2014年12月23日火曜日

宮沢えりさん主演「紙の月」見ました


映画「桐島、部活やめるってよ」の監督・吉田大八。
原作は、小説「八日目の蝉」の角田光代。

「こりゃ、つまらないわけないだろう」と、期待して見たきたのですが・・・・・・、まったく注目していなかった宮沢えりさんの独壇場でした。

「たそがれ清兵衛」を見た時に、女優然としてきたなぁ~とは思ったのですが、「大根」ではないけど、「別にうまいってわけでもないね」という感想でした。

が、今回は、加齢による容色の衰えを、役柄上、化粧でごまかすこともできず、映画スクリーンにアップで何度も何度も映していました。

しかも、スレンダーなスタイルを維持しているせいで、顔の輪郭がシャープで、それが、ほうれい線を目立たせるんだよ。

サンタフェの、あの輝くような美貌を覚えている世代としては、「あぁ年取ったな」と思わされましたが、それは、宮沢えりさんも十分に承知しているはず。

でも、そんなことは意に介さず、潔く、薄幸(そう)な信用金庫の営業マンという役に、どっぷりはまっていました。

若いころから、アイドルとして華やかな道を歩んできた彼女からすると、「そういうタイプ」の人間とは無縁な生活だったと思いますが、雰囲気が出ていて、上手でした。

「女優になったな~」と妙に感心しました。


ストーリー自体は、そんなに複雑ではないです。

仕事人間の旦那と不和ではないが、彼に満足はしていない。
金が余っているわけではないが、貧乏というほどではない。

とりたてて不幸ではないものの、幸せを実感できていない。

そんな中、あらわれたハンサムな青年。
彼の為に、何か出来るのではないかと、徐々にのめり込んでいく。

そのうちに、お客の金に手をつけてしまい・・・・。


てな感じで、ありがちと言えば、ありがち。

子供時代のエピソードを交えることで、ちょっとだけ奥行きをつくっていますが、まぁ、そんなに深くはなってないです。

横領が始まってしまえば、大団円で終わるはずもなく、破滅が待っているのは、誰もが予想できること。


「幸せではない」というだけで、とりたてて不幸というわけではないので、若い男にのめり込んでいくことに同情も共感もできない。

ストーリー展開は、分かり切っている。

だけど、前述の通り、宮沢えりさんの演技に引き込まれて、終始、魅入ってしまいました。



おまけの感想としては、大島優子さんが、アイドル女優がやらされがちな、綺麗だけど頭の悪い若い子を演じていました。
上手でしたね。

こちらも、うまく女優業にシフトできるか?



紙の月 (ハルキ文庫)
by カエレバ

2014年12月14日日曜日

「ゴーン・ガール」を見てきました



映画館に行く度に見せられた「ゴーン・ガール」の予告編。

面白そうだな、でも、まぁ、「予告編が一番おもしろかった」ということは、往々にしてあるんだけれども。

で、見た感想としては、面白かったですね。かなり面白かった。


徐々に明らかになっていく、夫婦の関係。失踪した妻の真意。追い詰められてる夫。過剰な報道。世論を煽るマスコミ。(以降、多少、ネタバレがあります)

二時間半の長丁場だけど、「二転三転するストーリー」に、「この映画、どこに落着するんだ?」と、ずっと考えさせられて、まったく退屈しなかったです。(冒頭は、ちょっとダルかった)

ジョンベネ殺害事件のようなお話? と、予告編を見た段階では思っていました。

確かに、最初は、そんな感じ。

ですが、中盤あたりまでで、だいたいの種明かしが終わってしまう。

出し惜しみ無しで、ストーリーが間延びしていないのは良いんだけど、逆に、「これから、どうするの?」と思っていたら、中盤以降は、失踪した妻との心理戦に。


つまり、この映画の肝は、夫婦の力関係なんだよね。


新婚時代の蜜月期が終わり、長い時間一緒にいると、どうしても互いの本性が分かってくる。

そこから夫婦の危機が訪れれば、普通であれば、寛容によって諦念の境地に達するか、厳格さを求めて別離に至るかの、どちらか。


でも、この夫婦は、どちらも選ばない。

映画を見ていると、旦那はとうの昔に結婚生活を見限っているんだけど、妻は、寛容にもなれず、厳格に関係を断ち切ることもできない。

理想的な夫婦を求めるが故に、復讐を決意する。

こう説明すると「なんで?」と思うだろうけど、映画を見ていると、時折差し込まれる彼女の幼少期の環境から、自然と納得できるようになっている。


で、タイトルである「Gone Girl」の意味が、ようやく分かった気がします。

「Woman」でも「Lady」でも「Wife」なく、「Girl」なのは、なんで? と不思議だったんですよ。

映画の冒頭で失踪する(去っていく)のは、どう見ても、大人の女性。「少女」ではない。

外見は大人だけど、中身は子供ってこと?


・・・・・どうやら、そういうわけではないと思います。


彼女は、小さい頃から完璧を求められて育てられてきた。
容姿端麗で、頭脳明晰ではあったけど、それでも「不完全」とされてきた。

つまり、彼女には、「不完全」であることを許さる幼少時代(少女時代)が存在しない。

そのことが「Gone Girl」という意味なのかな?


で、この映画の、もう一つの重要な要素である、「マスコミ(世論)」。

夫に容疑をかけられた段階で、その妹は、事ある毎に、外見を大事にしろって主張するんだよね。

ジョンベネ殺害事件も、そうであったように、警察や司法が取り締まる前に、マスコミや世論が断罪してしまう。(日本だと、STAP細胞の経緯なんか、そうだよね・・・・・)

今の(近代の?)世論って、中途半端を許してくれない。
善人なら完璧に善人、悪人なら完璧に悪人であることを求める。

だから、少々の活躍があっても、後に、ちょっとした瑕疵が見つかると、一気に世論が反転する。
なんて光景は、よくありますよね~?

