大丈夫?
DCコミック版のアベンジャーズ、「DCエクステンデッド・ユニバース」に連なる「ワンダーウーマン」。
この作品の前にあるのは、以下の3つ。
- 「マン・オブ・スティール」
- 「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」
- 「スーサイド・スクワッド」
個人的な感想を簡潔に述べますと、
- まぁまぁ
- うーん、物足りん
- 大丈夫か? おい
という感じ。
で、そんな中、「バットマン vs スーパーマン」では、「ガル・ガドット演じるワンダーウーマン」、「スーサイド・スクワッド」では、「マーゴット・ロビー演じるハーレイ・クイン」という、女性キャラのみが出色だったわけで、・・・・・なんつーか、行き詰まっているのか、男社会!?
もう一歩感がするのは僕だけ?
それは、さておき。
「ワンダーウーマン」、見てきました。
けっこう期待していたのですが・・・・・・、うん、まぁ、こんなものか。
直近の「スパイダーマン ホームカミング」が小気味よくまとめていたのに比べて、ちょっと詰め込みすぎたような気がする。
それがよくあらわれているのが、中盤から仲間になる「サミーア」「チャーリー」「酋長」。
最初は「金目当て」で主人公サイドに力を貸すのに、結局は、内なる正義が目覚めて、損得抜きで加勢するようになる・・・・というお約束展開は、まぁいいんだけどさ。
ただ、その過程が、イマイチ描けていない。
狙撃手であるチャーリーも、お約束の「スナイパー撃てない病」に罹患しているんだけど、気がついたら、すっかり治っている。(映画が長丁場になってしまって、治療イベントが削除されてしまったんだろうなぁ)
ヨーロッパ戦線にいるネイティブアメリカンという設定も、どうにも、なんだか。(原作通りなのかもしれないけど)
「ポリティカル・コレクトネス」への配慮が透けて見えるような気がするのは、僕だけ?
「一芸には秀でている曲者集団を率いる」というのはド定番なんだが、・・・・そんなに彼らが活かされているとは思えないわけでして。
味方もアレだが、敵もアレでね。
その最たるモノが、ラスボス。
個人的には「あぁ、最終的には、女性 対 女性の戦いになるのね」と思っていたら、まったく予想外の人物が立ちはだかることに。
自分の理解力不足なのかもしれないけど、イマイチ、ラスボスの行動原理が素直に入ってこなかった・・・・・・。(「スパイダーマン ホームカミング」なんかは、上手にラスボスに意外性を加味することに成功していたなぁ)
ウリの戦闘シーンも、主人公の生まれ故郷・セミッシラにおける「近代兵器(と言っても第一次世界大戦だが) V.S. 鍛え上げられたアマゾネス軍団」は、なかなか独創的だったけど、・・・・・・以降は、そんなでもないなぁ~というのが、正直なところ。
見所もあるけど
・・・・・とかなんとか、ちょっと厳しいことを書いたけど、つまらないわけではなかったです。
特に、主演のガル・ガドットの素晴らしいこと。
「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」の段階で、素晴らしい「たたずまい」を披露していましたが、今作も健在。
主人公ダイアナの生まれ故郷での野性味あふれる姿、イギリスでのクラシカルな装い、現代に戻って知的でモダンなスタイル・・・・、全部が全部、完璧に様になっている。
だいたいにして、ワンダーウーマンの戦闘服が滑稽紙一重なのに、それすら「絵」として成立させているのだから、まぁ、恐れ入る。
他にも、セミッシラの古代ローマ風、かつ自然あふれる総天然色から、1900年代初頭の青みがかった陰鬱なロンドン、ヨーロッパ戦線の悲惨な塹壕戦、古城での優雅なパーティー等々、まぁ、CG万能時代とは言え、金も手間もかかる「絵」は、やっぱり圧巻で、見応えあり。
女性らしさ?
「女性監督による、女性ヒーロー」ということで、「男性社会に物申す!」という主張は、存外と言うべきか、当然と言うべきか、たまーに、チクリチクリとある程度。
まぁーねー、主人公ダイアナが、「知的で勇敢」ではあるが、「母性愛あふれる」というわけではないからね。(そもそも「女性」→「母性愛」というのが、あまりにも単純でアレな発想なのかもしれないが)
変に政治臭い物語よりも、無理せず娯楽に徹していたのは、むべなるかな。
でも、「神から見た人間は、愚かそのものだー」的な、「あーあー、あのパターンね」というお約束ではなく、もうちょっと現代社会を想起させるようなモチーフが盛り込まれていると、「深み」というか「奥行き」も出たんだろうなぁ・・・・・。
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