とりあえず、エロい。
と言っても、「分かり易く」エロいシーンが満載というわけではない。
乳袋が象徴しているように、男性の作者が書くと、「乳」と「尻」、そして、それらを連想させる「ブラ」と「パンツ」を描くことで、「ほ~れ、エロいだろ?」となりがちです。
だが、この「青い花」は、左のような絵。
女性らしい繊細なタッチ。
「綺麗」と感じても、これだけで、「エロい」とは思わないのでは?
なので、読んでいても、サラッと流してしまいそうになります。
でも、右の黒髪、長身、泣き虫で、読書好き、大勢を前にすると大きな声も上げられないような「万城目ふみ」というキャラは、中学生時代に、従姉妹からの手ほどきで、既に「開発済み」の高校一年生という設定。
そして、その子が、左の元気印な「奥平あきら」に、十年ぶりに再会。
昔と同じように、仲良くなり、親友に。
が、徐々に、その関係だけでは我慢できなくなり、万城目ふみは、奥平あきらに欲情するんですな。
「彼女との、今の関係は大事。彼女はノン気だし。でも、一線を超えてしまいたい!」
女性漫画家さんらしい、優しいタッチの絵でありながら、その緊張関係が物語の底辺にずっと流れおりまして、・・・・・・つまりは、エロいんですよ。
で、まぁ、このエロさってのは、ちゃんと「性欲」を描いた結果でして。(女性漫画家が描く恋愛物で、たまに、「こいつら、性欲はあるの? 少なくとも、男って、そんなもんじゃないと思うぞ」という漫画があったりするからなぁ・・・・・)
そんでもって、性欲を描くと、大抵はドロドロに流れてしまうのですが、・・・・・この物語はサラッとしているんですよ。(「これ、自慰だよね?」というシーンも、なんとなくそう見えるだけで、はっきりとは明示していなかったり)
以下、ネタバレです。
奥平は、万城目の想いを知って、一度はお付き合いを始める。
奥平は万城目のことが好き。それは友愛。
万城目は奥平のことが好き。でも、それは性愛。
その差は歴然であって、結局は、別れしまう。
それから、数年後。
髪を切ったばかりの奥平は、町中で、親しそうに若い女性と話をしている万城目のことを見かけてしまう。(髪を切るという行為は、心情の変化をあらわすお約束ですな~)
そこで、嫉妬心を覚える奥平。(欲望の三角関係。恋愛というものは、三人でするもの)
ようやく、自分の気持ちに気がついて、今度は、自分から万城目に告白して、大団円。
絵が、とにかく、綺麗でさ。
女の子の描き分けも巧みで。
だから、なんか、そのビジュアルでごまかされそうになってしまうのだが・・・・・・、結局、奥平がネンネだったというだけなの?
あたし 子供で ごめんねこれは、二人が別れた後に、奥平が万城目に伝えた言葉。
エッチな ことも したのにね
脳と身体が 全然追いついて ないかんじ……
単に性の目覚めが遅かっただけで、奥平は、元々、同性愛者(または、バイ・セクシャル)だったということ?
確かに、奥平が異性に対して興味を持つようなシーンは、ほぼないかな?
この物語が、男性と女性の幼馴染という設定で、体を求めてくる男に応えたいけど、応えられない女。
ついには、別れてしまうけど、数年後、大人になり成熟した女は、再会した男と結ばれる。
というのであれば、「今時、こんな純情なお話しとはね」などと思いながらも、すんなり入ってきたと思う。
でも、これが女性と女性という設定だと、どうにも、なんか、微妙な気持ち。
いや、まぁ、別にね、女性が女性を好きになるのは違和感があるって言っているんじゃないんですよ。
まだまだ、同性愛者というのは世間で認知されているとは言い難い現代において、そんな簡単に、葛藤もなく、自分が同性愛者であることを受け入れることができるのかね~、と疑問。
で、男性と男性という設定だと、「花蓮の夏」。
こちらの二人も幼馴染。
男(同性愛者)は、異性愛者である憧れの人を、自分の世界に引き入れることに躊躇いがあるわけでして。
(「花蓮の夏」の感想。■井村一blog_ 台湾映画「花蓮の夏」を見て)
これくらいの方が、リアルな気がしましたが・・・・・。
そもそも同性愛というか、性的な嗜好って、先天的なのか、後天的なのか。
味覚と同じようなものと考えて差し支えないものなのかね?
「だいたいにして、そういう考え方が間違っている。愛とは、そういうものではないだろう? 誰かに求められて、それ応えたいと願う愛もあるだろう? お前のような愛を知らない人間には、理解できないだろうがな!」
と言われてしまうと、「すいません、サウザーで」と返答するしかないのですが。
「青い花」にはレズビアンや、レズカップルが多く登場するけど、カラッとしているんだよね。
周りも、過剰に心配するようなことはない。(ゼロではないけど)
ホモフォビアや、同性愛者として生きるツラさについては、あまり描写をしていない。(万城目の奥平へのカミングアウトも、けっこうあっさり成功してしまうし)
この物語では、同性愛が描かれているんだけれども、女性が女性を好きになっても結局は男性と結婚したり、また逆に、男性に思いを寄せていたのに、その後に女性と付き合ったりと、自由なんだよね。
性差というものを意識させないことで、「愛」について、一つの「理想」を提示している、ということなのかな?
だから、現実には存在するであろう偏見や迫害というものの描写を避けている、というよりは、「敢えて」多くは描いていない。(ゼロというわけではない)
奥平からの愛の告白を受けた万城目は、
その一言は 10年も 20年も 私の未来を 照らしてくれると、その感動を述べているのだが、まぁ、この作品自体が、異性愛・同性愛のどちらであっても、愛に苦しむ者への一つの希望として存在して欲しいという作者の願いなのかな?(悪い言い方をすると、叶うことのない夢を読者に与えてしまっているとも言えるのだが。だって、別れてから数年後に、本当の愛を知った恋人が舞い戻ってきてくれるなんてねー)
なので、「“性的に早熟な少女”と“奥手の少女”の別離と再会」というプロセスも、まるで異性愛者同士の物語と同じように、「当たり前」として描いている、ということになるのかな?
で、まぁどうでもいいおまけの感想ですが、アニメの「青い花」で、万城目の声は、高部あいさんなのね。
薬物逮捕で、妊娠まで判明。
それも、父親が誰か不明だとか。
あの綺麗なお顔で、おっとりした声、でも、短期間の間に幾人かの男性と自由奔放に性を楽しんでいたなんて、エロい・・・・・・ような気がするけど、「薬物」が入ってくると、なんか微妙ね。
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