2015年3月31日火曜日

「フォックスキャッチャー」の感想



映画の「フォックスキャッチャー」見てきました。


ポスターに出ている三人の男たちの愛憎劇です。
が、正確には、もう一人、富豪の母親も入って、四人の愛憎劇とするべきかな?

奇妙な四角関係ですと、最近見たものですと、「美しい絵の崩壊」なんかありますが、「フォックスキャッチャー」は実話ということもあって、分り易いですね。(■「美しい絵の崩壊」を見てきた)


面白かったですが、内容は地味。
派手な演出も、過剰な音楽もなく。

主人公のマーク・シュルツは、筋肉ゴリラという設定。
話下手で表情も乏しい。華がない。(難しい役だったろうね・・・・・)


なので、19:15開始の上映場には、僕一人でした。

内容は重いですが、気楽に見ることができました。(上映が打ち切りになる前に見れて、良かった)


で、ネタバレのストーリーですが、マーク・シュルツは、オリンピックで金メダルを獲得したものの、その後、パッとしない。

兄のデイヴ・シュルツは、弟と同じくレスリングの金メダリスト。
でも、理論家で指導者としても優秀。さらに、事務仕事もこなせて、家族にも恵まれ・・・・・というスーパーマン。

どうにもならない、わだかまりを抱えていたところで、ジョン・デュポンという富豪が、資金援助、住居提供、近代的なレスリング場まで用意して、マーク・シュルツを招聘。

こうして、兄からの保護から脱することに成功し、ジョン・デュポンを父として敬うマーク・シュルツ。

当初は、理想的な環境を得て、世界大会で優勝し、うまくいっていた。

が、徐々に明らかになっていくのは、マーク・シュルツが未成熟な子供であるように、ジョン・デュポンも母親の支配から抜け出すことのできない子供であるということ。

子供と子供で、うまくいくはずもなく、生活は退廃。

マーク・シュルツはレスリングの練習をサボるようになり、また、ジョン・デュポンも遊び相手欲しさに、それを容認するという間抜けさ。


それでは意味がない(母の影響下から脱せない)と悟ったディポンは、今度は兄のデイヴ・シュルツを招聘。

これでレスリングチームは形にはなるが、せっかく手に入れたマーク・シュルツは、また兄の元に戻ってしまう。

マークにしてみると、自立には失敗したことにはなるけれども、完璧な兄の庇護の下となるわけで、まぁ、一応の安定を手に入れたことになる。

が、デュポンは自らの配下を失ってしまうことに。

ディポンにしてみると、デイヴは父にはなってくれないし、支配下に入ってもくれない。
自立しているデイヴにしてみると、ディポンは飽くまでも仕事上の関係。よく表現をしても、ビジネス上のパートナー。

そんな喪失感に襲われているディポンに、さらに、実の母も、亡くなってしまうという不幸が重なる。彼のエキセントリックな性格は歯止めが効かなくなり・・・・・。


そんな感じの物語でした。


擬似的な親子関係が絡み合う話でしたが、さらに「国家」という線が入っているんだよね。

そもそも富豪のディポンの家は、外見からして、どこかホワイトハウス。
彼の執務室には、大きな星条旗。

度々登場する、歴代大統領の肖像画。

国家への忠誠や責務について、度々言及する登場人物。


もっとも印象的なのは、ラストシーン。
「USA!」の連呼で終わるんだよね。

 ∧∧∧∧∧∧∧∧∧
< USA!USA!USA!USA! >
 ∨∨∨∨∨∨∨∨∨
 _     _
`/っ)    /っ)
/ / ∧_∧ / / ∧_∧
\\(   )\\(   )
 _     _
`/っ)    /っ)
/ / ∧_∧ / / ∧_∧
\\(   )\\(   )


