「チャッピー」見てきました。
異様な映画でした。
こういう看板を見ていたので、「ベイマックスみたいな、ほのぼの映画かな?」と思ってました。
(■「ベイマックス」を見て、ソツがないねーと感心しきり)
「心を持ったロボットと人間の、心あたたまる交流」という、日本ならド定番のお話を予想していたのですが・・・・・・。
心あたたまるシーンなんか、皆無だったよ。
以下、ネタバレ。
先ず、登場人物に、まったく感情移入ができないんだよ。
チャッピーの生みの親にしても、マッドサイエンティストならぬ、マッドエンジニアだし。
チャッピーがギャングに奪われた時点で、警察に連絡しろよ・・・・・。
なんで連絡しなかったのかというと、勝手にロボットへAIをインストールしたことを咎められることを恐れたからなのだろう。・・・・・結局、利己的。
その同僚のライバルも、警察に納入させようとしているロボットに、クラスター爆弾を装備させるようなおバカ。
もちろん、チャッピーを保護下に置いたギャングにしても、いい人なんかいるはずもなく。
唯一、チャッピーにとって母親となったギャングのヨランディが、ちょっとだけ、いい人だったけど。
(彼女は彼女で、後数日で殺されるというのに、えらくのんきね・・・・)
ただ、製作者としての主眼が、「チャッピーに共感を持たせたい」ということなのだろうから、敢えて、登場人物は癖のある人をそろえたんだろうな・・・・。
で、このチャッピーが、中盤までは、とにかくかわいそうで。
図体こそは、成人男性と同じくらいだけど、頭脳は生まれたばかりのお子様。
なのに、方々から、いじめられまくる。(異質な存在だから)
しまいにゃ、火をつけられて、腕を切り落とされたりする。
「ロボットは機械だ、心などないと言う人もいるけれども、実際には、心のない人間だっているじゃないか!」という流れか? と思ったら、途中からチャッピーがグレちゃって。
自分の命の為とは言え、犯罪にも加担するようになるし。
(ロボットに心を持たせたら、良くなるとは限らないじゃん? というのは、真っ当な考えかもしれませんが)
どこ行こうとしている、この映画? と不安になったけど、チャッピーの死が間近に迫ってきて、「あぁ、最終的には、人工知能が死を逍遥として受け入れる(悟りを手に入れる)」という荘厳なシーンで終わるのか? と思っていたら、彼をつくってくれた人(創造主)が銃で打たれる。
創造主を助けるか、自分を助けるかの二者択一となり、チャッピーは彼を選ぶ・・・・・。
「ロボットの自己犠牲パターンか。ターミネーター2だな」
と思ったら、最終的には、チャッピーも助かる。
後、ついでに、母親となってくれたギャングの女も助かる。
こう書くと、ありがちな大団円なんだけど、ギャングの女にしてもチャッピーの創造主にしても、ロボットとして生まれ変わるんだよ。(意識を移植)
「なんだこの、ハッピーエンドでも、バッドエンドでもない、もやもやした終わりは。いいのか、これで?」
そもそも、創造主に関しては、急いで病院に連れて行ったら、助かったような・・・・・。
(まぁチャッピーは賢いと言ってもロボット。だから、肉体は交換可能なものだと思っている。彼を助ける為に病院という選択肢は浮かばず、意識を移植してしまえばいいじゃん! という考えになるは当然かもしれないが)
なんか、「どう解釈したものか?」と悩むようなラストでした。
創造主やチャッピーにとっての母を、ロボットして蘇らせるというのは、つまり、「永遠の命」を与えるということ。
この、「永遠の命」を与えるってのは、本来、神にしか許されていない行為なのでは?
チャッピーというのは、劇中では、「黒い羊」ではあるけど、特別な存在であると言われている。これは、彼が「神」、ないし「神の子」であると示唆しているのか?
でも、創造主(神)を、創造されたものが蘇らせる(新しいステージに引き上げる)という、なんだ、この歪んだ構造は。
この意味するものって、なんなのかな?
そんな複雑に考えないで、この映画って、チャッピーが一人前になる物語とするべきなのか?
子供が成長して、親を凌駕することを示すために、最終的には、肉体をつくってくれた創造主(父)と、精神をつくってくれた母に、恩返しをした、というだけなのかも。
いずれにせよ、物語の「お約束」を破ろうという意欲に満ちた作品でした。
(それが成功しているかどうかは、見た人に依ると思いますが)
CHAPPiE 1/6スケール ABS&PVC&POM製 塗装済み可動フィギュア | ||||
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