2015年2月9日月曜日

映画の「AKIRA」を、久しぶりに見る




久しぶりに映画の「AKIRA」を見ました。

初見では、「スゲェ~新しい!」と思えたけど、今見ると、ちょっと古いね。
「AKIRA」を経て、今のアニメ映画があるのだから、仕方のないことだけど。
(音楽は、今聞いても、斬新だね)


設定は、第三次世界大戦後の日本。
既に復興を果たしたという経済状況。

この「カタストロフィ」後の社会というのは、まぁ、日本SFのお約束でして、「ファースト・ガンダム」はコロニー落としで人類の半数が死滅した後の地球が舞台だし、「エヴァ」はセカンドインパクト後、「ナウシカ」は火の七日間を経た世界・・・・・、と、まぁ、ちょっと思い出すだけでも、こんな感じ。

詳しい方なら、もっといろんな作品を引っ張ってこれるのでは?


なんで、こういう共通の下敷きを持っているのかと言えば、まぁ、お分かりの通り、「戦後日本」でつくられた作品だから。

太平洋戦争での敗戦によって、都市は瓦礫と化してしまった。
原爆という強力な兵器の登場は、人類自身をも滅ぼしてしまう可能性があり、それをマザマザと見せつけられもした。

そういうカタストロフィを経験した我々日本人は、これから、どう生きるのか?
また、どう生きるべきなのか?

という命題が、意図するにしろ、意図しないにしろ内包されている(内包されてしまう)のだろうけど、さて、「AKIRA」。


大佐の言葉、「建設の熱は冷め、復興の喜びも忘れ去られ、今や欲望に身をまかせたバカどもの掃きだめだ。」は、当時のバブル経済に浮かれていた日本社会への言葉であることは明白。

その否定すべき街(ネオ東京であり、現代日本)を、破壊する可能性を秘めた「AKIRA」という存在。

超絶な力の持ち主。
その力とは、所謂「超能力」なのだが、宇宙において生物が生まれ、進化を遂げ、知識を手に入れて、文明をつくりあげた原動力でもある。

だが、その力の暴走によって、かつての東京を滅ぼした。


破壊と創造は表裏一体。
だから、同じような力を持った鉄雄に、映画内では、革命家やら宗教家たちが、変革の象徴だと夢見る。

が、鉄雄の方は、そんなことは知ったこっちゃないわけでして、ただただ暴走していく。

ここらへんは、莫大な力も持つ故に兵器にもなるが発電をも可能にするという原子力のアレゴリーと見ることもできるかもしれない。

まぁ、影響下にあることは事実なのだろうけど(AKIRAの爆発シーンなんかは、日本人としては、やっぱり原爆投下を重ね合わせてしまうのでは?)、311後の日本において、そういう面ばかり強調する政治的な読み解きをするのも、むしろ了見が狭い感じもするので、ここらへんで留めておきます。


で、鉄雄の暴走を阻止しようとする、主人公の金田。
現今の秩序からはみ出ている、不良という設定。

一緒に戦うことになるヒロインのケイは、反体制派。

また、鉄雄の能力を開花させてしまった大佐は、その責任をとる上でも、鉄雄を殺そうとする。
軍人という体制側の人間ではあるが、途中で、クーデターを起こして、既存の秩序を覆してしまう。


鉄雄は、AKIRAの力を持つ者(継承者?)で、変革のキーになる可能性を秘めているのに、彼の前に立ちふさがる人々も、既存の体制に満足していない人間たちなわけで、この構図が、不思議と言えば、不思議。

政治的に読むのは無粋ではあるとは思っているけど、「AKIRA」って、内ゲバのお話とすることもできるのね。

だから、漫画では、鉄雄は独立国家を樹立しようとするし、また、金田は、それを受け継ぐわけだ。


映画見て、久しぶりに漫画が読みたくなったが、・・・・・・電子書籍では出ていないんだよね。

浦沢直樹さんと同じで、金に困ってないし、絵にこだわりがあるから、ご存命の内には、電子化はされないかもな・・・・・。

AKIRA 〈Blu-ray〉
by カエレバ

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