「なぜ山に登るのですか?」と問われた、ある登山家は、「そこに山があるからさ」と答えた。
「なぜ漫画は実写化されるのですか?」
「そこに作品があるからさ」
ということで、実写映画かされてしまった「鋼の錬金術師」。
予告編が出た段階で、ネットでは阿鼻叫喚でしたが、・・・・・個人的には、「うん、まぁ、こんなもんじゃない?」くらいでした。
「ジャニーズが主役なんて!」
→「仕方ないじゃん、華のある人を連れてこないと、お金も集まらないのだから」
「この程度の特殊撮影・・・・・」
→「そりゃ、まぁアメさんと比べるのは、酷だよ」
「なんで、日本人!? 世界観と合わない!!」
→「仕方ないじゃん、邦画なんだから。それに、日本人がつくった漫画原作を、白人さんが演じるのも、ケツアゴシャアみたいな例もあるぞ? それはそれで違和感バリバリだったりするじゃん」
作品が世に出る前から批評するのも、ねぇ?
特にネットでダイレクトに意見が届いてしまう現代において、批判が先行するのは、クリエーターのモチベーションを低下させてしまう弊害だなぁ・・・・・。
とりあえず、見てから、賛否はしないとね!
・・・・・・・冒頭の、子供の金髪ズラからして、「あぁ、なんかヤンキーのガキみたい・・・・・」というモヤモヤ。
でもまぁ、予告編にもあった、成長したアルによるバトルが始まる。
そりゃ、まぁ、ハリウッドと比べたら、どうしたって粗はあるけど、「錬金術」をモチーフにした戦いの実写化としては、なかなか見応えアリ。
・・・・・・なんだけれども、バトルとしては、この冒頭が最高潮。
以降、ほとんど錬金術を駆使した戦いというものはなく、それでは何をやっているのかというと、失った弟の肉体を取り戻すことが出来るという賢者の石を探すことになるのだが、まぁ、基本「おつかい」。
誰かがヒントなり情報をくれるので、それに従って、目的地へ、という流れで、台詞がいちいち説明臭いし、「笑ってるよ」「怒っているよ」「悲しんでいるよ」と明け透けな演技の連続。(前日に見た映画が、「サーミの血」という鈍器タイプの映画だったので、いっそう今作の「軽さ」が目に余ったよ・・・・・・)
時折、ヒューズの夫婦仲とか、アルとウィンリィの痴話喧嘩なんかが差し込まれるのだが、・・・・・これが、また見ていて恥ずかしくなってしまうようなシーンに仕上がっていて。
なんだか、バカにされてる? とも思ったりもしたが、まぁ、この映画のメインのターゲット層って、10代の少年少女なのかな?
だから仕方ないか・・・・・・と諦める反面、それはそれで、「日本の少年少女の読解力を甘く見てない?」とも思う。
漫画「鋼の錬金術師」の連載が終わったのが、2010年。
もう10年近く前で、作品としては、今読んでも十分に面白いけど、現在の少年少女にしてみると、やっぱり昔の作品となるだろうし、実際、公開二日目土曜日の10時半からの映画館には、そこらへんの年齢層はいなかったなぁ・・・・・。
せいぜい大学生くらいだが、・・・・・・その年令に対して、この脚本・演技は、うーむ、満足できないんじゃないかな?
いろいろと制約があるのは理解できるのだが、それならそれで、「脚本」でカバーできなかったの? などと思ってはしまう。しかし、
- 二時間以内
- 原作改変を最小限
- ハガレンの人気キャラを、可能な限り登場させる
とにもかくにも、「鋼の錬金術師」の世界を三次元で再現するには、やっぱり「金」が足りないんだろうなぁと推察。
その穴埋めとして、説明臭い台詞の多用にもつながるわけで、結果、どんどん映画が安っぽくなってしまうという負の連鎖。
「そのうち見慣れるだろう」と思っていた、明らかにズラなアルの金髪も、最後まで慣れなかった。
いや、「髪の毛だけ」ではなく、全編CGで、CGアニメだったら、良かったのかな?
もうそこまで来たら、「CG」取ってしまって、アニメでつくってしまえば、きっと面白い作品になったに違いない!
・・・・・・・・・・・・。
曽利文彦監督の実写版「ピンポン」は、原作を二時間にきれいに収めていて、世界観も忠実、「漫画原作の実写映画の成功例」として、未だに引き合いに出されるくらいだけど、どうにもこうにも、今回の「鋼の錬金術師」は真逆の評価になりそう、というか、もうなっているか。ネット上は、ディスり大喜利状態だもんなぁ。
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