2015年12月31日木曜日

岩下志麻さんが妖艶だった「悪霊島」


市川崑監督の横溝正史シリーズは、全部見ているのですが、その他は、見たり見ていなかったり。
(古谷一行さんですと、何と言っても「金田一耕助の冒険」ですね・・・・・)

鹿賀丈史さんが出ているバージョンもあるんだと、今回見てみた「悪霊島」。

まぁ、いつものヤツでして、「同じ顔を持った二人の人物によって引き起こされるトリック」です。

他にも、「歴史の怨念」「過去の愛憎が起因」「女性の情念からの殺人」・・・・・・、横溝正史作品ですなー。


以下、ネタバレです。

原作未読なので、なんとも言えないのですが、結局、主人公は、この島の人間とは無関係でした、ということ?

その割には、オープニングからの仰々しいセリフは、なんともだね。

まぁ20代半ばに訪れた町で、大量殺人事件に鉢合わせたのでは、そりゃ、忘れ得ない思い出になるだろうけど。


後、冒頭で大吉のおみくじが出てきてたけど、あれって、なに?
なんかの伏線かと思っていたけど、結局、なんでもなかったの?

そして、最初に殺された産婆さんの犯人って?

犯人の岩下志麻さんは、二重人格者で、片方が出てくると、淫乱になって人を殺してしまうということだったけど、旦那は、よく今まで生きてこれたよな。


まぁ、ある程度強引なのは毎度だけど、今作は、さらに、うまく処理できていなかったように感じられたなぁ・・・・・。(原作アリの推理映画が、ストーリーを消化することに費やされてしまうのは、よくあることだけど)


そして市川崑監督作品に比べると、はったりが足りないなー。

その代わりに、一人の男が青春時代を振り返っているという体裁にすることで、市川崑監督とは違うテイストにしたかったのだろうけども。

・・・・・・うーん、「で?」という感じで、活かされているとも思えず。(そもそも、怨念渦巻く殺人事件と過去への郷愁を混ぜるのは、やはり無理があるような)


岩下志麻さんは、当時40才かな?
その妖艶さだけは、まぁ、すごかったなぁ・・・・・・。

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2015年12月30日水曜日

ホイチョイの往時が偲ばれる「彼女が水着にきがえたら」

なにを思ったか、録画しておいた「彼女が水着にきがえたら」。
が、まぁ、録ったはいいが、そのまま。


月日が流れ、「なんか適当な映画が見たい」と思って、見てみることに。


「彼女が水着にきがえたら」というタイトルが表示されて、その横には、「Urban Marine Resort Story」。

どういう意味?

「都市型海洋リゾート物語」で、いいのか?
そうなると、結局、海なの? 街なの?

とりあえず、googleで「Urban Marine」を画像検索したら、兵士が銃を構えている。
どうやら、都市で戦う海兵隊のようだ。

・・・・・・この、ふわっとした英語の副題。

いかにも、バブルだぜ!


で、物語ですが、原田知世さんと織田裕二さんが、お互いを意識しているけど、直ぐには素直になれないという、王道ラブコメ。

原田さんは普通のOL。
織田さんも会社員なのだが、谷啓さんと一緒にトレジャーハンターをしている。

そのハンターのライバルとして、伊武雅刀さん。

原田さんは、最初は、伊武さんの船に乗っていたのだが、ダイビングの途中ではぐれてしまい、谷啓さんたちに救われる。

そのちょっとした遭難に最中に、お宝を積んだと思しき飛行機を原田さんは見ており、さらに、香港マフィアが絡んできて・・・・・・という展開。(終盤は、この香港マフィアとの戦いになるわけで、Urban Marineだ・・・・・)


