2017年12月31日日曜日

「一帯一路」発言が飛び出す「カンフー・ヨガ」は懐かしくも現代の映画



映画界において二大狼少年の一人、ジャッキー・チェン。
「もう引退する」「アクションは、やめる」と、何度口にしたことか。

まぁ、もう一人の狼少年・宮崎駿監督と同じで、生きてる限り現役で頑張って欲しいので、これからもバンバン嘘をついて欲しいものです。

さて、ジャッキー・チェンの最新作「カンフーヨガ」。
年末、あんまりいろいろと考えたくないので、吹替版を見てきました。

・・・・・・しかし、懐かしいタイプの映画だったなぁ。
  • 登場してはあっさりと消えていくキャラ
  • 女性キャラのお色気要員扱い(パセリ・・・・)
  • 「それ必要か?」と思わざる得ない氷上でのカンフーアクション(その後に、雪玉で狼を追っ払うという脱力な流れ・・・・・)
  • 妙なハイテク機器(スパイメカみたいなもの?)
  • 明らかにCGなカーアクション(ジャッキーも、還暦過ぎたから肉体を酷使してられないか・・・・・)
  • 「カンフー・ヨガ」と言っていながらヨガほとんど活かされてない~
  • 悪役の薄っぺらさ

「ナイスガイズ」は、なかなか懐かしい感じのする良作だったけど、こちらはこちらで、中高生のころ、深夜にテレビでやっていた、どうでも いい感じの映画を思い起こさせる内容でした。

2010年も終盤になって、世界的なスターになったジャッキー・チェンが、まだこういう作品をつくるなんて・・・・・。

インド市場を狙った結果として、「これくらいのテイストだろう」という結論なのか?
だとすると、うーん、まぁ、そうなんすかねー。

「今時?」と戸惑うことの多い、展開・キャラ設定・演出が目白押しでしたが、まぁ、でも、「これはこれで」という感じで、苦笑いがありつつも気楽に見れる映画には仕上がっておりまして、特に、最後の最後、インド映画へのオマージュで、主要な登場人物が踊り出すのですが(なんと悪役まで)、センターのジャッキー・チェンが楽しそうにしているので、「うん、まぁ、いいか!」と思えてしまうわけで、さすがスターだよ。

他に見所と言いますと、オープニングの戦闘シーンが、光栄のゲーム「三國無双」トリビュートに思えたのですが、まずまず迫力があり。

そして、メインヒロインのディシャ・パタニ(Disha Patani)さん。
お綺麗な上に、「マンガ?」と唖然としてしまうウエストの細さと、お胸のたっぷり感。



すごかったなぁ・・・・・。

そして、その外見のみを活かすだけの脚本が、まぁ、なんともノスタルジーなのだが、「これぞ現代!」と思わせてくれたのが、主人公がジャッキーが中国からインドに行く際に、上司が口にした「一帯一路にも合うしな」という発言。

おいおい、政府に媚びすぎだろ・・・・・。

既に書いておりますが、「何人か死んでない?」という諍いがありつつも、最終的には主人公と悪役は、あっさりと和解してしまうのは、中国人がインド人を叩きのめして終わるというラストは回避したかったというミエミエの商業主義。

さらには、この映画自体が中国政府の「一帯一路」政策の一環、または応援としての側面を有していると考えると、「とりあえず表面上は仲直りしておくか!」というラストも、まぁなんつーか、皮肉というか、示唆的というか。

2017年12月23日土曜日

「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」-大作となると賛否両論なのはいつものことですが、それにしても真っ二つ-



「スター・ウォーズ」新作が公開ということで、わざわざ前作を観賞してから、見てきました。

今年最後の大作「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」


二時間半を超える大ボリューム。
どうなんだろうなぁ、と思っているうちに映画が始まり、例によって、宇宙空間の彼方に飛び去っていく文字。
「このフォント、もうちょっと、今風にしても・・・・・」
などと思っていると、バーンと始まるテーマソング。一気にテンションが上がります。

そこからは、お見事なジェットコースタームービー、まったく退屈なし。

特に、主人公レイと敵役カイロ・レンが、互いが惹かれ合い、自勢力に引き入れようとする綱引きは、なかなか緊迫感あり。
そこからの、「えっ、まさか、ここで!」という、どんでん返しからの、さらなる、どんでん返しの連続。

個人的には、大満足だったのですが・・・・・・、宇多丸師匠、怒ってたねー。
(■ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル_【映画評書き起こし】宇多丸、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を語る!)


まぁ確かに、師匠のご指摘は、まったく、その通りでして、私個人でも気になった点を挙げると、以下の感じ。(ネタバレです)

・スノーク最高指導者が、まんま銀河帝国皇帝のパクリ。どんでん返し用に、あっさりと殺されてしまうので、どういう人物であったのか、どうやってその地位を手に入れたのか、結局不明。(もしかしたら、まだ生きているのか?)
・ファーストオーダーの規模が、よく分からん。銀河帝国の残党なのだろうから、それなりの兵員がいても、まぁ理解できないことはない。だが、そうなると、いったんは銀河帝国を打ち倒したレジスタンスが、なんであんなに寡兵なのか、理解に苦しむ・・・・・。
・ルークの言葉によって、あっさりと覚醒してしまう主人公のレイ。でも、覚醒前と覚醒後に、あんまり差が感じられない。
・ポーの行動が酷すぎ(冒頭の戦闘は、ともかく)。結局、彼の勝手な作戦で、レジスタンスは大いに疲弊することになる。
・↑ではあるが、まぁ、ホルド中将が、極端に秘密主義だったことが遠因ではあるのだが。
・それにしても、ファーストオーダーも、レジスタンスの船が燃料切れになるのを待つという、なんとも 悠長 忍耐強い作戦。敵船の足が速いというなら、TIEファイターでやっつけるとか、なんかないの?
・そして、フィンとローズが、ファーストオーダーに追跡・監視されている船から、まったく安全に脱出してしまうのは、どうなんだ?(まぁ、一応、その後の作戦の伏線とも言えるが)
・敵船の暗号解読をする人間を探しに出かけた先で、駐車違反で捕まるという脱力エピソード。(スターウォーズらしいユーモアの範疇を逸脱しているよなぁ)
・さらに、連行された牢獄で、あっさりと見つけてしまう天才的なハッカーのDJ。いくらなんでも、やり過ぎな偶然。(もしかしたら、敵が仕込んだ罠? と思ったが、やっぱり偶然だったみたい)
・そのハッカーだが、最初、「カネ目当てのヤなやつ」設定で、「実はいいヤツ」と思わせておいて(「ハン・ソロ」パターン)、結局、「カネ目当てのクズ」に成り下がり、でも最後の最後、「やっぱりいいヤツでした」ということで、大番狂わせで助けにくるのかな? と思ったら、「クズでした」で終了。まぁ次回作で、「やっぱりいい人」で復活するかもしれないが。
・レイア姫ではなく、レイア将軍が、宇宙に放り出されても大丈夫ってのは、しかし、謎だったなぁ・・・・。「宇宙からのメッセージ」のオマージュか!?(■深作欣二監督「宇宙からのメッセージ」)
・「スターウォーズ」のお約束ではあるのだが、「巨大兵器登場 → よっしゃ弱点つくでー」という流れは、もうお腹いっぱい、さすがに。
・お約束と言えば、そもそも前作の「エピソード7/フォースの覚醒」が、初代「4」のパクリなわけで、それにしても、「レイが師匠の教えに背いて、カイロ・レンに会いに行き、そこでスノーク最高指導者の前に連行される」というのは、「4」「5」「6」の「ヨーダ」「ルーク・スカイウォーカー」「ダース・ベイダー」「皇帝」の構図が、そのまんまだったなぁ。次のシリーズも製作が決定しているけど、オリジナリティは、どこまで出せるんだろう・・・・・。
・ホルド中将の特攻だが、あれが可能なら、もっと前に無人の兵器化しているよなぁ・・・・。
・最後の最後、ルークのフォース能力解放が、やり過ぎ。なぜルークは星を離れなかった? 一応、海中に投棄されたXウイングという伏線があったのに。・・・・まぁ、弟子に師匠殺しという行為に走らせたくはなかったということなのかもしれないが。(とすれば、「9」で、カイロ・レンは転向する可能性もあり?)

