2014年11月29日土曜日

クリストファー・ノーラン「インターステラー」見ました



クリストファー・ノーラン「インターステラー」見てきました。


感想を一言で言えば、「2001年宇宙の旅」は偉大だ、に尽きます。

基本のラインが、「2001年」から抜けてないんだよね。


まぁ「ミッション・トゥ・マーズ」を見終わった時のような脱力感はなく、三時間弱の間、退屈なしで、映画館を出るときも、満足感で一杯でしたが。


「本格SF映画! 女子供はすっこんでろ!!」くらいの勢いで紹介しているようなサイトもあったので、「けっこう小難しいのか?」と構えて見に行きましたけど、そこまでではなかったです。

「SF大好きっ子」というわけではないですが、日本のサブカル文化(マンガ、アニメ、ゲーム)に、適度に親しんできたので、そのおかげもあるんでしょうけど。

そこらへんに、普段、あまり接していない人が見に行くと、「なんだ、これ?」と疑問にぶち当たるのか?


ネタバレになるけど、「ブラックホールに入ると、なんで異次元に飛ぶの?」とか、まぁ、普通の人なら「?」が頭に浮かぶかも。

映画「2001年宇宙の旅」なんかを見たことのある人からすると、「理屈じゃねーんだよ、宇宙は!」で処理できてしまうからね。


それでも、つっこみたい所は、けっこうあった。

「先遣隊からの通信は届いたのたのに、後続の宇宙船は、なんで地球にデータを送れないの?(作中にて、なんか説明があった?)」

「一個目の星の調査が終わって、次の目的地を決めるために、いきなり会議って。人類の存亡を決める旅なんだから、普通、緻密な計画があるでしょ? なに、その場当たり。しかも、いろいろ屁理屈を並べるけど、結局、恋人に会いたいとかなんとか、わがまま言い始めるし」

「そもそも、一個目の星も、ちゃんと地表を調査してから、降りろよ。いくら急いでいるからっていきなり降下って」

その他、もっとつっこみたいところはあったけど、まぁ、「理屈じゃねーんだよ、宇宙は!」ってことで。


そんな重箱の隅はともかくとして、全体としては面白かったです。

伏線も回収して、最後は、大団円で気持ち良く終わってますし。

むしろ、ちゃんと綺麗に終わりすぎるのが、ちょっと物足りないと思わせるくらいでした。


あぁ「ダークナイト」みたいなのが、また、見たいな・・・・・・。

インターステラー (竹書房文庫)
by カエレバ

2014年11月26日水曜日

荒川弘「銀の匙 12」を読んで



今更ながら「銀の匙」12巻を読んだんですが、・・・・・・展開が早いですね。

なんだこりゃ。


11巻まで、一話一話、丁寧に密度濃く進んでいたのに、12巻から、突然に早足になっちまったね~。
どうやら、13巻で高校を卒業させて終わらせるような感じね。


作者のご家族がご病気になった、というから、その関係なんだろうけど。


これまでの展開を台無しに、というほどではないけど、もったいない。

現代日本における農業という厳しい現実をしっかりと描写しつつも、個性あるキャラクターたちに夢を持たせて、いきいきと、盛りだくさんで描いていただけに。


しかし、なんで、終わらせるんだろう?

「一年生で終わらせる予定を、無理やり編集部が引き延ばしているんじゃないの?」という意見もあるようだけど、新キャラが、わざわざ登場しているところからすると、作者としては、やっぱり二年生、三年生と続けるつもりだったんだろうけど。

なら、とりあえず、二年に上がる前に、「八軒君のおかげで、成績が上がったわ。ありがとう。これからも、よろしくね、チュッ」てな感じで、御影がホッペにキスをして、八軒が鼻血を出して「第一部 完」(昭和の人間の発想)という流れで、とりあえず終わらせて、またお時間が出来たら、第二部を開始するという方法もあっただろうに。

