浅野いにおさんの新作「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」の三巻までの感想になります。
他の、浅野いにお作品の感想。
■浅野いにお「うみべの女の子」
■浅野いにお「ソラニン」
■山本直樹×浅野いにお「対談 マンガって、めんどくさい」
■浅野いにお「素晴らしい世界」
粗筋
しかし、ぶっ飛んでいる。
ストーリーをかいつまんで紹介すると、何の前触れもなく東京に攻めてきた巨大UFO。
アメリカによる攻撃によって東京の一部はA線に汚染され(放射能みたいなもんでしょう)、また小型のUFOが多数墜落。
そんな混乱もあったが、今は、どうにかこうにか平静を取り戻している。
しかし、巨大UFOは、いまだに東京都の頭上に居座ったまま。A線の汚染もあり、住めない地区もある。
そこで、繰り広げられる、女子高生の青春物語。
まぁ、読んで数ページで、「あぁ、日本のパラレルワールドを舞台にして、震災後の現在を描こうとしているのね」と、誰もが気づくはず。
「うーん、あざといね」と当初は思ったのですが、・・・・・さすが浅野いにおさん。
キャラクターにしろ、話の展開にしろ、通り一遍ではないです。
政治的と非政治的
3.11に限らず、阪神淡路大震災「後」や、オウム事件「後」を描いた作品は、多いです。
そんなに多くを読んでいるわけではないですが、どれも、正直、「ふーん」や「ふーむ」、「なるほどねー」程度の、ぼんやりとした感想しかなかったです。
が、浅野いにおさんの「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」(コピペ万歳!)は、女子高生が主人公なのに、オッサンでも共感せざる得ない。
右とか左とか、原発推進とか反原発とか、どちらかの立場を表明、代弁することよりも、数多の人物の右往左往こそが、僕にとっては震災「後」のイメージです。
そして、「後」であっても、「前」と変わらない、いつも通りの日常が、結局続いているわけでして。
大人の偉い人たちは、 「あの日」から何もかもが 変わってしまったと 言っていたけれど、 私はむしろ、 何も変わらない その日常が少し不満であって、てな主人公の独白が象徴しているように、(少なくとも僕にとっての)現代の空気感が、たくみに表現されています。(主人公なんか、けっこうな喪失があるはずなのに・・・・・)
さて、そういう作品なので、主人公の小山門出が、「今そこにある危機」であるUFOやA線について、特別な意見表明など、することはない。(言うなれば、非政治的)
彼女の母親は、旦那がUFO襲来時に亡くなったこともあり(遺体は見つかっていないので、もしかしたら、生きているのかも)、現代日本において時に「放射脳」などと揶揄されるような状態と同じで、すっかりA線恐怖症になっている。
娘は、病的に過敏になっている母を見て、むしろ、そういうことから距離を置きたがっている模様。
彼女の友達にしても、MADE IN JAPANの新兵器による小型UFOの撃墜成功に喜んだ若者たちと一緒に、交差点の真ん中で「ニッポン!!」コールをしているけど、
で、ニッポンが なんなん だろうね!?
…よく わっかんないけどっ!!てな感じです。(サッカーの国際試合で勝つと、とりあえずサッカーに造詣が深いとか、好き嫌い関係なく、大騒ぎするアレですな)
楽しいから 別にいいんじゃない!?
で、主人公と、その仲間たちが、UFOやA線などよりも興味を持っているのが、お年ごろですから、恋愛。
主人公の門出は教師に恋をしており、友達のキホには彼氏があり、亜衣は男に言い寄られている。
でも、どいつもこいつも、うまくいかない。
キホは彼氏と別れて、結局は、仲間たちに戻ってくる。
亜衣も、なかなかの好青年に言い寄られるが、「私は 今のままで 十分だわな。」と振ってしまう。
主人公も、教師のアパートに連れて行ってもらっていながら、親友の凰蘭が不機嫌なことを知って、部屋を出て、彼女を探しに行ってしまう。
まだまだ、みんな未成熟で、異性には憧れるけど、同性といる方が「楽」という状態。(男と付き合って、セックスするのが成長というわけではないけれどもね・・・・・)
だから、主人公たちは、高校生にしては、顔つきが幼いんだろうなぁ。(浅野いにおさんの趣味もあるのだろうが)
また幼さの象徴として、主人公は、「イソベやん」が大好き。
イソベやんとは、未来からやって来た、磯辺焼きが大好きな、マンガのキャラクター。
言うまでもなく、「ドラえもん」のパロディーです。
高校生になっても愛読中で、好きな先生にも勧めてもいる。
まぁ、高校生になったからと言って、ドラえもんを嫌いになる必要はないにしても、一度は卒業しても、いいものです。
UFOの襲撃で亡くなった父と「イソベやん」は結びついており、単純に主人公が幼いから子供向けマンガのキャラクターを愛好していると言えない面もある。
なんだけれども、未だに「父」の影を追っているというのは、やはり、幼い証拠にも思えます。
そう考えると、教師に惚れるというのも、どこかで「父」を求めているのかもね。(なかなか出来た教師で、卒業まで、ちゃんと手を出さなかったよ。物語中では、主人公は高校を卒業してしまったので、これから付き合うのか? でも、「父性」のあるタイプには見えんから、付き合ったら、幻滅するかもね)
「イソベやん」と「ドラえもん」
で、まぁ、この「イソベやん」。
これが、この複雑怪奇(怪奇?)な「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」を読み解く、鍵なのかな?
