2016年5月24日火曜日

「とと姉ちゃん」の視聴率が良いということに混乱している視聴者たち


今週で、第8週目ですか。

「常子、職業婦人になる」だそうです。

とりあえず、そこまで見た感想です。


放送前まで


高畑充希さんは、渡辺謙さんの娘・杏さん主演「ごちそうさん」でも好演。

そして、現代モノに比べて、戦前から戦後という時代設定は、朝ドラのド定番で大得意。

さらに、実在の人物をモデルにした作品は、「ゲゲゲの女房」「カーネーション」「花子とアン」「マッサン」「あさが来た」と、おしなべて評価は悪く無い。

主題歌は、復帰したばかりの宇多田ヒカルさん。


しかも、主人公は三姉妹の長女。
「アナ雪」以来のヒットの方程式であるダブルヒロイン(「花子とアン」「朝が来た」)を超える、トリプルヒロインか?

おいおい、こりゃ、穴がないぞ。

・・・・・・・と放送前までは、思ってました。


実際に放送が始まって


「とと姉ちゃん」というタイトルは、お父さんを早くして亡くした家で、長女が父親代わりに奮闘するということで、つけられたアダ名。(とと = 父)

だから、父親は物語が始まって早々に病死。(早く死なないと、ストーリーが動かねーよ)

以降、高畑充希さん演じる「とと姉」が一家の支柱、物質的には無理でも、精神的な支柱になるのか・・・・・・、ならないね。
うん、別にならない。

一応は長女として頑張っていはいるけど、父親代わりというほどではないよなぁ。


まぁ、別に、タイトルに期待していた展開がされなくても、いいんだけどね。


優等生キャラか・・・・・


で、物語ですから、いろいろと問題・アクシデントが発生する。

主人公が、どのように乗り越えるか or  対処するのかが、朝ドラにおける見所。

前作「朝が来た」では、主人公の「あさ」が、女性らしい発想としなやかさで、いろいろな問題と取っ組み合い、「マッサン」は旦那が我武者羅に働きつつ、それを支える外国人妻の健気さがウリでした。

さて、「とと姉ちゃん」ですが、けっこう単純な「優等生キャラ」だね・・・・・。

「至誠天に通ず」とばかりに、「頑張れば、周りの人たちは理解してくれて、手助けしてくれる」という展開。

問題作「純と愛」において、さんざん否定されたヤツです。


第一週において、病に伏せた父親に花見をさせてやろうと、職場の人間も手伝ってくれるというエピソードを皮切りに、基本、このライン。

うーむ、好きな人は好きなんだろうけど。

タイトルに書いたように、王道な展開に安心する人が多いからこその安定した高視聴率。
一方で、「今時、これかい」と戸惑う人も多いようですなぁ。
(私の周りでは、三十代から六十代まで、まんべんなく「イマイチ」という感じ)


転校後の同級生にしても、住み込みで一緒に暮らすことになる「森田屋」の人にしても、「登場時は嫌な人」だけど、主人公の誠意が通じて、理解者へ。
それだけではなく、あちらから勝手に手助けしてくれるようになるという、初対面の最悪な印象からは、とても考えられないような人物に豹変。

その流れが、もう少し、じっくりと描かれるなら納得もできるのだろうけど。

ストーリー展開が早く、視聴者を飽きさせないのはいいんだけれども、結局、一つ一つのエピソードが「ありがち」で、その処理も「安易」な感じがしてしまうよなぁ・・・・・・。


たとえば、祖母と母との和解という重要な回で、末妹が川に落ちるって。

川べりで遊んでいるあたりから、「落ちるなよ、落ちるなよ」と、思わず風呂の前に立つ上島さんを見ている時のように願ってしまったのは、幼女がおぼれる悲劇的なシーンが見たくなかったというよりは、テンプレート的な筋が予想出来てしまい、ダチョウ倶楽部さんであれば、その後の展開もゲラゲラなのだが、しかし、まぁ、末妹は、やっぱり落ちてしまい、さっくり助かり、それが契機になって和解成立という予定調和。

NHK朝ドラの主人公は作品の序盤で必ず水に落ちるそうですが

「川に落ちる」ということ自体は朝ドラのお約束なのだが(「おしん」の堕胎のシーンが、脚本家の脳裏に刷り込まれてしまったのだろうか?)、ただ、それをどう組み込むかは、ある意味「見せ場」。