だから、妹は兄貴に向かって絶えず注意を喚起するし、逆に、失踪した妻は、世論が自分に味方するように、二重三重に仕掛けを用意している。


真実は個人の内面でも、司法でもなく、マスコミによってつくられる。

それって、つまり、妻が、これまで生きてきた現実でもあるわけだ。(だからこそ、マスコミ操作が上手なのだろうけど)


彼女は極端ではあるけれども、SNSの「いいね」「リツイート」「既読」なんかに振り回されている我々も、どこか通底するところがあるんだろうな・・・・・。


日本だと、異質な夫婦の形を描いていると言えば、最近だと「夢売るふたり」かね。
西川美和監督「夢売るふたり」を見て、どうしようもない不安が襲ってくる


ゴーン・ガール 上 (小学館文庫)
by カエレバ

2014年12月4日木曜日

「ブラピの最高傑作」という宣伝文句の「フューリー」を見てきました


本当は、吉田大八監督の「紙の月」を見たかったのですが、時間の関係で、「フューリー」を見ることに。

何度なく、映画館で予告編を見せられていた印象としては、「戦車無双みたいな話?」。

たとえて言うなら、「特攻野郎Aチーム」みたいな、お馬鹿映画?


そのわりには、ポスターには「アカデミー賞最有力」という、「誰が決めた?」という文句がついています。

「どういうものなんだ?」と思って、見てきました。


で、結論としては、第二次世界大戦において、戦車を使った戦闘が、たっぷりと描かれておりました。

それだけであれば、ミリオタ御用達で終わりなのですが、単なるリアルな戦車戦・戦場を描いている他に、絶えず登場人物たちが口にする「神」にまつわる言葉。

なぜに、神は、この地獄(戦場)においても、その御手を我々に差し出してくれないのか? という疑惑から、登場人物たちの精神(魂)は、すっかり荒廃している。


それは(ボチボチ、ネタバレです)、冒頭においてブラッド・ピットが馬に乗ったドイツ軍兵士を襲うシーンから象徴されており、そこでは人間は殺しておきながら馬は逃がしている。

動物の命よりも、人間の命が軽くなってしまっているという、倒錯した価値観、世界があらわれています。


このタイトルになっている「フューリー」とは彼らの乗っている戦車の名前なのですが、意味するところは、「怒り」よりも大きな「憤怒」。

普通に考えれば、「ドイツ軍への怒り」なのですが、映画の中において、繰り返される神の渇望と冒涜の言葉によって、いつまでも救済をしてくれない「神への憤怒」をもあらわしていることがあきらかになってきます。
(キリスト教に造形が深いわけではないので、もしかしたら、教義として「FURY」という言葉には、特別な意味があるのかもしれませんが)


そんな、抹香臭い物語なので、「プライベート・ライアン」では、ちょっとはホッとするエピソードや、コミカルなシーンがありましたら、こちらは一切なし。

とにかく、救いのない、緊迫感のある展開が続きます。


で、「フューリーを選んで、正解だった」と思って見ていたのですが、ラスト間近になって、それまで断裂していた戦車の乗組員たちが一致団結。

さらに、ラストは戦車無双でね・・・・・・。敵は馬鹿ばかりで、考えもなく突撃してくるだけ。

うーむ。

そりゃ、「最後は盛り上げないと」という事情も分かるけど、そこまで派手にしなくても良かったような・・・・・・。


それでも、仲間たちは次々と倒れていって。

で、最後に生き残るのは、新兵一人。

冒頭で逃した(失った)馬らしきものが眠っていた、彼の横を通り過ぎて、終わりです。

つまりは、信仰を取り戻したということの暗示なんでしょうね。


面白かったんですけどね~。

特に前半から中盤までは。
戦闘シーンだけではなく、飯を食っているだけの場面ですら異様な緊張感があって良かったんですが、ラストがね。
個人的には、最後の最後でつまづいた感じです。
(ブラピは手榴弾で殺されたはずなのに、死体が、あんな綺麗なわけないじゃん! と思ったのは、僕だけ? それともキリストの受難みたいものを暗示しているの?)

フューリー (角川文庫)
by カエレバ

2014年11月29日土曜日

クリストファー・ノーラン「インターステラー」見ました



クリストファー・ノーラン「インターステラー」見てきました。


感想を一言で言えば、「2001年宇宙の旅」は偉大だ、に尽きます。

基本のラインが、「2001年」から抜けてないんだよね。


まぁ「ミッション・トゥ・マーズ」を見終わった時のような脱力感はなく、三時間弱の間、退屈なしで、映画館を出るときも、満足感で一杯でしたが。


「本格SF映画! 女子供はすっこんでろ!!」くらいの勢いで紹介しているようなサイトもあったので、「けっこう小難しいのか?」と構えて見に行きましたけど、そこまでではなかったです。

「SF大好きっ子」というわけではないですが、日本のサブカル文化(マンガ、アニメ、ゲーム)に、適度に親しんできたので、そのおかげもあるんでしょうけど。

そこらへんに、普段、あまり接していない人が見に行くと、「なんだ、これ?」と疑問にぶち当たるのか?


ネタバレになるけど、「ブラックホールに入ると、なんで異次元に飛ぶの?」とか、まぁ、普通の人なら「?」が頭に浮かぶかも。

映画「2001年宇宙の旅」なんかを見たことのある人からすると、「理屈じゃねーんだよ、宇宙は!」で処理できてしまうからね。


それでも、つっこみたい所は、けっこうあった。

「先遣隊からの通信は届いたのたのに、後続の宇宙船は、なんで地球にデータを送れないの?(作中にて、なんか説明があった?)」

「一個目の星の調査が終わって、次の目的地を決めるために、いきなり会議って。人類の存亡を決める旅なんだから、普通、緻密な計画があるでしょ? なに、その場当たり。しかも、いろいろ屁理屈を並べるけど、結局、恋人に会いたいとかなんとか、わがまま言い始めるし」

「そもそも、一個目の星も、ちゃんと地表を調査してから、降りろよ。いくら急いでいるからっていきなり降下って」

その他、もっとつっこみたいところはあったけど、まぁ、「理屈じゃねーんだよ、宇宙は!」ってことで。


そんな重箱の隅はともかくとして、全体としては面白かったです。

伏線も回収して、最後は、大団円で気持ち良く終わってますし。

むしろ、ちゃんと綺麗に終わりすぎるのが、ちょっと物足りないと思わせるくらいでした。


あぁ「ダークナイト」みたいなのが、また、見たいな・・・・・・。

インターステラー (竹書房文庫)
by カエレバ

2014年11月26日水曜日

荒川弘「銀の匙 12」を読んで



今更ながら「銀の匙」12巻を読んだんですが、・・・・・・展開が早いですね。

なんだこりゃ。


11巻まで、一話一話、丁寧に密度濃く進んでいたのに、12巻から、突然に早足になっちまったね~。
どうやら、13巻で高校を卒業させて終わらせるような感じね。


作者のご家族がご病気になった、というから、その関係なんだろうけど。


これまでの展開を台無しに、というほどではないけど、もったいない。

現代日本における農業という厳しい現実をしっかりと描写しつつも、個性あるキャラクターたちに夢を持たせて、いきいきと、盛りだくさんで描いていただけに。


しかし、なんで、終わらせるんだろう?

