2017年7月29日土曜日

いい意味でのお気楽娯楽映画「パワーレンジャー」



「パワーレンジャー」見てきました。

最近のこの手の大作って、冒頭から、腹いっぱいのバリバリCG多用の派手な絵を、「これでもか!」とぶつけてくる感じがあるのですが、「パワーレンジャー」は、意外にも、スタートはゆったり。

なかなかどうして、さっくり変身して、バリバリと戦ってはくれない。
デコボコメンバーが集まって、徐々に心を一つにして、「チーム」になっていく過程を描くことを重視。
絵としては、派手さはなく、けっこう地味。

リーダーは、地元ではアメフトの有力選手として超絶有名人なのだが、オイタをしてしまって、ただ今、絶賛干され中。

その「オイタ」というのが、部室に生きている牛を放つという、日本人からすると、「?」な感じのいたずらで、それが見つかりそうになって車で逃亡からの事故という、やはり日本人からすると「退学で済む?」という感じなのだが、まぁ、この映画では、なんとなく部活動停止と補習授業程度のペナルティで収まっている。
で、まぁ、親の期待やらなんやらかんやらに背いたので、それを苦にしているという設定なのだが、そもそも、あまりにも共感できないオイタなので、「うん、まぁ、そう」と、どうにも冷めた目で見てしまう。

事実上のヒロインにしても、やっぱりオイタをしてしまって、チアリーダーから村八分中。
彼女にしても、やっぱり、自業自得のようでして、やっぱり、なんか、「うん、まぁ、そう」。

そもそも、アメフトにしろ、チアリーダーにしろ、アメリカのスクールカーストでは、トップ中のトップ、今現在はそこから滑り落ちたにしろ、なんかいけ好かねーなー。

他の三人の仲間にしても、それほど深く描いているわけではないので、やっぱり、なんか中途半端で、どうにも思い入れを抱くことは出来ないものの・・・・・・、まったく統一感のないメンバーが、徐々にチームとしてまとまっていくという王道。
けっこう見れてしまうのは、まぁ、さすがハリウッド。


このように長々とした「結成秘話」を経て、ようやく変身! からの、敵との本格的な戦闘シーンが始まると・・・・・、あれ、意外に普通。

と言うか、とりたてて「コレ!」という独創性がないような?

せっかく5人いるのだから、「技の一号、力の二号」的な住み分けやら、各々違う武器を持たせるとか、なんぼでも個性を持たせることが可能なのに、そういう工夫はなし。(玩具なりゲーム化には、こういう設定が大変重要な気がするのだが・・・・・(要らぬ老婆心))

しかも、スーツに変身して早々にメカに乗り込んで戦うわけで、それじゃ、スーツの存在って、単なる制服?
まぁ、個々の肉体に依存した戦いよりも、巨大メカの力を用いた方が、そりゃ、わらわら無尽蔵にわいてくる戦闘員を退治するには効率的なのは分かるが、なんつー味気なさ。

そのメカにしても、空を飛ぶか、地を走るかの違い程度。
やっぱり個性がない。

ここらへんの平板さは、「うーむ?」と疑問でしたが、まぁ、敢えて次作用に取り置いたのだろうか? と邪推してしまう。


そんな感じですが、さすがハリウッド映画なので、適当には見れました。

「敵の悪熟女」や、「採掘場での戦闘」など、オリジナルである日本戦隊モノへの思い入れがあっての設定・シーンなども微笑ましいし、一応「世界を救う」戦いなのに、戦場はあくまでもアメリカの片田舎限定という、スケールの遠近法が狂っている感じも、やっぱり「敢えて」なんだろうなぁ。

でありながら、登場人物には日本人はなし。
ダイバーシティ&中国市場対策として、北京語を話す男が登場するわけで(広東語ですらない)、「ホワイトウォッシュ」ならぬ、「チャイナウォッシュ」。
もう日本はダメポ・・・・・というのを、こんなお気楽娯楽映画でも見せつけられてしまうのが、まぁ、なんともですなぁ。


by カエレバ

2017年7月23日日曜日

奇手を放り投げてきた「カーズ/クロスロード」



「カーズ」(無印)は、「いけ好かないルーキーが、ひょんなことから(←便利な表現)田舎町で素朴な人々と出会い、徐々に自分を変えていき、最終的には、登場人物みんなハッピー」という、まぁぶっちゃけ「ありがち」なストーリーではあるが、冒頭の迫力あるレースシーンからしてラストへの伏線を多数配置しているという巧みな筋立て、それでいて決して子供を困惑させるような難解さはなく、でも大人でも満足できるクオリティという、「これぞ、ピクサー!」という傑作でした。

続編の「カーズ2」は、・・・・・うむ、まぁ、前作(無印)でキャラが成立してしまったから、彼らが動いているだけで、適当に楽しめることは楽しめるのだが、凡作で終わってしまったというのが、一般的な評価ではないでしょうか?