これって、ありがちなハリウッド映画のラストを、敢えて(わざと悪趣味に)踏襲しているわけでして。


スポーツとは、当然、強い者への憧れでして。

マーク・シュルツとジョン・デュポンが精神的に子供であり、マークは父を求め、デュポンは父になることを願った。

彼らが憧れた父性(強い者)の、最大のものは、国家になるわけでして。
でも、彼らが口にする「国家」って、どこか空虚なんだよね。

彼らは自立しているわけではない。
自らが拠って立つ国家ではなく、依存の対象としての国家だから、そうなってしまうのかね~。

映画 フォックスキャッチャー パンフレット
by カエレバ

2015年3月30日月曜日

雁屋哲「野望の王国」11巻から15巻までの感想


で、雁屋哲先生の怪作、「野望の王国」。

これまでの感想。
■雁屋哲「野望の王国」1巻から5巻までの感想
■雁屋哲「野望の王国」6巻から10巻までの感想

11巻から15巻も、感想は、基本、変わらないんですが・・・・・。


とりあえず、ストーリー。

警察署長:柿崎が、日本の首相を裏で操る小田からの後援を得て、一歩リード。
これでは、柿崎を従わせることができないと焦る主人公の橘征五郎&片岡仁は、小田の暗殺を決意。

で、関西一の暴力団と言われる花岡組の力を借りて、暗殺を成功させる。

これで、柿崎を従わせる道筋ができるのだが・・・・・。


普通なら、日本政界の裏のドンを狙って、手始めに配下の警察署長を倒す・・・・というのが当たり前なのだろうけど、「野望の王国」では逆。

また、橘征五郎&片岡仁の当面の目標は、橘組を乗っ取ること。
そのためには、組長が邪魔なので、柿崎を使って排除してもらおうという作戦なのですが、その橘組というのは、神奈川県のローカルな暴力団。

既に、橘征五郎&片岡仁は、関西一の花岡組から助力を偉えるわけで、なんだか、もっと効率的な努力の仕方があるのではないかと思ってしまうのだが・・・・・、まぁ、これが「野望の王国」だ。


で、羽をもがれた形となった柿崎に、橘征五郎&片岡仁は、新しい味方を紹介する。

これが、白川天星という、巨大な宗教組織の御曹司。
彼の力を得て(橘征五郎&片岡仁のコントロール下で)、柿崎は橘組長と対峙していく。

・・・・・・・・白川天星の登場シーンで、東大の時計台が描写されているけど、それって、橘征五郎&片岡仁が、自らの力を誇示するために、一度爆破したような記憶があるけど。

うーむ。

さらに、柿崎なんだが、橘征五郎&片岡仁によって自らが窮地に追い詰められたと分かっていながら、簡単に彼らの口車に乗せられるよな・・・・・。

そもそも、白川天星によって巨大なカルト教団を利用できるなら、橘征五郎&片岡仁は、もっとあっさりと、橘組を乗っ取れるような!?


まあまあ、それを言ったらおしまいよ。

とにかく、相変わらず、伏線無しで、妙に巨大な力をもった知己が登場するんだが、強引に倒されるというパターン。


ただ、橘組長と柿崎署長との応酬が、インフレ&エスカレートする過程は、読んでいるうちに、奇妙な没入感を誘うのは事実。
「ねーよ」とつっこみつつ、「ここまで広がって、どうなるんだ、これ?」という引きこまれていきます。


で、橘征五郎&片岡仁は主人公なんだけど、これまでは二人の戦いを解説する役が多く、男塾で言うところの、「富樫虎丸」と言った感じだったけど、徐々に活躍。

さらに、橘征五郎の方は柿崎に囚われてしまうことで、ようやく、バディの意味も生まれてきました。(二人で活躍するのではなく、片方が窮地に陥って、初めて二人いることの意味が生まれるというのも、なんだかアレですが)


野望の王国 完全版 11
by カエレバ

2015年3月26日木曜日

映画「ソロモンの偽証 前編 事件」



宮部みゆきさん小説は、読んだことないんだよな。

映画だと「クロスファイア」を見て、・・・・・「うーん」という感想。

が、知人が言うには、「映画の出来はゴニョゴニョだけど、小説は悪くないよ」とのこと。


さて、原作・宮部みゆきさんの映画「ソロモンの偽証 全編」を見てきました。

ネタバレ含むストーリー展開、及び疑問は以下。


ある日の朝、遺体で発見された生徒。

自殺したとされ、みんなは、いったん彼の死を受け入れる。

だが、怪文書が出回り、生徒と保護者は動揺。
警察からの説明で、大人たちは納得するが、生徒たちの心には疑問が残ったまま。


彼は殺されたのか、自殺なのか?