「一年生で終わらせる予定を、無理やり編集部が引き延ばしているんじゃないの?」という意見もあるようだけど、新キャラが、わざわざ登場しているところからすると、作者としては、やっぱり二年生、三年生と続けるつもりだったんだろうけど。

なら、とりあえず、二年に上がる前に、「八軒君のおかげで、成績が上がったわ。ありがとう。これからも、よろしくね、チュッ」てな感じで、御影がホッペにキスをして、八軒が鼻血を出して「第一部 完」(昭和の人間の発想)という流れで、とりあえず終わらせて、またお時間が出来たら、第二部を開始するという方法もあっただろうに。

アニメ化、実写化もしているのだから、出版社としても、急いで終わって欲しいなんて思わない気がするけどね。

まっ、所詮は、勝手な推察。実際のところは、いろん事情があるんでしょうな・・・・・・。


それにしても、もったいない。

12巻も、これはこれで面白いんだけど、それだけに「うーん、残念」と思ってしまいます。

銀の匙 Silver Spoon 12 (少年サンデーコミックス)
by カエレバ

2014年11月20日木曜日

東浩紀「弱いつながり 検索ワードを探す旅」を読了

「TBS RADIO 文化系トークラジオ Life」を聞いていると、よく「東浩紀」さんのお話が出てくるのですが、未だ一冊も読んだことがなく。

で、一冊読んで見ようかと手にした「弱いつながり 検索ワードを探す旅」。
最新作なのかな?

アマゾンのレビューで「薄いです」と書いてあったのですが、確かに字も大きく、ページ数も150枚で、集中力がある人なら一~二時間くらいで読み終えることが出来ると思います。

しかし、ページは少ないですが、内容は濃い・・・・・・という、ありがちな言葉を並べたくなりますが、・・・・・「濃い」とまでは言えないか?

そもそも、海外旅行から世界の有り様を考察という「悲しき熱帯」的な流れからのロゴスの限界を指摘というのは、思想・哲学のことは詳しくないけど、まぁ、ありがち?


でも、今更感もあるような、ありがちなことを主張しなくてはいけないというのは、結局のところ、それほどまでにネットの支配が確立されてしまっているということなのか、・・・・ふむ。

それで思い出したのは、「TBS RADIO 文化系トークラジオ Life」の「ソーシャル、レジャー、リア充」の回。

峰なゆかさんが、「女子会での写真は、一旦ネットに上げたものを加工して、完成品だけを参加者と共有する」と言って、それに対して、速水さん(だっとと思う)が「もう飲み会ではなく、ネットに現実があるんだね」と感想を述べていたこと。

日々の生活の変化ってゆっくりだから、気がついていなかったけど、「目の前のリアルを無視して、仮想のネットが優先される」傾向は、確実に進んでいるのかもね。


インターネットの誕生によって、「あらゆる人が、平等に情報にアクセスできる! 情報の共産革命だ!」てな感じで喜ばれていたはずなのに、気がついたら、グーグルやらフェースブックやらに情報が全て握られてしまっている。

もちろん、無料でアクセスできることによって、もたらされた恩恵は大きいんだけど、大きければ大きいほどに、副作用も出てくるのは、どこでもある話でして。

正負は糾える縄の如し。


ネットが巨大になり過ぎてしまった。膨大な情報がいくらあっても、フィルタリングができなければ、結局は必要なものにアクセスすることができない。

で、グーグル先生は、便利なツールを基本無料で開放してくれている。

とっても賢くて、「自分に必要な情報」を、素早く取り出してくれる。


が、この「自分に必要な情報」がクセモノでして・・・・・。
ネットには情報が溢れているということになっているけど、ぜんぜんそんなことはないんです。むしろ重要な情報は見えない。なぜなら、ネットでは自分が見たいと思っているものしか見ることができないからです。そしてまた、みな自分が書きたいと思っているものしかネットに書かないからです。
グーグルが、evilかevilでないかは、さて置くとしまして、こうして指摘されてみると非常に納得。

ネットは、人間の知識を無限に広げてくれるのではなく、タコ壺に押し入れる装置としても作用する。

日本に限らず、ネット世界においては保守的な愛国運動が盛んだけど、この説明で、その原因が、ようやく理解出来ました。


特に重要なのが、本書においては、ネット自体を批判しているわけではないんだよね。(「書を捨てよ町へ出よう」ではない)

オッサンにありがちな、「昔は良かった」的な論法で、
 「ネットは犯罪の温床だ」
 「人間性を破壊する」
 「日本社会の伝統をズタズタにする」
てな安易な言葉を持ち出してきているわけではない。

最早、後戻りはできない世界に、我々は生きているのであって、それを踏まえて、「ネットの特性に気をつけろ」、「意識的にネットからの距離を考えろ」と、いう警告している。

すっかりスマートフォンが手放せなくなってしまった生活をおくっている人間なので、なんともお耳痛い警告です。


また、「TBS RADIO 文化系トークラジオ Life」の前回「フィジカルの逆襲」は、どうも最後の一歩が腑に落ちないという感じだったのですが、本書を経由することで、ようやく胸に収まった気がします。


弱いつながり 検索ワードを探す旅
by カエレバ

2014年11月16日日曜日

地主恵亮さんの「妄想彼女」の感想

さて、地主恵亮さんの「妄想彼女」を読了。

地主恵亮さんが分からない人には、こちらの記事をオススメします。

カッコいいワイルドになる方法


他には、フリー素材として、デイリーポータルZからいただいた、こんな写真を、どうぞ。

こんな

そんな

あんな

感じて欲しい、この得も言われぬ感。


そんな人が書いた、本です。


肝心の本の内容ですが、ページの上半分は「妄想彼女」というタイトル通り、エア彼女(伊集院光さん風に言うと「嘘彼女」)との出会いから、結婚、出産までが、章ごとに分かれて書かれています。

また、文章と一緒に彼女と撮ったとされる、フォトショップ皆無のトリッキーな自撮り写真が掲載。

で、主人公は有能で、スポーツマン、高収入、友人や同僚からの人望も厚く、・・・・・という設定でして、妄想というだけあって、まったく地に足がついておらず、非常にリアリティがないです。

ハワイに行く前に、日本でアロハシャツを着るって、どういうこった?

