2015年11月30日月曜日

志村貴子「青い花」全巻を読んで

志村貴子さんの「青い花」を読みました。

とりあえず、エロい。

と言っても、「分かり易く」エロいシーンが満載というわけではない。

乳袋が象徴しているように、男性の作者が書くと、「乳」と「尻」、そして、それらを連想させる「ブラ」と「パンツ」を描くことで、「ほ~れ、エロいだろ?」となりがちです。

だが、この「青い花」は、左のような絵。
女性らしい繊細なタッチ。

「綺麗」と感じても、これだけで、「エロい」とは思わないのでは?

なので、読んでいても、サラッと流してしまいそうになります。


でも、右の黒髪、長身、泣き虫で、読書好き、大勢を前にすると大きな声も上げられないような「万城目ふみ」というキャラは、中学生時代に、従姉妹からの手ほどきで、既に「開発済み」の高校一年生という設定。

そして、その子が、左の元気印な「奥平あきら」に、十年ぶりに再会。
昔と同じように、仲良くなり、親友に。

が、徐々に、その関係だけでは我慢できなくなり、万城目ふみは、奥平あきらに欲情するんですな。

「彼女との、今の関係は大事。彼女はノン気だし。でも、一線を超えてしまいたい!」

女性漫画家さんらしい、優しいタッチの絵でありながら、その緊張関係が物語の底辺にずっと流れおりまして、・・・・・・つまりは、エロいんですよ。



で、まぁ、このエロさってのは、ちゃんと「性欲」を描いた結果でして。(女性漫画家が描く恋愛物で、たまに、「こいつら、性欲はあるの? 少なくとも、男って、そんなもんじゃないと思うぞ」という漫画があったりするからなぁ・・・・・)

そんでもって、性欲を描くと、大抵はドロドロに流れてしまうのですが、・・・・・この物語はサラッとしているんですよ。(「これ、自慰だよね?」というシーンも、なんとなくそう見えるだけで、はっきりとは明示していなかったり)


以下、ネタバレです。

奥平は、万城目の想いを知って、一度はお付き合いを始める。

奥平は万城目のことが好き。それは友愛。
万城目は奥平のことが好き。でも、それは性愛。

その差は歴然であって、結局は、別れしまう。

それから、数年後。

髪を切ったばかりの奥平は、町中で、親しそうに若い女性と話をしている万城目のことを見かけてしまう。(髪を切るという行為は、心情の変化をあらわすお約束ですな~)

そこで、嫉妬心を覚える奥平。(欲望の三角関係。恋愛というものは、三人でするもの)
ようやく、自分の気持ちに気がついて、今度は、自分から万城目に告白して、大団円。


絵が、とにかく、綺麗でさ。
女の子の描き分けも巧みで。

だから、なんか、そのビジュアルでごまかされそうになってしまうのだが・・・・・・、結局、奥平がネンネだったというだけなの?
あたし 子供で ごめんね

エッチな ことも したのにね

脳と身体が 全然追いついて ないかんじ……
これは、二人が別れた後に、奥平が万城目に伝えた言葉。

単に性の目覚めが遅かっただけで、奥平は、元々、同性愛者(または、バイ・セクシャル)だったということ?

確かに、奥平が異性に対して興味を持つようなシーンは、ほぼないかな?


この物語が、男性と女性の幼馴染という設定で、体を求めてくる男に応えたいけど、応えられない女。
ついには、別れてしまうけど、数年後、大人になり成熟した女は、再会した男と結ばれる。

というのであれば、「今時、こんな純情なお話しとはね」などと思いながらも、すんなり入ってきたと思う。


でも、これが女性と女性という設定だと、どうにも、なんか、微妙な気持ち。
いや、まぁ、別にね、女性が女性を好きになるのは違和感があるって言っているんじゃないんですよ。

まだまだ、同性愛者というのは世間で認知されているとは言い難い現代において、そんな簡単に、葛藤もなく、自分が同性愛者であることを受け入れることができるのかね~、と疑問。


で、男性と男性という設定だと、「花蓮の夏」。
こちらの二人も幼馴染。

男(同性愛者)は、異性愛者である憧れの人を、自分の世界に引き入れることに躊躇いがあるわけでして。

(「花蓮の夏」の感想。■井村一blog_ 台湾映画「花蓮の夏」を見て)

これくらいの方が、リアルな気がしましたが・・・・・。


そもそも同性愛というか、性的な嗜好って、先天的なのか、後天的なのか。

味覚と同じようなものと考えて差し支えないものなのかね?



「だいたいにして、そういう考え方が間違っている。愛とは、そういうものではないだろう? 誰かに求められて、それ応えたいと願う愛もあるだろう? お前のような愛を知らない人間には、理解できないだろうがな!」
と言われてしまうと、「すいません、サウザーで」と返答するしかないのですが。


うーむ・・・・・。

「青い花」にはレズビアンや、レズカップルが多く登場するけど、カラッとしているんだよね。

周りも、過剰に心配するようなことはない。(ゼロではないけど)

ホモフォビアや、同性愛者として生きるツラさについては、あまり描写をしていない。(万城目の奥平へのカミングアウトも、けっこうあっさり成功してしまうし)


この物語では、同性愛が描かれているんだけれども、女性が女性を好きになっても結局は男性と結婚したり、また逆に、男性に思いを寄せていたのに、その後に女性と付き合ったりと、自由なんだよね。

性差というものを意識させないことで、「愛」について、一つの「理想」を提示している、ということなのかな?

だから、現実には存在するであろう偏見や迫害というものの描写を避けている、というよりは、「敢えて」多くは描いていない。(ゼロというわけではない)

奥平からの愛の告白を受けた万城目は、
その一言は 10年も 20年も 私の未来を 照らしてくれる
と、その感動を述べているのだが、まぁ、この作品自体が、異性愛・同性愛のどちらであっても、愛に苦しむ者への一つの希望として存在して欲しいという作者の願いなのかな?(悪い言い方をすると、叶うことのない夢を読者に与えてしまっているとも言えるのだが。だって、別れてから数年後に、本当の愛を知った恋人が舞い戻ってきてくれるなんてねー)

なので、「“性的に早熟な少女”と“奥手の少女”の別離と再会」というプロセスも、まるで異性愛者同士の物語と同じように、「当たり前」として描いている、ということになるのかな?


