2015年10月27日火曜日

浅野いにお「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」1巻から3巻までの感想


浅野いにおさんの新作「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」の三巻までの感想になります。

他の、浅野いにお作品の感想。
浅野いにお「うみべの女の子」
浅野いにお「ソラニン」
山本直樹×浅野いにお「対談 マンガって、めんどくさい」
浅野いにお「素晴らしい世界」

粗筋


しかし、ぶっ飛んでいる。

ストーリーをかいつまんで紹介すると、何の前触れもなく東京に攻めてきた巨大UFO。

アメリカによる攻撃によって東京の一部はA線に汚染され(放射能みたいなもんでしょう)、また小型のUFOが多数墜落。

そんな混乱もあったが、今は、どうにかこうにか平静を取り戻している。

しかし、巨大UFOは、いまだに東京都の頭上に居座ったまま。A線の汚染もあり、住めない地区もある。
そこで、繰り広げられる、女子高生の青春物語。


まぁ、読んで数ページで、「あぁ、日本のパラレルワールドを舞台にして、震災後の現在を描こうとしているのね」と、誰もが気づくはず。

「うーん、あざといね」と当初は思ったのですが、・・・・・さすが浅野いにおさん。
キャラクターにしろ、話の展開にしろ、通り一遍ではないです。

政治的と非政治的


3.11に限らず、阪神淡路大震災「後」や、オウム事件「後」を描いた作品は、多いです。

そんなに多くを読んでいるわけではないですが、どれも、正直、「ふーん」や「ふーむ」、「なるほどねー」程度の、ぼんやりとした感想しかなかったです。

が、浅野いにおさんの「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」(コピペ万歳!)は、女子高生が主人公なのに、オッサンでも共感せざる得ない。

右とか左とか、原発推進とか反原発とか、どちらかの立場を表明、代弁することよりも、数多の人物の右往左往こそが、僕にとっては震災「後」のイメージです。

そして、「後」であっても、「前」と変わらない、いつも通りの日常が、結局続いているわけでして。
大人の偉い人たちは、 「あの日」から何もかもが 変わってしまったと 言っていたけれど、 私はむしろ、 何も変わらない その日常が少し不満であって、
てな主人公の独白が象徴しているように、(少なくとも僕にとっての)現代の空気感が、たくみに表現されています。(主人公なんか、けっこうな喪失があるはずなのに・・・・・)


さて、そういう作品なので、主人公の小山門出が、「今そこにある危機」であるUFOやA線について、特別な意見表明など、することはない。(言うなれば、非政治的)

彼女の母親は、旦那がUFO襲来時に亡くなったこともあり(遺体は見つかっていないので、もしかしたら、生きているのかも)、現代日本において時に「放射脳」などと揶揄されるような状態と同じで、すっかりA線恐怖症になっている。

娘は、病的に過敏になっている母を見て、むしろ、そういうことから距離を置きたがっている模様。


彼女の友達にしても、MADE IN JAPANの新兵器による小型UFOの撃墜成功に喜んだ若者たちと一緒に、交差点の真ん中で「ニッポン!!」コールをしているけど、
で、ニッポンが なんなん だろうね!?
…よく わっかんないけどっ!!
楽しいから 別にいいんじゃない!?
てな感じです。(サッカーの国際試合で勝つと、とりあえずサッカーに造詣が深いとか、好き嫌い関係なく、大騒ぎするアレですな)


で、主人公と、その仲間たちが、UFOやA線などよりも興味を持っているのが、お年ごろですから、恋愛。


主人公の門出は教師に恋をしており、友達のキホには彼氏があり、亜衣は男に言い寄られている。

でも、どいつもこいつも、うまくいかない。
キホは彼氏と別れて、結局は、仲間たちに戻ってくる。

亜衣も、なかなかの好青年に言い寄られるが、「私は 今のままで 十分だわな。」と振ってしまう。

主人公も、教師のアパートに連れて行ってもらっていながら、親友の凰蘭が不機嫌なことを知って、部屋を出て、彼女を探しに行ってしまう。


まだまだ、みんな未成熟で、異性には憧れるけど、同性といる方が「楽」という状態。(男と付き合って、セックスするのが成長というわけではないけれどもね・・・・・)

だから、主人公たちは、高校生にしては、顔つきが幼いんだろうなぁ。(浅野いにおさんの趣味もあるのだろうが)


また幼さの象徴として、主人公は、「イソベやん」が大好き。

イソベやんとは、未来からやって来た、磯辺焼きが大好きな、マンガのキャラクター。

言うまでもなく、「ドラえもん」のパロディーです。
高校生になっても愛読中で、好きな先生にも勧めてもいる。

まぁ、高校生になったからと言って、ドラえもんを嫌いになる必要はないにしても、一度は卒業しても、いいものです。


UFOの襲撃で亡くなった父と「イソベやん」は結びついており、単純に主人公が幼いから子供向けマンガのキャラクターを愛好していると言えない面もある。
なんだけれども、未だに「父」の影を追っているというのは、やはり、幼い証拠にも思えます。

そう考えると、教師に惚れるというのも、どこかで「父」を求めているのかもね。(なかなか出来た教師で、卒業まで、ちゃんと手を出さなかったよ。物語中では、主人公は高校を卒業してしまったので、これから付き合うのか? でも、「父性」のあるタイプには見えんから、付き合ったら、幻滅するかもね)

「イソベやん」と「ドラえもん」


で、まぁ、この「イソベやん」。

これが、この複雑怪奇(怪奇?)な「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」を読み解く、鍵なのかな?