で、伊武さんというのが、金持ちのボンボンなのかな?
豪華なクルーザーを持って、女の子を、とっかえひっかえで遊んでいるような男。
女性の前では、タバコを吸わない。

に対して、谷啓さん側の織田裕二さんは、女性の扱いには慣れておらず、ぶっきらぼう。
人前でも平気でタバコを吸ってしまい、原田知世さんから叱責されてしまう。

解説するまでもなく、伊武さんの方はバブル期の軽佻浮薄な男性として描かれ、織田さんは昔気質の不器用な男とされている。

で、清純派の原田知世さんは、最終的には、昔気質の織田裕二さんとくっつくわけだが・・・・・・、この映画自体が、「バブル感バリバリ」なので、なつーか、嘘くせーなー、おい。(谷啓さんも何度も結婚し、今も若い彼女がいるという設定だし)


劇中では繰り返しサザンの曲が流れ、街をオープンカーで走り(しかも路駐)、ヘリコプターが水上に着陸し、タクシーの中で風にたなびく髪、伊武さん等との競争では水上バイクにホバークラフト、・・・・・・そもそも、「若者よ、ダイビングこそが、今もっともナウいぜ!」と言わんばかりの内容でして、まぁ、ぶくぶくブクブク、泡の中。


原田知世さんが、避難訓練の担当なのに、織田裕二さんと宝探しをする為に、会社をズル休みするあたりとか、阪神淡路や東日本大震災を経てしまった今からすると、本当に幸せな時代だったんだなぁと思ってしまったよ。


で、織田裕二さんが、びっくりするくらい大根でね。

まぁ若いからね・・・・・。


それに比べて、原田知世さんは、さすが若い(幼い?)頃から映画に主演をはっているだけあって、求められる原田知世像を、「これでいいんでしょ?」とばかりに、しっかりと演じておりました。

・・・・・そして、一時代を築いただけあって、原田知世さんが、めちゃくちゃキレイ。(今もキレイだが)

「彼女が水着にきがえたら」というタイトルなんだから、もっと水着のシーンがあっても良かったような、・・・・・・・原田知世サイドからNGだったんだろうなぁ。


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2015年12月27日日曜日

「クリード チャンプを継ぐ男」を見て思う、アメリカンドリームの変化


「ロッキー」の続編、「クリード チャンプを継ぐ男」。

ナンバリングはないですが、「ロッキー7」に当たる作品。
奇しくも(?)、新作が発表された「スター・ウォズ」と同じくなんですね。

(■井村一blog_ 今年最後の大作「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」)


正直に言って、私の中の「ロッキー」は、「1」で終わっている。

後は、蛇足ですよ、ぶっちゃけ。(すいません、「5」は未見です)


「FINAL」は、現役のチャンピオンに、引退して大分経つボクサーが挑んで、どうにか互角の勝負を繰り広げる・・・・・・という、リアリティはないものの、「ロッキーなら、俺たちの夢をかなえてくえる」という幻想に惑わされてしまい、ちゃっかり成り立っていました。

いい幕引きだ・・・・・・・・と思っていたら、ロッキー、さらに続編をつくるってよ。

それを最初聞いた時、「ぐーむ」というのは正直なところ。

無理だ・・・・orz。


駄作と名高い「5」と同じで、スルーしようと思っていましたが、「ニューズウィーク」を読んでいたら、「悪くないよ」という評価。

なら、「まぁ、いいか」と、見てみました。


うむ。

結果としては、悪くはない作品に仕上がってました。

年老いたスタローンは、見事に、年老いたロッキーでした。


以下、ネタバレ。

リブート大作の宿命なのでしょうか、基本としては「1」を踏襲している。

が、「ロッキー 1」は、金無し、女無し、未来無し・・・・・という男が、自らの人生の意味をつかむ為に、現役チャンピオンに挑むというお話し。

それに比べて、「クリード」は、かつては、施設にお世話になるような手のつけられない不良だったが、ロッキーの永遠のライバルであるアポロの正妻のおかげで、教育を施され、それなりの仕事に就いている黒人男性が主役。

