2017年5月27日土曜日

映画「ムーンライト」



「ラ・ラ・ランド」との作品賞一騎打ちに勝ち残った「ムーンライト」。近所で公開されたので、見てきました。

昨年度のアカデミー賞が人種的な偏りがあると批判され、さらに今年はトランプ大統領の治世下という、いろいろと微妙な要因があって、「黒人」で、かつ「ゲイ」という、二重のマイノリティを扱った本作が勝ち得たのではないか? などとも分析されていましたが・・・・・、うーん、「あるかもね」というのが、正直な感想。

「ラ・ラ・ランド」なんかは、オープニングからして「楽しい映画ですよ~」という高揚感が画面から大いにあふれていましたが、こっちは、絶えずパトカーのサイレンが鳴っている住宅地でのヤクの売人の日常からという心躍るスタート。

以降も、「ほっこり」「にっこり」エピソードは皆無。

「タフでなければ生きていけない。 優しくなれなければ生きている資格がない」とは、フィリップ・マーロウの名言ですが、つっぱることが男の、たった一つの勲章というタフな黒人男性社会が、映画の舞台。
そんな中で、ほっそりとした気弱な黒人男性が主人公。

で、彼の幼年期、少年期、青年期が、それぞれ描かれています。


「芸術的」とか「作家性の強い」作品にありがちなことですが、けっこう淡々と進むんだよね。
の割には、過剰な説明を排して、作品から「送ってもらう」というよりも、受け手が「お迎えに行く」必要が多かったりします。

今作「ムーンライト」にしても、ヤクの売人は、なんであんなに親切なんだろうね?
もちろん、母子家庭の主人公にしてみると、売人が父親的役割を担っているのは分かるし、それは逆に、売人からすると主人公は息子的な立ち位置。

でも、タフに生きているはずの売人が、ゲイかもしれない子供に、あそこまで理解ある態度を示すのは、なんか不自然に思えてしまう。
そこに理由が見つけられないんだよね。

まぁ、推測するに、「どう生きるかを決めるのは 自分自身」と主人公にアドバイスを送っているのは、逆に言えば、「この子は、自分の人生の決定権を握ることはないのではないか?」という危惧であり、それはヤクの売人などという仕事に就いている自らへの悔悟であり、そして、主人公に、自分の過去を重ね合わせてしまい、そうはなって欲しくはないという希望からの、愛情だったのかな?

で、その希望はかなえられることはなく、むしろ最悪な形で裏切られるわけで、むしろ、彼の危惧は的確であったという皮肉が、「青年期」になってあらわになる。

かつては気弱だった子供は、自分を守る為にタフな男に変貌しているのだが、まぁ最終的には、過去の優しを取り戻してハッピーエンド、ということなんだが・・・・・・。


ちょっとネタバレだけど、旧友がレストランにて音楽をかけるシーンは、もう告白しているようなものなのだが、それからも、なかなか距離が縮まらないんだよね。

「おいおい、なんだよ、童貞かよ?」と思ってしまうけど、・・・・・体格はいかついものの、結局、彼の根っこは、かつての繊細な神経のまま。
童貞みたいなもの。

ラストのセリフだって、「男と男」のカップルだから、一見新鮮に思えるけど、これって、「男の女」に置き換えれば、派手好きなギャル系の女性が、「あんたに処女を捧げてから、他の男とは寝てない。ずっと操を守ってきた」と言っているようなもんだよなー。

そして、相手の男からの連絡だって、言うなれば、「クソメール」だよな。(google検索「クソメール」)
「今はパートナーがいねーし、なんか物寂しいし、ムラムラもするから、昔の女でも呼び出して、イッパツやらせてもらうか」っていう発想と大差ないよな。

格調高く描かれているので、騙されてしまうけど。


まぁ、かつては「男と女」という設定でなければ成立しなかった物語も、今では「男と男」でも、こうして十分に成立するわけで、そういう意味において、アカデミー賞作品賞受賞というのは象徴的ですな。

ムーンライト
by カエレバ


















0 件のコメント:

コメントを投稿