元ネタの「ドラえもん」と言えば、超有名漫画。
アジアでも大人気ですから、まぁ日本代表する漫画といっても過言ではない。

なので、いろいろと解釈はあるでしょうが、そんな中で、よく言われるのは、「ドラえもんって、のび太の為になっているの?」というお話し。

「のび太の未来が悲惨だから、子孫がドラえもんを現代に送ってきた」という設定だけど、ドラえもんがいることで、のび太は未来の道具に頼り過ぎて、むしろダメ人間になってない? というご指摘。

「ドラえもん」と言えば、

「のび太が、嫌な思いをする」
「ドラえもんに泣きつく」
「未来からの秘密道具が登場」
「のび太が道具で、一旦は幸せを手に入れる」
「しかし、結局、道具では、うまく行きませんでした」

というパターンが、全部ではないにしろ、よくあります。

基本、一話完結の終わらない世界で成り立っている漫画ですから、延々と失敗が繰り返され、のび太に成長がないというのは、仕方がないことではあるんですが、「むしろダメ人間になってない?」と言いたくなるは、分からんでもないです。

「ドラえもん」の肝って、当然「未来からの秘密道具」なんだろうけど、もう一つ重要なのは、「ドラえもん」の存在自体なんだろうなぁ。

のび太の家って、両親は健在で、特別な問題があるような家族構成ではない。

父親はちゃんと仕事をして、母親はちょっとおっかないけど、専業主婦として、家を切り盛りしている。

そういう中でのドラえもんは、のび太に毒を吐くこともあるけど、厳しい父性とも、優しい母性とも違う立場で接している。(そもそも、野比家は健全なので、父親や母親の役は、ドラえもんに必要ない)

目上から、のび太を説教することもあるけど、時には、一緒になって道具にはまり、失敗してしまう。だから、教師でもない。兄貴とも、ちょっと違う。

もちろん、ペットではない。

「のび太が、絶対に泣きつける相手」、それがドラえもんなんだろうなぁ。

「頼りがいのある先輩」ではあるけれども、のび太とドラえもんの関係って、道具を「出す方」と「受け取る方」でありながら、対等なんだよね。

だから、「先輩」というよりは、「友人」。
しかも、絶対に裏切ることのない、理想的な「友人」なんだよね。


で、「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」に戻るわけだが、主人公の門出と、その仲間が望んでいる世界ってのは、仲良しこよしでいられる「今」。

「ドラえもん」=「イソベやん」的世界。
延々と終わらない、変化のない、成長のない世界。

彼氏のいない女だけ、クリスマスイブに集まって、
こんなんじゃ いつもの
放課後と同じ じゃないですか--!!
と嘆きつつも、
…でも、
そこが いい。
と納得している。

亜衣が、男から言い寄られても、なびかなかったのは、いつもと同じ世界を望んでのことだったし。


「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」の第1巻ラストでは、
ホントはもっと みんなとなかよく
したいのに なァ……
と、「イソベやん」の漫画内で、主人公(デベ子)の願望が書かれているけど、つまりは、現状維持を望む門出の願いでもあるわけだ。


この、「停滞と変化」って、浅野いにおさんの作品に通底しているように思えますが、どうですかね~。

「ソラニン」だと夢に向かうか? 現状に流されるか?

短編集の「素晴らしい世界」では、現在に満足できない、または現在のままでいるわけにはいかない人たちの物語だったし。

「うみべの女の子」における、地元大好きヤンキーと、外から来た人間の衝突も、言うなれば「停滞と変化」。

そして、「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」では、「後」の日常に安穏と生きていたい女子高生が描かれている。(「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」は、いわゆる「日常系」と言われるジャンルのパロディーでもあるのかな?)


が、彼女たちの仲間であったキホは、UFOの戦闘に巻き込まれて死んでしまう。

門出の親友である凰蘭は、まるで、キホが死んでしまったことに気がついてないかのように、いつも通りを演じようとするが、結局は、破綻してしまう。

「今のままでいたい」、でも、「そうはいかない」という、ねじれが、よくあらわれているシーンです。

でもって、それは、今の日本を、彷彿させますな~。


凰蘭 = イソベやん(ドラえもん)


まぁ、ここで終わっても、テキトウに文章はまとまったと思うんですが、もう一つ、「ドラえもん」=「イソベやん」の「未来からの秘密道具」(「イソベやん」では、内緒道具)について。

門出は教師に向かって、イソベやんの道具があって、「空を自由に 飛べたら どうしますか!?」と質問。

教師は、
夢のある話 だとは思うけど、 漫画の中の話 だろ~…
と、困惑。

それに対して、門出は、
「夢くらい 何を見たって いいじゃない!!」
「未来が どうなるかは 誰にもわから ないんだから!!」
などと威勢の良いことを言うけど、カギカッコつきなことから分かるように、冗談で言っている。
自分も信じていいない。
だから、直ぐに、
…そんな、 都合のいい 未来なんか ある訳ない ですよね……
と、自分で訂正してしまう。

この一連の流れですが、漫画内の道具の話から、個人的な未来の話になっているのが、ちょっと飛躍しているように感じます。

まぁ、ドラえもんにしても、イソベやんにしても、未来から来たという設定。
彼らの持っている道具というのは、「いつかは人類の力によって完成する、素晴らしいモノ」だから、こういう話の流れになるんでしょうね。

「秘密道具(内緒道具)」 = 理想的な未来。

そして、後に教師からは、こんな風に言われます。
…お前、この間 空を自由に飛べたら どうしたいかって 俺に聞いたろ?

…でも 大人になったら 他にやらなきゃ ならない事が沢山 あるんだよ。

つまんねー 奴だと思う かもしれんけど、

仕事とか 仕事とか…

…あとは 仕事とか…
と、「空を飛べる」→「未来の道具」→「未来」→「夢」という流れで、自分には、もう「現実」しかないという、大人の吐露になるんでしょう。


で、「…そんな、都合のいい未来なんかある訳ないですよね……」と自分で否定していた主人公の門出だけれども、教師から、「空を自由に飛べたら」と聞かれて、
おんたんのところへ!!
飛んでいきます!!
おんたんというのは、親友の凰蘭のこと。

漫画の「ドラえもん(イソベやん)」的な世界に安住していたい、というのが、門出(と、仲間たち)の願い。(モラトリアムに留まっていたいというのは、日本の青春モノの定番ですな~)

そこにおいて、門出にとってのドラえもん(イソベやん)というのは、やはり凰蘭ということなんでしょう。

のび太にとってのドラえもんが、絶対に裏切らない存在なように、
わたしにとって おんたんは、 「絶対」 なんです。
と、門出は言っていますし。


しかも、凰蘭は、UFOからこぼれ落ちてきたと思われる、謎の機械を拾ってしまっている。
まだ使い方は分からないものの、超絶テクノロジーが内蔵されている模様。

まさしく、「凰蘭 = ドラえもん(イソベやん)」になっている。


でもって、普通に考えると、凰蘭(ドラえもん)によって門出(のび太)が救われるというラストが想像できます。(または、ドラえもんに依存していたのび太が、自立して終わる)
けど、作者は、「デストラクション(破壊、破滅)」で終わると、前もって言っている。

青春(幼年期)は、いつか終わる。

「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」全体が、「ドラえもん」のパロディーだとすれば、・・・・・いや、まぁ、パロディーでないにしても、ストーリー漫画ですので、「ドラえもん」と違って、いつかは「終わり」がある。


それを、「デストラクション」で幕引きとすると宣言しているわけで、どんな風に終わるんですかね~。

この物語が、3.11「後」の、なんだか変わらない日本をモデルにしているわけでして、それを「変化(成長)」ではなく、「破滅」で終わらせようとしているのは、作者なりの社会に対する警告・・・・・と言うよりも、「このクソ世界、ぶっ壊れてしまえ!」というパンクな叫びとなるのかな?




