2014年12月14日日曜日

「ゴーン・ガール」を見てきました



映画館に行く度に見せられた「ゴーン・ガール」の予告編。

面白そうだな、でも、まぁ、「予告編が一番おもしろかった」ということは、往々にしてあるんだけれども。

で、見た感想としては、面白かったですね。かなり面白かった。


徐々に明らかになっていく、夫婦の関係。失踪した妻の真意。追い詰められてる夫。過剰な報道。世論を煽るマスコミ。(以降、多少、ネタバレがあります)

二時間半の長丁場だけど、「二転三転するストーリー」に、「この映画、どこに落着するんだ?」と、ずっと考えさせられて、まったく退屈しなかったです。(冒頭は、ちょっとダルかった)

ジョンベネ殺害事件のようなお話? と、予告編を見た段階では思っていました。

確かに、最初は、そんな感じ。

ですが、中盤あたりまでで、だいたいの種明かしが終わってしまう。

出し惜しみ無しで、ストーリーが間延びしていないのは良いんだけど、逆に、「これから、どうするの?」と思っていたら、中盤以降は、失踪した妻との心理戦に。


つまり、この映画の肝は、夫婦の力関係なんだよね。


新婚時代の蜜月期が終わり、長い時間一緒にいると、どうしても互いの本性が分かってくる。

そこから夫婦の危機が訪れれば、普通であれば、寛容によって諦念の境地に達するか、厳格さを求めて別離に至るかの、どちらか。


でも、この夫婦は、どちらも選ばない。

映画を見ていると、旦那はとうの昔に結婚生活を見限っているんだけど、妻は、寛容にもなれず、厳格に関係を断ち切ることもできない。

理想的な夫婦を求めるが故に、復讐を決意する。

こう説明すると「なんで?」と思うだろうけど、映画を見ていると、時折差し込まれる彼女の幼少期の環境から、自然と納得できるようになっている。


で、タイトルである「Gone Girl」の意味が、ようやく分かった気がします。

「Woman」でも「Lady」でも「Wife」なく、「Girl」なのは、なんで? と不思議だったんですよ。

映画の冒頭で失踪する(去っていく)のは、どう見ても、大人の女性。「少女」ではない。

外見は大人だけど、中身は子供ってこと?


・・・・・どうやら、そういうわけではないと思います。


彼女は、小さい頃から完璧を求められて育てられてきた。
容姿端麗で、頭脳明晰ではあったけど、それでも「不完全」とされてきた。

つまり、彼女には、「不完全」であることを許さる幼少時代(少女時代)が存在しない。

そのことが「Gone Girl」という意味なのかな?


で、この映画の、もう一つの重要な要素である、「マスコミ(世論)」。

夫に容疑をかけられた段階で、その妹は、事ある毎に、外見を大事にしろって主張するんだよね。

ジョンベネ殺害事件も、そうであったように、警察や司法が取り締まる前に、マスコミや世論が断罪してしまう。(日本だと、STAP細胞の経緯なんか、そうだよね・・・・・)

今の(近代の?)世論って、中途半端を許してくれない。
善人なら完璧に善人、悪人なら完璧に悪人であることを求める。

だから、少々の活躍があっても、後に、ちょっとした瑕疵が見つかると、一気に世論が反転する。
なんて光景は、よくありますよね~?

だから、妹は兄貴に向かって絶えず注意を喚起するし、逆に、失踪した妻は、世論が自分に味方するように、二重三重に仕掛けを用意している。


真実は個人の内面でも、司法でもなく、マスコミによってつくられる。

それって、つまり、妻が、これまで生きてきた現実でもあるわけだ。(だからこそ、マスコミ操作が上手なのだろうけど)


彼女は極端ではあるけれども、SNSの「いいね」「リツイート」「既読」なんかに振り回されている我々も、どこか通底するところがあるんだろうな・・・・・。


日本だと、異質な夫婦の形を描いていると言えば、最近だと「夢売るふたり」かね。
西川美和監督「夢売るふたり」を見て、どうしようもない不安が襲ってくる


ゴーン・ガール 上 (小学館文庫)
by カエレバ

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