2015年3月31日火曜日

「フォックスキャッチャー」の感想



映画の「フォックスキャッチャー」見てきました。


ポスターに出ている三人の男たちの愛憎劇です。
が、正確には、もう一人、富豪の母親も入って、四人の愛憎劇とするべきかな?

奇妙な四角関係ですと、最近見たものですと、「美しい絵の崩壊」なんかありますが、「フォックスキャッチャー」は実話ということもあって、分り易いですね。(■「美しい絵の崩壊」を見てきた)


面白かったですが、内容は地味。
派手な演出も、過剰な音楽もなく。

主人公のマーク・シュルツは、筋肉ゴリラという設定。
話下手で表情も乏しい。華がない。(難しい役だったろうね・・・・・)


なので、19:15開始の上映場には、僕一人でした。

内容は重いですが、気楽に見ることができました。(上映が打ち切りになる前に見れて、良かった)


で、ネタバレのストーリーですが、マーク・シュルツは、オリンピックで金メダルを獲得したものの、その後、パッとしない。

兄のデイヴ・シュルツは、弟と同じくレスリングの金メダリスト。
でも、理論家で指導者としても優秀。さらに、事務仕事もこなせて、家族にも恵まれ・・・・・というスーパーマン。

どうにもならない、わだかまりを抱えていたところで、ジョン・デュポンという富豪が、資金援助、住居提供、近代的なレスリング場まで用意して、マーク・シュルツを招聘。

こうして、兄からの保護から脱することに成功し、ジョン・デュポンを父として敬うマーク・シュルツ。

当初は、理想的な環境を得て、世界大会で優勝し、うまくいっていた。

が、徐々に明らかになっていくのは、マーク・シュルツが未成熟な子供であるように、ジョン・デュポンも母親の支配から抜け出すことのできない子供であるということ。

子供と子供で、うまくいくはずもなく、生活は退廃。

マーク・シュルツはレスリングの練習をサボるようになり、また、ジョン・デュポンも遊び相手欲しさに、それを容認するという間抜けさ。


それでは意味がない(母の影響下から脱せない)と悟ったディポンは、今度は兄のデイヴ・シュルツを招聘。

これでレスリングチームは形にはなるが、せっかく手に入れたマーク・シュルツは、また兄の元に戻ってしまう。

マークにしてみると、自立には失敗したことにはなるけれども、完璧な兄の庇護の下となるわけで、まぁ、一応の安定を手に入れたことになる。

が、デュポンは自らの配下を失ってしまうことに。

ディポンにしてみると、デイヴは父にはなってくれないし、支配下に入ってもくれない。
自立しているデイヴにしてみると、ディポンは飽くまでも仕事上の関係。よく表現をしても、ビジネス上のパートナー。

そんな喪失感に襲われているディポンに、さらに、実の母も、亡くなってしまうという不幸が重なる。彼のエキセントリックな性格は歯止めが効かなくなり・・・・・。


そんな感じの物語でした。


擬似的な親子関係が絡み合う話でしたが、さらに「国家」という線が入っているんだよね。

そもそも富豪のディポンの家は、外見からして、どこかホワイトハウス。
彼の執務室には、大きな星条旗。

度々登場する、歴代大統領の肖像画。

国家への忠誠や責務について、度々言及する登場人物。


もっとも印象的なのは、ラストシーン。
「USA!」の連呼で終わるんだよね。

 ∧∧∧∧∧∧∧∧∧
< USA!USA!USA!USA! >
 ∨∨∨∨∨∨∨∨∨
 _     _
`/っ)    /っ)
/ / ∧_∧ / / ∧_∧
\\(   )\\(   )
 _     _
`/っ)    /っ)
/ / ∧_∧ / / ∧_∧
\\(   )\\(   )


これって、ありがちなハリウッド映画のラストを、敢えて(わざと悪趣味に)踏襲しているわけでして。


スポーツとは、当然、強い者への憧れでして。

マーク・シュルツとジョン・デュポンが精神的に子供であり、マークは父を求め、デュポンは父になることを願った。

彼らが憧れた父性(強い者)の、最大のものは、国家になるわけでして。
でも、彼らが口にする「国家」って、どこか空虚なんだよね。

彼らは自立しているわけではない。
自らが拠って立つ国家ではなく、依存の対象としての国家だから、そうなってしまうのかね~。

映画 フォックスキャッチャー パンフレット
by カエレバ

2015年3月30日月曜日

雁屋哲「野望の王国」11巻から15巻までの感想


で、雁屋哲先生の怪作、「野望の王国」。

これまでの感想。
雁屋哲「野望の王国」1巻から5巻までの感想
雁屋哲「野望の王国」6巻から10巻までの感想

11巻から15巻も、感想は、基本、変わらないんですが・・・・・。


とりあえず、ストーリー。

警察署長:柿崎が、日本の首相を裏で操る小田からの後援を得て、一歩リード。
これでは、柿崎を従わせることができないと焦る主人公の橘征五郎&片岡仁は、小田の暗殺を決意。

で、関西一の暴力団と言われる花岡組の力を借りて、暗殺を成功させる。

これで、柿崎を従わせる道筋ができるのだが・・・・・。


普通なら、日本政界の裏のドンを狙って、手始めに配下の警察署長を倒す・・・・というのが当たり前なのだろうけど、「野望の王国」では逆。

また、橘征五郎&片岡仁の当面の目標は、橘組を乗っ取ること。
そのためには、組長が邪魔なので、柿崎を使って排除してもらおうという作戦なのですが、その橘組というのは、神奈川県のローカルな暴力団。

