簡単なストーリー紹介。
主人公のネリーは声楽家のユダヤ人。ナチスに囚われて、収容所に送りに。そこで、顔をめちゃくちゃにされてしまうが、どうにかドイツ敗戦で生き残る。
親友のレネは、彼女を病院に連れていく。
顔は再建されるものの、完全に元通りにはいかなかった。
で、レネは、新国家建設の為にパレスチナに行こうと、彼女を誘う。
が、ネリーは、旦那(ジョニー)のことが忘れられない。
彼を探して、夜の街をさまよっているうちに、夫を見つける。
が、夫は、彼女を見て、自分の妻だとは分からない。
それどころか、「死んだ妻の身代わりになってくれ。そして、親族の絶滅した妻の遺産を、山分けしよう」と提案してくる・・・・。
自分が妻だと分からいことにショックを受けるが、彼をまだ愛しているネリーは、その提案を受けてしまう。
こんな感じです。
で、まぁ、「私を思い出して、あなたの妻よ!」ということで、「あの日のように抱きしめて」という邦題になったようですが・・・・・・うーむ、なんだ、この安っぽい邦題は。
原題は、「PHOENIX」。
鳳凰、フェニックス。
確かに、これでは分かりづらい。このまんまだと、聖闘士星矢のスピンオフか? と思ってしまうよ。
それにしても、もう少し、マシな候補がなかったのかね~。
(「火の鳥 ドイツ戦後編」とか・・・・・、いや、これも違う。)
作品は、一応、サスペンス調。
旦那は、妻をナチスに売ったのか? 売っていないのか?
それが作品の肝なんだが、・・・・・・物語は、ゆっくり進みます。
漫画版のデスノートのように、「敵の裏をかいたと思ったら、既に保険が用意されており、でも、その保険があることも想定済み、でも、さらに、その上をいく」といった、どんでん返しの繰り返し、みたいなことはなく、けっこう単調です。
正直、最初は退屈だったんだけど、時間がたっぷりあるだけに、「なんで、旦那は、奥さんだと気がつかないの? 不自然だよな~。もしかして、旦那は、既に気がついている?」とか、「友人のレネって、どうして、ネリーに反対するんだろう? もしかして、彼女を好きなのかな? それとも、彼女こそが、本当は財産を狙っている?」なんてことを、じっくり考える余裕がある。
で、自分の仮説が正しいのか、俳優たちの表情から読み取ろうとしていると、徐々に、退屈からは解放されていきました。
「ユダヤ人は、こんなにひどい目にあったんだ!」「ナチスの罪は、こんなにも深い!」といった政治的な主張が、ガンガン前に出てくる内容ではありませんでしたが、・・・・・まぁ、女子が喜ぶ内容ではないのは確か。
どうせ、こういう地味目の映画を見る人は、勝手に見る。
むしろ、それ以外の人間に、どうやって見せるか?
その結果として、メロドラマ調の、「あの日のように抱きしめて」というタイトルになったんでしょうが、「さーて、なんとなく暇だから映画見よう、おっ、よく知らないけど、これ、面白そう」という観客は、どう感じたかなぁ・・・・・・・。
まぁーねー、綺麗事で飯は食えんので、それくらいのハッタリかましてないと、人間生きていけないよね、・・・・・・・ということで。
で、原題「PHOENIX」。
■フェニックスとは - コトバンク
エジプト神話の霊鳥。アラビアの砂漠にすみ、500年に1回、みずから火中に入って焼かれ、その灰の中から若い姿で再生するといわれる。不死鳥。
徐々にネタバレになってきますが、収容所生活でむごたらしい経験をしたネリーにとって、旦那の愛を取り戻すというのは、幸せな生活の復活を意味している。
つまりは、「PHOENIX」。
愛は不死鳥なのか? ということです。
で、親友のレネは、「やめろ、やめろ」と制止する。
そもそも、「死んだ妻の金を狙っているような男だぞ?」と。
で、そういうレネは、鳳凰の柄の寝間着を着ているんだよね。
レネは収容所を免れたようだけど、戦中には仲間を殺されており(かつて写真を一緒に撮ったような仲の人間がナチスになっていたりして)、それはそれで、悲惨な経験なわけで。
それを乗り越えて、イスラエルという新国家建設を目指している。
が、結局、死者に引っ張られて、自殺してしまう。
「ノルウェイの森」の直子ですな。(ということだが、ちょっと唐突な展開であることは否めなかったりします)
このシーンからして、「
そして、ネリーが、「スピーク・ロウ」を歌うまで、彼女が妻であることに気がついていなかったことが暴露されて、ラスト。
ネリーは、収容所に行って、顔つきが変わってしまった。体型も痩せてしまい、声も多少変化してしまったかもしれない。
でも、夫婦として暮らしていたんだから、いくらなんでも、途中で旦那が気がつくだろう? 筆跡もそっくりだし。
口調とか、言い回しとか、外見が変わっても、どうしたって外に出てしまうはず。
だから、少なくとも、疑りはするでしょうに。
でも、最後のシーンからすると、旦那は、まったく気がついていなかった御様子。
妻をナチスに売ってしまった時に、旦那の愛は、既に消え去っていた。
だから、まったく気が付かなかったのだろうなぁ。
よくよく考えると、かつてピアニストだった旦那は、酒場(この酒場の名前が「PHOENIX」)で働いているのに、まったくピアノを演奏しない。
雑務ばかり、させられている。(望んで?)
「ピアノ弾いている方が、稼ぎが、いいんじゃないの?」
と、感じてしまったけど、これは、既に昔の生活を切り捨ててしまった彼の現状を象徴していたんだろうなぁ。(戦中はピアノを弾いいていたという発言があるから、米軍相手の酒場で、自分のピアノを披露したくなかったのかもしれない。すると、彼も、また過去に囚われている人間ということなのかな?)
つまりは、
Q.愛は死にますか?
A.死にます。
ということです・・・・・。
まぁ、最終的には自分を捨てた旦那を見限ったということは、つまり、「戦前の幸せな生活」や「戦中の収容所での地獄」の思い出を過去にしてしまい、これからは未来に生きていくということなのかな?(レネや旦那と違って)
そう考えると、主人公のネリーこそが「PHOENIX」と言うこともできるのですが、映画の中では、彼女の「その後」は描かれていないので、まぁそれは観衆の想像にお任せということですな。
ポスター A4 パターンA あの日のように抱きしめて 光沢プリント | ||||
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