アニメ化、実写化もしているのだから、出版社としても、急いで終わって欲しいなんて思わない気がするけどね。

まっ、所詮は、勝手な推察。実際のところは、いろん事情があるんでしょうな・・・・・・。


それにしても、もったいない。

12巻も、これはこれで面白いんだけど、それだけに「うーん、残念」と思ってしまいます。

銀の匙 Silver Spoon 12 (少年サンデーコミックス)
by カエレバ

2014年11月20日木曜日

東浩紀「弱いつながり 検索ワードを探す旅」を読了

「TBS RADIO 文化系トークラジオ Life」を聞いていると、よく「東浩紀」さんのお話が出てくるのですが、未だ一冊も読んだことがなく。

で、一冊読んで見ようかと手にした「弱いつながり 検索ワードを探す旅」。
最新作なのかな?

アマゾンのレビューで「薄いです」と書いてあったのですが、確かに字も大きく、ページ数も150枚で、集中力がある人なら一~二時間くらいで読み終えることが出来ると思います。

しかし、ページは少ないですが、内容は濃い・・・・・・という、ありがちな言葉を並べたくなりますが、・・・・・「濃い」とまでは言えないか?

そもそも、海外旅行から世界の有り様を考察という「悲しき熱帯」的な流れからのロゴスの限界を指摘というのは、思想・哲学のことは詳しくないけど、まぁ、ありがち?


でも、今更感もあるような、ありがちなことを主張しなくてはいけないというのは、結局のところ、それほどまでにネットの支配が確立されてしまっているということなのか、・・・・ふむ。

それで思い出したのは、「TBS RADIO 文化系トークラジオ Life」の「ソーシャル、レジャー、リア充」の回。

峰なゆかさんが、「女子会での写真は、一旦ネットに上げたものを加工して、完成品だけを参加者と共有する」と言って、それに対して、速水さん(だっとと思う)が「もう飲み会ではなく、ネットに現実があるんだね」と感想を述べていたこと。

日々の生活の変化ってゆっくりだから、気がついていなかったけど、「目の前のリアルを無視して、仮想のネットが優先される」傾向は、確実に進んでいるのかもね。


インターネットの誕生によって、「あらゆる人が、平等に情報にアクセスできる! 情報の共産革命だ!」てな感じで喜ばれていたはずなのに、気がついたら、グーグルやらフェースブックやらに情報が全て握られてしまっている。

もちろん、無料でアクセスできることによって、もたらされた恩恵は大きいんだけど、大きければ大きいほどに、副作用も出てくるのは、どこでもある話でして。

正負は糾える縄の如し。


ネットが巨大になり過ぎてしまった。膨大な情報がいくらあっても、フィルタリングができなければ、結局は必要なものにアクセスすることができない。

で、グーグル先生は、便利なツールを基本無料で開放してくれている。

とっても賢くて、「自分に必要な情報」を、素早く取り出してくれる。


が、この「自分に必要な情報」がクセモノでして・・・・・。
ネットには情報が溢れているということになっているけど、ぜんぜんそんなことはないんです。むしろ重要な情報は見えない。なぜなら、ネットでは自分が見たいと思っているものしか見ることができないからです。そしてまた、みな自分が書きたいと思っているものしかネットに書かないからです。
グーグルが、evilかevilでないかは、さて置くとしまして、こうして指摘されてみると非常に納得。

ネットは、人間の知識を無限に広げてくれるのではなく、タコ壺に押し入れる装置としても作用する。

日本に限らず、ネット世界においては保守的な愛国運動が盛んだけど、この説明で、その原因が、ようやく理解出来ました。


特に重要なのが、本書においては、ネット自体を批判しているわけではないんだよね。(「書を捨てよ町へ出よう」ではない)

オッサンにありがちな、「昔は良かった」的な論法で、
 「ネットは犯罪の温床だ」
 「人間性を破壊する」
 「日本社会の伝統をズタズタにする」
てな安易な言葉を持ち出してきているわけではない。

