき、最初のシリーズ幕開けの作品です。


うーむ、思い出補正があるような人でないと、ちょっと難しい映画だね。


愛川欽也さんのコミカルな演技や、「仁義無き戦い」とは違った菅原文太さん、昭和40年代の日本の風景とか、単純に面白いけど、ストーリー自体は、まぁ、古臭い。

このラインを経て、現在のコメディが存在するのだから、今の人からすると苦笑いするしかないようなシーンがあるのは仕方ないのは分かるけど、うーん。

トラック野郎 - Wikipedia
wikiを見ると、寅さんのライバル的な存在で合った時期もあるようで。

なるほど、「ヒロインが出てくるけど、失恋で終わる」という流れは同じだけど、エロとバイオレンス、カーチェイスといった要素を組み込んで、寅さんでは満足できない層をつかんだんだなぁーという安易な想像はできる。

けど、寅さんは、今でも楽しく見れるけど、こっちは、ちょっと厳しいなぁ・・・・・。(同じ菅原文太さんですと、「仁義無き戦い」は、面白いけどね)

2015年1月28日水曜日

NHKスペシャル「NEXT WORLD 私たちの未来 -第1回 未来はどこまで予測できるのか-」を見て怒る



録画しておいたNHKスペシャル「NEXT WORLD」の第一回「未来はどこまで予測できるのか」を見たんですが・・・・・。

最後の最後で、もう、なにがなんだか。

NHKスペシャル「NEXT WORLD」


タイトルから予想できるように、科学技術の発展で、我々の生活はどう変わっていくのか? ということを紹介する番組。

第一回は、人工知能。
ビッグデータの収集とコンピューターの発展により、今までの人間では分析できなかったものが、分析できるようになっている。

で、既に現実化している例として、アメリカの某所では、人工知能が導き出すパトロールのルートを警察官が回ることで、犯罪の発生を減少させている。

とか、素人が歌をアップロードできるサイトでは(日本で言えば、ニコ動みたいなもの?)、人工知能が常にデータを分析しており、過去のヒットソングの傾向から、有望な新人発掘が行われている。


効率化の観点からすると、大変素晴らしい未来が待っているような気がするけど、一方で、ある弁護士事務所では、既に人工知能に人間が使われるような状況も発生している・・・・・。

本当に人工知能万歳なの?
なんか、「人間が主で、コンピューターが従」ではなくて、「コンピューターが主で、人間が従」になる社会が待っているのではないか?


という危惧に対して、最後の最後で紹介されたエピソードが、ある内向的な男性エンジニアのお話。

パートナーを見つけるために、三万人の女性のデータを分析。

で、女性から声を掛けてくれるようなサイトを構築。
そして、実際に88人の女性に会い、自らにピッタリの女性に出会った。

( ゚Д゚)ハァ?

ヽ(`Д´)ノ !!!

ヾ(・∀・;)オイオイ、88人も会ったら、そりゃ、理想の相手も見つかるだろうよ。

なんか得意気に、
「人工知能のおかげで、何を話せばいいのか事前に分かっていたから、緊張しなかったよ」
と言っているけど・・・・・つまり、場数をこなしただけのお話では?

結局、最後の最後のまとめで、「ほーら、人工知能は恐くないよ。人間の友だよ?」って言いたかっただろうけど、これじゃ、全然、意図通りになってない。

うだうだ言ってないで、根性出して女に会いまくれ!
そのうち、「これでもいいかな?」って思ってくれる女もあらわれるぞ!!

って、ことじゃんか。
人工知能関係なくね?

個人で三万人の女性のデータを分析するくらいだったら、婚活サイトに登録して、女に会いまくれって! というオチにしか見えない・・・・・・。


見終わった後は、「僕は死にましぇん! あなたが好きだから」というフレーズと、「SAY YES」が頭の中を駆け巡ったよ。
まったく。

2015年1月27日火曜日

THE NEXT GENERATION パトレイバー/第5章



エピソード8は、カーシャが主人公の渋いお話。
エピソード9は、アニメ版から続く、ダンジョン話。

まぁ相変わらず、三十分アニメを実写化したような内容です。


しかし、カーシャ役の太田莉菜が、綺麗ですこと。
それに比べると、主人公の真野恵里菜が、いまいちだよな・・・・。

いや、真野恵里菜 画像で見ていただけると分かるように、実物は、さすがアイドル(元アイドル?)。

かわいらしく&見事なボディです。

でも、「THE NEXT GENERATION」内では、全然、かわいく撮ってもらってないよね。
(むしろ、ちょっとブスに映っているような気がします)


