2015年2月25日水曜日

漫画「シドニアの騎士」十三巻読了



13巻の感想を、そのうち書こうと思っていたら、14巻が出てしまったので、大急ぎで書く「シドニアの騎士 13」の感想。

サイボーグで、かつては男性でも女性でもなかったイザナや、ロボット美少女の市ヶ谷などに惚れられた主人公の長道。

けっきょく、超生物(融合個体)とでも言える「つむぎ」(全長17メートルだっけ?)と結ばれました。

スゲェ~展開。
(まぁ、「つむぎ」といのは、長道が好きだった人間(!)の「星白」の遺伝子を継いでいるところが、ミソなんだろうけど。)

ボーダーレスな男「長道」だな・・・・。


で、まぁ、物語は、徐々に終盤に向かっている模様。

ガウナとの最終決戦が近いようですが、その前に、立ちはだかる落合。

この落合というのは、マッドサイエンティストで、人類を超える人類を夢想する人間・・・・というよりは、意思。

ある意味、彼も、ボーダレスな男(?)。

ただ、
たとえば 星よりも強い 不滅の肉体を持った 完全な生命が一つ あればいい
などと五巻で述べているように、彼は自らしか認めていいない。または、自らの存在があれば十分だと考えている。

それに比べて、長道は、以前「ハーレム体質」と書いたように、排除ではなく、受容のスタンスであり、だからこそ、「つむぎ」を愛することが出来るわけで。


で、まぁ、「つむぎ」が星白の継承者であるように、長道は、かつてのエース「斎藤ヒロキ」の継承者。

で、落合は長道のライバルであった岐神に体を乗っ取られていた。

長道と落合がライバルであるように、斎藤と落合も心情的にはどうかは分からないけど、思想的にはライバル関係にあったとしてもいいわけで(人間の肉体改造を肯定する落合と、老化や光合成といったものを拒んだ斎藤)。

最終的には、主人公(の主張)が勝つのだろうけど、で、ガウナと、どう決着つけるのか?

てな感じで、14巻に続く。

以前の感想。
漫画「シドニアの騎士」一巻から三巻まで読了
漫画「シドニアの騎士」四巻から六巻まで読了
漫画「シドニアの騎士」 七巻から九巻まで読了
画「シドニアの騎士」 十巻から十二巻まで読了


おまけの感想としては、以前まではnexus7(2012)を使っていたんですが、解像度は1280x800。

で、今は xperia z3 tablet compact に変わったんですが、こちらは、1920x1200。

ようやく文字がつぶれないで読めます。

8インチなんで、見開きは難しいですが。


シドニアの騎士(13) (アフタヌーンKC)
by カエレバ

2015年2月23日月曜日

おれは「ルパン三世」だぞ、ということで実写版見ました




「実写版が製作決定!」というニュースが発表された段階で、「 そんな装備で 大丈夫か?」と多くの人に心配された「ルパン三世」。

ようやく見ました。

うーむ。

興行収入としては、まぁまぁだったみたいですね。

そこから言えば、「成功」なんでしょうね。
(実写版「ガッチャマン」は、興行収入、ダメだったみたいだし)

だから、僕なんかが「うーん」と思ってしまう箇所についても、ある意味、全部、分かってやっているんだろうな。


ルパン三世の難しいところって、彼は怪盗とは呼ばれるけど、端的に言うと、「泥棒」。

社会的には悪い存在。

そんな彼を応援したくなるようなストーリー展開にしなくてはいけないわけで、基本的には「強きを挫き弱きを助く」。

が、「ルパン三世」の良いところは、思想性や政治性がないところ。だから、怪盗ではあるが、ねずみ小僧のように、盗んだものを貧民にばらまくようなことはしない。

あくまでも、ムカつく金持ちや権力者から奪い取り、ルパンが気に入った庶民や弱者を助けるだけ。

ここらへんに爽快感があるんだろうけど、さて、この実写版「ルパン三世」。

どうやって、泥棒である「ルパン三世」に、観客の共感を持たせようとしたのかと言いますと、親しい人間を殺されたので、仇討ちという展開。

しかも、その親しい人間というのは、盗賊の親玉。
まぁ物語の中では、「良い盗賊」で、おさまっているようだけど、・・・・・・・うーむ。

これって、共感得られるのかな?
僕は、ちょっと、冷めてしまった。


で、その後のストーリー展開は、僕の子供時代の映画みたい。

敵の大ボスは、要塞の中で、ふかふかの椅子に座って待っているって、・・・・・・今時?