最早、後戻りはできない世界に、我々は生きているのであって、それを踏まえて、「ネットの特性に気をつけろ」、「意識的にネットからの距離を考えろ」と、いう警告している。

すっかりスマートフォンが手放せなくなってしまった生活をおくっている人間なので、なんともお耳痛い警告です。


また、「TBS RADIO 文化系トークラジオ Life」の前回「フィジカルの逆襲」は、どうも最後の一歩が腑に落ちないという感じだったのですが、本書を経由することで、ようやく胸に収まった気がします。


弱いつながり 検索ワードを探す旅
by カエレバ

2014年11月16日日曜日

地主恵亮さんの「妄想彼女」の感想

さて、地主恵亮さんの「妄想彼女」を読了。

地主恵亮さんが分からない人には、こちらの記事をオススメします。

カッコいいワイルドになる方法


他には、フリー素材として、デイリーポータルZからいただいた、こんな写真を、どうぞ。

こんな

そんな

あんな

感じて欲しい、この得も言われぬ感。


そんな人が書いた、本です。


肝心の本の内容ですが、ページの上半分は「妄想彼女」というタイトル通り、エア彼女(伊集院光さん風に言うと「嘘彼女」)との出会いから、結婚、出産までが、章ごとに分かれて書かれています。

また、文章と一緒に彼女と撮ったとされる、フォトショップ皆無のトリッキーな自撮り写真が掲載。

で、主人公は有能で、スポーツマン、高収入、友人や同僚からの人望も厚く、・・・・・という設定でして、妄想というだけあって、まったく地に足がついておらず、非常にリアリティがないです。

ハワイに行く前に、日本でアロハシャツを着るって、どういうこった?

そんな真っ赤なマネキュアをしている女性が、今時、いるか?

子供の頃は親に連れられてハワイにちょくちょく遊びに行って、高校生あたりではアメリカのスラムで暮らし、それから日本の大学に入学して、在学中は留学し、就職後は仕事で海外に行くことが多い。・・・・・・なんだ、これ!?

細かいことを詮索し始めると、永遠に終わることのない苦難の旅路が待ち受けています。


そして、下半分では、作者である地主さんが、これまで、どれだけモテなかったのか、友人というものがいなかったのか、お金というものに縁がなかったのか、未だに仕事がないのか、切々と訴えます。

これが、「半分はネタだよね? 誇張しているよね?」と心配になるほど、リアリティがあります
真に迫ってきます。


そして、そんな自分でも大丈夫! 彼女といるような(いるように見える)写真なんか、簡単!
ということで、写真の撮り方の解説。

・・・・・・・・・・・・・・・・。



なんで、こんな、本当にやったら、リストカットをしてしまうようなことをしているのかと言うと、作者は以下のように作中で述べています。
世の中、タイムイズマネーなのだ。本当に彼女を作り、同棲するなどの時間がかかることをしている場合ではない。少しでも時間を短縮して行う必要がある。それがこの方法だ。そもそもこのような写真がムダなのではないか、という考え方もあるが、そのような考え方に私は賛成しない。このような涙ぐましい努力が世界を平和にすると信じて疑わないようにしている。
イグノーベル賞に、平和賞部門があれば、けっこう良い所まで行けるのではないかと、僕も思います。


さて、以上のような体裁をとっているので、テイストの違う文章が(ハニーとビター)、上下に分かれております。

バースデーカードを自作しているところ


なので、上の一章を読み終えると、ページを戻って、今度は下の一章を読むという感じ。

めんどくさい。

ゲームブック?


