2017年12月6日水曜日

「サーミの血」




前日の深酒で、なんだか一日中、眠たい感じだったものの、地元の映画館で、「サーミの血」の公開最終日。

北欧の少数民族「サーミ族」の迫害を扱った映画。

どうしようかな~、この手の作品は、眠たくなりがちだからな~、などと億劫がっていたけど、結局、午後八時前のレイトショーに行ってきました。

危惧していた通り、やはり、当初は眠気との戦い。
すごく分かり易い「派手」なシーンはなかったのだけれども、1930年代の少数民族が置かれていた時代を象徴するような、プライバシーも人権尊重もない身体検査あたりから、すっかり目が覚めて、以降は、主人公エレ・マリャの選択に、目が離せないやら直視出来ないやら。

予告編からも分かるように、マジョリティによるマイノリティへの迫害がメインのモチーフなのだけれども、悲惨な境遇に置かれている主人公は、そこから脱出しようと、抗い、もがく。
その行為は、自らの基盤であるべきサーミ族への批判・否定となってあらわれ、時には己の出生を偽ることとなる。
当然、マイノリティのサーミ族からしたら、主人公はマジョリティに媚びを売る裏切り者。
でも、そのマジョリティであるスウェーデン人が、主人公を受け入れてくれるのかと言えば、そんなことはないわけで。

その二重に孤独の中で、彼女の行動は、思春期の所謂「厨二病」的なソリッドな理想と過激さを帯びて、見ている者(中年のおっさん)からすると、非常に痛々しい。

端的に言うと、そりゃ、悲しい環境ではあるけど、だからと言って、かつての仲間やら家族への、そういう態度はどうなんだろう? と感じさせる行動に結実するわけで、単純に主人公に共感できるわけではない、人によっては苛立ちをも覚えるかもしれない。

「少数者故に、未来が見通せない物語」という点では、「ドリーム」と通底するものがあるけど、あちらさんは、なんだかんだで安心して見れる娯楽作に落とし込んでいるのに比べて、「サーミの血」の主人公は、一応、それなりの地位に就けて、子供や孫にも恵まれて、はたから見ればまずまずな人生だったようには見えるけど、家族の大事なモノと引き換えに、その立場を手に入れておきながら、後にまったく妹や母に恩返しをした気配はなく、おそらくは音信不通・家族の縁を切っていたようで、「そりゃねーだろ」という生き様も垣間見えて、それでいて、そういう人間になるしかなかった彼女の人生が、二時間という短時間に、ちゃんと凝縮されており、やはり胸を打たれると言うか、胸をわしづかみされると言うか。

面倒臭がらずに行って、良かった映画でした。

「ドリーム」 -ケチのつけようがないね・・・-


by カエレバ

0 件のコメント:

コメントを投稿