モヒカン頭の敵とかも、テンプレだな。

で、オリジナルの味方キャラにも、特別深みもなく。

それに、唐突に登場する味方ハッカー。
これはきっと、消し忘れだね。

おそらくは、当初、もっと活躍する予定だったんだろうけど、脚本が変更していくうちに、「どうでもいいキャラ」になったんだろうな。


で、ルパンのライバルで、最大の味方というマイケル・リーの安易な裏切り&安易な和解。

伏線なく唐突に訪れる危機と、お涙ちょうだいの自己犠牲でもって解決。


豪華さを演出する為に、盗品の売買を衆人環視の中で行うとか、その他諸々、すべてが懐かしい・・・・・。


とにかく、興行収入としては、十分だったのだから、ある程度分かり易いキャラ設定・展開・演出・風景等々、すべて製作者の意図通りで、かつ成功だったのかもね。


・・・・・褒めるところしては、ルパン三世を演じた小栗旬さんは、ちゃんとルパンでした。

「えぇ、全然体型が違うじゃん」と言われた峰不二子を演じる黒木メイサさんは(「ヤマト」での演技が評価されたのか!?)、どのシーンを切り取ってもビッチ臭のする美しさを見せていて、「なんで、こんなにルパンは峰不二子に執着するの?」という謎に、その美貌が、答えになっていたような気がします。(ちょっと褒めすぎ)

ルパン三世 Blu-rayコレクターズ・エディション
by カエレバ

2015年2月9日月曜日

映画の「AKIRA」を、久しぶりに見る




久しぶりに映画の「AKIRA」を見ました。

初見では、「スゲェ~新しい!」と思えたけど、今見ると、ちょっと古いね。
「AKIRA」を経て、今のアニメ映画があるのだから、仕方のないことだけど。
(音楽は、今聞いても、斬新だね)


設定は、第三次世界大戦後の日本。
既に復興を果たしたという経済状況。

この「カタストロフィ」後の社会というのは、まぁ、日本SFのお約束でして、「ファースト・ガンダム」はコロニー落としで人類の半数が死滅した後の地球が舞台だし、「エヴァ」はセカンドインパクト後、「ナウシカ」は火の七日間を経た世界・・・・・、と、まぁ、ちょっと思い出すだけでも、こんな感じ。

詳しい方なら、もっといろんな作品を引っ張ってこれるのでは?


なんで、こういう共通の下敷きを持っているのかと言えば、まぁ、お分かりの通り、「戦後日本」でつくられた作品だから。

太平洋戦争での敗戦によって、都市は瓦礫と化してしまった。
原爆という強力な兵器の登場は、人類自身をも滅ぼしてしまう可能性があり、それをマザマザと見せつけられもした。

そういうカタストロフィを経験した我々日本人は、これから、どう生きるのか?
また、どう生きるべきなのか?

という命題が、意図するにしろ、意図しないにしろ内包されている(内包されてしまう)のだろうけど、さて、「AKIRA」。


大佐の言葉、「建設の熱は冷め、復興の喜びも忘れ去られ、今や欲望に身をまかせたバカどもの掃きだめだ。」は、当時のバブル経済に浮かれていた日本社会への言葉であることは明白。

その否定すべき街(ネオ東京であり、現代日本)を、破壊する可能性を秘めた「AKIRA」という存在。

超絶な力の持ち主。
その力とは、所謂「超能力」なのだが、宇宙において生物が生まれ、進化を遂げ、知識を手に入れて、文明をつくりあげた原動力でもある。

だが、その力の暴走によって、かつての東京を滅ぼした。


破壊と創造は表裏一体。
だから、同じような力を持った鉄雄に、映画内では、革命家やら宗教家たちが、変革の象徴だと夢見る。

が、鉄雄の方は、そんなことは知ったこっちゃないわけでして、ただただ暴走していく。

ここらへんは、莫大な力も持つ故に兵器にもなるが発電をも可能にするという原子力のアレゴリーと見ることもできるかもしれない。

まぁ、影響下にあることは事実なのだろうけど(AKIRAの爆発シーンなんかは、日本人としては、やっぱり原爆投下を重ね合わせてしまうのでは?)、311後の日本において、そういう面ばかり強調する政治的な読み解きをするのも、むしろ了見が狭い感じもするので、ここらへんで留めておきます。


