アニメも録画して見ておりました。
正直なところ、アニメの最終回間際が、ひどく、せわしないと感じて、「マンガ(原作)とは違うのかな?」と思ってました。
が、ようやく単行本化したマンガを読んだのですが・・・・・、アニメはマンガそのまんま。
原作を尊重した結果として、あぁなったのね。
ふーむ。
もうちょっと連載を伸ばすのかな? という予感がありましたが、けっこう、あっさり終わりましたね。
(かをりが亡くなるのは仕方ないにしても、傷心を引きずったままの第二部高校編や青年編があるのかな? と、ちょっと思ってた)
いろんな理由があって連載を引き伸ばし、結果、「最後はアレだったね」というマンガも多いので、ほどよい終わりだったと思います。(それでも、相座凪のエピソードは、連載を伸ばそうとした結果のようにも感じますが)
ただ、最後のネタばらしが・・・・・・。
僕は、てっきり、ヒロインの宮園かをりは、転校生という設定だと思ってた。
中学一年から同じ学校に通っているのに、三年になって、突然知り合うって、ちょいっと無理があるよね。
「もう自分に残された時間は短い」と覚悟しているのが、宮園かをりの行動原理なわけで。
すると、どうしても「学校には、ほとんど来ていない(かなり、あぶない病状)」という設定にする必要がある。
だから、最後の手紙での、「ほとんど中学に行けなかったな」という告白につながるのは分かる。
でも、三年になって顔見知りになり、それから、突然学校に来なくなった「かをり」に対して、登場人物たちは、あまりにも情報収集がお粗末だな・・・・。
一、二年で彼女と同じクラスに所属していた生徒に聞けば、ほとんど登校出来ていない過去を知るのは、容易。
とすれば、かなりの病気を患っているということは、直ぐに推測できる訳でして。
まして、有馬公生は、かをりに惚れているっていうのに、彼女のことを、まったく知ろうともしないって、あんたねー。
まぁ、物語を盛り上げる為に仕方ないとは思いつつも、「かをりの病状が悪化して、専門病院の近くの中学校に転校してきたら、そこに憧れていた有馬公生がいた」という設定の方が、無難な気がするけど・・・・・・。
もう一つ納得できなったのは、主人公・有馬公生の日常。
母が死んだのは、いいとしよう。(と言うか、物語の根幹)
でも、「父」は、どうした?
確か、船乗りという設定で、有馬公生が「放任主義ですから」みたいなことを述べていたはずだが・・・・・・、おいおい。
母親が死んでショックを受けている(未成年の)息子を放おっておいて、海外で仕事って。
うーむ。
あまりにも無責任。
せめて、主人公が高校生というのであれば、「仕方ねーか」とも思えるけど。
中学生じゃねー。そりゃ、ちょっと無理がない?
(語られないだけで、頻繁に家に帰ってきているのかもしれないが)
いっそ、離婚しているという設定にしてしまうことも可能だったろうけど、すると、「母親が死んで、中学生が一人で暮らしている」というのでは、それは現実としては、ないわけで。
だから、父親はいることにしないといけない、けれども、主人公・有馬公生の孤独を際立たせる為には、存在感を極力消さなくてはいけない。(「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」でも、父親は、基本、影が薄かったね)
このジレンマの結果として、外(外国)に出たまま帰ってこないという設定になったのだろうが・・・・・・。
普通に考えたら、傷心の息子を、そこまで放任するというのは、なにか特別な理由があるのではないかと勘ぐってしまうよね。(子供が憎いとか、父は父で妻を亡くした傷を負っているとか)
まぁ、物語を盛り上げる、かつシンプルにする為の「嘘」というのは、分かるけどね。
ちょいっと気になってしまいました。
まぁそういう穴なんて、見つけようと思えば、いくらだって見つかるものです。
そこらへんは、フィクションですから、と多少割り切らないと。
むしろ、一巻を読み直してみたら、最終巻を読んだから分かる伏線が、しっかりと張ってあります。
連載の当初から、最終回を見据えて、いたんだなーと感心。
物語が短命で終わったり、冗長になりがちなマンガとしては、綺麗に終わっているのは見事。
実写にし易い内容だとは思うけど・・・・・・、さて、どうかな?
■新川直司「四月は君の嘘」を、1巻から5巻までの感想
■新川直司「四月は君の嘘」を、6巻から9巻までの感想
■新川直司「四月は君の嘘(10)」の感想
DVD付き 四月は君の嘘(11)限定版<完> (講談社キャラクターズA) | ||||
|
0 件のコメント:
コメントを投稿