2017年6月16日金曜日

「牯嶺街少年殺人事件」感想



まぁ、なんとなくはタイトルを知っていた「クーリンチェ少年殺人事件」。

近所の映画館で放映されると聞いたものの、上映時間四時間というボリュームにビビってしまう。しかも休憩なし。
生半可な決意では見れない映画です。朝から水分を控えて、行ってきました。

上映中、全く退屈はしなかったものの、それでも、「今、どれくらい?」と気になって携帯のディスプレイをオンにしてみたら、そろそろ二時間。「ここで折り返しとは、鬼だな・・・・・」とは、思いました。

見終わった瞬間は、「まずまず面白かった」程度の評価。
「どのシーンも、それなりに意味があるのは分かるが、削ろうと思えば、削れるシーンもあるよな。シンプルにしてしまえば、二時間でも収まる気はするけど」などと生意気なことを思っていましたが、・・・・・後々になって、じんわりと効いてくる。

数日が経っても、ふとした瞬間に主人公・小四の少年らしい生硬さが脳裏に蘇り、この映画のことを考えしてしまう。

現実と理想


ストーリーの基軸は、主人公・小四と、ヒロイン・小明の悲恋。

と言っても、「ロミオアンドジュリエット」ではなく、小悪魔タイプの女性に、男が振り回されるという感じ。

小四を演じていたチャン・チェンさんは、当時を振り返って、このように述べています。
僕は当時、リサ・ヤン演じる小明の役柄が本当に理解できませんでした。非常に複雑なキャラクターでしたから。あれから25年経って改めて作品を観て一番感じるのは、より小明のことを理解できるようになったということですね。■Real Sound|リアルサウンド 映画部
まぁね、十代半ばの少年からすれば、「どうして、男(の子)の熱意を、この少女は、理解できない? 信頼しない?」と思ってしまうよなぁ。

非常に悪意のある言葉を用いれば、ヒロインの小明は、「ビッチ」。
実際に多くの男と寝ているかどうかは別にして、その場その場で、一番力のある人間を見つけて、あっさりと懐に飛び込んでしまう。

そんな、(少なくとも精神的な)貞操観念が薄い少女ではある。
若い受け手(観客)であれば、どうしても主人公側に立ってしまうけど、ある程度、年を重ねると、どうしても彼女の生育環境にも目がいってしまうわけで、病気の母がいるけど、どうやら父親はいない。頼るべき親戚も、裕福ではない。そんな状況下、サバイバルの為には、理想など抱いてはいられない。
生きる為には(母を守る為には)、現実と「寝る」必要がある。

言うなれば、リアリストである小明は、現実を評価も肯定もしていないし、受け入れてもいないのだろうが、しかし、それはそれで認めなくては、いけない。諦観している。

その立場は、彼女のラストの言葉、「私を変える気? この社会と同じ 何も変わらないのよ」に如実にあらわれている。


一方で、主人公・小四の、「この世界は僕が照らしてみせる」というキャッチコピーからも分かるように、ロマンチスト。
世界を変えられる・・・・・とまでは思っていないだろうけど、自分の力で、彼女を救えるいう自負がある。

まぁ、しかし、実際問題として、経済力もないティーン・エイジャーが、病気の母を抱えた女性を幸せにできるわけないのだが・・・・・。

光と闇


実際にあった事件を基にした作品であり、犯人が夜間中学校に通っていたのは、事実のようです。

実際の牯嶺街(クーリンチエ)少年殺人事件とはどんな事件だったのか

この物語は、主人公・小四が、中学受験に失敗して、夜間学校に通うことになったシーンから始まります。
つまりは、「昼」から排除されて、「夜」に生きることになるわけです。

台湾という南国が舞台なので、日本の横溝正史映画のような夜ではないものの、昼と対比して、陰鬱であることは否めない。

そして、夜陰に紛れるようにして、不良行為を重ねる少年たち。
時には生々しい暴力も振るわれる。

そういう世界で、小四が、「目の調子が悪い」と、部屋のライトの点滅を繰り返しているのは、彼が、夜の世界に馴染めていないものの、かと言って、昼の世界にいることは許されていないことを示唆している。

光と闇の間にいる中間の存在。大人でも子供でもない、少年期ですな。

そして、この映画のスゴイところは、この象徴的なシーンが、単なる象徴で終わっておらず、小明と出会う伏線になっているんだよね。


また、夜間中学を退学になってしまう際に、主人公が壊すのが電灯。
「夜の世界に生きる主人公の、かすかな未来を、自らで閉ざしてしまった」、または「所詮、昼間には敵わない、教師たちの照らす偽物の光を、少年らしい正義感でもって破壊した」とも解釈できるシーン。

いずれにしろ、電灯を壊す時に、手にするバットは、ちゃんと映画の前半部において教師に没収されてしまったものなんだよ。しかも、自分のではなく、友人のバッド。

このことを、「教師の横暴」とするか、「主人公の自業自得」とするかで、後の退学シーンの解釈にもつながり、また、夜間中学をクビになったことは、主人公を追い詰める一因になっており、こういう連関は、ホントっ、巧みね。
いくら四時間という余裕があるとは言え。

変わらない現実


ヒロインが病身の母親を抱えているという「現実」を背負っているように、主人公も、また別種の「現実」を突きつけられる。

小四の父親は、国共内戦で、台湾に逃げてきた、いわゆる外省人。
そのため、大陸(中国共産党)と通じているのではないかと疑われて、連行されてしまう。

強引に連れ去られたわけではないし、取り調べにしても、暴力を振るわれているわけではない。しかしながら、自分たち(国民党?)に都合の良い答えが出て来るまで続けられる尋問の執拗さ、(おそらくは)法律に基いているわけでもないので、勾留期間がいつまで続くのか分からない不安、そして、先方の気まぐれのような決断であっさりと保釈されてしまう不気味さ。

この連行によって、父親は精神のバランスを崩し、夜間に「怪しい人間がいる」と騒ぎ出したり、母親の腕時計を質に入れてしまった兄貴(冤罪なのだが)に執拗に暴力を振るう。


そういう、夜の「現実」世界に生きる主人公が手にしているのが懐中電灯。
今更、言うまでもないことだろうけど、懐中電灯は、「夜 = 闇 = 暗い現実」を照らす道具。

で、ヒロインの名は、「小明」。
皮肉ですな。

主人公は「彼女の希望となってみせる」と言っているけど、まぁ、逆に考えると、「彼女の希望となることが、彼にとっての希望」。

しかし、彼女という「現実」は、変化を拒否する。
希望の潰えてしまった主人公は、懐中電灯を捨ててしまったように、「現実(小明)」を壊すという対応をせざる得なくなってしまった・・・・・。


で、ラスト。
映画の冒頭と同じく、ラジオからは、昼間部に合格した学生たちの名前が流れている。
彼らは昼間に生きることを許された人間であり、主人公が手にすることが出来なかった世界に生きている。

その対比は酷薄でありつつも、また、壊れてしまった古いラジオから流れてくるというのは、どことなく新しい世界への変革を想起させるものがあり、・・・・・・やっぱり巧みですなぁ。

おまけ


こういう作品を見せつけられると、単なるアイドル映画の枠内に収まってしまった「ホットロード」の実写版は残念だったなぁと、改めて思ってしまうよ・・・・・。

能年玲奈主演「ホットロード」を見たわけだが


A Brighter Summer Day (The Criterion Collection) [Blu-ray]
by カエレバ

0 件のコメント:

コメントを投稿