・・・・・等々、「7」のそつのなさに比べて、穴が多いのは事実。
「7」では鮮やかに登場したレイやフィン、カイロ・レンに比べて、今作の新キャラのローズにしろ、DJ(今作で使い捨て?)にしろ、いまいち魅力が不足している。

また、ポーなんかは、今作で、よりキャラに深みが出るのかと思ったら・・・・むしろ、ダメ人間化。

うーむ。

でも、まぁ、全然面白かったです。

主人公レイのキャラの勝利かな? と思います。
アミダラ女王のように、ものすごい美人ではないけど、かわいらしい顔立ち。(ナタリー・ポートマンでは、廃品回収業は似合わんだろう)
男性がやれば、「今時・・・・」となりそうな、清潔感ある真っ直ぐな性格も、(僕が男性ということもあり)女性キャラだと、許せちゃう。
また、自らの生い立ちに関するトラウマも、・・・・・ちょっとひどい言い方だが、男性キャラだと、「おいおい、いつまで引きずっているんだよ」と興醒めだが、女性キャラだと、「うんうん、つらいよね」と、あっさり同情できる。

そして、個人的なことだが、「絶望的な撤退戦」という今作の背骨が、ツボなんだよね。
で、ありながらも、ボチボチ、「スター・ウォーズ」らしいユーモアがあって、「見ているのが辛い・・・・」というほどの惨たらしさはなくて、「物語を盛り上げる為に、ご都合主義に陥っている」という指摘は分かりつつ、大人も子供も楽しめるエンターテイメントとして、バランスはとれていたんじゃないのかな~。(まぁ、しかし、「穴」が多いのは事実だから、何度も見返すと、その「穴」にはまってしまうのかもしれないが・・・・・)

おまけ


ナンバリング作としては、ようやく登場したアジア系の主要人物ローズ。

うん、まぁ、ね。
人の容姿を云々出来る人間ではございませんよ。
それは分かっているけど、なんか、もう少し、ねぇ? と思ったのは、僕だけではないはず・・・・・・。。

しかも、恋敵はレイ。
最後のジェダイで、フォースは使える、腕は立つ、機械の知識もあって、まずまずの美貌と、ほっそりとしたプロポーション・・・・・。

カルシウム不足なカイロ・レンよりも強敵だな・・・・・・。

by カエレバ

2017年12月10日日曜日

神性を帯びる探偵「オリエンタル急行殺人事件(2017)」



まぁ、暇な時間と、映画の始まりが合致して、「これでいいか」くらいの気分で見た「オリエンタル急行殺人事件」。

トランプ大統領が、エルサレムにアメリカ大使館を移すことを決断して、いろんな国が大慌てという現在に、偶然重なる「嘆きの壁」からスタート。

「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」、それぞれの当地の代表者が容疑者という、本当にそんな事件があったら、陰腹でもしなくては、その裁判官は担当出来ないだろうレベルの危険度ですが、「イギリスが悪い!」と、あっさりと裁定を下す主人公のポアロ。

言うまでもなく、第一次世界大戦における三枚舌外交を批判しているわけで、原作未読なんですが、別段、無ければ無くても本筋には弊害のないエピソード。
「社会風刺ぶっこんできたなー」と、ちょっと驚き。

以降、人種問題に触れたりしつつ、「社会派」といった重々しい描写もなく、往時の大英帝国を思い起こさせるオリエンタル急行の豪華な列車内と、現代風に再定義されたクラシカルだけれども洒落た服装に目を奪われるのだが、会話の端々に登場人物たちの背景や関係性、後の伏線などが含まれ、で、起こるよ殺人事件。

前述の通り、原作未読だし、映画の過去作も未見、・・・・・だけれども、名作・古典の宿命でして、なぜかオチは知っているので、「あぁ、なるほどなるほど、この発言は重要ね、覚えておいた方がいいのね」といった感じで、展開に驚きはないのだけれども、まぁ、しっかりとした脚本と絵、演技なので、楽しく見れてはしまう。

それにしても、最後の最後、主人公のポアロが、推理モノのお約束、「犯人はお前だ!」とネタバレのお白州シーン、居並んだ容疑者たちの構図が、明らかに最後の晩餐。

「な、な、なぜ?」と戸惑っていると、ポアロはポアロで、「おれは神と同格」みたいなことを宣言。

( ゚д゚)なに!?

