2014年8月27日水曜日

「ヴィオレッタ」見たよ


「カンヌ映画祭で絶賛と非難の問題作」という、ありがちな煽り文句がついている「ヴィオレッタ」を見てきました。


ストーリーを簡単に言いますと、売れない芸術家(崩れ)の母親が、美しい娘をモデルにして、ポルノまがいの写真を発表し、話題になるものの、母娘の間には軋轢が生じる、という流れ。

興味深いのは、監督の実話というところ。


今なら、毒親とでも言うのでしょうか?

娘の心情は無視して、自らの功名心と生活費の為に、犠牲にするというのは。


で、この映画は、監督にとって、娘を裸にして生きていた母への復讐という面は否定できないわけでして。

しかし、今度は監督自身が少女(幼女?)役の子を裸にしなくてはいけないというジレンマ。

でも、過激さを薄めてしまうと、「娘は、なんでモデルになるのが嫌だったの? いいじゃん、それくらい別に」と観客は思ってしまうでしょうし、「これは芸術!」といった風に美しくまとめてしまうと本来伝えたかったメッセージ性が薄れてしまう。それじゃ、昔を忠実に再現しましょう! というのでは、母親と同じで、世の下卑た男どもの劣情を利用していることになってしまし、でも、子役に妖しい魅力がなければ母親や世間が熱中した理由も分からなくなってしまうわけでして。


そこらへんの、さじ加減の結果が、こんな感じ。




個人的には、綺麗だし妖しい魅力はあるけど、いやらしいというほどではないかな?

映倫が異例の“区分指定適用外”判定 「ヴィオレッタ」は児童ポルノの烙印を押されたのか

公開までは、いろいろとあったようだけど、正直、そんな目くじらを立てるよう描写はなかったです。

逆に言うと、主役の子は綺麗だけど、そういう方面を期待して見に行くと、肩透かしを喰らうと思います。


で、まぁ、ぶっちゃけ「面白かった?」と聞かれると、「うーん、そんなでもない」というのが正直なところ。

アラフォーで妻も子もない状態なので、母親にも娘にも感情移入できなくてね。


「死は娼婦よ」みたいなセリフや、母が墓石の上に寝るシーン、そもそも撮影場所に死のモチーフが満ちているところなんか、「この映画は、なにか深いものを宿している」的なメッセージがプンプンするんだけど、なんか、あんまり考察する気もおきず、だらだらと見てきた感じです。


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2014年8月24日日曜日

「我妻さんは俺のヨメ(12)」の感想


物語には、作者の欲望が反映するもの。

で、さらに、その欲望が読者と合致すると、ヒット作になるわけでして。


「我妻さんは俺のヨメ」ですが、典型的な「何のとりえもないオレが、クラス(学校、学園)一の美少女に恋をする」という流れ。(少女漫画ですと、「何のとりえもない私が、クラス(学校、学園)一のイケメンに恋をする」)

恋愛下克上パターン、とでも言えるでしょうか?


で、現実のカップルというのは、美男美女が普通。

たまに美男子でもない普通の顔でも、美女を捕まえていることがありますが、まぁ、当然、顔以外の「長所」があって、くっついている。

スポーツマンだったり、しゃべりが得意だったり、金を持っていたり、まぁ、それぞれ。


でも、一般的な読者というものは、スポーツマンでもなし、しゃべりが得意なでもないし、金があるわけでもない。

普通の生まれ、普通の身体的能力、普通の頭脳。

特に、目立った長所などあるわけがない。


そんな中で、普通の男子が美女を手に入れる読者の願望を反映したストーリーは、どうやったら成り立つか?

そうだ、「心だ!」。
心なら、生まれも努力も関係ないぞ!

と、なるわけでして。


「我妻さんは俺のヨメ」も、ちょっとSFっぽい味付けがしてありますが、基本は、このパターンにはまった、よくあるラブコメもの。

ですが、もてない男たちの、しょーもないやり取りが、笑えて読んでしまいます。
(「究極超人あ~る」に、ちょっと毒を加え、女を抜いた感じかな)


