ルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミルが、どうしても「スター・ウォーズの」という枕詞から逃れられないように、ダニエル・ラドクリフにしても、「ハリー・ポッターの」となってしまうわけで。
女性キャラは存外、色がつかないものですが、男性キャラは、どうにもこうにもイメージが固定されがち。
それを意識しているのか、それとも、もう、こういう役しか回ってこないのか、ダニエル・ラドクリフが死体役の映画「スイス・アーミー・マン」を見てきました。
スイス・アーミーというのは、あの十徳ナイフのこと。つまりは、「十徳ナイフの男」でして、「スイス・アーミー・マン」とは「便利な人」という意味で、いいのかな?
梗概
無人島に流れ着いた主人公が、絶望のあまり、自殺を試みると、浜辺には人間が横たわっている。大喜びで近寄ってみるが、既に事切れている。再び自殺を企図する主人公であったが、死体の中に溜まったガスが、オナラとして吹き出てきて、気になって死ねない。オナラは収まるどころか、ますます力強く発せられ、その威力で外海に向かおうとする。無人島に取り残されてしまうと焦った主人公は、死体にしがみつくのであった・・・・・。
で、まぁ、youtubeの予告編にあるように、水上バイク化したダニエル・ラドクリフに乗って、主人公が海上を疾走するシーンにつながるわけです。
ネタバレ
「死体を使っての奇想天外な無人島からの脱出」という、番宣文句を鵜呑みにしていたので、開始早々の無人島脱出成功に、けっこう面食らいました。
主人公と遺体が辿り着いた浜辺は、携帯の電波は届かないものの、現代人が捨てたゴミが散乱しており、前人未到の処女地というわけではない模様。
近くに人間が住んでいる気配は見当たらず。窮地であることには変わりないが、徐々に死体の不思議な力の使い方を学び、人間の生息地域への脱出を図るわけですが・・・・・、その過程で、主人公のヘタレっぷりが明らかに。
「はは~ん、なるほど。好きな人に好きとは言えない主人公が、死体との交友(?)を経て、最終的には、女性に告白するパターンね、なるほどなるほど」と予測。
死体ってのは、主人公の記憶やら思考を、なんとなく共有している。
なので、
「死体とコミュニケーションをとれているようで、実は、主人公の妄想というオチか? それとも、無人島から脱出する際に気絶しているから、ぜーんぶ夢でしたか?」と予測。(そうじゃないと、死体の不思議なパワーに説明がつかなし!)
だから、主人公の憧れの人の写真を見て、死体は、勃起レーダーを発動する。
その指し示す方向が、「人間の生息地域」であり、「想い人」の居る場所。
つまりは「性欲(愛)」が「生きる手段」となっており、ラドクリフの死体というのは、主人公の現状のメタファー。
好きに人がいても、なにもすることが出来ない = 「死んでいる」「生気が失せている」ということ。
なので、上記のようなラストが導き出されるわけですよ。
・・・・・・映画を見た人なら分かっているでしょうが、これが大外れ。
恋愛について勉強する主人公と死体。その過程で、二人は徐々に親密になっていくという、「えっ?」な展開。
まぁ、ラブコメ漫画で王道の、「異性の友人に恋愛アドバイスしているうちに、互いを意識するようになって・・・・」てなヤツです。
しかし、それを、同性でやるだけではなく、生者と死者でやってしまうなんて。
そんなこんなを差し挟みつつ、人間の生息域に、どんどん近づいていく二人。
「あぁ、きっと、これで魔法(妄想)が解けて、死体は力を失うんだろうなぁ」と思ったら、むしろ元気に歩き回る始末。
「でも、生きている人間(第三者)に出会ったら、彼らには死体の不思議な力は発揮されず、今度こそ、主人公の妄想であったことが白日の下にさらされるのだろうなぁ」と思ったら、最終的には、衆人の眼前にて、オナラパワー爆発、外海に去っていく死体であった・・・・・。
うーん、なんじゃこりゃ!?
結局、死体の不思議な力は、どうして発現したの?
てな感じで、一般常識をもってしては、容易に解読できない映画でしたよ。
「想い人」への告白というのも、途中、彼女が婚約者であることが発覚、しかも、旦那も子供もいて、十分に満たされているわけで、彼ら(主人公と死体)の入り込む隙間など、一ミリだってない状態なので、とてもムーリー。
だから、主人公が最後にすがるのは、死体。
「死体愛好家」となってしまい、一般社会で十分に満たされている「想い人」からは、ドン引かれて、二人(主人公と死体)の愛の巣も当然、気味悪がられるのだが、そんなの関係なし。
リメーク(リスタート? リボーン?)の「ゴースト・バスターズ」とか、「エル ELLE」とか、「もう男なんか面倒くさい、女同士で、楽しくやろうよ!」という、性欲から解き放たれているのか、はたまた逆で、性欲処理も同性で済ませちゃえ、というオチの映画が多くなった気がするけど、「スイス・アーミー・マン」は、ある意味、その男版なのか?
■女性主人公の行動が尽く真逆「エル ELLE」
■新作「ゴーストバスターズ」を見てきた
ただ、まぁ、前述の通り、生者と死者だからね・・・・・。
主人公が無人島での境遇に絶望して、自殺を図るところから始まる映画なんだけど、これって、主人公の孤独を象徴しているもので、それを救ってくれるのが、死体。
つまりは、自殺の代価手段。
死体のオナラパワーは、通常の一般社会(生の社会)では忌避さるものであり、だから封印されるのだが、「無人島からの脱出」「川への墜落」「熊の襲撃」など、主人公の窮地を救ってくれるのは、絶えず、死体のオナラ。
この物語においては、主人公の救済は、インスタ(!)に家族写真をアップしているようなリア充女性ではなく、十徳ナイフ的な超便利な死体。
なんつかーか、もう絶望状態だな。
「ブレードランナー2049」においては、主人公の「K」の恋人は、「人工知能つき3D初音ミク」という感じで、「ライムスター宇多丸 ウィークエンドシャッフル」内で、映画評論家の町山智浩さんは、「現代的」と評していたけど、僕からすると、「いかにも現代的」と揶揄したくなるような設定だったが、・・・・・・「スイス・アーミー・マン」は、もう、行き着くところまで行っちゃっている感じで、これはこれで、もう、「ごめんなさい」と謝りたいレベル。
まぁ、唯一の希望(?)なのかどうかよく分からんが、不思議だったのは、ラストに、死体は「奇跡」を、一般人たちに披露して去っていくこと。
再度の水上バイク化というオチも出来ただろうに、主人公を連れてはいかなかったのは、やはり最終的には、生者と死者は交わるべきではなく、せいぜい、「一般人たちに最後っ屁をかましてやるから、おまえ(主人公)は頑張れよ!」という、ことなのかねー。
よく分からんけど。
とてもではないが一回見て理解できる映画ではなかったけど、何回も見たいとは、思わなんなぁ。(つまらない映画ではなかったけど)