2017年12月31日日曜日

「一帯一路」発言が飛び出す「カンフー・ヨガ」は懐かしくも現代の映画



映画界において二大狼少年の一人、ジャッキー・チェン。
「もう引退する」「アクションは、やめる」と、何度口にしたことか。

まぁ、もう一人の狼少年・宮崎駿監督と同じで、生きてる限り現役で頑張って欲しいので、これからもバンバン嘘をついて欲しいものです。

さて、ジャッキー・チェンの最新作「カンフーヨガ」。
年末、あんまりいろいろと考えたくないので、吹替版を見てきました。

・・・・・・しかし、懐かしいタイプの映画だったなぁ。
  • 登場してはあっさりと消えていくキャラ
  • 女性キャラのお色気要員扱い(パセリ・・・・)
  • 「それ必要か?」と思わざる得ない氷上でのカンフーアクション(その後に、雪玉で狼を追っ払うという脱力な流れ・・・・・)
  • 妙なハイテク機器(スパイメカみたいなもの?)
  • 明らかにCGなカーアクション(ジャッキーも、還暦過ぎたから肉体を酷使してられないか・・・・・)
  • 「カンフー・ヨガ」と言っていながらヨガほとんど活かされてない~
  • 悪役の薄っぺらさ

「ナイスガイズ」は、なかなか懐かしい感じのする良作だったけど、こちらはこちらで、中高生のころ、深夜にテレビでやっていた、どうでも いい感じの映画を思い起こさせる内容でした。

2010年も終盤になって、世界的なスターになったジャッキー・チェンが、まだこういう作品をつくるなんて・・・・・。

インド市場を狙った結果として、「これくらいのテイストだろう」という結論なのか?
だとすると、うーん、まぁ、そうなんすかねー。

「今時?」と戸惑うことの多い、展開・キャラ設定・演出が目白押しでしたが、まぁ、でも、「これはこれで」という感じで、苦笑いがありつつも気楽に見れる映画には仕上がっておりまして、特に、最後の最後、インド映画へのオマージュで、主要な登場人物が踊り出すのですが(なんと悪役まで)、センターのジャッキー・チェンが楽しそうにしているので、「うん、まぁ、いいか!」と思えてしまうわけで、さすがスターだよ。

他に見所と言いますと、オープニングの戦闘シーンが、光栄のゲーム「三國無双」トリビュートに思えたのですが、まずまず迫力があり。

そして、メインヒロインのディシャ・パタニ(Disha Patani)さん。
お綺麗な上に、「マンガ?」と唖然としてしまうウエストの細さと、お胸のたっぷり感。



すごかったなぁ・・・・・。

そして、その外見のみを活かすだけの脚本が、まぁ、なんともノスタルジーなのだが、「これぞ現代!」と思わせてくれたのが、主人公がジャッキーが中国からインドに行く際に、上司が口にした「一帯一路にも合うしな」という発言。

おいおい、政府に媚びすぎだろ・・・・・。

既に書いておりますが、「何人か死んでない?」という諍いがありつつも、最終的には主人公と悪役は、あっさりと和解してしまうのは、中国人がインド人を叩きのめして終わるというラストは回避したかったというミエミエの商業主義。

さらには、この映画自体が中国政府の「一帯一路」政策の一環、または応援としての側面を有していると考えると、「とりあえず表面上は仲直りしておくか!」というラストも、まぁなんつーか、皮肉というか、示唆的というか。

2017年12月23日土曜日

「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」-大作となると賛否両論なのはいつものことですが、それにしても真っ二つ-



「スター・ウォーズ」新作が公開ということで、わざわざ前作を観賞してから、見てきました。

今年最後の大作「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」


二時間半を超える大ボリューム。
どうなんだろうなぁ、と思っているうちに映画が始まり、例によって、宇宙空間の彼方に飛び去っていく文字。
「このフォント、もうちょっと、今風にしても・・・・・」
などと思っていると、バーンと始まるテーマソング。一気にテンションが上がります。

そこからは、お見事なジェットコースタームービー、まったく退屈なし。

特に、主人公レイと敵役カイロ・レンが、互いが惹かれ合い、自勢力に引き入れようとする綱引きは、なかなか緊迫感あり。
そこからの、「えっ、まさか、ここで!」という、どんでん返しからの、さらなる、どんでん返しの連続。

個人的には、大満足だったのですが・・・・・・、宇多丸師匠、怒ってたねー。
(■ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル_【映画評書き起こし】宇多丸、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を語る!)