で、まぁどうでもいいおまけの感想ですが、アニメの「青い花」で、万城目の声は、高部あいさんなのね。

薬物逮捕で、妊娠まで判明。
それも、父親が誰か不明だとか。

あの綺麗なお顔で、おっとりした声、でも、短期間の間に幾人かの男性と自由奔放に性を楽しんでいたなんて、エロい・・・・・・ような気がするけど、「薬物」が入ってくると、なんか微妙ね。


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2015年11月29日日曜日

けっこう期待していた「007 スペクター」の感想



「007」最新作、「スペクター」を見てきました。

「カジノ・ロワイヤル」「慰めの報酬」「スカイフォール」と来て、ダニエル・グレイグの四作目。

けっこう期待して見に行ったのですが、うーん。

自分で、ハードルが上がりすぎちゃったか・・・・・。


まぁハリウッド大作ですから、「つまらない」ということはないんですが、特に目を引く要素もなかったなぁ。

ストーリー展開が、おつかいRPGみたいでね。


ボンドが世界の何処かに行く。人に会うなりしてヒントを発見。次の場所に行く。人に会うなりしてヒントを発見。次の場所に行く、・・・・・・まぁ、スパイ映画なんて、「世界を股にかけて活躍」が必要だから、往々にして、そうなってしまうんだが。

で、最終的には、ボスを発見。


ネタバレですが、このボスというのが、全シリーズの裏で糸を引いていたという大ボス。

しかも、ボンドの育ての親の息子。
なので、ボンドとは一緒に暮らしていた時期もあり、兄弟のようなもの。

・・・・・・なんだけれども、ボスがボンドに恨みを抱いているくらいで、設定が活かされていないような。

互いの弱点を熟知しているとか、行動パターンが読まれて罠にはめられるとか、「お前とおれは、所詮は、コインの裏と表。同じタイプの人間なんだ」というお約束の捨て台詞とか。

なかったなぁ。


以下、ネタバレ。

「007」だから、敵を殺した直後にセックスとか、隙あらばタキシードを着たがるとか、いかにもなケレン味は、僕は好きだけどね。

あと、この前の「ミッション・インポッシブル」と同じで、自分の所属している組織が、消滅の危機というのも、まぁまぁ、そんなもんですよ。


でも、敵がクラシックカーで迎えに来て、ぬけぬけと女と乗車、そのまま敵のアジトにご招待、ボスがベラベラと自分の悪事を告白し、実はボンドの行動は全て筒抜けだったことが判明、それからボンドは気を失って、いつもの拷問シーンに突入・・・・・、なのだが、結局、Qがつくった秘密兵器で窮地を脱出(←これは、まぁいいか)して、アジトは全滅。

ボンドもアホなら、ボスもアホ。

「007」なんか、こんなもんじゃん? と言われると、まぁ、そうなんだが。

でも、ダニエル・グレイグのボンドは、そういう「アホだなぁ~」という展開を減らしたような気がしたのだが・・・・・、今作は、なんだかな。

そもそも全部筒抜けだったら、ボンドを殺す機会なんか、いくらでもあったような・・・・・。
殺す気がないのなら、暗殺者を送り込む必要がないような・・・・・。


ボンドガールのレア・セドゥは、ムチムチして、良かったけど。

でも、突然惚れたと思ったら、突然もうダメって。

で、最終決戦前に消えたので、「もしかして、こいつがラスボスを裏で操っていたの?」とも考えたけど、人質パターン。

時限爆弾の仕掛けられた建物に閉じ込められたボンドと人質。
制限時間は三分。
ボンドだけなら逃げ切れる。人質を救出に向かえば、おそらく二人共死ぬことになる。

躊躇なく人質救出に向かうボンド。
どうにか時間内に、女を見つけることに成功。しかし、最早、建物を出る時間は残されていない。

「どうする?」と思ったら、・・・・・ビルから飛び降りて、ネットに引っかかりOK。

うーーーーーん。
そうですか・・・・・・。

で、ボンドは銃を捨てて、女を選んで、幸せになりましたという大団円。

クリストファー・ノーランの「バットマン」と同じラスト。

あっちは、「バットマン」として生きることに疲れた彼が、最愛の人物を見つけて、ひそかに隠遁するという流れがあったけど、・・・・・・「007」は、唐突感が否めなかった。


そもそもさー、ダニエル・グレイグになってから、ボンドは相変わらずタフガイだけれども、ちょっと人間臭い「葛藤」「孤独」「悲哀」が見え隠れするところが味だったわけで。

でありながらも、プロフェッショナルとして妥協しない点が良かったのに。

うーむ。
個人的には残念だったなぁ。(まぁ、つまらない訳ではないのですが・・・・・)

「007/スペクター」オリジナル・サウンドトラック
by カエレバ

2015年11月26日木曜日

「ナイトクローラー」の感想



事件現場にいち早く到着して、ナマの映像を撮影するジャーナリストを主人公にした「ナイトクローラー」。

「ジャーナリスト」とは書いたけど、・・・・・、芸能レポーターを「ジャーナリスト」に含めることに抵抗を覚えるように、「市民の知る権利を代表している」とか、「一般人には知られていない問題を掘り下げる」なんて崇高な意識は皆無で、単に、報道機関に高く売れる映像を探し歩いてるだけの存在。