そんな真っ赤なマネキュアをしている女性が、今時、いるか?

子供の頃は親に連れられてハワイにちょくちょく遊びに行って、高校生あたりではアメリカのスラムで暮らし、それから日本の大学に入学して、在学中は留学し、就職後は仕事で海外に行くことが多い。・・・・・・なんだ、これ!?

細かいことを詮索し始めると、永遠に終わることのない苦難の旅路が待ち受けています。


そして、下半分では、作者である地主さんが、これまで、どれだけモテなかったのか、友人というものがいなかったのか、お金というものに縁がなかったのか、未だに仕事がないのか、切々と訴えます。

これが、「半分はネタだよね? 誇張しているよね?」と心配になるほど、リアリティがあります
真に迫ってきます。


そして、そんな自分でも大丈夫! 彼女といるような(いるように見える)写真なんか、簡単!
ということで、写真の撮り方の解説。

・・・・・・・・・・・・・・・・。



なんで、こんな、本当にやったら、リストカットをしてしまうようなことをしているのかと言うと、作者は以下のように作中で述べています。
世の中、タイムイズマネーなのだ。本当に彼女を作り、同棲するなどの時間がかかることをしている場合ではない。少しでも時間を短縮して行う必要がある。それがこの方法だ。そもそもこのような写真がムダなのではないか、という考え方もあるが、そのような考え方に私は賛成しない。このような涙ぐましい努力が世界を平和にすると信じて疑わないようにしている。
イグノーベル賞に、平和賞部門があれば、けっこう良い所まで行けるのではないかと、僕も思います。


さて、以上のような体裁をとっているので、テイストの違う文章が(ハニーとビター)、上下に分かれております。

バースデーカードを自作しているところ


なので、上の一章を読み終えると、ページを戻って、今度は下の一章を読むという感じ。

めんどくさい。

ゲームブック?


下の文章というのは、上の文章のつっこみという役割があるのですが、上の文章は上の文章で注釈があって、そこでもつっこんでいる。

さらに、つっこみであるはずの下の文章にまで注釈があって、そこでもつっこみがはいっている。

くどい。


しかし、この、上下を行き来し、さらに注釈に目を移さなくてはいけないという、めくるめく読書体験は、僕の心のやらかい場所を なんだか締め付ける。


よくよく考えますと、田中康夫さんの「なんとなく、クリスタル」ですね。

バブル期に書かれた青春(?)小説でして、筋らしい筋はなく、散りばめられた固有名詞と、それにワザワザ注釈をつけることで、単純に流行を礼賛するのではなく、しかしながら、逆に時流を批判するのではなく、アイロニカルな没入とでも言うべき若者の姿勢を描写した作品です。


そして、地主恵亮先生の「妄想彼女」は、上段に理想の人生を創造し、下段では現実の生活を活写することで、一見すると、この構造を用いることで、現代における格差社会の告発となっているようで、そんな簡単ではない。

なぜなら、上段の理想の人生ですら、頻繁につけられる注釈によって、その空虚さが露わになっている。つまりは、決して、手放しで褒めているわけではない。


それは、厳しい現実を描写している下段でも言えることで、酷い青春や悲惨な交遊録、貧しい恋愛遍歴が赤裸々に語られておりながらも、注釈を付け加えることによって、それすらも容赦なく批評することを忘れない。

その厳しい姿勢は、羅針盤の欠く現代社会に生きる若者の姿そのものであり、二つに、いや四つに切り裂かれたアイデンティの描写を通して、現今の世界における病理を、見事に浮かび上がらせているわけです。


・・・・・・・・・・・・・・・と、適当なことを書いてみました。


基本、ゲラゲラ笑って読む本です。

が、時に、あまりに痛々しく、悲しくなりますが。

自虐が過ぎる、と思うことも多々ありました(とても身につまされるエピソードが、メガ盛りです)。


でも、こうするしかないのよね・・・・・。

だって、もう、ここまでこじらせてしまったら、ギャグにするしかないじゃん?

そうじゃないと、犯罪者になるしかないんだから。


さて、さだまさしさんの「道化師のソネット」を聞きながら、枕を濡らして、寝ましょう・・・・。


妄想彼女
by カエレバ

2014年11月7日金曜日

文化系トークラジオ life「フィジカルの逆襲」外伝の感想

本編に続き、外伝も聞き終わりました。
(■文化系トークラジオ life「フィジカルの逆襲」本編の感想)

外伝冒頭は、速水さんが、最近、けっこう口にしている、「顔を合わせていないと、アイデアは生まれないよね」というお話。(イケダハヤト氏については、ゴニョゴニョ。まぁカーネーションの脚本家の渡辺あやさんは、島根在住という話だから、そういう場を必要としない、または東京以外という場が創造を生む人もいるんだろうけど)

アメリカのヤフーが、在宅ワークを禁止したように、ちょっと前までは、「情報化社会で、どこでも仕事はできるだん!」だったんだけど、どうやら、それは駄目だったみたい。
(ノマドは、どうなった? まぁ、あれは、単にフリーター・フリーランスを、現代風に翻案しただけだから、流行り廃りの問題じゃないか・・・・)


「書を捨てよ町へ出よう」てなもんでして、単に情報の嵐に接しているだけでは、限界があるよね、意味が無いよね、ということ。

でも、勘違いするとまずいんだろうな、と思ったのは、「ほらね、昔の方が良かった」ではない、ということ。

だから、本編では問題提起された(触れただけで、回答はなかった)、フィジカルが見直されいるけど、でも「飲み会ブーム」は起きていない、という不思議。

一応、ノミニケーション事態は見直されていはいるけど、ブームとは言えないですよね。

あくまでも、「ネット(情報、SNS)」と「個人」の仲介役としてのフィジカルが持ちだされているのであって、そういう環境下においては、「飲み会」というのも一つの手段に過ぎない、ということなのかな?