下の文章というのは、上の文章のつっこみという役割があるのですが、上の文章は上の文章で注釈があって、そこでもつっこんでいる。

さらに、つっこみであるはずの下の文章にまで注釈があって、そこでもつっこみがはいっている。

くどい。


しかし、この、上下を行き来し、さらに注釈に目を移さなくてはいけないという、めくるめく読書体験は、僕の心のやらかい場所を なんだか締め付ける。


よくよく考えますと、田中康夫さんの「なんとなく、クリスタル」ですね。

バブル期に書かれた青春(?)小説でして、筋らしい筋はなく、散りばめられた固有名詞と、それにワザワザ注釈をつけることで、単純に流行を礼賛するのではなく、しかしながら、逆に時流を批判するのではなく、アイロニカルな没入とでも言うべき若者の姿勢を描写した作品です。


そして、地主恵亮先生の「妄想彼女」は、上段に理想の人生を創造し、下段では現実の生活を活写することで、一見すると、この構造を用いることで、現代における格差社会の告発となっているようで、そんな簡単ではない。

なぜなら、上段の理想の人生ですら、頻繁につけられる注釈によって、その空虚さが露わになっている。つまりは、決して、手放しで褒めているわけではない。


それは、厳しい現実を描写している下段でも言えることで、酷い青春や悲惨な交遊録、貧しい恋愛遍歴が赤裸々に語られておりながらも、注釈を付け加えることによって、それすらも容赦なく批評することを忘れない。

その厳しい姿勢は、羅針盤の欠く現代社会に生きる若者の姿そのものであり、二つに、いや四つに切り裂かれたアイデンティの描写を通して、現今の世界における病理を、見事に浮かび上がらせているわけです。


・・・・・・・・・・・・・・・と、適当なことを書いてみました。


基本、ゲラゲラ笑って読む本です。

が、時に、あまりに痛々しく、悲しくなりますが。

自虐が過ぎる、と思うことも多々ありました(とても身につまされるエピソードが、メガ盛りです)。


でも、こうするしかないのよね・・・・・。

だって、もう、ここまでこじらせてしまったら、ギャグにするしかないじゃん?

そうじゃないと、犯罪者になるしかないんだから。


さて、さだまさしさんの「道化師のソネット」を聞きながら、枕を濡らして、寝ましょう・・・・。


妄想彼女
by カエレバ

2014年11月7日金曜日

文化系トークラジオ life「フィジカルの逆襲」外伝の感想

本編に続き、外伝も聞き終わりました。
(■文化系トークラジオ life「フィジカルの逆襲」本編の感想)

外伝冒頭は、速水さんが、最近、けっこう口にしている、「顔を合わせていないと、アイデアは生まれないよね」というお話。(イケダハヤト氏については、ゴニョゴニョ。まぁカーネーションの脚本家の渡辺あやさんは、島根在住という話だから、そういう場を必要としない、または東京以外という場が創造を生む人もいるんだろうけど)

アメリカのヤフーが、在宅ワークを禁止したように、ちょっと前までは、「情報化社会で、どこでも仕事はできるだん!」だったんだけど、どうやら、それは駄目だったみたい。
(ノマドは、どうなった? まぁ、あれは、単にフリーター・フリーランスを、現代風に翻案しただけだから、流行り廃りの問題じゃないか・・・・)


「書を捨てよ町へ出よう」てなもんでして、単に情報の嵐に接しているだけでは、限界があるよね、意味が無いよね、ということ。

でも、勘違いするとまずいんだろうな、と思ったのは、「ほらね、昔の方が良かった」ではない、ということ。

だから、本編では問題提起された(触れただけで、回答はなかった)、フィジカルが見直されいるけど、でも「飲み会ブーム」は起きていない、という不思議。

一応、ノミニケーション事態は見直されていはいるけど、ブームとは言えないですよね。

あくまでも、「ネット(情報、SNS)」と「個人」の仲介役としてのフィジカルが持ちだされているのであって、そういう環境下においては、「飲み会」というのも一つの手段に過ぎない、ということなのかな?

