2015年12月27日日曜日

「クリード チャンプを継ぐ男」を見て思う、アメリカンドリームの変化


「ロッキー」の続編、「クリード チャンプを継ぐ男」。

ナンバリングはないですが、「ロッキー7」に当たる作品。
奇しくも(?)、新作が発表された「スター・ウォズ」と同じくなんですね。

(■井村一blog_ 今年最後の大作「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」)


正直に言って、私の中の「ロッキー」は、「1」で終わっている。

後は、蛇足ですよ、ぶっちゃけ。(すいません、「5」は未見です)


「FINAL」は、現役のチャンピオンに、引退して大分経つボクサーが挑んで、どうにか互角の勝負を繰り広げる・・・・・・という、リアリティはないものの、「ロッキーなら、俺たちの夢をかなえてくえる」という幻想に惑わされてしまい、ちゃっかり成り立っていました。

いい幕引きだ・・・・・・・・と思っていたら、ロッキー、さらに続編をつくるってよ。

それを最初聞いた時、「ぐーむ」というのは正直なところ。

無理だ・・・・orz。


駄作と名高い「5」と同じで、スルーしようと思っていましたが、「ニューズウィーク」を読んでいたら、「悪くないよ」という評価。

なら、「まぁ、いいか」と、見てみました。


うむ。

結果としては、悪くはない作品に仕上がってました。

年老いたスタローンは、見事に、年老いたロッキーでした。


以下、ネタバレ。

リブート大作の宿命なのでしょうか、基本としては「1」を踏襲している。

が、「ロッキー 1」は、金無し、女無し、未来無し・・・・・という男が、自らの人生の意味をつかむ為に、現役チャンピオンに挑むというお話し。

それに比べて、「クリード」は、かつては、施設にお世話になるような手のつけられない不良だったが、ロッキーの永遠のライバルであるアポロの正妻のおかげで、教育を施され、それなりの仕事に就いている黒人男性が主役。

彼は、ホワイトカラーの仕事を得て、若いながらも出世もしている。

しかも、養母は、世界チャンプの資産のおかげで、今も裕福な暮らしができている。

イコール、クリードも、悪くない生活をしている。いや、むしろ、良い生活をしている。

が、現状に満足はしていない。


「1」が、経済的に貧しいのに比べて、こっちの「クリード」では、豊かなんだよね。


アメリカンドリームは、貧しい若者が手に入れるという構図は、未だにプロのスポーツ界ではポピュラーなこと。

でも、ビル・ゲイツが裕福な家の出身だったり、ジョブズにしても複雑な家庭ではあったようだけど、「貧困」ではなかった。

現代においる「アメリカンドリーム」は、そうそう単純化できない。また、そういう物語も陳腐化してしまっている。
なので、裕福な生活を捨てて、敢えて自己実現の為に戦う男「クリード」という作品になったんだろうなぁ。


邪推すると、超大国アメリカのご事情というのも、背景には、あるのかもね。

貧乏国がのしあがってきて(ぶっちゃけ中国ですよ)、傲慢なアメリカを追い越すというのは、アメリカンドリームではなくて、ナイトメア(悪夢)。

だから、主人公のクリードが挑むチャンピオンは、「不良からのし上がって、拳一つで、今の財産を築いた」という典型的な成り上がりになっている。

普通なら、親の七光り&金持ちの息子が打倒の対象なるわけでが、「クリード」では、転倒してしまっているわけで、まぁ、アメリカのジレンマが感じられますなぁ~。


で、現代的なパートナー。

クリードの恋人には、夢があり、二人は相互に支え合う関係。(「ロッキー(1)」のように、銃後の妻ではない)

さらに、クリードは病身のロッキーを介護しつつ、現役チャンピオンに挑戦する為に、過酷なトレーニングをするという展開は・・・・・・、まぁ、現代的だよ。それは認めるけど、やり過ぎだろ? とは思ったが、まぁ、「現代的」ということで。


観覧前の予想では、「どうせ生肉を叩いて、生卵を飲むんだろ?」と思っていたけど、そういうシーンはなかったね。

音楽も、微妙にロッキー臭いけど、必ずしもロッキーの原曲を使うわけでもなく。

もちろん、「あぁ、あのシーンね」というオマージュは存在しているけど、意外に、オリジナル(?)に頼っていない。

が、クライマックスの試合のシーンでは、やはりテーマが流れて。

「どうせ、そうなるんだろ?」と斜に構えて待っていても、ストーリーの盛り上がりとあいまって、やはり、感動してしまう自分がいてしまうわけでして。


で、最後の最後は、ロッキー・ステップですよ。

盛時のロッキーが苦もなく駆け上がった階段を、病身のロッキーは、休み休み上がるしかなくなっている。

しかし、傍らには、彼の親友の子であり、ロッキー魂を継ぐ男が、悪態つきながらも介助している。


父親の栄光に耐えられずに、息子とは疎遠になってしまったロッキー。
愛人の子という負い目と、伝説的なボクサーが父であったという血縁から逃れられなかったクリード。

孤独だった二人の男が、擬似的な親子関係を結んで終わるというのは、まぁ「お約束」とは分かりつつ、悪くなかったです。


試合のシーンとか、「どうやって撮っているんだ?」と唖然とするような出来で、まったく中だるみなく見れるのですが・・・・・・・・・・、しかし、まぁ懐古厨と言われても、やはり、低予算がミエミエでありながら、「1」のようなヒリツク映画になれないのは、致し方ないなぁ。


で、ボーナストラックというか、スピンオフというか、「おまけ」のように思っていた、「クリード」ですが、まだまだ、続編をつくるつもりなの?

そりゃ、まぁ、「エピソード0」とか、「ロッキー2」と「3」の間には、「こんな感動の物語が!」というものが、つくりづらいのは分かりますが。

もう、これでいいんじゃないかな~。

「クリード チャンプを継ぐ男」オリジナル・サウンドトラック(スコア)
by カエレバ

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