2017年11月19日日曜日

ダニエル・ラドクリフが死体役「スイス・アーミー・マン」



ルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミルが、どうしても「スター・ウォーズの」という枕詞から逃れられないように、ダニエル・ラドクリフにしても、「ハリー・ポッターの」となってしまうわけで。

女性キャラは存外、色がつかないものですが、男性キャラは、どうにもこうにもイメージが固定されがち。

それを意識しているのか、それとも、もう、こういう役しか回ってこないのか、ダニエル・ラドクリフが死体役の映画「スイス・アーミー・マン」を見てきました。

スイス・アーミーというのは、あの十徳ナイフのこと。つまりは、「十徳ナイフの男」でして、「スイス・アーミー・マン」とは「便利な人」という意味で、いいのかな?


梗概


無人島に流れ着いた主人公が、絶望のあまり、自殺を試みると、浜辺には人間が横たわっている。大喜びで近寄ってみるが、既に事切れている。再び自殺を企図する主人公であったが、死体の中に溜まったガスが、オナラとして吹き出てきて、気になって死ねない。オナラは収まるどころか、ますます力強く発せられ、その威力で外海に向かおうとする。無人島に取り残されてしまうと焦った主人公は、死体にしがみつくのであった・・・・・。

で、まぁ、youtubeの予告編にあるように、水上バイク化したダニエル・ラドクリフに乗って、主人公が海上を疾走するシーンにつながるわけです。


ネタバレ


「死体を使っての奇想天外な無人島からの脱出」という、番宣文句を鵜呑みにしていたので、開始早々の無人島脱出成功に、けっこう面食らいました。

主人公と遺体が辿り着いた浜辺は、携帯の電波は届かないものの、現代人が捨てたゴミが散乱しており、前人未到の処女地というわけではない模様。

近くに人間が住んでいる気配は見当たらず。窮地であることには変わりないが、徐々に死体の不思議な力の使い方を学び、人間の生息地域への脱出を図るわけですが・・・・・、その過程で、主人公のヘタレっぷりが明らかに。

「はは~ん、なるほど。好きな人に好きとは言えない主人公が、死体との交友(?)を経て、最終的には、女性に告白するパターンね、なるほどなるほど」と予測。

死体ってのは、主人公の記憶やら思考を、なんとなく共有している。
なので、

「死体とコミュニケーションをとれているようで、実は、主人公の妄想というオチか? それとも、無人島から脱出する際に気絶しているから、ぜーんぶ夢でしたか?」と予測。(そうじゃないと、死体の不思議なパワーに説明がつかなし!)

だから、主人公の憧れの人の写真を見て、死体は、勃起レーダーを発動する。
その指し示す方向が、「人間の生息地域」であり、「想い人」の居る場所。

つまりは「性欲(愛)」が「生きる手段」となっており、ラドクリフの死体というのは、主人公の現状のメタファー。
好きに人がいても、なにもすることが出来ない = 「死んでいる」「生気が失せている」ということ。

なので、上記のようなラストが導き出されるわけですよ。


・・・・・・映画を見た人なら分かっているでしょうが、これが大外れ。

恋愛について勉強する主人公と死体。その過程で、二人は徐々に親密になっていくという、「えっ?」な展開。

まぁ、ラブコメ漫画で王道の、「異性の友人に恋愛アドバイスしているうちに、互いを意識するようになって・・・・」てなヤツです。

しかし、それを、同性でやるだけではなく、生者と死者でやってしまうなんて。


そんなこんなを差し挟みつつ、人間の生息域に、どんどん近づいていく二人。

「あぁ、きっと、これで魔法(妄想)が解けて、死体は力を失うんだろうなぁ」と思ったら、むしろ元気に歩き回る始末。

「でも、生きている人間(第三者)に出会ったら、彼らには死体の不思議な力は発揮されず、今度こそ、主人公の妄想であったことが白日の下にさらされるのだろうなぁ」と思ったら、最終的には、衆人の眼前にて、オナラパワー爆発、外海に去っていく死体であった・・・・・。

うーん、なんじゃこりゃ!?
結局、死体の不思議な力は、どうして発現したの?