最終的には、ヒロインの我妻さんとくっついて終わるんだろうなー。


しかし、そのヒロインの影が薄い・・・・。

「バクマン。」と同じで、優等生キャラって、いまいち目立たないよね。


まぁそれは主人公側にも言えることで、ケンシロウとラオウ、大空翼と日向小次郎、浦飯幽助と飛影、星矢と一輝、悟空とベジータ・・・・・・などなど。

往年のジャンプ漫画以外でも、「スターウォーズ」ではダース・ベイダー、「ガンダム」ならシャア・アズナブルが、圧倒的な人気だもんね。

万人に好かれるキャラって、(現実と違って)意外に誰からも好かれなかったりします。

むしろ、強烈な個性が発揮できるライバルキャラの方に、魅力が出てしまうことが多い。


で、「我妻さんは俺のヨメ」12巻は、サブヒロインの伊富蘭と主人公のお話。

いくら我妻さんが美人という設定でも、普通であれば伊富蘭でいいじゃんと思ってしまうけど、まぁそれではお話が成り立たないわけでして。

しかし、主人公は誠心が唯一の取り柄のはずなのに、あれほど尽くしてくれた伊富蘭を振るというのは、どうなんだ? と思ってしまったりしますが、まぁ、好きでもない人に好きな振りをする方が残酷だ、ということにしておきましょう。
(年をとると、愛と恋とか、そんなもの、所詮、二人でつくっていくものなんじゃねーの? と思ってしまいますが・・・・・・)


2014年8月22日金曜日

黒子のバスケ脅迫犯に実刑が下って、被告本人からのコメント

「黒子のバスケ」脅迫事件実刑判決についての渡邊被告のコメント発表!

被告(もう実刑が下ったから犯人? 受刑者?)本人からのコメントということですが、まぁ、以前と同じで、露悪、挑発、妄想といった感じ。

以前も書いたけど、この人の目的って、両親への復讐であり、しょーもない自分を誇示して、世間から糾弾されることで、「自分は、こんなひどい評価を受けたよ! だから、私を見て、ねえママ! お前がつくった失敗作だよ」という自罰願望と責任転嫁のMとSの両刀使いなんだろうね。
年収200万を超えたことがないという、ワーキングプアともいえる生活を長いこと送ってきた彼にとっては冗談でなく本当に拘置所は快適らしい。拘置所や刑務所の生活の方がランクが上だという人たちが今の日本社会にたくさんいること、そしてそういう現実とこの犯罪はやはり結びついているということも考えないわけにはいかない
と月刊『創』編集長は分析しているけど、その一面があるのは確かだけど、ちょっと違うような。

そもそも、お金がないなら窃盗・強盗をするわけで、女にもてないなら強姦・痴漢なわけだ。(極論だけど)

ほとんど無関係といえる「黒子のバスケ」の作者を勝手に恨んで、脅迫状を四方八方に送りつけるという、犯行動機から実際の犯行には大幅な飛躍があって、それは貧乏では解釈できないんだよね。


仮定は無意味と思いつつ、仮に彼の年収が500万あったら、違ったのかな?

なんか、やっぱり、違う形で、両親への復讐をしようとしたんじゃないかな?
(前向きな人は、社会的な成功をおさめたことで、それを両親への復讐とするのだろうけど)


もちろん、失うものが多くなれば、それだけ犯罪に手を染める確率は減るのが一般論。

でも、彼の場合は収入よりも、居場所がなかったことが問題のような気がする。

本人も書いていたけど、彼はオタクにすらなれなかった。

何者にもなれなかった結果として、今、犯罪者という安住の地を手に入れてしまったように見えます。


こういうタイプは、どうしたものなのかね・・・・・。

単純に「家庭環境が大事だ!」というのは簡単だけど。


「秋葉原事件」加藤智大被告が「黒子のバスケ」脅迫事件に見解表明!

変な話だけど、よくまとまっているね・・・・・・。(無差別殺人犯を褒めるのもなんだが)
「浮遊霊」に関してですが、それは渡邊氏独自の言葉ではありますが、表現が独特であるだけで、その中身は人間の普遍的な心理です。私の言葉なら「社会との接点を失った孤立状態」ですが、それでもまだ通じないのかもしれません。世の中でよく使われる言葉だと「人とのつながり」「絆」「かけがいのないもの」「誰かの役に立てること」などを失うということになるでしょうか。それらを全て失うことがどれほどの精神的苦痛であるのかは、失った経験がある人にしかわかりません。


以前の記事。
「黒子のバスケ」脅迫事件の犯人からの長文が掲載されているけれども

2014年8月19日火曜日

能年玲奈主演「ホットロード」を見たわけだが


映画の予告編は、どうして、こうも面白そうなんだろう。

「あまちゃん」が大ヒットしたおかげで、能年玲奈さん、橋本愛さん、有村架純さんの三人は、一気に全国に名前が知れ渡ったのは、まぁ言わずもがな話。

個人的なイメージとしては、「桐島、部活やめるってよ」でも出ていた橋本愛さんなんかは、既にブレーク寸前でしたが、他の二人は、「あまちゃん」効果が、やっぱりデカイような気がします。