社縁が人生の大部分を占めていた過去の社会であれば、「飲み会」は、「会社」と「個人」を結びつける重要にして最大の仕組みだったけど、今は、そうもいかない。
一生涯、同じ会社に奉公するなんて、なかなか・・・・・・。


で、まぁ、外伝は、そこからいろいろと話しが飛んでいきました。

本編では、フィジカルの正の面が多く語らていたように思えますが、外伝の特徴としては、負の面にも、ちょっと触れられています。


気になったのは、最後の部分。

司会の鈴木さんが、「フィジカルがもてはやされる一方で、その風潮って、秋葉原事件の前のような匂いがする」という発言。

聞いた方は、鈴木さんの真剣な語り口に、ちょっと考えさせられたのではないでしょうか?


うーん、どうなんですかね?

AKBの襲撃事件もありましたし、そういう人間が出てくるだろうとは、残念ながら、思います。

AKB襲撃男「メンバーの高収入に不満」厳戒初公判で傷害罪認める
検察側は、梅田被告の犯行動機について「警備の仕事を解雇され、収入も職もなく、つまらない人生を送っている自分と、テレビで見た多額の収入があるAKBメンバーとは正反対と考え、そうした不満を解消しようと犯行に及んだ」と指摘。
いかにも、検察が主張するような内容ですが、まぁ実際も、そんなとこなんだから仕方ないのか・・・・・・・。


でも、単純に、「華やかなものを妬む人間がいるよね、そういう人が出てくるよね、きっと」という予想というよりは、もっと、深い意味での「負」があふれてくるのではないか? という口調だったのか、ちょっと気になりました。

どうなんだろうな・・・・・・。

鈴木さんも冗談めかしていっていましたが、こういう予想は、当たらない方が、いいですけれども。


「ネット」と「個人」の間に入る「フィジカル」ですが、鈴木さんの解釈では、「招待」がなければ、そこには入り込めない。(今回は、西森さんが、速水さんに「招待されない人間」扱いされていましたが)

確かに、「飲み会」を例にすると、誰か知り合いがいなくては、(普通なら)行けませんからね。

ライフ風に言うと、「招待されない問題」が、来年当たりは、話されていくのかな?

でも、それだとすると、ソーシャルキャピタルがうんたらかんたらで、まぁ「今更」感もありますが、さて。

2014年11月5日水曜日

長嶋有「猛スピードで母は」を読んで

モノクロに意味はなし


先日、ラジオのSession22のゲストで、長嶋有先生が出ていて、「そう言えば、読んだことなかった」と思って、手にしました。


中編が二編入った「猛スピードで母は」。

デビュー作なのかな? 「サイドカーに犬」と、芥川賞を受賞した「猛スピードで母は」。

どちらも原稿用紙で100枚前後くらい。

集中力のある人なら、一、二時間くらいで読めちゃうような気がします。

個人的には、「サイドカーに犬」の方が、面白かったです。

(「猛スピードで母は」は、ちょっと細かいところですが、いじめの端緒が、ちょっと無理があるような気がしたのは僕だけ? まぁ重箱の隅ですが)


文体は変に凝ったではなく、平易です(安っぽい、という意味ではないです)。

話自体は、ほんのりと明るさがあるけど、決して、ご都合ではないペーソスも配合されていて、「そりゃねーだろ」なんて思うこともなく、「あぁ、こういう人生もあるんだろうね」と感じさせてくれます。

ちょっとした出来事が積み重なり、ラストで集約されていくのは心地よく、上手だなと思いました。
・・・・・・一方で、わざとらしいなと思わないでも。

まぁこりゃ仕方ないところもあるんですけどね。


短いけど、軽すぎず、でも重すぎず、浮ついてないけど、ホワっとするような小説を読みたい、なんて時には、ちょうどいいかな?


猛スピードで母は (文春文庫)
by カエレバ

2014年11月4日火曜日

文化系トークラジオ life「フィジカルの逆襲」本編の感想

10月26日に放送された文化系トークラジオlife「フィジカルの逆襲」本編を、ようやく聞き終えました。

今回は野球中継の関係で、二時間。

ゲストも少な目で、レギュラーメンバーがメインでしたね。(斉藤さん、どこ行ったの?)


今回のタイトルは、「フィジカルの逆襲」でして、「モノ消費からコト消費」、「コミュニケーションからしか消費は生まれない」という時代が、さらに深化なのか、昇華なのか分からないけど、ちょっと変わってきたよね? という疑問から生まれたようです。

前回の「ソーシャル、レジャー、リア充」の延長戦という感じ。

前回の感想。
文化系トークラジオ life「ソーシャル、レジャー、リア充」本編の感想
文化系トークラジオ life「ソーシャル、レジャー、リア充」外伝の感想


二時間なんだけど、けっこう話が飛んでいるんで、まとめた感想を言うのが難しい・・・・。


SNSが出来て、人との交流をする仕組みはできたんだけど、それだけでは、上手くまわらない&疲れてしまった。

で、カラーランみたいな、SNSに載せることが前提になっているイベントが生まれてきたりしている。


つまりは、ネットの行き着く先は、攻殻機動隊のようなネットと自己の境界線が曖昧になっていき・・・・・なんてことではなくて、「自己」と「ネット」だけでは、どうしようもなくて、その間に「フィジカル(身体)」 ---「現実社会」「リアル世界」「場」とかに言い換えてもいいのかな?--- が、必要になってきている。

そんな流れが、「フィジカルの逆襲」でして、時には小難しく、時にはいい加減に、時には冗談を交えながら、いろんな例をあげて解説してくれました。


まぁ、グーグルグラスや、スマートウォッチのような、よりネットを身近にするガジェットは増えていくのだろうけど、どんなに便利になっても、「個」が消滅するようなことは(当分は)ない。

いくら簡単に情報を得ることができても、いや、むしろ、簡単に情報を得ることができるからこそ、身体的な悦楽や満足感は、より希少価値の高いものになりつつある、・・・・・ふむ。


その例として紹介されていたのが、「高田馬場ゲーセン・ミカド」。

今時、家庭で対戦なんて、ネットを介して、クサルほどできる。
いちいち、金もかからない。

それでも、わざわざ、移動して、ゲームセンターで集まってきて、金を払ってまで対戦している。

要するに「場」(フィジカル)の提供が成功している。


2chなり、SNSなり、同好の士が集まる「場」は、ネットには多く存在しているし、「それで十分」という層もいる。

でも、それだけでは満足できない or それで満足できない層も確実に存在している。


「里山ウェブの時代」で、Google等によって、全てが並列化されてしまう世界の中で、どうやってマネタイズしていくのか? という問題提起で、コミュニケーションがキーワードになっていたと思うけど、それにつながるのかな?