社縁が人生の大部分を占めていた過去の社会であれば、「飲み会」は、「会社」と「個人」を結びつける重要にして最大の仕組みだったけど、今は、そうもいかない。
一生涯、同じ会社に奉公するなんて、なかなか・・・・・・。


で、まぁ、外伝は、そこからいろいろと話しが飛んでいきました。

本編では、フィジカルの正の面が多く語らていたように思えますが、外伝の特徴としては、負の面にも、ちょっと触れられています。


気になったのは、最後の部分。

司会の鈴木さんが、「フィジカルがもてはやされる一方で、その風潮って、秋葉原事件の前のような匂いがする」という発言。

聞いた方は、鈴木さんの真剣な語り口に、ちょっと考えさせられたのではないでしょうか?


うーん、どうなんですかね?

AKBの襲撃事件もありましたし、そういう人間が出てくるだろうとは、残念ながら、思います。

AKB襲撃男「メンバーの高収入に不満」厳戒初公判で傷害罪認める
検察側は、梅田被告の犯行動機について「警備の仕事を解雇され、収入も職もなく、つまらない人生を送っている自分と、テレビで見た多額の収入があるAKBメンバーとは正反対と考え、そうした不満を解消しようと犯行に及んだ」と指摘。
いかにも、検察が主張するような内容ですが、まぁ実際も、そんなとこなんだから仕方ないのか・・・・・・・。


でも、単純に、「華やかなものを妬む人間がいるよね、そういう人が出てくるよね、きっと」という予想というよりは、もっと、深い意味での「負」があふれてくるのではないか? という口調だったのか、ちょっと気になりました。

どうなんだろうな・・・・・・。

鈴木さんも冗談めかしていっていましたが、こういう予想は、当たらない方が、いいですけれども。


「ネット」と「個人」の間に入る「フィジカル」ですが、鈴木さんの解釈では、「招待」がなければ、そこには入り込めない。(今回は、西森さんが、速水さんに「招待されない人間」扱いされていましたが)

確かに、「飲み会」を例にすると、誰か知り合いがいなくては、(普通なら)行けませんからね。

ライフ風に言うと、「招待されない問題」が、来年当たりは、話されていくのかな?

でも、それだとすると、ソーシャルキャピタルがうんたらかんたらで、まぁ「今更」感もありますが、さて。

2014年11月5日水曜日

長嶋有「猛スピードで母は」を読んで

モノクロに意味はなし


先日、ラジオのSession22のゲストで、長嶋有先生が出ていて、「そう言えば、読んだことなかった」と思って、手にしました。


中編が二編入った「猛スピードで母は」。

デビュー作なのかな? 「サイドカーに犬」と、芥川賞を受賞した「猛スピードで母は」。

どちらも原稿用紙で100枚前後くらい。

集中力のある人なら、一、二時間くらいで読めちゃうような気がします。

個人的には、「サイドカーに犬」の方が、面白かったです。

(「猛スピードで母は」は、ちょっと細かいところですが、いじめの端緒が、ちょっと無理があるような気がしたのは僕だけ? まぁ重箱の隅ですが)


文体は変に凝ったではなく、平易です(安っぽい、という意味ではないです)。

話自体は、ほんのりと明るさがあるけど、決して、ご都合ではないペーソスも配合されていて、「そりゃねーだろ」なんて思うこともなく、「あぁ、こういう人生もあるんだろうね」と感じさせてくれます。

ちょっとした出来事が積み重なり、ラストで集約されていくのは心地よく、上手だなと思いました。
・・・・・・一方で、わざとらしいなと思わないでも。

まぁこりゃ仕方ないところもあるんですけどね。


短いけど、軽すぎず、でも重すぎず、浮ついてないけど、ホワっとするような小説を読みたい、なんて時には、ちょうどいいかな?