元ネタの「ドラえもん」と言えば、超有名漫画。
アジアでも大人気ですから、まぁ日本代表する漫画といっても過言ではない。
なので、いろいろと解釈はあるでしょうが、そんな中で、よく言われるのは、「ドラえもんって、のび太の為になっているの?」というお話し。
「のび太の未来が悲惨だから、子孫がドラえもんを現代に送ってきた」という設定だけど、ドラえもんがいることで、のび太は未来の道具に頼り過ぎて、むしろダメ人間になってない? というご指摘。
「ドラえもん」と言えば、
「のび太が、嫌な思いをする」
↓
「ドラえもんに泣きつく」
↓
「未来からの秘密道具が登場」
↓
「のび太が道具で、一旦は幸せを手に入れる」
↓
「しかし、結局、道具では、うまく行きませんでした」
というパターンが、全部ではないにしろ、よくあります。
基本、一話完結の終わらない世界で成り立っている漫画ですから、延々と失敗が繰り返され、のび太に成長がないというのは、仕方がないことではあるんですが、「むしろダメ人間になってない?」と言いたくなるは、分からんでもないです。
「ドラえもん」の肝って、当然「未来からの秘密道具」なんだろうけど、もう一つ重要なのは、「ドラえもん」の存在自体なんだろうなぁ。
のび太の家って、両親は健在で、特別な問題があるような家族構成ではない。
父親はちゃんと仕事をして、母親はちょっとおっかないけど、専業主婦として、家を切り盛りしている。
そういう中でのドラえもんは、のび太に毒を吐くこともあるけど、厳しい父性とも、優しい母性とも違う立場で接している。(そもそも、野比家は健全なので、父親や母親の役は、ドラえもんに必要ない)
目上から、のび太を説教することもあるけど、時には、一緒になって道具にはまり、失敗してしまう。だから、教師でもない。兄貴とも、ちょっと違う。
もちろん、ペットではない。
「のび太が、絶対に泣きつける相手」、それがドラえもんなんだろうなぁ。
「頼りがいのある先輩」ではあるけれども、のび太とドラえもんの関係って、道具を「出す方」と「受け取る方」でありながら、対等なんだよね。
だから、「先輩」というよりは、「友人」。
しかも、絶対に裏切ることのない、理想的な「友人」なんだよね。
で、「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」に戻るわけだが、主人公の門出と、その仲間が望んでいる世界ってのは、仲良しこよしでいられる「今」。
「ドラえもん」=「イソベやん」的世界。
延々と終わらない、変化のない、成長のない世界。
彼氏のいない女だけ、クリスマスイブに集まって、
こんなんじゃ いつものと嘆きつつも、
放課後と同じ じゃないですか--!!
…でも、と納得している。
そこが いい。
亜衣が、男から言い寄られても、なびかなかったのは、いつもと同じ世界を望んでのことだったし。
「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」の第1巻ラストでは、
ホントはもっと みんなとなかよくと、「イソベやん」の漫画内で、主人公(デベ子)の願望が書かれているけど、つまりは、現状維持を望む門出の願いでもあるわけだ。
したいのに なァ……
この、「停滞と変化」って、浅野いにおさんの作品に通底しているように思えますが、どうですかね~。
「ソラニン」だと夢に向かうか? 現状に流されるか?
短編集の「素晴らしい世界」では、現在に満足できない、または現在のままでいるわけにはいかない人たちの物語だったし。
「うみべの女の子」における、地元大好きヤンキーと、外から来た人間の衝突も、言うなれば「停滞と変化」。
そして、「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」では、「後」の日常に安穏と生きていたい女子高生が描かれている。(「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」は、いわゆる「日常系」と言われるジャンルのパロディーでもあるのかな?)