で、もう一人の女性キャラである太田莉菜は、どのシーンもクール&ビューティー。

ストーリー上でも、今回のエピソード8などは独壇場。

他にも、テロリストとコンビニで戦うシーンや、爆弾魔の爆弾を解体するシーンなどでも、活躍しております。
主人公は全然活躍してないのに・・・・・・。


結局さ、この、訳有りのタフな女性っていうのが、押井監督の大好物なんだよね。
劇場版パトレイバー2の南雲しのぶや、攻殻機動隊の草薙素子と同じ系譜。

さて、真野恵里菜の活躍するシーンは、くるのかね?
(なくても別にいいんだけどね)


過去の感想
THE NEXT GENERATION パトレイバー/第1章
THE NEXT GENERATION パトレイバー/第2章
THE NEXT GENERATION パトレイバー/第3章
THE NEXT GENERATION パトレイバー/第4章

THE NEXT GENERATION パトレイバー/第5章 [Blu-ray]
by カエレバ

2015年1月23日金曜日

THE NEXT GENERATION パトレイバー/第4章



相変わらず、好き放題の実写版「パトレイバー」。

大して意味もなく懐かしい着ぐるみ特撮やら、香港映画バリのヌンチャク格闘があって、ジブリの鈴木プロデューサーが棒読みで登場、演劇の鴻上尚史さんが安っぽい爆弾魔、嶋田久作さんが分かり易いマッドサイエンティストを演じており(ちょっとしか出てこないよ、もったいない)、・・・・・・まぁ、押井守監督の趣味なんだろうな。

個人的には、面白いんだけどね。

ただ、「オタクの癒やし」以上の作品にはなっていないのが、まぁ、弱いところ。
これを見て、新規のお客(ファン)の獲得は、難しいよな・・・・・・。


過去の感想
THE NEXT GENERATION パトレイバー/第1章
THE NEXT GENERATION パトレイバー/第2章
THE NEXT GENERATION パトレイバー/第3章

THE NEXT GENERATION パトレイバー/第4章 [Blu-ray]
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2015年1月19日月曜日

文化系トークラジオ life「文化系大忘年会2014」外伝の感想

年末恒例の「文化系大忘年会2014」ですが、外伝は珍しく三編。
休憩時間が15分程度だとして、結局、外伝だけで、三時間弱かかっていると思われます。

本編三時間の外伝三時間。
ご苦労さまです。

・・・・・・で、内容ですが、継承問題はテクノロジーで乗り越えられるのではないだろうか? という鈴木さんの冗談のような提案が。

曰く、「タモさんのbotをつくることで、「笑っていいとも」は永遠に続けられるのではないだろうか?」

最初は「?」と感じましたが、聞いているうちに、将棋の電王戦なんかで生まれた戦術が、人間同士の戦いでも使われているなんてことを思い出して、あながち絵空事でもないような気もしつつ、さすがに、物語や思想、システムの構築までもコンピューターが担うのは、まだまだ先の話のようなイメージがありますが、さて、どうなんでしょうか?

例によって、二転三転して、一番面白かったのは、最後の外伝3。

疲れも溜まって、タガが外れ、言葉に遠慮がなくなり、いろいろと容赦無い言葉が噴出。


「タモさんbot」は、半分冗談であり、仮に実現させようとしても、現状の科学力では、まだ無理。

が、現実においては、「もう既に、我々自体が、bot化(ゾンビ化)しているではないか! これでいいのか、我々は!?」という塚越さんからの、アツい問題提起。

テクノロジーによって社会が効率化していく中で、「いつもある話」と言ってしまえば、それまでなんでしょうけど(チャップリンのモダンタイムスとか)、言われてみると、「あぁ確かに、自分もbot化としているな・・・・」と思わされました。


そういう中で、俺たちは、どうすればいいんだ!? そうだ、苦行だ。苦行の先の光だ!!(注:ラジオ内では、「苦行」とは言っておりません)

てな、まるでオウムに走った高学歴の若者のような結論になって、皆さんから「それは、あぶない」というツッコミがはいってましたが、司会の鈴木さんは、けっこう塚越さんをフォロー(援護)してました。


結局、2014年は、ネットの陳腐化(日常化)が顕在化した年だったのかな?

