2014年9月14日日曜日

植村和秀「ナショナリズム入門」

日本人は、日本人であることを自明に思っていることが多いと思います。
自分も例外にもれず、特に疑問に思ったことはないです。

日本人の両親から、日本で生まれたから、日本人。


でも、
「日本人って、なに?」
「日本って、なに?」
と聞かれたら、多くの人は正確に定義できないか、または、逆に「日本は日本はだろ、日本人は日本人だろ、ばーか!」で終わってしまうような気がします。


植村和秀「ナショナリズム入門」では、国と民族というものが、世界的にみて、けっこうあやふなだということが、これでもかと列挙してくれます。

世界的を基準にすると、日本の方が特殊なのかもしれないですね・・・・・。

解放感と不安感、進歩への希望と混乱への恐怖が、さまざまな形で組み合わさりながら、この近代化が進行していきます。あらゆるものが変化し、人間は自己の生きる枠組みを自分で確保していかねばなりません。その際に、ネイションは最も低コストで、人生の枠組みを提供していったのです。それは多くの人に対して、出生によって入場資格を与えてくれます。努力も必要とせず、ただ欲すれば一員となれるわけです。
神への決別と挑戦とも言える近代以降、人は自由になったけど、常に選択を迫られ、そして、存在意義を問われるという、やっかいな荷物を背負うことに。

そういう中で、国家に帰属する自己に存在意義を見つけて、さらに没入するという選択を選ぶ人もいるわけでして。

それが、地域への参加やら同胞への援助といった建設的な活力に昇華されるのであれば結構なんでしょうけども、弱者なり異質なる他者への排除に向かっている人がいる。

いつの時代もいるんでしょうけど、それにしても、昨今特に目立つように思えるのは自分だけではないはず。


中国なら憤青、韓国ならネチズン、日本ならネトウヨといったように、ネットの普及以降、なぜ、こうも愛国的な文言が(世界的に? それとも、東アジア限定?)増えたのか疑問でしたが、「ネイションは最も低コスト」という一文で、腑に落ちるものがありました。


国というパイの奪い合いをしなくては生きていけない人っているんだよね・・・・。


ナショナリズム入門 (講談社現代新書)
by カエレバ

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