まぁ確かに、師匠のご指摘は、まったく、その通りでして、私個人でも気になった点を挙げると、以下の感じ。(ネタバレです)

・スノーク最高指導者が、まんま銀河帝国皇帝のパクリ。どんでん返し用に、あっさりと殺されてしまうので、どういう人物であったのか、どうやってその地位を手に入れたのか、結局不明。(もしかしたら、まだ生きているのか?)
・ファーストオーダーの規模が、よく分からん。銀河帝国の残党なのだろうから、それなりの兵員がいても、まぁ理解できないことはない。だが、そうなると、いったんは銀河帝国を打ち倒したレジスタンスが、なんであんなに寡兵なのか、理解に苦しむ・・・・・。
・ルークの言葉によって、あっさりと覚醒してしまう主人公のレイ。でも、覚醒前と覚醒後に、あんまり差が感じられない。
・ポーの行動が酷すぎ(冒頭の戦闘は、ともかく)。結局、彼の勝手な作戦で、レジスタンスは大いに疲弊することになる。
・↑ではあるが、まぁ、ホルド中将が、極端に秘密主義だったことが遠因ではあるのだが。
・それにしても、ファーストオーダーも、レジスタンスの船が燃料切れになるのを待つという、なんとも 悠長 忍耐強い作戦。敵船の足が速いというなら、TIEファイターでやっつけるとか、なんかないの?
・そして、フィンとローズが、ファーストオーダーに追跡・監視されている船から、まったく安全に脱出してしまうのは、どうなんだ?(まぁ、一応、その後の作戦の伏線とも言えるが)
・敵船の暗号解読をする人間を探しに出かけた先で、駐車違反で捕まるという脱力エピソード。(スターウォーズらしいユーモアの範疇を逸脱しているよなぁ)
・さらに、連行された牢獄で、あっさりと見つけてしまう天才的なハッカーのDJ。いくらなんでも、やり過ぎな偶然。(もしかしたら、敵が仕込んだ罠? と思ったが、やっぱり偶然だったみたい)
・そのハッカーだが、最初、「カネ目当てのヤなやつ」設定で、「実はいいヤツ」と思わせておいて(「ハン・ソロ」パターン)、結局、「カネ目当てのクズ」に成り下がり、でも最後の最後、「やっぱりいいヤツでした」ということで、大番狂わせで助けにくるのかな? と思ったら、「クズでした」で終了。まぁ次回作で、「やっぱりいい人」で復活するかもしれないが。
・レイア姫ではなく、レイア将軍が、宇宙に放り出されても大丈夫ってのは、しかし、謎だったなぁ・・・・。「宇宙からのメッセージ」のオマージュか!?(■深作欣二監督「宇宙からのメッセージ」)
・「スターウォーズ」のお約束ではあるのだが、「巨大兵器登場 → よっしゃ弱点つくでー」という流れは、もうお腹いっぱい、さすがに。
・お約束と言えば、そもそも前作の「エピソード7/フォースの覚醒」が、初代「4」のパクリなわけで、それにしても、「レイが師匠の教えに背いて、カイロ・レンに会いに行き、そこでスノーク最高指導者の前に連行される」というのは、「4」「5」「6」の「ヨーダ」「ルーク・スカイウォーカー」「ダース・ベイダー」「皇帝」の構図が、そのまんまだったなぁ。次のシリーズも製作が決定しているけど、オリジナリティは、どこまで出せるんだろう・・・・・。
・ホルド中将の特攻だが、あれが可能なら、もっと前に無人の兵器化しているよなぁ・・・・。
・最後の最後、ルークのフォース能力解放が、やり過ぎ。なぜルークは星を離れなかった? 一応、海中に投棄されたXウイングという伏線があったのに。・・・・まぁ、弟子に師匠殺しという行為に走らせたくはなかったということなのかもしれないが。(とすれば、「9」で、カイロ・レンは転向する可能性もあり?)

