2015年1月19日月曜日

文化系トークラジオ life「文化系大忘年会2014」外伝の感想

年末恒例の「文化系大忘年会2014」ですが、外伝は珍しく三編。
休憩時間が15分程度だとして、結局、外伝だけで、三時間弱かかっていると思われます。

本編三時間の外伝三時間。
ご苦労さまです。

・・・・・・で、内容ですが、継承問題はテクノロジーで乗り越えられるのではないだろうか? という鈴木さんの冗談のような提案が。

曰く、「タモさんのbotをつくることで、「笑っていいとも」は永遠に続けられるのではないだろうか?」

最初は「?」と感じましたが、聞いているうちに、将棋の電王戦なんかで生まれた戦術が、人間同士の戦いでも使われているなんてことを思い出して、あながち絵空事でもないような気もしつつ、さすがに、物語や思想、システムの構築までもコンピューターが担うのは、まだまだ先の話のようなイメージがありますが、さて、どうなんでしょうか?

例によって、二転三転して、一番面白かったのは、最後の外伝3。

疲れも溜まって、タガが外れ、言葉に遠慮がなくなり、いろいろと容赦無い言葉が噴出。


「タモさんbot」は、半分冗談であり、仮に実現させようとしても、現状の科学力では、まだ無理。

が、現実においては、「もう既に、我々自体が、bot化(ゾンビ化)しているではないか! これでいいのか、我々は!?」という塚越さんからの、アツい問題提起。

テクノロジーによって社会が効率化していく中で、「いつもある話」と言ってしまえば、それまでなんでしょうけど(チャップリンのモダンタイムスとか)、言われてみると、「あぁ確かに、自分もbot化としているな・・・・」と思わされました。


そういう中で、俺たちは、どうすればいいんだ!? そうだ、苦行だ。苦行の先の光だ!!(注:ラジオ内では、「苦行」とは言っておりません)

てな、まるでオウムに走った高学歴の若者のような結論になって、皆さんから「それは、あぶない」というツッコミがはいってましたが、司会の鈴木さんは、けっこう塚越さんをフォロー(援護)してました。


結局、2014年は、ネットの陳腐化(日常化)が顕在化した年だったのかな?

今回の放送でも再三再四指摘されていて、それ以前にも、東浩紀さんの「弱いつながり」、ライフの「フィジカルの逆襲」でも背景にあるのは、ネットへの失望感。

2015年の今年はwin95が登場して20年という節目ですが、あの当時って、ネットに夢を見ることができたもんね。

それに比べて、今は、夢を見るのは難しい。

もちろん、ネットのサービスは、これからも進化を続けていくのだろうし、新しいサービスも生まれてくるのは間違いない。
もっともっと便利になっていく。

でも、インターネットが普及し始めた当時のような、「革新的な何かが始まる!」というイメージを持つことはできない。
それどころか、ユビキタス社会の到来は、「いつでもつながっていなくてはいけない」というゲンナリとする社会をも意味しており、あぁなんだかな~とも感じてしまう人が多数いるのも事実。


で、松谷さんかな? やっぱり、そういうネットブームの沈静化とも言える現状について(20年もブームが続いていたとすれば、すごいことだけど)、以下のお言葉。(もちろん、逐語ではないです。テキトーに要約してます)

「バイラルメディア」なんか見てんじゃねーよ(それだけで満足しているんじゃねーよ)、最近の素人のブログの、予定調和な論調はなんだよ、あの劣化版ライフクルーのような言動は! 

という、大変、心に刺さる指摘が・・・・・・。
最後の最後で、えぇ、まぁ、すいませんな、という感じでした。

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