猛スピードで母は (文春文庫)
by カエレバ

2014年11月4日火曜日

文化系トークラジオ life「フィジカルの逆襲」本編の感想

10月26日に放送された文化系トークラジオlife「フィジカルの逆襲」本編を、ようやく聞き終えました。

今回は野球中継の関係で、二時間。

ゲストも少な目で、レギュラーメンバーがメインでしたね。(斉藤さん、どこ行ったの?)


今回のタイトルは、「フィジカルの逆襲」でして、「モノ消費からコト消費」、「コミュニケーションからしか消費は生まれない」という時代が、さらに深化なのか、昇華なのか分からないけど、ちょっと変わってきたよね? という疑問から生まれたようです。

前回の「ソーシャル、レジャー、リア充」の延長戦という感じ。

前回の感想。
文化系トークラジオ life「ソーシャル、レジャー、リア充」本編の感想
文化系トークラジオ life「ソーシャル、レジャー、リア充」外伝の感想


二時間なんだけど、けっこう話が飛んでいるんで、まとめた感想を言うのが難しい・・・・。


SNSが出来て、人との交流をする仕組みはできたんだけど、それだけでは、上手くまわらない&疲れてしまった。

で、カラーランみたいな、SNSに載せることが前提になっているイベントが生まれてきたりしている。


つまりは、ネットの行き着く先は、攻殻機動隊のようなネットと自己の境界線が曖昧になっていき・・・・・なんてことではなくて、「自己」と「ネット」だけでは、どうしようもなくて、その間に「フィジカル(身体)」 ---「現実社会」「リアル世界」「場」とかに言い換えてもいいのかな?--- が、必要になってきている。

そんな流れが、「フィジカルの逆襲」でして、時には小難しく、時にはいい加減に、時には冗談を交えながら、いろんな例をあげて解説してくれました。


まぁ、グーグルグラスや、スマートウォッチのような、よりネットを身近にするガジェットは増えていくのだろうけど、どんなに便利になっても、「個」が消滅するようなことは(当分は)ない。

いくら簡単に情報を得ることができても、いや、むしろ、簡単に情報を得ることができるからこそ、身体的な悦楽や満足感は、より希少価値の高いものになりつつある、・・・・・ふむ。


その例として紹介されていたのが、「高田馬場ゲーセン・ミカド」。

今時、家庭で対戦なんて、ネットを介して、クサルほどできる。
いちいち、金もかからない。

それでも、わざわざ、移動して、ゲームセンターで集まってきて、金を払ってまで対戦している。

要するに「場」(フィジカル)の提供が成功している。


2chなり、SNSなり、同好の士が集まる「場」は、ネットには多く存在しているし、「それで十分」という層もいる。

でも、それだけでは満足できない or それで満足できない層も確実に存在している。


「里山ウェブの時代」で、Google等によって、全てが並列化されてしまう世界の中で、どうやってマネタイズしていくのか? という問題提起で、コミュニケーションがキーワードになっていたと思うけど、それにつながるのかな?


GoogleやFacebookを(当然ながら)含めた巨大なネットに対して、個人(個人商店、中小企業)が、どうやって立ち向かっていくのか? という一つの答えでもあるのかな?


しかし、放送中に話題になっていた、「ストリートファイターのど自慢」ですが、
【再告知&追加課題曲】8/10(日)13時より 「ストリートファイターのど自慢」のお知らせ最新版。
■課題曲(ミカドといえばASKA&ASKAです!)
・SAY YES (ASKA&ASKA)
・モーニングムーン (ASKA&ASKA)
・YAH YAH YAH (ASKA&ASKA)
・愛しさと切なさと心強さと(篠原涼子)
・碧いうさぎ(酒井法子)
・太陽の破片(尾崎豊)←NEW!!!
・冬がはじまるよ(槙原敬之 )←NEW!!!
・とんぼ(長渕剛 )←NEW!!!
・失恋レストラン(清水健太郎 )←NEW!!!
・何も言えなくて…夏(J-WALK )←NEW!!!
・ミカドの歌←NEW!!!(クリックでDL可能です)
「愛しさと切なさと心強さと」は、アニメの「ストリートファイター」映画版の主題歌ですね。

