2016年3月29日火曜日

「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」を見て



似たような内容


「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」を見てきました。

DCコミックスの二大スターである、スーパーマンとバットマンがガチンコ勝負という映画。

で、偶然なのか合わせたのか、マーベル・コミックでも、「シビル・ウォー」が公開でして、こちらもキャプテン・アメリカとアイアンマンという味方キャラ同士が対峙するという内容。

「正義」対「正義」が売りです。


アメリカ大統領選の年ということで、こうなったんですかね~


2つの正義なのだが


で、「バットマン vs スーパーマン」。

本来ならば、「悪を憎み、正義を成す」ことでは同じ立場であるはずの主人公キャラ同士。
でありながら、対決せざる得ないまでの過程を、どう自然に見せるかが、重要になってくるのですが・・・・・。

うーん、うまくいっているとは言えないか?


スーパーマンというのは、超絶な能力者。
人間ができないことを、いとも簡単にやってしまう。
その力をもって、悪を懲らしめ、人々の危機を救う。

が、その力が神にも等しいだけに、危険視もされてしまう。
所詮は、スーパーマンの独善でもって、人類の側にいるに過ぎない。

もし、彼が心変わりしてしまったら、今度は、人類が危険にさらされることになってしまう・・・・・。


で、バットマン。
ものすごいメカでもって武装し、体も鍛えているものの、所詮は、人間。

目からビームは出ないし、空は飛べないし、殴られたら痛い。
どう頑張っても、人間の範疇。

そんな彼は、スーパーマンのように派手な人助けはしない。
あくまでも、密かに、悪を懲らしめているだけ。

スーパーマンの正義が、彼の能力と同じように超絶独善であることに比して、バットマンは、「自警団」に過ぎないことを分かっている。
どこかで、自らの不法性を認識している(ような気がするけど、それはクリストファー・ノーランのバットマンを経由している見方?)。


この違いって、まぁ、極論だとは思いつつ、「ネオコン的な正義を象徴しているのがスーパーマン」で、「ネオコン後を象徴しているのがバットマン」なのかな?

唯一の超大国であったアメリカ。
アフガン戦争はある程度国際的なコンセンサスのもとで実行されて、タリバンを首都から追い出すことには成功する。
が、その後のイラク戦争では、多くの国々の反対を押し切って行われる。だけれども、スーパーパワーでサダム・フセインの排除はできた。

が、2つの戦争の結果、混沌と混乱だけが残ったわけでして。

映画の中でも、スーパーマンの超絶な力をもってしても、目の前の人間を救えなかったことで、彼は挫折してしまう。


それに比べてバットマン。

一般人よりは、すごい力を持っている。
でも、あくまでも人間の枠内。

有限であり、その正義の限界を知っている。

だから、あくまでも、その能力の及ぶ内での正義の行使となってしまう。
その限界を知りつつ、嘆きもするが、しかし、止めるわけではない。

まぁ、オバマ政権下での対外政策って、こんな感じでしょうか?


さて、そんな2つの正義なんだが、・・・・・・なんだかんだ言っても、所詮は、法の埒外なんだよね。
どんぐりの背比べでして、二人とも、独善であることには変わりない。

スーパーマンほど派手ではないにしても、やっぱりバットマンも、それなりに暴れ回っているわけでして。

だから、見ている日本人としては、「うーん、仲が悪いのは仕方ないにしても、命(タマ)の取り合いをするほどのことか?」と疑問に思ってしまったなぁ。
(ここらへんは、「バットマン」「スーパーマン」の、必要最低限の知識が、私には不足しているからかもしれませんが)


で、ネタバレ


スーパーマンからすると、バットマンなんかは、所詮、象から見た蟻みたいなもの。
ムカついてはいたけど、本気で相手にするつもりはない。


が、バットマンからすると、そのまま放置はできない危険人物。
なので、スーパーマンよりももっと大きな悪の存在・レックス・ルーサーに気が付きつつも、彼の排除を優先するのだが、当然、見ている方からすると、「?」だったりする。

しかし、母親を拉致されるという罠にはまったスーパーマンは、不本意ながらもバットマンと戦うことに。

その真相を告白すれば、バットマンと和解はできなくても、休戦くらいはできそうなものだが、なぜか、その余裕はなく、二人は一気にガチンコ勝負へ。
まぁ、ここらへんは物語のお約束だから仕方ないか。

で、どうにかこうにかバットマンの勝利が見えたところで、実は、スーパーマンの育ての母が捉えられていることを知って、「すまなかった」と、あっさり同盟を結ぶ。

うーむ。
物語のお約束・・・・・。


それから、スーパーマンはレックス・ルーサーへ。
バットマンは、スーパーマンの養母を救助に。

しかし、レックス・ルーサーからは、「バットマンを無視して、母親を救助しようとしても、先に殺しちゃうよ」と言われている。
だから、「バットマンらしく、天井から密かに侵入して救出か?」と思ったら、轟音とともに飛行機で登場。

バンバン悪役と肉弾戦を繰り広げて、結果、無事に救い出すのであった・・・・・・。

画面が豪華じゃないと、つまらんからね。
お約束ということで。

ラスト


意外だったのが、ラストでスーパーマンが死ぬことでしょうか?

「どうせ、生き返るんだろ?」
「ギリギリセーフだろ?」

と高をくくっていたのですが、葬式までやってしまったよ。

まぁ、次回作で復活かもしれないですが・・・・・。


いささか強引ながらも、スーパーマンがネオコン的な正義の象徴であったとすると、その「死」というのは、スーパーパワーによる絶対的な正義の終わりをあらわしている。

で、バットマンの、「今後は仲間を集めて、迫り来る悪と戦おう!」という決意は、有志連合というか、同盟国との連携強化で、中国を封じ込めていこうとする現在のアメリカの外交政策が反映されているようにも見えますが、・・・・・さて、こじつけ臭い。


前作「マン・オブ・スティール」では、「スーパーマン」にイエス・キリストのイメージが投射されているという指摘がありました。
今作でも、劇中において、スーパーマンを神と同一視するコメントが度々なされている。

すると、人々の誤解からのスーパーマンの死というのは、磔にされて死んだキリストと重なるわけでして。

であれば、まぁ、やはり次回作では「復活」なのかね?


「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」オリジナル・サウンドトラック
by カエレバ

0 件のコメント:

コメントを投稿