が、彼女たちの仲間であったキホは、UFOの戦闘に巻き込まれて死んでしまう。
門出の親友である凰蘭は、まるで、キホが死んでしまったことに気がついてないかのように、いつも通りを演じようとするが、結局は、破綻してしまう。
「今のままでいたい」、でも、「そうはいかない」という、ねじれが、よくあらわれているシーンです。
でもって、それは、今の日本を、彷彿させますな~。
凰蘭 = イソベやん(ドラえもん)
まぁ、ここで終わっても、テキトウに文章はまとまったと思うんですが、もう一つ、「ドラえもん」=「イソベやん」の「未来からの秘密道具」(「イソベやん」では、内緒道具)について。
門出は教師に向かって、イソベやんの道具があって、「空を自由に 飛べたら どうしますか!?」と質問。
教師は、
夢のある話 だとは思うけど、 漫画の中の話 だろ~…と、困惑。
それに対して、門出は、
「夢くらい 何を見たって いいじゃない!!」などと威勢の良いことを言うけど、カギカッコつきなことから分かるように、冗談で言っている。
「未来が どうなるかは 誰にもわから ないんだから!!」
自分も信じていいない。
だから、直ぐに、
…そんな、 都合のいい 未来なんか ある訳ない ですよね……と、自分で訂正してしまう。
この一連の流れですが、漫画内の道具の話から、個人的な未来の話になっているのが、ちょっと飛躍しているように感じます。
まぁ、ドラえもんにしても、イソベやんにしても、未来から来たという設定。
彼らの持っている道具というのは、「いつかは人類の力によって完成する、素晴らしいモノ」だから、こういう話の流れになるんでしょうね。
「秘密道具(内緒道具)」 = 理想的な未来。
そして、後に教師からは、こんな風に言われます。
…お前、この間 空を自由に飛べたら どうしたいかって 俺に聞いたろ?と、「空を飛べる」→「未来の道具」→「未来」→「夢」という流れで、自分には、もう「現実」しかないという、大人の吐露になるんでしょう。
…でも 大人になったら 他にやらなきゃ ならない事が沢山 あるんだよ。
つまんねー 奴だと思う かもしれんけど、
仕事とか 仕事とか…
…あとは 仕事とか…
で、「…そんな、都合のいい未来なんかある訳ないですよね……」と自分で否定していた主人公の門出だけれども、教師から、「空を自由に飛べたら」と聞かれて、
おんたんのところへ!!おんたんというのは、親友の凰蘭のこと。
飛んでいきます!!
漫画の「ドラえもん(イソベやん)」的な世界に安住していたい、というのが、門出(と、仲間たち)の願い。(モラトリアムに留まっていたいというのは、日本の青春モノの定番ですな~)
そこにおいて、門出にとってのドラえもん(イソベやん)というのは、やはり凰蘭ということなんでしょう。
のび太にとってのドラえもんが、絶対に裏切らない存在なように、
わたしにとって おんたんは、 「絶対」 なんです。と、門出は言っていますし。
しかも、凰蘭は、UFOからこぼれ落ちてきたと思われる、謎の機械を拾ってしまっている。
まだ使い方は分からないものの、超絶テクノロジーが内蔵されている模様。
まさしく、「凰蘭 = ドラえもん(イソベやん)」になっている。
でもって、普通に考えると、凰蘭(ドラえもん)によって門出(のび太)が救われるというラストが想像できます。(または、ドラえもんに依存していたのび太が、自立して終わる)
けど、作者は、「デストラクション(破壊、破滅)」で終わると、前もって言っている。
青春(幼年期)は、いつか終わる。
「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」全体が、「ドラえもん」のパロディーだとすれば、・・・・・いや、まぁ、パロディーでないにしても、ストーリー漫画ですので、「ドラえもん」と違って、いつかは「終わり」がある。
それを、「デストラクション」で幕引きとすると宣言しているわけで、どんな風に終わるんですかね~。
この物語が、3.11「後」の、なんだか変わらない日本をモデルにしているわけでして、それを「変化(成長)」ではなく、「破滅」で終わらせようとしているのは、作者なりの社会に対する警告・・・・・と言うよりも、「このクソ世界、ぶっ壊れてしまえ!」というパンクな叫びとなるのかな?
さて、もう終わらせても、いいんですが、また、一つ、親友の「凰蘭」について。
かなりエキセントリックな言動をするキャラで、この漫画の独特な味になっています。
どうやら、兄貴の影響もあって、そうなってしまったようです。
では、どうして、この兄妹が、過激な人間になっているかというと、凰蘭が、ニュースを見て、
ふん… 政治屋め……とつぶやいており、そして彼女の母親が政治家であることから想像するに、その反発もあるのかな?