彼は、ホワイトカラーの仕事を得て、若いながらも出世もしている。

しかも、養母は、世界チャンプの資産のおかげで、今も裕福な暮らしができている。

イコール、クリードも、悪くない生活をしている。いや、むしろ、良い生活をしている。

が、現状に満足はしていない。


「1」が、経済的に貧しいのに比べて、こっちの「クリード」では、豊かなんだよね。


アメリカンドリームは、貧しい若者が手に入れるという構図は、未だにプロのスポーツ界ではポピュラーなこと。

でも、ビル・ゲイツが裕福な家の出身だったり、ジョブズにしても複雑な家庭ではあったようだけど、「貧困」ではなかった。

現代においる「アメリカンドリーム」は、そうそう単純化できない。また、そういう物語も陳腐化してしまっている。
なので、裕福な生活を捨てて、敢えて自己実現の為に戦う男「クリード」という作品になったんだろうなぁ。


邪推すると、超大国アメリカのご事情というのも、背景には、あるのかもね。

貧乏国がのしあがってきて(ぶっちゃけ中国ですよ)、傲慢なアメリカを追い越すというのは、アメリカンドリームではなくて、ナイトメア(悪夢)。

だから、主人公のクリードが挑むチャンピオンは、「不良からのし上がって、拳一つで、今の財産を築いた」という典型的な成り上がりになっている。

普通なら、親の七光り&金持ちの息子が打倒の対象なるわけでが、「クリード」では、転倒してしまっているわけで、まぁ、アメリカのジレンマが感じられますなぁ~。


で、現代的なパートナー。

クリードの恋人には、夢があり、二人は相互に支え合う関係。(「ロッキー(1)」のように、銃後の妻ではない)

さらに、クリードは病身のロッキーを介護しつつ、現役チャンピオンに挑戦する為に、過酷なトレーニングをするという展開は・・・・・・、まぁ、現代的だよ。それは認めるけど、やり過ぎだろ? とは思ったが、まぁ、「現代的」ということで。


観覧前の予想では、「どうせ生肉を叩いて、生卵を飲むんだろ?」と思っていたけど、そういうシーンはなかったね。

音楽も、微妙にロッキー臭いけど、必ずしもロッキーの原曲を使うわけでもなく。

もちろん、「あぁ、あのシーンね」というオマージュは存在しているけど、意外に、オリジナル(?)に頼っていない。

が、クライマックスの試合のシーンでは、やはりテーマが流れて。

「どうせ、そうなるんだろ?」と斜に構えて待っていても、ストーリーの盛り上がりとあいまって、やはり、感動してしまう自分がいてしまうわけでして。


で、最後の最後は、ロッキー・ステップですよ。

盛時のロッキーが苦もなく駆け上がった階段を、病身のロッキーは、休み休み上がるしかなくなっている。

しかし、傍らには、彼の親友の子であり、ロッキー魂を継ぐ男が、悪態つきながらも介助している。


父親の栄光に耐えられずに、息子とは疎遠になってしまったロッキー。
愛人の子という負い目と、伝説的なボクサーが父であったという血縁から逃れられなかったクリード。

孤独だった二人の男が、擬似的な親子関係を結んで終わるというのは、まぁ「お約束」とは分かりつつ、悪くなかったです。


試合のシーンとか、「どうやって撮っているんだ?」と唖然とするような出来で、まったく中だるみなく見れるのですが・・・・・・・・・・、しかし、まぁ懐古厨と言われても、やはり、低予算がミエミエでありながら、「1」のようなヒリツク映画になれないのは、致し方ないなぁ。


で、ボーナストラックというか、スピンオフというか、「おまけ」のように思っていた、「クリード」ですが、まだまだ、続編をつくるつもりなの?

そりゃ、まぁ、「エピソード0」とか、「ロッキー2」と「3」の間には、「こんな感動の物語が!」というものが、つくりづらいのは分かりますが。

もう、これでいいんじゃないかな~。

「クリード チャンプを継ぐ男」オリジナル・サウンドトラック(スコア)
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2015年12月20日日曜日

映画「白い沈黙」の感想



「スター・ウォーズ」でテンションがガッツリ上った翌日に、「白い沈黙」を見ました。
(■今年最後の大作「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」)