てな感じで、一般常識をもってしては、容易に解読できない映画でしたよ。

「想い人」への告白というのも、途中、彼女が婚約者であることが発覚、しかも、旦那も子供もいて、十分に満たされているわけで、彼ら(主人公と死体)の入り込む隙間など、一ミリだってない状態なので、とてもムーリー。

だから、主人公が最後にすがるのは、死体。
「死体愛好家」となってしまい、一般社会で十分に満たされている「想い人」からは、ドン引かれて、二人(主人公と死体)の愛の巣も当然、気味悪がられるのだが、そんなの関係なし。


リメーク(リスタート? リボーン?)の「ゴースト・バスターズ」とか、「エル ELLE」とか、「もう男なんか面倒くさい、女同士で、楽しくやろうよ!」という、性欲から解き放たれているのか、はたまた逆で、性欲処理も同性で済ませちゃえ、というオチの映画が多くなった気がするけど、「スイス・アーミー・マン」は、ある意味、その男版なのか?

女性主人公の行動が尽く真逆「エル ELLE」
新作「ゴーストバスターズ」を見てきた

ただ、まぁ、前述の通り、生者と死者だからね・・・・・。


主人公が無人島での境遇に絶望して、自殺を図るところから始まる映画なんだけど、これって、主人公の孤独を象徴しているもので、それを救ってくれるのが、死体
つまりは、自殺の代価手段。

死体のオナラパワーは、通常の一般社会(生の社会)では忌避さるものであり、だから封印されるのだが、「無人島からの脱出」「川への墜落」「熊の襲撃」など、主人公の窮地を救ってくれるのは、絶えず、死体のオナラ。

この物語においては、主人公の救済は、インスタ(!)に家族写真をアップしているようなリア充女性ではなく、十徳ナイフ的な超便利な死体

なんつかーか、もう絶望状態だな。

「ブレードランナー2049」においては、主人公の「K」の恋人は、「人工知能つき3D初音ミク」という感じで、「ライムスター宇多丸 ウィークエンドシャッフル」内で、映画評論家の町山智浩さんは、「現代的」と評していたけど、僕からすると、「いかにも現代的」と揶揄したくなるような設定だったが、・・・・・・「スイス・アーミー・マン」は、もう、行き着くところまで行っちゃっている感じで、これはこれで、もう、「ごめんなさい」と謝りたいレベル。

まぁ、唯一の希望(?)なのかどうかよく分からんが、不思議だったのは、ラストに、死体は「奇跡」を、一般人たちに披露して去っていくこと。

再度の水上バイク化というオチも出来ただろうに、主人公を連れてはいかなかったのは、やはり最終的には、生者と死者は交わるべきではなく、せいぜい、「一般人たちに最後っ屁をかましてやるから、おまえ(主人公)は頑張れよ!」という、ことなのかねー。

よく分からんけど。

とてもではないが一回見て理解できる映画ではなかったけど、何回も見たいとは、思わなんなぁ。(つまらない映画ではなかったけど)

2017年11月18日土曜日

ちょっとパワーダウンか? 「HiGH & LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION」



LDH層だけではなく、作品の妙なテンションの高さにほだされて、一部の好事家にも アイロニカル 熱狂的に受け入れられた「HiGH & LOW 」ですが、ついに、劇場版も最終作。

冒頭から、主人公コブラが敵である九龍グループに捕まっているという、なかなか目を引くシーン。

このような状況に陥った経緯を時間を遡って説明されるのですが、コブラが率いる山王連合会の分裂やら、他のSWORDチームの壊滅などが語られ、非常に分かり易いピンチ。

「ここから、どう立て直す?」と期待していたら、どこで情報を仕入れたのか、コブラは、琥珀さんがあっさりと救出。
そして、微動だにせず、「死んでるの?」くらいに痛めつけられたSWORDチームのメンバーたちも、「おれたちは、何度だって、立ち上がる!」という、まぁ、お約束の精神論で、あっさり復活。
分裂した山王連合会の連中にしても、「子供が親のことを気にするな」「今だけを基準にするな」という、父親からの熱いメッセージで、あっさり復帰。

まぁ、これが、「HiGH & LOW」の味だからね・・・・・。
そもそも「HiGH & LOW」の華は、アクション。

なんだけれども、・・・・・・うーん、前作は冒頭からのパルクール、カーチェイス、ラストの大人数での大立ち回りなど、いろいろな趣向で飽きのこないレパートリーでしたが、今作は、それほどでもなかったなぁ。