で、鉄雄の暴走を阻止しようとする、主人公の金田。
現今の秩序からはみ出ている、不良という設定。

一緒に戦うことになるヒロインのケイは、反体制派。

また、鉄雄の能力を開花させてしまった大佐は、その責任をとる上でも、鉄雄を殺そうとする。
軍人という体制側の人間ではあるが、途中で、クーデターを起こして、既存の秩序を覆してしまう。


鉄雄は、AKIRAの力を持つ者(継承者?)で、変革のキーになる可能性を秘めているのに、彼の前に立ちふさがる人々も、既存の体制に満足していない人間たちなわけで、この構図が、不思議と言えば、不思議。

政治的に読むのは無粋ではあるとは思っているけど、「AKIRA」って、内ゲバのお話とすることもできるのね。

だから、漫画では、鉄雄は独立国家を樹立しようとするし、また、金田は、それを受け継ぐわけだ。


映画見て、久しぶりに漫画が読みたくなったが、・・・・・・電子書籍では出ていないんだよね。

浦沢直樹さんと同じで、金に困ってないし、絵にこだわりがあるから、ご存命の内には、電子化はされないかもな・・・・・。

AKIRA 〈Blu-ray〉
by カエレバ

2015年2月7日土曜日

「戦場のメリークリスマス」~30年目の真実


今さらながら、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」を見て、あまりの圧倒的な内容に衝撃を受けまして。(■「戦場のメリークリスマス」の感想)

ちょうど最近出た本があるので、買ってしまいました。


帯で、坂本龍一さんが絶賛しているように、面白く&一気に読めてしまいます。

内容自体は、今まで公になっているものと重複しているのかもしれないけど(ファンなら当然知っている内容なのかもしれない)、つい先日、衝撃を受けたばかりの人間からすると、大変興味深いものばかり。
 映画の原作者であるヴァン・デル・ポストは後に完成したフィルムでの坂本龍一が演じるヨノイを観て、小説のイメージそっくりすぎて本当に驚いたという。さらに、以前にアメリカで行われた文学セミナーで三週間を一緒に過ごした三島由紀夫を思いだしてならなかったと、当時の雑誌のインタビューで話している。伝説的な文藝編集者だった坂本龍一の父が三島由紀夫の担当であったのは不思議な偶然と言えるのかどうか。
「ヨノイ大尉が、三島由紀夫っぽいなぁー。坂本龍一さんは意識していたのかな? それとも、メークさんが、そうさせたのかな?」なんて思っていたんですが、やっぱり他の人も、同じ感想だったのね。

しかし、坂本龍一さんの父君と三島由紀夫が、そんな関係だったとは(三島由紀夫と「そんな関係」と書くと、誤解が生まれそうだが)。

たんなる奇縁に過ぎないのだけど、こんな不思議なエピソードが満載。


不思議と言えば、映画の中で、もっとも重要なシーンである、セリアズがヨノイにキスをするシーン。

「スローモーションのようなもの」になっているのですが、これが、カメラの不調で生まれた、偶然なんだそうです。


ゲラゲラと笑わせてもらったのは、映画の資金が集まらなかったこと。(ここらへんを読むと、当時と今とでは変化はあるでしょうけど、どうやって映画がつくられるのか、勉強になります)

それでも、大島渚監督は、はたから見ると、まったく動じていなかったそうです。

修羅場をくぐってきた、というか、大物というか。
内心では、いろいろと思うところはあったのでしょうが、第三者から動揺を気取られないというのは、大したものです。


本は、存命中のスタッフの証言が中心なのですが、最後に、当時の、大島渚監督のロングインタビューが掲載されております。

これはこれで、当時の空気が分かり、読み応えがあります。

その中で、印象的だったのは、この作品が、BL(ボーイズ・ラブ)として受容されていたこと。
今も昔も変わらんですなー。

今更ですが「戦場のメリークリスマス」を鑑賞して疑問が出てきたのです... - Yahoo!知恵袋

もちろん、同性愛の映画なんだけど、↑を読むと、納得しつつ、ちょっと性愛に寄り過ぎているのかな? とは、個人的に思ってしまいます。(上記の解釈が間違っている、と指摘したいわけではありません)


多層的な解釈が可能な映画ですが、この本を読むと、より深く作品を楽しめるのではないでしょうか?