ポアロは、「最後の晩餐」の一部ではなく、彼らの前に陣取っているということは、・・・・・「父なる神」として、キリストすら裁くの? すげーな、おい。

なんだけれども、よくよく思い出してみると、ポアロのことを、登場人物たちが、「ヘラクレス」って、呼ぶんだよね。
「なんで?」と思ったら、
ポアロのファーストネーム“Hercules”がギリシア神話の英雄ヘラクレスに由来する
という背景もあるようで。

また映画冒頭、「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」の三人の代表者を裁くなんて、「神」でもなければ、出来ないお仕事。

そして、最後の最後。

ネタバレだが、「いいよいいよ、おれは、お前たちの罪を問わない」と実行犯たちに、恩赦を与えて去っていくポアロ。

最早、法律など超越した存在となってしまったのかと、唖然と言うか、笑えると言うか。


確かに、ポアロは、警察でも検察でも裁判官でもないからね。
探偵という、あくまでも、一民間人に過ぎないわけで、そんな人間が、なんだか良く分からない理由と権限で(殺人事件が発生した当初、「オレ、やらないよ」ってポアロが、言っているのは、まぁ当然だよね。別に「金」にはならないし、そもそも捜査って「公的な機関」が行うべきものだし。だから、ポアロを説得する理屈が、人種問題を持ち出してきて、なんだか妙だったなぁ)、取り調べを始めるわけで、その整合性を突き詰めていくと、「ポアロ」=「神」なのかもしれないが、・・・・・・推理ドラマに、「そんな仰々しい論理性を与えんでも」と思わないでも。

まぁ、そんなところは気にしなくても、十分、娯楽作として楽しめる映画でした。

by カエレバ

2017年12月9日土曜日

実写版「鋼の錬金術師」 - Q.「なぜ漫画は実写化されるのですか?」 A. 「そこに作品があるからさ」 -



「なぜ山に登るのですか?」と問われた、ある登山家は、「そこに山があるからさ」と答えた。

「なぜ漫画は実写化されるのですか?」
「そこに作品があるからさ」

ということで、実写映画かされてしまった「鋼の錬金術師」。

予告編が出た段階で、ネットでは阿鼻叫喚でしたが、・・・・・個人的には、「うん、まぁ、こんなもんじゃない?」くらいでした。

「ジャニーズが主役なんて!」
→「仕方ないじゃん、華のある人を連れてこないと、お金も集まらないのだから」

「この程度の特殊撮影・・・・・」
→「そりゃ、まぁアメさんと比べるのは、酷だよ」

「なんで、日本人!? 世界観と合わない!!」
→「仕方ないじゃん、邦画なんだから。それに、日本人がつくった漫画原作を、白人さんが演じるのも、ケツアゴシャアみたいな例もあるぞ? それはそれで違和感バリバリだったりするじゃん」

作品が世に出る前から批評するのも、ねぇ?
特にネットでダイレクトに意見が届いてしまう現代において、批判が先行するのは、クリエーターのモチベーションを低下させてしまう弊害だなぁ・・・・・。

とりあえず、見てから、賛否はしないとね!


・・・・・・・冒頭の、子供の金髪ズラからして、「あぁ、なんかヤンキーのガキみたい・・・・・」というモヤモヤ。

でもまぁ、予告編にもあった、成長したアルによるバトルが始まる。
そりゃ、まぁ、ハリウッドと比べたら、どうしたって粗はあるけど、「錬金術」をモチーフにした戦いの実写化としては、なかなか見応えアリ。

・・・・・・なんだけれども、バトルとしては、この冒頭が最高潮。

以降、ほとんど錬金術を駆使した戦いというものはなく、それでは何をやっているのかというと、失った弟の肉体を取り戻すことが出来るという賢者の石を探すことになるのだが、まぁ、基本「おつかい」。
誰かがヒントなり情報をくれるので、それに従って、目的地へ、という流れで、台詞がいちいち説明臭いし、「笑ってるよ」「怒っているよ」「悲しんでいるよ」と明け透けな演技の連続。(前日に見た映画が、「サーミの血」という鈍器タイプの映画だったので、いっそう今作の「軽さ」が目に余ったよ・・・・・・)
時折、ヒューズの夫婦仲とか、アルとウィンリィの痴話喧嘩なんかが差し込まれるのだが、・・・・・これが、また見ていて恥ずかしくなってしまうようなシーンに仕上がっていて。

なんだか、バカにされてる? とも思ったりもしたが、まぁ、この映画のメインのターゲット層って、10代の少年少女なのかな?
だから仕方ないか・・・・・・と諦める反面、それはそれで、「日本の少年少女の読解力を甘く見てない?」とも思う。

漫画「鋼の錬金術師」の連載が終わったのが、2010年。
もう10年近く前で、作品としては、今読んでも十分に面白いけど、現在の少年少女にしてみると、やっぱり昔の作品となるだろうし、実際、公開二日目土曜日の10時半からの映画館には、そこらへんの年齢層はいなかったなぁ・・・・・。

せいぜい大学生くらいだが、・・・・・・その年令に対して、この脚本・演技は、うーむ、満足できないんじゃないかな?


いろいろと制約があるのは理解できるのだが、それならそれで、「脚本」でカバーできなかったの? などと思ってはしまう。しかし、
  • 二時間以内
  • 原作改変を最小限
  • ハガレンの人気キャラを、可能な限り登場させる
てな条件だと、まぁ、こんなところに落ち着いてしまうのかなぁ・・・・・。


とにもかくにも、「鋼の錬金術師」の世界を三次元で再現するには、やっぱり「金」が足りないんだろうなぁと推察。
その穴埋めとして、説明臭い台詞の多用にもつながるわけで、結果、どんどん映画が安っぽくなってしまうという負の連鎖。

「そのうち見慣れるだろう」と思っていた、明らかにズラなアルの金髪も、最後まで慣れなかった。

せめて、髪の毛をCG処理していたら、少しは映画に没入できたのかなぁ?
いや、「髪の毛だけ」ではなく、全編CGで、CGアニメだったら、良かったのかな?
もうそこまで来たら、「CG」取ってしまって、アニメでつくってしまえば、きっと面白い作品になったに違いない!

・・・・・・・・・・・・。

曽利文彦監督の実写版「ピンポン」は、原作を二時間にきれいに収めていて、世界観も忠実、「漫画原作の実写映画の成功例」として、未だに引き合いに出されるくらいだけど、どうにもこうにも、今回の「鋼の錬金術師」は真逆の評価になりそう、というか、もうなっているか。ネット上は、ディスり大喜利状態だもんなぁ。

2017年12月6日水曜日

「サーミの血」




前日の深酒で、なんだか一日中、眠たい感じだったものの、地元の映画館で、「サーミの血」の公開最終日。

北欧の少数民族「サーミ族」の迫害を扱った映画。

どうしようかな~、この手の作品は、眠たくなりがちだからな~、などと億劫がっていたけど、結局、午後八時前のレイトショーに行ってきました。

危惧していた通り、やはり、当初は眠気との戦い。
すごく分かり易い「派手」なシーンはなかったのだけれども、1930年代の少数民族が置かれていた時代を象徴するような、プライバシーも人権尊重もない身体検査あたりから、すっかり目が覚めて、以降は、主人公エレ・マリャの選択に、目が離せないやら直視出来ないやら。