前作の感想。
映画「HiGH&LOW the movie & the movie 2 - END OF SKY -」

それならそれで、ストーリーが凝っているなら見応えもあるのだけれども、既に述べたように、まぁ、いつも通りの、揚げ足取り放題。

これまでは、所詮、ガキの不良同士の喧嘩。
第三部で、ついに大ボスであるヤクザ登場。
9つのグループから構成されており、それで「九龍」とされている。
メンバーは、それぞれ得意不得意が、ある模様。

「えっ、こいつら全員倒すの? 2時間で?」と心配していたら、全くの杞憂。
「あっ、そうなの、それでいいんだ」という手打ちのラスト。

「最終作だったら、敵も味方も殺しまくればいいのに」という不満と、「あれ、前作のマイティーウォーリアーズは、どこで出て来るの?」という疑問は、最後の最後、「これで完結ではございません」という「ばんざーい・・・なしよ」宣言で、「あぁ、ちょっと予想していたけど」と脱力をともなって解消&解明。

「FINAL MISSION」という副題だが、よくよく考えると、前作だって「END OF SKY」なのだから、まぁ、そんなもんよね。


そんな感じで、ちょっとパワーダウンでした・・・・・。

長期連載の漫画と同じで、構図の使い回しで、そりゃ、シリーズを継続することは可能だろうけど、いくらLDHの固定ファンがいるにしても、ちょっと厳しいだろうなぁ。


おまけ


ヤンキー文化って、「地縁」がキーワードなんだなぁということを、改めて思い知らされる映画だったなぁ。

「地元(ローカル)重視」からの、「仲間」意識の尊重が「絆」という言葉になるわけで、だから、自然と年功序列で、上下関係というものが維持されがち。

故に、「上意下達」なわけだが、それは、「おれのことを信じろ」という素朴なリーダーの無謬神話につながっていくわけで、だから琥珀さんは、みんなに愛されるのね。


by カエレバ

2017年11月16日木曜日

「ドリーム」 -ケチのつけようがないね・・・-



宇宙開発の映画と言えば、「王立宇宙軍」を思い出します。

ポンコツ連中が、紆余曲折を経て、最終的には世界初めての有人宇宙飛行を成功させるというアニメでして、ガイナックスに集まった俊英たちがつくりあげた作品。
「ロッキー」が、スタローンの人生と二重写しなのように、まだ何者でもなったスタッフたちの情熱が反映されたアツいストーリーでした。

で、黒人差別が、「当たり前」であった時代のNASAにおいて、重要な役割を担った黒人女性を描く「ドリーム」。

「王立宇宙軍」においては、登場人物たちの成長やら気づきが物語の進行において重要な要素でしたが、こちらは、「周囲」の変化が描かれています。

映画内においては、バスの座席、図書館の本、水飲み場、トイレ、通える学校・・・・・、「これでもか!」とばかりに、当時の黒人差別の状況が描かれており、さらには、メインの登場人物たちは、「女性」。
言うまでもなく、二重に差別された存在。

なんだけれども、登場する三人の女性たちは、そんな状況下でも、悲壮感たっぷりに生きているわけではなく、「いろいろある」ものの、とりあえずは仲良く、軽口を叩き合い、時には性的なジョークをも口にしているあたりが、まぁちょっと現代的過ぎるような気もしつつ、でも、生活に根ざしたタフさを見せてくれます。

変に教条的・原理主義的にはならず、だからこそ差別というものの非合理性が浮き彫りになるわけで、ここらへんの塩梅は、ホントっ、上手よね。

エンターテイメントとしての出来栄えと、メッセージ性の高さが、見事に両立しており、「ドリーム」という邦題には賛否両論あるようだけど、まぁ、まだまだ夢も希望もある若い人なんかに見て欲しいという意見が多いのもうなづける作品でした。

by カエレバ

2017年11月10日金曜日

女性主人公の行動が尽く真逆「エル ELLE」



「強姦された女性が、弱々しい被害者となるのではなく、毅然と振る舞う映画」という梗概はなんとなく知っていたポール・バーホーベン監督「エル ELLE」。

ようやく近所の映画館でも公開されたので、見てきました。

・・・・・・・感想ですが、もう、なにがなんだかという感じだった。

とにかく、女主人公が、まったく「常識」的な行動をチョイスしない。
冒頭は、いきなり強姦シーンから始まるのだが、犯人が逃げてからも泣くわけでもなく、一応、風呂には入るけど、その後、冷静にデリバリーのお寿司を注文して、息子を出迎える。
「動転」や「動揺」といったものとは無縁、自分の被害よりも、息子の結婚を案ずるという余裕。