既に、橘征五郎&片岡仁は、関西一の花岡組から助力を偉えるわけで、なんだか、もっと効率的な努力の仕方があるのではないかと思ってしまうのだが・・・・・、まぁ、これが「野望の王国」だ。


で、羽をもがれた形となった柿崎に、橘征五郎&片岡仁は、新しい味方を紹介する。

これが、白川天星という、巨大な宗教組織の御曹司。
彼の力を得て(橘征五郎&片岡仁のコントロール下で)、柿崎は橘組長と対峙していく。

・・・・・・・・白川天星の登場シーンで、東大の時計台が描写されているけど、それって、橘征五郎&片岡仁が、自らの力を誇示するために、一度爆破したような記憶があるけど。

うーむ。

さらに、柿崎なんだが、橘征五郎&片岡仁によって自らが窮地に追い詰められたと分かっていながら、簡単に彼らの口車に乗せられるよな・・・・・。

そもそも、白川天星によって巨大なカルト教団を利用できるなら、橘征五郎&片岡仁は、もっとあっさりと、橘組を乗っ取れるような!?


まあまあ、それを言ったらおしまいよ。

とにかく、相変わらず、伏線無しで、妙に巨大な力をもった知己が登場するんだが、強引に倒されるというパターン。


ただ、橘組長と柿崎署長との応酬が、インフレ&エスカレートする過程は、読んでいるうちに、奇妙な没入感を誘うのは事実。
「ねーよ」とつっこみつつ、「ここまで広がって、どうなるんだ、これ?」という引きこまれていきます。


で、橘征五郎&片岡仁は主人公なんだけど、これまでは二人の戦いを解説する役が多く、男塾で言うところの、「富樫虎丸」と言った感じだったけど、徐々に活躍。

さらに、橘征五郎の方は柿崎に囚われてしまうことで、ようやく、バディの意味も生まれてきました。(二人で活躍するのではなく、片方が窮地に陥って、初めて二人いることの意味が生まれるというのも、なんだかアレですが)


野望の王国 完全版 11
by カエレバ

2015年3月26日木曜日

映画「ソロモンの偽証 前編 事件」



宮部みゆきさん小説は、読んだことないんだよな。

映画だと「クロスファイア」を見て、・・・・・「うーん」という感想。

が、知人が言うには、「映画の出来はゴニョゴニョだけど、小説は悪くないよ」とのこと。


さて、原作・宮部みゆきさんの映画「ソロモンの偽証 全編」を見てきました。

ネタバレ含むストーリー展開、及び疑問は以下。


ある日の朝、遺体で発見された生徒。

自殺したとされ、みんなは、いったん彼の死を受け入れる。

だが、怪文書が出回り、生徒と保護者は動揺。
警察からの説明で、大人たちは納得するが、生徒たちの心には疑問が残ったまま。


彼は殺されたのか、自殺なのか?

で、裁判をして真相を究明している! で、後編へ。


後編は二時間、裁判なの?
「カラマーゾフの兄弟」並みだな。


映画の感想としては、なんか物足りない。

なんだろう?
丁寧につくられているんだけど。

出演者の発言は、たまに大人びいているけど、外見は見事に中学生っぽい。変に、美少女ばっかり、美青年ばっかり、ではなくてリアル。

主人公の少女も、かわいらしいけど、例えば橋本環奈さんのような「THE 美少女」という強烈さはなく、クラスにいてもおかしくない子。
自殺した子も、厨二病患ってる感が、よく出ている。

登場人物の演技は、過剰なときもあるけど、下手くそとは違う。


でも、・・・・・・ちょっと丁寧過ぎるのかな?
登場人物が多いので、どうしても、「分かり易いキャラ」になっているから、そこが、なんかわざとらしく感じるのかな~。


主人公が、親や教師の反対にもめげずに裁判に進むのも、動機が分かるような分からないような。

原作が分厚い長編だから、丁寧なストーリー展開(前後で四時間!)だけど、どうしても、そこらへんが弱くなるのか?


だって、普通に考えれると、怪文書はガセで、単なる自殺と考える方が妥当。
事故死した子だって、交通事故だからね。

それを主人公や他の生徒たちが、納得できないでいるのには、なんか無理があるような?

第三者目線で見れるから、そう言える? うーん。


自殺も事故死も、あると言えば、ある話。
でも、学校で裁判を開くなんて、先ずは、ない話。

それにリアリティを与えようとすると、もっと説得力がないと、なんかモヤモヤが消えない。

主人公の少女が、ヒステリックで頭が悪いというなら、「まぁ仕方ないか」と思うかもしれないけど、彼女は、知的で冷静という設定。

しかも、彼女は、告発文(怪文書)で犯人とされた不良たちが、いじめをしている現場を見ているわけで、じゃ、「彼女たちが告発文を復讐する為に書いたんだな」と推察しそうなものだけど。


つまらないわけではなかったけど、もう一歩が欲しかったな・・・・・。



後編の予測としては、
  • 死んだふくよかな子が、実は犯人
  • または、その友人が犯人
  • あるいは、その二人と申し合わせて、彼は自殺した(自分の自殺を利用しろ、という意味)
  • 「自殺した当人が自殺を利用しろ」というのであれば、あの他校の子が犯人、あるいは、申し合わせた。なんで、犯人と目されている不良の弁護を引き受けたかと言うと、自分との境遇の共通点に同情した
そんなところかな。