作家のことを、時に「売文業」などと揶揄するけど、まぁ「売動画業」とでも形容できるでしょうか。


そんな職業に就いている主人公なので、清々しいくらいに、嫌なヤツ。
まったく共感できない。

他の登場人物も、一癖二癖という感じで、これまた感情移入ができるようなヤツらではない。

でありながら、二時間の娯楽作として、ちゃんと成立させてしまうハリウッドのスゴイところ。


で、ちょっとしたネタバレ。

最初はこそ泥の主人公は、事件現場を目撃し、「ナイトクローラー」という職業の存在を知る。

で、持ち前のガッツ・・・・・・・、と言うよりは、無神経が功を奏して、他人に嫌がれれようが、触法だろうがお構いなしで、過激に事件現場に迫っていく。

で、ナイトクローラーとして、成功の道を歩み始めるであったが、・・・・・まぁ、この手の作品のラストは、「転落」か、後味の悪い「アメリカンドリーム」の、どちらかだろうなぁ・・・・と思ってました。

ライバルの車に細工をしたことが、ラストでバレるのか? とも予想しましたが、そんなことはなく。

「アメリカンドリーム」オチでした。


まぁ、ストーリーの概要から分かるように、現代社会における報道への批判がこめられています。

また、ニコ生での過激な配信が、ちょっとした話題になっている日本からすると、そういう面においても示唆的です。

ノエルとは (ノエルとは) - ニコニコ大百科

・・・・・・・今、ちょっと調べたら、彼、また配信やっているのね。


で、「報道」の問題でありながら、主人公の成り上がりの課程が、ベンチャー企業の成功譚にもなっている。

が、他人への共感能力を欠いたサイコパスが主人公ですから、当然、ブラック企業となるわけでして。

高級車を買う余裕はあっても、相棒(主人公からしたら、手下)の安月給を上げてやるつもりはない。
もちろん、仕事中は、説教か罵声。


「物語」ですから、ちょっと極端ではありますが、裸一貫からのし上がってきた方というのは、時に、「言っていることは、すごく正しい」、でも、「実際に、やっていることは、ちょっとアレじゃない?」とか、「綺麗事を言っている割には、裏ではアレだなぁ~」なんてことがありますが、まさしく、それを彷彿とさせるものがありました。


NIGHTCRAWLER
by カエレバ

2015年11月23日月曜日

「俺物語!!」1巻から5巻までの感想



「俺物語!!」を5巻まで読了。


嗚呼、恋愛讃歌・・・・・。


熊のような体型をした剛田猛男(左)が主人公。
困っている人がいると助けずにはいられない好男子。

なのだが、その暑苦しい顔と性格、巨体もあって、男子からは頼りにされるが、女子にはまったくもてない。

もてないどころか、親友の砂川が美男子なばかりに、彼の引き立て役になってしまっている。

「自分には恋人など無理だ」と諦めていた猛男であったが、そんな彼に魅了される少女・大和凛子があらわれる・・・・・。


で、ネタバレ。

てっきり、くっつきそうで、くっつかない。
せっかく両想いであることが分かっても、お邪魔虫が登場して、ご破産。

・・・・・てな、ラブコメが展開されるのかと思っていたら、あっさりと互いの想いを知って付き合うことに。

後は、もう、二人で「大好き、大好き」と言い合うという、おそろしい展開が続きます。


まぁなんていいますか。冒頭に書いたように「恋愛讃歌」です。


「孤独のグルメ」が、グルメ漫画でありながら、ウンチクを語るわけでもなく、至高と究極で争うわけでもなく、ストーリーはほとんどなく、「ただただ中年の男が料理を食うだけ」で成立してしまった漫画であることは、今さら語るまでもないと思います。

で、「俺物語!!」ですが、言うなれば、「付き合った恋人同士のデレデレ」が、延々続きます。

まぁギャグ漫画だから、それでいいんだろうけど。
とは思えども、続けて読むと、食傷気味。


オッサンには、なかなかツライ。


この猛男と大和のカップル。
まぁ古い言葉を用いると(今でも使う?)、「バカップル」。

このまま結婚したら、あっさりと新興宗教にハマってしまいそうな善人ではあるのだが・・・・・。

恋愛している自分たちに満足してしまって、「毎日一緒にいるだけでOK!」状態。

なので、猛男はおそろしい身体能力を有していながら、それをスポーツ(部活動)に用いることはなく。

大和も菓子作りが趣味ではあるが、それを将来の仕事に結びつけようとか(今のところ)考えたりすることもなく。

学校以外の時間は、二人で一緒にいることだに消費(浪費?)しております。

一応、大和と同じ大学を行くことを目指して、猛男は勉強に取り組み始めたけど。
多分、読者の多くは、スポーツ推薦でも狙った方が効率良さそう・・・・・と思ったのでは?

現実であったら、「いいんか? お前たち、それで?」という感じですが、まぁ、この物語は、「恋愛讃歌」だから。

いいんですよ。



さて、「付き合った恋人同士のデレデレ」を「コレでもか!」と見せつけられる漫画ですと、最近では、「富士山さんは思春期」なんかも思い浮かびます。

「俺物語!!」が「美女と野獣」のカップルだとすると、「富士山さんは思春期」は男女逆転のカップルです。

と言っても、トランスジェンダーの二人が出会って付き合うというわけではなく、「富士山さんは思春期」では、「男はチビ」で「女は大女」。同じバレーをしているけど、男はパッとしないが女は優秀な選手。

「男が高身長でスポーツマン、女は小さく、か弱くてスポーツが苦手で文化系の部活に所属」といった、ありきたりなパターンを、敢えて逆転している。


「俺物語!!」も、少女漫画の主人公にはあるまじき猛男のキャラと姿が、既存の漫画とは一線を画しているのだが、一方で、その相手である大和凛子は、美少女(←そこまではいかないのかもしれないが、まぁ普通に可愛らしい子くらいの設定だろう)で、お菓子が大好きというキャラ。