GoogleやFacebookを(当然ながら)含めた巨大なネットに対して、個人(個人商店、中小企業)が、どうやって立ち向かっていくのか? という一つの答えでもあるのかな?


しかし、放送中に話題になっていた、「ストリートファイターのど自慢」ですが、
【再告知&追加課題曲】8/10(日)13時より 「ストリートファイターのど自慢」のお知らせ最新版。
■課題曲(ミカドといえばASKA&ASKAです!)
・SAY YES (ASKA&ASKA)
・モーニングムーン (ASKA&ASKA)
・YAH YAH YAH (ASKA&ASKA)
・愛しさと切なさと心強さと(篠原涼子)
・碧いうさぎ(酒井法子)
・太陽の破片(尾崎豊)←NEW!!!
・冬がはじまるよ(槙原敬之 )←NEW!!!
・とんぼ(長渕剛 )←NEW!!!
・失恋レストラン(清水健太郎 )←NEW!!!
・何も言えなくて…夏(J-WALK )←NEW!!!
・ミカドの歌←NEW!!!(クリックでDL可能です)
「愛しさと切なさと心強さと」は、アニメの「ストリートファイター」映画版の主題歌ですね。

それ以外は、・・・・・・・まぁね。

美川憲一さんの「さそり座の女」あたりも入れそうです。

2014年11月2日日曜日

台湾映画「九月に降る風」の感想



台湾映画「九月に降る風」を見ました。


「日本では映画界に行くような才能が、漫画に行っている」なんてことは、よく言われます(かつてかな、今は言われないか?)。

台湾映画を見ていると、逆に、「日本なら漫画界に行っていたような才能が、映画に集まっている」のかな? と、この作品を見ても、思ってしまいます。

日本でも、「桐島、部活やめるってよ」なんかもあるし、そうそう卑下することもないかと思いつつも、台湾映画は、うまーく青春映画つくるな。

ハリウッドの青春映画も悪くないけど、やっぱ、バタ臭くて。台湾あたりだと、やっぱり儒教圏なのか、共感しやすいです。


ストーリーは、中高生にありがちな、ホモソーシャルな仲間たちが、ちょっとしたすれ違いの重なりで、バラバラになっていくというお話。


面白いのは、台湾のプロ野球賭博事件の進展と、彼らの関係が破壊されていく姿が重なりあっていること。

子供の夢であるプロ野球の世界が、所詮は、汚い金と絡んでいるという現実。

つまりは、青春を謳歌している彼らだけども、薄皮一枚で、ドロドロとした現実(未来?)が待っているという暗喩になっているんだよね。


で、まぁ、ネタバレになるんだけれども、途中で、主人公が親友と事故るんだよね。

主人公は軽傷程度で済むけど、相方は頭を打って、植物人間になってしまう。

・・・・・・・まぁ、人、好き好きあるんだろうけど、「唐突な事故からの植物人間」って展開は、うーむ。

それ以外は、けっこう、ちゃんと「青春あるある」、または「あるかも」的なエピソードを積み重ねているのに、ここで、一気に悪い意味での「マンガチック」になっちゃうんだよね。

物語なんて、所詮は偶然の積み重ねだったりするんだけれども、交通事故って、やっぱり安易な悲劇に思えてね。(実際の交通事故は、当然、悲劇ですけど)


まぁ、「病気」「事故」「夭折」こそ、青春映画! という人もいるだろうから、これはこれでいいのかもしれんけど。個人的には、なんか・・・・ね。


さらに大事なネタバレだけど、最終的には、目覚めないで終わる。変にご都合主義でなかったので、良かったけど。

正確には、死んだのかな?
(難癖をつけると、これはこれで、ご都合主義で殺した気もするけどね。)


そんな感じで、親友は目覚めること無く、仲間とはバラバラ。後味悪いです。

でも、一応、希望がある所は、主人公と親友にとって英雄である「廖敏雄」に、最後に出会えたところ。

なんで出会えるのかと言うと、親友が植物人間になる前に、「廖敏雄」のサインボールを偽造していたんだよね。

高校生にもなって、そんな阿呆なことを、どうしてやったのかと言うと、単純に主人公を喜ばせたかったのかもしれないし、親友の幼稚さに主人公が呆れ始めていることを敏感に察知にして、彼をつなぎとめようとした風にも見える。

いずれにしろ、「偽」なんだよね。

でも、まぁ、「瓢箪から駒」とでも言いますか、この「偽」から、「真」に出会えてしまう。

どんなくだらない青春(偽)でも、意味(真)はあるんだ! というメッセージなのかな? と僕は思ったけど、さて、どうなんでしょう。


でも、スーパースターである「廖敏雄」も、野球賭博にかかわっっていたというところが、やっぱり皮肉がきいているけどね。


台湾映画の感想。
魅惑の90分映画「藍色夏恋」
映画「あの頃、君を追いかけた」に、身悶えする

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2014年10月31日金曜日

THE NEXT GENERATION パトレイバー/第3章



人質になった隊員救出がメインの第四話。
南海で見つかった謎の生物にまつわる第五話。


四話の感想としては、ロシアから研修できている、という設定のカーシャが大活躍なんですが。
彼女、ミズタクこと松田龍平の奥様なのね。

さすがイケメン、奥様もお綺麗で。
白兵戦のシーンも、美しく舞ってました。


それ以外の感想は、やはり、今回も緩い。
バトルシーンは、力入れてやっているのが分かるけど、人質になった隊員たちが、拘束もされずに自由気ままにしているという、このリアリティのなさ。