それ以外は、・・・・・・・まぁね。

美川憲一さんの「さそり座の女」あたりも入れそうです。

2014年11月2日日曜日

台湾映画「九月に降る風」の感想



台湾映画「九月に降る風」を見ました。


「日本では映画界に行くような才能が、漫画に行っている」なんてことは、よく言われます(かつてかな、今は言われないか?)。

台湾映画を見ていると、逆に、「日本なら漫画界に行っていたような才能が、映画に集まっている」のかな? と、この作品を見ても、思ってしまいます。

日本でも、「桐島、部活やめるってよ」なんかもあるし、そうそう卑下することもないかと思いつつも、台湾映画は、うまーく青春映画つくるな。

ハリウッドの青春映画も悪くないけど、やっぱ、バタ臭くて。台湾あたりだと、やっぱり儒教圏なのか、共感しやすいです。


ストーリーは、中高生にありがちな、ホモソーシャルな仲間たちが、ちょっとしたすれ違いの重なりで、バラバラになっていくというお話。


面白いのは、台湾のプロ野球賭博事件の進展と、彼らの関係が破壊されていく姿が重なりあっていること。

子供の夢であるプロ野球の世界が、所詮は、汚い金と絡んでいるという現実。

つまりは、青春を謳歌している彼らだけども、薄皮一枚で、ドロドロとした現実(未来?)が待っているという暗喩になっているんだよね。


で、まぁ、ネタバレになるんだけれども、途中で、主人公が親友と事故るんだよね。

主人公は軽傷程度で済むけど、相方は頭を打って、植物人間になってしまう。

・・・・・・・まぁ、人、好き好きあるんだろうけど、「唐突な事故からの植物人間」って展開は、うーむ。

それ以外は、けっこう、ちゃんと「青春あるある」、または「あるかも」的なエピソードを積み重ねているのに、ここで、一気に悪い意味での「マンガチック」になっちゃうんだよね。

物語なんて、所詮は偶然の積み重ねだったりするんだけれども、交通事故って、やっぱり安易な悲劇に思えてね。(実際の交通事故は、当然、悲劇ですけど)


まぁ、「病気」「事故」「夭折」こそ、青春映画! という人もいるだろうから、これはこれでいいのかもしれんけど。個人的には、なんか・・・・ね。


さらに大事なネタバレだけど、最終的には、目覚めないで終わる。変にご都合主義でなかったので、良かったけど。

正確には、死んだのかな?
(難癖をつけると、これはこれで、ご都合主義で殺した気もするけどね。)


そんな感じで、親友は目覚めること無く、仲間とはバラバラ。後味悪いです。

でも、一応、希望がある所は、主人公と親友にとって英雄である「廖敏雄」に、最後に出会えたところ。

なんで出会えるのかと言うと、親友が植物人間になる前に、「廖敏雄」のサインボールを偽造していたんだよね。

高校生にもなって、そんな阿呆なことを、どうしてやったのかと言うと、単純に主人公を喜ばせたかったのかもしれないし、親友の幼稚さに主人公が呆れ始めていることを敏感に察知にして、彼をつなぎとめようとした風にも見える。

いずれにしろ、「偽」なんだよね。

でも、まぁ、「瓢箪から駒」とでも言いますか、この「偽」から、「真」に出会えてしまう。

どんなくだらない青春(偽)でも、意味(真)はあるんだ! というメッセージなのかな? と僕は思ったけど、さて、どうなんでしょう。


でも、スーパースターである「廖敏雄」も、野球賭博にかかわっっていたというところが、やっぱり皮肉がきいているけどね。


台湾映画の感想。
魅惑の90分映画「藍色夏恋」
映画「あの頃、君を追いかけた」に、身悶えする

九月に降る風 [DVD]
by カエレバ