猛男のインパクトに比べると、「普通」。


「俺物語!!」の猛男というのは、その言動はエキセントリックなんだが、その全ては誠意を基準にしている。

結局、この作品って、「白馬の王子様」願望を、ちょっと違う形で描いているんだよね。

物理的な危険なことは驚異的な肉体で防ぎ、ちょっとクヨクヨしていれば誠心誠意で心配してくれて、他の女があらわれても絶対になびくことはない。

猛男の姿形や言動といった外から見える部分は変わり者だけど、その背骨に流れているものは、まぁ、女性にとっての理想像。

「いやいや、そうじゃない。この物語は、人は外見ではない、が主題だろう?」
と言う方もいらっしゃるかもしれない。

まぁ否定はしないけどね。

ただ、その主題を徹底させるなら、映画の「シュレック」のように、相手が美女(美少女)では成立しないわけでして。


が、まぁ、そんなもんですよ。

だって、ブサメンと醜女の物語なんて、それこそ、悪趣味なギャグ漫画にしかならないものね。

普通の顔の男女カップル? それは、もう物語ではなくて、「現実」だ。


「富士山さんは思春期」にしても、お約束の設定を敢えて逆転させるという奇策を使いつつも、まぁ、富士山の、ちょいエロで物語が成立しているしね~。


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2015年11月22日日曜日

細田守監督「バケモノの子」感想



遅ればせながら、「バケモノの子」を見てきました。

うーん、ん?


前作「おおかみこどもの雨と雪」は、現代ファンタジーだけれども、「子離れ」「母子家庭」「Iターン」などなど、見る人によって、多くの感想を持つような奥行きのある作品でした。

が、一方で、「子供が見るのは、ちょっとツライか?」と思わないでも。


で、今作「バケモノの子」ですが、・・・・・・子供には、いいかもね。
でも、大人には、ちょっと物足りないか?


登場人物たちが、他人や自分の「立場」や「心情」を、安易に説明するんだよね。

まぁ、「アニメなんだから子供に見せないと」 → 「子供でも分かり易く」という配慮なんだろうけど・・・・・。



ストーリーですが、母子家庭の蓮は、優しい母を交通事故で亡くしてしまう。
母の実家に引き取られることになるが、祖父母たちの心ない言動に傷ついた&腹を立てた蓮は、家を飛び出してしまう。

そこで、異界から訪れていたバケモノの「熊徹」と遭遇。
警察に負われた蓮は、彼を追ってバケモノの世界に逃げ込んでしまう。

なんだかんだありつつも、孤独だった熊徹と、同じく孤独だった蓮は、一緒に暮らしていくことになる。

傷ついた同世代の異性同士であれば恋人同士、同世代の同性同士なら友人。(最近は、同性同士でも恋人になったりしますが)
年齢差がある異性・同性ならば、擬似的な親子関係になるというのは、物語のお約束。

で、それを象徴するように、蓮は、熊徹から新しい名前「九太」を授かる。

「名付けの親」と言われるくらいでして、これによって、「蓮」改め「九太」は、バケモノの世界で、新しい居場所を見つけたのであった。


オーソドックスな展開ではありながらも、テンポの良い流れで、特別に引っかかるところはなかったのですが・・・・・・・・、中盤から、「ん?」て感じでした。


徐々にネタバレです。


熊徹と九太は、「バケモノの子」というタイトルからも分かるように、血は繋がっていないし、同じ生物ですらないけど、親子の関係となっていく。

でも、九太は17才になったある日、偶然、人間界に戻ってしまう。

まぁ、大人になって、自己のルーツに興味がわいてくるのは普通でしょう。

そして、勉強に目覚めて、大学を受験することまでも考えるよになる。


「ん?」と違和感を覚えたのは、僕だけ?(僕に、親の経験がないから?)

「バケモノの世界」でも本があるようなので、学問もあるでしょう。

バケモノの世界には興味はない。
でも、人間界の勉強には惹かれる。

・・・・・・・なんか、どうしてそうなるのか、よく分からんかったなぁ。


「バケモノの世界」というのが、「幼年期」「少年期」のメタファーであり、そこは父親(熊徹)の庇護の世界。
だから、青年期への移行で、「バケモノの世界」から抜け出ようとしている。

というのは、分からんでもないです。

が、その結果として、実の父親の元に転がり込むってのは、どうなの?


是枝監督「そして父になる」では、「親子関係というのは血では決まらない」という現代的な物語であったけど。
細田監督としても、別に、「親子というのは血で決まる」なんて言ってはいないけど、「バケモノの子」の流れでは、そうなっちゃうよなぁ・・・・・・。


そもそも、バケモノの世界では、最初は苦労したが、熊徹とは信頼関係も出来、友達もいる。
武術では、熊徹の一番弟子として、一目置かれてもいる。

九太には、ちゃんと居場所がある。

「それなのに、なんで、人間界に、そんなに興味があるのか?」という疑問は拭えないねぇ~。


まぁ、前述のように、大人になって、自らのルーツ(人間界)に興味を抱くのは、決して不自然ではない。

そして、人間界のことを知ろうと思えば、大学に行くのが最良。(←この前提自体が、ちょっと無理筋な感じがするが)
大学を受験しようと思ったら、戸籍や住民票が必要。
そしたら、血のつながった親に手助けしてもらうのは、まったく理に適っている。

だから、別に熊徹や、育ててもらったコミュニティ(バケモノの世界)を裏切ったわけではない、・・・・ということなの?


うーん、そう考えることは出来るけど、個人的には、納得できんなぁ。


邪推するに、細田守監督が(自分の)子供に「遊んでばっかりじゃなくて、ちゃんと勉強しろよ」ということを伝えておきたいが為に、受験勉強のシーンが生まれたんじゃないの? と思ってしまいますが、さて。


で、人間世界で出会う楓についても、正直、「必要?」と思わないでも。
(クラスでは孤立して、親とは上手くいってない美少女というお約束。彼女も、孤独なわけでして、蓮と引かれ合うのもお約束)

まぁね。

親元を巣立って、パートーナーを見つけ、新しい家族をつくるというのは「健全な物語」。

そして、アニメだし。
男の子の主人公には、かわいらしい女の子がいないと、ね。

とは理解しつつも、彼女の登場で、「結局、九太は色香に惑わされて、育ての親と自分も見守ってくれたコミュニティを捨てるの?」と意地悪な感想が頭に浮かんでしまったなぁ・・・・。


