2017年10月20日金曜日

北野武監督「アウトレイジ 最終章」



「アウトレイジ 最終章」を見てきました。

まぁ、言うまでもなく「アウトレイジ」でした。

なんだけれども、徹頭徹尾、グログロな暴力シーンの連続かと思ったら、存外、そんなことはなく。

ぶっちゃけ、途中から、西田敏行さんが大活躍。
西田無双状態。

「主役、誰だよ!?」と戸惑うレベル。

そして、北野武さん演じる大友とは違って、あくまでも利害で動く西野(西田敏行)は、ギャーギャーといろいろ口にするんだけれども、安易に暴力に走ったりはしない。

だから、所謂「口撃」に終始するわけだが、・・・・・・まぁ、これが、口汚く、狡猾で、無鉄砲な罵詈雑言の応酬となるんだけれども、やっぱり北野武監督の根っ子は「漫才師ビートたけし」だからなのか、とてもではない暴力的な言葉のやり取りを、日本を代表する名優たちが懇親の演技をしているはずなのに、どこかコミカルなんだよね。

恐ろしい場面だけど、どうしてか笑えてしまうというわけで、ありきたりな才能では、決して出来ないことだよなぁ・・・・・・。


で、多くの北野映画に通底する「破滅願望」は、今作でも大爆発。(未見の方、安心して下さい、「どうせ、そういうオチだろうな・・・・」というオチですよ、やっぱり)

ビートたけし氏は日本の芸能界においてトップに君臨(する一人)。
そして、北野武監督としては、世界的な名声を得ている。

後続の芸人たちには、「北野を超えるには、映画でも評価されなくて意味がない」という不文律の壁をつくりあげ、テレビでは「高視聴率」をバンバン獲得、「国民的」という冠を得ているくらいの超有名芸能人たちが、その「壁」に挑んでは、敗れているわけで、・・・・・・芸人で芥川賞作家という例もあるけれども、さすがに「世界」ではないわけで(今後、世界的な評価を得るような作品を書くかもしれませんが)、まぁ不世出と評してもいいような存在。

傍から見たら、「功成り名遂げ」なんだけれども、北野氏の願望が投影されている「大友」というキャラは、組織の論理には因われず、己の基準でもって行動するという人間。

組織のトップの人間からすれば、「鼻つまみ」な存在であるはずなのに、それを、芸能界のトップに君臨する人間が希求しているという、この奇妙なネジレ。

しかも、その「己の基準でもって行動」は、「暴力」となってあらわれるというアナーキーなわけで、まぁなんつーか、人間って理不尽ね。(安易なまとめ)


by カエレバ

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