2018年1月31日水曜日

映画「君の膵臓をたべたい」とか、「四月は君の嘘」「星野、目をつぶって」など



「圧倒的な美にかしずきたい」というのは、人間の本能なのか、ちょいちょい作品のモチーフになったりして、とりあえず代表格は芥川龍之介「地獄変」でしょうか?

で、そのパターンの一種で、「とんでも美少女に振り回される」という物語がございます。

ちょっと前ですと、「涼宮ハルヒの憂鬱」。
最近ですと、「星野、目をつぶって」かな?

現実において、「女性に振り回される」というのは、「金」か「(精神的な)病」が絡むわけで、そして、その背後には「肉欲」というものが厳然として存在して、大変、生臭く、そして痛々しいものです。

これをリアリティ重視で物語に落とし込むと、ドロドロ展開しか生まれないはずなのですが、この「女性」、なかんずく「美少女」に「不治の病」というステータス異常を付与すると、あら不思議、とても崇高な行為に見えてくる。

特に最近の傾向として、男性を「ニュートラルな(または善良な)傍観者、立会人」ではなく、「心を閉ざした問題児」とすることで、女性は、その救済の手助けをする「女神」となり、彼女の「いささか強引な行為」は、「限られた時間しか持たない病人」という設定によって、免罪符が与えられるわけですな。
(「星野、目をつぶって」のヒロインは病気ではないけどね。ヒロインが主人公へ手を差し伸べる行為は、主人公からヒロインへほどこす化粧の報酬であり、まぁ、一方通行ではないあたりが、現代的と言えば、現代的なのかな?)


君の膵臓をたべたい


「君の膵臓をたべたい」ですが、小説原作の「難病美少女モノ」だとは知ってはおりました。
まぁ、この手のジャンルはね、何年にいっぺん流行する周期彗星みたいなもの。
ストーリーは、「こんなところだよね?」という予想の範囲内に収まるわけで、なんなら見てもないのに、「瞳を閉じてー 君を描くよー♪」と曲まで脳内で再生されてしまいます。

でも、「定番ネタだけど、そんなに悪くないよ」という評判を聞いたのでアマゾンビデオで借りて見ましたが・・・・・・、ベロベロに酒を飲んでいたこともあって、最後は、喉が痛くなるくらいに泣けまして、デトックス完了。

以下、ネタバレあり。

お約束「難病美少女モノ」にはしたくないという作者の意図なんでしょうねー、病気以外で死ぬとは。
「病気とか健康とか関係なく、明日はどうなるか全員分からんのだから、日々、一生懸命に生きようぜ!」という素朴な主張なんだろうけど、うん、まぁ、どうせ近いうちに死ぬんだから、そういう処理の仕方もあるか。

ただ、そのおかげで、徐々に弱っていく過程を、長期かつ詳細に描く必要がなくなり、ヒロインの、現実であったら「うざいだろなぁ」という活発さを失わずに済んでおり、だからこそ、喪失との落差を劇的に描くことができているわけで、その点は、まぁ、なかなか上手というか巧みというか。

とにかく、この映画を好意的に評価する人なら、ヒロイン山内桜良を演じた浜辺美波さんの存在感に言及せざる得ないと思います。

「時をかける少女」の原田知世さん、「野性の証明」の薬師丸ひろ子さん(「セーラー服と機関銃」か?)、「世界の中心で、愛をさけぶ」の長澤まさみ・綾瀬はるかさん等々、少女のはかなさをフィルムに鮮烈に記憶させた作品がありましたが、「君の膵臓をたべたい」の浜辺美波さんが、今後、どれだけご活躍できるかどうかは分かりませんが、少なくとも、この作品を見た方には、忘れ難い鮮烈なイメージを残してくれ、そして残っていくのではないでしょうか?


ヒロインが、主人公の男子に興味を抱くキッカケ・過程が、ちょっと無理筋な感は否めないし、そこからのヒロインのちょっかいも(学生時代、女日照りだった)男性にありがちな願望が見え隠れ、まぁ、そこが心地良い部分もあるけど、気恥ずかしくなることもある。

ぶっちゃけ、スクールカースト・トップの美少女と、ボトムの根暗少年の交流という、いかにも、文系な(≒非リア)男子の喜びそうな構図(現実にはねーよ)でして、・・・・・そもそも、「涼宮ハルヒの憂鬱」「星野、目をつぶって」「君の膵臓をたべたい」、どれもこれも、男性の考えたストーリー、その女性像はルサンチマンの結実・・・・・ではなく、まぁ、あれですよ、「圧倒的な美にかしずきたい」という芸術至上主義ということで。


