2017年2月27日月曜日

「それ、いいんかい!?」とつっこみたくなるけど、新鮮味のあるアクション映画「ザ・コンサルタント」



ゲームにしろ、アニメにしろ、ドラマにしろ、「新機軸だな!」と唸らされるモノには、そうそう出会えないものです。

どうしても、二番煎じ、焼き直し、過去作のマイナーアップデート、金と手間を掛けて派手にしただけ・・・・・・等々に陥ってしまうもの。

まぁ、お約束パターンでも、ちゃんとつくっていれば、それなりに楽しかったりしますが。


で、「ザ・コンサルタント」。

ネタバレ(?)になりますが、主人公は自閉症という設定。

黒人やアジア人のヒーローがいるのだから、「自閉症のヒーローがいてもいいじゃないか!」ということなのでしょう。

ハリウッドらしい挑戦には頭が下がります。


で、自閉症の子供が、どうやって会計士&暗殺者になるかと言うと、オヤジのスパルタ教育。
「うーむ、大丈夫か? それで?」と、自閉症に詳しくない素人の私でも思ってしまいます・・・・・・。

ここらへんは、物語のジレンマだよね。

「自閉症のアクションヒーローをつくろう!」となると、どうしても無理な・非現実的な設定を経なくては成立しないわけで、結果として、「それは、ない!」どころか、「それは、ダメ!」というエピソードを差し込まなくていけなくなるわけで、良くも悪くも、ハリウッドすごいね、と思わざる得ない。

日本だったら大炎上だろうなぁ・・・・・。

「みんな違って、みんないい」という観点をアクション映画においても成立させる為の、「必要悪」であり、「そこはフィクションだから、優しい目で見ようね」ということで。


で、映画ですが。
当初は謎だったシーンが、後半において一つの糸に集約していく過程は、なかなかお見事。
(まぁ、財務省局長からのネタバラシは、仕方ないとは言え、ちょっと興ざめだったし、そもそも、あんた、部下に、回りくどいことさせたねー)


けど、この手は二回目は無理でしょうから、続編は大変だろうなぁと今から心配してしまいます・・・・・。

映画チラシ ザ・コンサルタント ベン・アフレック
by カエレバ

2017年2月15日水曜日

映画「ドクター・ストレンジ」



映画、「ドクター・ストレンジ」を見てきました。

梗概


自信家の医者が事故によって、両手を負傷。
西洋医学の限界を知り、どうにかならんかと辿り着いたカトマンズ。

そこで魔術師と出会い、未知の世界に触れ、己の才能を開花していく。

当初は自らの治療の為の修行ではあったが、悪の存在を知り、彼らと対峙することを決意するのであった・・・・・。


まぁ、ストーリーは、ぶっちゃけ「ありがち」。

主人公の傲慢さは、アイアンマンとかぶる感じ。(人の下につくようなキャラじゃないから、「アベンジャーズ」では、どう処理をするつもりなんだか)

敵キャラにしても、ぶっちゃけ、ダースベイダー。
フォースの暗黒面に魅入られて、師匠を裏切り、敵対しているという設定。

そもそも、「魔術」 = 「神秘の東洋」という前提がベタベタだよな~。
まぁ、別に、いいんだけど。


でも楽しめるけどね


そんな感じで、傲慢な主人公が、修行やら困難を経て、(多少)丸くなり、かつての恋人とも和解とか、お約束満載なんだが、「ちゃんとつくっている」ので、気持ち良くは見れます。


それよりもなによりも、やはり、出色なのは、戦闘。

魔法対決となると、空飛んだり、ファイヤーサンダーの応酬という安易な絵が浮かぶけど、建物や地面を変形させて戦うというのは、これまでになかった発想では?(「インセプション」見てないので、もしかしたら、そっくりなのかもしれないが)

ネタバレですが、ラストの、崩壊からの時間を巻き戻した世界でのバトルシーンというのは、・・・・・「よくも、まぁ、こんなものつくるね」と圧巻。


・・・・・・なんだけれども、ちょっと奇妙だったのは、その決着が(「ジョジョの奇妙な冒険」みたいな)トンチバトルというのが、意外と言うべき、拍子抜けと言うべきか。
新鮮ではあったけど。


おそらくは


でも、よくよく考えてみると、なんで、単純な力の優劣で決着をつけなかったのかというと、主人公、今作では、まだまだ半人前なんだよね。
だからトンチで勝利させる必要があったんだろうなぁ。(マトリックスは、「1」で、主人公のネオが完璧になってしまったから、「2」「3」は、ちょっと微妙になったよね)

まだまだ伸び代を残した段階というのは、次回作以降での成長 = 新しい魔術 = 新機軸のバトル が、自然な流れでつくれるわけで、まぁなんつーか、巧みというか偉いというか余裕があるねーというか。


そして、本作とは関係のない予言を一つ。

次の「アベンジャーズ」、政府を乗っ取ったエイリアンなり、人間なりが「敵」で、「シビル・ウォー」で一旦は仲違いしたアベンジャーズが、「やっぱりオレたちがいないとダメだな!」で集結という流れになると思う。