で、有村架純さんは、いろいろと出演して、「今だ、名前を売れ!」「とりあえず稼げる時に稼いでおけ!」という感じですが、逆に能年玲奈さんは、イメージを高めようと慎重に出し惜しみしている(飢餓商法)ように思えます。


で、満を持して能年玲奈さん主演の映画「ホットロード」が公開されました。

原作は、少女漫画の傑作。

これがモノになれば、能年玲奈のブランドはうなぎのぼりじゃい! ですが、・・・・・・・主人公の宮市和希って、中学生の設定だよね?

能年さん、二十歳超えているよ? 大丈夫? 高校生なら、まだまだいけるけど、中学生はどうなんだろう?
それとも、高校生に設定を変えちゃうのかな? それなら、まぁ大丈夫だろうけど。

そして、「ホットロード」ってシリアスなドラマだよなー。
「あまちゃん」のイメージには、能年さんはぴったりはまっていたけど、「ホットロード」の世界には、どうなんだ?


という心配をしながら見てみましたが、・・・・・能年さん、綺麗ね。
でも、やっぱり影がないよ。

彼女からは、幸せな家庭しか見えてこない。和希の薄幸な人生と、かぶってこない。
でも、それは見ていくうちに、「まぁいいかな?」くらいにはなっていきましたが、やっぱり中学生には見えない。無理だ・・・・・・。

で、相手役の 前髪クネ男 春山の登坂広臣さん。和希の二才くらい年上って設定でしょ? うーむ。

現実は27才だそうで。まぁカッコイイので、大学生くらいには見えるけど。
でも、どうみても十代は無理っす。
(春山が慕う先輩のトオルさんなんか、変態仮面だよ!)

年齢が無理でも、原作にあった、十代特有の向こう見ずな純粋な狂気が滲み出てくるならば、「アリかな」とも思えるけど、この人からは、いかにも充実した青春を歩んできた青年にしか見えないのよね。


「アダルトビデオで鍛えた、AV脳で見るんだ」
と自らを叱咤し、女優さんは高校生、男優さんも高校生。そういう設定で楽しむんだ! と洗脳しようとしたけど・・・・・・・・。


「ホットロード」のキモって、十代の、まだまだ幼い少年少女の痛々しさだと思うんです。

大人からみれば、単なる自堕落な不良だけど、そんな彼らも必死に生きている。

そこから出てくるセリフは、大人や健全な少年少女では出せない、独特の味が生まれてくるわけなんだけど。
それを、女子校生AVに出てくる男優みたいな年齢の人が言っても、全然、胸に響いてこないんだよね。


キスシーンにしても、そう。

能年さんと登坂さんだと、せいぜい大学生くらいのカップルにしか見えないから(AV脳フル活用でも高校生)、キスシーンっていっても、別にね。

「そりゃ、するでしょ」くらいにしか見えない。


結局、原作が十代の半ばの非行少年、少女だから成り立つ苦悩、セリフ、生き様で構成されているにもかかわらず、それを二十代の、それも健全な臭いのする男女にやらせるのは、どだい無謀なんだよね・・・・。


映像にしても、中途半端で。

原作は1980年前後を舞台にしてると思われますが、映画からは、その臭いがしてこない。
不良たちにしても、当時のリアルな暴走族の格好をしたのでは、ギャグにしかならないのは分かるけど、それにしても、あまりにも今風。

ハリウッド映画なら、ちゃんと過去のファッションでありながら、現代人にもスタイリッシュだと感じさせるような格好ができるんだろうけど、邦画だと、イマイチね。(資金が全然違うから、あんまり求めても仕方ないんだろうけど)


唯一、80年代っポイと言えるのは、主題歌が尾崎豊って、ところか?


