「スウィート17モンスター」、見てきました。
原題は、「The Edge of Seventeen」。
どう訳すんでしょう?
「17才のギリギリ」って、感じでしょうか?
いずれにせよ、「17」という主人公の年齢がタイトルに入っていることには、変わりなし。
なんとなく、アンジェリーナ・ジョリーが若かりし頃に出演した「17才のカルテ」を思い出しました。
「JUNO」の主人公も同じくらいかな? と思って調べたら、16才から始まるそうです。
このくらいの年令の少女というのは、アメリカ人には、なにか抜き差しならぬ感情を呼び起こすものなんですかね?
日本では、俗に「中二病(14才)」という言葉ありますが、アメリカでは「高二病」ってことでしょうか?
梗概
そういうどうもいいことは、さておき。
ストーリーですが、・・・・・・学校(集団)にまったく馴染めないタイプのネイディーン。唯一の友人であるクリスタと一緒に、モテナイ女子を、すっかりこじらせてしまっている。
つまらない日常ではあるが、理解者が近くにいる・・・・というか、似たような境遇を持つ友人がいるうちは、ネイディーンもどうにかこうにかやっていけていたものの、その友人が、彼氏をつくってしまう。
しかも、ネイディーンが大嫌いな兄貴とくっついた、というのだから、我慢がならない。
この状況を、どうにかしようと、もがくのであったが・・・・・・。
可愛げのないトラブルメーカー
以下、ネタバレあり。
集団や組織に溶け込めない苛立ちというのは、まぁ、よーく理解できるタイプの人間です。
だから、共感できそうなものなのだが、正直なところ、主人公のネイディーンには、終始、イライラを覚える。
「自分がオッサンになってしまった」割には、子供もいないので、「若者の青さを愛でる」という余裕がないことも理解しつつも、・・・・・・しかしだな。
ネイディーンが、あんまりにもトラブルメーカーでね。
「普通の人」たちと、普通のコミュニケーションも出来ないのは、まぁ、よろしい。
だけれども、その反動として、「自分を許容してくれる人」 or 「自分との関係を断ち難い人」(「家族」「教師」「親友」)に対しては、遠慮のない言葉を発してしまうのは、十代の子供としては、「リアル」ではある。
でも、「リアル」なだけに、なんとも、気持ちが良いものではなかった。
病気で旦那を亡くした母親は、シングルマザーとして、二人の子供を育てようと必死になっているのに、そんなことは娘にはお構いなし。(←これもまたリアルではあるのだけれども)
また、彼女が大嫌いな兄貴にしても、登場時は、「いけ好かないリア充タイプかな?」と思ったら(少なくとも、妹は、そう思っている)、友人たちの「おイタ」の後片付けも別段怒ってはいないし、すっかりひねくれた妹であってもパーティーに連れ出すような面倒見の良さ。だから母親にも頼られているし、飲み会を中座しなくていけない場面では、友人たちから惜しまれており、物語においては往々にして、リア充は嫌味な人間として描かれ勝ちですが(もっとひどいと、「リア充」=「スーパーフリー」になっている)、実際には、「衣食足りて礼節を知る」でして、満たされている人間は、優しかったりするよね。
つまりは、妹の評価とは真逆で、兄貴というのは、ナイスガイ。
そりゃ、親友も惚れるわな。
最終的には、「自分だけ不幸だと思うなんて、スゲェ~痛いよね」ということで、他人を受け入れることができるかも? という落着で大団円。
・・・・・なんだけれども、オッサン的には、やっぱり納得がいかない。
結局、最後の最後まで、ネイディーンは他人頼み。
自分から能動的に行動することはない。
それで、まぁ、大人しいというならまだしも、身近な人間を好きなだけ振り回しておきながら、「世界で一番私が不幸」って顔しているのだから、困りモノ。
偶然にしろ、唯一、自分の力で勝ち取った白人イケメンとの夜も、「えぇー、私、そんなつもりじゃないんだけど」と拒否しているわけで、・・・・・そもそも、お前がお馬鹿なメッセージ送って誘ったんだから、仕方ないじゃん。勝手に傷ついているんじゃねーよ。
で、「人間、顔じゃないね」とばかりに、自分を想ってくれるアジア系の男を選ぶことになるのだが、まぁ、ぶっちゃけ消去法にしか見えない。
そして、これは製作者のミスとしか思えないのが、そのアジア系の少年(青年?)は、金持ちの息子という設定。
クリエイティブな才能があるくらいなら、まぁいいだろうけど、そこに「金」という長所を加えてしまうと、「えっ、なに、容姿で選んで失敗したから、ネイディーン、今度は金?」と意地悪な解釈をしてしまいたくなるわけで・・・・・。
この物語は、「父親」という世間とのハブを喪失した少女の「再生」がキモ。
父親とは唐突な別れではあったが、いつかは無尽蔵な愛によって庇護されている世界から、独り立ちしなくてはいけないのは、誰もが同じ。
大人になることを早くに強いられ、逆に、その愛着ある世界から逃れられなくなってしまったネイディーンが、どうやって大人になるのかが大事なんだけれども、最終的には、自分では、まったく努力なんかしないで、勝手に男が惚れてくれ、しかも、初めて出来た彼氏は仲間内からも一目置かれている上に両親は金持ち。
その彼女という席に収まって、自尊心も満足♪ だから、ハッピーエンド?
父親という無尽蔵に愛してはくれるが支配もしてくる「世間とのハブ」を放棄するのではなく、新しく自分を守ってくれる・保証してくれる男を手に入れて終わりってのは、古色蒼然たる「白馬の王子様願望」でして、・・・・いいのか? これで。
おまけ
ストーリーには、ちょいっと納得が出来なかったものがありますが、映画としては、ちゃんとしているのは、さすがハリウッド。
特に、主役のヘイリー・スタインフェルドが、ちゃんと痛い少女を演じているからこそ、見ているこちらは腹が立つわけで。
■hailee steinfeld google画像検索
こうして画像を見れば、美人さんなんですが、映画の中だと、ちゃんと「ちょいブス」なんだよね。(役に合わせて、少し太った?)
それも、ネイディーンがヒステリックに自分勝手なことを主張する場面、つまりは「性格ブス」が発揮されると、映像上でも、ちゃんと「ブス」に映るわけで、ここらへんの表現力は、大したものですなぁ~。
Ost: the Edge of Seventeen | ||||
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