さらに疑問符なのは、この子が、ラスト戦闘シーンで、「隠れていろ」と主人公から命令されても、離れないんだよね。

「お前、なにできるんだよ?」と思って見ていたら、モンスターと化した蓮のライバルに向かって、口先だけで立ち向かっていく。

いいじゃん、お約束だよ、お約束。
これで、盛り上がるんだよ! ということなのだろうが、・・・・・・・うーむ。 


ラスト。
九太は、「剣を捨てた」とされている。
熊徹から習った武術は止めたんでしょう。

うーん。

そりゃ、子が親の仕事を継ぐ必要はないわけでして。

肝心なのは心(魂)であって、それは、熊徹から九太に、ちゃんと継承されている。
だから、最終的には、真の親子関係を結べた、という大団円なんだが・・・・・・。


その結果として、自分を迫害した人間界(実の父親)に戻っていくというのは、うーん、なんだか。

まぁ人間界から逃げてきたのだから、ちゃんと大人になって、再度挑むというのは、健全な気もしつつ、「なんで、バケモノの世界を捨てる必要があるの?」と、どうしても腑に落ちないなぁ・・・・。(田舎から東京に就職した人のように、ちょくちょくは顔を出しに戻るんでしょうけども)


「おおかみこどもの雨と雪」では、最終的に子供が狼の世界へ旅立ってしまうという予想外の展開に、「ん!」と膝を打つものがありましたが、今作の「バケモノの子」における最終的には子供が故郷を捨てるという予想外の展開には、「ん?」と腕組みして小首を傾げてしまった、という感じでした。


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2015年11月17日火曜日

台湾の民主化運動を下敷きにした「GF*BF」の感想



台湾映画の「藍色夏恋」が、好きでして。

その主演だったグイ・ルンメイ(桂綸鎂)が、「GF*BF」でも高校生役をしているというので、見てました。

撮影当時は20代半ばくらいかな?
「美人さん」というよりは、「可愛らしい」顔立ちなので、ちゃんと高校生に見える。大したものです。(「藍色夏恋」とは、違った女子高生像になっているし)


で、「GF*BF」というタイトルですが、原題は「女朋友 男朋友」(朋友 = 友達)。「girl friend」の略でGF、「boy friend」の略でBFですから、まんまです。

GFが、グイ・ルンメイ。BFで登場する男性二人が・・・・・、物凄いガタイがよろしい。とても、高校生には見えなかったですが、まぁ仕方なし。


で、お話しの流れですが、台湾映画では定番感のある、同性愛を加えての、三角関係。

林美宝(女)は、(幼馴染なのかな?)陳忠良(男)が好き。

陳忠良(男)は、王心仁(男)が好き。

王心仁(男)は、林美宝(女)が好き。


で、ネタバレ。

林美宝は王心仁と付き合うことになるのだが、陳忠良を想いを引きずっている為か、うまくいかず。
二人は別れて、王心仁は結婚。
なんだけれども、すっぱりと切れることはできず、体の関係がズルズルと続く。

陳忠良は、男性の恋人を手に入れるが、彼には家庭がある。
が、林美宝が日陰の女として生きていることを知り、自分の境遇の情けなさを痛感。

自分もこんな恋愛を止めるので、お前も止めろと林美宝に忠告する。

で、林美宝は陳忠良と別れるのだが、彼女は妊娠をしており、また同時に病気も患っていた・・・・・。


まぁ、こんな流れでした。

特徴的なのは、台湾の民主化運動を背景にしているところ。

「海角七号 君想う、国境の南」では、かつての日本統治時代の悲恋を背景にしていたけど、こちらも、微妙な問題を果敢に扱うなーと感心。

が、「海角七号」にしても、今作の「BF*GF」にしても、軽い。
「いいんか、これで? 当事者たちから、軽薄な描き方だ! と文句が出ないの?」と、ちょっくら不安になってしまう。


邦画で学生運動を扱うと、連合赤軍事件が想起されてしまい、こういう風には、描けないよなぁ・・・・。

なんとなく覚えているのは、三田誠広さんの「漂流記1972」なんかは、軽いタッチで書かれていたような気がするが(もう、おおかた忘れちまった)、あれが作品として成功だったかどうかは微妙かな?

最近だと、「坂道のアポロン」なんかは、学生運動を絡めて描いていたけど、やっぱり重苦しい時代の雰囲気を醸し出す装置して使われていたなぁ・・・・・。


別に重いから良くて、軽いから悪いとはならないのではないわけでして。

ちょっと面倒な素材であっても、「えぇーい、使っちゃえ!」とばかりに物語に組み込んでしまう「軽さ」が、台湾映画の貪欲さでもあるわけでして、これはこれでいいんでしょうけど。


それよりも、病気という処理が、どうにも安直なような。(「事故」と「病気」は、青春映画のお約束ですが・・・・・)

ラストの枠に収めるために、無理に引っ張ってきた感が強かった。(一応、林美宝が、お腹をさすっているシーンが伏線なんだろうけど)

特に、子供を産めば死ぬと分かっていて、どうして、林美宝は、出産という選択をしたのか?

新しい命は、自分の命よりも尊重されるべきだから?
王心仁を愛していたから?

うーん、どうにも納得できる答えが、ないような気がします。
だって、出産したら自分は死んでしまい、家族のいない彼女の子を育ててくれる肉親はいない。
無責任と言えば、無責任。


彼女にとっては、陳忠良は家族同然であったのかもしれないけど、それをアテにするというのも、なんかいい加減過ぎるような。

そして、陳忠良が子供たちを育てたのは、林美宝への友情?
彼女の愛情に応えてやれなかった、罪滅ぼし?