スティーブン・セガールが出てこないのは分かってましたが、まさか、ここまで重い作品とは。
前情報なしだったので、テンションが、ダダ下がりでした。


で、ストーリー。

余裕はないながらも、娘に恵まれて、妻と三人一緒に、幸せに暮らしていたマシュー。
娘は可愛らしく育ち、熱心にフィギュアスケートに打ち込んでいる。
9歳になる冬、スケート場からの帰りに、父は、娘を車に残して、買い物をする。

その間、車から目を離したのは、わずか数分間。戻ると娘は車中からいなくなっていた。

そして、娘は見つかることなく、夫婦の関係は破綻、警察には不信感が残り、8年が過ぎた。

マシュー夫妻の周りでは、奇妙なことが起こり始めるのであった・・・・・。


物語は、時系列関係なく、時に事件当日、時に現在、時にほんの少し前のシーンになる。

娘がすっかり幼女から少女へ成長(娘は17才という設定なのだろうが、アジア人から見ると、OLでも十分通用する大人っぽさだが。・・・・・調べたら、撮影当時は20才超えているから、当然か。Alexia Fast)している以外、登場人物たちが代わり映えしないので、最初は混乱しました。

が、丁寧に練られてつくられているので、後になって「あぁ、あのシーンは、こういうことだったのか」と分かってくる仕掛け。

見終わってみれば、なるほどねーと全部が綺麗に並びます。


ネタバレ。

娘は誘拐犯から逃げる為に一芝居打つんですが、父に語った最後の日の会話(「細工(トリック)」と「小細工(ギミック)」)って、どういう意味があったんだろう?

てっきり、あの会話に何か深い意味があるように見えたんだけど、・・・・・・別になかったのかな?


誘拐犯は、娘に対して最初は性的な興味を抱いていたが、すっかり成長してしまった今では、そういう対象ではない模様。

現在は、新しい子供を手に入れる為に彼女を便利に使っている。

また、それだけではなく、父親的な感情も持っている様子。

と言っても、とても普通の父性ではない。

娘は、8年という時間を経ても、実の両親に、まだ愛情を抱いている。

そして、実の両親にしても、失踪した娘を諦めていない。

そういう絆に対して、誘拐犯は、嫉妬を抱いているのかな?

だから、敢えて危険を犯してでも、父親に会わせたり、母親の姿を娘に見せつけたりしている。
それは、娘への褒美でありつつ、両親を苦しませることで彼の嫉妬心を満足させてもいる。


そこに、娘は可能性を見い出し、父親との再会の際に、特別な「物語」を傍らに隠れている誘拐犯にも聞かせる。

そして、母親を苦しませる新しい設定として、スケート場での出来事を利用しようと、誘拐犯にそそのかす。

実の両親しか持ち得ない「物語」に嫉妬を覚えている犯人は、まんまと娘の作戦に乗ってしまい、共犯者をスケート場に向かわせる。
そこには、娘からの言葉を思い出して、考え込んでいる父親がいる。

共犯者は、そこで、取材と偽って、「物語」の詳細を聞き取ろとうしていたのだが、これが結局、秘密の暴露になってしまい、父親に気付かれてしまう。

だから、「細工(トリック)」と「小細工(ギミック)」と並べられると、意味深に聞こえるのだが、これ自体には、意味はないのかな?

うーん、どうなんでしょうか。


とりあえず、派手さや仰々しさはなく、大人のサスペンスでした。

全編、「雪、雪、雪」で、さすがカナダの映画、まったく美しくない。
北国の人間からすると、生活に密接したリアルな「雪」です。

この「雪(白)」が、作品全体を重苦しくしており、中だるみもなく、嫌な気分を味わえつつも、映画としては楽しめました。

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2015年12月18日金曜日

今年最後の大作「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」



例年通り、今年も続編モノが大量発生。

が、「ミッション・インポッシブル」「007」「ターミネーター」などの大作は、・・・・・・・・つまらんわけではないが、個人的には、「こんなもんかー」程度でした。

相変わらず不死身のイーサン・ハント「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」
けっこう期待していた「007 スペクター」の感想
「ターミネーター:新起動/ジェニシス」を見てきたが


そんな中で、おそらくは誰も期待していなかった「マッドマックス」が、思わぬ拾い物でした。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」が完全にイッちゃっていて面白かった


