映画館に行く度に見せられた「ゴーン・ガール」の予告編。
面白そうだな、でも、まぁ、「予告編が一番おもしろかった」ということは、往々にしてあるんだけれども。
で、見た感想としては、面白かったですね。かなり面白かった。
徐々に明らかになっていく、夫婦の関係。失踪した妻の真意。追い詰められてる夫。過剰な報道。世論を煽るマスコミ。(以降、多少、ネタバレがあります)
二時間半の長丁場だけど、「二転三転するストーリー」に、「この映画、どこに落着するんだ?」と、ずっと考えさせられて、まったく退屈しなかったです。(冒頭は、ちょっとダルかった)
ジョンベネ殺害事件のようなお話? と、予告編を見た段階では思っていました。
確かに、最初は、そんな感じ。
ですが、中盤あたりまでで、だいたいの種明かしが終わってしまう。
出し惜しみ無しで、ストーリーが間延びしていないのは良いんだけど、逆に、「これから、どうするの?」と思っていたら、中盤以降は、失踪した妻との心理戦に。
つまり、この映画の肝は、夫婦の力関係なんだよね。
新婚時代の蜜月期が終わり、長い時間一緒にいると、どうしても互いの本性が分かってくる。
そこから夫婦の危機が訪れれば、普通であれば、寛容によって諦念の境地に達するか、厳格さを求めて別離に至るかの、どちらか。
でも、この夫婦は、どちらも選ばない。
映画を見ていると、旦那はとうの昔に結婚生活を見限っているんだけど、妻は、寛容にもなれず、厳格に関係を断ち切ることもできない。
理想的な夫婦を求めるが故に、復讐を決意する。
こう説明すると「なんで?」と思うだろうけど、映画を見ていると、時折差し込まれる彼女の幼少期の環境から、自然と納得できるようになっている。
で、タイトルである「Gone Girl」の意味が、ようやく分かった気がします。
「Woman」でも「Lady」でも「Wife」なく、「Girl」なのは、なんで? と不思議だったんですよ。
映画の冒頭で失踪する(去っていく)のは、どう見ても、大人の女性。「少女」ではない。
外見は大人だけど、中身は子供ってこと?
・・・・・どうやら、そういうわけではないと思います。
彼女は、小さい頃から完璧を求められて育てられてきた。
容姿端麗で、頭脳明晰ではあったけど、それでも「不完全」とされてきた。
つまり、彼女には、「不完全」であることを許さる幼少時代(少女時代)が存在しない。
そのことが「Gone Girl」という意味なのかな?
で、この映画の、もう一つの重要な要素である、「マスコミ(世論)」。
夫に容疑をかけられた段階で、その妹は、事ある毎に、外見を大事にしろって主張するんだよね。
ジョンベネ殺害事件も、そうであったように、警察や司法が取り締まる前に、マスコミや世論が断罪してしまう。(日本だと、STAP細胞の経緯なんか、そうだよね・・・・・)
今の(近代の?)世論って、中途半端を許してくれない。
善人なら完璧に善人、悪人なら完璧に悪人であることを求める。
だから、少々の活躍があっても、後に、ちょっとした瑕疵が見つかると、一気に世論が反転する。
なんて光景は、よくありますよね~?
だから、妹は兄貴に向かって絶えず注意を喚起するし、逆に、失踪した妻は、世論が自分に味方するように、二重三重に仕掛けを用意している。
真実は個人の内面でも、司法でもなく、マスコミによってつくられる。
それって、つまり、妻が、これまで生きてきた現実でもあるわけだ。(だからこそ、マスコミ操作が上手なのだろうけど)
彼女は極端ではあるけれども、SNSの「いいね」「リツイート」「既読」なんかに振り回されている我々も、どこか通底するところがあるんだろうな・・・・・。
日本だと、異質な夫婦の形を描いていると言えば、最近だと「夢売るふたり」かね。
■西川美和監督「夢売るふたり」を見て、どうしようもない不安が襲ってくる
ゴーン・ガール 上 (小学館文庫) | ||||
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