ソロモンの偽証 全6巻 新潮文庫セット
by カエレバ

2015年3月22日日曜日

雁屋哲「野望の王国」6巻から10巻までの感想


以前の感想。

雁屋哲「野望の王国」1巻から5巻までの感想


相変わらず、スケールのでかい(現実離れしている)「野望の王国」。

橘征五郎&片岡仁の学生二人(まだ卒業していない?)が、橘家組長:橘征二郎を倒して、組を乗っ取ることを考えている。

しかし、組長は優秀なので、二人で倒すことは難しいので、当面は、警察署長:柿崎と同盟を結んでいる。


で、橘征二郎には、新しい味方として、赤寺が登場。

橘征二郎はトップの象徴で、実際の(汚れ)仕事は赤寺が実行するという日本的な上司・部下の関係。

彼の登場で、物語は、いっそうドキツクなるというか、混迷の度合いを深めると言うか。


警察署長の柿崎は、法にもあったもんじゃないでっち上げで橘組長を逮捕して、さらに、取り調べも裁判もなく、地下牢に閉じ込める。

そこから救出する為に、赤寺は、各地で暴動や爆破テロを敢行。

これらの騒動を起こす為に、駅に五千、競馬場に三千の人を集めているわけで、どんなスケールだよ・・・・・。

しかも、それだけ大きなことを起こしておきながら、これって、川崎市内限定のお話という妙な小じんまり感。(それだけの動員力、資金力を持っているのに、橘組は、所詮、神奈川県内の暴力団に過ぎない・・・・・)


そして、組長が救出されて、今度は一転、川崎市内の騒動の責任をとらされて、柿崎が窮地に。

そこで、柿崎は、総理をも操るという日本政界の黒幕に取り行って、どうにか危機を脱する。

・・・・・・しかし、そんな力をもっている黒幕から助力を貰えるのであれば、神奈川県のヤクザなんて、どうにでもなるような・・・・・。
まぁ、ここらへんの、遠近感が狂ってるあたりが、この作品が怪作と呼ばれる所以だよな・・・・・。


野望の王国 完全版 6
by カエレバ

2015年3月18日水曜日

クリント・イーストウッド「アメリカン・スナイパー」の感想


クリント・イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」を見てきました。
面白かったです

「ジャージー・ボーイズ」もちょっと前に公開されたばかりで(未見ですが、好評だったみたい)、さらに、「アメリカスナイパー」。

もう80才超えているのに、なんで、そんなに精力的なの? と不思議です。

まぁスタッフが強力なんだろうな~
(その強力なスタッフを、まとめ上げられる能力と人望が、監督にあるのだろうけど)


で、ストーリー。(ネタバレ)

冒頭、イラクでの狙撃シーンから始まりますが、そこは、ちょっとだけ。

一気に物語は、主人公のクリス(山のフドウを実写化するなら、この人だと思う)の幼少時代へ。そこからは時系列に進みます。

象徴的だな~と思ったのは、子供のころに、父親から「羊となって無抵抗主義もダメ、だが、狼となって人をイジメめるのもダメ。誰かが傷つけられた時に、その人を守る番犬になれ」てなことを言われるシーン。

まぁ、「男の生き様」を父が息子たちに教えているんだけど、これを聞いている母親が、ちょっと一歩引いた感じの顔なんだよね。

「THE 男の論理」。

結局、その論理って、アメリカ・マッチョの思想なわけでして。
(そして、クリスの家族、特に奥さんは、この思想・論理に、ずっと振り回されることになる。)


で、大きくなった息子たち。
軍に志願する前は、カーボーイをして暮らしている・・・・・・と言うと聞こえがいいけど、まぁ、牧場の使用人でして、町で祭りがあると、そこで暴れ馬を乗りこなして入賞という、朴訥な人生を歩んでいる。でも、満足しているわけではない。

このカーボーイっていうのも、アメリカ的だね。


そもそもタイトルが「アメリカン・スナイパー」。

「アメリカの狙撃手」という、一見するとなんでもないけど、よーく考えると、意味深。


アメリカ本国では、この映画は英雄賞賛なの? 反戦なの? という戸惑いがあったようですが、確かに、難しい。

前述のように、冒頭のシーンからして、アメリカ文化に内在する暴力性(どこの国にでも、ある程度あるけど、アメリカの場合は、何年かに一度、必ず戦争があるから、それが肯定されてしまう&肯定しなくてはいけないというご事情があったりして、まぁ複雑ね)を描いているわけでして。

「困難に立ち向かった英雄の物語」であることは事実だけど、「人間性を、国家と戦争によってズタズタにされた物語」であるのも確かなわけでして。

マッチョな「男の論理」の美しさと、危うさ・・・・・。


作品の内容にしろ、その評価にしろ、なんで、こんな風になってしまうんだろう? と考えると、結局、イラク戦争の評価が、未だに定まらないからだろうな・・・・・。

「主人公は極悪なテロリストと対峙している」はずなんだけれども、その戦場は、戦争で荒廃した
イラク。

そこで生活をしているイラク人は、いくら戦火で荒れ果ててはいても、その土地に馴染んでいる。

それに比べて、アメリカ軍は異質な存在。どこまでいっても、侵略者・・・・・とまでいかないにしても、部外者であることには変わりない。

コンクリートに囲まれた基地から、出動するシーンが何度も映画には登場するけど、彼らが、彼の国にとって招かれざる客であることを象徴しているわけでして。


兵士たちは、国家の意思(男の論理)によって、そこで戦っているわけなんだけど、「彼らは、こんなに苦労しているけど、いったい何の意味があるんだ?」という疑問が、観客からすると、当然、拭い去れない。