・・・・・等々、「7」のそつのなさに比べて、穴が多いのは事実。
「7」では鮮やかに登場したレイやフィン、カイロ・レンに比べて、今作の新キャラのローズにしろ、DJ(今作で使い捨て?)にしろ、いまいち魅力が不足している。

また、ポーなんかは、今作で、よりキャラに深みが出るのかと思ったら・・・・むしろ、ダメ人間化。

うーむ。

でも、まぁ、全然面白かったです。

主人公レイのキャラの勝利かな? と思います。
アミダラ女王のように、ものすごい美人ではないけど、かわいらしい顔立ち。(ナタリー・ポートマンでは、廃品回収業は似合わんだろう)
男性がやれば、「今時・・・・」となりそうな、清潔感ある真っ直ぐな性格も、(僕が男性ということもあり)女性キャラだと、許せちゃう。
また、自らの生い立ちに関するトラウマも、・・・・・ちょっとひどい言い方だが、男性キャラだと、「おいおい、いつまで引きずっているんだよ」と興醒めだが、女性キャラだと、「うんうん、つらいよね」と、あっさり同情できる。

そして、個人的なことだが、「絶望的な撤退戦」という今作の背骨が、ツボなんだよね。
で、ありながらも、ボチボチ、「スター・ウォーズ」らしいユーモアがあって、「見ているのが辛い・・・・」というほどの惨たらしさはなくて、「物語を盛り上げる為に、ご都合主義に陥っている」という指摘は分かりつつ、大人も子供も楽しめるエンターテイメントとして、バランスはとれていたんじゃないのかな~。(まぁ、しかし、「穴」が多いのは事実だから、何度も見返すと、その「穴」にはまってしまうのかもしれないが・・・・・)

おまけ


ナンバリング作としては、ようやく登場したアジア系の主要人物ローズ。

うん、まぁ、ね。
人の容姿を云々出来る人間ではございませんよ。
それは分かっているけど、なんか、もう少し、ねぇ? と思ったのは、僕だけではないはず・・・・・・。。

しかも、恋敵はレイ。
最後のジェダイで、フォースは使える、腕は立つ、機械の知識もあって、まずまずの美貌と、ほっそりとしたプロポーション・・・・・。

カルシウム不足なカイロ・レンよりも強敵だな・・・・・・。

by カエレバ

2017年12月10日日曜日

神性を帯びる探偵「オリエンタル急行殺人事件(2017)」



まぁ、暇な時間と、映画の始まりが合致して、「これでいいか」くらいの気分で見た「オリエンタル急行殺人事件」。

トランプ大統領が、エルサレムにアメリカ大使館を移すことを決断して、いろんな国が大慌てという現在に、偶然重なる「嘆きの壁」からスタート。

「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」、それぞれの当地の代表者が容疑者という、本当にそんな事件があったら、陰腹でもしなくては、その裁判官は担当出来ないだろうレベルの危険度ですが、「イギリスが悪い!」と、あっさりと裁定を下す主人公のポアロ。

言うまでもなく、第一次世界大戦における三枚舌外交を批判しているわけで、原作未読なんですが、別段、無ければ無くても本筋には弊害のないエピソード。
「社会風刺ぶっこんできたなー」と、ちょっと驚き。

以降、人種問題に触れたりしつつ、「社会派」といった重々しい描写もなく、往時の大英帝国を思い起こさせるオリエンタル急行の豪華な列車内と、現代風に再定義されたクラシカルだけれども洒落た服装に目を奪われるのだが、会話の端々に登場人物たちの背景や関係性、後の伏線などが含まれ、で、起こるよ殺人事件。

