2017年9月27日水曜日

映画「エイリアン : コヴェナント」



前作の「プロメテウス」を家で見てから、「エイリアン : コヴェナント」を映画館で観賞してきました。

感想としては、うーむ、どうなんだ?

前半が、とにかく単調。
どこかで見たことがあるような宇宙シーンばかりで、驚きも感動もない。

中盤になって、ついにエイリアン登場ですが、最先端の撮影・CG技術を駆使して、迫力はあるものの新味なし。
そもそも、犠牲になるパターンが、前作の「プロメテウス」にしても、時代遅れ。

ホラー映画の鉄則をなぞるかのように、愚か者や単独行動したメンバーが、ワンパターンに殺されるというのは、今時、どうなの?

しまいには、セックス中のカップルが襲われるわけで、「これは、オマージュとか、リスペクトなの? まさか大真面目じゃないよね?」という疑問が頭に浮かんで、映画に集中できない。

さらに、ある程度のエリートが揃っているはずなのに、惑星探査がお粗末。
着陸前に、大気圏外から観察するなり、ドローンを先行させるなり、「未来」なんだから、いくらでも手があるだろうに、無防備で無鉄砲な登場人物たちの姿には、イライラ。


エイリアンは、今作においても恐ろしい強さを発揮していましたが、「実は知的生命体によってつくりだされたモノである」というネタバレを聞いてしまった後では、かつての作品で感じた圧倒的な意思疎通不可能な存在としての得体の知れなさ -神性- はなくなってしまった。

人が全てを把握することが出来ないから神なのであって、種明かしをしてしまうと、有り難みも半減というか、なんだかんだあっても、エイリアンも「所詮は下僕」と思うと、「かわいそう」とか「あわれ」とは思わないまでも、恐怖感も、ちょっと冷めてしまいます。


その代わりに、人間につくられたアンドロイドの、新旧対面からの対決の流れは、それなりに楽しめたのですが、・・・・・・全体的には、適当に画面は派手だけど、ストーリーはちょっと古臭く、かつ物足りない感じたなぁ。


監督ではないものの「ブレード・ランナー」の新作は大丈夫か? と、ちょっと不安。

by カエレバ

2017年9月22日金曜日

映画「新感染 ファイナル・エクスプレス」



韓国産のゾンビ映画「新感染 ファイナル・エクスプレス」を見てきました。

まぁ、タイトルから予想できるように、舞台の中心は、韓国の高速鉄道「KTX」(日本でなら新幹線ということで、このタイトルなんだろう。上手にひっかけたと感心しつつ、ダサいなぁとも思う、不思議な気持ち・・・・・)。

そこに乗り込んできた一人の女性感染者によって、乗客たちは次々とゾンビ化。
緊急停止することも出来ず、密室状態の車内で、生き残る為に人々は必死にあらがうのであった・・・・・。

ぶっちゃけ、映画内のゾンビメイクは、非常にゆるーい。
でも、どうがんばっても、ハリウッドのゾンビ映画に勝てるわけないので、「それはそれ」として、それ以外、この映画であれば、「列車内」という設定を、どこまで活かせるかでして、僕的には、まずまず成功していたと思います。

冒頭では、エリート主人公の鼻につく傲慢さ&冷酷さが強調され、まだまだ幼い娘との不和が描かれており、「あぁ、もうラストが見通せてしまえるぞ」と、内心で苦笑いしてしまいたくなりましたが、まーね、ゾンビ映画は、これくらい分かり易い方が、いいのかな?

以降、テンポよく危機が訪れて、どうにかこうにか乗り越えていくわけで、そうこうしている内に、最初はギクシャクしていた父娘関係が、徐々に修復していくというのは、まぁ分かっちゃいるけど止められれないわけでして。

ちょっと、面白かったのは、主人公の職業であるファンドマネージャー。
金融関係のお仕事は、最近のハリウッド映画では敵役に配されることが多いように思えますが、韓国でも評判は良くない模様。

「他人のことはお構いなし、自社(自己)さえ良ければ良い」という主人公の価値観を裏付けるような仕事でして、最終的には娘からの助言もあって改心し、昔の主人公と重なるようなキャラと対峙するという流れも、まぁ、お約束だけと、それだけに、きっちりハマってました。


ゾンビ映画ではあるけれども、究極のサバイバルというのは、日本以上の格差社会で、ヘルコリア(生き地獄)とまで言われる現況を下敷きにしているのだろうなぁ。


*以下、少々ネタバレ。


だから、自己中のエリートだった主人公が、仲間を得て、最終的には、自己犠牲でもって人々に貢献するとういのは、まぁ、大衆の願いでもあるんだろう。

それにしても、最終的に生き残るのが女性、それも幼女と妊婦というのは、なんとも。(ババアは死ぬ!)