映画の中でも、イラク戦争自体に、賛否の表現はないです。

例えばブッシュ大統領が「大量破壊兵器を隠し持っているので戦争を始める」と発言しているニュース映像の一つも流せば、「イラク戦争は不義の戦争であったと認めているんだな」と観客は思うだろうけど、そんなシーンは皆無。

また、逆に、アメリカ軍に感謝するイラク人を登場させれば、「あの戦争は、暴君から民衆を解放した義戦だったんだ!」という意見表明になるのだろうけど、やっぱり、そんなシーンはない。

つまり、「イラク戦争」自体は、まぁ映画の舞台に過ぎず、その賛否は、勝手にやって下さい、ということ。

でも、その困難な状況下においても、一人の兵士が、必死に戦っていたことを、時々でいいから、思い出して下さい、ということなんだろうなー。


クリント・イーストウッドの戦争映画だと、他には、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」。

アメリカにとって「栄光の太平洋戦」が舞台。
そこで、報われなかったアメリカ軍兵士と、雄々しく戦った日本軍兵士を描くという、ある意味では価値の逆転を図っているんだけど、でも、一兵士の現実と悲しみを描いているという点では、今作と、同じなのかな?

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
by カエレバ

2015年3月17日火曜日

文化系トークラジオ Life「No Music, No Life?~音楽はいまどう聴かれているのか」本編の感想

いつも楽しく聞かせてもらっている文化系トークラジオLifeですが、今回は現在の「音楽」状況がお題。

まぁ、あんまり音楽に興味がないのですが、それでも、若い頃は、今よりは聞いておりました。

あの当時からすれば、今のようにyoutubeで、好きなだけ(無料で)、色んな音楽を聞ける現在は恵まれているのは確か。

そんなに興味のない僕ですら、「今の若い人は、音楽に関しては、羨ましい環境だなー」などと思います。
僕のような人間ですら、有料でも適当に音楽を聞いていたのですから、今の若い人は音楽漬けになれるじゃん・・・・・・・、とならないどころか、むしろ、今の若い人は音楽には、あまり興味がない?

どうなんです?
そんな雰囲気なんですか?
身近に若い人がいないので、イマイチ分かりません。

本放送では、「若者の音楽離れ」という側面を語りながらも、一方で「やっぱり若者と音楽は、今も不即不離」というお話もあり。

まぁ、確実に言えることは、「かつての若者の音楽受容と、今の若者の音楽受容は違う」ということでしょうか?


音質はともかく、youtubeを使えば、古今東西の音楽が自由に聞ける。(youtubeだって、エアチェックで録音したテープカセットよりは、音質はいいんじゃないの?)
この恵まれた環境って、結局、音楽の有り難みを失わせている側面はあるのかな? と思わないでも。

「食べ放題に行くと食べ方が汚くなる、食べ物を粗末をしてしまう」というヤツです。

聞き放題というのは、諸刃の剣なのかもね。
(ちょっと不便なくらい、また物足りないくらいの方が、大事にしてくれる・・・・・。人間も、そうだよね~)


で、まぁ、音楽受容の違いを、いろいろと話し合っていくうちに、「座学的な音楽」は時代遅れになりつつあるのではないか? という流れに。(もしかしたら、時代遅れではなく、復古かも)

つまりは、今の音楽が身体性を求めている(または、再び取り戻そうとしている)。


それを聞いていて、以前、鈴木さんが、よく口にしていた「モノ消費ではなく、コト消費」という言葉を思い出しました。

また、最近ですと、ライフの本放送「フィジカルの逆襲」「ソーシャル、レジャー、リア充」でも言及されていたことで、データ化されてしまうものは、限りなく無料(無価値、陳腐化)に近づいていくネット社会において、リアルな体験こそが貴重になっている、ということ。

そういう世界において、「SEKAI NO OWARI」が自分たちのライバルを、ディズニーランドと言っているのは、意図してか意図せずしてかは分かりませんが、象徴的ですね~。


おまけの感想。

「SEKAI NO OWARI」の良さが分からない・・・・・・というお話が出ていましたが(出演者が分からないというよりは、そういう意見をよく耳にする、という感じでしたが)、そりゃ、中高生に受けている音楽なんて、中年連中に理解できるわけないよね。

中年が好きなものを、中高生が好きなわけないじゃん。

2015年3月10日火曜日

「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」読了


どうにかこうにか、「不死鳥の騎士団」を読了。

なげーよ、まったく。

まぁストーリー展開は、いつも通り。


嫌味な新キャラが登場して、ハリー・ポッターがイジメられまくる。
で、ハリーは、嫌な評判も立って、苦労するけど、最後には、誤解が解けてハッピー♪

まぁ、ヒット作というのは、黄金パターンを、どうやって引っ張れるかが重要だからな・・・・・・。


以前の感想。
「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」読了
「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」読了

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 上下巻set(携帯版)
by カエレバ

2015年3月9日月曜日

「機動戦士ガンダム THE ORIGIN 1 青い瞳のキャスバル」の先行配信を見る



「ガンダムUC」の成功で、「やっぱり金を出すのは、オッサンだな」という認識に至ったに違いないバンダイビジュアル(勝手な推測)。

で、「ガンダムUC」が、「ファーストガンダム」から「Z」「ZZ」「逆襲のシャア」と続く作品の総決算であり、それがヒットの勝因だとすれば、今度は、「ファースト」の前章を描くことで、一発当ててやろうとしたのでしょう(勝手な推測)。


