「現代小説クロニクル」の、1990から1994を読了。
幻想的というか、前衛的というか、・・・・・・ぶっちゃけ、訳分からん作品が多かったなぁ。
しかも、それらの作者はいずれも女性。
1991年まで続いたバブル景気。
当時の日本を象徴するものとして、ジュリアナ東京で扇子を持って踊る女性がいました。
お立ち台という目立つ場所にて、短いスカートに体の線が見える服を着て、男性を見下すように自由奔放に踊る姿は、一見すると新しい女性像ではありました。
その実、男性の劣情を刺激する姿に過ぎなかった訳で、所詮は、巨大な男性社会の手のひらの上で踊っていたに過ぎません。
バブル絶頂期において「清貧の思想」なる本がベストセラーになったことが逆説的に証明しているように、蔓延した欲望に忠実な拝金主義。
日本はアメリカをも凌駕するのではないかという「Japan as Number One」という自惚れが満ち満ちており、その社会に馴染めない人間たちをカルトに走らせ、オウム真理教というバケモノが醸成された時代でもあります。
そういう、男たちがつくる歪んだ社会と対峙する為に、または、その歪みを文章として描写する方法として、女性から率先して、既存の男性的な文とは乖離した前衛的文体の模索がされたのは当然の帰結なのかもしれません、とかなんとか分かった風なことを書きましたが、嘘です。
適当にもっともらしい文章をでっち上げてやりました。
これだけ物語が広汎にあふれている現代において、「文学で物語を語る必要性」なるものを考えると、多和田葉子さんや笙野頼子さんのような作品になってしまうのは、分かるんですけどね。
けど、どうも、この筋があるような、ないようなという作品は、苦手だな・・・・・。
安部公房の作品は、二・三冊読んで、それなりに面白かったんですが。
現代小説クロニクル 1990~1994 (講談社文芸文庫) | ||||
|
0 件のコメント:
コメントを投稿