もう一ヶ月くらい前にあった放送なのですが・・・・。
今更ながら、感想。
文系の大学・学部は、徐々に縮小していくのかな? という昨今の流れ。
そういう時代を象徴しているのか、「時代を代表するような人文系の人間っていないような・・・」という危機感から、「本当にいないの?」という探求の回でした。
僕のイメージとしては、東浩紀さんくらいなのかな?
現代において、「あの人は、この事件・事象について、どんな考えをもっているんだろう?」と言われうような人は。
別に東浩紀さんが小粒というわけではないのでしょうが、本放送の中で語られた、過去において時代を代表していたような「人文系の人間」と比べると、・・・・・・「狂気が足りない」というか、「アレ感が不足」というか、「物分かりが良い」というか、「常識人」というか。
(東浩紀さんで、とりあえず思い付くのは、クジラックスを評価していたことくらいか?)
業績で語られるべきであって、個人のアレなエピソードで評価するのは間違っているわけなのですが、・・・・・・・しかしながら、三島由紀夫が駐屯地にて自衛官に向かって決起を促す演説をし、志が遂げられず切腹するような生き様に、ある種の「美学」を見出したくなるわけでして。
そして、その美学から逆算して、業績を見てしまうのが、どうしても人間。
本放送では、いろいろと紹介されていましたが、海外にしても、マルクス主義、構造主義、脱構築主義以降は、あんまり「コレ!」という大きな流れはないのかな?
ピケティが、ちょっと流行ったけど、あくまでも個人の業績が、時代の風潮に乗って持て囃されたということで、「世界の潮流を変化させる」「パラダイムシフトを惹起する」ほどではないしな・・・・。
まぁ作家なんかでは顕著だけど、「◯◯派」というくくりができないからね、今は。
(個人個人が、勝手に活躍すればいいのだろうから、それでいいんだろうけどね)
・・・・・・でも、大きな物語というものが構築できない現代と言いつつ、テクノロジーが短期間で地球上の隅々まで行き渡る様を、我々は目の当たりにしているわけでして。
スティーブ・ジョブズ氏のiPodやiPhone、ザッカーバーグ氏のFacebook、もう少し前だと、ビル・ゲイツ氏のウインドウといったものが、ある種、大きな物語として作用しているのかな~と思ったり。
結局、文系は、もうダメポという話しで終わるんかい・・・・・・・。
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