尾崎豊が、よく似合う。


で、湘南の美しい風景と、叙情的な耳触りの良い音楽が流れて、美男美女が夜の海岸線をバイクで疾走し、なんとなく悩んだり、粋がったり、泣いたりするわけで。

普通の青春映画になっちまったな・・・・・・。


文句ばっかり書いてきたけど、つまりは、アイドル映画なんですよ。

対象としている層は、アラフォーのオッサンではなくて、夏休みを持て余している学生さんだから、この配役とツクリというのは、大正解だと思います。


でも、出てくる少年少女を十代に絞っただけでも、全然、違う作品になったんだろうけどな・・・・・・。


2014年8月18日月曜日

新川直司「四月は君の嘘」を、6巻から9巻までの感想



「四月は君の嘘」の6巻から9巻の感想。


これまでの簡単な梗概。

傷ついた天才ピアニスト・有馬の前に、唐突にあらわれた、バイオリニストの宮園かをり。

彼女の強引な誘いで、再び人前でピアノを弾く機会を得て、自分の道を再確認した有馬。
再びピアニストとして生きる覚悟をして、次のコンサートで、かをりの伴奏をすることを約束する。


という感じ。

で、前々から、バリ3で死亡フラグが立っているヒロインのかをりだけど、もう、基地局から有線で直でつないでいる感じ。

あぁ、こりゃ死ぬね。確実に。


主人公の傷心の理由が母を亡くしたことで、それを「かをり」に癒してもらったけど、今度は「かをり」を失うことになりそうです。

その死に直面して、主人公が、どう乗り越えていくのかが、今後の見所ですなー。

一応、幼なじみの椿の他にも、ライバル相座の妹が登場して、彼女たちにフォローされていくのかな? という感じはするけど。


しかし、不覚だったのは、これって、三田誠広さんの「いちご同盟」が、下敷きになっているのね。
「四月は君の嘘」の作者自身が、作品の中に、「いちご同盟」を登場させてくれたから、ようやく気がついたよ。(パクったと言われたくないから、作品に登場させたのかな? と、邪推)

ピアニストの主人公、病弱な少女、スポーツマンの友人等など、設定はけっこう、かぶっているもんね。

三田誠広さんは好きで、昔はよく読んでいたんだけど。
漫画に登場するまで、まったく気が付かなかった。不覚。

それだけ漫画にも独自性があるんだ!、などと言っても、自らの迂闊さに対する弁明に過ぎない・・・・。


うろ覚えだけど、「いちご同盟」では、ヒロインが死んで、それを機会に主人公が人生を見詰め直して終わり、という流れだったはず。
で、最後は、けっこうアッサリしていたような。

「四月は君の嘘」の場合は、ヒロインが死んでからが、また紆余曲折あるのかな、と予想。


で、アニメ化になるようですが、どこらへんまで、やるつもりなんだろう?

なんとなく、単行本の五巻、主人公が母親の呪縛から逃れるあたりまでだと思うけど。

でも、そこで終わってしまうと、ヒロインの病弱の伏線が「?」に、なっちゃうんだよね。

かと言って、勝手なラスト(原作には無関係に、ヒロインを殺してしまう)のも、なんですしねー。


なんとなく、あの明石家さんまさんすらも知っていた、泣けるアニメ「あの花」ブームの再来を狙っているような気がするけど。

でも、五巻までで終わってしまうと、ヒロインの「かをり」と主人公の一緒の演奏シーンをピークに持ってこれるけど、物語としては、ちょいっと中途半端なんだよね。


どうするんですかね?(最初から「二期」を射程に入れているから、多少、尻切れトンボでも、それはそれで、製作者側としては問題ないのかもしれないけど)


過去の感想。
新川直司「四月は君の嘘」を、1巻から5巻までの感想


2014年8月14日木曜日

新川直司「四月は君の嘘」を、1巻から5巻までの感想



嬉し恥ずかしで、悶たい。
そんな漫画が読みたい。

たとえば、「坂道のアポロン」のような作品が読みたい!

と思って、これがポイな、と手にとったのは、「四月は君の嘘」。


以下、ストーリー。

かつては天才と言われていたピアニストの主人公は、母を亡くしてから、まったくピアノが引けない体になってしまった。

その彼を心配しながらも、あたたかく見守る幼馴染の女の子と、スポーツマンの男の子。

そんな三人に、唐突にあらわれたバイオリニストの美少女。

彼女は、自分の殻に閉じこもってしまっている主人公を、強引に音楽の世界へ引きずり出していく。
迷惑と感じつつも、徐々に、ピアノへの情熱を取り戻していく主人公。
そして、ピアノへの熱意の高まりと一緒に、ゆっくりとバイオリニストの少女を意識し始める。

そのことを知って、悩む幼馴染の女の子。
主人公は、今でも自分を女性としては見てくれないのに。

でも、バイオリニストの少女が好きなのは、幼馴染のスポーツマンの友人であった。


これだ!
望んでいたものだ!
あたりだ!