おまけ。

文春、産経の「反日」攻撃でアンジーの映画が公開見送りに! ネトウヨが作る検閲社会|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

同じく「太平洋戦争中、西洋人が日本人に虐待される」という映画ですが、日本では公開が見送り?

「戦場のメリークリスマス」も、もちろん、当時の日本兵の残虐性を描きつつも、その枠には収まらない人間ドラマが描かれているわけでして、見もしないで生まれた批判に尻込みしたとなると、残念ですね・・・・・・・。


「戦場のメリークリスマス」~30年目の真実 (TOKYO NEWS MOOK 466号)
by カエレバ

2015年2月6日金曜日

見忘れていた「攻殻機動隊ARISE 3」を見て



「攻殻機動隊ARISE」が映画化というお話があって、それで、「1」「2」は見たけど、次を見てないということに気が付きまして、「3」を見ましたが・・・・。

原作の漫画があって、押井守監督によって違った地平が切り開かれ、神山健治監督によって世界観が広がり、さて、どうなる「ARISE」だったんだけど。

普通だよなー。
「普通で何が悪い?」と言われると、そうなんだけど。
前の二人が「攻殻機動隊」で、名を上げた感があるからね。
どうしても比較しちゃう。

ストーリーが訳も分からないまま進んでいくのは、ほぼ伝統になってしまっているけど(原作の「1」は読み易いけど、「2」は、もう何がなんだか)、それにしても、なんか平板。

起伏はあるんだけど、ストーリーを追うことに終始して、うまく奥行きが生まれてないと言うか、なんと言うか。(人のことは、なんとでも言えます・・・・)

キャラにしても、たとえば草薙素子の上司のクルツの容姿が象徴的だけど、「いかにも」なアニメ的格好がね。

これが好きな人もいるんだろうし、作品によって、こういう「軍服で乳をさらけ出して、どうやって仕事をするんだ!?」というのが合ってることもあるんだろうけど、「攻殻」には合ってないような気がするな~。(人によっては、これでいいんだろうけど)

映画は、どうなるかな・・・・・・。

攻殻機動隊ARISE (GHOST IN THE SHELL ARISE) 3 [Blu-ray]
by カエレバ

2015年2月1日日曜日

「戦場のメリークリスマス」の感想

「戦場のメリークリスマス」。

ずっーと前に、深夜でやっていたので、録画をしたのですが、まぁ、これが失敗。

オッサンネタになるのですが、まだVHSの時代でね。
どうやら、野球の放送延長かなにかがあったらしくて、最後の最後で、録画が終わってて。

セリアズが生き埋めになったシーンで途切れており、「この後、どうなったの?」というモヤモヤを抱いたまま、十数年。

ようやく見てみましたが、・・・・・・スゴイね。

大島渚監督の作品で鑑賞済みなのは、「御法度」くらいかな?
こっちは、まぁ、「こんなもんか」程度の感想だけど、「戦場のメリークリスマス」は改めて見ると、オープニングでテーマソングが流れてきた段階で、鳥肌がたってしまった。


で、以前は、なんでもなく見過ごしていたけど、この映画は、朝鮮人軍属がオランダ兵を襲っている(レイプ)から始まっている。

これは、全体を象徴するシーンになっており、男性同士の友愛の物語であることを意味しているんだろうけど、それだけではない。

敢えて、日本人(純粋な? そんなものはないけど)が英米人を襲うのではなく、微妙にズレが生じているところに、この映画を支配する力関係の歪さが、より鋭角になってあらわれているわけでして。

ストーリーは、捕虜であるジャック・セリアズと、坂本龍一さん演じるところの捕虜収容所所長のヨノイ大尉の対立が何度なく描かれております。

対立? うーん、正確には、ヨノイ大尉の勝手な興味かな?