漫画版オリジンの作者である安彦良和氏が総監督で、「0083」の今西隆志氏が監督。

キャラとストーリーのバランスは前者で、バトルシーンは後者が保証といった感じ。


冒頭の戦闘シーンがyoutubeに上がってます。

映像化された中では、もっとも初期の時代のはずなのに、その動きはとてもモビルスーツ戦が始まったばかりとは思えない流麗さなのは、なんとも言えない皮肉でございます。

まぁ出来が良いのにケチをつけても始まらないのですが。


さて、ストーリーは、シャアの父であるジオン・ダイクンの急死から始まります。
急激に状況の悪化する、残されたダイクン一家。
ザビ家からの圧迫に耐えられなくなり、シャアとセイラが生まれ故郷から脱するまでのお話。

その中で、後にファーストで活躍するキャラが、若かりし姿で、数多登場。


で、まぁ、巧みなのが、後にホワイトベースと死闘を演じることになるランバ・ラルやハモンが、セイラを救っているわけですな。
運命の皮肉を、演出している。

また、サスロ・ザビの死を巡る、ギレンとキシリアの微妙な確執は、後の二人の対立を想起させ、ジオン・ダイクンの狂気あふれる姿は、「逆襲のシャア」での息子・シャアの凶行に通じるわけでして。

UCもそうだったけど、・・・・・・ことごとくオッサン向けね~。
まぁ、今時、大金を出してくれるのが、(オタクの)オッサンだから仕方ないし、それを喜んで見ているのが自分なんだが。


安彦良和氏らしいユーモアを残しながら、緊迫感のある戦闘、非情な人間ドラマを、安彦良和氏のタッチで丁寧に描いているので、まぁ従来のファンであれば、十分に満足。

ただ、ご新規さんには、どうしても敷居が高いよね。
ある程度、予備知識があるから、「あぁなるほど、そういうことね」と理解できることばかりだと思うよ。

だから、まったくガンダムに縁のない人が見たら、「えっ、なに? どういうこと?」ってなるだろうな・・・・・。
そういう作品だから、仕方ないのだろうけど。


機動戦士ガンダム THE ORIGIN I [Blu-ray]
by カエレバ

2015年3月8日日曜日

浅野いにお「ソラニン」


「文化系トークラジオ ライフ」を聞いていると、何度も耳にする「浅野いにお」さん。

が、まだ一つも読んだことがなくて、とりあえず手にした「ソラニン」。
映画化もされたし、代表作なのかな?


二巻で完結しているし、直ぐに読めてしまうな、と軽い気持ちでページを開けましたが(電子書籍で読んでいるので、正確には開けないのですが・・・・・)、「こりゃ、ダメだ」と直ぐに閉じてしまいました。

「ダメ」というのは、作品の質が低いというのではなく、むしろ逆で、数ページ読んだけで、「これは、心をもっていかれるタイプのマンガだ。軽い気持ちで読むと後悔する」と、一旦中止。

で、しばらくして、「買ったはいいけど、なかなか読む気になれんなー」という気持ちでしたが、酔っ払った勢いで(←かなり軽い)、読み始めると、予想通り、やめられない、とまらない~。

で、「グサッ」と来ました。


基本は、大学を出て就職をしてみたものの、実社会に馴染めない井上芽衣子と、その彼氏である種田成男の現在の物語。

が、時系列は、自由自在に過去に遡り、大学入学や卒業のエピソードが、ちょいちょい差し込まれます。

そんなわけで、全編では、大学入学の18才から現在の24才まで、六年間が描かれています。

時々で、けっこう細かく主人公の髪型や雰囲気が変化。
「大学入ったばかりっポイ」「ちょっと社会人をかじったクサイ」という空気感が、ちゃんと出ていて、「上手だな~」と感心します。

主人公以外の登場人物も、時代毎に描き分けられていて、また部屋の小道具、町の風景なんかも、みっしりと精緻。
最近の作家さんは本当に大変だなと、思わされるレベル。(でも、これ、十年前の作品なのね、・・・・・小道具は時代を反映して、ちょっと古いけど、作品自体は全然古くないです)


ネタバレのストーリーですが、彼氏の種田はバンドマン。
音楽が好きで、それで食えたらと思ってはいるけど、死ぬほど努力しているとは言えない。

で、そんな姿に怒った彼女の芽衣子は、本気になれと、けしかける。
種田は誰かに批判されんのが怖いんだ!!
大好きな大好きな音楽でさ!!
でも 褒められても けなされても
評価されて はじめて価値が出るんじゃん!?

・・・それで・・・ ホントダメだと思ったら・・・
その時は その時だけど・・・
に対して、種田の返答。
・・・その時、どうしてくれる?
一緒に死んでくれるの?
このヘタレっぷりが、青春ですなー。(読んでいて痛々しい)

で、まぁ、仕事(アルバイト)も辞めて、種田は本気モード。
デモテープ(デモCD?)をつくって、音楽会社に送る。

どうにか一社だけだが会ってみたいという会社があり、面接に。
でも、それは種田の曲に関心があったのではなく、彼らの技術が必要なだけで、あるグラビアアイドルのバックバンドの誘いを受ける。

ここが重要なんだろうけど、これを、種田ではなく、芽衣子が断るんだよね。

種田の夢を叶えさせようとしている芽衣子ではあるんだけれども、また一方では、社会にうまく馴染めない自分への苛立ちが、彼を追い込んでもいる。

だから、一見すると、種田の代弁として芽衣子が断ったように見えるけど、・・・・・・種田の真意は、どこにあったんだろう?