うーむ・・・・・。


一応、産まれてきた双子は、かつての彼らと同じように学校のやり方に抗議している。

まさしく「彼ら三人」の子供であることを象徴している。


現実には、学校への反抗を主導していた王心仁は、体制側に取り込まれてしまって、さらには、林美宝を愛人にしていた。
簡単に言えば、汚い大人になってしまった。

「でも、もしかしたら、新しい命こそが、あの時のキラキラと輝く青春時代を継承してくれるのではないか?」というオッサン・オバサン感泣の展開なんだが、やっぱり、なんか無理に収めたような気がしてしまうなぁ・・・・・。


台湾映画の感想。
台湾映画「海角七号 君想う、国境の南」
台湾映画「花蓮の夏」を見て
魅惑の90分映画「藍色夏恋」
映画「あの頃、君を追いかけた」に、身悶えする
台湾映画「九月に降る風」の感想
「KANO~1931海の向こうの甲子園~」は、ちょっとクドかった


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2015年11月16日月曜日

小説「日本文学100年の名作第2巻1924-1933 幸福の持参者」


まぁ、ぶっちゃけ、前の巻と同じで、大した感想はなく。

小説「日本文学100年の名作 第1巻 1914-1923 夢見る部屋」

「いい味だな」と思う短編(たとえば、タイトルにもなっている「幸福の持参者」とか、最後の「訓練された人情」)もあれば、「なんじゃ、こりゃ?」というモノも。

まぁ、いろんなテイストを混ぜないといけないから、「ぶっ飛んでるなぁ~」というのも入れないとね。

以上、備忘録にもならない感想でした。


日本文学100年の名作第2巻1924-1933 幸福の持参者 (新潮文庫)
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2015年11月15日日曜日

映画「あの日のように抱きしめて」の感想



簡単なストーリー紹介。

主人公のネリーは声楽家のユダヤ人。ナチスに囚われて、収容所に送りに。そこで、顔をめちゃくちゃにされてしまうが、どうにかドイツ敗戦で生き残る。
親友のレネは、彼女を病院に連れていく。
顔は再建されるものの、完全に元通りにはいかなかった。

で、レネは、新国家建設の為にパレスチナに行こうと、彼女を誘う。

が、ネリーは、旦那(ジョニー)のことが忘れられない。

彼を探して、夜の街をさまよっているうちに、夫を見つける。
が、夫は、彼女を見て、自分の妻だとは分からない。

それどころか、「死んだ妻の身代わりになってくれ。そして、親族の絶滅した妻の遺産を、山分けしよう」と提案してくる・・・・。
自分が妻だと分からいことにショックを受けるが、彼をまだ愛しているネリーは、その提案を受けてしまう。


こんな感じです。

で、まぁ、「私を思い出して、あなたの妻よ!」ということで、「あの日のように抱きしめて」という邦題になったようですが・・・・・・うーむ、なんだ、この安っぽい邦題は。

原題は、「PHOENIX」。
鳳凰、フェニックス。

確かに、これでは分かりづらい。このまんまだと、聖闘士星矢のスピンオフか? と思ってしまうよ。
それにしても、もう少し、マシな候補がなかったのかね~。
(「火の鳥 ドイツ戦後編」とか・・・・・、いや、これも違う。)


作品は、一応、サスペンス調。

旦那は、妻をナチスに売ったのか? 売っていないのか?
それが作品の肝なんだが、・・・・・・物語は、ゆっくり進みます。

漫画版のデスノートのように、「敵の裏をかいたと思ったら、既に保険が用意されており、でも、その保険があることも想定済み、でも、さらに、その上をいく」といった、どんでん返しの繰り返し、みたいなことはなく、けっこう単調です。

正直、最初は退屈だったんだけど、時間がたっぷりあるだけに、「なんで、旦那は、奥さんだと気がつかないの? 不自然だよな~。もしかして、旦那は、既に気がついている?」とか、「友人のレネって、どうして、ネリーに反対するんだろう? もしかして、彼女を好きなのかな? それとも、彼女こそが、本当は財産を狙っている?」なんてことを、じっくり考える余裕がある。

で、自分の仮説が正しいのか、俳優たちの表情から読み取ろうとしていると、徐々に、退屈からは解放されていきました。


「ユダヤ人は、こんなにひどい目にあったんだ!」「ナチスの罪は、こんなにも深い!」といった政治的な主張が、ガンガン前に出てくる内容ではありませんでしたが、・・・・・まぁ、女子が喜ぶ内容ではないのは確か。

どうせ、こういう地味目の映画を見る人は、勝手に見る。
むしろ、それ以外の人間に、どうやって見せるか?

その結果として、メロドラマ調の、「あの日のように抱きしめて」というタイトルになったんでしょうが、「さーて、なんとなく暇だから映画見よう、おっ、よく知らないけど、これ、面白そう」という観客は、どう感じたかなぁ・・・・・・・。

まぁーねー、綺麗事で飯は食えんので、それくらいのハッタリかましてないと、人間生きていけないよね、・・・・・・・ということで。


で、原題「PHOENIX」。

フェニックスとは - コトバンク
エジプト神話の霊鳥。アラビアの砂漠にすみ、500年に1回、みずから火中に入って焼かれ、その灰の中から若い姿で再生するといわれる。不死鳥。

徐々にネタバレになってきますが、収容所生活でむごたらしい経験をしたネリーにとって、旦那の愛を取り戻すというのは、幸せな生活の復活を意味している。
つまりは、「PHOENIX」。

愛は不死鳥なのか? ということです。

で、親友のレネは、「やめろ、やめろ」と制止する。
そもそも、「死んだ妻の金を狙っているような男だぞ?」と。

で、そういうレネは、鳳凰の柄の寝間着を着ているんだよね。

レネは収容所を免れたようだけど、戦中には仲間を殺されており(かつて写真を一緒に撮ったような仲の人間がナチスになっていたりして)、それはそれで、悲惨な経験なわけで。
それを乗り越えて、イスラエルという新国家建設を目指している。

が、結局、死者に引っ張られて、自殺してしまう。
「ノルウェイの森」の直子ですな。(ということだが、ちょっと唐突な展開であることは否めなかったりします)

このシーンからして、「 一輝 フェニックス、ダメなんじゃね?」という気がしてきたが、案の定、最終的には、旦那が、ナチスに妻を売り渡していたことが分かってしまう。

そして、ネリーが、「スピーク・ロウ」を歌うまで、彼女が妻であることに気がついていなかったことが暴露されて、ラスト。


ネリーは、収容所に行って、顔つきが変わってしまった。体型も痩せてしまい、声も多少変化してしまったかもしれない。
でも、夫婦として暮らしていたんだから、いくらなんでも、途中で旦那が気がつくだろう? 筆跡もそっくりだし。

口調とか、言い回しとか、外見が変わっても、どうしたって外に出てしまうはず。

だから、少なくとも、疑りはするでしょうに。
でも、最後のシーンからすると、旦那は、まったく気がついていなかった御様子。

妻をナチスに売ってしまった時に、旦那の愛は、既に消え去っていた。
だから、まったく気が付かなかったのだろうなぁ。


よくよく考えると、かつてピアニストだった旦那は、酒場(この酒場の名前が「PHOENIX」)で働いているのに、まったくピアノを演奏しない。
雑務ばかり、させられている。(望んで?)

