「マンチェスターバイザシー」、見てきました。
冒頭から、主人公の偏屈な人間性や、孤独で荒んだ日常が描かれる一方で、時折差し込まれる回想シーンでは、家族や仲間に恵まれた過去があったことが明かされる。
この対比から、なにか、非常に、とてつもない悲劇が起こったことが予想できるわけで、まぁ、なんとなぁーく、「アレ」だろうなと思っていると、案の定な展開。
で、最終的には、いろんな人達と和解して、自分の過去とも決別・精算からの、ハッピーエンド! という終わりだろうなぁ、などと予想していたら、「それはなし」。
結局、主人公の犯してしまった罪は罪のまま。
そりゃ、主人公のミスは単なる凡ミスで、それが大事になってしまったのは偶然の要素が強いけど、・・・・・・・ぶっちゃけ、どうにもこうにも、贖罪が出来るレベルものではない。
いくら、最大の被害者とも言える「妻」が許してくれたとしても、自分は加害者である一方、妻と同程度の被害者であるわけで、自分が自分に許しを与えるというのは、物語としては美しいかもしれないが、現実として考えれば、やっぱり都合が良いよね。
その結果として、最後の最後まで、主人公は救済されることはないのだけれども、だからと言って破滅的なラストというわけでもなく、「この人は、死ぬまで、自分の罪を自覚して生きていくのだろうなぁ」なんだけれども、当初のような、あらゆる人間との交流を排除して生きていく人間嫌いの世捨て人ではなく、せめて甥っ子くらいとは、連絡を取り合うような最低限の世間付き合いはする人生を送れそうで、観客としては「一応」は安心は出来るラスト。
土台
どうしても欧米の映画となると、「(キリスト教的)神」が飛び出してくるので、「うん、まぁ、そういう風に、あっちの人は考えるんだなぁ」と対岸の火事として眺めてしまうことも多々ありますが、この映画は、ちょっと違う。
劇中、甥っ子の実母と会うシーンがあるけど、かつては荒んでいた彼女も、今は新しい伴侶を得て、さらに信仰の力によって、「ある程度」は立ち直っている。
一方、「主人公と甥っ子」は、自分たちがキリスト教徒であることは自覚しているが、それが、「力」となるとまでは思っていないわけで、そこらへんが絶妙であり、まさしく「現代的」。
また甥っ子にしても、父親が死んだばかりなのに、ガールフレンドとのセックスで頭がいっぱいで、しかも、二股をかけているという、いい加減さ。
それでいて、父親の死にショックを受けていて、冷凍保存されているのは可哀想だとパニックになるわけで、潔癖ではないけども冷酷でもない人間らしさは、宗教とは縁遠い現代人的な人物造形で、日本人にも十分に共感できるようになっている。
二股がバレても彼女からチクッと言われる程度で終わる甥っ子や、なんにもしていないのに女がちょくちょく言い寄ってくる主人公に、腹が立たないでもないですが、・・・・・それ以外は、まずもって丁寧な筋立て。
物凄く、非常に、安易な感動はないものの、なんつーか、「こんなものだよな、人生」と、いい意味で思わせてくれる映画でした。
マンチェスター・バイ・ザ・シー | ||||
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