さて、もう終わらせても、いいんですが、また、一つ、親友の「凰蘭」について。


かなりエキセントリックな言動をするキャラで、この漫画の独特な味になっています。

どうやら、兄貴の影響もあって、そうなってしまったようです。

では、どうして、この兄妹が、過激な人間になっているかというと、凰蘭が、ニュースを見て、
ふん… 政治屋め……
とつぶやいており、そして彼女の母親が政治家であることから想像するに、その反発もあるのかな?
人が困れば 困るほど 輝きを増す 業の深い母親で すまん!!
と、被災者を支援する母親の姿を、冗談めかして評しています。

が、門出などは、はっきりと自分の母親に嫌悪を抱いているけど、しかし、凰蘭は、(今のところ)そこまではいかないのかな?


で、この「人が困れば困るほど輝きを増す」というのは、まぁ、けっこう、違うパターンでも描かれています。

例えば、この作品の世界では、UFOの襲来によって、防衛産業が勃興し、隆盛を極めている。

なので、「UFO」が災害であったはずなのに、それを恩寵と感じている人もいる。
『母艦』および『侵略者』は 日本の所有物ですから。
とまで、主張する人間がいる始末。(3.11でも、「地震は天罰」と言っている人もいたなぁ~)


実際、地震も原発事故も、不幸な出来事であったはずなのに、気がついたら、「絆、絆」と、そこに生き甲斐を見つけてしまっている人もいる。(それはそれで、いいんでしょうが)

また、3.11を「飯の種にしてんじゃねーのー」と言ってやりたくなるような人も、時折、見受けられます。(一応付記しておくと、被災者を批判しているわけではございません)


作品内でも、そこら辺を、皮肉っているように見えます。


で、凰蘭の母親は、政治家なんで、(野党議員かもしれないけど)権力者側。
それに対して、門出の母親は、デモなんかに参加していることからすると、非権力者で、一般庶民となる。

立ち位置は真逆なんだけど、どちらも、宇宙人の侵略以降、そのことに関わって(=中心に)生きている。極めて政治的。

に対して、門出の仲間である亜衣は、友人が死んでしばらくして、こんな風に語っている。
4人で 話し合ったんだ。

私たちは これからも 今まで通りに していようって。

事故の後 クラスの何人かが ああいうデモに 参加するように なったけど

…私自身は 正直何をしたら いいのかわからなくて……

今は凛と おんたんと 門出ちゃんが、 前と変わらず 毎日笑ってて くれるのが 唯一の救いだわな。
「4人で 話し合ったんだ。」という言葉から分かるように、これは門出や凰蘭の考えでもある。

友達が死んでも変化を拒むというのは、なんだか、ひどく冷淡にも感じられます。
それは、本人たちも自覚しており、上記の言葉の後に、「…私は冷たい人間なのかもしれね……」と、自己分析している。(自分の父親を亡くした門出も、そのことについて似たようなことをしゃべている)

良いように表現するならば、死んだキホという友人は決して政治的な人間ではなかった。
政治的な彼氏とは、ソリが合わなくて、別れたくらいだし。

だから、政治には近づかないで、「そのままでいる」ということが、ある意味、友情を果たすということにつながる、………と解釈していいのかな?


で、凰蘭(と、彼女の兄貴)。

凰蘭は、卒業アルバムの白紙ページに、「犯罪者にならないでね」とクラスメイトから書かれているように、そのままでは、とても社会に受け入れられないようなキャラクターです。

政治家の母親とは、これこそ真逆。
そして、門出の母親とも真逆なわけでして、だからこそ、門出にとっては、凰蘭は「イソベやん(=ドラえもん)」なわけですな。

戦争


で、ここで終わってもいいのですが、もう一つ、おまけの感想。

門出と凰蘭とメインの二人の登場人物は、FPSが大好き。
戦争ゲームですな。

一方で、「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」では、UFOと戦う為に、自衛隊が日常化して、身近で戦闘している世界。

このリアルな戦争が繰り広げられる近くで、バーチャルな戦争に没頭しているというのは、・・・・なにを意味をするんだろうなぁ、と考えてしまいます。(二人が徹頭徹尾、非政治的な存在である証左なのかな?)


そして、時に表現者は、時代の巫女となり、未来を予言してしまうことがありますが(大げさな表現だな、おい。単に偶然なんだろうけど)、安保関連に大きな動きがあった現在においては、得体の知れない外敵に対して戦う自衛隊と、巨費が投じられる防衛産業という作品内の構図からも、また一つの「読み」ができそうです。

が、まぁ、今のところは、そこも「掘れそうだな」という感覚はあるものの、まだまだ考えがまとまっていない次第であります。
(結局、ハンパな終わり方になっちまったよ)


デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 1 (ビッグコミックススペシャル)
by カエレバ
デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション(2) (ビッグコミックス)
by カエレバ
デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 3 (ビッグコミックススペシャル)
by カエレバ

2015年10月25日日曜日

「メタルギアソリッド5 GZ & TPP」をやってしまって



部屋の移動で、強制的に模様替えをすることになりまして、「それならば」でPS4を購入。

仕事が一段落してからMGS5を始めようと思っていたのですが、「MGS5 GZ」なら、「有料体験版」などと揶揄されているくらいで、かなり短いみたいだし、いいか! と、やり始めたら、やはり面白い。

「MGS5 TPP」も発売になって、巷では、大分盛り上がっている。

やはり、自分を止められなくなり、「TPP」も始めたら、まぁ、面白いこと。


前作「MGS PW」が好きで、PSP版の後に出たHD版もやりこんだくらいなので、その発展形の「MGS5 TPP」が、つまらんわけもなく。

毎日毎日、MGS漬けでしたが、先日、ようやくクリアー。


出来るだけ、情報は入れないようにしてゲームはするんですが、何度もゲームオーバーになると、ついつい攻略サイトを頼ってしまいます。
そんなわけで、全二章で、しかも二章はかなり短いという流れは、なんとなく把握はしていたのですが・・・・・、本当に短かった。