というくらい、グゥーっと悶えさせてもらいました。(作品は、まだ途中なんで、させてもらってる、ですが)


まぁ、この、傷ついた天才と、それを癒やす女性という構図は、ありきたりだけどね。(「3月のライオン」とか・・・・・。偶然だろうけど、3月と四月ですね)

しかも、幼馴染の女の子は、隣に住んでいるし。(まだ、この設定は現代で通じるんですね)


そして、最大の「そうきたか!」と思わせたのは、ヒロインのバイオリニストに、バリ3で死亡フラグが立っているんだよ。

美少女、天真爛漫、天才、病弱。


あざとい!と思うこともあるけど、絵が綺麗で、その絵に基づいた丁寧な心理描写で、サクサクと読めちゃうね。

三角・四角関係だけど、(不自然なくらいに)ドロドロしてないし。
少女たちも可愛らしいけど、エロに逃げないところで、作品が爽やからに、からっと上がっている。


まっ、現実に、こんな青春を過ごしているようなヤツはロクな大人になりませんけどね(根拠はない)。


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2014年8月13日水曜日

『惡の華』 第五巻 の感想。


徐々に破滅に向かい始める第五巻。九話と十話が入ってます。

・九話
ついに佐伯に体操着が盗まれたことも、教室をメチャクチャにしたこともバレてしまう。

主人公の春日は別れを切り出すが、それを拒絶する佐伯。


ここらへんが、なんで? とも思うけど、女のプライドなのかね?

仲村という存在を意識していなければ、まぁ、別れたでしょうな・・・・。


何度も書いているけど、佐伯というのは秩序・体制の象徴。

だから、混沌・反体制になびく春日は、佐伯には理解できない。というよりは、認めることができない。認めることができないから、手放す・・・・となるのではなく、逆に、引き留めようとする。

そこらへんが女のプライドであり、体制側の意地なのかな?


で、親にバレて家を出るわけだけど、そこで出会ったのが仲村。

そのまま、二人で町を出ることを決意。


・十話
で、なんの計画もなく、ただ、
山の向こう 何があるかな?
という漠然とした思いだけで自転車で走り出す二人。

が、金も装備もなく、雨が降り出したので、山を登っている途中で、二人とも道端で休憩。

そこに、嫉妬に狂った、というよりは、二人がくっつくのを認めたくない(それを嫉妬と言うのか?)佐伯が登場。

二人の女性があらわれて、互いに春日を自分の方に引っ張り寄せようとする。


で、春日が、どちらを選ぶかと言うと、
選べない… そんなことできない!
僕に選ぶ権利なんて無いんだよ!
と叫んで、どちらの女性も失望させるという、大変(しょーもない)男らしい逃げで終わり。


冷静に考えるまでもなく、金もないのに、仲村と一緒に町の外に出て、どうするんだ? ということなんだけど。

でも、春日は、佐伯を選ぶことは出来ない。


同じクラスだったけれども、春日にとって単なる想像上の存在(アイドル)だった佐伯を、現実のものとして、捉えられない。

それは、「惡の華なんて、おれも分からねーよ」と告白してしまったのと同じで、中学生の春日にしてみると、よく分からないけど、自分の幼い自尊心を満たしてくれるものでしかない(まぁ、そんなもんだけどね)。

佐伯に憧れていたのもポーズなら、また文学好きも単なるポーズに過ぎず、もちろん普通ならそれでいいのだけれども、仲村という強烈な個性の前では、その嘘を自覚せざる得ないわけでして。


てな感じで、中途半端な自分というものを突きつけられて、今回は終わり。


で、何度も考えてしまうのは、仲村は春日に恋愛感情はあったのかな?
ここまで見てきても、やっぱり、よく分からんね。

春日は、仲村に対して、少なくとも性的な対象として見てはいるけど。

佐伯が、ウブな春日を引かせるくらいに迫ってくるのに対して、仲村は、そんな彼女を小馬鹿にしていることからすると、仲良しこよしの恋愛ごっこを軽蔑しているのは確かなよう。


春日が、仲村も佐伯も選べないと叫んだ時に見せた表情は、ちょっとだけ「女」な感じがしたけど、どう感じるかは、人それぞれだからなー。


過去の感想。
『惡の華』 第一巻 の感想。
『惡の華』 第二巻 の感想。
『惡の華』 第三巻 の感想。
『惡の華』 第四巻 の感想。


『惡の華』Blu-ray 第五巻
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2014年8月11日月曜日

「キック・アス2」の感想


クロエ・グレース・モレッツを、一気に世界的なスターにのし上げた「キック・アス」。

サディスティックな美少女・・・・・・というよりは、サディスティックな幼女(撮影当時は12才くらい? 白人さんにしては珍しく、幼く見えるタイプ)というマニアックな設定で、ある種の層の人たちに「これだ!」と受け入れられ、めでたく続編です。

日本人に受けるのは、まぁなんとなく分かるんですが、アメリカでも受けたようなので、こういう層は、万国共通なのかな?