というか、トランプ対峙という物語になるでしょう。

by カエレバ

2017年2月13日月曜日

マーティン・スコセッシ監督「沈黙 -サイレンス-」



三時間弱の力作


原作遠藤周作で、マーティン・スコセッシ監督「沈黙 -サイレンス-」を見てきました。

感想としては、・・・・・鈍器のような作品だなぁ。


俳優たちの熱演、特に、イッセー尾形さんの「イノウエサマ」は、信仰ある人にとっての現実的な「悪魔」とは、こんな人なんだろうと納得させる見事な演技でした。

ちゃんと再現された江戸時代の風景、今時、CGでいくらでも誤魔化しが効くのは分かりつつも、それでも、ちゃんとした理解と考証がなければ、いい加減なものが出来てしまうわけで、この作品は、日本人から見ても十分に説得力のある「絵」が完成していました。

筋立てにしても、原作へのリスペクトが感じられる重厚感のある仕上がり。(正直、原作を読んだのは二十年くらい前なので、あらすじしか覚えていませんが・・・・・)
お金だけではなく、製作者の熱意がたっぷり込められた作品であることは、よーく分かる映画です。

・・・・・・が、高尚な作品にありがちなことですが、微妙に退屈。

キリシタンたちの殉教シーンなどセンセーショナルになりそうな場面も、あまり派手派手しくはせず。

安っぽくならないように気をつけているのは好印象なんですが、画面を派手にしない結果として、物語のメインは、「日本におけるキリスト教」や「神の沈黙」について、登場人物たちの論争になってしまい、やはり地味。

「これ、映画でやる意味があるのか?」と、思わないでも。
作品の完成度は高く、力作であるのは間違いないのだが、映画としては七面倒臭い感じ。
「それって、人それぞれでは?」と言われると、まぁ、そうなんだけど。

智者と愚者


しかし、そうは言っても、印象深い作品でした。

ロドリゴ神父が、逮捕される直前、水面に映った己の姿にキリストを見るのは、結局、自分を救済者と同一視していることなのかね?
だから、浅野忠信さん演じる通辞から、「傲慢だ」と言われている。
そして、その傲慢さは、賢さから来ている。

愚者は考えることがでいないから、信仰にすがるしかない。
それを象徴しているのが、塚本晋也監督のモキチや、窪塚洋介氏演じるキチジロー。
特にキチジローは、愚かで意気地なしだからこそ、彼は、何度転んでも、信仰を捨てることはない。

一方、ロドリゴ神父には、胆力と知恵がある。
選択肢は彼の中にあり、自らが棄教すれば、救える命があることを知っている。


彼の同僚であるガルペ神父は、胆力はあるけど、選択肢を拒むタイプ。(「愚か」とは違うだろうけど)
だから、信者から踏み絵をしてもいいのか質問されると、迷いなく「それはいけない」と諭す。

彼のラストにしても、海に投げ捨てられた信者を、命を賭して救助に向かうというもの。
その可能・不可能、及び、自らの命などは考慮することはなく、結果として、命を落とす。


まぁ、映画の中では、「どれが正しい」とは主張なないんだけどね。

そんな感じで単純な答えがあるわけではない。
見応えあることは否定しないが、なかなか疲れる映画でした。


沈黙 (新潮文庫)
by カエレバ

2017年2月10日金曜日

映画「マグニフィセント・セブン」



「マグニフィセント・セブン」ですが、黒人であるデンゼル・ワシントンが志村喬役、さらにアジア人であるイ・ビョンホンが仲間であると聞いて、「それ、西部劇?」と不思議に思っていました。

劇中では、どんな理由付けがあるんだろうと身構えていましたが、ほぼ説明はなし。

「そういうもんだから!」という強引さに、当初は面食らっておりましたが、徐々に、「これは日本の時代劇だな」ということに気が付き、「水戸黄門の諸国漫遊って、嘘だよね」という無粋なツッコミをするようなもので、この西部劇ファンタジーを楽しもうと思えてくると、全部OKに。


ヒロインの胸を強調し過ぎる格好に、「荒くれ者が跋扈している時代に、それはないだろう」と思っていましたが、途中から、「これは、由美かおるさんの入浴シーンなのね」と気が付き、むしろガン見、「形も大きさも理想的な、素晴らしいオッパイだ!」と、心の中でスタンディングオベーションを送りました。(そのおかげなのか、その夜、エロい夢を見ました。ありがとうございます)


人間の生き死が関わることに善意だけで協力するというのは、いささか強引ではありますが、「七人の侍」、「荒野の七人」では、「エンもユカリもないのに、虐げられし民衆の為に戦う」という男の美学がありました。

一方、「マグニフィセント・セブン」では、「実は、ラスボスと志村喬役には因縁があって・・・・・」というストーリーで、その方が流れは自然になるものの、仲間を犠牲にして自己の復讐を果たすというのは、どうなんだ? とも思えますが、まぁ、そんな細かいことをネチネチ言う映画ではありませんので、「オッパイも素晴らしかったし、OK!」ということで。

味方の男たちは人種的配慮がミエミエ、ヒロインも、単純に男に守られる存在ではなく、銃を持って戦うし、そもそも彼女が男たちの雇用主(ボス)という、「娯楽作なんだから、そこまでPC(ポリティカル・コレクトネス)に配慮しなくても」と思ってしまいますが、現実の政治の方が「PCなんてクソ食らえ」という荒くれ者が跋扈するという、なんだかファンタジー。

by カエレバ