今回の放送でも再三再四指摘されていて、それ以前にも、東浩紀さんの「弱いつながり」、ライフの「フィジカルの逆襲」でも背景にあるのは、ネットへの失望感。

2015年の今年はwin95が登場して20年という節目ですが、あの当時って、ネットに夢を見ることができたもんね。

それに比べて、今は、夢を見るのは難しい。

もちろん、ネットのサービスは、これからも進化を続けていくのだろうし、新しいサービスも生まれてくるのは間違いない。
もっともっと便利になっていく。

でも、インターネットが普及し始めた当時のような、「革新的な何かが始まる!」というイメージを持つことはできない。
それどころか、ユビキタス社会の到来は、「いつでもつながっていなくてはいけない」というゲンナリとする社会をも意味しており、あぁなんだかな~とも感じてしまう人が多数いるのも事実。


で、松谷さんかな? やっぱり、そういうネットブームの沈静化とも言える現状について(20年もブームが続いていたとすれば、すごいことだけど)、以下のお言葉。(もちろん、逐語ではないです。テキトーに要約してます)

「バイラルメディア」なんか見てんじゃねーよ(それだけで満足しているんじゃねーよ)、最近の素人のブログの、予定調和な論調はなんだよ、あの劣化版ライフクルーのような言動は! 

という、大変、心に刺さる指摘が・・・・・・。
最後の最後で、えぇ、まぁ、すいませんな、という感じでした。

2015年1月7日水曜日

「ベイマックス」を見て、ソツがないねーと感心しきり


「ベイマックス」見てきました。

展開が、とにかく早いね。
まぁ、子供が対象だから、これくらい早くないとね。


絵は、文句のつけようがない。

サンフランシスコと東京を融合したという「サンフランソウキョウ」が舞台になっているんだけど、見事の一言。

日本ぽくて、アメリカぽい。
アメリカぽくて、日本ぽい。

「日本を描く」となると、これまでなら、「神社仏閣、相撲、芸者」という、欧米人からすると、大変分かり易いものに逃げたくなるだろうけど、そういうのは描かないんだよね。

日本人から見ても、製作者が日本の風景を、ちゃんと理解し、消化しているのが分かるような描き方でした。

で、まぁ、場面場面の描き込みも容赦なくて。

動きにしても、主人公とベイマックスが空を飛んでいるところの爽快感も、さすがでした。(「アナと雪の女王」が女の子向きだとすると、こっちは完全に男の子向きですね)


が、ストーリーは、子供がメインの視聴対象であるから仕方ないのだろうけど、ある程度、当たり前の筋。

子供の理解者・同伴者・保護者としてのロボットという構図が、日本人からすると、ドラえもんを筆頭として、「あるある」だからね。
(製作者も、それを意識しているからこそ、中国とアメリカを融合した都市ではなく、日本とアメリカを融合した都市を舞台にしたのだろうけど)


で、ネタバレのツッコミですが。

教授はなんで火事で死んだふりしたの?
自分で起こした火事でなければ、主人公の兄貴が死んでも、責任はないわけで。
(自分で起こしたにしろ、その責任を、他人に負わせるという展開でもいいのでは?)

仮に主人公のマイクロボットが欲しいとしても、そんな非常手段を取る必要があるのかな?

もう弟が入学してくるのは確定しているんだから、マイクロボットを使いたいなら、自分の懐に入り込んでからで、いいんじゃないの?


そこらへんは、物語を盛り上げるために仕方なかったんだろうけど。


あと、次元転移装置みたいなヤツの登場が、唐突過ぎない?
伏線あった?


