「圧倒的な美にかしずきたい」というのは、人間の本能なのか、ちょいちょい作品のモチーフになったりして、とりあえず代表格は芥川龍之介「地獄変」でしょうか?
で、そのパターンの一種で、「とんでも美少女に振り回される」という物語がございます。
ちょっと前ですと、「涼宮ハルヒの憂鬱」。
最近ですと、「星野、目をつぶって」かな?
現実において、「女性に振り回される」というのは、「金」か「(精神的な)病」が絡むわけで、そして、その背後には「肉欲」というものが厳然として存在して、大変、生臭く、そして痛々しいものです。
これをリアリティ重視で物語に落とし込むと、ドロドロ展開しか生まれないはずなのですが、この「女性」、なかんずく「美少女」に「不治の病」というステータス異常を付与すると、あら不思議、とても崇高な行為に見えてくる。
特に最近の傾向として、男性を「ニュートラルな(または善良な)傍観者、立会人」ではなく、「心を閉ざした問題児」とすることで、女性は、その救済の手助けをする「女神」となり、彼女の「いささか強引な行為」は、「限られた時間しか持たない病人」という設定によって、免罪符が与えられるわけですな。
(「星野、目をつぶって」のヒロインは病気ではないけどね。ヒロインが主人公へ手を差し伸べる行為は、主人公からヒロインへほどこす化粧の報酬であり、まぁ、一方通行ではないあたりが、現代的と言えば、現代的なのかな?)
君の膵臓をたべたい
「君の膵臓をたべたい」ですが、小説原作の「難病美少女モノ」だとは知ってはおりました。
まぁ、この手のジャンルはね、何年にいっぺん流行する周期彗星みたいなもの。
ストーリーは、「こんなところだよね?」という予想の範囲内に収まるわけで、なんなら見てもないのに、「瞳を閉じてー 君を描くよー♪」と曲まで脳内で再生されてしまいます。
でも、「定番ネタだけど、そんなに悪くないよ」という評判を聞いたのでアマゾンビデオで借りて見ましたが・・・・・・、ベロベロに酒を飲んでいたこともあって、最後は、喉が痛くなるくらいに泣けまして、デトックス完了。
以下、ネタバレあり。
お約束「難病美少女モノ」にはしたくないという作者の意図なんでしょうねー、病気以外で死ぬとは。
「病気とか健康とか関係なく、明日はどうなるか全員分からんのだから、日々、一生懸命に生きようぜ!」という素朴な主張なんだろうけど、うん、まぁ、どうせ近いうちに死ぬんだから、そういう処理の仕方もあるか。
ただ、そのおかげで、徐々に弱っていく過程を、長期かつ詳細に描く必要がなくなり、ヒロインの、現実であったら「うざいだろなぁ」という活発さを失わずに済んでおり、だからこそ、喪失との落差を劇的に描くことができているわけで、その点は、まぁ、なかなか上手というか巧みというか。
とにかく、この映画を好意的に評価する人なら、ヒロイン山内桜良を演じた浜辺美波さんの存在感に言及せざる得ないと思います。
「時をかける少女」の原田知世さん、「野性の証明」の薬師丸ひろ子さん(「セーラー服と機関銃」か?)、「世界の中心で、愛をさけぶ」の長澤まさみ・綾瀬はるかさん等々、少女のはかなさをフィルムに鮮烈に記憶させた作品がありましたが、「君の膵臓をたべたい」の浜辺美波さんが、今後、どれだけご活躍できるかどうかは分かりませんが、少なくとも、この作品を見た方には、忘れ難い鮮烈なイメージを残してくれ、そして残っていくのではないでしょうか?
ヒロインが、主人公の男子に興味を抱くキッカケ・過程が、ちょっと無理筋な感は否めないし、そこからのヒロインのちょっかいも(学生時代、女日照りだった)男性にありがちな願望が見え隠れ、まぁ、そこが心地良い部分もあるけど、気恥ずかしくなることもある。
ぶっちゃけ、スクールカースト・トップの美少女と、ボトムの根暗少年の交流という、いかにも、文系な(≒非リア)男子の喜びそうな構図(現実にはねーよ)でして、・・・・・そもそも、「涼宮ハルヒの憂鬱」「星野、目をつぶって」「君の膵臓をたべたい」、どれもこれも、男性の考えたストーリー、その女性像はルサンチマンの結実・・・・・ではなく、まぁ、あれですよ、「圧倒的な美にかしずきたい」という芸術至上主義ということで。
おまけ
以下、蛇足。
脚本家の吉田智子さんって、現在放送中の「わろてんか」の人なのね。
「君の膵臓をたべたい」は、原作未読だけど、浜辺美波さんの演技力もあって、うまく出来ていたなぁ、と思います。
それに比べると、「わろてんか」なぁ・・・・・・。
どうにもこうにも、登場人物の魅力がイマイチ。
さらに、「要らなくなると旅やら、海外に行かせてしまう投げっぱなし」や、「主人公を取り合う二人の男性が、どちらとも幼少期に母親に連れていかれたことがキッカケで、今の仕事を志す」テンプレートなエピソードとか、「王道の嫁いびりに対して、無力な旦那・・・・どころか、無気力とすら思える無抵抗ぶり(男の実家に連れて行かれた主人公、姑に認められないだけではなく、女中にされて、それを主人公の幼馴染に見咎めれ、殴られても、そのまんま)」とか、「それに対して、ニコニコ笑うだけの主人公」とか、「藤井隆さんにしても、「後面を極める」と発言しておきながら、気がついたら夫婦漫才に移行、それはいいにしても、今度は漫才作家として裏方専門になる。本が好きとか物書きの才能があるって描写はあった? 寄席の変遷を、藤井隆さんの役で表現しているのだろうけど、ちょっとは伏線を・・・・・」てな感じで、他にも、「寄席を手に入れる際に、手元に資金がないので、日々の稼ぎの中から、ちょっとずつ返済していける寄席を見つけた、という設定で、それをどうやって手に入れるのか? というお話しで引っ張っておきながら、最終的に、一括でお金が必要になりました。えっ、なら、最初から、どうやってお金を工面しようというストーリーで、よくない?」とか、「そのお金を、勘当された実家に頼み込む」って、しかも、旦那の稼業を潰しておいて、今度は、新規事業、それも「寄席をやりたい」というお願いを、なんだか美談にしたてて、受け入れてしまう主人公の父親。おいおい、「バカ、真面目に働け」って叱れよ、遠藤憲一。キースのアメリカ行きも唐突だったが、舶来ネタをしていたから、一応憧れがあったということに出来ないこともないが、あっさり帰ってきて東京にいるし、で、震災で直ぐに関西に戻ってきて、なんか「アメリカ渡航」が彼に変化を促したとか、そんことはなし、だったら、「東京で腕試しをしたい!」で良かったんじゃないの? なんで、アメリカかませた? ・・・・・他にもいろいろと言いたいことはあるけど、まぁ、人間得手不得手もあるし、百発百中というわけにはいかないよね。
浜辺美波 「君の膵臓をたべたい」製作委員会 2017-11-15
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