後は、レイバーをおとりにして、背後から急襲というのは、初期OVAのまんま。

ここらへんも、わざなんだろうね~


五話。

「レイバーと怪獣」は、漫画、アニメ、ついには映画にまでなったわけでして、まぁパトレイバーシリーズのお約束。

特撮には思い入れがないので、いろいろとパロっているんだろうけど、正直、いまいち理解できず。

ストーリーも、やはりいい加減。

慰安旅行にきていた第二小隊が、なんとなく怪獣騒ぎに巻き込まれるという、やはりリアリティのない展開。


相変わらず、くだらなくて、とても良いです。


過去の感想
THE NEXT GENERATION パトレイバー/第1章
THE NEXT GENERATION パトレイバー/第2章

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2014年10月30日木曜日

西川美和監督「夢売るふたり」を見て、どうしようもない不安が襲ってくる



西川美和監督の作品は、「ゆれる」にしても、「ディア・ドクター」にしても、見ている人の価値観が試されるような映画ですが、「夢売るふたり」は、前二作以上でした。

ネタバレですが、開始早々、夫婦で営んでいる酒屋が火事になってしまい、せっかく築いた夢の城を失くしてしまった旦那が、やさぐれて、ろくに働きもせずに昼酒。

しまいには、真面目にバイトに勤しむ妻を詰るといったダメ人間化。それが開始二十分くらい。

さすが、西川美和監督でして、妙に迫るものがあって、見てられない。
鑑賞諦めて、録画しておいた「タモリ倶楽部」に逃げちゃったよ。


つまんなくて見るに耐えないということは往々にありますが、この作品の場合は、痛々しくて見てられない。

小説にしろ、漫画にしろ、映画にしろ、まるで男性社会への復讐のように女性が女性自身を露悪趣味で描くことが往々にしてあります。

まぁ、この映画も、その路線なんだけれども、凡百の作品とは違い、松たか子さんの怪演もあって、メーターが振り切れている感じ。

僕が男性だからなのか、どうにもツライ内容でした。
女性が見ると、また違うのかな?


この映画の筋立てで秀逸なのは、結婚詐欺を題材にしているけど、「男が女を騙す」や「女が男を騙す」ではなく、「夫婦が女を騙す」というところ。

どんなに立派な仕事をしていようとも、結婚や出産を経験していない女性というものは、世間では、まだまだネガティブに捉えられてしまいがちです。

時には、世間が思う以上に、本人が、そう思ってしまったりもします。

で、自らの人生に、どこか欠けているものがあるのではないかと恐れて生きている女性に対して、埋め合わせをしてくれるのではないかと思わせるような男があらわれるわけでして。
もしかしたら、お金でもって解決ができるのではないかと思ってしまい、ついつい差し出してしまう。

この行為が、つまりは、騙す側、資金を得る側からすると、「夢を売る」です。


単純に男性が一方的に女性に売っているのではなく、夫婦で売ることで、物語に異様な緊張感を持たせています。

特に、途中から登場する、「一般的には女性的な魅力に乏しいと評価されてしまうような容姿を持った」(←言葉って便利です)ウエイトリフティング選手の女性に対して、松たか子は、「いくらなんでも、これは無理ね」と言ってしまうのですが、それに対して、旦那の阿部サダヲが、「そんな言い方ねーだろ」と怒るシーンなんかは、もう、なにがなんだか。

つまりは、松たか子からすると、こんな不細工な女は、「女としての」夢を見る権利もないと断罪したわけでして、一方で、旦那の阿部サダヲは彼女にだって「女としての」夢を見る権利はあると主張しているんだけど、じゃぁ何をするかというと、結婚詐欺なわけでして。

この二重三重に倫理的にややこしい展開、そして男女の対立に、なんか、もうグッと疲れます。


で、この夢を売って(結婚詐欺)手に入れた資金で、なにをしたいのかと言うと、炎上してしまったお店の再建。

これも、また「夢」なんだよね。

でも、それは旦那の阿部サダヲの「夢」であって、妻の松たか子の「夢」かと言うと、ちょっと微妙。


それは自分でも自覚しているようだけど、「なんで、そこまで旦那に固執するの?」というのは、どうにも、映画の中には答えはないようです。

強いて言うと、この社会が、未だに暗黙裡に女性に強制していることなのかな?
妻は黙って、旦那に付き従うもの。


で、最終的には、お金も集まり、阿部サダヲが理想とする店が開業できそうになるけど、・・・・・・が、最後の結婚詐欺で、ヘマをしてしまう。

阿部サダヲは、母子家庭の家に入り込むため、得意の料理をするべく、店の再建を象徴する「包丁」を持ち出してしまう。

で、すっかり、そちらの家が居心地が良くなってしまった阿部サダヲは、松たか子のもとには帰ってこない。

彼にしてみれば、相手の家庭を信頼させる為だったのかもしれないけど、松たか子からすると、それは許せなかった様子。

独身の女に言い寄る分には我慢もできるけど、父が不在の家庭に、父親代わりになろうとするのは、彼女の中では一線を越えていると感じたようです。

結婚したら子供を持つべきというのは、それもまた、未だ日本社会が暗黙裡に女性に強制する観念でして、子供のいない松たか子からすると、阿部サダヲのやろうとしていること、度し難い背信行為だったのかね?


で、ラストですが、因果応報的に、阿部サダヲが逮捕されて、刑務所へ。

松たか子は、どうしたのかと言うと、僕の解釈では、刑務所の近くで働いているように思えます。

結局は、旦那と離れられないということを暗示しているのか?


一方で、最初に阿部サダヲにお金をくれた女性には、郵送で返金している。

最初のお金って、騙し取った(夢を売った)わけではなく、炎上してしまった店の常連さんが、お店の再建資金にと、くれたもの。

つまりは、この場合だけは、店の常連さんが、阿部サダヲの夢を買ったんだよね。

で、そのお金を返したのは、おそらくは逮捕された阿部サダヲではなくて、シャバにいる松たか子のはず。

すると、夢が実現したのではなく(お店の再建は失敗して、夢は実現していないからね)、もう必要ないから返金した、ということなのかな? こう考えると、二人は別れた、ということになるのだろうけど。

さて、うーむ、分からん。


とにかく全編にわたって、痛々しい映画でした。
まぁ、面白いんだけど、見るのがしんどかったです。



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2014年10月26日日曜日

松井優征「暗殺教室(11)」の感想



アニメ化&実写化が決定した「暗殺教室」。

こうなるのは時期が早いか遅いかの問題でして、クロリティが高く、人気がある作品ですから、当然の流れですなー。

でも、まぁ、実写化は、ちょっと意外というか、無謀というか。


早速、ビッチ先生が韓国人アイドルということで、ネットではもめているようで。

作品見ないで批判するのは良くないですが、確かにロシア人という設定にアジア人を当てるのは、・・・・・まぁねー。

いっそ、金髪という設定をぬいて、「謎のアジア人」にしてしまうなら、分かるんですけど。

公表されたキービジュアルでは、パツキンのズラかぶっているんだよね。うーん。

いろいろと、大人の事情があるんでしょうけど(注「また韓国がゴリ押しをしてきた! 日本のエンターテイメント業界は韓国に支配されている!!」という被害妄想ではないです)。

実写化って、難しいね。


それは、ともかく。


漫画の「暗殺教室」ですが、ある意味(←便利な言葉)現代漫画のトップと言える作品ではないでしょうか?