で、特に「うーん」と思ったのは、最後で、ベイマックスが復活するのがね・・・・・。

主人公が、兄の死を乗り越えて、自立していくことを描くのであれば、ベイマックスとの別れも必要だと思うけど。

やっぱり子供向きだから、ハッピーエンドで終わるのは仕方ない面はあるけど。
トラウマつくって、どうすんねん? というのも、まぁ理解できるからね。(例:海底鬼岩城)


「最初は遊び呆けている主人公も、兄に導かれて研究の道を志し、一旦は道を外れそうになるけど、仲間の助けもあって、最後は大学に入ってハッピー」という流れが、親御さんも安心の「ほーら、勉強が必要だろ?」という教訓めいたところがありつつ(そもそも、主人公の仲間たちが理系の研究オタクという設定からして、その意図が読み取れますが)、最終的には、ヒーローとして活躍という子供の願望をおさえてますよというソツのなさで、エンドロール後の意味深な小エピソードで続編への期待も抱かせるという、上手な作品でした。


オマケの感想ですが、冒頭の短編アニメで、犬が人間と同じものを食べているのが、「そんな塩分の多いものを食べさせてはダメだろう」と気になって仕方がなかった・・・・・。(そういうツッコミを入れすぎると、宮﨑駿監督「風立ちぬ」のタバコ問題と一緒で、無粋とは分かっているんですが。しかし、犬が身近にいる人間としては、どうしても気になって仕方なかった)


The Art of ベイマックス(ジ・アート・オブ ベイマックス)
by カエレバ

2015年1月6日火曜日

文化系トークラジオ life「文化系大忘年会2014」本編の感想

例年通りの「文化系大忘年会」ということで、今年一年の、出演者陣が印象的だったことを語ってもらう回でした。

なので、話は、いろいろと飛んで飛んで回って回って♪ という感じ。

中でも印象深かったのは、最後の「継承問題」ですかね。

2014年12月28日Part5「文化系大忘年会2014」

今年はディズニーが我が世の春を謳歌している一方で、ジブリの影が薄かったよね・・・・、大丈夫? という認識からの、「宮崎・高畑コンビ」後のジブリは、どうにかなるのだろうか? という問題。

しかし、なにを持って継承とするのか、人それぞれイメージが違うようで、「資産」「ブランド」「屋号」「伝統」「スピリッツ」「著作権」「技術」「売り上げ」「キャラクター」等々、どれを受け継ぐと成功と言えるのだろうか? というので、ちょっとだけ紛糾した感じ。

仮面ライダーを例にだして、「日本でも成功している例があるじゃん」という人もいれば、「いやいや、あれは成功じゃない」「もう限界が来ている」という人も。

解釈が分かれるところでしたが、個人的には、ウルトラマンやゴジラよりも、毎年新作が出ているのは、十分成功しているような気がしますが・・・・・、さて。


とにかく、「ディズニー」が大成功の例。
それを基準にしてしまうと、どうしても日本のコンテンツがかすんでしまうのは、当然。

日本でディズニーに対抗できる個性と言えば、かつては手塚治虫だったのかもしれませんが、やはり、継承はできなかった。

現在、世界で戦えるコンテンツをつくり上げている(いた)ジブリは、今後も、世界を戦場とできるような作品をコンスタンスに創造できるのだろうか? ということなんですが、・・・・・まぁ無理じゃないかな?

小説家の御子息が小説家であることが偶にあるけど、正直、先代と拮抗するレベルの作家って、あんまり思いつかないよね。(すぐに頭に浮かぶのは、福永武彦さんと池澤夏樹さんがいるけど。それくらい?)

歌手にしても、そうだし。(子供の方が有名になると、親がかすんでしまうということもあるけど)


「ハードコアゲーマーでいろよ」という名言を生んだNHKスペシャル「世界ゲーム革命」を見た際に強烈に思わされたことだけれども、アメリカのエンターテイメント界って、「産業」なんだよね。
「面白いものをつくる」ってことに対して、完全に割り切っている。
そこに、「個人の想い」というものは皆無ではないけど、かなり軽視される。

「こっちの方が面白いじゃん!」という意見が大多数を占めると、あっさりと変更されてしまう。

映画なんか顕著で、ハリウッドではラストシーンをいくつか撮影しておいて、試写会において、もっとも感触が良かったものを採用したりする。
実写版「フランダースの犬」なんか、日本では、よく知られている悲劇的な終わり方だけど、アメリカでは「助かっちゃった」というハッピーエンドだそうです。