「今年は、マッドマックスだな」と思っておりましたが、・・・・・・・「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」が見事に肩を並べてくれました。

正直、スター・ウォーズの「4」「5」「6」で感じたワクワク感を、「1」「2」「3」は皆無で、「新作どうなんだろう~」と不安もありました。

メインの二人のキャラが、女性と黒人という、「いかにも現代社会に配慮しました」という配役も、まぁ仕方ないよねと分かりつつ、「物語が犠牲にならなければいいね」と危惧していましたが、まったくの杞憂。

特に女性のレイは、田舎の純朴娘で機械に強くて腕っぷしも確か。
当然、ハリウッド大作の主人公に選ばれるくらいですから美人。

でも、完璧ではなく、ちょっとドジっ子。

そんな子が、徐々に自らの運命と対峙していく流れには、素直に引きこまれました。(「マッドマックス」もだけど、こちらも戦う女性だね~)


で、ネタバレ。

スター・ウォーズお決まりのオープニングで、スター・デストロイヤーやらストームトルーパーが出てきて、「おぉ始まった」という高揚感。

ダースベイダー的な悪役「カイロ・レン」も登場、主役の二人もそろい、彼らの置かれた立場も、なんとなく理解。

そろそろ慣れたというところで、ミレニアム・ファルコン号。

「これだ、これ。スター・ウォーズだよ」と懐古にひたっていると、ほどよくハン・ソロとチューバッカが出てくる。(ジャー・ジャー・ビンクスは、出ません)
しかも、お年を召しても、相変わらずのハン・ソロに、苦笑い。


その後、ハン・ソロが出ずっぱりでね。
こりゃ、活躍し過ぎだな・・・・・・、死ぬんじゃね?
(死なないと、若い二人が活躍できない)

・・・・・・・案の定、死にました。

でも、ここら辺も上手。
カイロ・レンが、やっぱりダースベイダーには及ばないなー、と思っておりましたが、父殺しをさせることで、次回作での暴走が期待できます。


・・・・・・ただ、まぁ、ちょっと、アレだなと思ったのは、後半が、まるっきり「4」でしたね。

「スター・ウォーズ」的文法に従ったと言えば、そうなんだろうけど。

ハン・ソロ登場とは、ちょっと違う意味で、苦笑いしてしまいました。


で、ルークに会うのは、次回作かな? と思っていたら、意外にあっさり会えました。


最後の最後まで、たっぷり楽しめました。
(ただし、「マッドマックス」は前作を知らなくても楽しめましたが、・・・・・・「スター・ウォーズ」は、せめて「4」「5」「6」は見てないと、「この人、なに?」になってしまうだろうなぁ)


予想。

黒人のフィンと、エースパイロットのポー・ダメロンで、レイを取り合うんじゃないのかな?


そして、この「7」が、「4」を踏襲しているとすれば、「8」は「5」と同じで、みんな危機に陥る、ヤキモキするラスト。

で、「9」で大団円てな感じで、どうでしょうか?


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2015年12月13日日曜日

映画「杉原千畝 スギハラチウネ」の感想


「海難1890」と「杉原千畝 スギハラチウネ」という、自国自賛タイプの映画が同時期に上映。

どっちかな~? と、悩んでおりますと、超映画批評さんでは、前者が「ダメダメ」、後者が「オススメ」。

プロの批評家が褒めたからといって面白いということは必ずしもなかったりしますが(肌が合わなかったり)、けなしているものは、総じて的確だったりします。

ということで「杉原千畝」を鑑賞することに。


今年は戦後七十年ということで、「日本のいちばん長い日」のリメイクがあったりしました。
(■原田眞人監督「日本のいちばん長い日」)

大変な力作でした。

・・・・・・が、不満を言うと、一つ目にはオリジナルではないこと。(オリジナルに負けない作品だと思いますが)

二つ目は、題材が、あまりにも内向きなこと。

まぁ、津川雅彦さんが東条英機を主人公に据えた「プライド」に比べたら、まだ外に向いてますが、日本の終戦に至る(敗戦を受け入れる)道筋を描くというのは、けっこうな力作でありながら、外国では受けないだろうなぁというのが目に見えているわけでして。