で、最新作「カーズ/クロスロード」(原題は「cars3」。なんで、邦題は、ナンバリングを外したの?)


「カーズ2」では、いささか強引にスパイ映画を練り込むという荒業で、作品としては「イマイチ」に堕してしまったものの、逆に言うと、「カーズ」プラス「なんか」という方法によって、いくらでも作品がつくれてしまうということを立証してしまったわけなのだが、今作は、初心に戻って、レースがメイン。

しかも、アニメなんだから、別に年を取らなくても大丈夫なんだけど、今作は、「ルーキー」時代を描く無印とは鮮やかな対比となる、競技人生における「晩年」となっている。

「これやっちゃうと、シリーズ終わりになっちゃうよなぁ~。けっこう背水の陣だなぁ」という感じ。(まぁ、今時、「カーズ0」とか、しれっと、「カーズ1」と「カーズ2」の間に起こった「知られざる物語」とか、いくらでもつくれるけどね)


で、まぁ、「カーズ/クロスロード」。
冒頭では、「好敵手」(「とも」と読む)たちとの切磋琢磨とイチャイチャな「油の乗り切った」幸せな状態からの、「新生代の登場」で、徐々に時代に取り残されていく悲哀という山の頂上からのズドンと谷底という流れは、ホントっ、上手ね~。

主人公のマックイーンは、ケガから復帰したものの、最早、若駒のような体ではないことは自覚しており、一応、現役続行・レースには出るつもりだが、さて、どうしたものか・・・・・と、老いた「もがき」が始まり、そこで出会うのがトレーナーのクルーズ。

彼女からの現代的な指導に、反発する老人マックイーンという、お約束のシーンがあって、結局、和解というのも定番のオチ。

なんだかんだで、彼女の方針を受け入れるのかと思ったら、「それはなし」。

その理由が・・・・・、なんかイマイチ説明されていないような気がしたけど、そう思うのは、僕だけ?

で、新しい訓練や戦法のヒントを得ようとして、マックイーンのお師匠であるドッグ・ハドソンの、かつてのクルーチーフを探しに行くというのが・・・・・、「ここで、新キャラ?」と、唐突感は否めなかったなぁ。


まぁ、そんな感じで、ちょっと気になる箇所もないわけではなかったけど、それなりに楽しくは見れていました。

そして、最終決戦。

予想としては、

・善戦するものの、勝てない
・体は動かないものの、ベテランらしいテクニックを駆使して、ルーキーを打ち負かす

という二パターンを頭に描いておりましたが・・・・・・・。


マックイーンのパートナーであるトレーナーのクルーズ。

これが、非常な重要な役どころ。
肝。
(結果としては、「カーズ4」へ橋渡しとなる重要なキャラなんだけれども・・・・・)
「スター・ウォーズ」の「ジャー・ジャー・ビンクス」のような「失敗」ではないものの(僕個人としては、ジャー・ジャー・ビンクスを、そんなに、うざいとは思わなかったが)、特別、魅力もないなぁ・・・・・。

「カーズ」のキャラと言えば、一癖も二癖もあるけど、「悪い車(人)ではない」というのが定番だけど、クルーズって、普通の車(人)だよね? ・・・・・うーん。


だから、全然、気にならない。感情移入ができない。すっかり心の埒外。
そこからの、終盤におけるマックイーンの決意で、彼女がメインに持ち上げられるのだから、

( ゚д゚)ポカーン

でしたよ。

振り返ってみれば、ちゃんと伏線が用意されていたわけで、また、アスリートとしては、敬愛する師匠の魂を自らを経由して才能ある若者に継承してもらうというのは、最高に幸せなことなんだろうけど、それにしても、「えっ、こいつなの? しかも、このタイミング?」と戸惑ってしまった。

「カーズ」では、予想外の事態に直面すると、登場人物たちの顔の表情が停まってしまうという演出が多用されるけど、まぁ、ズバリ、そんな感じでした。


「観客の予想を裏切ってやりたい」という作り手の意図は成功したとは思うが、これは、作品としてはは、どうなんだろう・・・・・。(後、玩具メーカー的には、頭を抱えたいだろうなぁ)

翻ってみれば、最初の無印も、「勝利以外の重要なモノを手に入れた」というラストだったわけで、その流れからすれば、まぁ妥当ではあるのだが、うーん。

僕個人としては、ボロボロになっても最後の最後までマックイーンには戦って欲しかったねぇ・・・・・。


以上、そんな感じでした。

おまけの感想としては、マックイーンは、サリーをいつまで待たせるのかね?

by カエレバ


2017年7月10日月曜日

メルギブな映画「ハクソー・リッジ」




前情報は意図的に拾わないようにしているので、「沖縄戦」を扱った映画だということは、露知らず。

映画「ハクソー・リッジ」は沖縄の地名。でも宣伝文句に「沖縄」の言葉はゼロ…なぜ?