大ヒットした「アナと雪の女王」だって、脚本は、「あぁでもない、こうでもないと指摘されて、変更されている」という話が、ライフ本編でも紹介されているし。
(ピクサーの作り方は、そうみたいね)

「産業」なんで、それくらい「個人の想い」(作家性)というものは、ないがしろな感じ。


それに比べて、日本の場合は、「個人の創作活動」という面が、ギリギリで容認されている。


現在、日本で大ヒットしている「妖怪ウォッチ」だけど、いろんな業種がタイアップしているのは、皆さんも知っての通り。

ほとんどのものが、「全然関係ねーじゃん」とつっこみを入れたくなります。

なんか、生き急いでる(ここで儲けるだけ、儲けたるがな!)という感じが半端ないです。


知っての通り、「妖怪ウォッチ」の仕掛け人は、レベルファイブの日野さん。

「世界ゲーム革命」でも、日本のクリエーター代表として登場していました。

現在、巷にあふれる妖怪ウォッチの様から分かるように、その手腕はお見事なものです。

それでも、「世界ゲーム革命」での日野さんは(番組の構成上、意識的に対比させられていたこともあって)、日本的に描かれておりました。

つまりは、レベルファイブでのモノづくりは、彼個人の個性に依拠している、という感じに。


日本が未熟というよりは、思想・文化の違いだろうからなー。
なんとも言えないです。

コンスタンスにクオリティの高い作品を生み出そうとすれば万人からのアイデアを募集するほうが効率的なわけで。
しかしながら、平均的な良い子ちゃんの作品しか出てこないという欠点も。

一方で、個人に依拠すると、どうしても「表現の場」という側面が強くなってしまう。
すると、なんだか他人には理解出来ない自慰的作品が生まてしまう一方で、その個性によって独特の、今までにはない作品が生まれる可能性もある・・・・・。


ディズニー作品が、現状においては、ジョン・ラセターという稀有な才能によって、独創性と汎用性のバランスを上手にとっているのは事実。

そう考えると、結局は、たまたま天才がいたから、現在のディズニーの隆盛があるんじゃん? とも、思ってしまうけど、どうですかね~。


まぁ、それは置いておくにしても、ジブリの継承問題。

「アナと雪の女王」はディズニーらしくない作品とも評されることもあるけど、「お姫様」「女王様」「王子様」「魔法」という設定・小道具は、やっぱりディズニーでして。
そういう意味では、やはりディズニーの作品であったわけで。

さて、「ジブリ」らしいって、なんですかね?

うーん。

「宮崎監督と高畑監督が、やりたい放題やる場所」というのが、僕のイメージですね。

これを継承するって、やはり無理な気がする。


仮面ライダーやガンダムというものとは違うからな。

最終的には、虫プロや藤子プロみたいに、著作権の管理がメインになっていくのかね・・・・・。

2015年1月4日日曜日

羽海野チカ「3月のライオン 10」の感想


羽海野チカ先生って、「悪が描けない人だよな~」というのが僕のイメージでした。

山崎順慶なんか、病弱な二海堂を無情に倒して「嫌なキャラ扱い」だと思ったら、次の話では、「勝負に生きる者として、彼には彼の苦悩がある」という展開。

主人公のライバルであり、義姉をたぶらかす後藤も、実は姉が一方的に言い寄っているだけで手を出しておらず、しかも病気の妻を大事にする一面が。

そもそも、前作の「ハチミツとクローバー」でも、森田の復讐相手を、そんなに悪くは描いていないんだよね。


3月のライオンの「いじめ編」は、がんばっていたけど、それでも、子供時代の無邪気さという感じが抜けきれなかった。(だからこそ、純粋な「悪」だろ、とも言えるかもしれませんが)

