以前から気になっていた、「描かないマンガ家」を読みました。
基本としてギャグ漫画なんだけど、普通にストーリー漫画として通用するレベルの絵(最終的には、ストーリー漫画になっちゃうしね)。
最近の漫画は、レベルが高くて、大変ね・・・・・。
主人公の渡部は漫画家になる夢を持ってはいるけど、まったく努力する気がない、つまりはタイトル通りの「描かないマンガ家」。
こいつが自堕落なだけでなく、口だけは立派で、同じ専門学校に通っている学生に、偉そうに文句を言い、説教をする。
評論家が政治家から、批評家が創作者から、コンサルタントが現場の人間から嫌われるのは、手を汚さないから。
大上段から理想論を振りかざすのは、まぁ、簡単だからねー。
「言うことだけは立派」、でも、「努力はしていない」という落差が、この漫画のギャグの基本。
最初の方は、これが繰り返され、時には、「言うことだけは立派」だから、悩んでいる人に勇気を与えたり、問題解決に導いたりします。
が、この黄金パターンを延々と繰り返して安泰でいられるのは、こち亀クラスの大御所でなければ、出来ないわけでして。
渡部と、その仲間が生産性のない日々を過ごすのとは対称的に、専門学校の同級生は、着々に技術を吸収して、いつかはプロになってみせると努力をする。
この堕落組はブサイクな男性ばかりで、努力組は小綺麗な女性が中心。
この対比って、現実を反映しているのかね~?
最近は、普通の学校でも、女性の方が頑張ると聞くけど。
漫画の専門学校も、そんな感じなのかな?
さて、まぁ、そんな、努力家で、小奇麗な女性が、どうしてか、ダメ人間の渡部に惚れるんだよね。
「そんなのねーよ」なんだけど・・・・・・、まぁマンガだから。(なにも持っていない主人公が、ただただ誠意だけでもって、女達に惚れられるというのは、マンガのお約束ですから)
数人の女性の中で、当初は、明らかに長妻がヒロイン。
でも、彼女が成長すると(漫画家としての道を歩み出すと)、渡部とは絡ませづらくなってしまったのか、ヒロインとしての役割は、徐々にフェードアウト。
彼女が出てきて、ギャグ色は薄れていきます。
代わりに、徐々にストーリー色が強くなってきて、長妻は長妻のストーリー、渡部は渡部のストーリーという感じに。
この枝野カンナというキャラは、登場した当初と、最後では、まったく立ち位置が変わってしまう、複雑なキャラ。(ある意味では、この物語の変化を象徴しているとも言えるかな?)
一貫性がないんじゃない? と思ってしまいたくなるくらいに、面倒な性格しているね。
彼女にとっての渡部は、自らの支配下においておきたい存在。
彼が成長する必要はない。あんなダメ人間を愛せるのだから、圧倒的な母性の持ち主かと思えるけど、むしろ逆で、圧倒的な父性の存在と見るべきなんだろうな。
でも、最終的には、漫画家ではない自分(ありのままの~♪)を認めてくれる男性と出会い、漫画を捨てて、専業主婦となることを選ぶ。
男性的な攻撃性は薄れて、かつては完全に否定していた渡部に対して、あたたかい声援を送るようになっている。
ここらへんの変化は、安易すぎるのではないかな? と思わないでも。(ご都合というほどではないけど)
枝野カンナが漫画を嫌っていた&憎んでいたようには見えなかったからね。
そんな彼女に支えられて(愛!)、渡部はどうにか漫画家として飯を食えるように。
他の主要キャラも、漫画家として生きており、さらに伴侶もいて、幸せそうに描かれており、大団円!
・・・・・・・なんだけれども。
古谷実氏のマンガで、いつも「納得がいかん!」と思うのは、女性によって主人公が安易に救済されちゃう傾向があること。
(「ヒミズ」は違うけど、映画では、そうなっちゃっていたね)
「描かないマンガ家」も、結局、女の無償の愛よって、男が救われる(努力もしているけど)。
・・・・「なんだか良く分からんけど、いろんな女に惚れられる」というのと同じで、「女の無償の愛によって救済される」っていうのも、きっと、男性の願望なんだろーねー。
前半はお気楽ギャグマンガで、途中で転落のストーリー漫画になり、最終的にはホッコリ落ち着くところに落ち着いた、という感じでした。
描かないマンガ家 1 (ジェッツコミックス) | ||||
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