以降も、「これで、喰らえ!」とばかりに、まったく予測不可能な行動を続けるわけで、こんなことをしたら、普通なら「ご都合主義過ぎる」とか、「破綻している」と感じるのだけれども、女優さんの演技力のおかげで、不思議と「おかしい」とは思えないわけで。

そして、周囲の人間も、おしなべて「どうかしている」。
で、「どうかしている」登場人物たちの紹介になるわけなんですが、この映画は、主人公との関係性が、徐々に明かされていくところが「面白味」なので、イコール、ネタバレとなってしまうので、未見の方は、お気をつけ下さい。
  • 息子 デキ婚しちゃった上に、自活できないバカ息子。
  • 別れた旦那 売れない作家。若い女の子を引っかけて、ウハウハ。
  • 腹心の部下 仕事上だけではなく、息子の乳母であり、公私共に、信頼を置いている。ちょっとだけ性的にもつながっている模様。
  • 腹心の部下の旦那 主人公とは不倫関係。性欲絶倫で、主人公の意思とは無関係にエッチをしたがる。
  • 会社の部下 一見、主人公に従順なようで、実は、性的に見ている。
  • 母 何才くらいの設定なのかな? 女主人公を演じるイザベル・ユペールさんは、現在、64才。その母親だから、そうすると、80才くらいの設定? 幼少期の悲劇が39年前となっているから、物語上、主人公は50才くらいか? すると、母親は70才? いずれにしろ、けっこうなお年のはずなのに、若い男を囲っている。それでいて、刑務所の旦那には同情的。
  • 父 数十年前に、虐殺事件を起こして、終身刑で刑務所に。
  • ご近所に住む奥さん 経験なカトリック教徒。ちょっと、行き過ぎ? でも、悪い人ではない。
  • ご近所に住む旦那さん 銀行員。一見すると、この中では、もっとも「普通の人」「常識人」。でも、一番、「悪い人」。
てな感じで、「どうかしている」人ばっかり。なので、女主人公の行動も、「うん、まぁ、そうか」と、納得できてしまう世界観。

で、映画では、途中でレイプ犯判明。以降は、「復讐か?」と思ったら、さにあらず。

むしろ、彼に近づいていく主人公・・・・・なんじゃそりゃ? マゾなの? レイプ願望? 色情狂? ストックホルム症候群? と思えども、まぁ、それとも違うわけで、とにかく、「通り一遍の解釈」なるものは、徹底的に通用しないんだよね。


なかなか訳が分からん映画なのだけど、とりあえず、
  • 熱心なクリスチャンであった父親
  • 同じく熱心なクリスチャンである隣人の奥様
という、この二つの軸が、物語を読み解くヒントなのか?

ばんばんネタバレなのですが、主人公の幼少期、父親は、自らの宗教行為が否定されたことに激怒して、大量虐殺に走る。
そして、その父親に、図らずしも(?)、共犯(従犯)関係になってしまった主人公。

で、現在。
大人になった当人は自らを「被害者」と主張するが、他人からは「加害者」と見なされている(場合が多い)。
いずれにしろ、どんなに母親から勧められようとも、刑務所の父に会いに行くことは拒否している。
ちょっと強引な言い回しだけど、「神」やら「信仰」とは、距離を置いている。

そんな彼女が、現在気にかけている存在が、隣人の旦那さん。
奥様は熱心なキリスト教徒で、家の庭には、降誕祭の人形を置いている。
その作業を手伝っている旦那を盗み見て、自慰行為にふける主人公。

他所様の旦那様に欲情する&宗教行為を汚すという、明らかな「冒涜」。

この旦那様が、実はレイプ犯であることが判明するわけだが、つまりは、彼との奇妙な逢瀬(?) or 接触の継続は、強姦という観点からすると主人公は被害者なのだが、隣人の奥様を裏切っているという点では加害者でもあるわけで、「父と主人公」と「隣人旦那と主人公」の構図には類似性があるわけで、・・・・・・まぁ、なかなか映画を一回見ただけでは、安易に解釈し難いものがあるけれども、犯人が判明後も、主人公は彼を警察に突き出す訳でもなく、まるで何事もなかったかのように関係が継続するのは、「父への贖罪の代理」なのか? いや、むしろ、真逆で、「父(神・信仰)への復讐」とするべき?