前述の通り、原作未読だし、映画の過去作も未見、・・・・・だけれども、名作・古典の宿命でして、なぜかオチは知っているので、「あぁ、なるほどなるほど、この発言は重要ね、覚えておいた方がいいのね」といった感じで、展開に驚きはないのだけれども、まぁ、しっかりとした脚本と絵、演技なので、楽しく見れてはしまう。

それにしても、最後の最後、主人公のポアロが、推理モノのお約束、「犯人はお前だ!」とネタバレのお白州シーン、居並んだ容疑者たちの構図が、明らかに最後の晩餐。

「な、な、なぜ?」と戸惑っていると、ポアロはポアロで、「おれは神と同格」みたいなことを宣言。

( ゚д゚)なに!?

ポアロは、「最後の晩餐」の一部ではなく、彼らの前に陣取っているということは、・・・・・「父なる神」として、キリストすら裁くの? すげーな、おい。

なんだけれども、よくよく思い出してみると、ポアロのことを、登場人物たちが、「ヘラクレス」って、呼ぶんだよね。
「なんで?」と思ったら、
ポアロのファーストネーム“Hercules”がギリシア神話の英雄ヘラクレスに由来する
という背景もあるようで。

また映画冒頭、「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」の三人の代表者を裁くなんて、「神」でもなければ、出来ないお仕事。

そして、最後の最後。

ネタバレだが、「いいよいいよ、おれは、お前たちの罪を問わない」と実行犯たちに、恩赦を与えて去っていくポアロ。

最早、法律など超越した存在となってしまったのかと、唖然と言うか、笑えると言うか。


確かに、ポアロは、警察でも検察でも裁判官でもないからね。
探偵という、あくまでも、一民間人に過ぎないわけで、そんな人間が、なんだか良く分からない理由と権限で(殺人事件が発生した当初、「オレ、やらないよ」ってポアロが、言っているのは、まぁ当然だよね。別に「金」にはならないし、そもそも捜査って「公的な機関」が行うべきものだし。だから、ポアロを説得する理屈が、人種問題を持ち出してきて、なんだか妙だったなぁ)、取り調べを始めるわけで、その整合性を突き詰めていくと、「ポアロ」=「神」なのかもしれないが、・・・・・・推理ドラマに、「そんな仰々しい論理性を与えんでも」と思わないでも。

まぁ、そんなところは気にしなくても、十分、娯楽作として楽しめる映画でした。

by カエレバ

2017年12月9日土曜日

実写版「鋼の錬金術師」 - Q.「なぜ漫画は実写化されるのですか?」 A. 「そこに作品があるからさ」 -



「なぜ山に登るのですか?」と問われた、ある登山家は、「そこに山があるからさ」と答えた。

「なぜ漫画は実写化されるのですか?」
「そこに作品があるからさ」

ということで、実写映画かされてしまった「鋼の錬金術師」。

予告編が出た段階で、ネットでは阿鼻叫喚でしたが、・・・・・個人的には、「うん、まぁ、こんなもんじゃない?」くらいでした。

「ジャニーズが主役なんて!」
→「仕方ないじゃん、華のある人を連れてこないと、お金も集まらないのだから」

「この程度の特殊撮影・・・・・」
→「そりゃ、まぁアメさんと比べるのは、酷だよ」

「なんで、日本人!? 世界観と合わない!!」
→「仕方ないじゃん、邦画なんだから。それに、日本人がつくった漫画原作を、白人さんが演じるのも、ケツアゴシャアみたいな例もあるぞ? それはそれで違和感バリバリだったりするじゃん」

作品が世に出る前から批評するのも、ねぇ?
特にネットでダイレクトに意見が届いてしまう現代において、批判が先行するのは、クリエーターのモチベーションを低下させてしまう弊害だなぁ・・・・・。

とりあえず、見てから、賛否はしないとね!