しかも、尻切れ感が半端ない。


アマゾンの評価も、そりゃ、「星1」がたくさんつくのも、むべなるかな・・・・・。(システムは、かなり秀逸だと思いますが)

「GZ」と「TPP」に分かれたこと自体に、「分割商法」との批判があった上に、さらに、ストーリーが、これじゃなぁ~。

で、しかも、スペシャルエディションには、本編後のストーリーが語られた映像があったというのだから、公式に未完であることを認めているようなもんだし。

「スネーク、どうした?」メタルギアシリーズの小島秀夫氏がコナミを退職したとの報道。同社はこれを否定

小島監督とコナミとの確執は、もはや修復不可能な感じがしますが、やっぱり、製作期間の長期化(=予算の増大)が原因だったのかな?

で、コナミ側からタイムリミットを強引に設定されてしまい、それに間に合わせる為に、急ごしらえで完成した結果なのかな、今作は。


そして、スペシャルエディションについてきた特典映像というのは、ファンへのサービスもあるのでしょうが、・・・・・・・「本当のエンディングは用意していたけど、会社がつくらせてくれなかったんだよ」という当てこすりもあるのかな? と邪推しますが、さて。


そして、第二章の短さ云々もありますが、それ以前に、今作の特徴としては、全体的に「暗い」。

メタルギアソリッドシリーズは、シリアスな中にも、どこかにコミカルさがあるのが定番でした。

しかし、「MGSV」は、「復讐」が物語の重要な主題になっていることもあって、笑えるシーン、ニヤリとするシーンが少なかった。


前作のPWと比較すると、セシールのような陽気なキャラはいないし、そもそも、「5」のカズヒラ・ミラーなんか、ずっと怒ってばっかりだったもんな。(仲間を疑えとまで言うし)

「あやしいあやしい」と言われていたヒューイも、最終的には、「いい人だった」で終わるのか? と思っていたら、ある意味、黒幕はヤツでした、だったし。

「GZ」でパスやチコが死ぬことからも(パスは生きていた?)、非常に救いのないお話しでした。

外部に強敵がいながら、内部もギスギスしているというのは、小島監督の精神状態なり会社での置かれた状況を反映している結果なのかね~。(プーヤンミッションのような、脱力系のミッションをつくる余裕もなかったんだろうな・・・・・。)


でも、まぁ、ちゃんと売れたみたいだから、「完全版商法」と非難されるのを甘受して、まぼろしの第三章まで入れた、「ディレクターズカット」とか、「ファイナルカット」とか称して、出して欲しいものですが、・・・・・・無理だろうなぁ。(欲を言えば、GZとTPPを融合して、システムを統一、さらにバランス微調整の、サイドオプスを増やしてもらえたら、最高だけれども。みんな、怒りながらも、買うと思うよ)


一応、KONAMIでは、続編制作する意欲はあるようですが、またしても肥大化してしまったメタルギアサーガを統御できるのは、小島監督以外にいるわけもなく。

シリーズは、これで終わってしまうのか。
それとも、なんだか良く分からないけど、第三者によって、ダラダラ続いていくのか。

とりあえず、腹いっぱい楽しませてもらったけど、微妙に残念感が残る作品でした。


メタルギアソリッドV ファントムペイン
by カエレバ

2015年10月24日土曜日

山田洋次監督「たそがれ清兵衛」


なんか久しぶりに「たそがれ清兵衛」を見ました。

見るのは、なんだかんだで、三回目くらいになるのかな?


「くらいやがれ!」とばかりに、「日本人の美徳とは、これなり!」という攻勢が激しい映画です。

「惚れた女のために、黙って決闘に挑む」
「両想いであることを知っても、女の幸せの為に身を引く」
「友人からは、お前も京都に出て広い世間を知るべきだ。それだけの能力のある男だ、と言われても、まったく興味を示さない」
「実は、かなりの剣の使い手ではあるが、それを言いふらすことはない」
「貧乏で、同僚たちからも蔑まれているが、そのことを気にしない」
「女性であっても学問は必要だという先見性」
「もしかしたら、今生の別れになるかもしれない殺し合いの日でも、塾に行く子供たちを、そっと後ろから見送る」
「出世や世間体よりも、家庭こそが大事」


さすが山田洋次監督。

日本人の感情スイッチの在り処を、よく心得ております。
「これでもか!」と、バンバンと押してきます。


清兵衛の、なんと、まぁカッコイイこと。

宮沢りえさん演じる朋江も、「封建的な道徳に真っ向から立ち向かう」ところなんか清々しいのだが・・・・。

ただ、これまでの時代劇にはない新しいリアリティが込められた映画である一方で、あまりにも近代的な発想の人物だよな~などと、つっこみを入れたくはなったりもするけど。


また、「下っ端の小役人だけど、(奥ゆかしいので言い触らさないだけで)けっこうな能力を隠し持っている」という構図は、典型的な一般庶民のヒーロー願望に訴えるもので(「実はオレだって!」と、誰もが思って生きているんですな)、「あざとい!」とも思う。

そういうテクニックを分かりつつも、「なんだかんだで、宮沢りえさんと清兵衛は、一緒になるラストだよ」と知っているのに、ラストは、ついつい感動してしまう。


まぁ、さすが山田洋次監督です。


たそがれ清兵衛
by カエレバ

2015年10月18日日曜日

大川隆法先生製作総指揮「UFO学園の秘密」の感想



あらゆる万難を排して、どうにか、「UFO学園の秘密」を見てきました。

前日譚は、こちら。
「UFO学園の秘密」特別ご招待券、ゲットだぜ!