無責任な教師にしても、最後は倒れちゃったし。


まぁ作者の人柄なんだろうな・・・・・。


が、10巻で、ついに登場の川本家を捨てた父。

顔つきは温厚だけど、目先の女に直ぐに飛びついて、家族を放り投げてしまうような無責任人間。

「3月のライオン」は、主人公・桐山零の再生と、川本家の幸せの二本柱がストーリーのメインなんだろうけど、その片方に、ちゃんとデカイ悪を用意しましたね。


で、まぁ、ネタバレ。

まったく責任感というものを持ち得ず、自分の都合だけを大上段から優先させるような人間に対処する為に登場するのが、主人公の桐山零。

あっちが超絶無責任人間だとすると、こっちは、責任感有り過ぎ人間。
「いじめ編」では、異様なのめり込みに、外野が心配したくらい。

それでも、「いじめ編」では精神的な支えとはなっても、実質的に川本家を手助けすることは出来ず。

今度は、ちゃんと自らの役割を発揮するんだけど、それが、「川本ひかりと結婚する宣言」でして。

つまりは、自分が彼女たちの家族となって、大黒柱として守っていくという、漫画らしい超絶展開で、ゲラゲラ笑わせてもらいました。


次巻では、対立の顛末が描かれるのか、それとも、まだまだダメな父親との戦いが続くのか。

「父親にも新しい家族がいる」ということで、やっぱり、羽海野チカ先生らしい、優しい和解になっていくのかな? という気がしますが。

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2015年1月2日金曜日

台湾映画「花蓮の夏」を見て



「花蓮の夏」を見ました。もともとは台湾映画。原題「盛夏光年」は、英題「Eternal Summer」だそうです。

青春映画ですが、ゲイを描いているところが、ちょっとだけ特色(異色?、売り?)ですね。


しかし、台湾映画というと、ゲイが多いような?
「藍色夏恋」はレズだし、「九月に降る風」でも仲間内の一人がゲイだったし。

日本で話題にまでなるような映画となると、「日本にはないもの」「日本では弱いもの」になるだろうから、たまたま、そういう系統が紹介されているだけかもしれないけど。

まぁ無理に解釈をすると、台湾という事実上の国家でありながら、国際社会では国家として承認されていない特別な環境が、このような男性でありながら男性を好き、女性でありながら女性を好きという、未だに一般社会では承認され難いゲイという存在を描こうとする原動力になっていると思われる、などというのは、有りがちな背景説明ですが、ぶっちゃけ関係ないと思います。


さて、映画のネタバレですが、少年Aと少年Bは幼馴染。そこに現れた少女C。

少女Cは、少年Aが好き。
でも少年Aは、少年Bが好き。
で、少年Bは少女Cが好き。

お約束と言えば、お約束な設定。

映画では、少年期から青年期への移行にともなって、「なんとなく漠然と仲良し」という関係を維持できなくなっていく。

それを強烈に意識しているのは、ゲイである少年Aで、徐々に少年Bから離れていこうとする。

しかし、いまだに少年期から抜け出せない(または、幼年期のまま)少年Bは、その現実を理解できない。

で、関係性の維持のために、少年Aの欲望を受け入れる・・・・・。

逃げずに、ちゃんと性欲を描いたのは評価するけど、しかし、ノンケが、そう簡単に体を許すかな? と思ったりしましたが、どうなんでしょうね? 「それくらい、少年Aのことを大切に思っている」という意味なのでしょうけど。

でも、少年Bは、少年Aに恋愛感情はない。
そのことは、少年Aは、よく分かっている。だから、やはり彼から離れていこうとするけど、それでも少年Bは離れられない。


で、ついに、三人は、この問題に真正面から対峙することになるんだけど、・・・・・・・答えはなし。
そして、映画のラストシーンは、冒頭のシーンに続いていくわけでして。

つまり、円環になって終わり。
英題「Eternal Summer」は、意図したのか分からないけど、このラストを見せられると、ちょっと皮肉。

結局、この映画では、三人の少年少女は「永遠の夏」に閉じ込められたままなんですよね。


もっと丁寧に見ると、また違う解釈があるのかな?

展開に無理もなく、俳優女優さんも自然で、台湾の美しい風景の描写も鮮やかで、悪いところはないんですが、僕としては、なんか、モヤモヤな映画でした。


台湾映画の感想。
魅惑の90分映画「藍色夏恋」
映画「あの頃、君を追いかけた」に、身悶えする
台湾映画「九月に降る風」の感想