なんだけれども、「とと姉ちゃん」では、「ありがち」な、偶発アクシデントにしてしまっているのは、このドラマを象徴しているような気がするね~


で、反優等生ドラマ「純と愛」において、川(水)落ちエピソードは、どんなだったかというと、若年性アルツハイマーの妻を助けようとして、父親は溺死という流れでした。

「結局、助かるんだろ?」という視聴者を裏切る、さすがのストーリーです。

が、「純と愛」の場合は、他にもいろいろと衝撃的だったので、これくらいは平凡に思えてしまえるから、どうしたもんじゃろのぅ。

まぁ、「とと姉ちゃん」のテンプレートな物語にご不満な方は、「純と愛」を見るなり、思い出すなりすると、いろいろなことが「まぁいいか」と優しい気持ちになれるのではないかと。


とりあえず、宇多田ヒカルさんの新曲は、いいですね!


花束を君に
by カエレバ

2016年5月23日月曜日

映画「ボーダーライン」の感想



世界中でゾンビブームですが、アメリカでは、同時進行でメキシコの麻薬戦争(ドラッグカルテル)ブームなようで。

取り締まりやら、内ゲバで、年に一万人死んでいるとか。
一日、30名?

・・・・・・日本人からは、なかなか想像し難い現実ですな。

「ボーダーライン」は、こんな話し


で、見てきた「ボーダーライン」。

FBI捜査官ケイト・メイサーが、誘拐事件の強制捜査をするシーンから始まります。

そこで、ドラッグカルテルという存在に直面。


これをきっかけに、主人公は、CIAの麻薬捜査に協力することに。

が、「捜査」とは言うものの、彼らのやり方は違法行為ばかり。

ドラッグカルテルの犯罪は目を覆いたくなる非道さであったが、一方、CIAの行為も無法であった。

主人公のケイト・メイサーは、その二つに苦しめられることになるのであった・・・・・・。

なんだか中途半端だったね


筋立てから分かるように、主人公は優等生。
だから、二つの悪に苦しめられる。

が、優等生過ぎて、見ていて、ちょっとイラッとしてしまう。
しかも、ドラッグカルテルについて、何も知らない。

まぁ、主人公が物を知らないのは、映画の観客と同じ目線である為だというのは分かるよ。
そのこともあって、主人公は凄腕捜査官という設定だけど、線の細い女性。

マッチョだと、親近感はわかないだろうからね~。(中にはわく人もいるだろうけど、多数ではないよね)


でもさ、麻薬戦争の真っ只中に、大した説明もなく、そんな素人をいきなり投入するって、どういうこと?

危険過ぎるだろ。

その疑問は、最終的には合理的な理屈がつけられるんだけど・・・・・・、それにしも強引だったな・・・・・。


そして、ラスト。

登場から、ずっとミステリアスだったキャラのネタばらし。

「ここで終わりか、なんかモヤモヤね」と思ったら、以降、そいつが大活躍。いきなりの主人公交代。
で、彼の銃弾が当たる当たる。百発百中。

物凄い危険な場所に乗り込んでいるはずなのに、あっさりと一人で制圧。

うーん。


同じ麻薬を扱った映画の「トラフィック」では、見終わった後、アメリカ社会における麻薬問題の根深さを理解することができたけど、「ボーダーライン」は、そこまで深く描かれてはいない。

また、「ゼロ・ダーク・サーティ」のようなリアリティはない。

リアリティがないならないで、娯楽作品に徹して、トム・クルーズ映画のようにしてしまうという方法もあるのだろうが、それもなし。

なんか中途半端だったな。



Sicario
by カエレバ

2016年5月15日日曜日

映画「スポットライト」の感想


「スポットライト」を見てきました。

第88回アカデミー賞にて、作品賞&脚本賞を受賞しているので、つまらんわけないだろうなぁとは思っていたけど、安定の面白さ。
ハリウッド映画の層の厚さは、まぁ、すごいね。

概要


強引にジャンル分けすると、「大統領の陰謀」と同じタイプです。

報道記者たちが、どのようにしてスクープをものにしたかを、なぞるお話。

で、そのスクープ対象なのだが、カトリック教会による児童の性的虐待事件。
カトリック教会の性的虐待事件 - Wikipedia

世界的(この場合の世界は「欧米」だが)な大スクープとして報道されたのですが、日本では知る人ぞ知る程度ですかね?