予告編からも分かるように、マジョリティによるマイノリティへの迫害がメインのモチーフなのだけれども、悲惨な境遇に置かれている主人公は、そこから脱出しようと、抗い、もがく。
その行為は、自らの基盤であるべきサーミ族への批判・否定となってあらわれ、時には己の出生を偽ることとなる。
当然、マイノリティのサーミ族からしたら、主人公はマジョリティに媚びを売る裏切り者。
でも、そのマジョリティであるスウェーデン人が、主人公を受け入れてくれるのかと言えば、そんなことはないわけで。

その二重に孤独の中で、彼女の行動は、思春期の所謂「厨二病」的なソリッドな理想と過激さを帯びて、見ている者(中年のおっさん)からすると、非常に痛々しい。

端的に言うと、そりゃ、悲しい環境ではあるけど、だからと言って、かつての仲間やら家族への、そういう態度はどうなんだろう? と感じさせる行動に結実するわけで、単純に主人公に共感できるわけではない、人によっては苛立ちをも覚えるかもしれない。

「少数者故に、未来が見通せない物語」という点では、「ドリーム」と通底するものがあるけど、あちらさんは、なんだかんだで安心して見れる娯楽作に落とし込んでいるのに比べて、「サーミの血」の主人公は、一応、それなりの地位に就けて、子供や孫にも恵まれて、はたから見ればまずまずな人生だったようには見えるけど、家族の大事なモノと引き換えに、その立場を手に入れておきながら、後にまったく妹や母に恩返しをした気配はなく、おそらくは音信不通・家族の縁を切っていたようで、「そりゃねーだろ」という生き様も垣間見えて、それでいて、そういう人間になるしかなかった彼女の人生が、二時間という短時間に、ちゃんと凝縮されており、やはり胸を打たれると言うか、胸をわしづかみされると言うか。

面倒臭がらずに行って、良かった映画でした。

「ドリーム」 -ケチのつけようがないね・・・-


by カエレバ

2017年12月3日日曜日

是枝裕和監督「三度目の殺人」



是枝監督の作品だから、つまらんわけないだろうと思っていたけど、それにしても、面白かった「三度目の殺人」。

多分、自分だけではないと思うのですが、弁護士という仕事に対して、時に胡散臭さを覚えるのは、事実を捻じ曲げてでも、犯罪者の弁論しているのではないだろうか? という疑念。

たとえば、「置き引き」とか「万引き」といった軽量の犯罪で(軽量と言っても、自分が被害に遭ったら、腹立たしいだろうが)、検察側の立証に穴があり、弁護士として、そこを突いて無罪を勝ち取るくらいなら、「立証できねぇ検察が悪い」とか、「疑わしきは罰せずが日本の司法だからねー」などと、うそぶいていられるだろうけど、これが、「強盗殺人」とか「強姦殺人」なんてドッシリとした犯罪だと、どうなんだろうねぇ。

経歴にしても、当該の犯罪にしても、「こりゃ、救いようがねーなー」なんてタイプの人間であっても、まぁ、「穴」があれば、それをこじ開けて、どうにかこうにか無罪を勝ち取る・・・・・のは無理でも、情状酌量でも何でも使って減刑を勝ち取るのが、そりゃ、まぁ「それが仕事」と言ってしまえば、それまでなのだが、しかし、弁護士さんというのは、そういうジレンマって、どう考えているんだろうなぁ、などと、世間を騒がした事件の裁判が始まると、頭に浮かぶことが度々ですが、この「三度目の殺人」は、そのモヤモヤを見事に物語へ昇華していて、さすがだなぁ。

徐々に明らかになっていく謎の配置も絶妙でねー。

けっこう、最初の方で、犯人とキーパーソンの人物が親しかったという「意外な事実」が明かされていながらも、それを、福山雅治さんが演じる主人公が、なかなか問いたださない。
それは、ちょっと不自然ではあったけど、そのタメがあっての、「告白」の衝撃につながるわけで、ここらへんは、物語の方便ということで。


それにしても、モチーフの目のつけどころ、脚本の巧みさ、それを支える、演者たちの芸達者ぶり。

役所広司さんなんて、「日本のいちばん長い日」では、天皇の信任厚い陸軍大臣を熱演していたのに、この作品では、一見すると、こ汚い初老の男性のようで、話し始めると得体の知れない不気味さにじみだしており、前科持ちだとうなずけてしまう存在感。

もう一人の主役・福山雅治さんは、「そして父になる」と同じく、斜に構えたエリートが、やっぱり、よく似合っている。

そして、意外だったのは、広瀬すずさん。
実写版「ちはやふる」にて、「自分の美貌に無頓着な、ポジティブ小悪魔」という漫画でしか成立しないキャラを、その美貌で以て、ちゃんと三次元に降臨させる圧倒的な「美」「陽」のスター性を発揮していましたが、今作では、非常に「陰鬱」な、スクールカースト底辺なクラスの片隅で押し黙っているようなキャラに、ちゃんとなりきっていて、朝ドラの主役抜擢も決定しており、スキャンダルさせなければ、まだまだ行けるで~という感じでした。




by カエレバ

2017年12月2日土曜日

「ジャスティスリーグ」 -まぁ、こんな感じ-



別に思い入れはないのですが、もうアベンジャーズを追いかけるのは大変なので、とりあえず、DCコミックスは追いかけておくか程度の気持ちで、「ジャスティスリーグ」を見てきました。

うーん、まぁ、別につまらんわけでもないが、とりたてて、「これだ!」と心を揺さぶられることもなく、正直、「まぁこんなもんか」という感じ。

アベンジャーズについては、なんとなーく世相を反映しているところもあるけど、「ジャスティスリーグ」には、別段、そういうものはなく。

「娯楽作品なので、そういう頭でっかちなのは、要らないです。御免こうむる」という人もいるとは思うので、それはそれでいいんだろうけど、「マン・オブ・スティール」のころから、なんとなーく、「スーパーマン = キリスト」 というイメージを投影しているところもあって、今作にしても、オープニングのテーマソングでは「天罰」とか、「マザーボックスの三位一体」とか、いかにも、「キリスト教」を思い起こさせるモノだけれども、さて、ネタバレです。

そもそも、前作で死んだスーパーマンが、今作で復活しているのは、まぁ、どうしたってキリスト教的。(それにしても、「スーパーマンを復活させよう!」という流れは、急だった・・・・・)

なんだけれども、「宗教臭いの?」と問われると、そんなことはなく。

ザック・スナイダー監督が降板して、「アベンジャーズ」シリーズのジョス・ウェドン監督になって、より、「娯楽色」が前面に押し出されることになった結果なのかね~。

まぁ、分からんですが。

登場人物も多いので、どうしても、エピソードの一つ一つは細切れ。
しかも、アベンジャーズシリーズのように、「もう、個々の登場人物の背景とか、みんな知っているでしょ?」という前提もないわけで、「大丈夫か?」と思いつつ、まぁ、どうにかこうにか、二時間内で、登場人物たちの背景やら関係やら収めてしまっているのは、大したものです。


が、その代わりなのか、敵ボスは、・・・・・・とりあえず、「強いです!」という意外には、あんまり記憶に残らなかった・・・・・。

ここらへんの、うす~さは、娯楽作としては正解なんだろうけど、今一歩、「うん、これだ!」という深みを感じないところ。(アメリカでは、「批評家低・一般高」という感じの模様。一応、「お祭り感」は、あるからか?)

