「海難1890」と「杉原千畝 スギハラチウネ」という、自国自賛タイプの映画が同時期に上映。
どっちかな~? と、悩んでおりますと、
超映画批評さんでは、前者が「ダメダメ」、後者が「オススメ」。
プロの批評家が褒めたからといって面白いということは必ずしもなかったりしますが(肌が合わなかったり)、けなしているものは、総じて的確だったりします。
ということで「杉原千畝」を鑑賞することに。
今年は戦後七十年ということで、「日本のいちばん長い日」のリメイクがあったりしました。
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原田眞人監督「日本のいちばん長い日」)
大変な力作でした。
・・・・・・が、不満を言うと、一つ目にはオリジナルではないこと。(オリジナルに負けない作品だと思いますが)
二つ目は、題材が、あまりにも内向きなこと。
まぁ、津川雅彦さんが東条英機を主人公に据えた「プライド」に比べたら、まだ外に向いてますが、日本の終戦に至る(敗戦を受け入れる)道筋を描くというのは、けっこうな力作でありながら、外国では受けないだろうなぁというのが目に見えているわけでして。
おっぱいぷるんぷるんで有名な「ヒトラー 最期の12日間」のような作品もあるけど。
あっちは、なんと言ってもヒットラーだからね。
知名度が違い過ぎる・・・・・。
その点! 右の人も左の人も大好きな「杉原千畝」の物語でしたら、ユダヤ人を救ったという世界的な評価のある人物。
外にも容易に受け入れられる素材です。
戦中の日本にも、こんな素晴らしい日本人がいたんだ! レッツ、プロパガンダ!!
ということですが、それもこれも、映画の出来次第。
で、杉原千畝は、唐沢寿明さんが演じておりました。
うーん、なんかイメージと違うなぁと思っていましたが、映画は、予想外のスパイ映画的な滑り出し。
そこから、杉原千畝の満州時代の活躍が、少々大げさに(映画らしく)語られます。
どうしても、「人道」とか「博愛」というイメージの杉原千畝さんでしてが、この作品では、有能な官僚・外交官であった面もクローズアップしているので、唐沢寿明さんなんだなぁと納得。
さて、奥様は小雪さんなのですが・・・・・・、デカイよ、デカイ。
唐沢さんよりデカくない?
個人的には大柄な女性というのは嫌いではないのですが、そんな私でも、気になる大きさ。
しかも、絵的な美しさを画面に留める為に、小雪さんが、戦争の足音が近づいている&戦争中の場面であっても、華やかな衣装をお召しになることが多いんだよね。
まぁ外交官の奥様だから、そりゃ、みすぼらしいかっこうはしていなかったのだろうけど、それにしても、「華」がありすぎて。
余計に目立つ。
おそらくは、白人の出演者が多数いる中で、普通の日本人女性だと、チマっとしてしまうだろうから、それにも負けない女性を選んだのだとは思います。
「ラストサムライ」で、外国映画の出演経験もあるしね。
が、それにしても、気になったなぁ。
それは置いておいて。
作品ですが、外交官として任地に趣き、そこで行われた諜報活動についても語らています。
で、基本、反ドイツなんだよね。
ユダヤ人を救ったことももちろんだけど、ドイツとソ連によって分割されてしまったポーランドと裏では手を握っていたり、上司からソ連の動向を調べろと命令されているのに、ドイツ軍を調査したり・・・・・・。
そして、そのドイツと同盟を結んで、「これでアメリカは、攻めてこないね」と安心している日本に対して、危機感を抱いている。
が、杉原千畝が提供する情報や意見が中央に反映されることはなく、結局は、日本はアメリカとの無謀な戦争に向かっていく。
「チウネ」という呼び方は外国人には難しいらしく、外国人には「センポ」と呼ばせている。
一方で、奥様が、「千畝」という名を見て、説明されるまでもなく「チウネ」と読み、そこから二人の交際が始まったことになっている。
この二つの名前というのは、杉原の二つの立ち位置を表しているわけでして。
戦後になって、杉原に救われたユダヤ人が外務省に赴いて、「スギハラセンポ」で照会をしても、「そんな人物は存在していないし、存在したこともなかった」と返答するシーンが象徴しているように、日本の外交官として有能であった「スギハラチウネ」と、人道主義を貫いてユダヤ人を救った「スギハラセンポ」は、時に矛盾するものであった。
戦後、杉原が外務省に残れなかったのは、独断でユダヤ人にビザを発給したことが一因ではないかとも言われている。
一官僚としては、その行為が逸脱であることは明白であり、それはドイツとは同盟国でありながら警戒し、また本国の無謀な戦争に対して怒りを抑えきれない姿とも通底している。
・・・・・なんだけど、日本の敗戦まで予見していた、というのは史実?
そういう証言が残されているのかな?
杉原千畝を「単純に良い人」にしたくはなく、その有能さの演出なんだろうけど。
ユダヤ人がカウナスに殺到しても、最初は、「入れるな」と部下に命じているのは、ある意味、当然でして。官僚としてはリアルな態度。
でも、いろいろな苦悩を経て、ビザを発給することを決意するのだが、その理由の一つは、自分も紙切れ一枚(ビザ)でソ連に行けなかったという苦い過去があるから。
となっているが、ユダヤ人迫害と、憧れの任地へ赴けなかった挫折を同一視するのは、・・・・・・・うーん、重みが違い過ぎるような。
まぁ、「単純に良い人」だったからユダヤ人を救ったわけではない、という深みを与えたかったのだろうけど、ちょっと気になるところではあります。
そもそも、キリスト教の影響は排除できないんじゃないのかな?
それに言及しないのは、現代的な物語にしたかったのだろうけど・・・・・。
もっとも不思議だったのは、カウナスでの最後。
9月5日、ベルリンへ旅立つ車上の人になっても、杉原は車窓から手渡しされたビザを書き続けた。その間発行されたビザの枚数は、番号が付され記録されているものだけでも2,139枚にのぼった。汽車が走り出し、もうビザを書くことができなくなって、「許して下さい、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています」と千畝が頭を下げると、「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」という叫び声があがった。そして「列車と並んで泣きながら走っている人」が、千畝たちの「姿が見えなくなるまで何度も叫び続けて」いた。
読むだけでも泣けてくるようなシーンなんだけど、ばっさりカットしているんだよね。
あんまり湿っぽくしたくなかったのかな~?
・・・・・杉原千畝にとって一つの大きな業績ではあるが、それだけが全てではない。
だから、極端にしなかった。
が、その割には、最後の最後で、かつての仲間(恋人)からの手紙は、けっこう臭かったよ。
また、「欧州の天地は複雑怪奇」とも評された状況なので、仕方がないとは思いつつ、説明的なセリフが多かったのも、ちょっと気になりました。
まとめ。
ハリウッドなどとは違って、邦画の限られた予算で、杉原千畝の新しい面を見せてくれたのは、面白かったです。
が、うーん、海外で受けるとは思えんなぁ・・・・・。(「別に海外で受ける必要ないじゃん?」と言われてしまうと、まぁそれもそれで正論なのですが)