おまけ


以下、蛇足。

脚本家の吉田智子さんって、現在放送中の「わろてんか」の人なのね。

「君の膵臓をたべたい」は、原作未読だけど、浜辺美波さんの演技力もあって、うまく出来ていたなぁ、と思います。

それに比べると、「わろてんか」なぁ・・・・・・。

どうにもこうにも、登場人物の魅力がイマイチ。
さらに、「要らなくなると旅やら、海外に行かせてしまう投げっぱなし」や、「主人公を取り合う二人の男性が、どちらとも幼少期に母親に連れていかれたことがキッカケで、今の仕事を志す」テンプレートなエピソードとか、「王道の嫁いびりに対して、無力な旦那・・・・どころか、無気力とすら思える無抵抗ぶり(男の実家に連れて行かれた主人公、姑に認められないだけではなく、女中にされて、それを主人公の幼馴染に見咎めれ、殴られても、そのまんま)」とか、「それに対して、ニコニコ笑うだけの主人公」とか、「藤井隆さんにしても、「後面を極める」と発言しておきながら、気がついたら夫婦漫才に移行、それはいいにしても、今度は漫才作家として裏方専門になる。本が好きとか物書きの才能があるって描写はあった? 寄席の変遷を、藤井隆さんの役で表現しているのだろうけど、ちょっとは伏線を・・・・・」てな感じで、他にも、「寄席を手に入れる際に、手元に資金がないので、日々の稼ぎの中から、ちょっとずつ返済していける寄席を見つけた、という設定で、それをどうやって手に入れるのか? というお話しで引っ張っておきながら、最終的に、一括でお金が必要になりました。えっ、なら、最初から、どうやってお金を工面しようというストーリーで、よくない?」とか、「そのお金を、勘当された実家に頼み込む」って、しかも、旦那の稼業を潰しておいて、今度は、新規事業、それも「寄席をやりたい」というお願いを、なんだか美談にしたてて、受け入れてしまう主人公の父親。おいおい、「バカ、真面目に働け」って叱れよ、遠藤憲一。キースのアメリカ行きも唐突だったが、舶来ネタをしていたから、一応憧れがあったということに出来ないこともないが、あっさり帰ってきて東京にいるし、で、震災で直ぐに関西に戻ってきて、なんか「アメリカ渡航」が彼に変化を促したとか、そんことはなし、だったら、「東京で腕試しをしたい!」で良かったんじゃないの? なんで、アメリカかませた? ・・・・・他にもいろいろと言いたいことはあるけど、まぁ、人間得手不得手もあるし、百発百中というわけにはいかないよね。

by カエレバ


2018年1月22日月曜日

悪趣味な演出満載だが、目が離せない映画「全員死刑」



ハリウッドだと、存命の人物やら、まだそれほど年数が経っていない事件について、バンバン映画をつくるイメージがあるけど、邦画はねぇ・・・・。(昔は、もうちょっと挑んでいたように見えるが、さて)

そんな、空気を読む国「日本」にしては珍しく、つい最近(と言っても、もう十年以上前だが)に起きた殺人事件を元にした映画「全員死刑」を見てきました。
(実際の事件は、こんな感じ■wiki 大牟田4人殺害事件)

実録モノとなると、ドキュメンタリーぽく撮ったり、重厚な人間ドラマに落とし込んだりしそうなものだが、とにかく、まぁ、オープニングから制服姿の女子高校生がスカートをまくりあげて下着のアップ、「祝監督作品」の「祝」という文字は、明らかに女性器のマーク、そんな全編通して悪趣味な演出が満載で、フェラ後のイチゴの練乳とか、カラオケ店でのゲロとか、被害者のカマっぽさとか、「それ必要?」というシーンもチラホラだったなぁ。

が、そういう監督の悪戯心も、さんざんに積み重ねられていくと、映画全体に異様な雰囲気をつくりだされるわけで、上映時間98分と、最近にしてはコンパクトなはずなのに、なんかもう、最後は、お腹いっぱいだったよ。

「ブラックジョーク」「スプラッタコメディ」を通り過ぎており、全然笑えないし、爽快感など皆無、演者たちの熱演によって人間存在の有り様について考えさせらえるようなこともなく、社会の歪が生み出した悲劇に胸を打たれるとか憤りを覚えなんてこもなし、一応、主人公の彼女が物語の倫理的な立ち位置を確保しているけど、実話ベースということなので、「こういうのも入れておかないとね」という言い訳程度。

ぶっちゃけ「見世物小屋」的な作品ではあるものの、ここまでやられてしまうと、あっぱれでした。


2018年1月18日木曜日

「キングスマン」&「キングスマン ゴールデン・サークル」



「キングスマン」が、なんとなーく評判だったのは覚えていますが、「まぁ見てもいいんだけど」と思っているうちに公開が終わって、レンタルで見てもいいんだけど・・・・と思っているうちに月日は流れて、続編「キングスマン ゴールデン・サークル」が完成。

予告編のハル・ベリー(なんと50才超えているよ・・・・)が可愛らしくて、「見てみるか」と思いたち、とりあえず、自宅で前作をレンタル視聴。


「キングスマン」


で、感想ですが、簡単に要約すると「変わっている映画」だなぁ・・・・・。

以下、ネタバレ。

そもそも、悪役が、安っぽいラッパーの格好をしている「黒人」。
その側近が「義足」(障害者)。
彼らは過激なエコロジストで、裏では、ホワイトハウスの主(当時は、バラク・オバマ大統領)とつながっているという設定。