おっぱいぷるんぷるんで有名な「ヒトラー 最期の12日間」のような作品もあるけど。

あっちは、なんと言ってもヒットラーだからね。

知名度が違い過ぎる・・・・・。


その点! 右の人も左の人も大好きな「杉原千畝」の物語でしたら、ユダヤ人を救ったという世界的な評価のある人物。
外にも容易に受け入れられる素材です。

戦中の日本にも、こんな素晴らしい日本人がいたんだ! レッツ、プロパガンダ!!

ということですが、それもこれも、映画の出来次第。


で、杉原千畝は、唐沢寿明さんが演じておりました。

うーん、なんかイメージと違うなぁと思っていましたが、映画は、予想外のスパイ映画的な滑り出し。

そこから、杉原千畝の満州時代の活躍が、少々大げさに(映画らしく)語られます。

どうしても、「人道」とか「博愛」というイメージの杉原千畝さんでしてが、この作品では、有能な官僚・外交官であった面もクローズアップしているので、唐沢寿明さんなんだなぁと納得。


さて、奥様は小雪さんなのですが・・・・・・、デカイよ、デカイ。
唐沢さんよりデカくない?

個人的には大柄な女性というのは嫌いではないのですが、そんな私でも、気になる大きさ。

しかも、絵的な美しさを画面に留める為に、小雪さんが、戦争の足音が近づいている&戦争中の場面であっても、華やかな衣装をお召しになることが多いんだよね。
まぁ外交官の奥様だから、そりゃ、みすぼらしいかっこうはしていなかったのだろうけど、それにしても、「華」がありすぎて。

余計に目立つ。

おそらくは、白人の出演者が多数いる中で、普通の日本人女性だと、チマっとしてしまうだろうから、それにも負けない女性を選んだのだとは思います。
「ラストサムライ」で、外国映画の出演経験もあるしね。

が、それにしても、気になったなぁ。


それは置いておいて。

作品ですが、外交官として任地に趣き、そこで行われた諜報活動についても語らています。

で、基本、反ドイツなんだよね。

ユダヤ人を救ったことももちろんだけど、ドイツとソ連によって分割されてしまったポーランドと裏では手を握っていたり、上司からソ連の動向を調べろと命令されているのに、ドイツ軍を調査したり・・・・・・。

そして、そのドイツと同盟を結んで、「これでアメリカは、攻めてこないね」と安心している日本に対して、危機感を抱いている。
が、杉原千畝が提供する情報や意見が中央に反映されることはなく、結局は、日本はアメリカとの無謀な戦争に向かっていく。


「チウネ」という呼び方は外国人には難しいらしく、外国人には「センポ」と呼ばせている。

一方で、奥様が、「千畝」という名を見て、説明されるまでもなく「チウネ」と読み、そこから二人の交際が始まったことになっている。

この二つの名前というのは、杉原の二つの立ち位置を表しているわけでして。

戦後になって、杉原に救われたユダヤ人が外務省に赴いて、「スギハラセンポ」で照会をしても、「そんな人物は存在していないし、存在したこともなかった」と返答するシーンが象徴しているように、日本の外交官として有能であった「スギハラチウネ」と、人道主義を貫いてユダヤ人を救った「スギハラセンポ」は、時に矛盾するものであった。

戦後、杉原が外務省に残れなかったのは、独断でユダヤ人にビザを発給したことが一因ではないかとも言われている。

一官僚としては、その行為が逸脱であることは明白であり、それはドイツとは同盟国でありながら警戒し、また本国の無謀な戦争に対して怒りを抑えきれない姿とも通底している。




・・・・・なんだけど、日本の敗戦まで予見していた、というのは史実?
そういう証言が残されているのかな?