・・・・・・・冒頭の、子供の金髪ズラからして、「あぁ、なんかヤンキーのガキみたい・・・・・」というモヤモヤ。

でもまぁ、予告編にもあった、成長したアルによるバトルが始まる。
そりゃ、まぁ、ハリウッドと比べたら、どうしたって粗はあるけど、「錬金術」をモチーフにした戦いの実写化としては、なかなか見応えアリ。

・・・・・・なんだけれども、バトルとしては、この冒頭が最高潮。

以降、ほとんど錬金術を駆使した戦いというものはなく、それでは何をやっているのかというと、失った弟の肉体を取り戻すことが出来るという賢者の石を探すことになるのだが、まぁ、基本「おつかい」。
誰かがヒントなり情報をくれるので、それに従って、目的地へ、という流れで、台詞がいちいち説明臭いし、「笑ってるよ」「怒っているよ」「悲しんでいるよ」と明け透けな演技の連続。(前日に見た映画が、「サーミの血」という鈍器タイプの映画だったので、いっそう今作の「軽さ」が目に余ったよ・・・・・・)
時折、ヒューズの夫婦仲とか、アルとウィンリィの痴話喧嘩なんかが差し込まれるのだが、・・・・・これが、また見ていて恥ずかしくなってしまうようなシーンに仕上がっていて。

なんだか、バカにされてる? とも思ったりもしたが、まぁ、この映画のメインのターゲット層って、10代の少年少女なのかな?
だから仕方ないか・・・・・・と諦める反面、それはそれで、「日本の少年少女の読解力を甘く見てない?」とも思う。

漫画「鋼の錬金術師」の連載が終わったのが、2010年。
もう10年近く前で、作品としては、今読んでも十分に面白いけど、現在の少年少女にしてみると、やっぱり昔の作品となるだろうし、実際、公開二日目土曜日の10時半からの映画館には、そこらへんの年齢層はいなかったなぁ・・・・・。

せいぜい大学生くらいだが、・・・・・・その年令に対して、この脚本・演技は、うーむ、満足できないんじゃないかな?


いろいろと制約があるのは理解できるのだが、それならそれで、「脚本」でカバーできなかったの? などと思ってはしまう。しかし、
  • 二時間以内
  • 原作改変を最小限
  • ハガレンの人気キャラを、可能な限り登場させる
てな条件だと、まぁ、こんなところに落ち着いてしまうのかなぁ・・・・・。


とにもかくにも、「鋼の錬金術師」の世界を三次元で再現するには、やっぱり「金」が足りないんだろうなぁと推察。
その穴埋めとして、説明臭い台詞の多用にもつながるわけで、結果、どんどん映画が安っぽくなってしまうという負の連鎖。

「そのうち見慣れるだろう」と思っていた、明らかにズラなアルの金髪も、最後まで慣れなかった。

せめて、髪の毛をCG処理していたら、少しは映画に没入できたのかなぁ?
いや、「髪の毛だけ」ではなく、全編CGで、CGアニメだったら、良かったのかな?
もうそこまで来たら、「CG」取ってしまって、アニメでつくってしまえば、きっと面白い作品になったに違いない!

・・・・・・・・・・・・。

曽利文彦監督の実写版「ピンポン」は、原作を二時間にきれいに収めていて、世界観も忠実、「漫画原作の実写映画の成功例」として、未だに引き合いに出されるくらいだけど、どうにもこうにも、今回の「鋼の錬金術師」は真逆の評価になりそう、というか、もうなっているか。ネット上は、ディスり大喜利状態だもんなぁ。

2017年12月6日水曜日

「サーミの血」




前日の深酒で、なんだか一日中、眠たい感じだったものの、地元の映画館で、「サーミの血」の公開最終日。

北欧の少数民族「サーミ族」の迫害を扱った映画。

どうしようかな~、この手の作品は、眠たくなりがちだからな~、などと億劫がっていたけど、結局、午後八時前のレイトショーに行ってきました。

危惧していた通り、やはり、当初は眠気との戦い。
すごく分かり易い「派手」なシーンはなかったのだけれども、1930年代の少数民族が置かれていた時代を象徴するような、プライバシーも人権尊重もない身体検査あたりから、すっかり目が覚めて、以降は、主人公エレ・マリャの選択に、目が離せないやら直視出来ないやら。