で、裁判をして真相を究明している! で、後編へ。


後編は二時間、裁判なの?
「カラマーゾフの兄弟」並みだな。


映画の感想としては、なんか物足りない。

なんだろう?
丁寧につくられているんだけど。

出演者の発言は、たまに大人びいているけど、外見は見事に中学生っぽい。変に、美少女ばっかり、美青年ばっかり、ではなくてリアル。

主人公の少女も、かわいらしいけど、例えば橋本環奈さんのような「THE 美少女」という強烈さはなく、クラスにいてもおかしくない子。
自殺した子も、厨二病患ってる感が、よく出ている。

登場人物の演技は、過剰なときもあるけど、下手くそとは違う。


でも、・・・・・・ちょっと丁寧過ぎるのかな?
登場人物が多いので、どうしても、「分かり易いキャラ」になっているから、そこが、なんかわざとらしく感じるのかな~。


主人公が、親や教師の反対にもめげずに裁判に進むのも、動機が分かるような分からないような。

原作が分厚い長編だから、丁寧なストーリー展開(前後で四時間!)だけど、どうしても、そこらへんが弱くなるのか?


だって、普通に考えれると、怪文書はガセで、単なる自殺と考える方が妥当。
事故死した子だって、交通事故だからね。

それを主人公や他の生徒たちが、納得できないでいるのには、なんか無理があるような?

第三者目線で見れるから、そう言える? うーん。


自殺も事故死も、あると言えば、ある話。
でも、学校で裁判を開くなんて、先ずは、ない話。

それにリアリティを与えようとすると、もっと説得力がないと、なんかモヤモヤが消えない。

主人公の少女が、ヒステリックで頭が悪いというなら、「まぁ仕方ないか」と思うかもしれないけど、彼女は、知的で冷静という設定。

しかも、彼女は、告発文(怪文書)で犯人とされた不良たちが、いじめをしている現場を見ているわけで、じゃ、「彼女たちが告発文を復讐する為に書いたんだな」と推察しそうなものだけど。


つまらないわけではなかったけど、もう一歩が欲しかったな・・・・・。



後編の予測としては、
  • 死んだふくよかな子が、実は犯人
  • または、その友人が犯人
  • あるいは、その二人と申し合わせて、彼は自殺した(自分の自殺を利用しろ、という意味)
  • 「自殺した当人が自殺を利用しろ」というのであれば、あの他校の子が犯人、あるいは、申し合わせた。なんで、犯人と目されている不良の弁護を引き受けたかと言うと、自分との境遇の共通点に同情した
そんなところかな。

ソロモンの偽証 全6巻 新潮文庫セット
by カエレバ

2015年3月22日日曜日

雁屋哲「野望の王国」6巻から10巻までの感想


以前の感想。

■雁屋哲「野望の王国」1巻から5巻までの感想


相変わらず、スケールのでかい(現実離れしている)「野望の王国」。

橘征五郎&片岡仁の学生二人(まだ卒業していない?)が、橘家組長:橘征二郎を倒して、組を乗っ取ることを考えている。

しかし、組長は優秀なので、二人で倒すことは難しいので、当面は、警察署長:柿崎と同盟を結んでいる。


で、橘征二郎には、新しい味方として、赤寺が登場。

橘征二郎はトップの象徴で、実際の(汚れ)仕事は赤寺が実行するという日本的な上司・部下の関係。

彼の登場で、物語は、いっそうドキツクなるというか、混迷の度合いを深めると言うか。


警察署長の柿崎は、法にもあったもんじゃないでっち上げで橘組長を逮捕して、さらに、取り調べも裁判もなく、地下牢に閉じ込める。

そこから救出する為に、赤寺は、各地で暴動や爆破テロを敢行。

これらの騒動を起こす為に、駅に五千、競馬場に三千の人を集めているわけで、どんなスケールだよ・・・・・。

しかも、それだけ大きなことを起こしておきながら、これって、川崎市内限定のお話という妙な小じんまり感。(それだけの動員力、資金力を持っているのに、橘組は、所詮、神奈川県内の暴力団に過ぎない・・・・・)


そして、組長が救出されて、今度は一転、川崎市内の騒動の責任をとらされて、柿崎が窮地に。

そこで、柿崎は、総理をも操るという日本政界の黒幕に取り行って、どうにか危機を脱する。

・・・・・・しかし、そんな力をもっている黒幕から助力を貰えるのであれば、神奈川県のヤクザなんて、どうにでもなるような・・・・・。
まぁ、ここらへんの、遠近感が狂ってるあたりが、この作品が怪作と呼ばれる所以だよな・・・・・。