まぁ、別につまらんわけではないのですが。

特に、フラッシュの能力は、単純に「強い」ではないから、今後いろいろと趣向を凝らした、漫画の「ジョジョ」的な戦い方を見せてくれるのかな?


by カエレバ

2017年11月19日日曜日

ダニエル・ラドクリフが死体役「スイス・アーミー・マン」



ルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミルが、どうしても「スター・ウォーズの」という枕詞から逃れられないように、ダニエル・ラドクリフにしても、「ハリー・ポッターの」となってしまうわけで。

女性キャラは存外、色がつかないものですが、男性キャラは、どうにもこうにもイメージが固定されがち。

それを意識しているのか、それとも、もう、こういう役しか回ってこないのか、ダニエル・ラドクリフが死体役の映画「スイス・アーミー・マン」を見てきました。

スイス・アーミーというのは、あの十徳ナイフのこと。つまりは、「十徳ナイフの男」でして、「スイス・アーミー・マン」とは「便利な人」という意味で、いいのかな?


梗概


無人島に流れ着いた主人公が、絶望のあまり、自殺を試みると、浜辺には人間が横たわっている。大喜びで近寄ってみるが、既に事切れている。再び自殺を企図する主人公であったが、死体の中に溜まったガスが、オナラとして吹き出てきて、気になって死ねない。オナラは収まるどころか、ますます力強く発せられ、その威力で外海に向かおうとする。無人島に取り残されてしまうと焦った主人公は、死体にしがみつくのであった・・・・・。

で、まぁ、youtubeの予告編にあるように、水上バイク化したダニエル・ラドクリフに乗って、主人公が海上を疾走するシーンにつながるわけです。


ネタバレ


「死体を使っての奇想天外な無人島からの脱出」という、番宣文句を鵜呑みにしていたので、開始早々の無人島脱出成功に、けっこう面食らいました。

主人公と遺体が辿り着いた浜辺は、携帯の電波は届かないものの、現代人が捨てたゴミが散乱しており、前人未到の処女地というわけではない模様。

近くに人間が住んでいる気配は見当たらず。窮地であることには変わりないが、徐々に死体の不思議な力の使い方を学び、人間の生息地域への脱出を図るわけですが・・・・・、その過程で、主人公のヘタレっぷりが明らかに。

「はは~ん、なるほど。好きな人に好きとは言えない主人公が、死体との交友(?)を経て、最終的には、女性に告白するパターンね、なるほどなるほど」と予測。

死体ってのは、主人公の記憶やら思考を、なんとなく共有している。
なので、

「死体とコミュニケーションをとれているようで、実は、主人公の妄想というオチか? それとも、無人島から脱出する際に気絶しているから、ぜーんぶ夢でしたか?」と予測。(そうじゃないと、死体の不思議なパワーに説明がつかなし!)

だから、主人公の憧れの人の写真を見て、死体は、勃起レーダーを発動する。
その指し示す方向が、「人間の生息地域」であり、「想い人」の居る場所。

つまりは「性欲(愛)」が「生きる手段」となっており、ラドクリフの死体というのは、主人公の現状のメタファー。
好きに人がいても、なにもすることが出来ない = 「死んでいる」「生気が失せている」ということ。

なので、上記のようなラストが導き出されるわけですよ。


・・・・・・映画を見た人なら分かっているでしょうが、これが大外れ。

恋愛について勉強する主人公と死体。その過程で、二人は徐々に親密になっていくという、「えっ?」な展開。

まぁ、ラブコメ漫画で王道の、「異性の友人に恋愛アドバイスしているうちに、互いを意識するようになって・・・・」てなヤツです。

しかし、それを、同性でやるだけではなく、生者と死者でやってしまうなんて。


そんなこんなを差し挟みつつ、人間の生息域に、どんどん近づいていく二人。

「あぁ、きっと、これで魔法(妄想)が解けて、死体は力を失うんだろうなぁ」と思ったら、むしろ元気に歩き回る始末。

「でも、生きている人間(第三者)に出会ったら、彼らには死体の不思議な力は発揮されず、今度こそ、主人公の妄想であったことが白日の下にさらされるのだろうなぁ」と思ったら、最終的には、衆人の眼前にて、オナラパワー爆発、外海に去っていく死体であった・・・・・。

うーん、なんじゃこりゃ!?
結局、死体の不思議な力は、どうして発現したの?


てな感じで、一般常識をもってしては、容易に解読できない映画でしたよ。

「想い人」への告白というのも、途中、彼女が婚約者であることが発覚、しかも、旦那も子供もいて、十分に満たされているわけで、彼ら(主人公と死体)の入り込む隙間など、一ミリだってない状態なので、とてもムーリー。

だから、主人公が最後にすがるのは、死体。
「死体愛好家」となってしまい、一般社会で十分に満たされている「想い人」からは、ドン引かれて、二人(主人公と死体)の愛の巣も当然、気味悪がられるのだが、そんなの関係なし。


リメーク(リスタート? リボーン?)の「ゴースト・バスターズ」とか、「エル ELLE」とか、「もう男なんか面倒くさい、女同士で、楽しくやろうよ!」という、性欲から解き放たれているのか、はたまた逆で、性欲処理も同性で済ませちゃえ、というオチの映画が多くなった気がするけど、「スイス・アーミー・マン」は、ある意味、その男版なのか?