それに対する、「キングスマン」というのは、表向きは、高級テーラー。
店の主人であるハリーは、ガッチガチのイギリス紳士。当然白人。

そして、「キングスマン」で働ける新たなスパイの選抜があるのだが、その候補者も全部白人であり、主人公のエグジーを除いては、どいつもこいつも上流階級に所属(らしい)。

敵側がリベラルで、味方側は旧来の保守勢力(貴族階級)という構図は、「ポリコレ、ポリコレ」と騒がしい昨今、大丈夫か? と、いささか心配になりつつも、ハリーが、教会で虐殺する対象は、アメリカ南部の保守層だったりして、ここらへんでバランスをとっている? いや、単に、アメリカ全体をおちょくっていると見るべきか?

それは、さて置き。

ストーリーの骨子としては、下町のチンピラ紙一重だった主人公のエグジーの出世譚・成長譚であり、彼の教師であり父代わりでもあるハリーの途中退場によって、否応なく窮地に陥る展開は、まずまずスリリングではありました。


「キングスマン ゴールデン・サークル」


しかし、前作で、チンピラからイギリス紳士への「成金」を成り遂げてしまった以上、続編どうするんだ? と思ったら、ネタバレですが、最終的には、スウェーデン王室に入り込むというオチでして、逆玉の輿。
今時、ディズニー映画でも白馬の王子様展開には気をつけるようにしているのに、男臭いスパイアクション映画にて、やってしまうのは、「時代遅れ」というよりも、なにやってもいいんだよ、という「現代的」なのか?
うーむ。

で、今作の悪役は、白人女性。
まぁ簡単に言えば、大麻容認・解禁派を揶揄しているようなキャラ。
相変わらず、挑発的な設定です・・・・・。

開始早々で、「キングスマン」のアジトが破壊されて、生き残ったのは、主人公のエグジーと、教官&裏方のマーリンだけ。

徹底的な窮地からの復活劇というのは、前作とかぶっているのだけれども、ただ、「キングスマン」とは違うアメリカの他組織「ステイツマン」に救援を求めるあたりが新味と言えば新味。

「キングスマン」の表の顔は高級テーラーで、イギリス紳士。
「ステイツマン」の表の顔は酒造メーカーで、カーボーイ。

この二つの凸凹コンビが、互いを皮肉ったり、小馬鹿にしたりしつつ、徐々に信頼を深めてバディとして活躍する・・・・・と思っていたら、主役エグジーも敵わなかった「テキーラ」という味方キャラは、あっさりと退場。

そして、せっかく(?)、前作からのキャラ皆殺しで、新しい物語が始まるのだと思っていたら、生きていたよお師匠ハリー。

前作が「継承」の物語だったのに、最強の漢が復活してしまい・・・・・、人気キャラだから、「嬉しい!」というファンもいるのだろうが、ストーリーとしては、「いいんか!?」と思わんでも。

で、前作ではアメリカ大統領が爆死していたけど、今作は弾劾(逮捕)で、麻薬中毒者の檻はマンハッタンを彷彿とさせるような絵面、大ボスのポピーが山奥で再現しているのはノスタルジーを喚起する50年代のアメリカ、そして、「ステイツマン」から「テキーラ」の代わりに派遣された「ウィスキー」というカーボーイと、主人公たちは最終的に戦うことになるわけで・・・・・監督は、アメリカ嫌いなんだろうなぁ・・・・・・。


・・・・・・そんな感じで、まぁ、毒のある映画なので、「好きな人は好き」なのは分かるけど、個人的には、カタルシスを得難いなぁというのが個人的な感想。

by カエレバ

2018年1月2日火曜日

「ゲット・アウト」


2017年12月30日に、「カンフー・ヨガ」を見てきて、「これで年納め?」という思いが胸に去来、なんか他も見ておくかで、翌日、「ゲット・アウト」を見てきました。

「一帯一路」発言が飛び出す「カンフー・ヨガ」は懐かしくも現代の映画

異質なる他者として、完成された(閉鎖された)コミュニティに足を踏み入れるというのは、そりゃ誰でも苦手でして、さらに「人種」という要素が加わると、抜き差しならない「緊張」が生まれるのは当然、それをホラー映画のスタイルでもって表現というのは、なかなか斬新なのかな?

で、まぁこの手の映画にありがちな、ぶっ飛び設定がラストで明かされるけど、それが、「白人から黒人への羨望」になっているのも、これまた斬新だったなぁ。

無理矢理に現代アメリカ政治と結びつけると、かつてなら「倒錯」と呼べるような、この心情の変化は、白人社会の行き詰まりを象徴しているということなのか?

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by カエレバ