「ピアノ弾いている方が、稼ぎが、いいんじゃないの?」
と、感じてしまったけど、これは、既に昔の生活を切り捨ててしまった彼の現状を象徴していたんだろうなぁ。(戦中はピアノを弾いいていたという発言があるから、米軍相手の酒場で、自分のピアノを披露したくなかったのかもしれない。すると、彼も、また過去に囚われている人間ということなのかな?)


つまりは、

Q.愛は死にますか?

A.死にます。

ということです・・・・・。


まぁ、最終的には自分を捨てた旦那を見限ったということは、つまり、「戦前の幸せな生活」や「戦中の収容所での地獄」の思い出を過去にしてしまい、これからは未来に生きていくということなのかな?(レネや旦那と違って)

そう考えると、主人公のネリーこそが「PHOENIX」と言うこともできるのですが、映画の中では、彼女の「その後」は描かれていないので、まぁそれは観衆の想像にお任せということですな。


ポスター A4 パターンA あの日のように抱きしめて 光沢プリント
by カエレバ

2015年11月14日土曜日

近由子「女なのでしょうがない」の1巻、2巻の感想

わずかにエッチな表紙に目がいき、冒頭数ページを立ち読み。

「女なのでしょうがない」ってタイトルからしても、「こじらせちまったアラサー女子の嘆き、ってヤツがメインの漫画か?」というのがファーストインプレッション。

で、しばらくして、2巻が出ると、こっちもちょっとエッチな表紙。

まんまと作者と編集者の思惑通りに、目がいってしまう。


多分エロくないな、とは思いつつも、出張時の電車内で読もうと(←エロいと困る)、電子書籍版を購入。
で、内容は、最初の感触通りでした。
(次巻の感想は、こちら。■近由子「女なのでしょうがない」の3巻の感想)


同じ職場で働く、三人の女性が主人公。

・青木美希31才(左)
顔とスタイルは、まぁまぁ。

会社では主任を任され、部下には男性もいる。仕事は出来る。でも、仕事が好きで好きでたまらない、という訳ではない。

化粧などは、ほどほど上手にやるけれども、女子力アピールというわけではない。
主任としての立場が、手抜きできないと思わせるのかな?

なので、弁当などつくって女子力アピールなどはしない。


・君島旭29才
顔は普通くらい? スタイルは悪くないが、ちょっと背が高い。貧乳。色気なしで、サバサバしているようで、けっこうネチネチと悩んでしまう。

仕事は、普通に出来る。

外見的な女子力は弱いが、料理は得意(好き?)で、恋愛観は夢見る乙女系。


・風間ちはる23才(左)
美人、巨乳。
本人が思うよりは、器用に仕事が出来るようではあるが、積極的にかかわるつもりはない。

多くのセフレを囲っておくことで、自らの承認欲求を満たしている。・・・ようで、実は、まったく満たされていない。それは分かっているが、止められない。


といった三人の女性が、時には対立し、時には理解を深めるというお話し。


ちょいっとアンニュイな表紙絵の女性(青木)の背中に「半額」シールが貼ってあることからも分かるように、そんなそんな読んで楽しい話ではない。

基本、痛々しい。

しかも、「男性社会における女性の生き辛さ」を描いているので、登場する男は、基本的に嫌なヤツ。

上司という立場を利用して責任転嫁したり、正論という嫌味ばかり吐いていたり、女を性処理の道具にしか思っていなかったり。


そんな不遇の彼女たちにも、優しく接する男性も、いるんですけどね。

社員食堂に勤めている林とか、君島の隣に住む中学生の川村とか。

だが、前者の嫌なヤツたちは会社内で権力を持っていたりするんだが、後者の優しい男たちは無力。


まぁ、作品のテーマを際立たさせる為に、仕方ないのだろうけど、男性読者としては、「なんだか極端だよね」と思わないでも。


一応、中間的な人物として、途中入社の森田というキャラもいる。

青木と同じ31才、イケメンで、仕事は出来る。

他の同僚たちとはうまくやっているけど、上司にあたる青木には、時々、くってかかる。

対等な付き合いを求めているだけなのか、「女性」の上司に反発しているのか、今のところ微妙。

少なくとも、単純な味方でないのは確かかな。


「極端」と言えば、三人とも過剰なくらいに自己評価が低い。

特に、青木なんかは、美人に入る程度の顔で、仕事もまぁまぁ出来ている。
結婚は諦めて、自分のことを「おばさん」と呼んでいるけど、・・・・・・31なんて、今時、結婚適齢期と言ってもいいんじゃないの?

子供産むのに、早いとは言えないけど、遅いとも言えない。

まだ、いろんなことを諦める時期でもないのに、すっかり捨て鉢になっている。
それでいて、「仕事と結婚する」という覚悟も、「仕事がさえあれば、いい!」という誇り(負け惜しみ)もない。

まぁ、ここらへんの微妙な感情は、どうやら「母親の期待に応えられなかった」、または「応えられていない」ということが関係しているようですが。

で、現状の青木の楽しみというのが、貯金通帳の残高が増えていくことだけ。


・・・・・うーむ。

現代女性には、「有能な勤め人」と「子を産む母」の二つを求められる。

時に二つとも、しっかり手に入れている人もいるけど、なかなか大変なことです。

いくら働きやすくなった、と言っても、過去と比較しただけのお話。


「女性の活用」とは、右寄りの首相でも口にせずにはいられない時代にはなりましたが、しかし、男性優位の社会であることは相変わらずでして。
だから、女性が努力しても男性ほど報われない。

で、そんな社会において、なにを尺度にするかと言えば、まぁ「金銭」となってしまう・・・・・。


もちろん、「愛」という手もあります。
仕事が面白くなくても、金があんまりなくても、まぁ、「愛」があれば!