予告編からも分かるように、マジョリティによるマイノリティへの迫害がメインのモチーフなのだけれども、悲惨な境遇に置かれている主人公は、そこから脱出しようと、抗い、もがく。
その行為は、自らの基盤であるべきサーミ族への批判・否定となってあらわれ、時には己の出生を偽ることとなる。
当然、マイノリティのサーミ族からしたら、主人公はマジョリティに媚びを売る裏切り者。
でも、そのマジョリティであるスウェーデン人が、主人公を受け入れてくれるのかと言えば、そんなことはないわけで。

その二重に孤独の中で、彼女の行動は、思春期の所謂「厨二病」的なソリッドな理想と過激さを帯びて、見ている者(中年のおっさん)からすると、非常に痛々しい。

端的に言うと、そりゃ、悲しい環境ではあるけど、だからと言って、かつての仲間やら家族への、そういう態度はどうなんだろう? と感じさせる行動に結実するわけで、単純に主人公に共感できるわけではない、人によっては苛立ちをも覚えるかもしれない。

「少数者故に、未来が見通せない物語」という点では、「ドリーム」と通底するものがあるけど、あちらさんは、なんだかんだで安心して見れる娯楽作に落とし込んでいるのに比べて、「サーミの血」の主人公は、一応、それなりの地位に就けて、子供や孫にも恵まれて、はたから見ればまずまずな人生だったようには見えるけど、家族の大事なモノと引き換えに、その立場を手に入れておきながら、後にまったく妹や母に恩返しをした気配はなく、おそらくは音信不通・家族の縁を切っていたようで、「そりゃねーだろ」という生き様も垣間見えて、それでいて、そういう人間になるしかなかった彼女の人生が、二時間という短時間に、ちゃんと凝縮されており、やはり胸を打たれると言うか、胸をわしづかみされると言うか。

面倒臭がらずに行って、良かった映画でした。

「ドリーム」 -ケチのつけようがないね・・・-


by カエレバ

2017年12月3日日曜日

是枝裕和監督「三度目の殺人」



是枝監督の作品だから、つまらんわけないだろうと思っていたけど、それにしても、面白かった「三度目の殺人」。

多分、自分だけではないと思うのですが、弁護士という仕事に対して、時に胡散臭さを覚えるのは、事実を捻じ曲げてでも、犯罪者の弁論しているのではないだろうか? という疑念。

たとえば、「置き引き」とか「万引き」といった軽量の犯罪で(軽量と言っても、自分が被害に遭ったら、腹立たしいだろうが)、検察側の立証に穴があり、弁護士として、そこを突いて無罪を勝ち取るくらいなら、「立証できねぇ検察が悪い」とか、「疑わしきは罰せずが日本の司法だからねー」などと、うそぶいていられるだろうけど、これが、「強盗殺人」とか「強姦殺人」なんてドッシリとした犯罪だと、どうなんだろうねぇ。

経歴にしても、当該の犯罪にしても、「こりゃ、救いようがねーなー」なんてタイプの人間であっても、まぁ、「穴」があれば、それをこじ開けて、どうにかこうにか無罪を勝ち取る・・・・・のは無理でも、情状酌量でも何でも使って減刑を勝ち取るのが、そりゃ、まぁ「それが仕事」と言ってしまえば、それまでなのだが、しかし、弁護士さんというのは、そういうジレンマって、どう考えているんだろうなぁ、などと、世間を騒がした事件の裁判が始まると、頭に浮かぶことが度々ですが、この「三度目の殺人」は、そのモヤモヤを見事に物語へ昇華していて、さすがだなぁ。