その報道の端緒となった日刊紙「ボストン・グローブ」の取材開始から、スクープ記事が掲載された初日までの過程が描かれています。

冒頭からの流れ


「上手だな」と思ったのは、物語の始まり。

「アオイオノオ」をハリウッドで実写化するとしたら、「庵野秀明さんは、この人に演じさせるしかない」という編集長が就任したところから。(庵野さんのように朴訥なしゃべり方ではないです)

この新編集長というのが、地元ボストンの出身ではない。
言うなれば落下傘候補でして、上の都合で配属された人。
しかも、ユダヤ人でユダヤ教徒。

しがらみのない人間なんだよね。


そんな彼が、一神父による児童の性的虐待事件に興味を持つ。
周囲は、あまり乗り気ではない中、根深い問題があるのではないかと、特捜班である「スポットライト」チームに、取材を依頼する。


ネタバレ。

最終的には、多くの問題神父が存在していたのに、教会は、その都度、事件をもみ消してしまっていたことが露呈するのだが・・・・・。


この作品、「児童の性的虐待」という、欧米では非常にナーバスな問題。
(■2歳の息子と風呂に入った父親が大炎上、児童虐待だと厳しい批判も _ ユルクヤル、外国人から見た世界)

センセーショナルな組み立ても出来たのだろうけど、虐待されているシーンを描写するようなことはしない。
被害者も、成人した人間のみ登場。

また加害者にして、極端なモンスターには描いていない。(なんだか不気味な神父が一人だけ登場するけど)

基本的には、取材班と取材対象者との描写(演技)で、問題の重大性をあぶり出していく。(そういう脚本と演技力が、まぁ、さすがハリウッドなんだが)

そして、性的虐待事件を扱いつつも、もう一つの問題をあぶり出していくわけで、それは、新聞社には、何度なく被害者や事件の関係者からのリークや依頼がありながら、黙殺していた事実。

膨大な被害者がいて、よくよく調べてみると、異常なことが溢れていたはずなのに、教会という地域の良心・道徳を扱う場所が、まさか児童を虐待するような神父を大量に抱えているわけがないという常識(偏見)にとらわれてしまい、結果、見過ごしてしまっていた。

地域とはまったく縁もゆかりもない、庵野秀明監督似の新編集長が赴任するまで、事件に「スポットライト」が当たることはなかったわけでして、この冒頭からラストまでの流れが、・・・・・・上手よね~。


で、まぁ、事件を追っている中で、教会からの圧力があったり、911が発生してスタッフを割かなくてはいけなかったり、他社に出し抜かれるのではないかという疑心暗鬼で記事の発表時期をめぐって内輪揉めが発生したりと、・・・・・・真摯に主題に向き合っているけど、無理のない起伏をつくって、観客を退屈させないようにしているのは、ホント、上手よね~。


スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪
by カエレバ

2016年5月14日土曜日

大根仁監督「バクマン。」



大根仁監督の「モテキ」は、テレビも映画も、楽しく見ました。

で、その大ヒットのおかげなのか、漫画「バクマン。」の実写化にも起用され。

「モテキ」のクオリティーからすると、まぁ、大きく外すようなことはないだろうなぁとは思いつつ、なかなか機会がなく。
ようやくネット配信で見ました。

こんな映画


予想を裏切られることなく、長大な原作を、うまーくエピソードを取捨選択して、二時間に収めてました。

ほぼ原作通りのキャラと外観。


担当の服部さんだけ、原作では「現場をある程度経験した有能編集者」でしたが、映画版は、「まだまだ経験不足」という感じ。

まぁ、二時間という短い時間で、あれこれ的確な指示ができる編集者がいたのでは、主人公たちの自律性が損なわれるからなー。
青二才の主人公たちと同じく、彼も成長していくキャラにしたのは、当然と言うか、妥当と言うか。


映像にしても、冒頭における「少年ジャンプ」についての説明から始まって、漫画の描き方や実際に描いているシーン、アンケートシステム等が、CGと実写を融合させて描かれており、、「せっかく映画だしね」という贅沢、かつ分かり易い。