女性主人公の行動が尽く真逆「エル ELLE」
新作「ゴーストバスターズ」を見てきた

ただ、まぁ、前述の通り、生者と死者だからね・・・・・。


主人公が無人島での境遇に絶望して、自殺を図るところから始まる映画なんだけど、これって、主人公の孤独を象徴しているもので、それを救ってくれるのが、死体
つまりは、自殺の代価手段。

死体のオナラパワーは、通常の一般社会(生の社会)では忌避さるものであり、だから封印されるのだが、「無人島からの脱出」「川への墜落」「熊の襲撃」など、主人公の窮地を救ってくれるのは、絶えず、死体のオナラ。

この物語においては、主人公の救済は、インスタ(!)に家族写真をアップしているようなリア充女性ではなく、十徳ナイフ的な超便利な死体

なんつかーか、もう絶望状態だな。

「ブレードランナー2049」においては、主人公の「K」の恋人は、「人工知能つき3D初音ミク」という感じで、「ライムスター宇多丸 ウィークエンドシャッフル」内で、映画評論家の町山智浩さんは、「現代的」と評していたけど、僕からすると、「いかにも現代的」と揶揄したくなるような設定だったが、・・・・・・「スイス・アーミー・マン」は、もう、行き着くところまで行っちゃっている感じで、これはこれで、もう、「ごめんなさい」と謝りたいレベル。

まぁ、唯一の希望(?)なのかどうかよく分からんが、不思議だったのは、ラストに、死体は「奇跡」を、一般人たちに披露して去っていくこと。

再度の水上バイク化というオチも出来ただろうに、主人公を連れてはいかなかったのは、やはり最終的には、生者と死者は交わるべきではなく、せいぜい、「一般人たちに最後っ屁をかましてやるから、おまえ(主人公)は頑張れよ!」という、ことなのかねー。

よく分からんけど。

とてもではないが一回見て理解できる映画ではなかったけど、何回も見たいとは、思わなんなぁ。(つまらない映画ではなかったけど)

2017年11月18日土曜日

ちょっとパワーダウンか? 「HiGH & LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION」



LDH層だけではなく、作品の妙なテンションの高さにほだされて、一部の好事家にも アイロニカル 熱狂的に受け入れられた「HiGH & LOW 」ですが、ついに、劇場版も最終作。

冒頭から、主人公コブラが敵である九龍グループに捕まっているという、なかなか目を引くシーン。

このような状況に陥った経緯を時間を遡って説明されるのですが、コブラが率いる山王連合会の分裂やら、他のSWORDチームの壊滅などが語られ、非常に分かり易いピンチ。

「ここから、どう立て直す?」と期待していたら、どこで情報を仕入れたのか、コブラは、琥珀さんがあっさりと救出。
そして、微動だにせず、「死んでるの?」くらいに痛めつけられたSWORDチームのメンバーたちも、「おれたちは、何度だって、立ち上がる!」という、まぁ、お約束の精神論で、あっさり復活。
分裂した山王連合会の連中にしても、「子供が親のことを気にするな」「今だけを基準にするな」という、父親からの熱いメッセージで、あっさり復帰。

まぁ、これが、「HiGH & LOW」の味だからね・・・・・。
そもそも「HiGH & LOW」の華は、アクション。

なんだけれども、・・・・・・うーん、前作は冒頭からのパルクール、カーチェイス、ラストの大人数での大立ち回りなど、いろいろな趣向で飽きのこないレパートリーでしたが、今作は、それほどでもなかったなぁ。

前作の感想。
映画「HiGH&LOW the movie & the movie 2 - END OF SKY -」

それならそれで、ストーリーが凝っているなら見応えもあるのだけれども、既に述べたように、まぁ、いつも通りの、揚げ足取り放題。

これまでは、所詮、ガキの不良同士の喧嘩。
第三部で、ついに大ボスであるヤクザ登場。
9つのグループから構成されており、それで「九龍」とされている。
メンバーは、それぞれ得意不得意が、ある模様。

「えっ、こいつら全員倒すの? 2時間で?」と心配していたら、全くの杞憂。
「あっ、そうなの、それでいいんだ」という手打ちのラスト。

「最終作だったら、敵も味方も殺しまくればいいのに」という不満と、「あれ、前作のマイティーウォーリアーズは、どこで出て来るの?」という疑問は、最後の最後、「これで完結ではございません」という「ばんざーい・・・なしよ」宣言で、「あぁ、ちょっと予想していたけど」と脱力をともなって解消&解明。

「FINAL MISSION」という副題だが、よくよく考えると、前作だって「END OF SKY」なのだから、まぁ、そんなもんよね。


そんな感じで、ちょっとパワーダウンでした・・・・・。

長期連載の漫画と同じで、構図の使い回しで、そりゃ、シリーズを継続することは可能だろうけど、いくらLDHの固定ファンがいるにしても、ちょっと厳しいだろうなぁ。


おまけ


ヤンキー文化って、「地縁」がキーワードなんだなぁということを、改めて思い知らされる映画だったなぁ。

「地元(ローカル)重視」からの、「仲間」意識の尊重が「絆」という言葉になるわけで、だから、自然と年功序列で、上下関係というものが維持されがち。

故に、「上意下達」なわけだが、それは、「おれのことを信じろ」という素朴なリーダーの無謬神話につながっていくわけで、だから琥珀さんは、みんなに愛されるのね。


by カエレバ

2017年11月16日木曜日

「ドリーム」 -ケチのつけようがないね・・・-



宇宙開発の映画と言えば、「王立宇宙軍」を思い出します。

ポンコツ連中が、紆余曲折を経て、最終的には世界初めての有人宇宙飛行を成功させるというアニメでして、ガイナックスに集まった俊英たちがつくりあげた作品。
「ロッキー」が、スタローンの人生と二重写しなのように、まだ何者でもなったスタッフたちの情熱が反映されたアツいストーリーでした。

で、黒人差別が、「当たり前」であった時代のNASAにおいて、重要な役割を担った黒人女性を描く「ドリーム」。

「王立宇宙軍」においては、登場人物たちの成長やら気づきが物語の進行において重要な要素でしたが、こちらは、「周囲」の変化が描かれています。

映画内においては、バスの座席、図書館の本、水飲み場、トイレ、通える学校・・・・・、「これでもか!」とばかりに、当時の黒人差別の状況が描かれており、さらには、メインの登場人物たちは、「女性」。
言うまでもなく、二重に差別された存在。

なんだけれども、登場する三人の女性たちは、そんな状況下でも、悲壮感たっぷりに生きているわけではなく、「いろいろある」ものの、とりあえずは仲良く、軽口を叩き合い、時には性的なジョークをも口にしているあたりが、まぁちょっと現代的過ぎるような気もしつつ、でも、生活に根ざしたタフさを見せてくれます。

変に教条的・原理主義的にはならず、だからこそ差別というものの非合理性が浮き彫りになるわけで、ここらへんの塩梅は、ホントっ、上手よね。

エンターテイメントとしての出来栄えと、メッセージ性の高さが、見事に両立しており、「ドリーム」という邦題には賛否両論あるようだけど、まぁ、まだまだ夢も希望もある若い人なんかに見て欲しいという意見が多いのもうなづける作品でした。

by カエレバ

2017年11月10日金曜日

女性主人公の行動が尽く真逆「エル ELLE」



「強姦された女性が、弱々しい被害者となるのではなく、毅然と振る舞う映画」という梗概はなんとなく知っていたポール・バーホーベン監督「エル ELLE」。

ようやく近所の映画館でも公開されたので、見てきました。

・・・・・・・感想ですが、もう、なにがなんだかという感じだった。

とにかく、女主人公が、まったく「常識」的な行動をチョイスしない。
冒頭は、いきなり強姦シーンから始まるのだが、犯人が逃げてからも泣くわけでもなく、一応、風呂には入るけど、その後、冷静にデリバリーのお寿司を注文して、息子を出迎える。
「動転」や「動揺」といったものとは無縁、自分の被害よりも、息子の結婚を案ずるという余裕。