いつものことですが、見るまでは「よっしゃー、見てやるぜ!」とテンションが高いのですが、実際に始まると、「おれ、なにやってんだ?」という感じで映画館のソファーに、ボッーと座ってました。


ストーリーですが、ある全寮制の学園に迫る魔の手に、五人の学生が立ち上がる、というもの。

その学園の名前が、「ナスカ学園」。

なんつー名だよ、と思ってましたが、エンドクレジットを見ていて、幸福の科学学園の那須校と関西校で、「ナス(那須)カ(関西)」なのね。

あぁ納得。


で、映画は、現実の那須本校をモデルに、かなり忠実に描いていました。

「幸福の科学学園」の食堂で豚のしょうが焼き定食を食ってみた

ここの写真と、そっくり。(映画では、「普通の学校」として描かれているのだが、時折、幸福実現党や、さとうふみやさんのポスターが貼ってあったりで、そもそも、パルテノン神殿風の建物は、とても普通の学校には見えんぞ・・・・・あぁ、もう、ここは、どういう世界観なんだよ、と思わないでも)


この通り現実の学園が舞台ということから分かるように、この映画では、(大川隆法先生にとっての)現代教育のあるべき姿が描かれているんですな。


どんな教育かと言いますと、まぁ簡単に言いますと、単純な学力ではなく、信仰に基づいた教育ですよ。


で、主人公たちが、いろいろと理想の教育について主張するのですが・・・・・・・、なんか、恨み節に聞こえてしまうのは、僕だけ?

幸福の科学大学は「認めない」 文科省の審議会が"霊言"を問題視

幸福の科学学園の大学の認可が下りなかっただけではなく、「文科省では最長5年間、「幸福の科学学園」による大学設置を認めない方針」という顛末を知っているせいなのでしょうか?

幸福の科学学園・今年度卒業生の8割が進学・就職を放棄!=大学不認可となった“HSU”へ

「真の教育さえ出来れば、大卒高卒とか関係ねぇー!!」という魂の叫びに聞こえましたよ・・・・・。
(ちなみに、映画のナスカ学園の大学では、ピラミッドの形をした研究室で、宇宙と交信する機械をつくっていた・・・・・・)


で、主人公たちと敵対するのが、天才塾。

実は、悪いレプタリアン(宇宙人)が、地球侵略の橋頭堡にすべく、裏で糸を引いている。(地球侵略の為に、一学校から始めるという地味さが、お約束です)

ここに学生が入塾すると、密かに手術を施されて、大した努力をせずとも勉強ができるようになってしまう。
が、その代償として、レプタリアンに洗脳され、彼らに支配されてしまい、奴隷になってしまう。


ネタバレですが、この悪いレプタリアンというのが、学園の用務員に化けている。

まぁーさー、声優が、銀河万丈さんだからね。


見えている地雷みたいなもんで、銀河万丈さんが声を当てている時点で、「いい人」なわけがない。

だって、代表作が、ギレン・ザビなお人だよ。


そして、大川隆法製作総指揮「仏陀再誕」では 池田大作先生 荒井東作という大ボスとして、がっつり倒されていました。(■幸福の科学 VS 創価学会)


つまり、銀河万丈さんつながりで、

丸井(悪のレプタリアン) = 荒井東作 = 池田大作先生

ということです。(丸井と荒井だしね・・・・・)


さて、この悪のレプタリアンというのは、アメリカやロシア、中国の軍隊に、既に入り込んでいるという(映画の)設定。

そして、どうやら、銀河万丈さん演じる丸井は、中国側のレプタリアンのようです。


池田大作先生が、中国要人(習近平とは、イマイチか?)と親しいは有名なお話でして。

中国・胡錦濤国家主席と池田大作・創価学会名誉会長が会談


つまりは、

丸井(悪のレプタリアン) = 荒井東作 = 池田大作先生 = 中国側

という構図となるわけですね。


さらには、

池田大作先生 = 創価学会 = 公明党 = 与党

と、なるわけで、幸福の科学学園の大学認可がおりなかったのは、なにか巨大な陰謀が! ・・・・・・という妄想をしながら、どうにか二時間見ました。


映像としては、やっぱり映画なので、30分アニメでは、到底無理なクオリティ。
場面場面は、綺麗でしたよ。

でも、まぁ、プロパガンダ映画なので、途中から教義の説明が続いて、最終的には信仰の力によって敵をやっつけるという、「やっぱり」という流れ。


根底に流れる思想は、ぶっ飛んではいるのだが、「イデオン」や「エヴァンゲリオン 旧劇場版」のような、物語としてぶっ飛んでいるわけではないので、・・・・・まぁ、前述のように妄想しながらでないと、信仰心のない人間には、なかなかツラいものがございました。


おまけの感想としては、挿入歌「LOST LOVE」は、作詞作曲・大川隆法先生となっているのですが、これは、別れた前妻のことを歌っているんですかね~。

2015年10月17日土曜日

「UFO学園の秘密」特別ご招待券、ゲットだぜ!



「幸福の科学」さんの映画は、もう二十年くらい前から、たまーに見るんですが、・・・・・ほとんど金を払ったことはございません。

いつも招待券を、どこからか、もらって見てきました。

で、エル・カンターレ様が、再び映画をおつくりなる、という噂は聞いておりまして、「また、タダで見れんかな」などと、不埒なことを考えていたバチが当たったのか、会社のパソコンが前触れ無く、突然、ブルースクリーンに。


画面に線が入ってますからね、・・・・・・見るからにダメそう。
一応、メモリを外してみたりしましたが、どうにも無理。(もともとxpだったPCに、win7を載せていたポンコツなので、いまさら金をかけて修理するほどの価値もなく・・・・・)

幸い、セーフモードで起動したので、どうにかこうにか、データだけはサルベージできましたが・・・・。


そんなアクシデントで、テンションはすっかりローへ。最低の気分だったのですが、会社にやって来たのが「映画UFO学園の秘密 企画・プロジェクト 広報部長」さん。



広報部長さんは、30才くらいの、なかなか整った顔立ちをした青年でした。

名刺をもらった瞬間に、「やった、招待券がもらえる!」と密かに興奮したのですが・・・・・、アンケートに答えたら、券をあげるって言うんですよ。

えぇ~~、エル・カンターレ様に、私のような下賤の者の個人情報を差し出すのは、とてもとても畏れ多い。

(TдT)

泣く泣く、「いやー、うちでは、映画見るような人はいないんで」と嘘をつきました。(本当は、広報部長さんの目の前にいる)


しかし、名刺には「happy-science.jp」とURLが書かれてはいるけど、部長さんからは「幸福の科学」というお言葉は、特になく。

まぁ新興宗教ではお約束のステデ(ステルス伝道)です。

私のような好事家なら、ピンと来ますが、分からん人は分からんだろうなぁ・・・・・・。


さて、仕事で外に行ってきて、会社に帰ってきたら、「ほーれ」とスタッフから渡されたものが、


招待券でございます。

仏陀は見捨てなかった!