人が困れば 困るほど 輝きを増す 業の深い母親で すまん!!と、被災者を支援する母親の姿を、冗談めかして評しています。
が、門出などは、はっきりと自分の母親に嫌悪を抱いているけど、しかし、凰蘭は、(今のところ)そこまではいかないのかな?
で、この「人が困れば困るほど輝きを増す」というのは、まぁ、けっこう、違うパターンでも描かれています。
例えば、この作品の世界では、UFOの襲来によって、防衛産業が勃興し、隆盛を極めている。
なので、「UFO」が災害であったはずなのに、それを恩寵と感じている人もいる。
『母艦』および『侵略者』は 日本の所有物ですから。とまで、主張する人間がいる始末。(3.11でも、「地震は天罰」と言っている人もいたなぁ~)
実際、地震も原発事故も、不幸な出来事であったはずなのに、気がついたら、「絆、絆」と、そこに生き甲斐を見つけてしまっている人もいる。(それはそれで、いいんでしょうが)
また、3.11を「飯の種にしてんじゃねーのー」と言ってやりたくなるような人も、時折、見受けられます。(一応付記しておくと、被災者を批判しているわけではございません)
作品内でも、そこら辺を、皮肉っているように見えます。
で、凰蘭の母親は、政治家なんで、(野党議員かもしれないけど)権力者側。
それに対して、門出の母親は、デモなんかに参加していることからすると、非権力者で、一般庶民となる。
立ち位置は真逆なんだけど、どちらも、宇宙人の侵略以降、そのことに関わって(=中心に)生きている。極めて政治的。
に対して、門出の仲間である亜衣は、友人が死んでしばらくして、こんな風に語っている。
4人で 話し合ったんだ。「4人で 話し合ったんだ。」という言葉から分かるように、これは門出や凰蘭の考えでもある。
私たちは これからも 今まで通りに していようって。
事故の後 クラスの何人かが ああいうデモに 参加するように なったけど
…私自身は 正直何をしたら いいのかわからなくて……
今は凛と おんたんと 門出ちゃんが、 前と変わらず 毎日笑ってて くれるのが 唯一の救いだわな。
友達が死んでも変化を拒むというのは、なんだか、ひどく冷淡にも感じられます。
それは、本人たちも自覚しており、上記の言葉の後に、「…私は冷たい人間なのかもしれね……」と、自己分析している。(自分の父親を亡くした門出も、そのことについて似たようなことをしゃべている)
良いように表現するならば、死んだキホという友人は決して政治的な人間ではなかった。
政治的な彼氏とは、ソリが合わなくて、別れたくらいだし。
だから、政治には近づかないで、「そのままでいる」ということが、ある意味、友情を果たすということにつながる、………と解釈していいのかな?
で、凰蘭(と、彼女の兄貴)。
凰蘭は、卒業アルバムの白紙ページに、「犯罪者にならないでね」とクラスメイトから書かれているように、そのままでは、とても社会に受け入れられないようなキャラクターです。
政治家の母親とは、これこそ真逆。
そして、門出の母親とも真逆なわけでして、だからこそ、門出にとっては、凰蘭は「イソベやん(=ドラえもん)」なわけですな。
戦争
で、ここで終わってもいいのですが、もう一つ、おまけの感想。
門出と凰蘭とメインの二人の登場人物は、FPSが大好き。
戦争ゲームですな。
一方で、「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」では、UFOと戦う為に、自衛隊が日常化して、身近で戦闘している世界。
このリアルな戦争が繰り広げられる近くで、バーチャルな戦争に没頭しているというのは、・・・・なにを意味をするんだろうなぁ、と考えてしまいます。(二人が徹頭徹尾、非政治的な存在である証左なのかな?)
そして、時に表現者は、時代の巫女となり、未来を予言してしまうことがありますが(大げさな表現だな、おい。単に偶然なんだろうけど)、安保関連に大きな動きがあった現在においては、得体の知れない外敵に対して戦う自衛隊と、巨費が投じられる防衛産業という作品内の構図からも、また一つの「読み」ができそうです。
が、まぁ、今のところは、そこも「掘れそうだな」という感覚はあるものの、まだまだ考えがまとまっていない次第であります。
(結局、ハンパな終わり方になっちまったよ)
デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 1 (ビッグコミックススペシャル) | ||||
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デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション(2) (ビッグコミックス) | ||||
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デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 3 (ビッグコミックススペシャル) | ||||
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