また、ライバルである新妻エイジとのアンケートでの人気争いも、同じくCGを用いつつ、実際のバトルにしてしまうのは、巧み。

音楽も素晴らしく、映像も綺麗、物語のテンポは良く、「モテキ」と同じくエンディングまで趣向を凝らしていて、さすが大根仁監督だったのですが・・・・・・・。

漫画原作の難しさ


が、・・・・・・・映画を批判したいわけではないのですが、物語に無理があるよなぁ。

原作がそうだから、仕方ないんだが。

高校生でデビュー、そのまま週刊連載って、あまりに非現実的。
漫画なら「まっ、いいか」となるのだが、実写にしてしまうと、途端に違和感バリバリ。

せめて大学生くらいなら、「あるか? あり得るか?」なんだろうが、これやってしまうと、原作無視&原作レイプという批判が飛んで来るのは目に見えているし、しかも、亜豆美保との関係性も微妙になってしまう。

そもそも、「主人公の作品がヒットして、アニメ化するまで結婚しない」という二人の現実離れしたやり取りは、高校生が限界だよね。(高校生でも、「ちょっと・・・・」ではあるけど、まぁ百歩譲って)
大学生でそんな夢語っていたら、「ぐーむ」となってしまうもの。


そして、現実に高校生を続けながらの漫画家生活が、主人公の肉体を限界に追い込むわけで、無茶な設定の結果として当然の帰結というところが妙なリアリティだなぁ・・・・・。

まぁさ。ここらへんが、「あしたのジョー」における力石設定(■あしたのジョーの登場人物 - Wikipedia)みたいなもので、マンガの醍醐味・ダイナミズムなんだが、再三再四言っているように、実写化してしまうと、「うーん」。

で、その「当然の帰結」を、ジャンプ三原則の「友情・努力・勝利」で乗り越えたことになっているけど、ぶっちゃけ根性論でして。

対象年齢を考えろ、ということで


原作の「バクマン。」は、ジャンプのアンケート至上主義を舞台にして、バトル漫画のノリを展開させたことが、さすが ガモウひろし先生 大場つぐみ先生でした。

で、多くの少年誌のバトル漫画において、「世界を救わなくてはいけないのに、主人公は子供か少年なの?」というド定番のツッコミがありますが、まぁ、少年誌なんだからあたり前田のクラッカー。
メインの読者を喜ばせなくて、なにが漫画だ。


で、映画にしても原作準拠になるのは仕方ないわけで。

だいたいにして、この映画の想定される観客の年齢層は、学生さんか、原作の熱心なファンだろうから、間違っているのは私の年齢であって、「これでいいのだ ||:3ミ」なんだろうなぁ。



バクマン。 コミック 全20巻完結セット (ジャンプコミックス)
by カエレバ

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by カエレバ

2016年5月4日水曜日

「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」の感想



「アイアンマン」は、一応、1から3は見ているのだが、それ以外、「キャプテン・アメリカ」も、「アベンジャーズ」も未見。

なので、そんなに興味があったわけではないけど、「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」を見たので、まぁその比較にでもなるかな~、と見てました。

「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」を見て


漠然としたストーリー紹介


巨悪を倒すのはいいのだが、その際に、関係ない人まで巻き込んでしまうことがある。
これはどうしたものか? ということで、政府の一組織になってしまおうと言うアイアンマン。

政府なり国連なりの要請に基づく戦闘であれば、戦闘の責任は最終的には国家なり国際機関にある。
ある意味、責任放棄とも言えるけど、独善で暴力を行使するよりはマシ。


一方、キャプテン・アメリカは、それでは正義が貫けないと訴える。
責任を個人で背負ってやるとの宣言ではあるのだが、いやいや、誰があんたに期待しているの? なにを根拠に動くの? と思わないでも。


2つの正義に引き裂かれるアベンジャーズってのは、まぁ、言わずもがなのアメリカ自身のお姿。

アメリカって、他国に正義を押し付ける割には、国連海洋法条約に批准してなかったり、国連はアメリカの国益に反するという根深い不満があったり(実際、無視することも多いし)。
時に自分たちの行為は国際世論の総意だと主張したかと思うと、時に自国の利益を追求するのは国家として当然である言い張る。

オバマさんもグアンタナモ収容所を廃止を公約にしていたけど、結局出来そうにないね~。


で、2つの方針がまとまらないまま、大きなテロ事件が発生。
容疑者が逮捕されるのだが、それは冤罪。
容疑者と旧知のキャプテン・アメリカは彼を擁護しようとするが、アイアンマンは認めないわけで、さて・・・・・という感じ。