主人公サイドの三人の男性は、全部、女の為に死でいるわけで、「男は戦い、女は守られるモノ」という、ものの見事な「マッチョ」。

まぁ、実写映画版の「アイアイムアヒーロー」も、銃を持って女性を守るというオチだったから、同じ穴のムジナでして。アジアはアジアだね。



by カエレバ

2017年9月18日月曜日

映画「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」


マクドナルド兄弟が現在に続くハンバーガーの調理システムを考え出し、それをフランチャイズとしてレイ・クロックが世界中に広めた。
その過程において繰り広げられた仁義なき戦いについて描いたのが、「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」。

映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』

しかし、映画はもちろん、そのホームページでも、「マクドナルド」という名称はもちろん、「M」のマーク、コーポレートカラーである「赤」と「黄」の配色等々、ばっちり使っているのだけれども、これって、アメリカの本社が許可しているのかね?

・・・・・まぁ、黙認とは考えづらいし、きっと契約を結んだんだろうなぁ。
太っ腹というか、器がでかいというか、寛容というか。
確かに、「現在のマクドナルド」について批判しているわけではないものの・・・・・・。

創業者と言えば


中小企業のおっさん連中に会うことが多いのですが、まぁ、小さかろうが大きかろうが、一国一城の主なので、キャラが濃い。
まして、ファウンダー(創業者)となると特濃でして、そうでもなければ、起業なんかしようと思わないし、出来ないし、成功しないよね。

この映画の主人公にあたる「レイ・クロック」なんかは、まさしく「ファウンダー オブ ファウンダー」でして、マイケル・キートンが、「出世欲」「権勢欲」の塊を、見事に演じておりました。


ストーリーは、レイ・クロックの不遇な営業時代から始まり、マクドナルド兄弟との出会い、紆余曲折ありつつフランチャイズ展開は成功するものの、両者の路線対立によって仲違いに至るという過程が、とても丁寧に、穴らしい穴もなく描かれています。

また、マクドナルド兄弟の考案した調理システムの革新性、時代背景、フランチャイズとはとどのつまり不動産経営だ(イオンのショッピングセンターも同じ理屈)、等々が、うまーく説明臭くなることを最小限に、物語中に埋め込んであって、・・・・・・簡単に言うと、大変勉強になる。

映画としての完成度の高さは、「さすがハリウッドだな~」なんだけれども、あまりにも上手に説明が出来てしまっているので、逆に、物語としては、「物足りない」というか、「在り来り」というか。

見ていて退屈するということはないし、とても「分かり易く」、でも「安っぽい」ということはない。直近で見た伝記モノ、「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」なんかと比較すると、無理に「高尚さ」「芸術性」を盛り込もうしたのかな? なんか、七面倒臭い感じになっていたけど、そういうのとは無縁な分、「大変良く出来ました」止まりになってしまっているのは、「致し方ない」や「ないものねだり」なのか。

とりあえず、マクドナルド創業の経緯が、よーく分かる作品でした。


ナタリー・ポートマンさんの顔芸が堪能できる「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命」



by カエレバ

2017年9月14日木曜日

クリストファー・ノーラン監督「ダンケルク」




クリストファー・ノーラン監督ですから、半端なものはつくらないだろうなぁと思っていましたが、その期待を裏切ることのない重厚な作品となっていました、第二次世界大戦モノ「ダンケルク」。

ナチス率いるドイツ軍によってフランスは蹂躙され、同盟軍として派遣されていたイギリス軍は、ダンケルクに追い詰められる。

フランス軍と合わせて、四十万人という膨大な兵士。
ドイツ軍の本格的な侵攻が始まる前に彼らを救出するべく、イギリス本国では多くの民間船が徴発されるのであった・・・・・。