物語に登場する男たちは、多かれ少なかれ、主人公を従属させようとする。

ゲーム会社に勤める主人公は、(男性的)化物が女を犯すようなシーンをつくっているわけで、あまつさえ犯されている女にエクスタシーを強要するという、「男性社会の論理」に染まってしまっているようで、警察に通報することなくレイプ犯を自らの手で探そうとする当たりは、自立した女性・・・・・・なんて生ぬるい言葉では収まらないような強靭さ。
そんな彼女を母親は「恐ろしい娘」と評し、父親は彼女との再会を拒否&逃避(恐怖?)で自死する。

この物語内の「神」「信仰」は、既存の道徳・価値観であり、それは男性優位の社会を陰に陽に支える存在・・・・・ということなのかな?

「レイプ」という行為は、男性が女性を強制的に従属させる象徴的な行為。
主人公は、犯人判明後も、レイプ犯に随伴するかのように振る舞うことで、彼(彼ら)に従属しているようで、一方で、「神」「信仰」といったものへの反抗でもあるという、歪なねじれ。

実父の死を経由して(反省した?)、主人公は、レイプ犯との関係解消を図るが、うまくいかず。
またしても、彼に犯されそうになるところを、彼女が産んだ息子によって救われるというのも、まぁ、示唆的ではあるわけで。

そして、公私共に大事なパートナーである親友は、自らの旦那を寝取られていたにもかかわらず、その旦那を捨てて、泥棒猫である主人公と同棲というオチ。(いいのか、それで!?)
これまた男性社会への決別とも取れるんだけど、・・・・・牽強付会?

答え合わせとして、原作の小説を読むのも一つの手ではあるけど、それはあくまでも、「原作は、こうなってました」というだけで、それが正解ではないわけで。

なかなか見応えの映画だったので、ほとぼりが覚めた当たりに、動画配信で、ゆっくりと鑑賞したら、また違った風に見えるかも。

エル ELLE (ハヤカワ文庫NV)
by カエレバ

2017年11月3日金曜日

「貧乏くさい」と見るか、「身の丈に合った」と見るか、映画「散歩する侵略者」



期待の不安の入り混じっていた「ブレードランナー 20149」が、どうにも納得が出来ず、翌日に見たのが、「散歩する侵略者」。

世界の中心で「責任者出てこい」と叫びたくなった「ブレードランナー 2049」

タイトルの微妙な脱力感が、そのまま作品のテイストで、地球に襲来した宇宙人なんだけれども、最初は完全「無垢」。
人間に取り憑いて、徐々に「知能」と「智識」を得ていくという、大変、まどろっこしい侵略方法なので、けっこう間抜けです。

ハリウッドSF大作のように、フィルムの一コマ一コマにドル札紙幣が埋め込んであるようなことは出来ないのが邦画でして、でも、まぁ、「アイデア」と適材適所の配役で、「ちゃんとSFになるなぁ~」と感心する作品でした。(「ブレードランナー 20149」に、どうにも入り込めなかった反動もあるのですが・・・・・)

冒頭に、グロいシーンがある他には、基本的には特撮やCGはなし(自分が気づいていないだけで、それなりにあるのかもしれませんが)。

最後の最後で、ちょっとだけ派手はシーンがありますが・・・・・・、正直なところ、「いかにもCG」。
あれだけの爆撃なのに、ほとんど周りに変化ないというのも、なんとも。
(それにしても、最後の最後になって、なんで小泉今日子さんを出すかな? いや、別に、小泉さんが嫌いなわけではないのだが、端役を与えるにしては、あまりに目立ち過ぎ。ハイアンドローの映画第一弾でも、ラストで出てきたし、なにか験担ぎのようなものがあるんですかね?)