ネタバレ


正直言うと、やっぱり、キャラクターに思い入れがない&彼らの設定や背景が分からないので、戸惑うことは多かったです。

でも、「バットマン vs スーパーマン」と比較すると、・・・・・・こっちの方が楽しめるかもね。

「バットマン」の方は、どうにも対決する理由付けが弱くて。

「シビルウォー」も、理由付けは、いささか強引ではあるけどね。
ただ、両陣営とも敵対はしても殺し合うことはない。未だに仲間であるという意識は、決してなくなることはないから。

それと、コミカルな面を残しているので、どこかマンガチックで、「まっ、いいか!」と思えてしまう。
(「バットマン」は、基調がダークだから、どうしてもリアリティを求めてしまうよな・・・・)


で、まぁ、最終的にはアイアンマンが、「俺が間違っていた」と、キャプテン・アメリカに謝罪。

二人で手を取り合って、ラスボスに挑もうとしたら、見事罠にはまって、また戦うことに。
この、戦う理由というのが、アイアンマンの母親が殺されたという過去。

「バットマン vs スーパーマン」では、スーパーマンがバットマンと戦うのは、母親(養母)を人質にとられたことが原因だったわけでして・・・・・・・・・、またか!

アメリカに限らないのだろうが、男の子は、基本、マザコンなのか?


で、ラスト。
キャプテン・アメリカが勝ってしまうわけで、「正義の行使に、法律なんか関係ねーよ」側の勝利なの? と思ってしまうけど、この映画において、度々語られるのは、「戦争に巻き込まれる民間の犠牲者」。

冒頭からして、キャプテン・アメリカチームは、民間人を巻き込んでしまう。
アイアンマンが政府の管轄に入ることを決意したのは、自らの戦闘によって民間人を犠牲にしていたという過去。
そして、ラスボスがアベンジャーズを標的にしていたのは、過去に自らの家族を殺されてしまった復讐。

正義の副作用と言うべきか、代償と言うべきか。


最近も、米軍の誤爆があったなぁ。

米軍の「国境なき医師団」病院誤爆は人為ミス
(民間人の誤爆なんて、本当はしょっちゅう起こっているはずだけど、ニュースになるのは、こういう時だけ~)


映画の中でも言及があるけど、「巨大な正義の行使が、結局、巨悪を生んでいるのではないか?」というジレンマを証明してしまう形になってしまうわけでして。


結局、アイアンマンとキャプテン・アメリカ、どちらが正しいのか、答えはなく終了。

で、自警団(正義に基いているとは言え、法律に依拠しない暴力集団)であることを認めるキャプテン・アメリカは、地下に潜ることになってしまったのは、まぁそうだよね・・・・・・。(「ダークナイト」と同じラスト)


「バットマン vs スーパーマン」では、最後には「より大きな悪」が登場して、「まっ、いいか!」で共同戦線が完成。
見ている方としては、「まぁ、お約束ね」という感じでした。

それに比べると、「シビル・ウォー」は、最後の最後まで、2つのヒーローが、(ある意味では)妥協なく戦うという終わり。
ラスボスがアベンジャーズを敵視する理由が「復讐」というのも、お約束と言えばお約束だけど。
でも、敢えて答えを出さないのは、「興味深い」というか、「逃げた」とするか。

次回作で、なんらかの答えが用意されるんでしょうかね~


アート・オブ・シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ(MARVEL)
by カエレバ

2016年5月3日火曜日

マンガ大賞受賞「ゴールデンカムイ」1巻から6巻までの感想


以前、ラジオで伊集院光さんが褒めていて、先日、2016年のマンガ大賞を受賞した「ゴールデンカムイ」。

ならばと、読んでみました。

・・・・・・率直な感想としては、もっと「重い」作品だと思っていました。

が、作者の絵柄が明るいおかげで(つまり劇画調ではない、という意味です)、連続殺人犯だってコミカルに。
殺し合いのシーンも残酷には感じられず、作品全体としては、「軽い」というわけではないけど、サクッと読めます。

ザックリとした粗筋


「不死身の杉元」と呼ばれる日露戦争帰りの男が主人公。
かつての想い人であり、親友の妻の眼病を治すには、莫大なお金が必要。
北海道で一攫千金を目指し、砂金掘りをやっている。