野望の王国 完全版 6
by カエレバ

2015年3月18日水曜日

クリント・イーストウッド「アメリカン・スナイパー」の感想


クリント・イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」を見てきました。
面白かったです

「ジャージー・ボーイズ」もちょっと前に公開されたばかりで(未見ですが、好評だったみたい)、さらに、「アメリカスナイパー」。

もう80才超えているのに、なんで、そんなに精力的なの? と不思議です。

まぁスタッフが強力なんだろうな~
(その強力なスタッフを、まとめ上げられる能力と人望が、監督にあるのだろうけど)


で、ストーリー。(ネタバレ)

冒頭、イラクでの狙撃シーンから始まりますが、そこは、ちょっとだけ。

一気に物語は、主人公のクリス(山のフドウを実写化するなら、この人だと思う)の幼少時代へ。そこからは時系列に進みます。

象徴的だな~と思ったのは、子供のころに、父親から「羊となって無抵抗主義もダメ、だが、狼となって人をイジメめるのもダメ。誰かが傷つけられた時に、その人を守る番犬になれ」てなことを言われるシーン。

まぁ、「男の生き様」を父が息子たちに教えているんだけど、これを聞いている母親が、ちょっと一歩引いた感じの顔なんだよね。

「THE 男の論理」。

結局、その論理って、アメリカ・マッチョの思想なわけでして。
(そして、クリスの家族、特に奥さんは、この思想・論理に、ずっと振り回されることになる。)


で、大きくなった息子たち。
軍に志願する前は、カーボーイをして暮らしている・・・・・・と言うと聞こえがいいけど、まぁ、牧場の使用人でして、町で祭りがあると、そこで暴れ馬を乗りこなして入賞という、朴訥な人生を歩んでいる。でも、満足しているわけではない。

このカーボーイっていうのも、アメリカ的だね。


そもそもタイトルが「アメリカン・スナイパー」。

「アメリカの狙撃手」という、一見するとなんでもないけど、よーく考えると、意味深。


アメリカ本国では、この映画は英雄賞賛なの? 反戦なの? という戸惑いがあったようですが、確かに、難しい。

前述のように、冒頭のシーンからして、アメリカ文化に内在する暴力性(どこの国にでも、ある程度あるけど、アメリカの場合は、何年かに一度、必ず戦争があるから、それが肯定されてしまう&肯定しなくてはいけないというご事情があったりして、まぁ複雑ね)を描いているわけでして。

「困難に立ち向かった英雄の物語」であることは事実だけど、「人間性を、国家と戦争によってズタズタにされた物語」であるのも確かなわけでして。

マッチョな「男の論理」の美しさと、危うさ・・・・・。


作品の内容にしろ、その評価にしろ、なんで、こんな風になってしまうんだろう? と考えると、結局、イラク戦争の評価が、未だに定まらないからだろうな・・・・・。

「主人公は極悪なテロリストと対峙している」はずなんだけれども、その戦場は、戦争で荒廃した
イラク。

そこで生活をしているイラク人は、いくら戦火で荒れ果ててはいても、その土地に馴染んでいる。

それに比べて、アメリカ軍は異質な存在。どこまでいっても、侵略者・・・・・とまでいかないにしても、部外者であることには変わりない。

コンクリートに囲まれた基地から、出動するシーンが何度も映画には登場するけど、彼らが、彼の国にとって招かれざる客であることを象徴しているわけでして。


兵士たちは、国家の意思(男の論理)によって、そこで戦っているわけなんだけど、「彼らは、こんなに苦労しているけど、いったい何の意味があるんだ?」という疑問が、観客からすると、当然、拭い去れない。


映画の中でも、イラク戦争自体に、賛否の表現はないです。

例えばブッシュ大統領が「大量破壊兵器を隠し持っているので戦争を始める」と発言しているニュース映像の一つも流せば、「イラク戦争は不義の戦争であったと認めているんだな」と観客は思うだろうけど、そんなシーンは皆無。

また、逆に、アメリカ軍に感謝するイラク人を登場させれば、「あの戦争は、暴君から民衆を解放した義戦だったんだ!」という意見表明になるのだろうけど、やっぱり、そんなシーンはない。

つまり、「イラク戦争」自体は、まぁ映画の舞台に過ぎず、その賛否は、勝手にやって下さい、ということ。

でも、その困難な状況下においても、一人の兵士が、必死に戦っていたことを、時々でいいから、思い出して下さい、ということなんだろうなー。


クリント・イーストウッドの戦争映画だと、他には、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」。

アメリカにとって「栄光の太平洋戦」が舞台。
そこで、報われなかったアメリカ軍兵士と、雄々しく戦った日本軍兵士を描くという、ある意味では価値の逆転を図っているんだけど、でも、一兵士の現実と悲しみを描いているという点では、今作と、同じなのかな?