・・・・・・まぁ、あの後に、他の人が来て、置いていったそうです。

その方は、はっきりと「幸福の科学です」と言っていたそうで、「いくらでもおいていきますよ」と言われたものの、「いや、無駄にしてもアレなんで」(どうせ、あいつしか見ないだろうし)と、二枚だけもらった、という流れ。

さて、招待券の他にも、ちょっとした冊子が。


冊子の右下(画像ですと左上ですが)を見ると、


「UFO後進国 日本の目を覚まそう!」と書かれております。

なかなか挑発的なメッセージです。


本文においても、日本は「UFO情報鎖国」状態とされておりまして、いろんな考え方が、世の中にあるもんだなぁ~と、あらためて蒙が啓くという感じです。


こうして、冊子もちゃんと読み、予習をしました。

準備万端!

仕事を終え、映画館に向かったら、・・・・・・・いるんですよ、広報部長さんが!

映画館のチケット売り場の側で、控えてました。エライね!!

しかも、目が合っちゃって。

映画なんか見ないって言った手前、バツが悪い。

思わず頭を下げて、そのまま素通り(あっちは、気がついていなかったかな?)、映画館を出てきてしまいました。


ぐーむ、残念、お預けでした。
悟りの道は、遥か遠い・・・・・・・・。

2015年10月10日土曜日

眉月じゅん「恋は雨上がりのように(3)」の感想


眉月じゅんさんの「恋は雨上がりのように」。

過去に感想(■「恋は雨上がりのように」1巻、2巻の感想)をアップしましたら、バンバンPVを稼いでくれました。

「人気は出ている!」けど、「まだ解説をしている人は少ない」という間隙をぬったらしく、あんな駄文でも読みたい人がいたようでございます・・・・・。

さて、第三巻発売ということで、早速、手にしてみました。


相変わらずの「かわいらしい漫画」です。

表情は乏しいものの、八頭身はあるんじゃいないの? というスレンダーな美少女(あきら)と、彼女に惚れられてしまった、円形脱毛症のしがない中年男性(ファミレスの店長)の交流が、セックス抜きで語られています。


三巻で象徴的だったのは、ちょっとした事故(少年誌であれば、ラッキースケベになっていただろう)で、「あきら」の服が汚れてしまったところかな?

アパートには、当然のことながら洗濯機があるんだけれども、中年男性の下着を洗っているようなもので、女子高生の服は洗えないと、店長は、わざわざ外のコインランドリーに向かう。

一方で、あきらは、貸してもらった店長のTシャツを着て、密かに喜んでいる。


あきらは、もともとアスリートだったけれども、怪我で引退。その空虚を埋め合わせるように、店長に惚れています。

一方の店長は、どうやら、文学関係のことで、挫折を味わった模様。(おそらくは、純文学系の作家を目指していたけど、かなわなかった。または、文学関係のお仲間を、なにかの事件によって亡くしてしまった or 取り返しの付かないくらい傷つけてしまった)

店長は、この挫折がもとで、むしろ、自己に自信が持てず、あきらの気持ちを知りつつも、彼女を受け入れることができない。


片方は夢をなくしたことで、異性を求めている。
片方は夢をなくしたことで、異性を受け入れることが出来ない。(「大人の男性として、高校生とは付き合えない」という倫理観も持ち合わせている。けど、「あきら」を完全に排除できるほどの、強い道徳心があるわけではないところが、ダメな感じですなぁ~)

この、すれ違いが、自宅の洗濯機で洗うことを躊躇する店長と、そんなことは気にしていない「あきら」として、あらわれていました。


さて、今後の展開の予想ですが・・・・・・・・、あきらは、アスリートを挫折した傷を癒せてはいない。
その為、友人関係も、うまくいっていない(喧嘩をするほどではないが、仲は希薄化してしまっている)。

アスリートに代わるものとしての店長なんだけれども・・・・・・、まぁ現実の社会においては、かつての夢や目標を諦めて、家庭なり異性に埋没していくというのは、よくある話でして、また、それはそれで幸せでしょう。

が、店長の文学の夢を叶えるために、糟糠の妻を志すというのは、・・・・・・うーむ、とても現代の物語とは思えない展開ですな。(連続テレビ小説「マッサン」は、そんな話だったけど、あれは、奥様が外国人というところがミソでして。新味を加えておきながらも、残りは、古臭い展開というのが、程よいバランスだったんですよね)

それにね、年齢差が・・・・。
40超えた男が、10代の少女に精神的にしろ、支えてもらうというのは(まして物質的に支えてもらうのは、ヒドすぎる)、ちょっと、ね。

パッとしないOLが、売れないバンドマンや芸人を支えるのとは、わけが違う。


「年齢差のカップルが、恋愛を通して、過去を精算していく」というのも、30代と50代の男女というなら、それもいいでしょう。
が、片方は、まだ未来ある10代の少女だからね。


やはり、今後は、一人の少女の自立が描かれていくのだろうなぁ。
たとえば、足を壊したのだから投擲にいくとか(これは無理があるな)、マネージャーをする、スポーツドクターを志すとか。

ありそうな展開としては、店長に憧れて文学に触れているうちに文章の仕事も悪くないと思うようになって、最終的にはスポーツライターになるってのは、どうでしょう?

とにかく、今作の中では、あきらは、授業中の居眠りで、店長に飼われているハムスターが、自分になるという夢を見ています。(しかも、夢の中では、ちゃんと走れている)
まぁ、綺麗に描かれているけど、これは、やっぱり健全ではないよね。


そして、未だ過去にとらわれている店長。

現実において、十代の美少女から言い寄られたら、もう愛欲の日々に爛れて・・・・・にはならずとも、なんかデレデレで、過去なんか、すっかり忘れてしまいそうですが、さて。

過去と決別するのか、乗り越えるのか。それとも、いつまでも抜け出せずに終わるのか。

まぁ、お約束の展開としては、一念発起で、文学賞に挑むけど、という流れか?


いずれにしろ、あきらの自立が今後の展開の肝になると思っております。
そして、「いろいろあったけど失敗でした」とは、ならんでしょうなぁ。(店長の方は、有り得ますが)

苦労はしたけど、どうにか新しい夢を手に入れることができました、となるんじゃないかな?

で、自らの空虚を埋め合わせる為の異性だったのだから、自立(自己の確立)に成功すると、店長は要らなくなってしまうわけでして、そこらへんがラストか?