が、これが面倒でな・・・・・・。

「愛」には、相手が必要だもんね。
そして、「金」は、文句も言わない。

--優しく してくれる なら
好きって 言って くれるなら
極論
だ 誰だって!!
上の言葉は、最初に風間が口にして、後に、君島も同意せざる得なくなったもの。

君島は、隣の中学生男子に言い寄られている。

が、年端もいかない子。そんなものを本気に相手してはいけないけど、「誰かに認めて欲しい」「誰かに必要と思われたい」という承認欲求は抑えきれないわけでして・・・・・・。


さて、これから、三人の女性は、なにか自分でも満足できる目標を見つけることができるのか? または、自分を認めてくれる(愛してくれる)男性を見つけることができるのか?

まぁ、青木に関しては、林とくっついちゃうのかね? と思ってしまうけど。
(途中入社の森田とも、微妙な関係だが、一回寝るくらいはあっても、うまくいかないような気がするが・・・・・)

この物語の冒頭では、青木は銀行通帳を見て満足している。
その次に、カップラーメンと半額シールの貼られたスーパーの惣菜を食べる。

この流れって、彼女の現状を象徴しているわけでして。

そして、他でも、彼女の夕食のシーンが何度か登場するけど、いつも、貧しい食事ばかり。


で、林という青年は、社食を担当している。
貧しい食事をする青木に、ちゃんとした食事を与える役割を担っている。

そこらへんからも、今後、彼女に介入していくんじゃないかな? という感じがしますが、さて。


食事に関して言及すると、君島は料理好き。
それもあって、隣の中学生(父子家庭)に弁当をつくってあげる。

彼女の場合は、「青木」と「林」の関係の逆バージョンとなっている。

しかし、三十間際の大人が、中学生に手を出すわけにもいきませんからね。
こっちは、どうなるんだ?

まだ登場していないけど、もしかしたら、父親とくっつくなんてパターンもあるかな~?


おまけの感想としては、三人の女性が、いろいろと男性の理不尽さに耐えられなくなると、ブチ切れて、自分の感情を暴露するんだよね。

まぁ普通に考えれば、会社において破滅的な行為なんだけど、なんだかんだで、うまくいっちゃうんだよね。

うーん、・・・・女性読者からすると、水戸黄門の印籠のようなもんで、溜飲が下がるシーンなのかもしれんが、毎回毎回、「そりゃ、ねーだろ」と感じてしまうよ。(まぁ物語のウソってヤツで、仕方ないんでしょうが)

女なのでしょうがない(1) (講談社コミックス)
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女なのでしょうがない(2) (講談社コミックス)
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2015年11月13日金曜日

奥崎謙三氏の生き様を描いた「ゆきゆきて、神軍」



荻上チキさんのセッション22を聞いていたら、原一男監督が出ておりまして、いろいろと映画のお話をしていました。

で、「ゆきゆきて、神軍」は、見てないなと、せっかくの拝見。

うわぁ・・・・・・。


「アクト・オブ・キリング」や「ルック・オブ・サイレンス」を見て、「日本では撮れない映画だよな」と思っていたけど、ちゃんと、日本にもあったね。

無知って、恥ずかしい・・・・・。

二作品の感想。
今さら見た「アクト・オブ・キリング」の感想
まさかの続編「ルック・オブ・サイレンス」の感想


「アクト・オブ・キリング」は、加害者側のお話し。
「ルック・オブ・サイレンス」は、被害者側のお話し。

この、「ゆきゆきて、神軍」の独創的なところは、戦争犯罪を糾弾するというのがメインなんだけど、それを調査する奥崎謙三氏は、前科持ち。

なんだよ、この被害と加害の糾える縄の如し。


で、この奥崎謙三氏の個性が強くてね。

奥崎謙三 wiki

殺人を犯して、「昭和天皇パチンコ狙撃事件」「天皇ポルノビラ事件」「田中角栄に対する殺人予備罪」といった事件を起こしている。

天に唾する行為など屁とも思っていない。

いや、「天に唾する行為」の結果として、「自分は先生と呼ばれるようになった」と、自慢しているくらいでして・・・・・。

まぁ、つまりは、S2機関搭載型です。(又吉イエス氏も、同型のエンジンを積んでいると思われます)
外部からの情報・倫理・基準を必要としない論理的永久機関で動いている。


そんな人を、戦争犯罪の調査に向かわせるのだが、行く先々で、「ガチンコファイトクラブ」以上のガチンコな騒動が起こるわけでして。

まぁ、戦争という組織的な狂気に対して、個人の狂気で対抗しているのでしょうが・・・・・。


で、最終的には、元上官への怒りから、たまたま応対に出た、元上官の息子に発砲 → 殺人未遂で逮捕という衝撃。


今なら、「過激な映画をつくるため、キ◯ガイをけしかけて、人を傷つけた」という批判で、絶対に公開されないだろうなぁ。(当時も、もめたようです)


こちらのサイトでは、この映画について詳述しております。
ゆきゆきて神軍

が、文章読んでも、アレな空気感までは、やはり伝わってこない。

字や写真では、どうしても奥崎謙三氏の凄さは伝わりません。

動画でなくては、成り立たないのです。


そんなわけでして、ご興味を持った方は、是非、映像で御覧下さい。

ジェームズ・キャメロン監督の作品とは違う次元で、新しい映像体験が出来ることと思われます。

ゆきゆきて、神軍 [DVD]
by カエレバ