以降も、「これで、喰らえ!」とばかりに、まったく予測不可能な行動を続けるわけで、こんなことをしたら、普通なら「ご都合主義過ぎる」とか、「破綻している」と感じるのだけれども、女優さんの演技力のおかげで、不思議と「おかしい」とは思えないわけで。

そして、周囲の人間も、おしなべて「どうかしている」。
で、「どうかしている」登場人物たちの紹介になるわけなんですが、この映画は、主人公との関係性が、徐々に明かされていくところが「面白味」なので、イコール、ネタバレとなってしまうので、未見の方は、お気をつけ下さい。
  • 息子 デキ婚しちゃった上に、自活できないバカ息子。
  • 別れた旦那 売れない作家。若い女の子を引っかけて、ウハウハ。
  • 腹心の部下 仕事上だけではなく、息子の乳母であり、公私共に、信頼を置いている。ちょっとだけ性的にもつながっている模様。
  • 腹心の部下の旦那 主人公とは不倫関係。性欲絶倫で、主人公の意思とは無関係にエッチをしたがる。
  • 会社の部下 一見、主人公に従順なようで、実は、性的に見ている。
  • 母 何才くらいの設定なのかな? 女主人公を演じるイザベル・ユペールさんは、現在、64才。その母親だから、そうすると、80才くらいの設定? 幼少期の悲劇が39年前となっているから、物語上、主人公は50才くらいか? すると、母親は70才? いずれにしろ、けっこうなお年のはずなのに、若い男を囲っている。それでいて、刑務所の旦那には同情的。
  • 父 数十年前に、虐殺事件を起こして、終身刑で刑務所に。
  • ご近所に住む奥さん 経験なカトリック教徒。ちょっと、行き過ぎ? でも、悪い人ではない。
  • ご近所に住む旦那さん 銀行員。一見すると、この中では、もっとも「普通の人」「常識人」。でも、一番、「悪い人」。
てな感じで、「どうかしている」人ばっかり。なので、女主人公の行動も、「うん、まぁ、そうか」と、納得できてしまう世界観。

で、映画では、途中でレイプ犯判明。以降は、「復讐か?」と思ったら、さにあらず。

むしろ、彼に近づいていく主人公・・・・・なんじゃそりゃ? マゾなの? レイプ願望? 色情狂? ストックホルム症候群? と思えども、まぁ、それとも違うわけで、とにかく、「通り一遍の解釈」なるものは、徹底的に通用しないんだよね。


なかなか訳が分からん映画なのだけど、とりあえず、
  • 熱心なクリスチャンであった父親
  • 同じく熱心なクリスチャンである隣人の奥様
という、この二つの軸が、物語を読み解くヒントなのか?

ばんばんネタバレなのですが、主人公の幼少期、父親は、自らの宗教行為が否定されたことに激怒して、大量虐殺に走る。
そして、その父親に、図らずしも(?)、共犯(従犯)関係になってしまった主人公。

で、現在。
大人になった当人は自らを「被害者」と主張するが、他人からは「加害者」と見なされている(場合が多い)。
いずれにしろ、どんなに母親から勧められようとも、刑務所の父に会いに行くことは拒否している。
ちょっと強引な言い回しだけど、「神」やら「信仰」とは、距離を置いている。

そんな彼女が、現在気にかけている存在が、隣人の旦那さん。
奥様は熱心なキリスト教徒で、家の庭には、降誕祭の人形を置いている。
その作業を手伝っている旦那を盗み見て、自慰行為にふける主人公。

他所様の旦那様に欲情する&宗教行為を汚すという、明らかな「冒涜」。

この旦那様が、実はレイプ犯であることが判明するわけだが、つまりは、彼との奇妙な逢瀬(?) or 接触の継続は、強姦という観点からすると主人公は被害者なのだが、隣人の奥様を裏切っているという点では加害者でもあるわけで、「父と主人公」と「隣人旦那と主人公」の構図には類似性があるわけで、・・・・・・まぁ、なかなか映画を一回見ただけでは、安易に解釈し難いものがあるけれども、犯人が判明後も、主人公は彼を警察に突き出す訳でもなく、まるで何事もなかったかのように関係が継続するのは、「父への贖罪の代理」なのか? いや、むしろ、真逆で、「父(神・信仰)への復讐」とするべき?


物語に登場する男たちは、多かれ少なかれ、主人公を従属させようとする。

ゲーム会社に勤める主人公は、(男性的)化物が女を犯すようなシーンをつくっているわけで、あまつさえ犯されている女にエクスタシーを強要するという、「男性社会の論理」に染まってしまっているようで、警察に通報することなくレイプ犯を自らの手で探そうとする当たりは、自立した女性・・・・・・なんて生ぬるい言葉では収まらないような強靭さ。
そんな彼女を母親は「恐ろしい娘」と評し、父親は彼女との再会を拒否&逃避(恐怖?)で自死する。

この物語内の「神」「信仰」は、既存の道徳・価値観であり、それは男性優位の社会を陰に陽に支える存在・・・・・ということなのかな?

「レイプ」という行為は、男性が女性を強制的に従属させる象徴的な行為。
主人公は、犯人判明後も、レイプ犯に随伴するかのように振る舞うことで、彼(彼ら)に従属しているようで、一方で、「神」「信仰」といったものへの反抗でもあるという、歪なねじれ。

実父の死を経由して(反省した?)、主人公は、レイプ犯との関係解消を図るが、うまくいかず。
またしても、彼に犯されそうになるところを、彼女が産んだ息子によって救われるというのも、まぁ、示唆的ではあるわけで。

そして、公私共に大事なパートナーである親友は、自らの旦那を寝取られていたにもかかわらず、その旦那を捨てて、泥棒猫である主人公と同棲というオチ。(いいのか、それで!?)
これまた男性社会への決別とも取れるんだけど、・・・・・牽強付会?