徐々に明らかになっていく謎の配置も絶妙でねー。

けっこう、最初の方で、犯人とキーパーソンの人物が親しかったという「意外な事実」が明かされていながらも、それを、福山雅治さんが演じる主人公が、なかなか問いたださない。
それは、ちょっと不自然ではあったけど、そのタメがあっての、「告白」の衝撃につながるわけで、ここらへんは、物語の方便ということで。


それにしても、モチーフの目のつけどころ、脚本の巧みさ、それを支える、演者たちの芸達者ぶり。

役所広司さんなんて、「日本のいちばん長い日」では、天皇の信任厚い陸軍大臣を熱演していたのに、この作品では、一見すると、こ汚い初老の男性のようで、話し始めると得体の知れない不気味さにじみだしており、前科持ちだとうなずけてしまう存在感。

もう一人の主役・福山雅治さんは、「そして父になる」と同じく、斜に構えたエリートが、やっぱり、よく似合っている。

そして、意外だったのは、広瀬すずさん。
実写版「ちはやふる」にて、「自分の美貌に無頓着な、ポジティブ小悪魔」という漫画でしか成立しないキャラを、その美貌で以て、ちゃんと三次元に降臨させる圧倒的な「美」「陽」のスター性を発揮していましたが、今作では、非常に「陰鬱」な、スクールカースト底辺なクラスの片隅で押し黙っているようなキャラに、ちゃんとなりきっていて、朝ドラの主役抜擢も決定しており、スキャンダルさせなければ、まだまだ行けるで~という感じでした。




by カエレバ

2017年12月2日土曜日

「ジャスティスリーグ」 -まぁ、こんな感じ-



別に思い入れはないのですが、もうアベンジャーズを追いかけるのは大変なので、とりあえず、DCコミックスは追いかけておくか程度の気持ちで、「ジャスティスリーグ」を見てきました。

うーん、まぁ、別につまらんわけでもないが、とりたてて、「これだ!」と心を揺さぶられることもなく、正直、「まぁこんなもんか」という感じ。

アベンジャーズについては、なんとなーく世相を反映しているところもあるけど、「ジャスティスリーグ」には、別段、そういうものはなく。

「娯楽作品なので、そういう頭でっかちなのは、要らないです。御免こうむる」という人もいるとは思うので、それはそれでいいんだろうけど、「マン・オブ・スティール」のころから、なんとなーく、「スーパーマン = キリスト」 というイメージを投影しているところもあって、今作にしても、オープニングのテーマソングでは「天罰」とか、「マザーボックスの三位一体」とか、いかにも、「キリスト教」を思い起こさせるモノだけれども、さて、ネタバレです。

そもそも、前作で死んだスーパーマンが、今作で復活しているのは、まぁ、どうしたってキリスト教的。(それにしても、「スーパーマンを復活させよう!」という流れは、急だった・・・・・)

なんだけれども、「宗教臭いの?」と問われると、そんなことはなく。

ザック・スナイダー監督が降板して、「アベンジャーズ」シリーズのジョス・ウェドン監督になって、より、「娯楽色」が前面に押し出されることになった結果なのかね~。

まぁ、分からんですが。

登場人物も多いので、どうしても、エピソードの一つ一つは細切れ。
しかも、アベンジャーズシリーズのように、「もう、個々の登場人物の背景とか、みんな知っているでしょ?」という前提もないわけで、「大丈夫か?」と思いつつ、まぁ、どうにかこうにか、二時間内で、登場人物たちの背景やら関係やら収めてしまっているのは、大したものです。


が、その代わりなのか、敵ボスは、・・・・・・とりあえず、「強いです!」という意外には、あんまり記憶に残らなかった・・・・・。

ここらへんの、うす~さは、娯楽作としては正解なんだろうけど、今一歩、「うん、これだ!」という深みを感じないところ。(アメリカでは、「批評家低・一般高」という感じの模様。一応、「お祭り感」は、あるからか?)

まぁ、別につまらんわけではないのですが。

特に、フラッシュの能力は、単純に「強い」ではないから、今後いろいろと趣向を凝らした、漫画の「ジョジョ」的な戦い方を見せてくれるのかな?


by カエレバ