杉原千畝を「単純に良い人」にしたくはなく、その有能さの演出なんだろうけど。

ユダヤ人がカウナスに殺到しても、最初は、「入れるな」と部下に命じているのは、ある意味、当然でして。官僚としてはリアルな態度。

でも、いろいろな苦悩を経て、ビザを発給することを決意するのだが、その理由の一つは、自分も紙切れ一枚(ビザ)でソ連に行けなかったという苦い過去があるから。
となっているが、ユダヤ人迫害と、憧れの任地へ赴けなかった挫折を同一視するのは、・・・・・・・うーん、重みが違い過ぎるような。

まぁ、「単純に良い人」だったからユダヤ人を救ったわけではない、という深みを与えたかったのだろうけど、ちょっと気になるところではあります。

そもそも、キリスト教の影響は排除できないんじゃないのかな?

それに言及しないのは、現代的な物語にしたかったのだろうけど・・・・・。


もっとも不思議だったのは、カウナスでの最後。
9月5日、ベルリンへ旅立つ車上の人になっても、杉原は車窓から手渡しされたビザを書き続けた。その間発行されたビザの枚数は、番号が付され記録されているものだけでも2,139枚にのぼった。汽車が走り出し、もうビザを書くことができなくなって、「許して下さい、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています」と千畝が頭を下げると、「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」という叫び声があがった。そして「列車と並んで泣きながら走っている人」が、千畝たちの「姿が見えなくなるまで何度も叫び続けて」いた。
読むだけでも泣けてくるようなシーンなんだけど、ばっさりカットしているんだよね。

あんまり湿っぽくしたくなかったのかな~?


・・・・・杉原千畝にとって一つの大きな業績ではあるが、それだけが全てではない。
だから、極端にしなかった。

が、その割には、最後の最後で、かつての仲間(恋人)からの手紙は、けっこう臭かったよ。


また、「欧州の天地は複雑怪奇」とも評された状況なので、仕方がないとは思いつつ、説明的なセリフが多かったのも、ちょっと気になりました。


まとめ。
ハリウッドなどとは違って、邦画の限られた予算で、杉原千畝の新しい面を見せてくれたのは、面白かったです。

が、うーん、海外で受けるとは思えんなぁ・・・・・。(「別に海外で受ける必要ないじゃん?」と言われてしまうと、まぁそれもそれで正論なのですが)


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2015年12月6日日曜日

「サンドラの週末」の感想


精神疾患を患って休職中のサンドラ。

ある日、職場から解雇と告げられる。

パニックになるサンドラ。

社長と直談判し、同僚たちの過半数が、ボーナスを諦めたら解雇は撤回するという約束を得る。
自らの仕事を確保する為に、サンドラは、同僚たちを説得する為に歩き回るのであった。


てな粗筋。

現代の「蟹工船」みたいなお話か? という予想を持って、見に行きました。

でも、予告編の動画を見ると分かるように、別に、主人公の一家って、貧乏臭くはないんだよね。

子供には携帯ゲーム機があって、家にはノートパソコンもある。
自家用車もあって、携帯はスマートフォン。
家族の身なりも、普通に小奇麗。

子供部屋が映るんだけど、今時な感じ。

裕福には見えないけど、まぁ、それなりって感じ。

薄給だけど、旦那も、ちゃんと働いている。

だから、サンドラが失職しても、「食うに困る」ということはない。


それは、同僚たちにも言えることで、それなりに生活は大変だけれども、「食うや食わず」という人は、ほとんどいない。

まぁ強いてあげると、ドレッドヘヤーの黒人の若者は、移民なのか、移民第二世代くらいで、しかも契約社員。他の同僚よりも、経済的にはなかなか大変そう。
でありながら、彼がキリスト教の博愛精神(THE 西洋的価値観)でもって、サンドラの復職に賛成するというのが、印象的でしたが。


この「赤貧洗うが如し」という状況ではない、というところが、現代的なんだろうなぁ。

あくまでも、この物語でサンドラ(や夫)が恐れているのは、「今の生活を維持できない」ということ。

もちろん、探そうと思えば、先進国であっても、「貧困という言葉でも生ぬるい」という苦境の人間はいるでしょう。
が、そういう人や家庭を取り上げれば、問題提起にはなっては、現代的な物語とは成り難い。