そして、最後の数ページで、5年後とか10年後の二人が描かれていて、雨上がりの街角でバッタリ出会って、または、「うわ、このまま行くと、二人鉢合わせてしまうじゃん」みたいなシーンで終わるのではないかと勝手な想像をしていますが、さて、どうでしょう。

恋は雨上がりのように(3) (ビッグコミックス)
by カエレバ

2015年10月9日金曜日

まさかの続編「ルック・オブ・サイレンス」の感想



1965年、インドネシアでにおいて、反共という大義名分で起こった虐殺事件を扱った「アクト・オブ・キリング」。

一見、反省のない加害者に、当時の蛮行を演じてもらうという、「なんじゃ、そりゃ?」という手法で世界的に評判になりました。
今さら見た「アクト・オブ・キリング」の感想


で、まぁ、普通、こういう映画って、一ネタで終わるものですが、まさかの続編「ルック・オブ・サイレンス」。

今度は、殺された被害者の弟が、加害者に話を聞きに会いに行くという流れ。

しかも、「自分は被害者の弟です」という立場を表明していることもあれば、最初は黙っていて、「実は、あんたが殺したのは、おれの兄貴なんだけど?」という往年の「電波少年」もびっくり&どっきりの、突撃です。


基本としては、「現在の被害者家族のシーン」と、この「加害者への突撃インタビュー」の、繰り返し。


「現在の被害者家族のシーン」は、こんな感じ。

痴呆症となった父親と、いまだに事件を恨んでいる母親。

比較的、幸せな家庭を築いている弟。
でも、兄を殺しておきながら、そのことについて、まったく触れようとしない社会に違和感を抱いている。

つまりは、事件により「傷ついたままの家族」が描写されているわけですな。


で、「加害者への突撃インタビュー」は、誰に聞いても、まったく反省も悔恨もない姿が描かれている。
これを見ることで、まぁ、「傷ついたまま」にならざる得ない現況が分かってくるわけです。


「アクト・オブ・キリング」は、彼の地(インドネシア)での選挙や民兵、悪趣味に出来上がってしまった加害者礼賛の映画のワンシーンなんかが挿入されていて、けっこう見応えがありました。

が、「ルック・オブ・サイレンス」は、まぁ、似たようなシーンの連続になっていたので、場面場面の緊迫感(そりゃ、「お前は、単なる人殺しだ!」と詰め寄るわけですから)はあるんですが、正直なところ、単調だなー、と思わないでもなかったです・・・・・・。


で、ず~~~っと気になったのは、殺された兄貴は、どうして殺されたのか? ということ。

そもそも、兄貴の写真とか出てこない。
人柄も、かろうじて加害者側が「いいやつだったかもしれないけど」てな感じで、言及するだけ。

彼についての、印象的なエピソードも、やっぱり加害者が、「こうやって殺した」と述べるのみ。


うーん。

「被害者の一人」ということ以上の情報が、極端に少ないんだよね。

よくあるパターンですと、
「被害者は数字(記号)ではない。彼も一人の人間であった」
ということを強調するために、個人的なエピソードを掘り下げるもんなんだけどね。

ここまで排除しているとなると、これは製作者の意図と見るべきなんだろうなぁ。


彼(兄貴)のことを調べれば、「いい人だった」という情報が出てくるかもしれない。
逆に「悪い人だった」となるかもしれない。

共産党員だったかもしれないし、共産党員ではなかったかもしれない。
独裁に懐疑的だったかもしれないし、政治的な意見など全く持っていなかったかもしれない。


それを言い出すと、キリがない。
だから、冷戦下において、多くの国で起こった政治の狂乱に翻弄されて、亡くなった一人の人間以上でも、以下でもない存在にしたかったのだろうなぁ。

そのことは、加害者側も認識しているようで、弟から詰め寄られても、「お前の兄貴は、殺されて当然の人間だった!」とか、「共産党員だったから、仕方ないだろう」と居直る人はいないんだよね。(もしかしたら、編集でカットされているのかもしれないけど)

兄貴が共産党員だろうとなかろうと、加害者側も、「やり過ぎたな」「そこまでする必要は、あったの?」と、今は、薄々思っているんだよね。(「アクト・オブ・キリング」も、そうだった)
だから、「知らない」「軍が命じた」「そういう時代だった」的な言葉で逃げようとする。


が、被害者(弟)としては、それは受け入れられない言説なわけで。
「謝って欲しい」とまではいかなくても、せめて、やってはいけないことを、やってしまったと自認して欲しいのだけれども・・・・・。


まぁ、別にインドネシアに限らず、どこの国(日本を含む)にでもあるお話なんだけどね。


それにしても、虐殺に加担した加害者を詰り回った、この弟は、こんなに堂々と顔を出して、大丈夫なのかね?

不思議だよ・・・・・。
実際、街の有力者から、「お前は、どこに住んでいた?」と問われて、「危険が及ぶので、私の個人的な話はできない」と言っているし。

しかも自分だけではなく、親や妻、子供まで映画で顔を出しているよ、あんた。
本当に大丈夫?


さらに、加害者側からも、「映画になるよー、君たちの顔を出しても、いいよね?」というOKは、もらっているの?(日本や先進国だと、「加害者側にも人権がある」という観点から、こんな映画は、難しいよね・・・・・)


なんか、こんなところからも、前回の「アクト・オブ・キリング」と同じで、「やらせなの?」と勘繰ってしまうよ。

映像にしても、ドキュメンタリーの割には、妙に映像美にこだわりがあって(前作も、そうだったよなぁ)、・・・・・・そりゃ、絵が綺麗な方が、いいに決まっているけど、なんか「つくりものめいているな」と思わないでも。


そもそも、弟の職業が、メガネの技師というところが、出来過ぎでして。

「ありのまま(真実)を見る為の手助けをしている」という彼の仕事が、そのまま映画での役割とかぶっており、・・・・・・・おいおい、ノンフィクションじゃないんだから。


まぁ、なんかモヤモヤが残るんですが、また一つ勉強になりました。


映画 ルック・オブ・サイレンス パンフレット
by カエレバ

2015年10月5日月曜日

久しぶりに見た「スウィングガールズ」



久しぶりに「スウィングガールズ」を見ましたよ。

公開が2004年なんだ・・・・・、なんか登場する小道具が古臭いなぁ~と思ってたけど、そりゃ、そうだよね。10年以上前なんだ。

で、主演が上野樹里さんで、本仮屋ユイカさんも脇役で出ていたのは覚えていたけど、貫地谷しほりさんも、なのね。

本仮屋ユイカさんと貫地谷しほりさんは、どちらもNHKの朝ドラ、上野樹里さんは大河ドラマの主演と、みなさん、出世したもんだね~。

(失礼な言い方だが)顔面偏差値だと、本仮屋ユイカさんがトップかな?
でも、いまいち、「これ!」って作品のイメージがないですなぁ・・・・・。

上野樹里さんは、演技的には、それなりに評価はされているようには思えるけど、どうにも、嘘か真か、性格に難あり、とか。
そのせいか、大河以降、あんまりパッとしない印象ですが、さて。