「破天荒な教師と、悩みを抱えた生徒たちとの群像劇」という伝統的な教師モノの型を舞台にして、ギャグ、人情、格闘、頭脳戦、友情、スポ根、微エロ、恋愛、パロディ、・・・・・・いろいろな要素がぎっちり入っています。

幕の内弁当とすれば、和洋中、魚肉野菜、米麺パン、和菓子洋菓子フルーツ、全部入っているという感じです。

これだけ詰め込むと、普通なら味が混ざって取り返しのつかない結果になるんだけど(邦画の大作にありがちですが)、「暗殺教室」は、ちゃんと筋が通っているのが、すごいというか、巧みというか。


ただ、11巻は、あんまりストーリーに進展はなく。長期連載を見据えて、引き伸ばしにかかっている感はあります。

別に、「つまらん」というわけではないのです。


最終的には、殺せんせーの正体が分かって、暗殺が成功し、生徒全員の問題が解決して、ハッピー! になると、多くの人が予想しているのでは?

で、おそら、僕以外の、く多くの読者が違和感を持っているだろうけど、殺せんせーって、完璧な教師なんだよね。

生徒からも絶大な信頼を寄せられている。

その完璧な先生を殺さなくてないけないというジレンマが、まったく描かれていない。


生徒たちは、毎度毎度、いろいろと手を変え品を変えて、殺せんせーを襲うけど、彼がいなくなってしまう恐怖や不安、殺してしまう罪悪感は持っていない。

逆に言うと、完璧な教師だから、きっと「殺せない」という安心感が出来上がっている、ということなのかね?

最終的には、それが、暗殺への最大の障害になっていくような気がしますが、さて、どうでしょう?


個人的な予想としては、「暗殺には失敗するけど、殺せんせーが、生徒たちの力によって怪物化する前の姿に戻って、ハッピーエンド」ではないかと思っております。


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2014年10月25日土曜日

新川直司「四月は君の嘘(10)」の感想



一度はピアニストを諦めた主人公の有馬だったが、バイオリニストの宮園の導きで、もう一度、プロになるべく立ち上がる。

その一方で、宮園自身は病魔に蝕まれており、バイオリニストを諦めようとする。

今度は、有馬が宮園を導こうとする・・・・・・というのが、以前までのお話。


10巻では、有馬の努力によって、宮園が、もう一度、生きる努力をし始める。

で、二人の関係は深まっていく。

徐々に、自分の気持ちに気が付き始める有馬。

二人の関係の進展に苛立つ、有馬の幼馴染の椿。


ド直球な、三角関係が、顔面紅潮するくらいに、清々しいです。


しかし、やっぱり宮園かをりは、死にそうだね。

タイトルからすると、「四月」が命日になるのかな・・・・・。


新川直司「四月は君の嘘」を、1巻から5巻までの感想
新川直司「四月は君の嘘」を、6巻から9巻までの感想


四月は君の嘘(10) (講談社コミックス月刊マガジン)
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2014年10月23日木曜日

映画「NO」を見てきました


チリのピノチェト独裁政権を退陣に追い込んだCM作成を追った映画「NO」を見てきました。

セミドキュメンタリー・・・・とまでは、いかないのかな?

でも、派手さはなく、淡々と進んでいくので、序盤は、ちょっと寝そうでした。

が、内部の不協和音や対立がありつつも、政権側からの嫌がらせを乗り越えて、徐々に退陣への機運が高まっていくのは、やっぱり緊張感が出てきて、目が覚めました。


作品としては、羽目を外さない大人向きの作品ですが、それでも、「CMは、こんなにも効果があったんだ!」という流れなものですから、逆に、「そんなに効果があったのかね?」などと斜に構えて鑑賞してました。

見終わった後に、wikiを見ると、国際的な圧力によって実施されたピノチェト大統領の信任投票は「反対が56%、賛成が44%」ということですから、けっこう僅差。

なるほど、こういう筋立ての映画ができるのも納得。
(■アウグスト・ピノチェト wiki)


で、実際に流されたCMが、映画の中でも登場するのですが、当然ながら、ちょっと古くさい。

80年代のバック・トゥ・ザ・フューチャーが流行っていたころのような、「未来は希望に満ちている!」という前向きなテイスト。

映画の中では、この無専任なくらいの明るさは、戦略であったと明かされているのですが、それにしても、民主主義の現実ではなく、理想・希望にあふれていて、今見ると、なんだか、こっちが恥ずかしくなってしまう。

現代日本に生きる僕にしてみると、まぁ、この眩しさは、ちょっとむず痒いですね・・・・・。

2014年10月21日火曜日

「我妻さんは俺のヨメ(13)(完)」の感想


最終巻でした。(ギャグが薄かったな~)


メインヒロインである我妻さんの憧れである関文先生が、実は、主人公の青島と同じ、タイムストリップの能力があることが発覚。

未来の我妻さんと青島の関係を教えてくれるのだけれども・・・・・・、関文先生に、そんな能力があるなんて、伏線あった? と思わないでも。

そもそも、なんで、主人公の青島が未来を知ることが出来るのか、理由がなかったからね。
基本、ギャグ漫画だから、そんなもんかもしれないけど、一応、理由が欲しかったような。


後、高校三年のクリスマスに、我妻さんとキスをするという未来も、どっかに行ってしまった・・・・。

まぁ未来が変わった、ということなのか?


で、ストーリーですが、性格は良いけど、努力は嫌いというダメ主人公が、努力の結果、ヒロインに振り向いてもらえるような成果を上げ、「もしかしたら、付き合えるのかな?」てな感じで終わり。

ありがちと言えば、ありがち。
王道なラストでした。

過去記事
「我妻さんは俺のヨメ(12)」の感想


我妻さんは俺のヨメ(13)<完> (講談社コミックス)
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