2017年2月13日月曜日

マーティン・スコセッシ監督「沈黙 -サイレンス-」



三時間弱の力作


原作遠藤周作で、マーティン・スコセッシ監督「沈黙 -サイレンス-」を見てきました。

感想としては、・・・・・鈍器のような作品だなぁ。


俳優たちの熱演、特に、イッセー尾形さんの「イノウエサマ」は、信仰ある人にとっての現実的な「悪魔」とは、こんな人なんだろうと納得させる見事な演技でした。

ちゃんと再現された江戸時代の風景、今時、CGでいくらでも誤魔化しが効くのは分かりつつも、それでも、ちゃんとした理解と考証がなければ、いい加減なものが出来てしまうわけで、この作品は、日本人から見ても十分に説得力のある「絵」が完成していました。

筋立てにしても、原作へのリスペクトが感じられる重厚感のある仕上がり。(正直、原作を読んだのは二十年くらい前なので、あらすじしか覚えていませんが・・・・・)
お金だけではなく、製作者の熱意がたっぷり込められた作品であることは、よーく分かる映画です。

・・・・・・が、高尚な作品にありがちなことですが、微妙に退屈。

キリシタンたちの殉教シーンなどセンセーショナルになりそうな場面も、あまり派手派手しくはせず。

安っぽくならないように気をつけているのは好印象なんですが、画面を派手にしない結果として、物語のメインは、「日本におけるキリスト教」や「神の沈黙」について、登場人物たちの論争になってしまい、やはり地味。

「これ、映画でやる意味があるのか?」と、思わないでも。
作品の完成度は高く、力作であるのは間違いないのだが、映画としては七面倒臭い感じ。
「それって、人それぞれでは?」と言われると、まぁ、そうなんだけど。

智者と愚者


しかし、そうは言っても、印象深い作品でした。

ロドリゴ神父が、逮捕される直前、水面に映った己の姿にキリストを見るのは、結局、自分を救済者と同一視していることなのかね?
だから、浅野忠信さん演じる通辞から、「傲慢だ」と言われている。
そして、その傲慢さは、賢さから来ている。

愚者は考えることがでいないから、信仰にすがるしかない。
それを象徴しているのが、塚本晋也監督のモキチや、窪塚洋介氏演じるキチジロー。
特にキチジローは、愚かで意気地なしだからこそ、彼は、何度転んでも、信仰を捨てることはない。

一方、ロドリゴ神父には、胆力と知恵がある。
選択肢は彼の中にあり、自らが棄教すれば、救える命があることを知っている。


彼の同僚であるガルペ神父は、胆力はあるけど、選択肢を拒むタイプ。(「愚か」とは違うだろうけど)
だから、信者から踏み絵をしてもいいのか質問されると、迷いなく「それはいけない」と諭す。

彼のラストにしても、海に投げ捨てられた信者を、命を賭して救助に向かうというもの。
その可能・不可能、及び、自らの命などは考慮することはなく、結果として、命を落とす。


まぁ、映画の中では、「どれが正しい」とは主張なないんだけどね。

そんな感じで単純な答えがあるわけではない。
見応えあることは否定しないが、なかなか疲れる映画でした。


沈黙 (新潮文庫)
by カエレバ

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