が、もちろん、素人が手を出して、簡単に金が見つかる訳もなく。
そんな彼の耳に、アイヌが秘蔵した金塊の噂を耳にする。

で、まぁ、ひょんなことから知りあったアイヌの少女アシㇼパと一緒に、その金塊を探すことに。


しかし、噂を知っているのは、杉元だけではなかった。

北海道を守る第七師団と、幕末からの生き残りである土方歳三たちも、金塊を狙っていた・・・・・。

反近代


で、まぁ、最近のヒット漫画ですから、絵は綺麗で見易いのは、もはや標準。
「金塊の謎解き」「奪い合うアクション」「ちょっとしたギャグ」「動物ネタ」などが、散りばめられていて、言うなれば「暗殺教室」と同じで、幕の内弁当風。
「グルメ」「料理」すら網羅しているのだが、意外にお色気はない。(その割に、チ○コやウ○コなど下の話題は多いな・・・・・。)

アクションにしても、格闘技していたかと思うと、次には、狙撃戦だったりして、なんでもあり。

盛り沢山の内容で、テンポも小気味良く、出し惜しみなし。
三つの集団が金塊を狙って対立というだけではなく、さらに彼らの部下や仲間が、他の集団と通じあっていたりして、人物関係は錯綜している。
それでいて、決して小難しくなっていないのが、上手ですなぁ~。


そんな中で、今作を特別印象深いものにしているのは、物語の端々にあらわれる「アイヌ トリビア」。
主人公の杉元が、かなり年下の相棒、それも女性を、「ちゃん」づけではなく、「アシㇼパさん」と呼んでいることが象徴しているように、単に雑学披露ではなく、アイヌ文化への敬意を伴って紹介されている。

「異文化への敬意」というのは、自然と、現代社会への警鐘が含まれているものでして、今作も、その例に漏れず。
アイヌ文化を紹介すると、自然と、短期的な目先の利益を追求する現代社会(近代)への警鐘がされています。


主人公の杉元。日露戦争の英雄ではあるが、上司を半殺しにして、恩給をふいにしてしまったという人間。
家族は結核で全員を失っており、軍に居場所がないだけではなく、故郷すら喪失。
言うなれば、日本(近代)社会の埒外にいる。

相棒のアシㇼパはアイヌ人だから、当然、和人(近代人)とは違う。

主人公たちと同じく金塊を狙う「第七師団」にしても、日本近代の総決算であった日露戦争における激戦で多くの死傷者を出しておきながら、戦後は割りを食わされている。

土方歳三などは、そもそも幕末期、最後の最後まで、近代社会をつくろうとした新政府軍に反抗した人間。

また、物語の重要なファクターとなる囚人たちはアウトローで、当然、近代社会からあぶれたもの。


こうして並べてみると、三つの集団は敵対し合っているけど、「反近代」という立ち位置は同じなんだよね。

そういう意味では、連帯が出来るような気がしてしまうのだが・・・・・。だいたいにして、杉元が欲しいお金は、全体の金塊と比べたら微々たるもの。
アシㇼパは、金塊が欲しいのではなく、自らのルーツを知りたいだけ。

が、「第七師団」&「土方歳三」、どちらも近代社会を否定したいわけではなく、むしろ乗っ取ろうとしている。

それと比べると、アイヌ文化というのは、近代社会と敵対しているわけではないが、別種の存在。

作中において丁寧に何度もアイヌ文化を紹介しているのは、アシㇼパの属している集団は、根本的に「第七師団」&「土方歳三」たちとは違うことを表しているのだろうけど、さて、杉元は、どうなんだろう?
最終的には、アイヌ人になるのかな?

おまけ


6巻だが、もろ黒澤明監督の「用心棒」だったね。

「この町で 景気が良いのは 棺屋だけよ」なんてセリフは、まんまだし。(なので、元ネタを隠す気はないので、パクったというよりは、オマージュなんだろうけど)

まぁーねー、こうも盛り沢山な作品になってしまうと、どっかからかネタを見つけてこないと、大変だしな。


その直前のホテルの回も、H・H・ホームズの殺人ホテルが下敷きだし。

入ったら脱出不能の殺人ホテル
殺人博物館~H・H・ホームズ


他にも、「脱獄王の白石」は白鳥由栄、「不敗の牛山」は牛島辰熊などの実在の人物がモデルとなっているわけで、他にも僕が分からんだけで、いろいろ元ネタがあるんだろうなぁ。

ここらへんの元ネタ探しも、1つの楽しみということで。




[まとめ買い] ゴールデンカムイ(ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
by カエレバ