2017年8月19日土曜日

今更ながら村上春樹氏の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んで



「騎士団長殺し」という最新作が出たのに、「なげーよ」ということもあって、未読だった「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読む。

村上春樹氏に対しては、世間での批判を聞けば、「そんな悪く言わないでも」とは思うけど、ノーベル文学賞発表前夜の「ハルキスト」たちの映像を見せられると、「おいおい、自分に酔い過ぎ」と揶揄したくはなるような立ち位置です。

で、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」ですが、・・・・・まぁ、面白かったです。

なにより、やっぱり読みやすいし、グイグイと次が気になってしまうストーリー展開も巧み。

そして、「これは何か深い意味があるのでは?」「寓意なのか?」「この小道具は、きっと伏線に違いない」などと「深読み」を誘う仕掛けの配置には、恐れ入れます。(が、もう年を取ってしまって、作者の意図を読み取ろうと真剣に悩むよりも、「あっ、いつもの村上春樹節だ」で終わってしまうのですが・・・・・・)


でも、主人公の多崎つくるが、かつての仲間に会いに行くまでは素直に面白くて、以降は、「いやいや、お前ら、ヒドすぎるだろ。もうちょっと影でフォローできただろ」というモヤモヤが心の一部を濁したままだったのは事実。

最後の友人に出会うことで、「モヤモヤ、晴れるかな?」と思ったら、それもなかったね。


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「売れる売れない」と「作品の善し悪し」は関係ないし、仮に「悪かった」としても、世評と個人の感想・思い入れもリンクする必要はないわけで、読んでない作品を語るのは、最低だとは分かりつつ、

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春樹の作品には社会の問題的現実より、現実逃避の幻想の中で阻害・倦怠・憂鬱を楽しむ人物が主に登場する
まぁ、登場人物、特に主人公の浮世離れ感は、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」でも否めないよなぁ。

言うなれば、「高等遊民」。

多崎つくるは定職に就いているのだけれども、どうにも、サラリーマンには見えない。

上役の顔色をうかがい、下っ端の不満に気を揉むといった悲哀などとは無縁のフリーランス、しかも、実力があるので仕事・金には困らないといった、恵まれた人間にしか見えないわけで。

ぶっちゃけ、いつもの主人公。

でも、・・・・・まぁ、それが村上春樹氏のウリだからなぁ(多くの読者も、そういう物語を望んでいるのだろうし)。
そこを批判しても、始まらないところはあるのだが。


デビュー作では、奴隷を持っているギリシャの知識人のように、あくせく働く必要のない人間でなければ、「芸術」などつくれないと言っていたが、長い(ユタカな)作家生活で、「社会のリアル」から遊離してしまうのは、そりゃ、致し方ないことでして。

そして、繰り返しになるが、ファンは、その「遊離」を望んでいるのだろうとは思いつつ、やっぱり、「売れ行きが芳しくなかった」というのを聞くと、「さすがに」というのがあるのかね・・・・・。

まぁ、いい加減な感想ですが。


by カエレバ

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