ハリウッド大作に、否応なく見慣れてしまっている現代人の中には、「貧乏くさいなぁー」と感じるかもしれないけど、まぁ、「限られた予算でも、ちゃんとSFをつくれるよー」という製作者の達観した姿勢は、「あり」だと思います。(もちろん、そういう作品ばかりだと、それはそれで辟易してしまうのだろうけど)

以下、ちょっとネタバレ。

癇が強い妻を長澤まさみさん、記憶喪失で表情の乏しい旦那を松田龍平さんが演じていて、当初は、妻が未だに旦那に未練があるという状況が、ラストには、ちょうど反転する構図は綺麗だけど、ただ、まぁ、「愛こそはすべて」

イギリスの「宇宙戦争」では「ウイルス(微生物)」が宇宙人を撃退するわけだが、日本の「散歩する侵略者」では「愛」。

愛なのだよ。

サウザーの号泣が、頭を過ぎります。
世紀末救世主伝説だって、最後は「愛」ということで、ここらへんの落とし所は、まぁ日本人ぽいと言われれば、日本人ぽいですなぁ~。

by カエレバ

2017年11月2日木曜日

シャーリーズ・セロンによる金蹴りが光る「アトミックブロンド」



アクション系から演技派に転向するという例は間々ありますが、演技派からアクション系に移るというのは、なかなか珍しいのではないかと思いますが、すっかり肉体を酷使してばかりのようなシャーリーズ・セロン。

その彼女が主演の「アトミックブロンド」。
女版007とも言われてましたが、見た感想としては、「これだ!」。

ダニエル・クレイグ版の「007」は、特にデビュー作「カジノ・ロワイヤル」は、荒唐無稽さを排し、納得のいく新しいジェームズ・ボンドでしたが、作品も続くと、なんか、ちょっと派手さを重視する面が出てきて、結局、銃でドンパチして、敵はなぎ倒すのにボンドには決して当たらないという、まぁ、うーん、ご都合だね・・・・・。

けっこう期待していた「007 スペクター」の感想

スパイアクションでは、トム・クルーズのミッション・インポッシブルがありますが、正直、冗談みたいな展開の連続。
これはこれで、お気楽に楽しめる娯楽作としては合格なのでしょうが・・・・・。


相変わらず不死身のイーサン・ハント「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」

戦う女では今年は「ワンダーウーマン」がありましたが、どうにも「いい子ちゃん」過ぎてね。
「知識でしか知らない人間のために、楽園を出て戦う」というのは、そりゃ、アメリカンヒーローとしては合格なのでしょうが、一般人としては、どうにも理解できないわけで(良くも悪くも、アメリカの好戦的体質のあらわれだよね)。


そんなこんな、いろいろとあった不満を、ものの見事に解決してくれた、「アトミックブロンド」。

彼女に戦う理由などない。
それが彼女の仕事だから。(単に劇中で説明がないだけだが)

女ではあるが、「女」を武器にすることはない。
色気や愛想などはなく、基本、己の機転と肉体で戦う。

それでいて、スレンダーな女性であるが為に、ちゃんと屈強な男たちとの体格差が、映画の中では描かれており、柔道だって、ボクシングだって、結局「重い」方が強いわけで、だから、ただ一対一で対峙するだけなのに、彼女にとっては、もう窮地。

それを、007のように、一発大逆転のスパイメカに頼ることはなく、また、敵には当たるけど自分には当たらない魔法の銃もなく、その結果として、とりあえず、敵と鉢合うと、挨拶代わりに股間に蹴りを入れるわけで。

しかも、オープニングで拝める、傷だらけ・痣だらけのシャーリーズ・セロンのヌードシーンが象徴しているように、バトルで負った痛みは、ちゃんと蓄積されたまま。(まぁ、完全リアルだったら、立ち上がることもできないようなケガをしている気がするけど)

そんな感じで、これまであった、「なんだかなぁー」という不満点が、見事に解消されいる映画でした。


以下、ネタバレあり。

ただ、まぁ、世評での、「分かりづらい」というのも、理解できるストーリー展開。

東独のスパイグラスが、裏切り者によって殺害されるシーンがあるけど、もっと以前に、目立たないで「消す」方法があったような?

そもそも、明らかに「怪しい人間」がいるのに、疑いつつも頼っているというのが、なんとも。

と思ったら、どんでん返しで、主人公が二重スパイであることが明かされて、「あぁ、なるほど」と、ちょっと納得。

・・・・・・・なんだけれども、そこで終わっていれば、冷戦下において、「どちらの陣営をも欺いて生きる女」という、まさしく独立した「タフ」な人間像となったのだろうけど・・・・・・最後の最後に、またどんでん返し。
トリプルスパイで、「実はアメリカのスパイでした」というオチは、・・・・・好き好きだろうけど、なんか「惜しい!」と思ってしまった。

まぁ、でも、全体としては、野心的であるが独善に陥ることはない、非常に完成度の高い映画でした。

by カエレバ