見終わった感想としては、やっぱり続編て難しいよね。


前作は、冴えない高校生が、「子供時代に憧れるヒーローに、実際になってみたら、どうなるか?」という素朴な願望を実行してみたものの、まぁ当然のことながら、単なる青瓢箪ですから、町の不良たちにあっさりとやられてしまう。

で、いろいろと痛い目にあっていくうちに、ビッグ・ダディ(子供は一人)とヒット・ガールという、本格的に体を鍛え、装備も潤沢な、本物(?)のヒーローに出会うんだけども、「警察なんか頼れるか! 俺たち自身の力で、悪を対峙してやる!」なんて人たちですから、こっちはこっちで、アレな感じ。

どうしようもないDIYヒーローのキック・アスと、ファナティックなヒット・ガールの組み合わせが、いい感じでした。


そして、「2」。


クロエ・グレース・モレッツが演じるヒット・ガールは、無敵のワイルドカード。

だから、物語に起伏をつくろうとすると、彼女の力を、どうやって封印させるか? が重要なキーになるわけでして。

そんなわけで、今回はキック・アスはやる気があるけど、ヒット・ガールは養父に遠慮して悪党退治を止めてしまう。


まぁ普通の親なら、自警団ごっこなんか許さないよね。
もし悪党退治したいなら、高校を出てから、警察か軍隊に行けって感じだもんね。


で、キック・アスは町の小悪党をチョロチョロと相手しているんだけど、ヒット・ガールは学校のスノッブな学生と付き合うように親に言われて、ぬるっとした生活をおくっているわけでして。

うーん、なんか、いまいち、爽快感がないね。


まぁ、ヒット・ガールが付き合うことになる女性たちの、毒のある分かり易いスノッブさは、笑えることは笑えるけど。


で、その女達に傷つけられたヒット・ガールは、キック・アスに泣きながら抱きつき・・・・・・、うーむ。

強い女性が見せる弱い面に、「グッと来る!」というのも分かるけど、年に似合わないヒット・ガールの不道徳な凶悪さが魅力だったのに、普通のティーンエージャーに成り下がってしまっては、なんだかな・・・・・・。


最終的には、ヒット・ガールも復活して、一緒になってDIYな悪党をやっつける。

でも、ヒット・ガールで生きていくことを決めたので、養父のもとにはいられないと、彼女は街を去っていく。

その際、今まで、足手まといだと思っていたキック・アスを見直して、自分のパートナーと認めるという意味でキスをして、終わり。


それなりに楽しめることは楽しめるけど、「1」ほどじゃないかな。


それにしても、「1」は、役のイメージ通りにヒョロっとしていたキック・アスだけど、「2」では、なんで、あんなに筋肉質なの?

まぁ、一応、ヒット・ガールが、彼の鍛えた裸体を見て、「本物のヒーローになろうとしているんだ」と感心するシーンがあり、それはそれでラストのキスにつながるので大事なのは分かる。

でも、鍛える前から、明らかに、でかいんですよ。
普通の服を着ていても、分かるくらい。

役の為に鍛えたのなら、やり過ぎ。


後、冒頭で、友人たちと、ダラダラと会話しているシーンで、「熟女でぬいたよ」云々あるけど、あれって、キック・アス役のアーロン・ジョンソンが23歳年上の女性と結婚していることをネタにしているんだよね。