一応、断ってくれたことに対して、「ありがとう。」と感謝の言葉を述べているけど、その時、種田は芽衣子の顔を直視していないんだよね。

それに比べて、芽衣子は、満足気に微笑んでいる感じ。

うーん。
まぁ、どう解釈するかは、読者の勝手なんだろうけど、種田は、「どっちもアリ」と思っていたんじゃないかな?
バックバンドとは言え、音楽で食えるのは事実。そこから、チャンスもあるかもしれない。

でも、アイドルのバックバンドなんて、自分の音楽を否定しているようなもの。

グラビアアイドルの子は、種田がバイトで画像修正を施していた子と同じなんだよね。
つまりは、音楽で食えるといっても、これじゃ、かつてのバイトと同じ。音楽が食うための仕事に成り下がってしまう。

で、答えを出してくれたのは、彼女の芽衣子。
感謝できるけど、重荷にも感じるようになり、ついには、種田は別れようと言い出す。

それに対して、
「俺がどーにかする」って 言ってたじゃん!! どこまでも あたし達は一緒なんだからって言ったじゃん!!
と、過去の種田の発言を持ち出し、彼氏を、なじるわけだ。

おもい! おもいよ!!

で、彼氏は失踪。(まーねー)
でも、かつてのバイト先に頼み込んで仕事を見つけてから、芽衣子に電話。

音楽が嫌いになったわけじゃないから、プロは諦めるにしても、これからも、みんなで楽しもうぜ、てなことを言って、電話は切れる。

そうは彼女に伝えたものの、もちろん、そんな簡単に諦めきれるわけもなく、バイクに乗り、家路を急ぎながら、涙を流す。


そこで、交通事故だよ。


正直なところ、青春モノで交通事故って、便利な小道具なんだよね。
有無を言わさず悲劇的な演出ができる割には、伏線とか面倒くさいことが要らないし。便利、便利!


・・・・・・でも、「ソラニン」においては、この事故が、自殺とも解釈できる。

以前にも、音楽がダメだったら「一緒に死んでくれるの?」と、彼女に伝えているし。

そこが上手と言うか、ちゃんとしていると言うか。


さて、「自殺」なのかな?
どうなのかな?

普通に読むと、事故とする方が無難かな?
直前に彼女に向かって「愛している」と伝えようとしている人間が自殺するわけないようには思えるけど。

が、愛する人がいても、自殺する人は、世の中にはいるわけでして。

まぁ自殺ではないにしても、自暴自棄になっていた、というくらいかな?


で、そういうわけで、種田は現実世界から強制退場。

ここまでが、一巻。

残された彼女の芽衣子が、立ち直っていくのが二巻になります。
(喪失と再生だ! ←今、この言葉は、あんま使われなくなったね)

種田(と彼の夢)に依存していた芽衣子が、彼の代わりにバンドのボーカルになるという、継承という手段でもって、喪失を乗り越えようとします。
あたしって何をやっても中途半端なんだよなぁ。
と言う芽衣子だったけど、どうにかこうにか、ギターを物にして、ライブで人前で披露できるくらいの腕前にはなり、・・・・・一応、自立を果たす。


さて、単行本のカバー。
河川敷になっているけど、この漫画って、川を前にして話が進むことが多いんだよね。

種田が、会社を辞めて音楽に打ち込もうと決心をするのも河川敷。

就職が決まった芽衣子に向かって種田が愚痴を言うのも川沿いの道。
その後に、同棲しようと芽衣子が暗に誘うのも川の土手。

大学に入ったばかりで、種田から芽衣子に告白するのも河川敷。


もちろん、これは作者の意図なんでしょう。


で、いつも川の前なんだけど、ついに、それを渡るシーンがあったと思うと、それは、種田が芽衣子に別れようと提案する時。

でも、それは、芽衣子から拒否。
結局、二人は川を渡れず、現状維持。モラトリアムから抜け出れない。

だから、ボートは転覆してしまう。


つまり、川の前にいる彼らってのは、大人になれない、社会に馴染めない象徴なんだろうね。

でも、いつまでも、そんなわけにもいかないわけでして・・・・・。


種田が死に、彼の意志を継承する為に、ライブに挑む芽衣子。
そのライブの直前になって、河川敷で出会ったメガネをかけた子に、
僕はずっとここにいたもん。
おねーさんこそ こんな所で何してんの? 迷子?
と言われる。
まぁ、あきらかに・・・・・とまでは言えないけど、どことなく死んだ種田を想起させるキャラ。

種田は、既に生きていないのだから、もう「ずっとここにい」るしかない存在。

そこで、ギターを演奏していると、子供はいなくなり、大学の先輩から演奏が上手になったと褒められる。

無理に解釈をすると、これは成仏をあらわしているのかな。言い過ぎ?


そして、後日、種田との共通の友人で、バンド仲間でもあるビリーは、やはり河川敷で、芽衣子に向かって種田の死を乗り越えてみせると誓う。


で、ライブを成功させて、種田の喪失から、仲間たちは立ち直りを果たす。

だから、最後のページでは、登場人物たちが橋を渡っているシーンで終わるわけですな。


うーん、よく出来ているね。


おまけの感想。

種田の顔って、ライフのパーソナリティである鈴木謙介さんがモデルのように思えるけど、どうなんだろう?


