映画の「フォックスキャッチャー」見てきました。
ポスターに出ている三人の男たちの愛憎劇です。
が、正確には、もう一人、富豪の母親も入って、四人の愛憎劇とするべきかな?
奇妙な四角関係ですと、最近見たものですと、「美しい絵の崩壊」なんかありますが、「フォックスキャッチャー」は実話ということもあって、分り易いですね。(■「美しい絵の崩壊」を見てきた)
面白かったですが、内容は地味。
派手な演出も、過剰な音楽もなく。
主人公のマーク・シュルツは、筋肉ゴリラという設定。
話下手で表情も乏しい。華がない。(難しい役だったろうね・・・・・)
なので、19:15開始の上映場には、僕一人でした。
内容は重いですが、気楽に見ることができました。(上映が打ち切りになる前に見れて、良かった)
で、ネタバレのストーリーですが、マーク・シュルツは、オリンピックで金メダルを獲得したものの、その後、パッとしない。
兄のデイヴ・シュルツは、弟と同じくレスリングの金メダリスト。
でも、理論家で指導者としても優秀。さらに、事務仕事もこなせて、家族にも恵まれ・・・・・というスーパーマン。
どうにもならない、わだかまりを抱えていたところで、ジョン・デュポンという富豪が、資金援助、住居提供、近代的なレスリング場まで用意して、マーク・シュルツを招聘。
こうして、兄からの保護から脱することに成功し、ジョン・デュポンを父として敬うマーク・シュルツ。
当初は、理想的な環境を得て、世界大会で優勝し、うまくいっていた。
が、徐々に明らかになっていくのは、マーク・シュルツが未成熟な子供であるように、ジョン・デュポンも母親の支配から抜け出すことのできない子供であるということ。
子供と子供で、うまくいくはずもなく、生活は退廃。
マーク・シュルツはレスリングの練習をサボるようになり、また、ジョン・デュポンも遊び相手欲しさに、それを容認するという間抜けさ。
それでは意味がない(母の影響下から脱せない)と悟ったディポンは、今度は兄のデイヴ・シュルツを招聘。
これでレスリングチームは形にはなるが、せっかく手に入れたマーク・シュルツは、また兄の元に戻ってしまう。
マークにしてみると、自立には失敗したことにはなるけれども、完璧な兄の庇護の下となるわけで、まぁ、一応の安定を手に入れたことになる。
が、デュポンは自らの配下を失ってしまうことに。
ディポンにしてみると、デイヴは父にはなってくれないし、支配下に入ってもくれない。
自立しているデイヴにしてみると、ディポンは飽くまでも仕事上の関係。よく表現をしても、ビジネス上のパートナー。
そんな喪失感に襲われているディポンに、さらに、実の母も、亡くなってしまうという不幸が重なる。彼のエキセントリックな性格は歯止めが効かなくなり・・・・・。
そんな感じの物語でした。
擬似的な親子関係が絡み合う話でしたが、さらに「国家」という線が入っているんだよね。
そもそも富豪のディポンの家は、外見からして、どこかホワイトハウス。
彼の執務室には、大きな星条旗。
度々登場する、歴代大統領の肖像画。
国家への忠誠や責務について、度々言及する登場人物。
もっとも印象的なのは、ラストシーン。
「USA!」の連呼で終わるんだよね。
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< USA!USA!USA!USA! >
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これって、ありがちなハリウッド映画のラストを、敢えて(わざと悪趣味に)踏襲しているわけでして。
スポーツとは、当然、強い者への憧れでして。
マーク・シュルツとジョン・デュポンが精神的に子供であり、マークは父を求め、デュポンは父になることを願った。
彼らが憧れた父性(強い者)の、最大のものは、国家になるわけでして。
でも、彼らが口にする「国家」って、どこか空虚なんだよね。
彼らは自立しているわけではない。
自らが拠って立つ国家ではなく、依存の対象としての国家だから、そうなってしまうのかね~。
映画 フォックスキャッチャー パンフレット | ||||
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