ここに限らず、こういう毒は、キック・アスらしいんだけど。


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2014年8月9日土曜日

『惡の華』 第四巻 の感想。


全十三話の、ちょうど半分の七話と、その後の八話が入った、「惡の華」第四巻。


ターニングポイントを、意識している七話でした。

これまでは、仲村に振り回されっぱなしの主人公の春日。
佐伯を騙している罪悪感に耐えられずに、仲村に、自分が体操着泥棒であることを、暴露して欲しいと訴える。

で、佐伯だけではなく、クラスのみんなに告白することを迫る仲村。

そんなことは出来ないと、一度は、拒む春日であったが、彼女の孤独に共感して、教室をメチャクチャに。

スローモーションを多用した圧巻のシーンになっておりました。


で、その後の、ついに、体操着を盗んだことがばれるのか? という八話。

ですが、どうやら、仲村の配慮だと思われますが(もしかしたら、偶然)、春日の暴露は表沙汰にはならず。

しかし、教室をメチャクチャにしたのが春日(&仲村)であることに気がつく。

それに対して、自分から別れを切り出す春日であった、てな感じで終わり。


「秩序と体制を象徴する佐伯」と、「混沌と反乱を象徴する仲村」。

春日のプレゼントした「惡の華」を理解しようとする佐伯だけど、おそらくは理解することはない。
一方で、仲村は、「惡の華」をもらっても、決して読むことはないだろうけど、少なくとも春日とは通底するものを持っている。

春日も仲村も、この世界の通俗、偽善、狭隘に辟易している。


所謂「中二病」というヤツですなー。

自分だけは特別であると思いたい、あいつらと違うんだっていう臆病な自負を抱く時期って、誰でもありますからね。


で、物語を楽しみつつ、なんか違和感を感じたわけでして、「なんだろう?」と考えてみると、ネットがないんだよね。

一応、現代が舞台なはずなのに(出てくるテレビは薄型だし)、二人ともネットを使うことはない。
使ってはいるのかもしれないけど、活用はしていない。

なんで、そんなことに違和感を覚えるのかと言うと、今なら、こういう孤独を抱えている子なら、きっとネットにハマるんだろうな、と考えてしまうから。

まぁ、自分の時代にはネットもなくて、今も子供がいないので、あくまでも想像ですけど。


ネットで、孤独が癒やされてしまったら、仲村と春日がくっつくことはないだろうから、敢えて踏み込まないのは、物語上、仕方ないと言えば、仕方ない。まぁ物語の嘘というヤツでして。
(作者の青春時代に、ネットがなかったから、そういうストーリー展開が想像出来ないということもあるのだろうけど)


で、仲村と春日は急激に親密さを増すんだけれども、そこで疑問なのは、春日の性欲。

佐伯に対しては、この物語の発端からして分かるように、彼女を性の対象として見ている。

でも、春日の仲村に対しては、なんか有耶無耶な感じがすんだよね。


何度か書いたような気がするけど、ここらへんは、やっぱり、疑問が残るところだな・・・・・・。


過去の感想。
『惡の華』 第一巻 の感想。
『惡の華』 第二巻 の感想。
『惡の華』 第三巻 の感想。


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2014年8月8日金曜日

漫画「シドニアの騎士」 十巻から十二巻まで読了


シドニアの騎士、10巻から12巻まで読了。

主人公のライバルである落合が、二体目の融合個体の制御に失敗。
それは、かつてシドニア(人類の生き残りを賭けて航行する巨大宇宙船)を滅ぼそうとした過去を想起させるような暴走で、落合自身も負傷。

生き残ったクルーは、融合個体を解体したいが、兵器としての可能性を評価した艦長が許さない。

そもそも、かつては合議制でシドニアの最高意思は決められていたのに、今では、艦長の独断になっている。

艦長は何を考えているのか? 単純に、人類の敵であるガウナを殲滅し、人類の存続を願っているのか? それとも・・・・・。


そんなSFらしいハードな展開がありつつも、主人公とイザナは、景勝地にデートへ。

そこで、
長道は 僕の事なんて どうでも いいんでしょ!
と、「私と仕事、どっちが大事なの?」的な、ラブコメにありがち王道的な詰問が発せられて、そこで十巻が終了。

十一巻で、ついに主人公の気持ちが明かされる! となるのだが、これが、かつてのダイアルQ2のように、なかなか真相が語られない。

で、11巻の終盤になって、ようやく、長道の返答が明かされるのだが、
どっ、どうでもいい訳 ないじゃないか!
で、終わり。
恋愛沙汰に鈍い主人公にありがちな、お約束なお言葉。

ザ・ラブコメです。

しかも、ニューキャラの市ヶ谷は、ロボット美少女でツンデレという、これまた、ザ・ラブコメです。


そんな感じが、10巻から12巻でした。


最近では実物の漫画を買うことは稀で、電子書籍版をNEXUS7(2012)で読んでいます。

「シドニアの騎士」は、もともと密度の濃い描写が多かったのですが、物語の進展に合わせて、作者の絵が上達してしまい、現在の解像度的には、きつい感じです。

おニューのタブレットが欲しい・・・・・。
ただ、OSのAndroid5が、そろそろなんで、今買うのは、なんともなー。

しかし、Android5が出ても普及する(OSが安定し、アプリが対応する)のは、発売から、しばらくかかるし。
今、買ってもいいような、買うための言い訳をつくり出しているような。


それは、さておき。

融合個体の「つむぎ」が成功して、次の「かなた」が失敗したのは、なんでなのかの?