だから、中流・・・・よりは、ちょっと下? くらいの、設定になったんだろうなぁ。


この物語の土台である、「自分のボーナスか、同僚の雇用の維持か」を天秤にかけさせるようなシチュエーションが、「現実にある?」とは、思ってしまいます。

が、まるで決定権が社員にあるかのようにして、結局は、会社の意図通りに物事を運ばせるというのが、・・・・・・・自己責任論の罠という感じで、現代的。


ブラック企業批判に対する、さらなる批判として、「嫌なら辞めれば?」という意見があります。

しかし、みんながみんな、(物質的にも経済的にも)強い人間ではない。
ある種の環境下に置かれると、自由意志というものは脆くも崩れ去るわけでして。


で、ネタバレですが、最終的には、サンドラは過半数を獲得することはできない。

が、ギリギリまで賛同者を得ることができたので、社長は、「なかなか大したものだ」と言って、社員へボーナスは出すし、復職もOKと言う。

ただ、契約社員の契約が切れて、空きが出来てからの雇用だと言うわけで、それは受け入れられないと断る。

こうして、大騒ぎの末に馘首でしたというオチ。

サンドラは、同僚たちの説得の最中に、よく「私が選んだわけではない」という言葉を口にするんだけれども、まぁ確かに、その通りで。
最終的には、自分の意思を貫き通した、つまりは自由意志を取り戻した、だから、晴れ晴れとした表情で、さらには頼り切っていた薬からも解放されたということなんだろうなぁ。


それにしても、不思議だったのは、サンドラのうつ病の理由が語られないこと。

旦那は頼りないし、給料は奥様より安い。けど、愛情はしっかりと持っている。(うつ病の奥様に、同僚を説得して回れだなんて、けっこう酷い旦那だけど・・・・・)
子供も、まぁ、普通の子のようです。

家族には問題がないから、やっぱり仕事関係なの?

でも、仕事と病気について、関連して述べられることはなく。

うーん?

まぁ「うつ病は心の風邪」などとも言われますから、発症の原因を、特別なものにしたくなかったのかな?

仮に、心因が仕事であったとすれば、まぁ、物語の主旨が変わってくるもんな。

なら、「怪我」とか内科の「病気」でいいような気がするけど、・・・・・・そうすると、物語として、盛り上がりに欠ける&現代性が損なわれるというところか?


サンドラの週末 [DVD]
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2015年12月2日水曜日

「現代小説クロニクル(1980~1984)」


「現代小説クロニクル(1980~1984)」読了。

以前の感想。
「現代小説クロニクル 1975~1979」

作品が公表された年で区切った短編アンソロジーです。

と言っても、まぁ、この本を読んだからといって、当時の雰囲気が味わえるなんてことはないんですが・・・・・。(島尾敏雄さんの「湾内の入江で」は、戦中の話ですし)


どれも面白かったです。

が、その中で異質だったのは、大江健三郎氏の「泳ぐ男 -水のなかの「雨の木」」。

大江健三郎氏本人が、通っていたスポーツジムのサウナで出会った男女について語っているお話しなんですが・・・・・・、まぁ、幻想的とか、お伽話ではないけど、現実離れしているストーリーです。

ぶっ飛んでおります。

「面白い?」と聞かれると、「ある意味ね」と答えるしかないです。


他の作品と比較すると、異形というか、異様というか。
「オリジナリティ」の点で言えば、唯一無二。

ノーベル賞を取るってことは、こういうことなんだなぁ・・・・・。


最近の作品も二、三読んではいます。・・・・・読み易いのですが、あんまり頭に残らなかった。

一方、「泳ぐ男 -水のなかの「雨の木」」を読んで思い出したのは、「万延元年のフットボール」。

大分以前に読んで、こっちも忘れてしまっている。でも、読み通すのは大変だったことだけは覚えております。

また読んでみたいと思わせるような小説でした。

しかし、実際にページを開いたら、その瞬間に、「うぅ、大変そうだ」って後悔するんだろうなぁ。


現代小説クロニクル 1980~1984 (講談社文芸文庫)
by カエレバ