ジャック・セリアズが象徴しているものは、「ヨーロッパ(英米)」「キリスト教」「自由」「被支配」であり、ヨノイ大尉は「アジア(日本)」「神道」「拘束」「支配」。

でも、単純ではないのは、どうやら、ヨノイ大尉というのは、英語が堪能であることから想像できるように、かなり知識人。会話の中で、英国人のセリアズにシェークスピアの原文を引用するほど。

二・二六事件の生き残りで、どうやら自分は生き残ってしまったことを後悔している。(もしかしたら、この戦争の大義にも疑問を持っているのかも)

そういう中で、どんな苦難においても節を曲げることのないセリアズに対して、ヨノイ大尉は、強烈な興味を抱くようになる。

セリアズの中に、自らの苦悩の解決が内在しているのではないかというヨノイの関心は、周囲の人間を不安に陥れるほど。彼の部下はセリアズを殺そうとすらするが、ヨノイは許さない。


最終的には、支配を強めようとするヨノイに対して、セリアズは「許し」を与える。

土壇場になっても膝を屈すること無く、でありながら、暴力に訴えるという手段もとらないセリアズの抵抗に、ヨノイは圧倒されてしまう。

セリアズは生き埋めにされて殺されてしまうが、ヨノイは彼の精神に敬意をあらわして、彼の遺髪を得る。
(つまりは、ヨノイがセリアズに屈した。もっと踏み込めば、ほれちゃったんだよね)


セリアズは、セリアズで、かつて男子校に入学した弟を見捨てたという過去がある。
それによって、弟の精神を見殺しにしてしまったという負い目を感じている。

男子校、つまりは男性社会。
捕虜収容所は、さらに強烈な男性社会。

そこで、仲間の為に、さらには支配層であるヨノイの為に「寛容」「慈愛」(個人的には、キリスト教的というよりは、男性社会に対して、女性的方法によって対抗したのかな?)を示すことで、セリアズ自身も過去から解放される。


閉鎖された特異な状況下における異文化対立、それも「戦争」「宗教」「文化」「国家」といった問題を盛り込んで、観念的&衒学臭くなりそうなところを、うまく緩和しているのは、ビートたけしさんが演じるハラ軍曹の存在。

ビートたけしさんの映画は好きだけど、俳優としては、「そんなに上手?」と感じることも多い。
けど、「戦場のメリークリスマス」では、「野卑」という言葉がうってつけの好演。

捕虜になっている連合国側の兵士を、「なんで死なない。自分なら捕虜にはならない」と愚弄しておきながら、最後には自分も捕虜になっているわけで。

しかも、敵国語であった英語まで習っている始末。

節操が無い、というよりは、現実主義者なんだろう。
だから、捕虜を襲った朝鮮人軍属をヨノイの許可無く勝手に処刑しようとするけど、結局は、ヨノイの立ち会いのもとで、腹を切ることになるわけで。(つまりは、ハラの独断がもっとも合理的な判断であったということ)

自決では恩給が出ないから戦死と処理するといった汚い現場仕事にも慣れており、上からすると、野蛮ではあるけど、使い勝手はいいわけだ。

つまり、現実に合わせて生きているのであって、だから、戦争に負ければ、死ぬことなく捕虜にもなるし、英語も勉強する。

ヨノイとセリアズの対立だけは、七面倒臭い平面的な思想戦になりそうなところを、この人間臭いハラ軍曹&ビートたけしさんの好演で、より作品が深くなっている。

だけども、よく分からんのが、ロレンスに助命をすれば、ハラ軍曹は助かる可能性はあったようだけど、そうはしない。
それは彼の矜持が許さないのかな? ここらへんが、なんか不思議だったりする。


ヨノイとセリアズの対立は戦争を背景にしているわけで、異常な世界。
その異常において、一般人であるハラが正常であるには酔うしかない。

だから、収容所時代に酔っ払い、クリスマスにかこつけて、セリアズとロレンスを解放した際には、ひどく泥酔していた。
観念的な戦いを繰り広げる二人に対する、彼なりの抵抗だった?

だから、セリアズからすれば、逆にハラが異常なわけで、彼を「狂っている」と評するわけだ。


最後の最後、明日は処刑される場面になり、ハラは、冗談めかして、「これからも酔い続けます」と語る。
つまりは、未だに世界は狂っているという、思いがある。
(「自分は普通の兵士がやることをやったに過ぎないのに」と、恨み節を述べているし)

で、朝鮮人軍属が切腹した後に、「日本軍」だけではなく、彼らに拘束されている「捕虜」側も、「どちらも異常だ」と言っていたロレンス。
だから、彼は「これからも酔い続けます」というハラの言葉に対して、「サケは素晴らしい」と返すわけだ。


そして、最後の「メリークリスマス、メリークリスマス、ミスターロレンス」という言葉なんだけど、どこかに通底したものを持っていると感じたハラからロレンスに対する親愛のあらわれだったのかな?

戦場のメリークリスマス [DVD]
by カエレバ