アメリカン・スナイパー (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
by カエレバ

2015年3月17日火曜日

文化系トークラジオ Life「No Music, No Life?~音楽はいまどう聴かれているのか」本編の感想

いつも楽しく聞かせてもらっている文化系トークラジオLifeですが、今回は現在の「音楽」状況がお題。

まぁ、あんまり音楽に興味がないのですが、それでも、若い頃は、今よりは聞いておりました。

あの当時からすれば、今のようにyoutubeで、好きなだけ(無料で)、色んな音楽を聞ける現在は恵まれているのは確か。

そんなに興味のない僕ですら、「今の若い人は、音楽に関しては、羨ましい環境だなー」などと思います。
僕のような人間ですら、有料でも適当に音楽を聞いていたのですから、今の若い人は音楽漬けになれるじゃん・・・・・・・、とならないどころか、むしろ、今の若い人は音楽には、あまり興味がない?

どうなんです?
そんな雰囲気なんですか?
身近に若い人がいないので、イマイチ分かりません。

本放送では、「若者の音楽離れ」という側面を語りながらも、一方で「やっぱり若者と音楽は、今も不即不離」というお話もあり。

まぁ、確実に言えることは、「かつての若者の音楽受容と、今の若者の音楽受容は違う」ということでしょうか?


音質はともかく、youtubeを使えば、古今東西の音楽が自由に聞ける。(youtubeだって、エアチェックで録音したテープカセットよりは、音質はいいんじゃないの?)
この恵まれた環境って、結局、音楽の有り難みを失わせている側面はあるのかな? と思わないでも。

「食べ放題に行くと食べ方が汚くなる、食べ物を粗末をしてしまう」というヤツです。

聞き放題というのは、諸刃の剣なのかもね。
(ちょっと不便なくらい、また物足りないくらいの方が、大事にしてくれる・・・・・。人間も、そうだよね~)


で、まぁ、音楽受容の違いを、いろいろと話し合っていくうちに、「座学的な音楽」は時代遅れになりつつあるのではないか? という流れに。(もしかしたら、時代遅れではなく、復古かも)

つまりは、今の音楽が身体性を求めている(または、再び取り戻そうとしている)。


それを聞いていて、以前、鈴木さんが、よく口にしていた「モノ消費ではなく、コト消費」という言葉を思い出しました。

また、最近ですと、ライフの本放送「フィジカルの逆襲」「ソーシャル、レジャー、リア充」でも言及されていたことで、データ化されてしまうものは、限りなく無料(無価値、陳腐化)に近づいていくネット社会において、リアルな体験こそが貴重になっている、ということ。

そういう世界において、「SEKAI NO OWARI」が自分たちのライバルを、ディズニーランドと言っているのは、意図してか意図せずしてかは分かりませんが、象徴的ですね~。


おまけの感想。

「SEKAI NO OWARI」の良さが分からない・・・・・・というお話が出ていましたが(出演者が分からないというよりは、そういう意見をよく耳にする、という感じでしたが)、そりゃ、中高生に受けている音楽なんて、中年連中に理解できるわけないよね。

中年が好きなものを、中高生が好きなわけないじゃん。

2015年3月10日火曜日

「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」読了


どうにかこうにか、「不死鳥の騎士団」を読了。

なげーよ、まったく。

まぁストーリー展開は、いつも通り。


嫌味な新キャラが登場して、ハリー・ポッターがイジメられまくる。
で、ハリーは、嫌な評判も立って、苦労するけど、最後には、誤解が解けてハッピー♪

まぁ、ヒット作というのは、黄金パターンを、どうやって引っ張れるかが重要だからな・・・・・・。


以前の感想。
■「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」読了
■「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」読了

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 上下巻set(携帯版)
by カエレバ