2015年3月7日土曜日

「KANO~1931海の向こうの甲子園~」は、ちょっとクドかった


台湾映画の「KANO」を見てきました。

戦前の日本統治時代、台湾代表として甲子園に出場し、準優勝した嘉義農林学校野球部の実話を元にした映画です。

「日本人監督が、日本人、台湾人、原住民(高砂族)を率いて、活躍する話」ということで、親日映画だと、ちょっと話題になりました。

実際の感想としては、確かに、支配者層である日本人に対して、悪感情を抱かせるようなエピソードは少なかったです。

まぁ、娯楽作に徹している、と見るべきなのかな?


で、ネタバレですが・・・・・。

三民族が一緒のチームにいれば、当然、軋轢があって然るべきで、それを乗り越える過程が描かれそうなものですが、全くなし。
最初から、みんな仲良し。

また、日本人が統治のてっぺんにいるわけですから、支配と被支配の微妙な関係がありそうですが、それも触れられず。
(台湾大会に優勝して、日本に渡ってからは、ちょっとだけ嫌な思いをしますが、本当にちょっとだけ。しかも、人種差別的な発言をしていた日本人も、最後は改心しているし。また、こういうお話だから、相手チームが、「ふっ、日本人でもないくせに」とか罵声を浴びせそうなもんですが、そういうこともなく)

wikiを見ると、日本人監督の近藤兵太郎さんというのは、なかなか立派な人で、日本人、台湾人、原住民を分け隔てなく接していたそうなので、その精神を尊重し、変に国威発揚や自民族中心主義にならないように、気をつけていたのかな?

うーん、それにしても、まぁ、ちょっと美し過ぎるような気がするけど。


特に、よく分からなかったのは、八田與一という人。

突然登場して、野球部員が「先生、先生」って、なついているんだよね。

「誰?」って、感じでしたが、wiki見ると、台湾の治水に貢献した人。
あちらの教科書に載るくらいの有名人だから、なんの説明もなく、登場するわけだ。

で、彼の設計した嘉南大圳が、嘉義農林学校野球部(KANO)が台湾大会で優勝し、町をパレードした日に、完成する。

つまりは、日本人監督によって弱小チームが甲子園出場を果たしたということと、やはり日本人技師の指導によって巨大なダムと治水が完成したことが、並べられているわけです。

台湾人監督が、台湾映画としてつくっているからいいけど、これ、日本人監督が日本映画として撮っていたら、大変なことになっていだろうな、と心配になるくらい確かに日本統治を称揚しているような・・・・・。

おそらくは、日本統治を美化したいというよりは、「三丁目の夕日」的な、ノスタルジーを喚起したいだけだとは思うけど・・・・・・。(だいたいにして、敢えて親日映画をつくるのは、市場原理からすると、無意味よね。日本市場を重視するよりは、中国市場を狙う方が、今の時代は正しい訳ですし)


で、映画の出来としては、三時間の長丁場。
前半は、日本統治時代の台湾風景が興味深いこともあって、弱小チームがいろいろな困難を経て絆を深めていく過程は、お約束と分かりつつ、楽しく見れました。(「三丁目の夕日」に、王道スポ根を足した感じです)

が、後半(日本に渡航後)からは、なんか間延び。

最後の試合なんかは、無理に泣かせようとする感じが、どうも、ねー。
(バッターボックスで、飛んできた蝶に見惚れるって、なんだよ、その演出。観客たちも、最後はKANO万歳って感じだし)

こういうのが好きな人が多いのは分かるけど。
個人的には、くどいと思ってしまったよ。

無理しないで、台湾大会優勝で終わらせていたほうが、映画としては、すっきりしたと思うけど。

まぁ、台湾のチームが台湾大会で優勝しただけでは、普通の話になっちゃうからね。
どうしても、台湾チームが、日本で準優勝したまでを描く必要があるわけだから、仕方ないんだろうけど、でも、後半は、なんか無理につくった感がある映画だったのが、ちょっと残念。


台湾映画の感想。
台湾映画「花蓮の夏」を見て
魅惑の90分映画「藍色夏恋」
映画「あの頃、君を追いかけた」に、身悶えする
台湾映画「九月に降る風」の感想

KANO 1931海の向こうの甲子園
by カエレバ

2015年3月6日金曜日

森薫「乙嫁語り 7」の感想


「乙嫁語り」の最新刊、七巻。

毎回、「へぇー」と思うような出来事があるマンガですが、今回は、「姉妹妻」について語られています。

「姉妹妻」・・・・・、寡聞にして、初めて知りました。(wikiも見当たらないくらいなのだから、知らなくて当然かもしれないけど。もしかして、作者の創作?)

「親友の契を結ぶ」ということなのでしょうが、ちゃんと結婚式を挙げて、新婚旅行に行き、一緒に墓に入るそうで。

「へぇー」としか、言い様がないです。


で、ストーリー。(ネタバレ)

金持ちの奥様が主人公。

彼女は若く、美しく、さらに優しくお金持ちの旦那がいて、男の子にも恵まれている。
他人からすると、どう見ても幸せ。

女性の召使からは、
奥様は本当にお幸せでございますね
と言われ、本人は、
・・・・・・そうね
幸せだわ
と返すけど、実感は出来ていない。

そんな、なんとなく空虚な日常。そこで、召使は、姉妹妻を持つことを勧める。

で、まぁなんだかんだで、姉妹妻(親友)を得るんだけれども、彼女は貧乏。

さらに、旦那が亡くなってしまい、路頭に迷うことに。

そこで、主人公は、優しい旦那に、自分の姉妹妻を第二夫人に迎えて欲しいとお願いする。
旦那は戸惑いつつも、彼女の言う通りにする。

そこで、主人公は、
私 やっとわかったわ
あなたみたいなひとと 結婚できて
本当に幸せなんだわ
と言うのだけれども・・・・・・・・、不思議な表情をしているんだよね。

前半の彼女は、もう子供がいるのに、脳天気な笑顔ばかり。

でも、幸せを実感できたはずの後半の顔つきは、むしろ、ちょっと悲しいような、厳しいような。


姉妹妻を通して、世間というものを知り(本当の貧乏)、大人になったということなのかな?