「つむぎ」は、(エナ星白の状態で)主人公の長道との何度かの接触があったけど、「かなた」には、ないから? そんなとこかな?


11巻で、ガウナが人類が襲う理由が、ようやくはっきりして、それは人類がヘイグス粒子を使うから。

ならば放棄してしまえばいいじゃん、という考えが当然生まれるけど、ヘイグス粒子は既に人類にとって必要不可欠なものになっており、事実上不可能。
(ここらへんは、現代科学が既に人類を滅ぼすレベルに達してしまったのではないか? という危機感が背景にあって、こういう設定になっているのかな?)

一応、それで片付いた謎もあるけど、さて、その先、ガウナは何故に「ヘイグス粒子」を使う人類を狙い(ヘイグス粒子だけを狙っているようではない)、さらに、時には人類と融合し、コミュニケーションをとるような態度をとるのか? という疑問が残るわけでして。


その鍵は、「つむぎ」と「かなた」が、一見すると、ガウナでありながら、その性格は人間に似通っているにあるのかなー? と思ったりします。

で、重要になってくるのは、主人公のハーレム体質なのか?


自分はシドニアの騎士だ! と自認している主人公の意図するところは、当然、人類の生き残り。

でありながら、人間ではない、「つむぎ」や「市ヶ谷」にも優しい。

だから、彼女たちは、主人公の長道に惹かれる。

結果として、人類だけではなく、いろいろなものが言い寄ってくるというはレーム状態が生み出されているわけなんだけど、これが、最終的には、これが、ガウナとの関係に重大な意味を持つようになるのかな? なんてこと思いました。

どうなんですかね? いずれにせよ、次が楽しみです。


以前の感想。
漫画「シドニアの騎士」一巻から三巻まで読了
漫画「シドニアの騎士」四巻から六巻まで読了
漫画「シドニアの騎士」 七巻から九巻まで読了

シドニアの騎士 コミック 1-12巻セット (アフタヌーンKC)
by カエレバ

2014年8月7日木曜日

漫画「シドニアの騎士」 七巻から九巻まで読了


死んだ星白(主人公の想い人)を捕食したガウナから生まれた、生物兵器(?)である融合個体・つむぎ。

人格を持ち、人語を話し、人類とコミュニケーションを求める存在。

そして、マッドサイエンティスト(?)の落合にとっては、究極の生命への実験体でもある。


で、この「つむぎ」と主人公、そして、中性から女性に変化したイザナとの、奇妙な三角関係が築かれます。

そんなラブコメ中にも、容赦なく襲い掛かるガウナとの戦闘。

このラブコメと戦闘の繰り返しで、物語に緩急が生まれます。
相変わらず、「えっ、どうして、そうなるの? もうちょっと説明してよ」と思わせる展開も多々ありながらも、面白く読めてしまいます。


個人的には、最後まで主人公に立ちはだかるのかと思っていましたが、星白を捕食した紅天蛾とは、ここで、ついに決着がつく。
こいつも、落合の実験体にされてしまうようです。


この物語は、一応、「人類 V.S. ガウナ」ということになっているんだけど、落合が目指しているのは、おそらくはガウナ。

しかも、人類の多くも厳しい戦いを生き残るために遺伝子操作か何かをされているらしく、光合成のおかげで食料からの栄養摂取の必要性が少なく、また大人への成長が非常に早い(一部の人間は、老化もしない?)。結局、彼らも、純粋な人類とは言えない。

で、純粋な人類は、主人公だけなのか? と言うと、そんなこともない。
まだ、謎は明かされていないけど、極めてケガの治りが早い不自然な存在。


ここらへんの謎が解明されることで、ラストに向かっていくんですかね~。


以前の感想。
漫画「シドニアの騎士」一巻から三巻まで読了
漫画「シドニアの騎士」四巻から六巻まで読了


シドニアの騎士 コミック 1-12巻セット (アフタヌーンKC)
by カエレバ