上記の記事で、初めて知りました。
僕個人としては、沖縄が舞台であることで、視聴欲(?)を下げるよりも、上がったと思います。
なので、敢えて「隠している」のは、あんま意味ないよなぁ~とは感じますが、一方で、「沖縄」を前面に押し出せば、それはそれで本土だけではなく、沖縄の県民感情をも逆撫でするおそれもあるわけで、まぁーねー、変な政治闘争に巻き込まれるのもアホらしいしよね・・・・・・。


で、映画の感想。

物語序盤、出征前の恋人とのロマンスなんか、当たり前過ぎて、なんか既視感があるなぁとか、中盤からの訓練シーンとか、ちょっと「フルメタル・ジャケット」を想起させるなぁとか、丁寧に描かれているけれども、正直、「!」という驚きはなく、「まぁまぁこんなもんすね」という程度で進んでいくのだが、やはり白眉はハクソー・リッジでの戦闘シーン。

「パッション」キリストの磔刑シーンで観客も死亡 米

観客を殺す映画をつくったメル・ギブソンが描くだけあって、とにかく容赦がない。

善も悪もなく、勇敢も臆病もなく、憎悪もイデオロギーもなく、ただただ目の前の「敵」を屠る為に前進するアメリカ軍と、それを必死に食い止めようとする日本軍の姿は、単に「雄々しい」「勇壮」なるイカツイ言葉の範疇には収まらない、神の恩寵から見放された凄惨な地獄絵。

このシーンがあって、後の主人公の「気づき」(宗教的な使命感に突き動かされているにしても「悟り」ではないよな?)につながるわけで、まぁ、重要な、意味ある「地獄絵」ではあるのだけれども・・・・・・・。


以下、ちょっとネタバレ。

ハクソー・リッジ制圧後の翌朝。
日本軍の逆襲があるのだが、どうにも元気過ぎるような気がするのは、僕だけ?
まぁ、沖縄戦に限らず、特別、戦争の知識があるわけではないのですが。

で、日本軍の反抗に手を焼いた米軍は、一旦撤退 → 洋上からの艦砲射撃となり、主人公は、取り残された米軍兵士の救出に向かうという流れ。

画面上では、どっかんどっかん戦艦の弾が命中して、火柱&土煙があがっているところに果敢に主人公が突入しているが、いくらなんでも自殺行為。

そりゃ、まぁ、一発当たれば即死という限界な状況を再現したかったのだろうけど、その「絵」では、あまりにも無謀。

そう思えてくると、ハクソー・リッジへの最初の突入シーンだって、地獄の惨状ではあったのだろうけど、兵士が安易に立ち上がって、簡単に弾が命中するというシーンが多くて、「もうちょっと慎重に侵攻しただろ、オイ」とツッコミを覚えるのだが、さて、みなさんは、どうでしょう?

二時間という限定された中での、圧縮した表現であることは、まぁ、分からんでもないのですが・・・・。


で、自らの命を顧みないで、仲間の兵士たちを孤軍奮闘で救出する様は、感動的であるものの、やっぱり、ちょっと「盛り過ぎ?」と思わないでも。


特に、訓練時に主人公をさんざんに痛めつけた軍曹を救うのは、お約束だけど、感動的なシーン。

主人公の高潔さのあらわれなのだが、・・・・・・ちょうど落ち武者狩りをしている日本軍にも見つけられ、その窮地を脱出する為に、主人公は鬼軍曹を引っ張り、一方の鬼軍曹は日本軍に銃をぶっ放すわけで、まぁ、危機的な状況を描写したかったのだろうけど、うーむ。
前半の訓練シーンにおいて提示された、「戦場という極限状況において、自らだけが手を汚すことを忌避するのは、妥当なりや?」という問題について、結局、「奇妙な役割分担とすることでOK」という答えで、いいの? と、ちょっとモヤモヤ。


「極限状況における信仰」という面では、今年は、「沈黙」がありました。

マーティン・スコセッシ監督「沈黙 -サイレンス-」

その作品に比べると、「ハクソー・リッジ」は、分かり易いというか、俗っぽいというか、最終的には主人公は戦友たちから認められ、怪我をして地上に降ろされるシーンは、宗教画的な光あふれる演出で、「貫いた信仰心は無駄にはならない」という単純な大団円に落ち着いたあたりは、鑑賞後に変な重みを残さないものの、まぁそれだけに軽いなぁ~と思わないでも。

好き好きなんでしょうけど。


ここ最近で、関連する映画と言えば、こんな感じでしょうか?

戦場における「神」の問題、映画「フューリー」。
「ブラピの最高傑作」という宣伝文句の「フューリー」を見てきました

戦争が生み出す「英雄」という悲劇、「アメリカン・スナイパー」。
クリント・イーストウッド「アメリカン・スナイパー」の感想

Hacksaw Ridge [Blu-ray]
by カエレバ