それとも、自分が望んだこととは言え、第二夫人を迎えることにした旦那に対して、どこかで失望しているのかな?
・・・・・これは、ちょっと深読みのしすぎか。

ともかく、不思議なお話でした。

乙嫁語り 7巻 (ビームコミックス)
by カエレバ

2015年3月5日木曜日

東村アキコ「メロポンだし」の感想

東村アキコさんの「メロポンだし」。
全七巻で、最近完結しました。

擬似家族ものです。
「血のつながりのない他人同士が、いろいろな事件を経て、家族的な絆を得る」ってヤツです。

まぁ、擬似家族の形成というのは、普通の家族関係・・・・と書くと問題があるか・・・・、実親と正常な関係が築けていないから発生するわけでして、この物語も、主人公の悟と母の正代は、うまくいっていない。

また、悟の家に転がりこんでくる、宇宙人のメロポンも、父のパピーヤンと、やはり、うまくはいっていない。

互いに傷を持つ者同士て、擬似的な父子関係を結びます。


で、ちょっと変わっているのは、メロポンが宇宙人であること以外では、彼が、地球で芸能デビューを夢見る子供であること。

しかも妙に有能で、事情通、さらにカリスマがあって、子供でありながら劇団を率いて、公演を成功させてしまう。

でも、それだけ有能だけど、やっぱり、まだ子供で、時に悟に頼らなくてはいけない。


さらに、変わっている設定なのは、悟の母である正代は、新興宗教の教祖様。
それも、いつか降臨するであろう宇宙人を崇拝の対象としている。

でも、悟は、そんな母の考えに反発をして、今は別々に暮らしているのだが・・・・・・・、本当なら、メロポンの登場で、悟の誤解(?)というか、わだかまりは解消してもおかしくはないのだけれども、そうはならない。

だって、メロポンは、宇宙人だけど、田舎から出てきた夢見る少年みたいで、別段、超人的な能力は持ち合わせていない。

外見が、ちょっと変わっている以外は、普通の人間と同じでして。
こんなもの(?)では、母の病気(?)をいっそうこじらせるだけの可能性もあり、宇宙人の存在の有無で仲違いしたにもかかわらず、その宇宙人が存在して以降も、息子は、母と仲直りすることはできない。


最終的には、正代は、メロポンを宇宙人としてではなく、地球人と同じ普通の子供であると受け入れることで、悟との関係を修復する。

で、メロポンにしても、父に自分の夢を受け入れさせることで、良好な親子関係に移行する。


また、悟の想い人であり、正代の弟子である真琴は、宇宙人も、近づいてみれば、そこらへんの地球人となんら変わることはないと知ることで、一人の人間として独立していく。


宇宙から唐突にあらわれるメロポンは、受胎・出産のメタファーと解釈することができるかな?

つまりは、「子供に身勝手な期待をするのは止めよう」「子供のあるがままを受け入れましょう」「子供を信じよう」という作者のメッセージが透けて見えます。


そこで終わっていれば、まぁ、普通なんですが、さすが東村アキコさんといったところなのでしょうか?
強烈な反作用の「毒」も、作品には入っています。

それは、この漫画を読んだら、絶対に忘れることのできないトミーさんという老人。

メロポンが主人公にとっての擬似息子ですが、このトミーさんというのは父親・・・・らしい。

最後まで、血のつながりがあるかどうかは明かされませんが、・・・・・・父親であってもおかしくはない、という設定。

前述した通り、メロポンは若く(幼く)、有能で、金もあり、カリスマ性がある。

それに対して、トミーさんは、老いており、無能で、貧乏で、カリスマ性皆無。

作者は、主人公の悟を中心にして、両極端なキャラクターを配置しているわけでして、「これって、なんだろう?」と考えてしまいます。

トミーさんっていうのは、いい年になっても芸能界の夢を諦めることのできない、しょーもない人なんだけど、メロポンの失敗した姿なのかな?

つまり、「大人は、子供の夢を大らかに認めてあげましょう♪」という牧歌的なメッセージの裏に、「ちゃんと教育(矯正)をしないと、どうしようもない大人になるぞ!」という正反対の主張が見え隠れ。


それでも、そんなトミーさんも、最終的には芸能界の隅っこに居場所を見つけられたご様子。

他にも、主要な(濃い)登場人物たち全員に、明るい未来が待っているような大団円なラスト。

同じく東村アキコさんの「主に泣いてます」は、ちょっとモヤモヤの残る最終回でしたが、こちらの方が綺麗にまとまっております。


おまけの感想としては、全編、カラーなんだよね。

週刊連載で、カラーでやったの?
それとも、連載後に、カラーにしたの?

いずれにしろ、他にも連載を抱えながら、ここまでやるんだから、すごいバイタリティーだよ。

これからは、これ(カラー)が、業界の基準になっていのかな?
読んでる側からすると、やっぱりカラーの方が見やすいのだけど、・・・・・作業する方は、大変だろうよ。


東村アキコさんの他の感想。
東村アキコ「主に泣いてます 1-5」読了
東村アキコ「主に泣いてます 6-10(完)」読了