で、貫地谷しほりは、「大ブレーク!」ということはなくても、ボチボチと途切れずに仕事をしているようには思えます。

・・・・・・・・・・楽しい映画ですが、そんなことを思いながら見ていると、「この子たち、この後に、どんな人生を歩むことになるのか、まだ分かっていないんだなぁ・・・・」と、物悲しさを覚えてしまうのは、私が病んでいるからなのでしょうか?


それは、さておき。

分かっちゃいるけど(一回見たから)、ご都合主義だね~。

そもそも、映画の中では、半年くらいしか経過していないんだよね?
夏休みから始まって、冬で終わるんだから。

その間に、人を感動させるレベルの演奏ができるようになるなんて、現実では、どだい無理なお話。


で、初見でも思ったことだけど、やっぱり気になるのは、途中で仲間が戻ってくるところだよ。
安易過ぎる。
(しかも、仲間たちは、音楽から、すっかり離れていたのに、あっさりと演奏が出来るようになる)


ラストの「コンサートの出場を逃す」からの、「枠に空きが出たから、出場OK」という、不自然に山場をつくって、簡単に解決するのも、「うーむ」と思わんでもないけど。


まぁ、でも、そういう小うるさいことは、どうでもいい映画ですからね。

特撮映画を見て、「生物学的に、このフォルムは有り得ない!」と難癖つけるようなもの。


そもそも、ストーリーに関して言うと、矢口監督の前作「ウォーターボーイズ」と、基本線は同じなんだよね。

ぱっとしない高校生が、ちょっと風変わりなことをすることになり、いろいろと困難はありつつも、最終的には、みんなで乗り越えて、大団円♪

つまりは青春映画(モノ)のお約束。そこに矢口監督の味付け。
その、世界観を楽しむ映画ですからね。

スウィングガールズ [Blu-ray]
by カエレバ

2015年10月3日土曜日

ブックオフの宅配便を利用した結果

ちょっと以前の言葉を用いますと「パラサイトシングル」というヤツです。

お家を改装するというので、部屋を移動することと相成りました。

それで、二階から一階への大移動。
ついでに、本を処分してしまおうということで、数日間かかって、梱包。(一気にやれなかったのは、ハウスダストで、くしゃみが止まらないから)

どうにかこうにか16箱に、まとまりました。


「さて、どこに売ろう?」ということなのですが、とにもかくにも、「これは買い取りできませんね~」と言われて、拒否られるのが一番困る。
なので、店頭に持っていくのではなく、ネットの業者に送りつけることに。

検索すると、けっこう、いろんな業者さんが買い取りサービスはやってますね。

「Amazon 本買取サービス」がスタート。本当にお得なのかブックオフ買取と徹底比較してみた

この記事なんかを読むと、ヤフオクやアマゾンなどを、うまーく利用すると、高価に売り抜けることもできる模様。

・・・・・・・・が、めんどう。

そもそも、ネットの業者に送りつけようとしているのは、手間暇がかかるのが嫌だというのもありまして。


そんなわけで、一括で買い取ってくれるところを探すことに。

まぁ、いろいろ評判を読みつつ、結局、「ブックオフ」の「宅本便」に決定。
ブックオフオンライン 中古_新品の本・漫画(まんが)、コミック・CD・DVD・ゲームをまとめて購入&まとめて買取

「なんで、ブックオフなの?」という疑問の答えは、「大手だから」。

安易ですね~。

正直、お値段は期待していません。
そりゃ、高い方がいいに決まってますが・・・・・、まぁ文庫がメインだから、どうせ、たかが知れてる。

それよりも、何冊かエロ本も入っているんですよ。

なので、もし、個人情報が漏洩したら(アメリカ政府職員の名簿ですら漏洩するのだから、もう、情報は漏れるものと思っていないとなぁ・・・・)、と想像すると、やはり大手の方が安全&漏洩後の補償なりフォローも、多少は期待が持てるかな? と考えまして。
(補償なんて、せいぜい500円でしょうけどね。ただ、なにかあったら中小ではつぶれるしかないからな・・・・・。大手なら、一応、その後の対策もしてくれるのではないかと)


ただし、重量制限がブックオフの買取は厳しい。ネットでは、「持ち運びやすいように、1箱の重量は15kg以内でお願いします」となっている。

16箱のうち、いくつかは15kgを超えているような気がする。
が、重量計などないので、正確なことが分からない。

受け取りを拒否される、なんてことはないかもしれないけど、超過している分、買い取り値段から引かれたりするかもな・・・・・と考えつつ、とにかく家から本がなくなることが大事な状況でして。


で、まぁ、お願いしたら、16箱全部持っていってくれました。
それからしばらくして、届いた結果ですが、こんな感じ。

【明細】
■書籍→358点/16,207円
■コミック→125点/2,307円
■CD→0点/0円
■DVD→0点/0円
■GAME→0点/0円
■その他→0点/0円
■買取専用ダンボール→0点/0円
■合計→483点/18,514円
■お値段のつかなかった商品→287点
■お送りいただいた箱数→16箱

「お値段のつかなかった商品→287点」か・・・・・。

書籍は、一冊50円弱。
むしろ漫画の方が安くて、一冊20円弱。

「バクマン。」「デスノート」全巻セットだったりするけど、まぁ、こんなものなのね(状態は、あんま、よろしくなかったです)。

この値段から、送料が引かれているのだろうから、店頭に持って行ったら、もうちょっと高かったのかな~? ・・・・・・・・・・どうなんでしょうね。
ただ、店頭で700冊(エロ本含む)も鑑定してもらうなんて、考えただけで大儀なんで、まぁ、良かったのではないかと。(考えようによっては、287冊のゴミを処分もしてもらったわけですし)