映画は、

  • 「ダンケルクに取り残された兵士」
  • 「ドイツ空軍と対峙するイギリス空軍パイロット」
  • 「イギリス軍人を救出に向かった民間船」

の三つの視点で描かれるのですが、それぞれ、違う時間が流れていて、最終的には、一つに統合されるというのが、まぁちょっと凝っています。

また説明的な台詞も少ないのですが、「窮地」という状況について、冒頭の戦闘シーンから「これでも喰らえ!」とばかりに浴びせてくるので、そこから脱出へのもがきが自然と理解できるように手配してあるので、見ていて混乱することはないと思います。


「面白いな」と思ったのは、敵であるドイツ軍を、極力描かない方針。

洋上でのドッグファイトがあるので、ドイツの戦闘機メッサーシュミットは登場するけど、そのパイロットがスクリーンに登場することはないんだよね。

冒頭においてイギリス兵が町中を逃げ回るシーンや、中盤での座礁した船の中に隠れている際も、ドイツ兵からの銃撃は描かれるだけで、決して敵兵士は登場しない。

戦争映画としては、ちょっと不思議ではあるけれども、まぁ、「日本のいちばん長い日」だって、戦時下を扱っているけど、敵兵は出てこないわけで・・・・・、というよりも、必要ないから出てこないわけで、つまりは、「ダンケルク」にとっても、要らない要素。

打ちのめす対象があっての戦争ではなく、この映画って、戦争が乗り越えるべき対象となっており、だから、戦争の悲惨さを描きつつも、単純に「反戦」ではなく、また「戦争賛美」でもなく、大いなる課題を前にして、どのように人々が振る舞ったかを描きたかったのだろうなぁ。


日本の戦争映画になると、どうしても「銃後の被害者」として戦争の無情さや凄惨さを描くか、でなければ、「兵士たちは被害者」として「帝国軍人、祖国防衛の為に勇猛果敢に戦えり」になってしまうので、どうにもこうにも「ウエット」に流れがち。(一概に、それが「悪い」わけではないですが)

それに比べて、海岸線での戦いにもかかわらず、この「ダンケルク」は、妙に「ドライ」。

休憩中に「おれ、故郷に帰ったら、結婚しようと思っているんだ」とのろけたり、死の間際に「おかあちゃーん」とつぶやいたり、敵兵を見つけて「うぉー」と叫ぶといった、分かり易く感情を揺さぶるセリフはなく、勇ましくてもスーパーヒーローではなく、また、臆病でも卑劣漢ではない人物描写に徹している。

まぁ、最後の最後、スピットファイアの活躍は、ちょっとやり過ぎ感もありますが(大作映画ですから、ラストにカタルシスも必要よね)、それにしても、日本なら「特攻」に流れていきそうですが、「生きて虜囚の辱めを受けず」なんてことはなく、むしろ、やりきったとばかりに堂々と投降しているあたりなんかも、「ドライ」でした。


登場人物の演技、冒頭からラストまで気を緩めることを許してくれない脚本、リアリティのある崇高さや卑しさを備えた人物造形等々、・・・・・どうにも、「やり過ぎじゃねーの、コレ?」という感想も抱いてしまったメル・ギブソン「ハクソー・リッジ」よりも、より深く映画の世界に堪能することができました。
(■メルギブな映画「ハクソー・リッジ」)

唯一と言ってもいい不満点は、音楽がうるさかった。
ここまでやりきったんだから、扇情的(戦場だけに)な音楽は控え目にして、その場の兵士たちが聞いていたであろう飛行機のエンジン、波、砲撃、銃撃を中心にするだけで、十分だった気がしたなぁ・・・・・・。(好き好きでしょうけども)

by カエレバ

2017年9月13日水曜日

ガル・ガドット主演「ワンダーウーマン」


大丈夫?


DCコミック版のアベンジャーズ、「DCエクステンデッド・ユニバース」に連なる「ワンダーウーマン」。

この作品の前にあるのは、以下の3つ。
  1. 「マン・オブ・スティール」
  2. 「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」
  3. 「スーサイド・スクワッド」
個人的な感想を簡潔に述べますと、
  1. まぁまぁ
  2. うーん、物足りん
  3. 大丈夫か? おい
という感じ。

で、そんな中、「バットマン vs スーパーマン」では、「ガル・ガドット演じるワンダーウーマン」、「スーサイド・スクワッド」では、「マーゴット・ロビー演じるハーレイ・クイン」という、女性キャラのみが出色だったわけで、・・・・・なんつーか、行き詰まっているのか、男社会!?