答え合わせとして、原作の小説を読むのも一つの手ではあるけど、それはあくまでも、「原作は、こうなってました」というだけで、それが正解ではないわけで。

なかなか見応えの映画だったので、ほとぼりが覚めた当たりに、動画配信で、ゆっくりと鑑賞したら、また違った風に見えるかも。

エル ELLE (ハヤカワ文庫NV)
by カエレバ

2017年11月3日金曜日

「貧乏くさい」と見るか、「身の丈に合った」と見るか、映画「散歩する侵略者」



期待の不安の入り混じっていた「ブレードランナー 20149」が、どうにも納得が出来ず、翌日に見たのが、「散歩する侵略者」。

世界の中心で「責任者出てこい」と叫びたくなった「ブレードランナー 2049」

タイトルの微妙な脱力感が、そのまま作品のテイストで、地球に襲来した宇宙人なんだけれども、最初は完全「無垢」。
人間に取り憑いて、徐々に「知能」と「智識」を得ていくという、大変、まどろっこしい侵略方法なので、けっこう間抜けです。

ハリウッドSF大作のように、フィルムの一コマ一コマにドル札紙幣が埋め込んであるようなことは出来ないのが邦画でして、でも、まぁ、「アイデア」と適材適所の配役で、「ちゃんとSFになるなぁ~」と感心する作品でした。(「ブレードランナー 20149」に、どうにも入り込めなかった反動もあるのですが・・・・・)

冒頭に、グロいシーンがある他には、基本的には特撮やCGはなし(自分が気づいていないだけで、それなりにあるのかもしれませんが)。

最後の最後で、ちょっとだけ派手はシーンがありますが・・・・・・、正直なところ、「いかにもCG」。
あれだけの爆撃なのに、ほとんど周りに変化ないというのも、なんとも。
(それにしても、最後の最後になって、なんで小泉今日子さんを出すかな? いや、別に、小泉さんが嫌いなわけではないのだが、端役を与えるにしては、あまりに目立ち過ぎ。ハイアンドローの映画第一弾でも、ラストで出てきたし、なにか験担ぎのようなものがあるんですかね?)

ハリウッド大作に、否応なく見慣れてしまっている現代人の中には、「貧乏くさいなぁー」と感じるかもしれないけど、まぁ、「限られた予算でも、ちゃんとSFをつくれるよー」という製作者の達観した姿勢は、「あり」だと思います。(もちろん、そういう作品ばかりだと、それはそれで辟易してしまうのだろうけど)

以下、ちょっとネタバレ。

癇が強い妻を長澤まさみさん、記憶喪失で表情の乏しい旦那を松田龍平さんが演じていて、当初は、妻が未だに旦那に未練があるという状況が、ラストには、ちょうど反転する構図は綺麗だけど、ただ、まぁ、「愛こそはすべて」

イギリスの「宇宙戦争」では「ウイルス(微生物)」が宇宙人を撃退するわけだが、日本の「散歩する侵略者」では「愛」。

愛なのだよ。

サウザーの号泣が、頭を過ぎります。
世紀末救世主伝説だって、最後は「愛」ということで、ここらへんの落とし所は、まぁ日本人ぽいと言われれば、日本人ぽいですなぁ~。

by カエレバ

2017年11月2日木曜日

シャーリーズ・セロンによる金蹴りが光る「アトミックブロンド」



アクション系から演技派に転向するという例は間々ありますが、演技派からアクション系に移るというのは、なかなか珍しいのではないかと思いますが、すっかり肉体を酷使してばかりのようなシャーリーズ・セロン。

その彼女が主演の「アトミックブロンド」。
女版007とも言われてましたが、見た感想としては、「これだ!」。

ダニエル・クレイグ版の「007」は、特にデビュー作「カジノ・ロワイヤル」は、荒唐無稽さを排し、納得のいく新しいジェームズ・ボンドでしたが、作品も続くと、なんか、ちょっと派手さを重視する面が出てきて、結局、銃でドンパチして、敵はなぎ倒すのにボンドには決して当たらないという、まぁ、うーん、ご都合だね・・・・・。

けっこう期待していた「007 スペクター」の感想

スパイアクションでは、トム・クルーズのミッション・インポッシブルがありますが、正直、冗談みたいな展開の連続。
これはこれで、お気楽に楽しめる娯楽作としては合格なのでしょうが・・・・・。


相変わらず不死身のイーサン・ハント「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」

戦う女では今年は「ワンダーウーマン」がありましたが、どうにも「いい子ちゃん」過ぎてね。
「知識でしか知らない人間のために、楽園を出て戦う」というのは、そりゃ、アメリカンヒーローとしては合格なのでしょうが、一般人としては、どうにも理解できないわけで(良くも悪くも、アメリカの好戦的体質のあらわれだよね)。


そんなこんな、いろいろとあった不満を、ものの見事に解決してくれた、「アトミックブロンド」。

彼女に戦う理由などない。
それが彼女の仕事だから。(単に劇中で説明がないだけだが)

女ではあるが、「女」を武器にすることはない。
色気や愛想などはなく、基本、己の機転と肉体で戦う。

それでいて、スレンダーな女性であるが為に、ちゃんと屈強な男たちとの体格差が、映画の中では描かれており、柔道だって、ボクシングだって、結局「重い」方が強いわけで、だから、ただ一対一で対峙するだけなのに、彼女にとっては、もう窮地。

それを、007のように、一発大逆転のスパイメカに頼ることはなく、また、敵には当たるけど自分には当たらない魔法の銃もなく、その結果として、とりあえず、敵と鉢合うと、挨拶代わりに股間に蹴りを入れるわけで。

しかも、オープニングで拝める、傷だらけ・痣だらけのシャーリーズ・セロンのヌードシーンが象徴しているように、バトルで負った痛みは、ちゃんと蓄積されたまま。(まぁ、完全リアルだったら、立ち上がることもできないようなケガをしている気がするけど)

そんな感じで、これまであった、「なんだかなぁー」という不満点が、見事に解消されいる映画でした。


以下、ネタバレあり。

ただ、まぁ、世評での、「分かりづらい」というのも、理解できるストーリー展開。

東独のスパイグラスが、裏切り者によって殺害されるシーンがあるけど、もっと以前に、目立たないで「消す」方法があったような?

そもそも、明らかに「怪しい人間」がいるのに、疑いつつも頼っているというのが、なんとも。

と思ったら、どんでん返しで、主人公が二重スパイであることが明かされて、「あぁ、なるほど」と、ちょっと納得。

・・・・・・・なんだけれども、そこで終わっていれば、冷戦下において、「どちらの陣営をも欺いて生きる女」という、まさしく独立した「タフ」な人間像となったのだろうけど・・・・・・最後の最後に、またどんでん返し。
トリプルスパイで、「実はアメリカのスパイでした」というオチは、・・・・・好き好きだろうけど、なんか「惜しい!」と思ってしまった。

まぁ、でも、全体としては、野心的であるが独善に陥ることはない、非常に完成度の高い映画でした。

by カエレバ