もう一歩感がするのは僕だけ?


それは、さておき。

「ワンダーウーマン」、見てきました。
けっこう期待していたのですが・・・・・・、うん、まぁ、こんなものか。

直近の「スパイダーマン ホームカミング」が小気味よくまとめていたのに比べて、ちょっと詰め込みすぎたような気がする。

それがよくあらわれているのが、中盤から仲間になる「サミーア」「チャーリー」「酋長」。

最初は「金目当て」で主人公サイドに力を貸すのに、結局は、内なる正義が目覚めて、損得抜きで加勢するようになる・・・・というお約束展開は、まぁいいんだけどさ。
ただ、その過程が、イマイチ描けていない。

狙撃手であるチャーリーも、お約束の「スナイパー撃てない病」に罹患しているんだけど、気がついたら、すっかり治っている。(映画が長丁場になってしまって、治療イベントが削除されてしまったんだろうなぁ)

ヨーロッパ戦線にいるネイティブアメリカンという設定も、どうにも、なんだか。(原作通りなのかもしれないけど)
「ポリティカル・コレクトネス」への配慮が透けて見えるような気がするのは、僕だけ?

「一芸には秀でている曲者集団を率いる」というのはド定番なんだが、・・・・そんなに彼らが活かされているとは思えないわけでして。


味方もアレだが、敵もアレでね。

その最たるモノが、ラスボス。
個人的には「あぁ、最終的には、女性 対 女性の戦いになるのね」と思っていたら、まったく予想外の人物が立ちはだかることに。

自分の理解力不足なのかもしれないけど、イマイチ、ラスボスの行動原理が素直に入ってこなかった・・・・・・。(「スパイダーマン ホームカミング」なんかは、上手にラスボスに意外性を加味することに成功していたなぁ)


ウリの戦闘シーンも、主人公の生まれ故郷・セミッシラにおける「近代兵器(と言っても第一次世界大戦だが) V.S. 鍛え上げられたアマゾネス軍団」は、なかなか独創的だったけど、・・・・・・以降は、そんなでもないなぁ~というのが、正直なところ。


見所もあるけど


・・・・・とかなんとか、ちょっと厳しいことを書いたけど、つまらないわけではなかったです。

特に、主演のガル・ガドットの素晴らしいこと。
「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」の段階で、素晴らしい「たたずまい」を披露していましたが、今作も健在。

主人公ダイアナの生まれ故郷での野性味あふれる姿、イギリスでのクラシカルな装い、現代に戻って知的でモダンなスタイル・・・・、全部が全部、完璧に様になっている。

だいたいにして、ワンダーウーマンの戦闘服が滑稽紙一重なのに、それすら「絵」として成立させているのだから、まぁ、恐れ入る。


他にも、セミッシラの古代ローマ風、かつ自然あふれる総天然色から、1900年代初頭の青みがかった陰鬱なロンドン、ヨーロッパ戦線の悲惨な塹壕戦、古城での優雅なパーティー等々、まぁ、CG万能時代とは言え、金も手間もかかる「絵」は、やっぱり圧巻で、見応えあり。


女性らしさ?


「女性監督による、女性ヒーロー」ということで、「男性社会に物申す!」という主張は、存外と言うべきか、当然と言うべきか、たまーに、チクリチクリとある程度。

まぁーねー、主人公ダイアナが、「知的で勇敢」ではあるが、「母性愛あふれる」というわけではないからね。(そもそも「女性」→「母性愛」というのが、あまりにも単純でアレな発想なのかもしれないが)
変に政治臭い物語よりも、無理せず娯楽に徹していたのは、むべなるかな。

でも、「神から見た人間は、愚かそのものだー」的な、「あーあー、あのパターンね」というお約束ではなく、もうちょっと現代社会を想起させるようなモチーフが盛り込まれていると、「深み」というか「奥行き」も出たんだろうなぁ・・・・・。


by カエレバ